「貧困層」の行方。
毎号お送りいただいている『食品商業』12月号のトップで、編集長の山本恭広さんが「「節約」と「安全・安心」志向に突き進む食マーケットの主戦場」を書いている。
その中に、つぎのような記述があった。
厚生労働省の国民生活基礎調査によると2007年度の国民世帯の6割が「生活が苦しい」としている(詳細は本誌「WEBニュース9月12日」より)。
―富裕層を相手にするビジネスは貧困化し、貧困層に向き合うビジネスは豊かになる―
「金融恐慌」「株価崩落」云々などを喧伝する内外ビジネス誌の論調である。あまりあおりたくはないが、日常の食を支えるという点では、スーパーマーケットはまさしく後者のビジネスである。
このばあいの「富裕層」とは、デパート・クラスをイメージしておけばよいようだ。図式的にいうなら、デパートは苦戦し、スーパーマーケットは、けっこう強気だ。安い居酒屋、御徒町の「かっぱ」のようなところは大混雑。さらに、ここにファミレスの不調を考慮すると、『食品商業』の他の記事でも指摘があるが、日常の食の重点が「自炊」つまり「家めし」「家酒」へ傾斜を強めている。
この傾向は、近頃の株価乱高下騒動あたりから注目されるようになったが、以前から顕著であり、そのことは『食品商業』の古い記事にもある。つまり「貧困層」の拡大が、以前からの傾向としてあった。それでも「貧困上層」は、ときにはデパートで買い物をし、ときには食べ歩き飲み歩きを楽しむ「余裕」はあった。消費主義を最もよく支えてきた「中流意識」の層といえるか。この層は、いつも浮動票のように、マーケットの動向を左右していた。
ともあれ、「家めし」「家酒」は、日常の食や生活を見つめなおすキッカケになるかもしれない。すぐさま、その動向をとらえて、「家族主義」が、この冬の食のキャンペーンなどにも見られる。それはまた安直な反動でもあるような気がするが。
50年近く店に立ちつづけの、ある飲食店のオヤジが言った。「飲食店が増えすぎ、こんなに飲食店があるっておかしいよ、だから、しなくてもよい宣伝をしなくちゃならないし、みんなグルメにされちゃうんだろ」
けっきょく、なんだね、「哲学」なんていうと、あざ笑われるが、生活の「哲学」のモンダイになるのかな。
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