無難な味。について。
2008/11/13「「公正を期する」こと。表現と、それ以前の判断や思考。」に、「「人気店」「繁盛店」あるいは「名店」といわれる店には、「何度いっても、うまい」といわれる店がある。「あそこは、いついってもうまいよね」「あきないよね」、多数がそういう。それは、もしかすると「無難な味」という可能性がある。」と書いた。
「無難な味」を、悪い意味でつかっていると思うひとがいるようだ。「味」についての誤解あるいは理解不足があるような気がする。「無難な味」は「無難な味」であって、それ以上でも以下でもない。
なるほど「無難」だけなら、あまり魅力がないという感じだが、料理を「無難な味」にまとめるのは、それほど簡単ではない。むしろ「冒険」のほうが容易なばあいもある。それは、よく「創作料理」と称する「冒険心」に富んだ料理を食べたときに感じる「ズレ」を思い起こしてみればよいだろう。
「無難な味」には、あるていどの経験が必要になる。「ふつうにうまい味」のなかでも、ケースによるが、難しい部類になることもある。
たとえば、食べてみて、「もうちょっと無難な味にまとめたほうがよいな」ということもある。「商売」の場面では、少なからずあるだろう。そして、実際、安いコストで、じつに上手に「無難な味」にまとめあげる料理もある。
日本語は、「味」と「味覚」を明確に書き分けるのが難しい。「無難な味」とは味覚レベルのことで、ほんらいは「無難な味覚」ということになるだろう。
物事を「よい」「わるい」の尺度で考えているうちは、味覚の判断は、かなりアイマイになりやすい。みなが褒めるからよい、評判が悪いから悪い、ではなく、どういうひとが、どういう言い方で、ほめているか、満足しているか、あるいは不満をいっているか、などの判断が「無難な味」をつくるためには必要になることもある。ま、そもそも「よい」「わるい」の尺度だけじゃ、味覚の判断としては、ほとんど役に立たない。
そういう意味では、おれはよく「ふつうのうまさ」を強調するけど、「ふつうのうまさ」についても同じことがいえる。
いま書いたように「無難な味」は「ふつうのうまさ」のなかの一つの傾向として、おれは考えるのだが、「ふつうのうまさ」を、かりに数値的にイメージしてみると、全体の真ん中へん6割ぐらい、つまり「上」2割、「下」2割は含まれないという感じだろうか。ABC分析のような感じだが、ただし、この上と下は、あくまでも「」づきだ。
「厳選された素材」という表現を見ていると、言葉としては、「上」2割や1割でなくてはオカシイと思うが、政府のばらまき給付金のように、これほど無差別に使われると、「上」「下」「真ん中」の区別はないようだ。だとしたら、なにをもって「厳選」というのだろうか。
そもそも「厳選された材料」だけを使うって、ニンゲンとして料理として、「正しい」こと「望ましい」ことなのか。信用してよいのか。なーんて、考えてみるのもよいと思う。
アマタの良い人たちのロジックやレトリックに気をつけよう。
「よい味」というのは、たいがい「好い味」なのであり、「よい店」というのも、たいがい「好い店」と書くべきものである。とりあえず「無難な味」という言葉を置いてみると、アマタの良い人たちのロジックやレトリックに気づくことがある。ただし料理人に面とむかっていう言葉ではない。「つくる側」と「食べる側」それぞれの立場のちがいが含まれる、つまり実態に近い言葉なのだ。
無難な味は、うまい味、ともすると「絶品」の味なのだ。
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