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2008/11/30

紹介したい雑誌が、たまっている。

いろいろ雑誌をいただいたり、これは欲しいと思って代金を送って取り寄せた弘前の『TEKUTEKU(てくてく)』5号とかあるんだけど、まだ紹介できずにいる。今日も、ゆっくりしていられないので、とりあえず、まとめて表紙の写真でも掲載しておこう。

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上左、京阪神エルマガジン社『アートを楽しむ東京地図本』
上右、北九州市『雲のうえ』9号
下左、京阪神エルマガジン社『ミーツ・リージョナル』1月号
下中、青森県弘前市のタウン誌『TEKUTEKU』5号
下右、京阪神エルマガジン社『東京肉本』

明日12月1日発売の『ミーツ・リージョナル』1月号と『雲のうえ』9号は、きのう届いた。じつは、『雲のうえ』9号は、11月8日「角文研東京支部公開飲み会」で三軒茶屋の味とめに行ったとき、ちょうど味とめで配布する分が届いたので、2冊もらった。それをバッグのなかに入れたハズなのだけど、翌日バッグを開けたら、ない。泥酔記憶喪失のなか、うっすら思い出されたのは、渋谷から湘南新宿ライナーに乗って帰る途中、座れたので、それを取り出して、たぶん見ていたのだと思う。そして、たぶん隣のオヤジだったかが、表紙を見て話しかけてきた、「かっこいいねえ、なんの本?」てな感じだった思う。それであげたら、その前に立っていた人も、なんか言ったのであげてしまった。というような感じだった。なので、そのことを大谷道子さんにメールのついでに書いたら、先日、水道橋のアンチヘブリンガンの「『雲のうえ』きよしとこの夜」に、大谷さんが一冊持ってきてくださった。で、もらってパラパラ見て、なにしろ飲むほうが忙しく、そして酔ってしまい、そこへ忘れてきてしまったらしい。よくよく縁がない9号。また先日、大谷さんにメールのついでに書いたら、こんどは自宅まで送ってくださった。というわけだ。すみません大谷さん、たびたびめんどうかけて。ありがとうございました。

電車の中で出しただけで注目を浴びたらしい『雲のうえ』9号「祭り」を入手したい方は、こちら北九州市のサイトをご覧ください。…クリック地獄

さて、それで、後日、これはもうゼッタイ詳しく紹介したいのが、弘前のタウン誌『TEKUTEKU(てくてく)』5号なのだけど、きょうは、ここまで。ほんと、この雑誌は、すごい、すばらしい。デザインと写真はプロの方の仕事らしいが、取材や文はボランティアの、いわば「素人」の方がやっているらしい。それが、とても素直な文章で、弘前の暮らしや日常が、生き生き魅力的に描かれている。プロが、おれは文章のプロだぜという感じで書いたものにはない、すばらしさ。やはり、なんだね、「技巧」があっても「愛」がなくちゃ、だな。

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早く引き上げるときもある。

Sibuya_toriyasuきのう。17時半、渋谷「祖父たち」。くまさん、たのさん、しのさん、まりさん。ガンガンの音のなかで、まずはビールでカンパイ。のち、ハーパーを一本とって、ロックでグビグビ。あいたところで、細雪、と思ったら、閉まっている。土曜日でも営業していたような気がするが、では、鳥安。ビールのちポン酒燗。チキンライスを注文したやつがいて、撮影。むかしのより、皿もライスもひとまわり小さいような気がする。いま気がついたが、おれは一口も食べないうちになくなった。

用があるため、21時ごろ、まりさんと店をでる。新宿でまりさんと別れ帰宅。アレコレかたづける。

この飲み会も月イチで続き、メンツも固定化なれあい惰性化し本来の趣旨を脱線しそうなので、来年は大幅にやり方を変えよう。

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2008/11/29

連日連夜、飲んでるが、飲んでるだけじゃねえんだぜ。

ま、とにかく、たまりすぎないうちに、忘れないようメモ。

26日、水曜日。下北沢のスローコメディ・ファクトリーでは、いろいろな人に会ったが、2人のプロデューサーに、けっこうじっくり聞いた話がおもしろかった。どちらも、映像系のプロデューサー。

1人の方は、大会社系で来年だか再来年公開の劇場映画の製作に係わりながら、新しい実写映画の企画を立ち上げようとしている。1人の方は、インディペンデント系というか小さな会社をつくってやっているが、とりあえず、当面の稼ぎのこともあって、いま売れている某キャラクター人形のアニメ製作に取り組んでいる。

そもそも映像のプロデュースって、どんなアンバイの仕事で、どんなアンバイにやるものなのか、ほとんど知らないに等しかったが、なんとなく以上にわかった。キャラクターあんどアニメあんどコンテンツビジネスというあたりや、「製作委員会」方式ってのも、なるほど~、だった。なかなかオモシロイ仕組みで、これはいろいろ参考になりそう。

映像系のプロデュースは、出版や広告やイベントなどのプロデュースとは、かなりちがう感じがした。音楽系は、とくに近頃は映像もからむから、映像系に近いようだな。まとめてコンテンツビジネス、といえそうだ。出版だけが、そこからはずれてしまった感じか。しかし、いまどき、企画から2年ぐらいかけて製作し、望ましいことではないらしいが結果的に、回収に5年もかかるようなメディア事業があるってのも、おどろきだが、おもしろいことだ。そのまたカネの集め方や回転などの仕組みの話も、おもしろかった。

ゆっくり話せなかったが、女声優さんがいた。あとでメールをいただいたが、20歳のころ小倉に住んでいたことがある「脱北者」だそうだ。

逆井くんと、ひさしぶりに、少しゆっくり話した。映像現場から離れた仕事らしいが、はやく現場にもどれるといい。

きのう、28日、金曜日。またスローコメディ・ファクトリーへ行った。というのも、この日は、経堂の太田尻家が休みで、その御一行様が来るというから忘年会のつもりだ。

太田尻家夫妻と、おなじみ野崎家夫妻。そして初対面は、これまた映画製作のひと。なんと、話しているうちにわかったのは、彼女の社長あんど師匠は、むかしおれの「部下」だった、映画界ではけっこう知られている男なのだ。すぐさま携帯で彼女が、その男に連絡し、たぶん何十年ぶりかで話す。なんとなくウワサは聞いているし、けっこうニアミスしているのだが、ひさしぶりに話す感じは、お互い、むかしの若いころのままだった。携帯を彼女にもどしたら、彼はおれと話して「冷や汗かいた」といったらしい。ぐふふふ、おれはコワイ「上司」だったからな、いまでもその雰囲気が出ちゃうのだろうか。しかし、みなご活躍で、けっこうなことだ。

えーと、19時ごろから飲みはじめて、21時過ぎていただろう、ソフィーがあらわれる。ひさしぶり~。アノニマ女たちの消息を聞く。自分が希望していた方向へ、着実にすすんでいるようだ。けっこう、けっこう。ソフィーは、長かった中央線阿佐ヶ谷生活から脱出して、学芸大へ転居したという。「阿佐ヶ谷は、とっても住みやすくていいところだけど、そこに安住しちゃいけないとおもって」テナことをいう「ソフィーの生活と意見」を、もう少し聞きたいと思ったが、帰らなくてはならない時間が近づく。もう出なくてはという時間、10時半ごろだろう、ダメ工房の大里圭介さんがあらわれる。

朝まで飲んでもいい、泊れ、などと、みな酔っ払って元気よくなるなか、脱け出す。
新宿11時10分ごろの埼京線に乗り、赤羽で宇都宮線最終一本前に乗り、12時5分ごろ東大宮駅着。

げんこつ団の方たちや、いろいろなみなさんに会った、一日おきに遠ーーい下北沢まで通った二晩だった。
はて、今日も今日とて。明日も明日とて。生きる試練は続く。

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2008/11/27

おもしろいことをしようという熱意、スパムと三笠フーズと須田泰成、スローコメディ・ファクトリー@下北沢。

午前1時のヨツパライ深夜便。文は、寝ておきてから、書かないかもしれない。

(以下、寝て起きてシラフになってからの追記も含む)

当刑務所は、洗練されたおしゃれナチュラルピュアなレトロほっこり環境のなかで、世界中から厳選した生で旬で新鮮なとれたて絞りたての受刑者に、素材から丁寧につくりあげた至高にして極上の癒しの著名ブランド三笠フーズのTシャツを着せ、こだわりの逸品珠玉の名品スパン缶詰の選びぬいた素材の味を生かし、まじりけのない本物正統本格な本場の料理を提供しています。今よりもっといい地球のエコな大人の男の隠れ家刑務所へ。やさしいって、いいね。女もいます、もちろん同性愛もOK。やってみては?……提供=文科省国語統制審議会、農水省農業破壊と食育統制推進会議、厚労省健康と性生活干渉統制委員会
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ジャンクフードはジョークフードであるという真実。偽装を選ぶか偽善を選ぶか。平成の閉塞と平穏をゆるがす須田泰成のスローコメディ・ファクトリー@下北沢。ここには「たいくつ」という言葉はない。

2008/11/25
「まったり、ゆったり」チャレンジなのだな。

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2008/11/26

あえていうが、「うまいもの好き」である必要はない。

あわただしいときのブログの更新は、引用ですます。拙著『現代日本料理「野菜炒め」考』の「最後、または野菜炒めのまとめ」から。


江原恵さんのオコトバ。

われわれ普通人は、……ふだんの食事をいかに楽しく美味しく食べるか、それを実践するための自分の方法と美味学を持てればよいのである。

まず、自分が、なにを、どう食べたいかなのだ。その主体を確立することだろう。
さらに二人のオコトバ。

自分が何を作っていて、それをどうしたいのか。そこさえわかっていれば、自分で判断できるはずなのです。(有元葉子の料理の基本、幻冬舎2000)

私の経験からいうと、よほど劣悪でまずいワインでないかぎり、食事の友としてそれなりに耐えられる。そして、慣れれば、それがそのワインの個性として受容できるようになるものである。……グローバリゼーションによる味の画一化に支配されるのではなくて、日常生活のなかで自分の主観性にあうようにアルコールの味を飼いならすこと……宣伝広告に惑わされないで、自らの味覚をローカル化し、特異化し、自己中心的に主体的選択の幅を広げること、これである。(杉村昌章、談別冊 shikohin world 酒、TASC2006) ←「ワイン」「アルコール」を「料理」におきかえても通用する。

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2008/11/25

「まったり、ゆったり」チャレンジなのだな。

「チャレンジ」というと、肩肘張って眼吊り上げてガツガツしゃかりきのイメージがあるが、そうとはかぎらない。
「まったり、ゆったり、ゆるーく」なんていうと、チャレンジ精神のひとかけらもない、同好の甘ったれのもたれあいのようなイメージがあるが、そうとはかぎらない。

下北沢に「スローコメディ・ファクトリー」をオープンした須田泰成さんからメールで届く「スロコメ通信」からオコトバを拾って、テキトウにつなげてみた。


急に気温も寒く、世界経済もツンドラのように寒くなってしまっていますが、

いかがお過ごしでしょうか?

ゆるーく

自分と違う他人のセンス&チョイス

船場吉兆さんもすなる食品偽装というものを

早速メニューに加えてみることにしました。笑。

バブル崩壊から現在まで、どういうわけか日本経済は下る一方、

それに合わせて、人のチャレンジ精神というか、おもしろいことをしようという熱意みたいなものも、

いろんな組織や場所で下がっているケースが大半のように思えます。残念なことですが。

どんな楽しいことをするにも、やはり大切なのは、人。

まったり、ゆったり、映像・出版・ネット・広告・飲食・メーカー・その他さまざまな業種&人種の方々と、

ふわっと出会って、ゆるーく楽しい時間を過ごす ひと時はいかがでしょうか?

自分のことを一方的に喋りまくったり、年下とみるや説教をしたり、

ガンガン自分を売り込んだりするような、ゆるくない人は、来ませんので、安心してください。

「チャレンジ」も「まったり、ゆったり」「ゆるーく」も、これまでと、チトちがう。「チャレンジ精神」は、高い目標とはちがう、「おもしろいことをしようという熱意みたいなもの」。「自分と違う他人のセンス&チョイス」しようと思ったら「ゆるーく」やることだ。どちらかといえば、「チャレンジ」と「ゆるーく」は対極というイメージだろうが、そうとはかぎらないのだな。

しかし、近頃は、チャレンジ精神どころか「自分と違う他人のセンス&チョイス」意欲すら下がっているようだ。残念なことですが。だからこそ、「スローコメディ・ファクトリー」のような試みや、「やどカフェ」のような試みが必要なのだ。

もうきのうになったが、「スローコメディ・ファクトリー」とはチョイちがう舞台での「異人種交流」「自分と違う他人のセンス&チョイス」の場、「ゆるーく」「チャレンジ」の旅人文化の「やどカフェ」では、「鍋パーティ」があった。おれは行けなかったのだが、愛人8号から「いまから行く」メールがあった。いいことだろう。

まちに、自分と違う他人のセンス&チョイスができる、新しい可能性が広がる場=プラットフォームが、ある。いいことだろう。どんどんできて欲しい。

自分と同じセンスを舐めあって喜びあうだけの閉塞ではなく、自分と違う他人のセンスと、もっともっと交わることだろう。

そして、そこには、必ず飲食がある。その飲食は、まったく「グルメ騒動」とは別の、楽しい美味しい関係を生むだろう。「スローコメディ・ファクトリー」は、スパム料理専門店?を目指すらしい。ファンク&パンクな飲食が、時代の閉塞を打ち破るか。

そういや、おれと須田さんの出会いは、経堂のプラットホーム、太田尻家だった。

旅人文化ブログなんでも版
http://blog.tabibito-bunka.com/
スロコメ日記
http://slowcomedyfactory.blog24.fc2.com/

いじょ。深夜3時、ヨツパライ深夜便。ケツクラエ!

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2008/11/24

たとえば、リンゴの食べ方。

前に何度か、「輪郭」と「芯」について書いたと思う。モノゴトをとらえるとき、味わったりするとき、「輪郭」でとらえるのか「芯」でとらえるのか、「輪郭がはっきりした味」というような表現もある。話の中では「輪郭」と「芯」が混乱しやすい。それにモノゴトは「輪郭」と「芯」だけではない。

リンゴの輪郭つまり表層には皮がある。その下に果肉があって、真ん中に芯がある。芯の中には種がある。芯は、背骨のようなもので、見えない部分でリンゴのカタチの骨格をなしているともいえる。

リンゴの品定めをやるときは、たいがいリンゴを手にとって外側を眺める。リンゴを、どう回転させるかは、ともかくとして、手で動かす。目線の位置は変らない。光線も変らない。そのように外側を眺めて品定めをする。

だけど、店頭などではやれないが、ほかにも方法がある。テーブルの上に置いて、そのまわりをまわって外側を眺める方法がある。目線の位置も光線も、変えられるし変る。

とりあえず表層のことだが、前者は、あくまでも自分ひとりの目線であり、後者は、自分とちがう位置から見た他人の目線を想像することができるだろう。

リンゴを料理に置き換えてみる。料理を味わう場面だ。十人十色というから、厳密には、十人が別々の味覚で味わっているはずだ。ちがう位置からリンゴを見るように、ちがう味わいを得ているはずだ。とうぜん、評価は、それぞれちがってよいはずだ。

10人がリンゴを囲んで絵を描けば、全員がまったくちがう表層の絵を描くだろうことは、ほぼまちがいない。仮にリンゴをカメラで撮影すれば、そのちがいは明確だ。だけど、味覚のばあい、けっこう同じ味を「うまい」という例はめずらしくない。おでんは、ゼッタイかつおと昆布の合わせだしがイチバンというひとが少なからずいるように。

つまり何人いても、1人でリンゴを見て描いているのと同じ現象がおきる。このナゼは、おもしろいのだが、きょうは、そのことではない。

食べればなくなる味覚のばあい、1人で十人十色を、それぞれ想像するのは大変だから、もう少し絞ってみる。

まず自分の位置、つまり自分が好む味覚は、フツウはわかっている。それは確実だろうが、そこから先は、また分かれる。おれのばあい、自分の味覚(自分が好む味覚)のほかに、東京=中央の味覚、それは標準語みたいなものだな、それと地域=地元の味覚を基準にする。

地域=地元の味覚は場所によって異なるし、飲食店によっては東京=中央の味覚で地元の味覚は無いにおなじこともある。とにかく、その3つのファクターでとらえようとする。つまりリンゴの外側を、まず3か所から眺めるようなことをする。このばあい、難しいのは、初めて行った地域=地元の味覚の傾向を把握することだ。

イチオウ、自分の味覚を基準に、どれぐらいの距離や近さがあるか、それから東京=中央の味覚を基準に、どれぐらいの距離や近さがあるか、という目安を持つ。これは比較的やりやすい。つまり、同じ料理を、おれが作るならどうする、それから、この味覚をこのまま東京へ持っていって売れるか、売るために手直しが必要なら、どこをどう直すか、てなことを考える。

その味覚が、なぜそこにそのようにあるかは、すぐに把握できなくても、そういう目安で大雑把にバクゼンとした整理が可能であり、安直に「うまい」「まずい」を決め込まないことがカンジンだと、おれは思っている。

もちろん、これは食べ物のことで、飲食店の評価のことではない。それから、東京=中央の味覚に近いほど「うまい」ということでもない(そのように形成されたマーケットはあるけど)。また、これはまだ「輪郭」のことで、果肉や芯や種のことは含まれていない。まずは、店頭でリンゴを選ぶときのように、この表層の輪郭から入り、かなり大雑把なグルーピングをやっておく。

いくつか似たような質問があるので、書いてみました。とさ。

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2008/11/23

生活の中の絵あるいは美術または芸術。

Desk_saeki_kabe2008/11/22「高校生から取材のち『雲のうえ』きよしとこの夜。」に書いた、高校1年生くんと話して思いついたことがあったので忘れないうちにメモ。

たいがい初めて職業を選ぶときは「生き方」を考えている。たとえ明確に意識していなくても、「どう生きるか」を考えている。職業に就くまえに生きてきたし、生きるために職業を選ばなくてはならないからだろう。職業以前に「生き方」があった。

ところが、いったん職業に就いてしまうと、「生き方」や「どう生きるか」ではなく、職業のために、職業だから、ってことになり、ときには「生き方」や「どう生きるか」は犠牲になり、どうでもよくなってしまう。そんなことが多いような気がした。

話はかわる。『四月と十月』に「画廊の外の展覧会」を連載している言水ヘリオさんは、最新10月号では「浜田賢治さん」のタイトルで書いている。それは、言水さんが「この展覧会以後、私の美術に対する考え方は少し変った」という、「二〇〇二年十一月一日から七日まで、かうなやという神田神保町の小さな古美術店で」浜田謙治さんの作品の展示を見てのことだ。

「会場に足を踏み入れると、店としてはあり得ないくらい雑然としている。ここでは展覧会を行うことなどないのである。でもまあ古書店や古美術店にはこの手のお店は珍しくもないか。展示されている作品は、もともと散らかっていた店の、商品の隙間みたいなところに収まっている。全然目立たないし、こんなに展覧会らしくない展示は見たことがない」

言水さんの「言水制作室」は、神田神保町の裏通りにある。おれが1960年代前半にアルバイトで勤めていた御徒町の裏通りにあった事務所を思い出させる、ほとんど似たつくりの木造の古い建物の2階だ。その6畳ほどの言水制作室も雑然としているが、そこでときどき言水さんがコレはと思うひとの展覧会をやる。何度か拝見したが、そのために部屋を片づけるわけでなく、いつもの雑然とした仕事場に作品が展示され、ときにはその中で言水さんはデスクに向かって仕事をしていて、おれが行くと酒瓶を出して一緒に茶碗酒を飲んだりする。で、そこにまた別のひとが来て、そういう景色の中の絵を見る、ことによると一緒に一杯やる。そういう展覧会なのだ。

そのとき言水さんから聞いた、いわば持論というべきものが、この「浜田賢治さん」に述べられている。

「普段の生活空間において美術の作品というものを考えてみると、そのための一室を設けるなんていう特例はあれ、せいぜいが居間とか客間とか玄関あるいはトイレなどがその居場所としてあてがわれるわけである。展覧会で売れたとしても、そのような場所に置かれるのが作品の行く末である」「美術館に売れたなら、収納庫で温度・湿度も管理され大事に保管される。ではこれが、作品にとって最も幸せな居場所なのだろうか? 多分そうだろう」

ようするに、よく展覧会が行われる、美術館やギャラリーなどの空間は、きわめて特殊な「装置」なのだ。

「散らかった部屋の中の小さな美術。自分にとって美術は、買ってきて特別扱いするものではなく、見ようとして発見するものである。もっともこの「見る」という言葉も視覚に限って使用せざるを得ないので、あるならば他の言葉を使いたい。人がいて、生活して、素材があって、そこで何が行われているのか。今、興味はむしろ「行い」というようなところに集中している」

ってことで、近頃は、言水さんは編集発行していた展覧会情報誌『etc.』も休刊して「行い」のほうをやっていたらしい。

日本の美術あるいは芸術というものは「床の間」の飾りものだった。そこは生活から隔絶された空間であり、そこにうやうやしく飾り拝むように鑑賞するものだった。その延長線上に、美術館やギャラリーがあったといえそうな気がするが、とにかく、言水さんの持論には、「生活の中の料理」を主張した江原恵さんの持論に一脈通じるところもあり、すぐさま共感した。

美術も芸術も、料理だってめしだって、気どるんじゃねえ。ってことだな。

そういや、このあいだ言水さんと、チョイとちかごろ周辺で話題の某飲食店の話になった。そのとき、彼は、その洒落た店について、「いい店でおいしいけど、わたしのように旺盛に食べて飲みたいものにとっては、ちょっと高くつくから」てなことを言った。まったく同感。彼は、食べ物の話になると、目の色が変る。

画像は、おれの「行い」の仕事場にある、印刷複製の佐伯祐三さんの絵だ。タイトルは「壁」。1989年11月、というと、19年前か、横浜のそごう美術館で開催の『佐伯祐三とエコール・ド・パリの仲間たち展』で買った。現物の絵の前で、初めてビビビビビビビッと身体に電流が流れたので、買ったのだが、たしか500円ぐらいだった。その後、転々としながらも、捨てる気にならず、持ち歩いている。そして、いつもこんなぐあいに生活の場所にある。おれにとっては、印刷複製かどうかなんか、どうでもよい。これが、こうやってパソコンを打っている斜め前にあるだけで、よいのだ。

もしかすると、おれが選ぶ飲食店は、この絵をテキトウに置いて、旺盛に食べかつ飲むのが似合っている店なのかもしれない。できたら言水さんと、この絵を持って、そういう店に入り、テーブルのわきでもテキトウなところに置いて飲む「行い」をやるなんて、楽しそうだと思う。

それはともかく、佐伯祐三さんは早死にされたが、いつも街角に立って対象に向かい合って描きつづけ、そのために生命を縮めたといわれる。街角の、どうってことない素材=日常から創造するのは、大変なんだなあ。

あっ、絵の下右隣は、上野駅地下にあった食堂グラミが閉店のときにもらった、カレーライスのサンプルです。

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「貧困層」の行方。

毎号お送りいただいている『食品商業』12月号のトップで、編集長の山本恭広さんが「「節約」と「安全・安心」志向に突き進む食マーケットの主戦場」を書いている。

その中に、つぎのような記述があった。

 
 厚生労働省の国民生活基礎調査によると2007年度の国民世帯の6割が「生活が苦しい」としている(詳細は本誌「WEBニュース9月12日」より)。
 ―富裕層を相手にするビジネスは貧困化し、貧困層に向き合うビジネスは豊かになる―
 「金融恐慌」「株価崩落」云々などを喧伝する内外ビジネス誌の論調である。あまりあおりたくはないが、日常の食を支えるという点では、スーパーマーケットはまさしく後者のビジネスである。


このばあいの「富裕層」とは、デパート・クラスをイメージしておけばよいようだ。図式的にいうなら、デパートは苦戦し、スーパーマーケットは、けっこう強気だ。安い居酒屋、御徒町の「かっぱ」のようなところは大混雑。さらに、ここにファミレスの不調を考慮すると、『食品商業』の他の記事でも指摘があるが、日常の食の重点が「自炊」つまり「家めし」「家酒」へ傾斜を強めている。

この傾向は、近頃の株価乱高下騒動あたりから注目されるようになったが、以前から顕著であり、そのことは『食品商業』の古い記事にもある。つまり「貧困層」の拡大が、以前からの傾向としてあった。それでも「貧困上層」は、ときにはデパートで買い物をし、ときには食べ歩き飲み歩きを楽しむ「余裕」はあった。消費主義を最もよく支えてきた「中流意識」の層といえるか。この層は、いつも浮動票のように、マーケットの動向を左右していた。

ともあれ、「家めし」「家酒」は、日常の食や生活を見つめなおすキッカケになるかもしれない。すぐさま、その動向をとらえて、「家族主義」が、この冬の食のキャンペーンなどにも見られる。それはまた安直な反動でもあるような気がするが。

50年近く店に立ちつづけの、ある飲食店のオヤジが言った。「飲食店が増えすぎ、こんなに飲食店があるっておかしいよ、だから、しなくてもよい宣伝をしなくちゃならないし、みんなグルメにされちゃうんだろ」

けっきょく、なんだね、「哲学」なんていうと、あざ笑われるが、生活の「哲学」のモンダイになるのかな。

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2008/11/22

高校生から取材のち『雲のうえ』きよしとこの夜。

きのう、17時、東京さ北区赤羽東口デニーズ。都内某私立有名高校1年生エッチくんから取材を受ける。何日か前、メールで申し入れのあった趣旨は、このようなものだった。

今回、文理のコース選択、将来の職業を見据えて、総合学習の11月下旬までのレ
ポートで自分の興味のある仕事について取り上げております。

僕は、プランナーという職業に興味をもち、特に遠藤哲夫さんはマーケティングの方をやってるということなので、その職業内容などを聞いてみたいと存じて居ります。
ほかにも、プランナー、ライターをやるきっかけになった事や、仕事への接し方なども聞いてみたいと思っております。

この種の取材は、目的はちがうし、大学生だったが、キャリナビの「学生記者」から取材されたことがある。エッチくんは、いわば中高一貫というか、中学からの総合学習の積み重ねがあった。体験学習はしてないとのことだったが、「調べ学習」をつんでいて、取材のポイントは要領を得たものだった。

「ゆとり教育」は、いろいろメチャクチャな批判があったけど、「総合学習」を生んだことは大きい。しかし「総合学習」は、教師の授業「企画力」と指導力がモロにでるところだ。力のある先生たちは、「会社をつくろう」とか「ラーメン屋を開業する」というようなテーマで、授業をやっていた。会社をつくる、商売を始める、を学習することで、社会の仕組みを「自分が生きる社会の仕組み」として考えられるし、調べ計画し発表することを実践的に学べる。そこではすでに実際に、「プランニング」を学んでいる。

いまでは、どんな仕事でも「企画」がついてまわるけど、デハ、「専門」のプランニングの仕事となると、どんなアンバイなのかってことなんだな。

プランニングは一面、理詰めであり、とことん論理と整合性が追求される。だけど現実は、リクツじゃない。よくあるのは、現実はリクツじゃないといって、本来あるべき望ましい姿を考えることを停止してしまうことだ。ま、ひとは自分がかわいい、自分は正しいことをしている、いや、こうしなきゃ食べていけない、これが現実なんだよと、思いたい。だけど、やはり世の中そうはいかず、その結果が大問題になる。いまの日本の「食」は、そんな状態が常態化しているようだな。

一方では理詰めでキチンと考えておくことで、「自分」あるいは「会社」あるいは「事業」が、本来あるべき望ましい姿からどのていどズレているかを知ることができる。それを知っておくことが大切だろう。望ましいあるべき現実と実際の現実は、たえずズレているものなのだ。

つまり、リクツと現実のギャップ(あるいは実像と虚像のギャップ)の、どのへんに自分が位置づいているかを知ることが、プランニングの第一義的な意味になる。んで第二義的に、そのギャップを埋める努力のためのプラン、ってことかな。

本来あるべき望ましい姿をトコトン考えることをしながら仕事をすすめないと、「カネのため」に全てが合理化されてしまい、食うためだからこれぐらいのことは仕方ないじゃないか、大勢も消費者も望んでいるから受けて売れるのだし、とか、自らをドンドン合理化することになる。そして、最初は少しずつ「道」をはずし、しだいに大きくはずす。

退嬰であり、「食」をめぐるアレコレの騒動(グルメ騒ぎも含め)の根源には、そういうモンダイが横たわっているのではないか。と、高校1年生を相手に、70年代前半からの、主に「食」を舞台にした自分のプランニング稼業をふりかえりながら思ったことだよ。

ある意味では、望ましくない環境に妥協や迎合しながらカネを得る仕事をしているのが現実だから、たえず自らそれを否定する自己否定の基準を持っていないと、自らを更新できず、ま、いまのようなニッポンは、そういうことか。

エッチくんに、どうせなら、若いうちに一度会社をつくってみたらいいよ、と、30年前ぐらいから、いつも若い連中にけしかけていたことをいう。おれは、いくつ会社をつくったり、会社経営をしたか。自分では会社に席を置くのは苦手なのに。

とにかく、自分がやりたい職業を調べながら、社会で生きる仕組みを中学や高校のうちから取材し学んでおくのは、よいことだろう。こんな高校生がいる日本の未来は明るい、なんてことを考えつつ、気分よく水道橋の「食堂アンチヘブリンガン」へ向かう。

「『雲のうえ』きよしとこの夜」、北九州市の『雲のうえ』の制作関係者が、初めて東京で集まる。

といっても、創刊当時からの市の担当者が担当を離れる慰労。集合の20時に遅れて到着。主賓きよしさん、編集委員でアートディレクションの有山達也さん、編集委員で編集の大谷道子さん、文の大竹聡さん、写真の長野陽一さんは初対面、すでに始まっていた。編集委員の牧野伊三夫さんは海外取材中、『雲のうえ』生みの親プロデューサーの中原蒼二さんは出張中で不在。あとから、創刊当初から配布でお世話になった、創刊時は神田神保町の元書肆アクセス店長の畠中夫妻、そして8号から編集委員になった、つるやももこさんは初対面。ま、とにかく、にぎやかに話がとっちらかる。

大谷さんは「盟友」テナ言葉をつかっていたけど、なんだかそんな感じがしないでもない。おれだけ野蛮な異人種テナ感じもしないではないが、『雲のうえ』の制作は格別な思い入れと高揚があった。ことを考えると、濃密な仕事ができたのは、やはり、きよしさんの存在が大きいのだなあ。あらためて、しみじみ、そう思う。5号のときも、乳飲み子がいて家に帰ってもよく寝付けない状態で朝早くから夜遅くまで付き合ってもらい、しかも、食堂の取材のOKをとる交渉だって大変だった、資料の収集やら、いろいろなメンドウをやってもらい、クルマの運転まで、ホント、感謝しきれない。きよしさん、いかないで、いかないで、いくなら市長になって、……なーんてね。

いくら有力なスタッフが揃っていても、その歯車が熱くかみあっていい結果を出すには、担当者の存在がものをいう。なにしろ『雲のうえ』は、さまざまなメディアで紹介されているだけではなく、ネタ本になり同様の企画をうみ、それらは広告PR費に換算したら何十億にも相当する。これからもこの歯車がうまくまわる体制を期待しよう。

そういや、おれと本番取材した写真の色男けいごさん、参加のはずが姿が見えない、どうした、どうした、おれは終電の時間が近づいてくる。と、写真の久家靖秀さんが登場。じゃ、もう、大宮からタクシーにしようと、京浜東北線の大宮行き終電に間に合う時間までねばる。

アタフタお先に失礼握手をやって、朝のラッシュ並みの京浜東北線に乗り、大宮に着いたら、もう駅を閉めるから外へ出ろのアナウンス。駅前のタクシー乗り場は、70年代の郊外の駅のように長い行列。40分ぐらい待ったか。しだいに酔いがさめる。26時ごろ帰宅。引っ越して初めて大宮駅からタクシーを利用したが、2,330円。電車賃が往復1,000円ぐらいだったから、交通費だけで、3千円をこえている。となると、飲食代って、安いんだなあ、なーんて思ってしまう。

とにかく、くわちゃんには感謝しきれない感謝の夜だった。府中競馬は、どうなったのだろう。

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2008/11/20

無難な味。について。

2008/11/13「「公正を期する」こと。表現と、それ以前の判断や思考。」に、「「人気店」「繁盛店」あるいは「名店」といわれる店には、「何度いっても、うまい」といわれる店がある。「あそこは、いついってもうまいよね」「あきないよね」、多数がそういう。それは、もしかすると「無難な味」という可能性がある。」と書いた。

「無難な味」を、悪い意味でつかっていると思うひとがいるようだ。「味」についての誤解あるいは理解不足があるような気がする。「無難な味」は「無難な味」であって、それ以上でも以下でもない。

なるほど「無難」だけなら、あまり魅力がないという感じだが、料理を「無難な味」にまとめるのは、それほど簡単ではない。むしろ「冒険」のほうが容易なばあいもある。それは、よく「創作料理」と称する「冒険心」に富んだ料理を食べたときに感じる「ズレ」を思い起こしてみればよいだろう。

「無難な味」には、あるていどの経験が必要になる。「ふつうにうまい味」のなかでも、ケースによるが、難しい部類になることもある。

たとえば、食べてみて、「もうちょっと無難な味にまとめたほうがよいな」ということもある。「商売」の場面では、少なからずあるだろう。そして、実際、安いコストで、じつに上手に「無難な味」にまとめあげる料理もある。

日本語は、「味」と「味覚」を明確に書き分けるのが難しい。「無難な味」とは味覚レベルのことで、ほんらいは「無難な味覚」ということになるだろう。

物事を「よい」「わるい」の尺度で考えているうちは、味覚の判断は、かなりアイマイになりやすい。みなが褒めるからよい、評判が悪いから悪い、ではなく、どういうひとが、どういう言い方で、ほめているか、満足しているか、あるいは不満をいっているか、などの判断が「無難な味」をつくるためには必要になることもある。ま、そもそも「よい」「わるい」の尺度だけじゃ、味覚の判断としては、ほとんど役に立たない。

そういう意味では、おれはよく「ふつうのうまさ」を強調するけど、「ふつうのうまさ」についても同じことがいえる。

いま書いたように「無難な味」は「ふつうのうまさ」のなかの一つの傾向として、おれは考えるのだが、「ふつうのうまさ」を、かりに数値的にイメージしてみると、全体の真ん中へん6割ぐらい、つまり「上」2割、「下」2割は含まれないという感じだろうか。ABC分析のような感じだが、ただし、この上と下は、あくまでも「」づきだ。

「厳選された素材」という表現を見ていると、言葉としては、「上」2割や1割でなくてはオカシイと思うが、政府のばらまき給付金のように、これほど無差別に使われると、「上」「下」「真ん中」の区別はないようだ。だとしたら、なにをもって「厳選」というのだろうか。

そもそも「厳選された材料」だけを使うって、ニンゲンとして料理として、「正しい」こと「望ましい」ことなのか。信用してよいのか。なーんて、考えてみるのもよいと思う。

アマタの良い人たちのロジックやレトリックに気をつけよう。

「よい味」というのは、たいがい「好い味」なのであり、「よい店」というのも、たいがい「好い店」と書くべきものである。とりあえず「無難な味」という言葉を置いてみると、アマタの良い人たちのロジックやレトリックに気づくことがある。ただし料理人に面とむかっていう言葉ではない。「つくる側」と「食べる側」それぞれの立場のちがいが含まれる、つまり実態に近い言葉なのだ。

無難な味は、うまい味、ともすると「絶品」の味なのだ。

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タイトルが勝負。か。

午前1時半すぎの、あまり酔ってない深夜便。きのうのアクセスが夕方ぐらいから急増した。なんでかなあと思ったら、「日刊ココログ・ガイド」の「2008年11月19日のおすすめ」に、きのうのエントリー「ちょろいメディア、ちょろい東京。」が載っていた。前にも一度おなじようなことがあったが、これで、一日平均550ぐらいのアクセスが1100台に。

ところが、「2008年11月19日のおすすめ」に載ったタイトルは、「ちょろいメディア、ちょろい東京。」ではなく、「マックが別名でオープンしたお店、連日の大行列!」なのだ。「ちょろいメディア、ちょろい東京。」も悪くはないと思うが、やはりこちらのタイトルのほうが強力なツリになるような気がする。しかし、本文を最後まで読んだひとは、どう思ったのだろうね。話題にした東京ウォーカーの記事と、この現象の一連、おもしろいねえ。なんだかコンニチ的グルメのコメディにもなりそう。

「2008年11月19日のおすすめ」…クリック地獄

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2008/11/19

ちょろいメディア、ちょろい東京。

表参道と渋谷の新しいハンバーガー店に連日行列が!
東京ウォーカー11月19日(水) 11時44分配信 / エンターテインメント - エンタメ総合
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20081119-00000002-tkwalk-ent

取材日は50人以上が行列!
11/1、表参道と渋谷に突如出現したハンバーガーショップ「QUARTER POUNDER(クォーターパウンダー)」に連日行列ができている。「ダブル クォーターパウンダー withチーズ(600円)」「クォーターパウンダー withチーズ(500円)」という2種類のみのメニューや、一見何屋か分からないスタイリッシュな外観に、街行く人は興味深々だ。

佐世保バーガーやタワーバーガーなど、ここ最近のバーガーブームの中、一夜にして行列を作った「クォーターパウンダー」って誰の仕掛けなんだろう、と調べてみたら、なんと運営はあのマクドナルドだという。わざわざマックが別名でオープンした狙いは? 広報に直撃した。

「『クォーターパウンダー』は、マクドナルド発の商品PR企画の一環なんです。赤と黒のスタイリッシュなインテリアや、突然出現した意外性を大切にしています。メニューが2種類なのは、自信のあらわれだと思ってください。シンプルに勝負しています(笑)」(広報担当)

たしかにその名のとおり、1/4パウンド(約113グラム)というボリュームで胃袋は大満足だし、味も申し分ない。今後もマック同様、全国に多数出店していく予定なのでしょうか?

「実は、『クォーターパウンダー』は期間限定のショップなんです。11月末で閉店することがもう決まっています。お客様には、お祭気分で楽しんでもらう。街に、話題が溢れる。それができればマクドナルドとしては成功ですね」(同広報)

たしかに“限定”と言われると余計食べたくなるのが人の常。話題性はマックの狙い通りで、期間限定ハンバーガーは、しっかりと若者のココロをキャッチしている。「クォーターパウンダー」を食べられるチャンスもあと1週間ちょっと。まだ食べてない人は、大変だけど並んでみては? 

……という記事があった。「興味深々」なんていう、字のまちがいはヨシとして、いかにもできレースのような、わざとらしい書き方。メディアとマクドナルドのなあなあぶりが、とても参考になる。

おれは11月5日、ここで食べなかったが、店を見ている。コジャレな原宿には縁がないおれだって、この店がマクドナルドの仕掛けだということは知っていた。店は、行列どころか、なかもそんなに混雑していなかった。この記事は、きょうの日付だ、広報が動いたのだろうと推測できる。

ま、これぐらいは、「表現の演出」のうちなのだろう。目くじらをたてることはない。メディアも東京も「ちょろい」というだけだ。記事には、【WalkerPlus/安藤真梨】の記名がある。

みなさんも並んでみたら? イベント性の高い店舗づくりを見てみるのもよいかも。なんて、東京ウォーカーな。

その先日の原宿、なんだか原宿もトンガリがなくなり落ち着いてきたなあ、と思ったのだが、通りを行く人たちをみると、ナントナクわが同胞、埼玉県人のニオイがするのだった。渋谷も原宿も、埼玉県渋谷であり埼玉県原宿、なのかも知れない。

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もう一度。

たぶん、このブログの最近の山口瞳さんの引用を見てだろう、中原蒼二さんがブログ「吹ク風ト、流ルル水ト」の、2008.11.18 Tuesday「行きつけの店って…」で、こんなことを書いている。

 山口瞳のよい読者ではないことぐらい自分でもよぉーく解っているが、突拍子もないことを書く。
 江分利満氏や「わが町」「血族」の作家と、最晩年に『行きつけの店』を書いた作家に隔たりを感じてしまうのはおれだけか。
 そりゃ、おれだってこの本に出てくる店の数軒は行ったことがある。一軒は10回近くは通ったかもしれない。
 しかし、行ったことがあるといったって、心から落ち着いたことはないし、傍からみると緊張しているのがよくわかったろう。
 この作家が変節したなどとはいうまい。衰えたのだ、とおれは納得したいのだ。

ま、このことは、中原さんも「突拍子もないことを書く」といっている通り、今回おれがここで書いていることには内容的には、まったく関係ない「文学」のことであるらしい。そもそも、よい読者かどうかも関係ないし(その意味じゃ、おれは本も山口瞳さんもそんなに好きじゃない)、「わが町」「血族」と『行きつけの店』の比較など、おれは考えつきもしない。他人様の「変節」をとやかくいえるアタマもないし、もともと前にも書いたが首尾一貫だの、この道一筋なんか興味がない。そのていどのニンゲンが書いていることだと思ってもらえばよい。

でも、せっかくだから、ついでにチョイとふれておこう。かりに誰であろうと誰かさんが、その本に出てくるうちの1軒に10回近くは通って落ち着いたことがないにしても、「行きつけの店」というのは、それぞれのものであり、みんなにとって「よい店」「名店」であるとはいえない。じつにいやらしいほど特定の客と店の関係であったりするから、そういうところもたしか山口瞳さんは書いていたと思うが、誰かさんが落ち着かなかったのは、誰かさんが『行きつけの店』にするには相性が悪かったというだけで、よいのではないだろうか。何回行ったかも関係ないだろう。それを、作家の「衰え」にまでつなげて納得したいなら、それはそれでよいけど、こちらは引用の文章をオベンキョウしているだけなので、ま、ひとつの「教材」にすぎない。教材というのは、正しいから教材なのではなく、都合のよいように利用するものなんですよ。それで、そこから何が得られたか何か得られるかなのであって、それは教材に使われた作品の作家を、それだけで敬うひともいるけど、関係ないのだなあ。それとおなじですよ。「衰えた」って教材にはなる。嫌いな作家の作品だって教材になる。そういう「文学」の利用の仕方もある。

で、モンダイは、そういうことではない。2008/11/17「日常にかえる。」の続きになる。すでに5年前に「行きつけの店のある生活」を書いていたことも忘れていた木村衣有子さんは、トツジョおれのブログに「山口瞳」が登場したので、それを思い出したのだが、その文章の最後は、「買いものをしたことのない店について書くような無責任なやっつけ仕事もしてしまっている私にはいま、彼の姿勢が少しまぶしい。」なのだ。

前に書いたように、それはファックスで届いたのだけど、その部分の空欄に木村さんは、つまり買いものをしたことのない店について書くような無責任なやっつけ仕事は「ここ4年ほど、全くしておりません。おかげでビンボウになりました。でも気は楽です!」と書き込んであった。

「「やっつけ仕事」に悩んでいたときで「かけだしのときは(?)仕事は断るべきではない」という、誰に言われたか忘れましたが、無意味な精神論にとらわれていた時期だったと思われます」

2008/11/07「安直で惰性な「こだわり」の舞台あるいは舞台裏。」に、「ついでに。誰かさんに聞いた話だけどね。なるべく物事を正確に書くために、「名店」だの「逸品」だの「究極」だのといった、中身がアイマイな形容語句を使わないようにして飲食店や食べ物のことなど書こうものなら、たちまち編集者に「名店」だの「逸品」だのに直されることは、よくある。よくあるから、ちゃんと、そのへんの「編集意図」をあらかじめ「理解」して、「聖地」だの「至玉」だの「絶品」だの「厳選」だのという言葉をキラキラちりばめながら書くライターが、「よい文章を書く頭のよいライター」として重宝される。とか」と書いたのは、ジョーダンじゃないわけですね。何人かのひとに聞いた話だし、ま、おれも実際、10数年前の「駆け出し」のころは、渡した原稿とあがりが大分ちがっていてビックリしたことがあった。

そういう状態そして一方では「印籠語」が氾濫するなかでは、2008/11/13「「公正を期する」こと。表現と、それ以前の判断や思考。」に書いたように、山口瞳さんの『酒食生活』(角川春樹事務所、グルメ文庫)の「庄内のフランス料理」から引用したところなどは、ベンキョウになるというわけだ。

くりかえすが、まずは印籠をかざすようなことも、かざされた印籠をありがたがることも、やめよう、ということなのだ。つまり、対象を、よく観察する。相手が言ったことを、よく吟味する。山口瞳さんから引用した文章は、そこに関係する。

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2008/11/18

見沼たんぼ。

東大宮でも、俺が引っ越してきたあたりは、「見沼たんぼ」と呼ばれる緑地の北限地域になる。

「見沼たんぼは、東京都心から20~30km圏内にあるにもかかわらず約1260haという広大な面積を持つ、首都近郊における貴重な大規模緑地空間です」と詳しい案内がある「見沼たんぼのホームページ」は、こちら…クリック地獄

Higasioomiya008a見沼区の区名になっている「見沼」の自然は、江戸時代からの田んぼ開発で「田んぼ」と化した。人の手が開発したものは、人が不用になれば捨てられる。関東平野内陸の大農業地だった埼玉が「ダサイタマ」と揶揄されるようになったのは、「農業の危機」だか「農村の危機」だかと「地方の時代」がいわれだした80年ごろだったか?それともバブル直前だったか。

「農業」も「農村」も「地方」も、東京のすぐそばにあって、だけど東京=中央の意識からは遠い。東京=中央の意識から遠いものは、スベカラク、廃れる。コレ、日本の法則。

なんでも「保存」という言葉がつかわれるようになったら、片方に強大な力による破壊がある。この「緑地」も、そうだ。イチオウ、公共事業だけが、その保護者として破壊者にもなれる特権を持つらしいのだが、いったい、強大な力を持った破壊者は誰か。政治家?役人?経済界? それとも「ダサイタマ」と軽蔑する人たち? 

この景色は荒廃へ向かっているのか、それとも「再生」へ向かっているのか。だけど「再生」という言葉にはマヤカシがある。つまり、ムカシハヨカッタ、というまやかしが。ああ、人間社会の、この荒っぽさが、たまらん。

てなことを考える、お散歩のひとときなのですね。
こういう手垢で汚れた感じの「自然」の景色は、どことなくニヒルでアナーキーで惹かれる。

上の画像の川は、見沼たんぼを貫く「芝川」。なかば用水路と化した川で、自然な姿からは遠い。下流域には、数年前に武蔵野線東浦和駅から歩いて行ったことがあるが、まだ「見沼たんぼ」と呼ぶにふさわしい田畑の景観がある。

隣接するJR東大宮操車場は、鉄チャンの出没するところらしい。鉄チャンじゃなくても、見ていてけっこうあきない。この画像は、その操車場に架かる陸橋から撮影した南側の風景。右端、西の方角には、スッキリ晴れたときは、富士山が見える。

富士山は、東大宮駅からウチに来る途中の坂道からも見える。ウチは貧乏だから坂下にある。坂を下る正面に富士山が見える。夕日が沈んだあとの赤く焼ける空に、黒い影絵のような富士山を、見とれながら歩いていたら、ウチのほうへ曲がるのを忘れてしまったこともある。

Hiasioomiya003この画像は、陸橋の北側。無秩序な畑。近くに団地や比較的新しい住宅街があるから、そこの人たちが「家庭菜園」でもやっているのだろうか。

東大宮のへんは、どんどん新しい住宅が建って、公園には子供たちの遊ぶ姿があり、「なんとなくクリスタル」以前の1970年代的「活気」を感じる。70年代の活気は、どんどん「緑地」を破壊しながら生まれたといえる。人は、そのときどき必要なものを選んで生き延びる。のだろうか。だとしたら、いまは、なにを選びたいのか。

そうそう、忘れないうちに、2008/11/14「さいたま市見沼区宇都宮線東大宮を知っているか。知らん。」に掲載した「もつ焼きセンター」ではメダカを売っている。

このあたりのことは、ときどき掲載するだろうから、↓カテゴリーに「見沼区・宇都宮線・東大宮」を設けた。地元愛。

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2008/11/17

日常にかえる。

2008/11/05「知識はあれど想像力は、ナシ。」から2008/11/07「安直で惰性な「こだわり」の舞台あるいは舞台裏。」2008/11/11「「ゆるゆる大陸」「脱星印脱印籠語」とか。」2008/11/12「真摯な姿。」2008/11/13「「公正を期する」こと。表現と、それ以前の判断や思考。」2008/11/15「虚実皮膜の間で「行きつけの店のある生活」。」2008/11/16「虚実皮膜の間、表現以前、神様になりたいのか人間でいたいのか。」とグダグダ転がってきた話だが、もとはといえば、伊丹十三さんの『ヨーロッパ退屈日記』の「想像力」から始まった。

2008/11/05のその引用をふりかえると、伊丹十三さんは、「これ以上安易で、投げやりな想像があるのでしょうか」という例をあげたのち、こう書いた。
…………………………………………………………………………

 現在の映画が、撮影所製のだんどり芝居の域を抜け出て「実在性」を取り戻そうとするなら、わたくしの場合、その推進の軸となるものは「日常性」においてないと思います。
 そしてまた、作家の想像力が一番あらわな形で出る場、というのも日常性の創造をおいてないと思うのです。

…………………………………………………………………………

もちろん「作家」は「表現者」そして「人間」と置き換えてもよいだろう。日常性を豊かにできるかどうかは想像力のモンダイなのだ。だけど、いわゆる「うまいもの好き」「酒好き」の食べ歩き飲み歩きのたぐいを読んでも、たいがいはそこに豊かな日常を想像することが難しい。「うまいものを求めて」歩きまわる著者の姿に、その書くことに、望ましい生活の姿を想像するのは困難であることが少なくないのではないだろか。俺は、アサマシイ、イジマシイと思うこともある。

ともあれ、大言壮語印籠語紋切り型の「うまいもの好き」より、想像力を磨く日常にかえろう。

で、2003年7月発行、河出書房新社の『文藝別冊 山口瞳』に木村衣有子さんが書いた「行きつけの店のある生活」だ。そこで冒頭、木村さんが引用するのは、山口瞳さんのこの文章。

「寿司屋とソバ屋と、酒場(私の場合は赤提灯だが)と喫茶店、これを一軒ずつ知っていれば、あとはもういらない。駅のそばに、気楽に無駄話ができる喫茶店があるというのは、とても嬉しいことだ。いや、もし、そういうものがなかったとするならば、その町に住んでいるとは言えない。私はそんなふうに考えている」(『行きつけの店』「国立 ロージナ茶房の日替わりコーヒー」より)

こうした「行きつけ」は、人によりさまざまだろう。もしかすると、いまでは、洒落たイタリア料理店やスタバやドトールであるひとがいるかも知れない。あるいは、魚屋や豆腐屋だったりとか。

俺が、大衆食堂を書くスタンスも、「名店を厳選」というものではなく、それがそこにあるかぎり、そこに必ず、その食堂を「行きつけ」にしているひとがいる、その存在の豊かさ、そこにある飲食の姿や生活の姿やまちの姿を知り、そしてできたら伝えたいからだ。それは生活を豊かにする想像力の源泉になるだろう。自分は「うまいもの好き」だから「うまいもの好き」が行く「名店」にはいかなくてはならないと、情報にふりまわされ強迫観念に追われるように食べ歩き飲み歩きするのは、想像力の貧困以外のなにものでもない。

それはともかく、木村さんは自著デビュー作『京都カフェ案内』と山口瞳さんの『行きつけの店』や『居酒屋兆治』との「関係」を語ったのち、こう書く。


 山口瞳が「店」について書いた文章に私は惹きつけられる。『居酒屋兆治』では、モツ焼き屋の観察記を、熱もあり冷たさもある物語に昇華している。『行きつけの店』は、単に食べもの屋を羅列したガイドブックではない。どうしてそう書くのか、書けるのか。
 生活、という言葉を山口瞳はよく使う(四、五〇年くらい前までは「生活」という言葉がいまよりも衿を正して使われていたのだと思われるが)。彼はたびたび、「行きつけの店のある生活」について書いている。それは、タイトルにも「生活」がついているはじめての小説『江分利満氏の優雅な生活』から、ずっと続いている。


で、最後のほうで、木村さんは、こう書く。前にも引用したが、大事なところだと思う。


 10軒の店について知っていることよりも、好きな店が1軒あって、そこにいつでも行ける生活があることの方が贅沢だ。山口瞳は、小説家である以前に、まっとうな生活者なのだ。生活について、日常について、彼は匂わしたりはぐらかしたりせず、そのままを書く。私はその文章をとても信用して、慕っている。


このあたりのことは、現在の木村さんが『ミーツ・リージョナル』に連載の「大阪のぞき」を読むと、なるほど、と思うが、そこに至るには「障壁」もあり単純ではなかったようだ。そのことは、また後日の話として、『文藝別冊 山口瞳』の中野朗さんによる「作家になるまでの山口瞳」によれば、『江分利満氏の優雅な生活』の題字は、当時は伊丹一三だった伊丹十三さんであり、またなにかに書いてあったと思うが、山口瞳さんは伊丹十三さんの仲人かなにかでもあり親交が深かった。

食べ歩き飲み歩きするにしても、日常を豊かにする視点を持ちたい。

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2008/11/16

虚実皮膜の間、表現以前、神様になりたいのか人間でいたいのか。

下北沢「スローコメディファクトリー」をオープンしたばかりの須田泰成さんからのメール「スロコメ通信」に、「虚実皮膜系のビジネス・サバイバル本。中丸謙一朗さんとの「大物講座」(講談社)も、よろしくお願いいたします」とあって、笑った。この「大物講座」は、まだ買ってないのだが、「虚実皮膜系のビジネス・サバイバル本」ってのが気に入った。

「虚実皮膜」って言葉は、近頃このブログでもよく使う。国語的権威である『広辞苑』第五版は、その語について、こう説明している。

まず「虚実」について。
「①無いことと有ること。空虚と充実。②うそとまこと。③防備の有無。種々の策略を用いること。」
そして「虚実皮膜」について。
「(近松門左衛門の語。「難波土産」に見える。「皮膜」はヒニクとも読む)芸は実と虚との皮膜の間にあるということ。事実と虚構との中間に芸術の真実があるとする論。」

とくに情報社会といわれる近年は、「芸」や「芸術」は、まだ旧来のように床の間に飾っておがむように鑑賞する「特別」のものと思っているひとも少なくないが、日々のウンコのようなコミュニケーション活動のあらゆる場面に見られる「表現」だとみてよい。と、俺は思っている。なにしろ、嫌でも、誰かが「表現」したものが目に入るし、またそれが無くては、たとえばテレビやパソコンゲームや本などが無くては、すぐ死んでしまいそうな人たちも少なくないようだ。

須田さんのように「コメディライター&プロデューサー」という肩書、俺も近頃は「ライター」かつては「プランナー」という肩書、中原蒼二さんも「プロデューサー」という肩書、そういやこのあいだ逮捕された「大物」音楽プロデューサーのジケンは、まさに「虚実皮膜の間」を思わせるものがあるが、もっともアヤシイ虚実皮膜系なのだ。

うまくいってアタリマエ、成功しても誰かがあとでシャシャリ出てきて、そいつが自分の手柄にするためにこちらは悪者役にされたり、失敗すればペテン師サギ師よばわり。そんなことを気にしちゃやってらんない、虚実皮膜の間をジッと見据え、「種々の策略を用い」「人生は冗談死ぬのはジョーク」ってな感じで生きている。ま、須田さんや中原さんは、どう思っているかわからんが。生きているかぎりは人間みな嘘をついているのさ、ってなことをいったのは、太宰治だったか坂口安吾だったか、それともほかの誰かか、あるいは俺が思いついたのか。

きのうのエントリーがらみ。山口瞳さんは「ここで公正を期するために、また、嘘(うそ)を書くのが厭(いや)なので言っておく」と書いている。その「嘘を書くのが厭」ってのは、もちろん書くレベルのことだろう。だけど「嘘」にも、「事実」レベルのこともあれば「真実」レベルのこともある。さまざまなレベルを考え出すと、「生活」レベルもあれば「国家」レベルもある。そもそも「国家」なんてのは存在自体が「嘘」じゃないかという話もある。大きな嘘ほど、人びとは騙されやすい、ともいわれるな。

山口瞳さんは、『酒食生活』の「金沢 つる幸(こう)の鰯(いわし)の摘入(つみ)れ」、これは『行きつけの店』に収録されていたものだが、そこで「それから、食べさせてくれるものに親切味があった。これも曖昧な言い方だが、そうとしか言いようがない。絶大の安心感があった」と、その味覚を語っている。なるほど「親切味」という言い方は「味」の表現としては曖昧だが、でも読むと、著者が何を伝えたかったのかは、わかる。

山口瞳さんが「曖昧な言い方」を避けようとしているのは、「嘘を書くのが厭」に通じるところがあるようだが、書く表現以前に、対象に迫ろう、実態や物事から出発して表現を構成しようという姿勢もうかがえる。

「こだわり」や「珠玉」「厳選」「絶品」「名店」などの曖昧な言い方である「印籠語」も、実態や物事から出発して表現を構成しようと対象に迫った苦労なり思考があれば、それなりに自ずと文章に内容がともなうと思う。

だけど、たいがいそういう言葉を無造作につかうひとは、自分が裁きを下す「味覚の神様」とカンチガイしているからか、対象に迫ることもしてなければ、よく考えていない。根拠が曖昧なまま「印籠語」を用い、内容のなさを文章の技巧や、「うまいもの好き」「全国何か所食べ歩いた」といった「権威づけ」のハッタリ言語で、自分の「正しさ」を主張し逃げようとしているようにみえる。

俺は、「嘘を書くのが厭」とか「嘘も方便」とか、そういうレベルのことは、あまり真剣に考えたことがない。強いていえば、この世は、虚虚実実なのだ。だけど、だから、2008/04/15「そこに、なにが、どのようにあるか。なぜ、それが、そこにそのようにあるのか」のように、たびたび書いているが、「そこに、なにが、どのようにあるか。なぜ、それが、そこにそのようにあるのか」見て考え、自分の伝えたいことを文章にしているだけなのだな。

食べればなくなる料理。それでいて人間の生命にかかわる。これほど虚実皮膜の間にあるモノはない。それをまた虚実のカタマリのような人間の味覚が判断する。なんとまあデタラメのことだろう。そこが、おもしろい。そのことに気づいていない、「うまいもの好き」食べ歩き飲み歩きなんて、飲食や料理のオイシイところを知らないにひとしい。

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2008/11/15

虚実皮膜の間で「行きつけの店のある生活」。

2008/11/13「「公正を期する」こと。表現と、それ以前の判断や思考。」で山口瞳さんの文章を引用した。すると、それを見た木村衣有子さんからファックスが入った。「私が今の仕事をはじめる前に『行きつけの店』なる本を熱心に読んだものでした。という話を5年前に書いたのを思い出し、よろしければ読んでいただきたく……」と。それは2003年7月発行、河出書房新社の『文藝別冊 山口瞳』に木村さんが寄稿したエッセイ「行きつけの店のある生活」だった。

俺は、おどろいた。というのも、引用した山口瞳さんの文章から、木村さんが『ミーツ・リージョナル』に連載の「大阪のぞき」を思い浮かべ、そのことを続けて後日書こうを思っていたからだ。

きのう。電話で木村さんと話しているうちに、木村さんが『文藝別冊 山口瞳』を貸してくれるとことになり、ま、それは飲む口実でもあるのだが、18時に、京浜東北線の北浦和駅で待ち合わせた。「志げる」へ行くためだ。

「志げる」は、オヤジたちで混んでいたが、二人がけのテーブルが一台だけ空いていた。湯豆腐、オッパイ炒め、レバ刺しなどを頼み飲みだす。生ビールのち燗酒。二合とっくりをたしか3本あけたあたりで21時過ぎ、出て、並びのバー「ワン・ステップ」へ。また生ビールを一杯やってから、ウイスキー。モルトウイスキーのメニューを「村上春樹的だね」とのたまいながら、別々の銘柄を二杯ずつ、水割りとソーダ割り。23時30分ごろか、それに近い時間に出て北浦和駅ホームで都内に帰る木村さんと別れる。文藝別冊を受けとり、それをネタにああだこうだ、某出版社のPR誌のツマラナイこと某氏がヘンにツマラナイ人間になったことなどネタにああだこうだオシャベリ。

てなことだったが、木村さんのその文章には、木村さんのデビュー作『京都カフェ案内』は山口瞳さんの『行きつけの店』を「参考文献」にしたとある。で、「10軒の店について知っていることよりも、好きな店が1軒あって、そこにいつでも行ける生活があることの方が贅沢だ。山口瞳は、小説家である以前に、まっとうな生活者なのだ」と書いた木村さんは、まだ20歳代だった。いま、いいトシこいた男が、あちこち食べ歩き飲み歩きして、その店の数を誇り、あの店へ行ったことがないようじゃホンモノの味を知らない、どこそこは名店だ、どこそこのなんとかは「絶品」だ、あの料理人は「名人」だなんて得意になっているのと大ちがいだ。ま、木村さんの「行きつけの店のある生活」については後日くわしくふれる。

じつは、2008/11/13の山口瞳さんの文章からの引用は、ちょうどよいところで終わらせたが、まだ続くのだ。もう一度、引用の最初のところだが、こうある。

 初孫が冷してあった。二級酒の小瓶(こびん)というのは、市販されていない酒であることを意味している。暑いので上衣(うわぎ)を脱いだ。
「上衣を脱いで、腕まくりをして、手掴(てづか)みで食べるのがうちのフランス料理です」
 佐藤さんが言った。彼は、こうも言った。
「料理というのは男が生命(いのち)をかけてもいいようなものです」
 その言葉は、おそらく、私が紀行文を書くことを知っていて、そのためのサービスだったのだろう。


この話は、ここで終わらない。山口瞳さんは、佐藤さんが、なぜそのようなことを言ったのかを考えている。あまり好きではない初孫を飲み、出てくるフランス料理を食べながら。そして、こう結ぶのだ。


「こんなところにこんなフランス料理の店があるのは不思議でしょう。私も不思議に思っているんです」
 と佐藤常務が言ったのは、これもサービス用か。たしかに、本当に不思議だ。生命をかけてもいいというのは、この土地に、この店にという意味だったと気づかされる。相当に頑固(がんこ)な人だ。


山口瞳さんは、「料理というのは男が生命(いのち)をかけてもいいようなものです」という佐藤さんの言葉を、「私が紀行文を書くことを知っていて、そのためのサービスだったのだろう」と思いながらも、その意味をこう考えた。

取材のときだけではなく、料理人は料理のほかに言葉や表情や態度で店の雰囲気や食べる雰囲気をサービスする。たとえば、「今朝、築地で仕入れてきました」といえば、客はよろこぶ。それはそれでよいのだが、「あの店は、毎日築地で仕入れるから」「うまい」「よい店だ」「名店」だ、てなことになると話は、ちがってくる。それに、これまであげた「印籠語」などは、雰囲気づくりとしては陳腐であり、すでに書いたように、そういう言葉を無造作につかう食品販売や飲食サービスあるいは食の話は、安直で惰性な腐敗の味わいがする。

ようするに、自分の頭の中にある「印籠語」の観念から出発するのではなく、そこにある物事や言葉から出発することじゃないかと思うのだが、なかなかそうはいかない。自分は何軒も食べ歩いている、うまい味を知っている、といった意識が先にたったりしがちだ。「まっとうな生活者」の感覚というのは、とくにメディアに関わる人間にとっては、簡単なことではないようだし、だからまた山口瞳さんはベンキョウになる。

チトきょうは忙しいので、大雑把にこれぐらいで。

関連
2008/11/11
「ゆるゆる大陸」「脱星印脱印籠語」とか。

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2008/11/14

パドゥドゥ洋菓子店と、メダカも売っている、もつ焼きセンター。

いつも前を通るとはかぎらないが、東大宮駅西口とウチのあいだにある。

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このあたりでは少ないオシャレ系、だけど、素朴で堅実なモノヅクリをしている印象。そこが「宇都宮線ぽい」といえるか。健康な田舎都会娘の感じ。通販もしている「パドゥドゥ洋菓子店」のMEDE TAIクッキー。 

Higasioomiya017

見れば、ワカル。国道5号線沿い。

関連
2008/11/02
ミーツ12月号は「旨い旅」。気になる見沼区東大宮、鉄砲屋やホルモンや。

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2008/11/13

「公正を期する」こと。表現と、それ以前の判断や思考。

ときたま居酒屋などで隣に座った男の客から、東京の居酒屋のランキング、たとえば「名店の上位5店は…」「3指に入る名店はどこそこ」といった話や、あるいは東北地方のどこそこのなになにのナントカという居酒屋は名店でありどうのこうの、といった話などを聞かされる。そういうときは、まずは相手のいうことに逆らうことなく俺はテキトウに聞いている。たいがい、そういう話には、正確さも深みもなく、その人が「敬愛」しているらしい著名な居酒屋めぐりの著書の受け売りやそのバリエーションあたりが、せいぜいなのだ。「ファン心理」の「思い込み」に本気になって逆らうほどバカバカしいことはない。だけど、テキトウに聞いていると、相手はこちらも同好の仲間と思ってかエスカレートする。で、うっとうしくなると、俺はそういう話を聞きにココに来ているわけじゃないとピシャッと言ってしまう。

たまーに、食べ歩き飲み歩きといった分野で、俺よりはるかに活躍している売れているライターさんと飲むこともある。彼らが、いい店があるからと連れて行ってくれて、どうですここはいいでしょう、どうですここの刺身は、とか言われると、それほどじゃないナと思っても、やはり逆らわない。ま、そういう話をしたくて飲んでいるわけじゃないから、相手をいい気分にさせておいても、自分はソンはない。それに、俺が付き合うひとには、自分の考えを押し付けて来る人はほとんどいない。だから、いいのだ。

「人気店」「繁盛店」というのは、「名店」より実態がわかりやすい。モンダイは、そういう店の味の話になったとき、有名なライターのAさんとBさんと、たとえば、どこそこのラーメンの話になったとき「コッテリ」とか「アッサリ」や「サッパリ」とかの基準が、かなりちがうなと思うことがある。しょっちゅう会って、そういう話をしていると、そこにあるていど共通の認識はできそうだが、たまにで、しかも地域がとんでいる店の話になると、お互いにそのへんがうまく噛み合っていないなと意識しながら話している感じもある。んで、とにかくあそこは「名店だよ」あれは「絶品だよ」「そうだ」「そうだ」ってなところで、一杯機嫌で盛り上がっておわる。この場合、「名店」だの「絶品」だの印籠語は、酒の景気づけ酒のつまみで、本気でそう思っているかどうかは別だ。お互いにそのていどのことはわかっている。

「人気店」「繁盛店」あるいは「名店」といわれる店には、「何度いっても、うまい」といわれる店がある。「あそこは、いついってもうまいよね」「あきないよね」、多数がそういう。それは、もしかすると「無難な味」という可能性がある。…って言おうものなら、ツバをとばして反論をくらいそうな気配もある。しかし、そうかも知れないと考えてみる余裕は欲しい。「うまい」といわれる味には、無難な味もあれば、一年に何度かなら「うまい」と思って食べられるかもしれないが、しょっちゅう食べたいとは思わない「うまさ」や、あきがきそうだけどいまは「うまい」という「うまさ」などさまざまだ。自分が、どんなとき、どんな味を好むかを知っていることは大事だなと思うことがある。

そして、書くとなると、さまざまな判断のうえに、どう書くかというモンダイがある。

以前から、山口瞳さんの文章は、とてもベンキョウになると思っている。このあいだ読んだ、この文章などは、まさに。文章以前の人間性や判断の仕方も、ベンキョウになる。『酒食生活』(角川春樹事務所、グルメ文庫)の「庄内のフランス料理」から。


 初孫が冷してあった。二級酒の小瓶(こびん)というのは、市販されていない酒であることを意味している。暑いので上衣(うわぎ)を脱いだ。
「上衣を脱いで、腕まくりをして、手掴(てづか)みで食べるのがうちのフランス料理です」
 佐藤さんが言った。彼は、こうも言った。
「料理というのは男が生命(いのち)をかけてもいいようなものです」
 その言葉は、おそらく、私が紀行文を書くことを知っていて、そのためのサービスだったのだろう。
 ここで公正を期するために、また、嘘(うそ)を書くのが厭(いや)なので言っておく。
 初孫は私の口に合わない。ノド越しのときの味が、私の好(す)かない味である。総じて庄内の酒は私には合わない。葡萄(ぶどう)には葡萄酒用の葡萄と生食(せいしょく)用の葡萄とがあるが、日本酒も同じであって庄内米(まい)はコメとしてはうまいが酒用としてはどうだろうかというのが私の率直な感想である。後でお目にかかることになった杜氏(とうじ)も、庄内米では酸味が出ないと言っておられた。
 さらに公正を期するために『四季の味』編集長の森須滋郎(もりすじろう)さんの文章を紹介しておこう。
「一(ひ)と口、舌の上で転がしてみると、昨夜の"越乃寒梅(こしのかんばい)"よりも、さらに淡泊だ。冷たいのが快くて、一と息にグーッと飲むと、まるで谷清水(たにしみず)でも飲んだような清冽(せいれつ)さだった。食前酒らしくない飲み方だが、食欲は大いにそそられる」(新潮社刊『食べてびっくり』のうち「感激!庄内のフランス料理」より)
 これは間違いなく私の飲んだのと同じ酒であり、秋もそう思うのだけれど、問題はノド越しのあたりのことになる。
 そうは言っても、私は、かなり早いピッチで初孫を飲んだようだ。

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2008/11/12

真摯な姿。

こんなニュースがあった。
asahi.comニュース国際ヨーロッパ記事
http://www.asahi.com/international/update/1108/TKY200811080150.html

「体がついていかない」と三つ星返上 仏レストラン2008年11月9日8時25分

 【パリ=国末憲人】ミシュランガイドで最高の三つ星に格付けされ、日本の雑誌でもしばしば紹介されるフランス北西部カンカルのレストラン「メゾン・ド・ブリクール」のシェフが突然「肉体的にやっていけない」と三つ星を返上し、近く閉店する方針を明らかにした。関係者に衝撃を与えている。

 オリビエ・ロランジェ氏(53)。8日付フィガロ紙によると、5日にミシュラン社を訪れ、同ガイドのナレ編集長に星返上を告げた。「もはや毎日昼と夜、調理台に立てない。肉体的についていけない」と説明。編集長は驚きながらも受け入れたという。

 店は12月15日に閉店。今後は、近くの村に開いてきた気軽なビストロ(定食屋)の経営に力を入れるが、ミシュランの評価は望まないという。

 テレビに出たり世界に支店を展開したりする他の有名シェフと異なり、ロランジェ氏は一貫して故郷にとどまって地道に料理に打ち込んだ。その真摯(しんし)な姿がかえって共感を呼び、近年は世界中から食通が来訪。日本のガイドや雑誌でも取り上げられ、日本人にも人気の店となっていた。


オリビエ・ロランジェさんは真摯な姿勢を貫いている、ということなのだろう。そして彼が真摯だとしたら、いったいそこに押しかけた人たち、あるいはミシュランやミシュランの真似事をして食べ歩き、星印をつけたり印籠語を言い放っていい気になっている人たちは、どういうことになるのだろうか。ましてや、自分の自己顕示のために「食」や「料理」を利用するような人たちは……ワルってこと?

飲食店を評価して歩くことは、やってはいけない悪いこととは思わない。だけど、やり方があると思う。自分は、こういう考えや基準で店を評価するということを明確にし、評価して欲しい飲食店を募集し、エントリーした飲食店だけを評価して歩く。それなら、ある種の競技であり、お互いの切磋琢磨につながるということもあるだろう。B1グランプリなどは、形態はちがうが、エントリーを前提としていて、そういう効果を上げている。それに、エントリーする飲食店の数や性質により、評価する側も人気度などが評価されることになり、現状の、一方的にメディア側の人たち、ライターなどによって「裁かれる」状態より公平だと思う。

オリビエ・ロランジェさんが力を入れようというビストロ(定食屋)は、たまさか来る食べ歩きの人たちではなく、地域とのつながりで成り立つ、まちの食堂だ。そういう飲食店は、もちろん日本にも、大衆食堂や酒場などたくさんあって、日本一になりたいとか、有名店有名料理人になりたいとかといったことではなく、ちがう考えでやっているところが少なくない。そこへ頼まれもしないのに押しかけて、たくさん食べ歩いている俺は料理を知っているのだ天下のうまいもの好きだ味覚の大家だ厳選された正しい人間だ、ってな顔して評価を下すようなことは、まったく筋違いのカンチガイ傲慢だろう。オリビエ・ロランジェさんのように真摯になりたい。

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言水制作室、美篶堂、食堂アンチヘブリンガン、天狗、アートな酒の日。

きのうのこと。

水道橋から歩き、神田神保町の言水制作室に17時過ぎ。言水ヘリオさんとひさしぶりに会う。最近知ったというか気がついたというか、言水さんが発行していた展覧会情報誌『etc.』は今年一年休刊していたのだった。でもトウゼンながら言水さんは忙しくアレコレの美術イベントに関わっていたらしい。そしていま、神保町や神田エリアを舞台に「美術+雑貨×古本≒リトルエキスポ」の事務局役で、言水制作室は作家グッズ売場になっている。

神保町界隈には、ちかごろ、オシャレかわいい系の雑貨店や飲食店が増えて、野暮ったい「古本のまち」が変化しているのだとか。その旧新変化の流れを、そのまま流れにまかせて大げさな「企画」というほどのこともなく開催となったのが、「美術+雑貨×古本≒リトルエキスポ」らしい。書店やギャラリーや雑貨店や飲食店を会場にして、作家の作品の展示販売。水道橋駅周辺から御茶ノ水駅周辺まで、会場になった20か所ほどをまわって歩くうちに(一日では、まわり切れないだろうが)、ふだんは通らない小路に入ったり、神保町周辺の古い理解フノーの店を発見したり、といった楽しみもあるという仕組みのようだ。

帰りがけ、福田尚代さんの『初期回文集』をいただく。福田さんの「回文」については、このブログにも書いたとおもうが、何号か前の『四月と十月』の「仕事場訪問」だったかな?で読んで、興味を持っていたので、すごく得した気分で、言水制作室をあとにする。

んで、そのリトルエキスポの会場の一つである、御茶ノ水の堀沿いにある美篶堂(みすずどう)へ向かう。ここでは、得地直美さんの第4回個展『レンガの喫茶バー』が開催中なのだ。得地さんは、木村衣有子さんの『わたしの文房具』(KKベストセラーズ)に登場する。木村さんが京都時代からの友人のイラストレーター。ってことで、18時半に、木村さんと待ち合わせた。

「対象をじっと見て描いているのだろうと思わせる絵だ。浮ついていない。なのに勢いがあるという、珍しい画風である」「たいていは色鉛筆で描いている。色づかいがとても上手」と『わたしの文房具』で木村さんが書いた得地さんの絵をみる。なるほど。「レンガの喫茶バー」には、欲しいイイイッと思った作品が何点かあったが、一点25,000円なので買えない。木村さんに紹介された得地さんは、いまは東京で、印刷会社に勤めながら描いているのだとか。

16日(日)までだから日にちはないけど、おすすめ。こちらに、案内があります。…クリック地獄

美篶堂の店主、上島明子さんにもチョイと話を聞く。もとは製本屋さん?ということだけど、その技術を生かしたユニークな展開をしているようだ。おもしろい。

さてそれで、ここで木村さんと待ち合わせたのは、やはりリトルエキスポに参加の「四月と十月展」会場の「食堂アンチヘブリンガン」へ行くためなのだ。堀沿いにお茶の水駅へ出て橋を渡り、線路沿いに水道橋に近いところまで歩く。途中、木村さんに、きのうのエントリーのなかで、石黒謙吾さんと石黒由紀子さんの「石黒」が「黒岩」と間違っているといわれる。いけねえ(帰ってきて、すぐ直した。石黒さん、すみません)。木村さんは京都時代に石黒さんに会ったことがあるのだそうだ。てな話をしながらアンチヘブリンガン。

なるほど、なかなか感じのよい店だ。そんなにこった造りではないが、落ち着いて楽しく飲食できる雰囲気がある。そのなかに、自然に以前からそこにあったという感じで「四月と十月」のみなさんの作品がある。

とにかく生ビール。料理の注文は木村さんにまかせる。生ビールが、うまいっ。開店して2年と聞いたような気がするが、もう何十年もここでやっているような感じだ、料理の味も落ち着いている。くつろぐ。

と、「わめぞ」といっていいのか、NEGIさんがあらわれる。職場のひとが一緒、あとから職場の近所の紅茶専門の喫茶のマスターも。なんとなく一緒になりつつ、なんとなく別々になりつつ、酒と会話がすすむ。生ビールのあと、赤ワインを飲んでいたが、どうしても清酒が飲みたい。とゼイタクをいったら、マスターがコレならあると、大吟醸を。大吟醸よりフツウの酒がよいなどとゼイタクをいいながら、それを飲む。いい気分。

でも、やはり、ちょいともう1軒行こうかと、木村さんと出る。10時を過ぎているから、あまり時間がない。水道橋駅近くの「天狗」に入って、新政の燗。ふ~っ。

23時ちょうどごろ出る。二人とも、いい酒だったが、なんとなく飲み足りないなあという気分で、水道橋駅で別れ、上野駅で終電一本前の23時27分発の電車で帰った。お行儀のよいアートな酒の夜だった。

言水制作室…クリック地獄
リトルエキスポは、17日まで。

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2008/11/11

「ゆるゆる大陸」「脱星印脱印籠語」とか。

テレビがないから見たことはないのだが、「情熱大陸」という人気番組があるらしい。左サイドバーにあるイラスト「アステア・エンテツ犬」を描いた内澤旬子さんも出演し、一気に有名になったようだ。

その番組の内容はしらないのだけど、俺は、あまり情熱ほとばしる、コレに情熱を燃やしているんだぜ、てな感じのものは、どうも性に合わない。それは、なんとなく「こだわり」や「私はうまいもの好きよ」「俺は酒好きだぜ」とかにも通じるところがあって、かっこ悪い。

「情熱」は、うっとうしい。「情熱」は身体の芯のあたりに包み込んでおくものだ。と、先夜、須田泰成さんや石黒謙吾さんと会って、あらためておもった。須田さんのコメディに対する情熱、石黒さんの駄洒落に対する情熱は、かなりの高温だとおもうが、それをけっしてあらわにしない。なんとなく「ゆる~い」感じが、それを包み込んでいる。

ま、とにかく「情熱大陸」ってのがあるなら、「ゆるゆる大陸」ってのがあってもよいじゃないかとおもったわけだ。世間では「ゆるキャラ」なんてのがもてはやされているようだが、もしかするとあらわな「情熱」はシンドイという気分が一方にはあるのかもしれない。とにかく、さしあたり、俺が「ゆるゆる大陸」という番組をつくるとなったら、まずは須田さんと石黒さんに出演をお願いするだろうとおもった。

話は少しずれる。きのうのエントリーにリンクがある須田さんの「スロコメ日記」だが、11月7日のタイトルは「衝撃のセゾン・デュポン」。そこで、須田さんは、こう書く。


ベルギービールは生きている。
そのことをズシーンと思い知らせてくれるのが、
この セゾン・デュポン。

注いでみると、まず、泡の力強さにビックリ。
じわっと、ふくらみのある泡が、むくむくと立ち上がります。
飲んでみると、
ホップの爽やかさに一日の疲れを癒され、
次に、その奥に感じられるコクに魅了され、
さらに、鼻孔の奥に充満する乳酸のような香りを感じながら、
「人生って、案外いいもんだ・・・」と、思わずにはいられない。


なんて豊かな表現だろう。須田さんは、「絶品」「逸品」「名品」「至高」「究極」「こだわり」……といった言葉(俺はこれからそれを「印籠語」と呼びたいのだが)をつかってない。そして、セゾン・デュポンの素晴らしさを伝えていて、飲んでみたくなる。また、読んだひとの想像力を掘り起こしてくれる。

印籠語は、「この逸品、この名店が目に入らぬか」と印籠をかざす感じである。その背後には、星印何個のランキングがある感じでもある。ニンゲンが何人か集まると、誰がイチバン頭がよいかとか、エライかとか、優劣をつけたがる頭がある感じである。仮に、星印ランキングはよいとしても、星印ランキングするやつの頭がモンダイだ。たいがい、その頭は「観念」で成り立っている。なので、そこになにがどのようにあるか、なぜそれがそこにあるのか、といったことについて頭を働かせることなく、ある「印籠語」の観念で仕切られてしまう。そこからは、この須田さんのような豊かな文章は生まれないだろう。それはたま、「食」に対する態度のモンダイでもある。

ワレワレは、ニンゲンの実在を、体重で星印ランキングするようなまちがいをおかしやすい。実際、学校教育過程では、そのように育てられている。ニンゲンの価値や文化は体重で決められるようなものではない、ということは誰しもわかっていることなのに、とくに「食」については、それ似たアヤマチをおかしやすい。

おとといのスロコメで、たしか石黒由紀子さんにだったとおもうが、『雲のうえ』5号の食堂の掲載店はどうやって選んだのか聞かれた。たしか「説明がむずかしい」とこたえたら「企業秘密ですか」と聞かれ「いや、そうじゃなくて」と、そのリンカクだけでも説明しようとしたが、酔っていることもあって、うまく説明できなかったとおもう。

簡単にいってしまえば、俺は、星印ランキングではなく、KJ法的グルーピングをやって選んでいる。そのとき、トウゼン、『雲のうえ』の性格や、特集のねらい、それから発行部数などが考慮されているのは、いうまでもない。ま、そのことは、追々くわしくしていくことにしよう。

とにかく、食べ物や飲食店に対する新鮮な感性や想像力を腐らせるものとして、「星印ランキング」や「印籠語」や、うまいものに対するあらわな「情熱」などがありやしないかとおもう。

関連
2008/11/07
安直で惰性な「こだわり」の舞台あるいは舞台裏。
2008/11/05
知識はあれど想像力は、ナシ。

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2008/11/10

須田泰成さん、下北沢「スロー コメディ ファクトリー」オープン。

Suda009きのう。

須田さんが、大日本生ゲノムの事務所を下北沢に移し、事務所にカフェを併設、カフェあんどオフィスの「スロー コメディ ファクトリー」をオープンした。そのパーティー。須田さんと中山ゆーじんさんが翻訳し2001年博報堂から発行の『ファンキービジネス』を元ネタに、ン百万稼いだらしい中原蒼二さんを紹介したいとおもいお誘いした。大田尻家の家長と、「プロデューサー」という肩書のニンゲンは、信用ならないウサンクサイひとが多いが、この二人はちがうと話していた二人を引き合わせておけば、きっとそのうち何かおもしろいことになるだろうというハラもある。

まだ大勢さんが来ないうちに須田さんとゆっくり話をとおもって、中原さんとは17時に現地で待ち合わせた。下北沢駅で素直に南口に出て踏み切りを渡るコースを行けばよかったのだが、踏み切りを渡るのはメンドウと北口に出たのがいけなかった。近いところまで行ったのだが、どうしてもスロコメがみつからない。電話をして聞きたいが、携帯は持ってないし、公衆電話もない。けっきょく公衆電話を求めて駅のほうまでもどる。公衆電話がないのまで須田さんのせいにしたいとおもいながら、小雨が降ってきたなかを歩いて、スロコメの近くまで行ったとき、むこうから世をはかなむ風情の紳士が、ややうなだれながらトボトボ来る。見れば、中原さんだ。中原さんも見つけられないで、うろうろしたらしい。しかも、見えているスロコメの前を素通りしている。ま、とにかく、なんとか無事に着いて、地図も場所もわかりにくいと、メチャクチャ須田さんのせいにする。 

そのように遅れているうちに先客がカウンター席を占めてしまった。渋谷道玄坂「清香園」の社長、李康則さんと春風亭柳好さんら。昨年の忘年会以来か。

中原さんとソファーに座る。冷えたVEDETTの生が、なんとなく前夜の飲み疲れが残っている身体にうまい。須田さんはカウンターのなかの厨房で忙しそうに料理をつくっているので、中原さんと「前夜の反省」などしながら、ボチボチ飲む。須田さんの料理がうまい。スパン料理?

7時ごろか、中原さんは先に退席。しばらくして、ドドドといろいろな人たちがあらわれる。えーと、経堂はすずらん通りのバーのマダム、田中さん。先日はゆっくり話をできなかったが、聞けば、今年の2月に脱OLでバーを始めた。「なぜ」と聞くと「お酒が好きだから」。えーと、それから、くわじまゆきおさん。やはり須田さんの忘年会などで会っているはずだが、初対面のように名刺交換。世田谷方面のひとが多い中で、このひとは成増で、もっとも俺の埼玉に近い、なんてこともあってか、アレコレ話がはずむ。

李さんも加わって、なんだか盛り上がる。李さんがバッグのなかに持っていた、東海林さだお『東海林さだおの大宴会』(朝日文庫)をいただく、かわりに俺はバッグのなかにあった『四月と十月』最新号をさしあげる物々交換も成立。李さんとゆっくり話すのも久しぶりだった。なにしろ商売柄もあって交友関係の広い方なので話がオモシロイ。なんと、北九州のビッグな会社の社長とも懇意で、招かれて工場見学もしているのだ。

李さん退場のあと、ダジャレスト石黒謙吾さん夫妻がすわる。奥さんの石黒由紀子さんとは初対面。あれこれ。と、やっているうちに、いつのまにか来たのかマチコ女王様が、厨房で動いている。俺は生ビールから焼酎に変えグビグビ。

えーと、あとNHKエデュケーショナルの「からだであそぼ」の方や、アンカフェ制作委員会の方、放送作家の小林哲也さん、それから帰るころ、逆井さんと親しい大里学さんなど、ご挨拶。

ま、たぶん、そうはたくさん飲まなかったが、ワイワイやっているうちに、けっこう酔った。いつものことだが、これから盛り上がるってころ、埼玉の空の下にもどらなくてはならない、10時すぎ退場。

画像。2008/10/25「太田尻民芸展。」に掲載した、太田尻智子さん作の造形品は、須田さんが買って、ここのウインドーを飾っているのだ。「スロコメちゃん」?

俺が関係する、中野の「ゲストハウスやどや」も、今年、事務所にカフェを併設したカフェやどやを開業した。この種の形態は、これから「まちのプラットホーム」としておもしろいとおもう。カフェやどやは、世界中からお客さんが来る「まちのプラットホーム」だ。

街角コミュニケーションを担ってきた大衆食堂など個人商店が減り、大衆酒場は単なる飲み歩き道楽の消費のステージとなって、「まちのプラットホーム」が失せていくなかで、スローな生のコミュニケーションができる、こういう場が増えるにちがいないし、そのことでまちに新たなつながりができ、まちの可能性が開けるような気がする。もしかすると、小田原方面に、「角打ちオフィス」ができるか? 

「スロー コメディ ファクトリー」のことは須田さんが書く「スロコメ日記」に…クリック地獄

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三茶・味とめ、角文研東京支部公開飲み会。

Ajitome003(追記)下記の記事を書いたのは朝だが、いま12時半過ぎ、デジカメを見たら「味とめ」の画像があった。撮影した記憶がない。上は、2階の窓を開けて撮ったものらしいが、昨夜は寒かったのに、なんでそんなことをしたのだろう。下の画像は、「味とめ」の前だから、閉会して出たところらしい。撮影時間が9時50分すぎ。ウへ~、味とめで6時間も飲んでいたってことか。そして10時頃三軒茶屋から地下鉄に乗って渋谷へ出て帰ったのだな。(追記、おわり)

えーと、まずは、おととい。

世田谷区三軒茶屋「味とめ」に16時チョイ前に着く。店に入るとオバサンが「おや5時からじゃなかったの」「正式には5時からだけどね」。まもなく中原蒼二さん、そして木村衣有子さん。

17時ごろ森田康史さん夫妻があらわれたところで2階大広間へ移動。2階は初めて、1階よりは片づいていてマットウのほう。参加者が続々登場。初対面のひと、順不同。古池祥さん、栗原弓枝さん、田平衛史さん、常盤喜三郎さん、田中皇彦さん、近藤ちはるさん。再会のひと、順不動。大野浩介さん、サノタローさん、オオクラテツヒロさん、松尾智子さん。15名か。

「角文研東京支部公開飲み会」と称する。「角文研」とは「北九州角打ち文化研究会」のこと。東京支部長は中原さん、副支部長は森田さん、部員は古池さんだけ。半数以上が北九州と地縁やら、なんやら縁が。半数以上が、なにやら、いわゆる青山とか恵比寿あたりの、いわゆるクリエイター系。が、主な傾向。

右サイドバーの2008/09/27「「糠漬文化人」あるいは「糠漬アーチスト」そして「おかん文化人」など。」にコメントの大野さんは、9月に北九州でお会いしたので、北九州からの参加と思っていたが、なんと1週間ほど前に、東京に転勤になったのだった。鎚絵の東京営業所長。おおっ。

おおっ、といえば、某大手洋酒メーカーの「グルメ開発チーム」のスーパーバイザーにしてワインアドバイザーのひと。サノさんと湘南方面で新会社設立に蠢動す。この会社の設立は楽しみだ。

オオクラテツヒロさんの「グリンの冒険」と「ハコシキ」は、ますます上昇中。

いわしコースをメインに、とにかくガンガン飲む。生ビールのち、中原さんが、キンミヤ一升瓶を横において、チュウハイづくり。俺は、翌日もあるので、ゆっくり飲むといっていたのだが、急ピッチ。にぎやかに飲んで、話のなかみはほとんど覚えていないが、楽しかった。

近藤さんと木村さんは、途中退席。

あとで聞いたところ3合ほど残っていた中原さんの一升瓶をあけたのち、4本もあけたのだそうだ。9時すぎごろには、もう飲めない状態。三軒茶屋で、みなと別れたあたりから記憶がアイマイ。渋谷駅のホームで「エンテツさん」と声をかけられ、見たら栗原さんと田平さんがいて握手して別れたのは覚えている。
Ajitome004

もう書くのがメンドウなので、とりあえずこれぐらいで。
というのも、昨晩も下北沢で飲んで、チトまだ頭がドヨヨヨ~ン状態。
下北沢で、須田泰成さんの新展開は、またのちほど報告。


オオクラさんの「ハコシキ」と「グリンの冒険」は、こちらで見られますよ。
ハコシキ…クリック地獄
グリンの冒険…クリック地獄

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2008/11/07

安直で惰性な「こだわり」の舞台あるいは舞台裏。

2008/11/05「知識はあれど想像力は、ナシ。」の関連。

知人が俺に、コレを読んで欲しくてと渡した「ベルク通信」、当ブログでも何度か書いた、あの新宿駅でJR大家に追い出しをくらっているベルクの通信、その記事は「こだわりブルース」のタイトル。ベルクの例の本の店長さんが書いている。

一部を略しながら紹介すると、こんなぐあい。……

 ベルク本への反応の一つとして、「こだわり」という言葉がますます氾濫したことがあげられます。これまで以上に店の形容語句になり、おホメの言葉になり、挨拶にすらなった。…… それがこそばゆいんですね。「こだわり」って本来あまりいい意味ではない。…… 度を越してとらわれるのがこだわるということ。…… いいこととは言い難い。少なくとも自慢するようなことじゃないでしょう。食への「こだわり」だってそうです。要はおいしけりゃいい。お客様のお口に合えばラッキーなんです。その時はじめて苦労(こだわり)も報われる。でもその苦労をお見せしないのがプロ、というか粋ってもんじゃないですか!

……と書く店長さんだが。……

ところで本って、自費出版でない限り著者のものでなく、執筆も編集部と著者の共同作業になります。私は著者として初心者でありながら優秀な編集者に恵まれ、彼の敷いたレールにのっかって何とか書き上げることができましたが、彼は食への「こだわり」の当事者ではないだけに(うちのお客様ではありますが)何の照れもない。「こだわり」は素晴らしいことだという前提でレールを敷いてくれたりするのです。すると、私にはそのレール自体をひっくり返す勇気はありませんので、その前提に辛うじて抵抗するような書き方をする訳です。「なるべくこだわりたくはないのだが」といった風に。

……チト編集者に気をつかいながら書いている感じだが、つまりは、よくあること。出版社の編集者が「こだわり」路線を敷いている。

ついでに。誰かさんに聞いた話だけどね。なるべく物事を正確に書くために、「名店」だの「逸品」だの「究極」だのといった、中身がアイマイな形容語句を使わないようにして飲食店や食べ物のことなど書こうものなら、たちまち編集者に「名店」だの「逸品」だのに直されることは、よくある。よくあるから、ちゃんと、そのへんの「編集意図」をあらかじめ「理解」して、「聖地」だの「至玉」だの「絶品」だの「厳選」だのという言葉をキラキラちりばめながら書くライターが、「よい文章を書く頭のよいライター」として重宝される。とか。

もちろん、これは、編集者やライターだけのモンダイではなく、そういう中身がアイマイなハッタリのような紋切り型表現をよろこぶ、粋でもなんでもない読者が、少なからずいるのであり、ウリを考えた「よい本」は、それを意識している。ということの反映、なのかも知れない。でも、安直な惰性であることには、ちがいない。ような気がする。

とにかく店長さんは続ける。……

それがあの本を多少まどろっこしくしていますが、ある意味それは編集者と私とのバトルの跡であって、読みようによってはスリリングかも知れないし、当事者の感覚だけで閉じられていないところでもあるのです。著者としては必ずしもスッキリしてないのですが、一読の価値ある本になったと思います。

……ま、そういうわけで、売れればヨシというのは、なんの商売でも仕方のないことなのだ。

ただし、「少なくとも自慢するようなことじゃないでしょう」「苦労をお見せしないのがプロ、というか粋ってもんじゃないですか!」という精神が失われ、これみよがしに「こだわり」を使い、自ら「こだわり」を自慢したりウリにする傾向が大勢となると、その背後にある、想像力の貧困を考えざるをえない。と思うのだな。

Kodawari_711画像。たったこれだけの量の文章なのに、2か所も「こだわり」を使っている。「こだわり」なんてのは、大量生産のセブンイレブンの食パンの言葉ですよ。ま、セブンイレブンの食パンだから悪いということはないのだけど、安直簡単便利生活の象徴のごとく揶揄されるセブンイレンブンの、大量生産の言葉ってことです。たしかに、そのように、安直簡単便利に、大量の出版物に使われている。その状況に対して、無自覚すぎるように思う。そこからどう脱却するかという課題があるんじゃあんまいか。

とにかく、俺は、そういう中身がアイマイで大げさな形容語句のたぐいは、なるべく使いたくない。たいがい恥知らずの俺だが、そういう言葉を使うことは恥ずかしいと思うていどの恥は知っている。そして、そういう言葉を無造作に使う人は、オリコウとは思えない。


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2008/11/06

「四月と十月」10月最新号。

Sigeru_ton_mono003

きのうスソさんの帽子展でもらった『四月と十月』の最新号、ほんと、読みごたえ見ごたえがある。

だけど、この号から、ここに、俺が連載の1人として登場しているのが、フシギだ。アレッ、俺が、どうしてここにいるのだろう、いいのか? の気分。ニンゲン、どこに転がっていくか、わからん。とくに俺のような、ぶらぶらニンゲンは。

そのことは、自分から説明するより、中原蒼二さんのブログ「吹ク風ト、流ルル水ト。」の11月4日のエントリー『四月と十月』をご覧いただいたほうがよい。…クリック地獄

そこにも書かれている。『四月と十月』は、美術系同人誌といってよいと思うし、「同人誌」といえば、たいがいは、一般の商業出版からは、まだ注目されてないか、発表の場所のない人たちが、ビンボウ臭く「自費出版」のように発行するものだけど、この雑誌はちがう。広告界や出版界などの「一流」とか「大手」といわれるところで活躍し、実績を残し、いくらでも発表の場は引く手あまた、実際に忙しくてしようがない人たちがズラリ揃っている。しかも編集発行人の牧野伊三夫さんはじめ、40歳代の脂がのった人たちが中心。

その中にだね、俺、トシだけはくっていて、枯れて朽ちそう、ビンボウ臭い「自費出版」でもするしか発表の場がないのに、カネがなくてそれもできないほど、売れない男、新人なみに世に知られていない、たいした実績も残していない男が、いるんだなあ。

ちがうだろ、なにか間違っているんじゃないか、お前は場末の饐えた臭いのうす汚い酒場に、女にもカネにも見放され、うす汚れた姿で座っているのがお似合いじゃないか。と、自分でも思うのだが……ま、でも、これまでも、こういうことは何度もあった。ほんとうは、気にしてない。うふふふ、じつは、「場違い」こそ、ぶらぶらな俺の居場所なのだ。

で、俺がここにいることになったのは、大胆にも、そんな「場違い」をつくってしまう牧野伊三夫さんのおかげなのだが、中原さんは、俺の文について、こう書いている。

 今号から遠藤哲夫さんの連載が始まった。この人は美術関連ではなく(イヤ、
 おれが知らないだけでそういう関係者かもしれない)、文章の本職である。
 美術関連の方々がなにげなく、静かで良い文章を書かれる中で、エンテツさ
 んは本職としてやりにくいかもしれない。
 しかし、さすがである。熊狩りの猟犬になり損ねた小犬の話しであるが、おれ
 は読んで笑いながら少し泣いた。

もちろん、俺は美術関連ではない。

それに、中原さんの俺に対する贔屓目があるだろうけど、それはさておき、たしかに、「やりにくい」と思わなくはなかった。それは、自惚れすることない、まっとうな判断力がある証拠だと思いたい。これまでの、とくに「アトリエから」に書かれた同人のみなさんの文章を読んだら、「やりにくい」と思うのがフツウだろう。

ま、そこで、いくらか考えて書いた。タイトルを10数本考えて、「ウマソ~」の一本を選び。書き方は、何十通り考えたか。それは「ゼッタイいいもの、負けないもの、うならせるもの」というより、どうせなら、いろいろな試みを盛り込んでみたいと思ったからだ。

文章原稿に、写真原稿を一点用意することになっていた。これもアレコレ加工してみて、10点ほど作ってみた。その中から、ここに掲載の写真を、最初に送ったのだが、考え直し、けっきょく、まったく加工しないものに差し替えてもらった。写真の説明は本文にも書かなかったが、見れば豚の頭とわかるだろう。

俺の話は、いいや。今号のメモ。

この号から、古墳部で一緒だったことのある、セキユリヲさんが同人として参加している。
宇田敦子さんの「自炊」は、スゴイおもしろい。ひとは、なぜ、「自炊」するのか。
教頭先生、田口順二さんの絵日記、8月26日の「夏休み(日曜日)ぐらいは休みたい」に笑った。
久家靖秀さん、広告もあるが、『久家靖秀写真集 庭と園』(フォイル)を刊行。それにからんで、

 「庭」とは旅の途中に遭遇する突然の風景。
 「園」とは約束された場所を訪問することで出会える景観。
 
 建築と境界の間に「配列される」空間が庭園であり、
 知覚と言語化の「交叉上に」写真が生成する。
 
 「中間の中間は存在しない」のか?

と、書く。なるほど。中間の中間は、存在しても把握が困難なのかも知れない。

有山達也さん、原田郁子さんに絵を描かせている。読んでると、俺も絵が描けそうな気がしてくる。
言水ヘリオさん、彼の持論中の持論らしいところを書いている。「生活の中の料理」と大いに関係あることなので、これは後日別に話題にしたい。
仕事場訪問は、牧野さんが書いている。登場するは、吉増麻里子さん。知らなかったひと。激しく興味をそそる。「絵を書くためには、もちろん知識が必要です。でも、それが先行するのは私は好きではありません」
牧野さんは書く。「未完成だが大きな展望を秘めた吉増さんの作品群に、僕はそうはなりたくないと思いながらも自分が嗜好が定まりかけた偏狭な画家に思えてきて、打ちのめされた」と。そう思えているうちは、まだよいのだが。気をつけよう。
あと、いつもの古墳部の活動(糸魚川)に山部(日光・戦場ヶ原)の活動。

「四月と十月」公式サイト…クリック地獄
四月と十月展開催中(今月17日まで)…クリック地獄


関係ないが、きょうは、来年展開のいいアイデアが浮かんだ。

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青山でスソアキコ帽子展、渋谷でアルシーヴ社。

Suso_005ヨツパライ深夜便、きのうのこと。2008/10/23「四月と十月展とスソアキコ帽子展とか。」に書いた、スソアキコ展の最終日。行けば、必ずや帽子を被ることになるだろうと、いつもはフケだらけの頭を洗って出かける。たしか13時54分東大宮発の電車に乗った。陽気もよいので原宿駅で降りて、表参道まで歩き、会場のスパイラル2階のスパイラルマーケットへ。もちろん、スソさんはいました。えーと、7月初旬の古墳部の旅以来。

例によって「孵化中」のような帽子が。ゲホゲホ、骸骨に被せた、とみえるものは、「四月と十月」古墳部長ならではの、古墳から発掘された遺骨が被る冠のイメージか。とにかく、またもや、孵化帽を被り、撮影してもらう。フフフフフ、なんだか、ふふふふふ「孵化中」の動物になったような、ビミョーな気分。解脱とは反対のような方角に脱世俗するような、ウニュウニュな。

って、あとで考えたら、よく他の作品も見ずに、スソさんに写真を撮ってもらい、楽しくオシャベリして、だけど、つぎつぎお客さんも見えるから、つぎの古墳部の旅を期待して、退散。

退散の前に、スソさんが挿画と挿絵する傳田光洋さんの著書『第三の脳』(朝日出版社)がおもしろそうなので購入。それから、俺の新連載「理解フノー」が載っている『四月と十月』最新号、まだ手元に届いていないので、たぶん旧住所のほうへ送られたのだろうけど、メール便だから転送されずにもどるはずと、かわりに一冊いただく。

青山通りを渋谷に向かって歩くうち、青山学院前で、そういえばアルシーヴ社は、この裏側の実践女子学園のそばじゃないかと思い出し、寄ってみよう、青学の角を曲がり、そちらへ向かう。

うまいぐあいに、佐藤真さんと、斉藤夕子さんがいて、オシャベリ。この春お手伝いさせてもらった、「まちづくり」がらみのことなど。いい情報を教えてもらった。ほんと、アルシーヴ社へ行くと、なにかしらオベンキョウになる。と、うまいぐあいに、高橋律夫さんが帰社か出社。彼とは、先日電話で話したばかりだが、顔を見るのは、何年ぶりか。2,3年ぶりか。ぎゃははははは、むかしはみな若かったのに、50になったり、60になったり。あいつの消息、こいつの消息、50にならないうちに死んだやつもいたな。とかとか。

16時過ぎに出て、渋谷駅。うまいぐあいに宇都宮線直通の電車が来た。ところが、大宮に着いたところで、なんと、俺が降りる東大宮駅と、先の蓮田駅のあいだで人身事故で電車がストップ。んじゃ、しょうがねえなあ、いづみやで飲もうと改札を出ようとすると、なにやら救出だかなんだかは終わり、「まもなく発車」という。ならばと電車にもどるが、「まもなく発車」「もう少しお待ちください」で30分経過。そのアナウンスの「態度」が気に入らない。

とにかくJRは腹立たしい。いつだって腹立たしいJRだが、いつもそう思っていると、酔っているときに駅員にボーリョクをふるっちゃいそうだから、なるべく、そうは思わないようにしている。が、JRって、なにもの?

でも、スソさんとオシャベリし、アルシーヴ社でオシャベリし、楽しかった。

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2008/11/05

知識はあれど想像力は、ナシ。

いわゆる「グルメ」系の文章には、「こだわり」や「厳選」という言葉が、ゴミの投げ捨てのように使われている。そんなものがありがたみがあるのかと思うのだが、十年一日のごとく続いていて、けっこう「本好き」「本読み」で知識が豊富なひと、あるいは物書きとしてアチコチに書いているようなひとでも、いとも無造作に使っている例が、めずらしくないようだ。いや、むしろ、そういう言葉を使うのが、「常識」であるかのようだ。

伊丹十三さんの『ヨーロッパ退屈日記』に「想像力」という見出しの話がある。「さてニコラ・バタイユの演出を見ていつも思うのだけど、演出、とは結局想像力ですね」ということなのだが、俺はニコラ・バタイユの演出を見たこともないのだけど、文章も写真も絵も、ま、会話にせよ、なんにせよ、ニンゲンは想像力の動物だと思っている。

想像力で生きている。ウンコをするためには、めしをくうためほどの想像力はいらないような気がするが、それでも、温水シャワーのようなものがケツの穴めがけて噴射するような便器をつくってしまうのは、やはり想像力のなせるワザと思わざるをえない。

と、いきなり話がズレそうだ。

伊丹十三さんは、そこで「例をあげれば判りやすいと思うのですが」と、とある映画の「若い夫婦が初めて観客に紹介されるシーン」をあげる。「およそ「この二人は若い夫婦ですよ」といって作者が観客に示すやり方は一万とおりもあるでしょう。ところがこの映画で作者がその一万とおりの中からえらんだのはこんな方法です。

 すなわち、若妻がエプロンを掛けて台所で働いています。そこへ外から帰ってきた夫が現われ二人は接吻(せっぷん)する、というのです」

そのことについて、伊丹十三さんは、こう書く。

「これは一体どういうことでしょう。むろんこの責任の大半は脚本にあるわけですが、これ以上安易で、投げやりな想像があるのでしょうか」

いま、「こだわり」や「厳選」という言葉を、いとも無造作に使う表現は、まさに、「これ以上安易で、投げやりな想像があるのでしょうか」ってなことじゃないかと思う。

が、伊丹十三さんのスゴイところは、最後にこう書くところなんだなあ。

…………………………………………………………………………

 現在の映画が、撮影所製のだんどり芝居の域を抜け出て「実在性」を取り戻そうとするなら、わたくしの場合、その推進の軸となるものは「日常性」においてないと思います。
 そしてまた、作家の想像力が一番あらわな形で出る場、というのも日常性の創造をおいてないと思うのです。

…………………………………………………………………………

たとえば、大衆食や大衆食堂、日常性を書くことは、じつに想像力がいる。非日常や特別、特殊なことは、それだけでネタになるから、マニアックな薀蓄を傾けていれば、たいして想像力は問われない。

なのに日常性を「こだわり」だの「厳選」という言葉で片づけてしまっていては、「安易で、投げやりな想像」しか残らないことになる。そういうものが売れて読まれていく世間では、日常の生活から、ますます想像が失われ、「だんどり生活の域」で日々が過ぎていくことになるのではあるまいか。そして、そういう生活に疑問を持たないから、また「こだわり」や「厳選」が無造作に使われる悪循環のようだ。

一万とおりの中から一つを選ぶ表現とまでいかなくても、十とおりやそこらは簡単に想像つくはずだと思うが……。なんかやたら、安直な紋切り型や教条がはびこって、想像力は墓場送りになりそうだ。

「想像力」なんていうと、また難しいことを専門的にマニアックに語るひとがいる。難しいことはない。玄関にホコリがなければ、誰かが掃除をしているからホコリがないのであって、掃除をしなければ玄関とは限らずホコリはたまるものであり、誰かが掃除をしているからホコリがないのだ、ということが理解できるていどの想像が、あるかないかのような気がする。

とりあえず「こだわり」や「厳選」という言葉を使わないことであり、そういう言葉を使って書いているひとの文章や姿勢は、疑ってかかったほうがよいようだ。

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2008/11/04

新宿で新会社のインボウ。パンクあんどファンクな蠢動。

まだ現場を見てないので書いてないが、最近おれの周辺で一つ、新しい事業の展開が始まった。そして、また一つ、きのう。

新宿の石の家16時。少し早かったが、すでにサノさんがおられた。初対面のあいさつ。すぐに中原さんも登場。まずは生ビールでカンパイ。サノさんが準備した、新会社設立の趣意書を拝見しながら話を聞き、あれこれ話す。NPC(非営利型株式会社)という形態にするとのこと。ようするに、株式配当がないことを、あらかじめ定款に盛り込んだ株式会社組織といえば、わかりやすいか。

ま、とにかく、詳しくは、早ければ今月中に登記が終わる予定なので、設立が決まってから、大いに宣伝もかねて紹介することにしよう。

この新しい二つの動きは、俺が過去やって来たことや考えに深く関わりがあるだけでなく、地理的にもコラボレーションが期待できる。なんだか、ますますおもしろくなりそう。閉塞状態が長いニッポンだが、閉塞を破るようなパンクあんどファンクな動きも、しだいに増えている感じだ。少なくとも、俺の周辺では増えている。こうした動きが、たくさん生まれながら、そのすべてが「成功」するわけじゃないから、とにかく「失敗」があっても、たくさん生まれて、つながっていくことだ。うーん、おもしろくなりそうだなあ。やはり、なんだね、いつも、チャレンジですよ。

小金を持ったまま閉塞の中でモンモンとしているみなさん、その小金を、俺に吐き出しなさい、おもしろい動きの仲間に入れてあげます。なーんてね。前期高齢者入りした俺、アナログじじいと罵られても、「前期高齢」も「アナログ」もてめらの観念の妄想じゃないか、クソクラエなのだ。

「ユニークになれ」「法人化せよ」「つながれ!」ですよ。

で、昨夜は、そんなことで、けっきょく、新会社設立のインボウをツマミに、俺は生ビール3杯に、チュウハイ5,6杯かな?覚えていない、なにしろあの石の家で1人5千円になるほど飲んだのだから、もうベロベロいい気分で泥酔帰宅だった。

こうしちゃいられない。

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2008/11/02

ミーツ12月号は「旨い旅」。気になる見沼区東大宮、鉄砲屋やホルモンや。

Higasioomiya_teppouきのう、11月1日発売の「ミーツ・リージョナル」12月号を郵送で頂戴した。転居先は連絡してあったが間に合わなかったのか、旧住所からの転送だった。まだゆっくり見てないが、ようするに「旨い旅」だ。藤本男さんらZAZENBOYSならぬJ-BOYSが、東京まで遠征して食べまくっている。

木村衣有子さんの連載「大阪のぞき」は「カフェ ヴィーナーローゼ」。もうイチイチほめあげるのもメンドウだ。絶好調。今回は、後半「さくい」という言葉から終わりにもっていく話の転がし方に、うなった。

ってことで、話は、連載「江弘毅の街語り」だ。タイトルは「なぜ若い奴らは飲まなくなったか」。江さんは、「酒を飲むという行為」について、街的に考察を深めているのだが、最後に、こう述べている。

「酒を飲むという行為は、その行為にふさわしい「場所」が用意されているから可能なのであって、そこは立ち呑みにしろ北新地のクラブにしろそれが酒場という店である。だからその店が開いてないと、本来酒は飲めなかった。それは自分が街や店や人とつながっていることでもあって、24時間開いているスーパーやコンビニで、チューインガムや歯磨き粉を選ぶこととは別物である」

つまりは、腹が減ったらコンビニでも吉牛でもマクドでもある、着るものならユニクロがあるでよ、それで何かモンダイがある?という気分になるほど「消費」な環境に飼いならされると、酒を飲むならコンビニで買って飲めばいいじゃない、それで何かモンダイがある?という気分になりやすい。が、それは、およそ「酒を飲むという行為」とは次元がちがうのだ。ということなのだな。

ま、俺のばあい、泥酔状態の帰宅途中で、記憶がないままコンビニに立ち寄り、とにかく酒を買ってしまう。「酒」が欲しい、泥酔していても酒が欲しい。朝起きて冷蔵庫を開けると、そこに記憶のない缶ビールが燦然と輝いている。それを二日酔いの重いまぶたの眼で見たときのうれしさよ。なーんていう「アル中レベル」に近いのだが、それでもやはり「外で酒を飲むという行為」については、江さんのいうとおりだとおもう。

いま俺は、初めての土地に越してきたばかりで、周辺をブラブラするユトリもない。が、ここから駅まで10分弱のあいだ、いろいろコースを変えて歩いてみると、それなりに気になるところがある。それは「酒場」なのだ。

すこし正確に書くと、今年の春、初めて土地を見に東大宮に来た。そのとき、イチオウ、駅の、買う土地がある反対側もぶらぶらした。午後2時ごろだったとおもうが、なんと、昼間から飲める、間口一間ほどで奥に長い小さな酒場を見つけたのだ。それで俺は、ずいぶん気分がよくなった。ここは、俺が馴染みやすい街だなという「好印象」を持った。

いやさ、俺が「アル中レベル」だからのことじゃなくて、やはり大人の男が街と交わりアッハンウッフンするとなると酒場なんだよ。そこが「街の入り口」というか。新しい土地、しかもそこに家を構えて住み着くとなると、やはり自分にあった酒場があるかないかは、けっこうポイントになると、あらためておもった。昼間から飲めるイカガワシイ酒場がある!それだけでも高得点だ。俺は、まちがいなく、この街に親しめると確信するのだった。

で、いま書いている時間がないから、これだけ書くと、東大宮駅の俺が住んでいる側、西口を出てすぐそばに「鉄砲屋」という気になる酒場があるのだな。駅のホームからも見えるから、ホームに立つときは、自然に肉体がそちらのほうへ移動し、ホームから写真を撮ってしまった。昼間だから、まだ開店前。

この角のミニ猥雑な三軒連なりは、横から裏の方をみると、いわゆる仮設のようなバラックなのだ。そして鉄砲屋の外のメニューを見ると、「ホルモン系に強いぜ」という主張が、ビンビン伝わる。

で、ホルモンといえば、ウチから駅へ行く途中の国道沿いに、「ホルモンセンター」という店と「モツ焼センター」という店がある。「ホルモンセンター」は、どうやらホルモンの卸やら小売の店のようだ。「モツ焼センター」は、「ホルモンセンター」から数十メートルの筋向いにあって、店頭で焼いて売っている。間口が三間ぐらいあるだろうか、けっこう大きい。買って帰るひと、そこで食べるひと、いつもひとの姿がある。そんなぐあいに、ちょっと目に入るだけでも、俺好みの酒場がありそうな街の気配が漂っている。

てなことで、これから、ゆっくりゆっくり、江さんのいう「酒を飲むという行為」を、この街で実践していきたい。
いじょう、きょうは、決意表明で、おわり。

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2008/11/01

天の清青、地上のアタフタ。

Top_081101まだ何かと生活のリズムが整っていない。ちょっとしたものでも、あるべきところが定まっていなくて、右往左往したり。きのうとおととい、2日続け出かけたが、都心までの往復時間は変らないにしても、電車や経路が変ったせいか、グッタリ疲れて、ブログの更新をする気力もなく、パソコンの前に座るのもメンドウで、寝てしまう。

いろいろオモシロイことがあった。とくにおととい、進行中のロクデナシ作戦の打ち合わせで聞いた、近頃の株価乱高下騒動の渦中にある株屋さんの話は、これはもう経済問題じゃなく人間モンダイ喜劇だねとみなで笑ったほどだった。けっきょく、バブルの頃をさかいに、株価を判断する基準というか「姿勢」が変ったのだなあ。それまでだって、株価が企業活動の実態を反映していたかといえばアヤシイものだったけど、それでも実態を示すデータは参考になりえた。あるていど、現場や実際に触れ、実態を考えることをしようという「姿勢」もあった。といえる。

だけどいわゆる「情報社会」とやらで、深く情報システムにからげとられてしまい、実態より情報システムを通して得る情報だけで判断する「姿勢」が強くなった。というより、取り引きのスピードもあったりで、ほかに方法がなくなってきた。実態は、どうなんだろうと思っても、どう判断してよいかわからなくなってしまう。アナリストなどの情報を頼るしかない。しだいに情報システムのなかで判断する習性がついてしまう。うまくいっているときは、とくにだ。

そういう習性は、状況が変ったからといって、すぐ改まるわけではない。そのうえ、今回のように海の向こうがからんだりすると実態など霞の向こうだ。材料すら乏しい。情報の中身もよくわからないまま、一喜一憂アタフタしなくてはならない。ってことで、さまざまな問い合わせが株屋さんのところにある。とんでもないウワサまで、冷静に考えれば、そんなことありえないだろうというウワサにアタフタしている。その様を聞いて、あまりにも滑稽で笑いはしたが、イチマツの悲しさが漂う秋の空だった。

株の売買だけに限らず、いまや「コミュニケーション」に占める電子情報システムの割り合いはスゴイものがある。パソコンを持たないひとでも携帯メールで、さまざまな売買や、日常の「会話」を行っている。そこでは、メールやブログに書かれたことなどだけから素早く判断し、実態はどうであるか考えるユトリすらない。ともすると中身などよくわからないうちに、セカセカ見て自分の気分でセカセカ判断してしまう。そこにとんでもないカンチガイがあっても、それが「土台」になって次のステップになる。その繰り返しが重なると、もはや何が実態かなど判断するのも困難になる。さらにカネの取り引きがからむ……。イヤハヤ、なのだ。いまの株価の乱高下は、電子情報システムのなかで一喜一憂、乱高下する不確かな人間の気分の反映なのかも知れない。

だけど、ま、そういう状況になれて、冷静に判断しようという「姿勢」のひとも増えるわけで、情報システムそのものが悪いとはいえない。やはり、ニンゲンの問題なのだな。このドサクサで一儲けしようという悪賢いやつらもいて、こいつらがイチバン冷静なのかもしれない。となると、どんなときでも、ふてぶてしく悪賢くという「姿勢」がよいのだろうか。

それはともかく、こうしてパソコンを打っている頭上の窓からは、青空が見えている、11月1日なのだ。近頃は、それこそ情報の煽りで、まだ11月なのに、もう「師走」という感じのほど、あわただしい。あわただしくても、実際の姿や実態を見失わないようにしたいものだ。空は、いつも晴れているわけじゃない。

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