あえていうが、「うまいもの好き」である必要はない。
あわただしいときのブログの更新は、引用ですます。拙著『現代日本料理「野菜炒め」考』の「最後、または野菜炒めのまとめ」から。
江原恵さんのオコトバ。
われわれ普通人は、……ふだんの食事をいかに楽しく美味しく食べるか、それを実践するための自分の方法と美味学を持てればよいのである。
まず、自分が、なにを、どう食べたいかなのだ。その主体を確立することだろう。
さらに二人のオコトバ。
自分が何を作っていて、それをどうしたいのか。そこさえわかっていれば、自分で判断できるはずなのです。(有元葉子の料理の基本、幻冬舎2000)
私の経験からいうと、よほど劣悪でまずいワインでないかぎり、食事の友としてそれなりに耐えられる。そして、慣れれば、それがそのワインの個性として受容できるようになるものである。……グローバリゼーションによる味の画一化に支配されるのではなくて、日常生活のなかで自分の主観性にあうようにアルコールの味を飼いならすこと……宣伝広告に惑わされないで、自らの味覚をローカル化し、特異化し、自己中心的に主体的選択の幅を広げること、これである。(杉村昌章、談別冊 shikohin world 酒、TASC2006) ←「ワイン」「アルコール」を「料理」におきかえても通用する。
| 固定リンク | 0
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
飲んでる最中から頭がしびれる、
そのしびれぐあいが、たまんなくよいって酒もあるぜ。
投稿: エンテツ | 2008/11/29 09:55
いづみや日暮里店の赤い酎ハイのように「この不味さが旨ぇ」ってことです。
投稿: 吸う | 2008/11/28 13:50