きのう、17時、東京さ北区赤羽東口デニーズ。都内某私立有名高校1年生エッチくんから取材を受ける。何日か前、メールで申し入れのあった趣旨は、このようなものだった。
今回、文理のコース選択、将来の職業を見据えて、総合学習の11月下旬までのレ
ポートで自分の興味のある仕事について取り上げております。
僕は、プランナーという職業に興味をもち、特に遠藤哲夫さんはマーケティングの方をやってるということなので、その職業内容などを聞いてみたいと存じて居ります。
ほかにも、プランナー、ライターをやるきっかけになった事や、仕事への接し方なども聞いてみたいと思っております。
この種の取材は、目的はちがうし、大学生だったが、キャリナビの「学生記者」から取材されたことがある。エッチくんは、いわば中高一貫というか、中学からの総合学習の積み重ねがあった。体験学習はしてないとのことだったが、「調べ学習」をつんでいて、取材のポイントは要領を得たものだった。
「ゆとり教育」は、いろいろメチャクチャな批判があったけど、「総合学習」を生んだことは大きい。しかし「総合学習」は、教師の授業「企画力」と指導力がモロにでるところだ。力のある先生たちは、「会社をつくろう」とか「ラーメン屋を開業する」というようなテーマで、授業をやっていた。会社をつくる、商売を始める、を学習することで、社会の仕組みを「自分が生きる社会の仕組み」として考えられるし、調べ計画し発表することを実践的に学べる。そこではすでに実際に、「プランニング」を学んでいる。
いまでは、どんな仕事でも「企画」がついてまわるけど、デハ、「専門」のプランニングの仕事となると、どんなアンバイなのかってことなんだな。
プランニングは一面、理詰めであり、とことん論理と整合性が追求される。だけど現実は、リクツじゃない。よくあるのは、現実はリクツじゃないといって、本来あるべき望ましい姿を考えることを停止してしまうことだ。ま、ひとは自分がかわいい、自分は正しいことをしている、いや、こうしなきゃ食べていけない、これが現実なんだよと、思いたい。だけど、やはり世の中そうはいかず、その結果が大問題になる。いまの日本の「食」は、そんな状態が常態化しているようだな。
一方では理詰めでキチンと考えておくことで、「自分」あるいは「会社」あるいは「事業」が、本来あるべき望ましい姿からどのていどズレているかを知ることができる。それを知っておくことが大切だろう。望ましいあるべき現実と実際の現実は、たえずズレているものなのだ。
つまり、リクツと現実のギャップ(あるいは実像と虚像のギャップ)の、どのへんに自分が位置づいているかを知ることが、プランニングの第一義的な意味になる。んで第二義的に、そのギャップを埋める努力のためのプラン、ってことかな。
本来あるべき望ましい姿をトコトン考えることをしながら仕事をすすめないと、「カネのため」に全てが合理化されてしまい、食うためだからこれぐらいのことは仕方ないじゃないか、大勢も消費者も望んでいるから受けて売れるのだし、とか、自らをドンドン合理化することになる。そして、最初は少しずつ「道」をはずし、しだいに大きくはずす。
退嬰であり、「食」をめぐるアレコレの騒動(グルメ騒ぎも含め)の根源には、そういうモンダイが横たわっているのではないか。と、高校1年生を相手に、70年代前半からの、主に「食」を舞台にした自分のプランニング稼業をふりかえりながら思ったことだよ。
ある意味では、望ましくない環境に妥協や迎合しながらカネを得る仕事をしているのが現実だから、たえず自らそれを否定する自己否定の基準を持っていないと、自らを更新できず、ま、いまのようなニッポンは、そういうことか。
エッチくんに、どうせなら、若いうちに一度会社をつくってみたらいいよ、と、30年前ぐらいから、いつも若い連中にけしかけていたことをいう。おれは、いくつ会社をつくったり、会社経営をしたか。自分では会社に席を置くのは苦手なのに。
とにかく、自分がやりたい職業を調べながら、社会で生きる仕組みを中学や高校のうちから取材し学んでおくのは、よいことだろう。こんな高校生がいる日本の未来は明るい、なんてことを考えつつ、気分よく水道橋の「食堂アンチヘブリンガン」へ向かう。
「『雲のうえ』きよしとこの夜」、北九州市の『雲のうえ』の制作関係者が、初めて東京で集まる。
といっても、創刊当時からの市の担当者が担当を離れる慰労。集合の20時に遅れて到着。主賓きよしさん、編集委員でアートディレクションの有山達也さん、編集委員で編集の大谷道子さん、文の大竹聡さん、写真の長野陽一さんは初対面、すでに始まっていた。編集委員の牧野伊三夫さんは海外取材中、『雲のうえ』生みの親プロデューサーの中原蒼二さんは出張中で不在。あとから、創刊当初から配布でお世話になった、創刊時は神田神保町の元書肆アクセス店長の畠中夫妻、そして8号から編集委員になった、つるやももこさんは初対面。ま、とにかく、にぎやかに話がとっちらかる。
大谷さんは「盟友」テナ言葉をつかっていたけど、なんだかそんな感じがしないでもない。おれだけ野蛮な異人種テナ感じもしないではないが、『雲のうえ』の制作は格別な思い入れと高揚があった。ことを考えると、濃密な仕事ができたのは、やはり、きよしさんの存在が大きいのだなあ。あらためて、しみじみ、そう思う。5号のときも、乳飲み子がいて家に帰ってもよく寝付けない状態で朝早くから夜遅くまで付き合ってもらい、しかも、食堂の取材のOKをとる交渉だって大変だった、資料の収集やら、いろいろなメンドウをやってもらい、クルマの運転まで、ホント、感謝しきれない。きよしさん、いかないで、いかないで、いくなら市長になって、……なーんてね。
いくら有力なスタッフが揃っていても、その歯車が熱くかみあっていい結果を出すには、担当者の存在がものをいう。なにしろ『雲のうえ』は、さまざまなメディアで紹介されているだけではなく、ネタ本になり同様の企画をうみ、それらは広告PR費に換算したら何十億にも相当する。これからもこの歯車がうまくまわる体制を期待しよう。
そういや、おれと本番取材した写真の色男けいごさん、参加のはずが姿が見えない、どうした、どうした、おれは終電の時間が近づいてくる。と、写真の久家靖秀さんが登場。じゃ、もう、大宮からタクシーにしようと、京浜東北線の大宮行き終電に間に合う時間までねばる。
アタフタお先に失礼握手をやって、朝のラッシュ並みの京浜東北線に乗り、大宮に着いたら、もう駅を閉めるから外へ出ろのアナウンス。駅前のタクシー乗り場は、70年代の郊外の駅のように長い行列。40分ぐらい待ったか。しだいに酔いがさめる。26時ごろ帰宅。引っ越して初めて大宮駅からタクシーを利用したが、2,330円。電車賃が往復1,000円ぐらいだったから、交通費だけで、3千円をこえている。となると、飲食代って、安いんだなあ、なーんて思ってしまう。
とにかく、くわちゃんには感謝しきれない感謝の夜だった。府中競馬は、どうなったのだろう。