見沼たんぼ。
東大宮でも、俺が引っ越してきたあたりは、「見沼たんぼ」と呼ばれる緑地の北限地域になる。
「見沼たんぼは、東京都心から20~30km圏内にあるにもかかわらず約1260haという広大な面積を持つ、首都近郊における貴重な大規模緑地空間です」と詳しい案内がある「見沼たんぼのホームページ」は、こちら…クリック地獄
見沼区の区名になっている「見沼」の自然は、江戸時代からの田んぼ開発で「田んぼ」と化した。人の手が開発したものは、人が不用になれば捨てられる。関東平野内陸の大農業地だった埼玉が「ダサイタマ」と揶揄されるようになったのは、「農業の危機」だか「農村の危機」だかと「地方の時代」がいわれだした80年ごろだったか?それともバブル直前だったか。
「農業」も「農村」も「地方」も、東京のすぐそばにあって、だけど東京=中央の意識からは遠い。東京=中央の意識から遠いものは、スベカラク、廃れる。コレ、日本の法則。
なんでも「保存」という言葉がつかわれるようになったら、片方に強大な力による破壊がある。この「緑地」も、そうだ。イチオウ、公共事業だけが、その保護者として破壊者にもなれる特権を持つらしいのだが、いったい、強大な力を持った破壊者は誰か。政治家?役人?経済界? それとも「ダサイタマ」と軽蔑する人たち?
この景色は荒廃へ向かっているのか、それとも「再生」へ向かっているのか。だけど「再生」という言葉にはマヤカシがある。つまり、ムカシハヨカッタ、というまやかしが。ああ、人間社会の、この荒っぽさが、たまらん。
てなことを考える、お散歩のひとときなのですね。
こういう手垢で汚れた感じの「自然」の景色は、どことなくニヒルでアナーキーで惹かれる。
上の画像の川は、見沼たんぼを貫く「芝川」。なかば用水路と化した川で、自然な姿からは遠い。下流域には、数年前に武蔵野線東浦和駅から歩いて行ったことがあるが、まだ「見沼たんぼ」と呼ぶにふさわしい田畑の景観がある。
隣接するJR東大宮操車場は、鉄チャンの出没するところらしい。鉄チャンじゃなくても、見ていてけっこうあきない。この画像は、その操車場に架かる陸橋から撮影した南側の風景。右端、西の方角には、スッキリ晴れたときは、富士山が見える。
富士山は、東大宮駅からウチに来る途中の坂道からも見える。ウチは貧乏だから坂下にある。坂を下る正面に富士山が見える。夕日が沈んだあとの赤く焼ける空に、黒い影絵のような富士山を、見とれながら歩いていたら、ウチのほうへ曲がるのを忘れてしまったこともある。
この画像は、陸橋の北側。無秩序な畑。近くに団地や比較的新しい住宅街があるから、そこの人たちが「家庭菜園」でもやっているのだろうか。
東大宮のへんは、どんどん新しい住宅が建って、公園には子供たちの遊ぶ姿があり、「なんとなくクリスタル」以前の1970年代的「活気」を感じる。70年代の活気は、どんどん「緑地」を破壊しながら生まれたといえる。人は、そのときどき必要なものを選んで生き延びる。のだろうか。だとしたら、いまは、なにを選びたいのか。
そうそう、忘れないうちに、2008/11/14「さいたま市見沼区宇都宮線東大宮を知っているか。知らん。」に掲載した「もつ焼きセンター」ではメダカを売っている。
このあたりのことは、ときどき掲載するだろうから、↓カテゴリーに「見沼区・宇都宮線・東大宮」を設けた。地元愛。
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コメント
おお、東大宮で、やりましょうぞ。
その泥鰌は、もしかすると串焼きになったかも知れんぞ。
もつ焼きセンターのメダカ、1種類じゃなくて3種類ぐらいあって、ま、食用ということはないだろうけど、まさか天然物とも思えない。でも、メダカというと、天然物のイメージだな。
投稿: エンテツ | 2008/11/19 02:10
東大宮、ここ10年くらいたまに行くんすよ。
先日みたいに「いづみや本店」にお誘いする時は、いつも東大宮で野暮用済ませた後なんすよ。
今年はもう行く予定が無いけど、来年行った時は東大宮でやりませう。
もつ焼き屋でメダカ売りと聞いて思い出したのが、日光街道から都電三ノ輪橋停留所に向かう写真館の下の路地にあった佃煮と鰻の店。店頭では鰻や焼鳥を焼いてんすけど、生きた泥鰌も樽に入れて売っていて、ついでに脇で金魚も売ってたんで、この泥鰌は果たして食用なのかペット用なのかと子供心に思ったもんです。
投稿: 吸う | 2008/11/18 22:02