あたたかい年の暮れ。
標高、約600Mの谷底でも、あたたかく、素足に竹の皮であんだぞうりでウロウロできた。
黒い電話機から流れる有線放送の声が、昭和35年に開始以来、一日も休まず続けてきたが、この31日をもって終了することを、いつものあまり抑揚のない淡々とした口調で、だけどいくらかさびしげに、告げていた。「歴史的使命」を終えたのだと。
いま都会では非エコ反エコ的なシステムのなかで生きながら「エコ」が流行っている。そして、長いあいだ有線放送に頼ってきた、山間のまっとうなエコであるがゆえに厳しく貧しげな生活には、たぶん「厳しく貧しげ」であるがゆえに、なんの尊敬も払われない。だからだろう、そこに生きる人たちは、自分たちの姿を見せるのを恥じる。テレビなどで放映される山間の「エコライフ」は、都会的エコ視点による見世物的価値があるものだけだ。そんな山間の昨今の変化といえば、都市的労働では食べていけなくなり、再び捨てた畑にもどってくる姿が増えているとのことだ。
「地球温暖化」を考え「昭和を礼賛」しながら、「貧乏くささの居場所」を考えないのは片手落ちだろう。
ひさしぶりに、新年を自宅で迎える。もっとも、自宅でのんびりしているかどうかは、わからないが。
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