初詣は画像で。
去年夏の「四月と十月」古墳部の旅は、糸魚川とフォッサナマグナで、糸魚川市一の宮の「天津神社・奴奈川神社」にも寄った。
おれは「無神論者」といえるほど堂々たる「無神論者」ではなく、ただどんな意味でも絶対的存在に不謹慎フマジメでいたいだけなのだが、以前から神社には興味がある。神様の実在は確かめがたいが、神社は実在する。しかも、これが、なかなかおもしろい。食との関わりも深く、古代の食の探究のためには神社や神話は欠かせない。
ってことなのだが、この「天津神社・奴奈川神社」は、じつに興味深い。そして、なにより、この拝殿のたたずまいに、おれは惚れた。なんという、いい女なんだろう。あっ、いや、ちがう、いい姿なんだろう。ね、このかやぶきの素朴な美しい姿。
だが、ここには、奴奈川姫(ぬながわひめ)を祭る、奴奈川神社本殿があって(上の画像、拝殿の左奥)、「奴奈川神社の祭神は、奴奈川姫命で後年に八千矛命を合祀した。」と公式サイトに案内がある。
八千矛命(やちほこのみこと)とは出雲の大国主命(おおくにぬしのみこと)の別名。じつは奴奈川姫は大国主の愛人で、大国主は出雲から糸魚川の奴奈川姫のもとまで通ったという伝説がある。ってことで、ここに二人が合祀されているらしいのだな。いい話だねえ。
だけど、もう一つ、拝殿の後ろには、奴奈川神社本殿とならんで天津神社本殿があるのだな。これは、じつに奇怪、おもしろい。なぜなら、神話的伝説によれば、天津神社は天皇家の祖神である天照(あまてらす)を祭神とする伊勢神宮の系統、つまり出雲の神々を滅ぼしたか征服したか侵略した側なのだ。ようするに、「負け組」大国主あんど愛人・奴奈川姫と、「勝ち組」系が一緒に祭られている。
拝殿に参拝すると自動的に「負け組」「勝ち組」両方を拝むことになる。と、ここで、おれは、奴奈川姫はどんなにいい女だったのだろうかとおもいをはせつつ、また汁かけめしと米食の関係をフニャフニャ考えたのだった。すると、チョイとひらめいたことがあった。ま、それについては、新年早々の、いま元日の午前1時過ぎという時間に書く気がしないから、そのうちに書くだろうということにして、とりあえず拝殿の写真と、天津神社本殿の写真と奴奈川神社本殿の写真を載せておこう。いずれも1790年代の改築で、なかなか見事というか味のある彫り物がほどこされている。
天津神社本殿
奴奈川神社本殿(左)
天津神社・奴奈川神社 公式サイト
http://www.fsinet.or.jp/~amatsu/
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