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2009/02/27

HEYANEKO浅原昭生さんの『廃村と過疎の風景 3』が発行になった。

きのう、北浦和の「志げる」で浅原さんと会い、いただいた。文章はあとで。

Hayaneko_008

東京は神保町の、元書肆アクセスの畠中理恵子さんがいる東京堂3階や、三省堂などにあります。地方・小出版流通センターでも扱っているから、全国の書店で入手可能です。

HEYANEKOのホームページ
http://www.din.or.jp/~heyaneko/index.html

前回第2集の紹介は、こちら。
2006/02/23
価値ある本。再び『廃村と過疎の風景 2』のこと。

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2009/02/26

北海道の「ビバ!大衆食堂」。

Viva_syoku005すっかり忘れていたが、3月1日発行のJR北海道の車内広報誌『THE JR Hokkaido』3月号が届いた。特集は「ビバ!大衆食堂」だ。おれは書いてないが、ちょっと協力させてもらった。

いつごろだったかな?ライターの北村かず子さんからメールをいただいた。すれっからしのライターや編集者にはない、ピンと共鳴するところがあったので、メールのやりとりのあと、電話をいただき話したりもした。

素晴らしい内容だ。どうです、この写真。どこの土地にも、その土地の魅力を語り伝える大衆食堂がある。

おれの『大衆食堂の研究』から2か所引用がある。大衆食堂に対しては、グルメやレトロなど、いろいろな興味の持ち方があるけど、おれとしては一番うれしいところを引用していただいている。発行から10年以上たって、しかも流行に流されやすい飲食の分野で、このように引用されるのは、著者としては光栄だ。

なのでうれしくて、とりあえず画像を掲載する。北村さん、ありがとう。

特集の文章の最後は、こう終わる。「遠藤さんは「独自の生き方を覚えるために、食堂に授業料を払え」と愛情を込めて語る。働くこと、生きることとは何かを示してくれる北の大衆食堂、バンザイ!」

Viva_syoku006この雑誌は、「JR北海道の全特急列車と本州連絡の北斗星、カシオペア、トワイライトエクスプレスに搭載のほか、全国の定期購読者に向けて月刊で10万部を発行している」そうだ。見かけたら、ぜひ手にとってご覧ください。定価110円送料76円とあるから、申し込めば送ってもらえるかも知れない。


難しい峠はこえたけど、まだアワタダシイ。

あとで書き足す。きょうは時間ないかも知れないが。

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2009/02/25

難しい峠をこえて。

やっと、たぶん、難しい峠をこえた。昨年末から、ずいぶん、無い脳みそを絞った。ロクデナシ作戦野狐編は、やはり少し計画よりマイナスに向かっているが、継続可能ってことになった。めでたし、というか、やれやれ、まだこんな難しいことをやらなくてはいけないのかの気分。でも、全体が難しくなっているのだから、トウゼンでもあるな。長いあいだ組んで仕事した、おれが最も信頼している経営コンサルの人の年賀状に、「現業継続中、変化のあるとき、ビジネスチャンス…といえど、きついですね」と書いてあった。まったくだ。でも、おれより二つ年上の彼が「きついですね」といいながら「現業継続中」なのだから、「トシ」なんて言えない。ロクデナシ作戦、野狐編のつぎは、何編にするか。

とにかく、ほかの原稿締め切りなども重なっていたが、同時に大分かたづいた。なので、いよいよ、精力の半分ぐらいは、3月7日のシンポの準備に傾注できる。時間割も決まってきて、冒頭にプレゼンをやらなくてはならない。

そうそう。神戸のからすさん、ホームページで紹介、ありがとうございます。「「大衆食堂の詩人」ことエンテツこと遠藤哲夫さんが 3月、満を持して大阪乱入、壮絶バトルを展開するらしいぞ」とトップページに。…クリック地獄

そうですね、おれは根が「それゆけ30~50点人生」なので、それなりの身の丈でがんばります。気力と体調だけは整え満を持して、酒をたっぷり飲めるようにしたいと思います。って。

ま、このシンポのパネラーは、壇上から偉そうなことを言うのではなく、場所の記憶の掘り起こしの手がかりになるようなことを述べ、一緒に「都市の隙間」「貧乏くささの居場所」を考えることで、いま生きている「場」を考えていこうというものだと思う。 どうかみなさん大勢さん参加されて、大いに発言もしてください。会場とのデイスカッションの時間もあるし、予定では、五十嵐さんとおれの登場は一番最後で、そのあとは会場にケータリングが入ってパーティー風になるらしいですから、大いに語りあいましょう。

ひさしぶりに会えそうな、神戸や大阪の方もいるから楽しみだ。

そんなところで、きょうはオシマイ。

いろいろメールをいただきながら返事が滞ってすみません。ご容赦。

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2009/02/24

蕎麦と酒。

もう何日前だろう、ずいぶん前のような気がするが、そんなに前ではないようだ。やけに蕎麦と酒がやりたくなった。一度ダンドリついたが、だけど、希望はかなわず、そのまま怒涛の日々に突入した。そして、フッと一息つくとき、やっぱり蕎麦と酒がやりたいと思う。こういうときはウチにある安酒を飲みながら、こんな味の蕎麦に、こんな味の酒と、ウーン燗にするか冷やか、こんなぐあいに食べて飲んで…、などと、けっこうディテールまで想像し、生ツバをごくりとやって、終わる。

「他人の身になってみること」
「嘘つき」
「こういうのはどう?」
「何か用かい?」
「合図をしたら」
「頼むから静かにしてくれ」

いずれも、村上春樹翻訳ライブラリー『頼むから静かにしてくれ Ⅱ』(レイモンド・カーヴァー、中央公論新社)に収録の短編のタイトル。これらをうまくつなげながら、望んでむなしく終わった「蕎麦と酒」について、書けそうな気がしたが、うまく書けないから、オシマイ。

しかし、どれ一つとっても、ブログのタイトルになりそうだ。2009/02/16には「人の考えつくこと」ってぐあいに、『頼むから静かにしてくれ』のⅠの中から使ったが。この二冊、おもしろい使えそうなタイトルが多い。

こうやって無意味なことを書き遊んで気分転換し、つぎへ向かう。

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かつて一世を風靡した〝薔薇族映画〟の専門館、上野の世界傑作劇場が、3月1日で休館する。

今朝、ヤマザキ・クニノリさんから、「またしても閉館」のメールがあった。「私事ながら、昨年の大宮オークラの閉館に引き続き、わたしがこれまでもっとも力を入れてきた薔薇族映画(ゲイ・ピンク)の東京唯一の専門館だった上野の世界傑作劇場が休館(実質的な閉館)することになりました」と。シャイな彼が、このような案内のメールをくれるのは、めずらしいことだ。読むと、その残念で寂しい思いが、ガンガン伝わる。

彼の「影への隠遁Blog」を見ると、しばらく更新がなくてどうしたのかと思っていたが、
2009.02.20 Friday
上野の世界傑作劇場、最期の日に
2009.02.21 Saturday
『仮面の宿命』~バイバイ世界傑作劇場(2)
と、「仮面の宿命」のスチール写真(イケメン・ゲイ)も含め、掲載になっている。…クリック地獄

そこでヤマザキさんは、このように述べている。


わたしはピンク映画監督だが、薔薇族映画監督として、より多くのプライドを感じてきた。90年代前半のゲイ・ブームの頃、撮り始めたばかりの作品2本の上映会を、世界傑作劇場で行ったことがある。『プライベート・ゲイ・ライフ』を上梓したばかりの伏見憲明さんをゲストに迎え、『ぴあ』などもイベントコーナーで紹介してくれたため、驚くような人が集まった。あの夜が、ささやかなわたしの監督人生の、実質的なスタート地点であったと思っている。

どういう巡り合わせか、1月末に撮ったわたしの新作薔薇映画『仮面の宿命』が、休館直前に、急きょ繰り上げ上映されることになった。2月21日(土)から3月1日(日)までの9日間である。偶然ではあるが、自作が世界傑作劇場の掉尾を飾ることになり、ひとしおこの劇場に愛着のあったわたしとしては、感慨を禁じ得ない。劇場と相談し、最終日の3月1日に、今回の作品に出演してくれた役者4人と共に舞台挨拶を行うことになった。


これは、なんとしてでも都合をつけて行きたいと思う。ヤマザキさんの舞台挨拶も、聞きたいと思う。
みなさんも是非、誘い合って押しかけましょう。もちろん、女子も歓迎。

ヤマザキさんはメールで、「仮面の宿命」について、「ピンク映画に比べれば、なんだかマジになってしまったと反省しきり」と書いているが、彼のピンク映画だって「純文学」顔負けの「リクツっぽいピンク」なのだから、どんなにリクツっぽいのだろうと想像する。楽しみだ。

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2009/02/23

雑穀のブームと居場所。

というタイトルの、チョイと面白い原稿が書けた。メールで送ったら、きのうの夜、編集者から「面白い」と感想を書いたメールがあって、会心のできだねと一人ニンマリした。これは、あるシンクタンクの会員用の月刊誌なので、書店では入手できない。多くのひとに読んで欲しいのだが、ザンネン。

きのうの「神を信じないメリットとデメリット」は、いささか唐突で、内容も中途半端で誤解を受けやすい。神を信じるのに、メリットやデメリットを考えるのは、おかしい。

雑穀のブームを、一つは焼酎のブームと、一つは有機食品や農業のブームを重ねて考えて書いた。その底流には、じつに興味深いものがある。

たまたま2009/02/13「そういう「大人の男」の時代なのか」に書いたように、3月7日のシンポのテーマ「都市の隙間――<貧乏くささ>の居場所をめぐって」に関係しそうな、村上春樹さんの『ダンス・ダンス・ダンス』を読んでいたのがよかった。

そもそも雑穀は、「貧乏くさい」ものとして居場所を失い、そしていまブームになっているのだが、その居場所はあるのか、あるとしたらどこにあるか。

何度も書いているが、おれは村上春樹はダイキライだ。やはり、この作品を読むのも二度目だとおもうが、上手とはいえない。ケッ、と思うところもある。だけど、80年代の作家が書くべき大事なことを書いている。そして、ナゼ村上春樹が人気なのかも理解できる。おれはダイキライだけど。でも、このように現代と向きあっている作家は、貴重だ。

以前ブログに書きかけたまま、ほったらかしの80年代に始まる「いのち」のブームは、片方で60年代から70年代にかけての、いわゆる「ムラ社会」的共同体、ある種の運命共同体的なものが崩壊するのと関係がある。

五十嵐泰正さんも、論文で指摘しているけど、そういう共同体の空白化は、「会社」と「核家族」という共同体によって、しばらくは埋められていた。ところが、80年代初頭の「家族崩壊ブーム」を思い出してもらうとよいのだが、そのように埋め合わされた「共同体」も、80年代以後、村上春樹が『ダンス・ダンス・ダンス』で繰り返し使う言葉、「高度資本主義」のもとで、バラバラになっていく。「共同体」は現実的ではない幻想として残る。

そのバラバラになった個が、自分の「いのち」と「つながり」を考え求め彷徨する。それは、彼岸にまでおよぶ。ま、オウムなんてのがあって、あれは、かなりマニアックでマニアがたどりやすい危険な道に入り込んだが、ポピュラーには昨今も衰えのない「スピリチュアル・ブーム」だ。

とにかく、雑穀のブームを追っていくと、この「いのち」に目覚めちゃったワタシ、「つながり」を求めているワタシがいる。その彼らの味覚は、かつての「共同体」の味覚とはちがう傾向を持っている。そこに、いまのところだが、雑穀の居場所がある。

そういうことを考えているときに、いま「共同体」、べつの言い方では「まち」が、話題になっている。かつての共同体と、いまバラバラな個が求める「つながり」から生まれる「共同体意識」は、かなりちがう。

どこがちがうかというと、60年代から70年代にかけて衰微した、いわゆる「ムラ社会」的=「運命共同体」的共同体の核には、「神社」があったのであり、「神」がいたのだ。そのことについて、忘れている議論が少なくない。

つまり、そのことに気づいたおれは、「神を信じないメリットとデメリット」を考えた。

と、まあ、そういうわけだ。

「味覚と共同体の関係」というとカタイが、共同体を「場所」と言い換えればわかりやすいだろう。「場所」と味覚は密接な関係にある。そして「場所」となれば、地理的に固定しているとはかぎらない。市場という幻想にも場所は存在し、市場では「ブーム」になったりする。

かつておれは、何かで、味覚は人間関係の表出であるというようなことを書いた。うまいまずいは人間関係の表出である。だから、もし自分とあわない味覚と出合ったときは、「まずい」と断定するまえに、そこにその味覚が存在するワケ、その味覚が存在してきた人間関係に考えをめぐらすべきだと。

グルメたちの「絶対」うまいものがあるという考え、そういうものを基準にした味覚の評価の仕方は、すでに衰微した古い「神社」や「神」のいる共同体、つまり唯一の権威を「原理」にする味覚の反映であり幻想なのだ。

現実は意味を失い「無」になっているのに、幻想に生きている。その幻想を支えているのがメディアだ。グルメたちが情報を追いかけメディアに群がるワケは、そこにある。メディアがなければ存在を確認できない幻想のグルメ。

「いのち」と「つながり」に目覚めた人たちは、どこへいくのだろう。

「貧乏くさい」、クセのある味覚や嗅覚まで「貧乏くさい」と嫌われた雑穀や焼酎がブームになる底流には、いろいろ面白いことがある。これからの「まちづくり」は、雑穀や焼酎に新しい「つながり」を発見することから始めたほうがよいかもしれない。なんてね。

ちょっとアワタダシイ、急いで書いた。きのうのように、ヘンなところがあるかも知れない。

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2009/02/21

神を信じないメリットとデメリット。

もともと潤いに欠ける脳みそだが、絞りきって乾燥した手ぬぐいみたいに、カラカラになりそうだ。雑穀と農業のブームを追って、ふと思ったことは、神を信じないメリットとデメリット。

信じるものは信じることによるデメリットを考えない。信じないものは信じないことによるデメリットを考えない。ま、「デメリット」は、「マイナス」でも「負」でも「損失」でもよいのだが。

モノゴトを、「成功」か「失敗」か、あるいは「よい」か「悪い」かでみるのは、もはや古典的であり牧歌的であり、一つのモノゴトを「プラス」と「マイナス」の両方から評価するのは、とくにビジネスのレベルでは、手法的にも普通になっていると思う。ビジネスは、いろいろなプロセスがあっても、最終的には、得失、具体的にはバランスシートに還元されるということが関係するかも知れない。

だけど、それだけじゃないようだ。

ようするに「関係性」「つながり」が複雑になってしまった。「国家」だの「業界」だの「会社」だの「家族」あるいは同好や同志の「仲間」だのといった、古典的で牧歌的で単純な枠組みに「絆」や「つながり」はおさまっていたのだが、なんだか複雑な高度資本主義とやらが、そうした「古きよき」人びとのよりどころを崩し、個人は遠心力でバラバラになったような状態で、あやまりのないステップをふみながら、新しいつながりを「求め合う」しかなくなった。

もちろん、古典的で牧歌的な単純な枠組みも、手っ取り早いし惰性や習慣や未練などで、さまざまに続くのだが、意味を持たない幻想の枠組みとしてだ。

そして、神を信じるのが「よい」か「悪い」かではなく、神を信じないメリットとデメリットを考えるのとおなじような判断を、いろいろなことについてしなくてはならなくなった。この傾向は80年代後半ごろから顕著になったのであり、ま、このあたりは村上春樹さんの『ダンス・ダンス・ダンス』のことだな。

それが、いま雑穀や農業のブームに関係する。てなことを考えていたら、脳みそがカラカラになり、カラカラ音をたてている。

「つながり」のためには、「求めあう」ときには「激しく求めあう」ことが必要な環境なのだ。

そういう意味では、農業は、2009/02/12「みんなで農業、いのちと〝農〟の論理。」に書いたが、「農家の子どもだけが農業を営むことになっている現実」のなかで、きわめて古典的で牧歌的な「絆」や「つながり」を維持してきた。それは「白米原理主義」ともいうべき「白めし」の優位を維持する食文化と深い関係にある。大方の味覚の「よい」「悪い」も、それと深い関係にあった。

近頃の雑穀や農業のブームの奥にあるのは、それとはちがうベクトルをもっているような気がした。
つまり、求めあう関係のなかに「つながり」存在する農業と食だ。
求めあわなければ消えてしまう「つながり」、愛人関係のような農業と食や味覚だ。

愛や、男と女だって、そうなのよ。求めあっていますか。いませんか。こっちが求めていても、相手が求めていないなら、成り立たない。男と女の間には、よくあることだ。ああ、おれも何度かありますね。あなたと会うより、こちらの二日酔いのほうがいいのゴメンナサイ、ってなかんじで…これからというときにプツンと切れた。回転しながら消えていく冷たい女の後姿のエフェクト。つながりの状態は、具体的現実的にあらわれる。

味覚も、そのように変りそうだ。
近年、「グルメ」で語られてきた味覚は、そもそも明日のこと未来なんか視野になく、過去を基準にしていたのだが、完全に過去のものになる。まちがいないだろう。日本人が生きのびるとしたら。パ~ンク。

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2009/02/20

都鄙臨界徘徊。遠くの農業もいいが近くを見よう考えよう。

ってことで、とりあえず画像だけ。見沼区東大宮駅南側、見沼たんぼ緑地と東北本線が交差するあたりの「農的生活景」あるいは「生活的農景」に関する考察。考察は勝手にどうぞ。

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近くだし、行ってみたい、「見沼・風の学校」…クリック地獄


関連
2009/01/09
東大宮-蓮田、東北本線「都鄙臨界地帯」と麦味噌。

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2009/02/19

ビッグな爆笑、実力がつく『大物講座』(講談社)中村謙一朗+須田泰成。

Suda_bigman002きのう須田さんから送られてきた。ありがとうございます。いま忙しい。文章は、あとで。

と、17日に書いて、ほっておいたら、もう19日だ。もろもろタイトな運びになっている。仕事に関しては、あせってはいないし、悩むこともないのだが、失恋や便秘や地震みたいなことが続くなかで、気持ちの整理と情報や知識の整理と体調をバランスよく保つには苦労がいる。おれのばあい、書くときは「勢い」が大事なので、とくに気持ちと体調だね。うふふふ、情報と知識は、十分だから。ま、厳しいけど、順調といえるか。

きょうは須田さんから電話があって、けっこう長話をした。天下国家も含め、あれこれの動向や情勢。もう一軒、店を出すらしい。立ち飲み屋。トークライブについて、おもしろい方向が出た。須田さんは大物だ。

それで、ほったらかしのこのエントリーを思い出した。じつは、おれは、タイトな状況にあるといいながら、全部読んでしまった。そんなことしているヒマなんかないはずなんだけどなあ。でも、読んでしまった。おもしろいんだから仕方ないね。

タイトルが「大物講座」、「できるビジネスマンのための」とついている。これでビビッたり、関係ねーよとおもうひとほど、読むといいと思うよ。自分は大物だと思っているひとや、大物になりたいひとは、もちろんだ。

「大物」に学ぶことは多い。「大物」といっても、チ●ポのことじゃなく、人物のことね。いや、自分たち「小物」はといいながら「大物」について語る、中丸さんと須田さんに学ぶべきことが多いというべきか。しかも、忙しいなか、爆笑しながら読める。もうおれは再読に入っている。

これを読んで、須田さんの「スローコメディファクトリー」の「スロー」は、「大物」という意味だというのがわかった。「スローフード」というのはね、「大物フード」ってことなんだよ。

それでさ、第8章が「大物のカラオケは女心に「ご用心」」ってことなんだが、「大物は女という異世界を歌う」の見出しのところに、平松愛理の『部屋とYシャツと私』の歌詞が載っている。そこに、「なぜか、大物にはこれらの歌が刺さります」と説明がある。そこでおれは、この忙しいのに、YouTubeで、聴いてしまったのだ。いやあああ、これは、歌詞も歌詞だし、この声と歌い方でこの歌詞は…ナットク。いやはや、中丸さんも須田さんもすごいねえ。その頭脳、縦横無尽だよ。

歌は、こちらで。
http://www.youtube.com/watch?v=HX3RgAlkV3s

本文のあいだに、「講座作成のための お題抽選式「大物再生会議」」ってのが、いくつかある。司会の白土晴一さんがお題を出して、それをめぐって白とさんと中丸さんと須田さんが「大物論」をみたいなを話する。白土さんとは一度、飲みながら話したことがあるが、文献調査の専門家で、すごい博覧強記。商売とはいえ、ドラえもんのポケットみたいに、なんでも出てくるのだなあ。

で、3人で「着メロ」だの「ドラえもん」だの「ヒゲ」だの「宇宙」だの、ま、いろいろなお題で「大物論」。中丸さんは、わりとものごとをキチンとカテゴライズしながら話す、たとえば料亭について、キチンと「場所」として話す、須田さんは、そこを溶解するように話す、白土さんはスゴイくだらねえ細かいところを持ち出す、そのからみとつながりぐあいが、とってもおもしろい。小さなくだらないようなことでも、つながりぐあいで、いろんなふうになる。世の中って、そうなのだな。「ことば」も、そうなのだ。そう思ってみると、『部屋とYシャツと私』も、そうなのだ。「観念的な「気持ち」よりも、具体的な「恋心」なのです」という説明。ま、読まないひとには、わからん。

ところで、この本。講談社の昨年末だかに廃刊になった雑誌『KING』に連載だったものをまとめた。「『KING』史上、書籍化希望ナンバーワンの連載」だったのだそうだ。

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2009/02/17

「大物」な「大宮名物 餃子の大雅」。

忙しい。文章は、あとで。と朝書いた夜、下記の文章を掲載。

Taiga1

じつに堂々たる名前だ。「大宮名物 餃子の大雅」を知らぬか!と、さいたま市は大宮の東北のはずれ見沼区の東大宮に店をはる。東大宮駅西口から5分かからない。よく行くスーパーの近くにある。

「大雅」より「大河」が似合う、「大」な幾何学的な店といえる。店の建物も雰囲気も親父も、そして味覚も。幾何学的「大」な精神にあふれている。おれの幾何学的「大」な精神の部分が感応する。まずは、いまの都心では難しいだろう。駅から5分かからない立地を考えれば、大宮だって難しい。

大通りから入った、だけど裏通りというには広い片側一車線の通りに目立つ「大」な看板。そこに「大宮名物 餃子の大雅」とある。一度見たら気になって、入らずにはいられない。こんなところに「大宮名物」、本格中華料理屋風な名前の「大雅」だ。

しかし、いや、しかも、か。その建物は、まったく飾り気のない、単なる長方形の箱。工事現場の事務所や倉庫にしては上等なプレハブのように見える、学校の体育館のような。入り口に屋根の突き出しもない。まさに幾何学的だ。

なかに入れば、すぐ目の前は、奥に向かって直線のカウンター。カウンターをはさんで左が客席、テーブルもある。約50席ぐらい。そして右に厨房。カウンターで仕切られた客席と厨房は、1:2といったところか。つまり客席は3分の1面積ぐらい。まったく飾り気がない。

メニューは、焼餃子450円、水餃子350円、ライス250円、キムチ300円、ラーメン500円、味噌ラーメン700円、チャーシューメン700円。生ビールと酒とウーロン茶とコーラ。のみ。直線的な幾何学的メニューといえる。

画像のラーメン、これまた幾何学的に「大」のイメージだ。チャーシューは落し蓋のように大きく麺が見えない。餃子は一人前10個ある。大きい丸々とした餃子。見た目の大きさの割りにアンは少ないが、ジューシーで、かじった瞬間、煮込みスープの袋詰めかとおもう。

味、もちろん幾何学的だ。たくましい。ニュアンスとしては「骨太」といってもよいのだが、誤解されるおそれがあるから、幾何学的という。卓上には都内ではめったに見かけない一味唐辛子があった。これをラーメンの表情が真っ赤になるほどかけて食べようかとおもったが思いとどまった。でも、そうすべきだったかもしれない。生ビールについてきたキムチがうまかった。

すべては「大雅」より「大河」が似合う。が、「大雅」である。その精神というかセンスというかを、おれは厨房の大陸的雰囲気の親父と、その妻らしき女将を見ながら考え、食べた。神経症的過敏といえるほど、都会的繊細な精神の洗練をよしとする傾向が失った味覚。幾何学的精神に感応する味覚。東大宮という立地ならではのことかも知れない。

また行くだろう。餃子とキムチで、一杯やりたい。生餃子の持ち帰り販売もやっていて、おれがいるあいだ、10人ほどの店内の客より、その客の方が多かった。

Taiga2

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2009/02/16

「人の考えつくこと」

ユキに「あまり仕事が好きじゃないの?」と言われた「僕」は、こう言う。

「駄目だね。好きになんかなれない、とても。何の意味もないことだよ。美味い店をみつける。雑誌に出してみんなに紹介する。ここに行きなさい。こういうものを食べなさい。でもどうしてわざわざそんなことしなくちゃいけないんだろう? みんな勝手に自分の好きなものを食べていればいいじゃないか。そうだろう? どうして他人に食い物屋のことまでいちいち教えてもらわなくちゃならないんだ? どうしてメニューの選び方まで教えてもらわなくちゃならないんだ? そしてね、そういうところで紹介される店って、有名になるに従って味もサービスもどんどん落ちていくんだ。十中八、九はね。需要と供給のバランスが崩れるからだよ。それが僕らのやっていることだよ。何かをみつけては、それをひとつひとつ丁寧におとしめていくんだ。真っ白なものをみつけては、垢だらけにしていくんだ。それを人々は情報と呼ぶ。生活空間の隅から隅まで隙を残さずに底網ですくっていくことを情報の洗練化と呼ぶ。そういうことにとことんうんざりする。自分でやっていて」

バブルでグルメな真っ最中1988年に発行の村上春樹さんの『ダンス・ダンス・ダンス』から。当時、グルメをリードするイケイケ情報誌というと、『Hanako』(マガジンハウス)だった。男たちの多くは、ハナコさんたちのグルメなバカ騒ぎを冷ややかに、あるいは揶揄しながら眺めていた。この一文あたりに、そういう背景を垣間見ることができるような気がする。

もちろん、いつの時代にも女の歓心をかいモテたいとおもう男たちはいるわけで、『Hanako』を買う男たちもいた。「おやじギャル」なるものが生まれ、ギャルはおやじの領域にイケイケと入り込み、おやじは、ようするに女と近づけるならよいのだ。おやじたちもハナコさんになっていった。ゆきついたところが、2009/02/13「そういう「大人の男」の時代なのか。」ということなのだな。「男もいい年になったら行きつけの居酒屋をもちたい。「時間が空いた、ちょっと飲むか」という時に、どこへ行こうかと迷うようではちと淋しい」なんて書かれて、大きなお世話だとおもう「大人の男」たちは、いまや少ないのだろう。さみしいことだ。ああ、さみしい。

ところで、『ダンス・ダンス・ダンス』のあとのこと。『RackAceラックエース』という東京出版販売(現トーハン)のPR誌の1990年1月号に、「話題誌編集長10人の予言 90年代雑誌はどう変るか!?」の特集がある。そこで、当時の『Hanako』の編集長、椎根和さんは、こんなことを言っている。10人のなかで、この人の発言が、いちばんおもしろいのだが。

「企業は、いま税金対策に困っていて、それを広告に、回したがる。そんな企業の好況感が続いている間は、次々に雑誌が生まれるでしょう。その代わり模倣は当たり前になる。雑誌の個性はどんどん消えていく。なぜなら若い編集者は個性化など望んでいないからです。」
「だから、コンピュータグラフィックスや音楽には新しいものが生まれるかもしれませんが、活字文化の中ではまず無理でしょう。またほとんどの文化領域で、60年代後半から70年代前半に登場した人々が実権を握り続けると思います。90年代は、そうした意味で、面白い雑誌が生まれる可能性は非常に狭まっていくと思いますね。」
「若い男性は、10年前まではまだ行動力がありました。われわれもそれに見合った雑誌作りを行っていた。しかしいまは、いかにして女にモテるかという雑誌ばかりです。ほとんど頭打ちになっていると言っていい。」

椎根さんは、おれより1年上の1942年生まれ。なかなか卓見ではないか。ぐふふふふ、45年の敗戦前の、日本がやばくなってきた42、3年ごろ生まれというのは、シャープな頭を持っているのさ。

しかし、いまでも、とくに男の編集者は、「個性化など望んでいない」「いかにして女にモテるか」ばかり考えているようだ。そんな連中を、女を連れていくとモテるらしい酒場で、ときどき見かける。編集者の周辺の、フリーらしい美人スタッフや、あるいは芸術家文化人らしい人たちと、浮かれた退嬰のニオイをまきちらして。まわりがどう見ているか気にならないらしい。不況の時代でも、そうなのだ。

日本の底引き漁船が一網打尽に獲りつくすように、「真っ白なものをみつけては、垢だらけにしていく」ことに、いまや誰も疑問を持たなくなったようだ。

あっ、タイトルだけど、村上春樹翻訳ライブラリー『頼むから静かにしてくれ Ⅰ』(レイモンド・カーヴァー、中央公論新社)に収録の短編のタイトルです。原題は、「The Idea」。もっと考えなくてはならないことや楽しみがあるような気がするのだが。ま、一つの崩壊というのは、こんなものなのか。こうして何か大切なことが失われゆく。消えてゆくのだ。呆然として見るほかない。

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2009/02/15

浅草橋西口やきとんの「貧乏くささの居場所」で泥酔記憶喪失。

きのう書けなかった追記。

たとえば、水洗便所の普及でワレワレ(ワタシ)はどう変ったか、そして変ったワレワレはどこへ行こうというのか、ということなのだ。

地域差はあるが、下水道が完備し、汲み取り車が東京の日常の風景から消えたのは、たぶん1970年代を通してだった。そのことがワレワレの感覚や考え方に、どういう影響を与えているか。もう水洗便所以前のワレワレ自身を忘れがちだ。「昭和ノスタルジー」にしても、「まちづりくり」にしても、あるいはグルメやファッションのことにしても、水洗便所で可能になった高層ビルのように便所のニオイのしない、したり顔のアートや観念やビジネスが表層を覆っている。だけど、そういう動きは、ほんと表層のことなのだ。

浅草西口やきとんは、五十嵐さんもときどき利用していた。4人だから奥のテーブルとおもっていたが満杯、立ちで4人にちょうどのテーブルがあいた。そこで飲み始める。「下北沢以来でしょうかね」「いや、おととしの12月か11月ごろ、コンビニのワークショップで」。

調べたら、10月のことで、2007/10/29「コンビニって、なんじゃらほい」に書いてあって、五十嵐さんにコメントもいただいていた。

五十嵐さんと原口さんのプロフィールを、シンポジウムの案内から転載すると、こうだ。

五十嵐泰正(筑波大学専任講師/都市社会学) 1974年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程満期退学。東京・上野の商店街で社会学的な調査に取り組むかたわら、34年間暮らしてきた千葉県・柏でまちづくり団体にも関わる。主な仕事に、「都市における多様性をめぐるいくつかの断章」『年報社会学論集』第18号、「異郷に生きる アウェイの戦い」『現代思想』Vol.35-7(アンジェロ・イシ、洪貴義との鼎談)など。

原口剛(大阪市立大学都市研究プラザ/地理学、日本学術振興会特別研究員・神戸大学) 1976年千葉県生まれ、鹿児島育ち。2000年に大阪に移住して以降、釜ヶ崎の戦後史や野宿者の現状、都市論や社会・空間的排除論などについて研究をしている。2007年、大阪市立大学文学研究科博士課程修了、博士(文学)。論文に「「寄せ場」の生産過程における場所の構築と制度的実践」人文地理55(2),pp.121-143, 2003など。

上野を調査中の五十嵐さんから、ザ大衆食に掲載の閉店になった上野駅地下のグラミの記事を見てメールをもらったのが、そもそもの始まり。2005/03/25「横丁路地そして東京や「下町」を考える」を見ると、このエントリーの前日、3月24日に、上野で会っている。そのとき、ま、上のプロフィールは職業的にこういうカタイ表現にならざるを得ないのだが、便所レベルのことから実態を積み上げるように話ができる、おもしろいひとだとおもった。

その五十嵐さんから誘いがあって、06年7月2日のカルチュラル・タイフーン2006下北沢「都市を紡ぐ」のセッション、「闇市と昭和の記憶、大衆の痕跡」にパネラーとして参加することになった。そのとき、五十嵐さんは司会、パネラーに原口さんがいた。原口さんと五十嵐さんは東大の縁で、地理学専攻のため原口さんは大阪市大の大学院へ行ったのだった。2006/06/24「カルチュラル・タイフーン 2006 下北沢の顔合わせ」に書いてあるが、6月23日に初めて原口さんと会っている。原口さんも、大阪の寄せ場研究で下世話な飲み屋の世界にも詳しく、五十嵐さんのように便所レベルのことから話ができるひとだった。

彼らは、やはりいろいろ調査研究しているから、おれが体験的な話をすると、みごとに昇華整理してくれるので、ナルホドおれの便所体験はそういうことだったのかと理解できるよろこびがあった。それにしても、五十嵐さんは「都市社会学」、原口さんは「地理学」が専門なんだが、これまでのそうしたものとはかなりちがうイメージの取り組みで、おもしろくなりそうだなあ、しばらく付き合って眺めていたいねえという感じなのだ。とくに地理学については、歴史より端物あつかいだし、なぜ地理が文学に属するのか(原口さんの博士号は文学だし、大学の地理学科も文学部になる)不思議だったが、原口さんのおかげで納得できた。おれの理解は、「場所」という言葉で、より鮮明になった。これからの「まち」と「食」を考えるためには、欠かせない。

1970年代、水洗便所に不可欠な下水道の普及率は、「都市化」の大きな目安だった。そして水洗便所の普及で、ワレワレが極めて複雑な場所に置かれたのは、1980年ごろからだった。便所くささを引きずっているような大衆食堂や大衆酒場は、水洗便所な市民から「貧乏くさい」と嫌われるようになった。ところがいま、その水洗便所な市民の「大人の男」が、「モテごっこ」「ナンパごっこ」「恋愛ごっこ」をする舞台にまでなった。

と、自分の整理のために書いた。

西口やきとんでの話は、じつは、あまり正確に覚えていない。立ちで飲み始めたこともあって、酒のまわりが早く、テーブル席があいて移ったころには、すっかり酔っていた。それから本当にシンポの打ち合わせらしい話になったと記憶しているのだけど、よく覚えているのは、前日の午後に食べに行くところ、当日7日の終わったあとの飲みの場所、その翌日のことなど、本番前後の飲み食いのことばかり。

でも、おれは酔って記憶喪失していても、話はチャンとできるんで、いい打ち合わせになっている気分でいた。しかし、ほとんど思い出せないなあ。「貧乏くささとは」ってことについて話していたな。「貧乏」と「貧困」のちがい、都市にある貧困じゃない貧乏くささ。「パーソナル・ヒストリー」のことなんかも話していたな。いまじゃ、ファミレスやファーストフードチェーン、ワタミのような居酒屋チェーンのほうが貧乏くささの居場所になっている、なぜか、とか。おれが最初に15分ぐらい報告するの?そんな話もあったような気がする。写真を用意した方がよいと言われたような気がするけど、どんな写真の話だったか思い出せない。

ようするに、そういうわけで、たぶん酔っていても記憶力抜群の五十嵐さんと原口さんの二人から聞けば思い出せるとおもうから、アンシンしている。とにかく、おれは体験にもとづいた具体的な話をするしかないし、それは五十嵐さんと原口さんがうまく引っ張り出してくれるはずだし、うまく理論的にまとめてくれるにちがいない。なので、アンシンしている。

いいのか、それで。

でも、これは、おもしろいことになる。酔っぱらって話しながら、そうおもったから、まちがいない。

23時近くになって、おれは終電が気になりだした。なんども時間のことを言うと、そのたびに五十嵐さんに「大丈夫、だいじょうぶ」となだめられていたような気がする。彼も上野乗換え常磐線だから上野まで一緒なのだ。それじゃ勘定してという時間になって、「まだ野狐禅の話などできてない」というようなことを野狐禅大好きの原口さんが言った。今回のシンポジウムの1部ドラマリーデイングライブ「こころのたねとして」には、ラッパーのSHINGO☆西成さんも登場するし、メールの打ち合わせでは、五十嵐さんも関係する「常磐道」のことも話題になっていた。でも、マジメにテーマに関わる打ち合わせしていたので野狐禅や音楽の話はできずじまいだった。それは、こんどということになった。

上野駅まで五十嵐さんと一緒だったはずだが、よく覚えていない。終電一本前に間に合った。

えーと、話題は変わって関係ないこと。おれがブログに書いていること、本気と冗談の区別がつかないと言われるんだけど、ぜんぶ本気で、ぜんぶ冗談なのね。本気と冗談は相反するものじゃなくて、本気のなかに埋め込まれている冗談、冗談のなかに埋め込まれている本気、という関係がイチバンおもしろいわけ。ぐふふふふふ。

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2009/02/14

歩きながら飲みながら考える秋葉原・浅草橋の夜は、泥酔記憶喪失。

Akihabara_eki01

きのうは、やけに暑かった。19時に秋葉原のヨドバシカメラ、つくばエクスプレス口で待ち合わせだったが、早めに出て、上野駅からブラブラ歩いた。さわやかさを通り越し、どんより生ぬるい風の中、身体が汗ばんだ。

五十嵐泰正さん、大阪から原口剛さんとパートナーの方、すみません名前を思い出せない。ちかごろは名刺交換してないと、飲んだあとには忘れていることがおおい。シンポジウム「場所の力――歩きながら考える」の打ち合わせだから、まずは「歩きながら考える」、秋葉原の場所の記憶を掘り起こそう、ということで、すっかり変った秋葉原を歩くことになった。

ヨドバシカメラの前、秋葉原駅のロータリーを通り京浜東北線の反対側、かつてヤッチャバがあったところへ向かう。ヤッチャバのあったところは秋葉原UDXなどの高層ビルにかわったが、その御徒町寄り、かつての市場の場外にあたる位置に、ヤッチャバがあったころの店が残っているはずだ。

ロータリーのところで、そもそもここはなんだった、どんな景色だったかという話になった。たまたま、そこの写真を、おれは撮っていた。紙焼きをスキャンした画像だが、96年か97年ごろではないかと思う。正確な年月は思い出せないが(前の記録を調べるとわかるかもしれない)、なぜここに行ったかは覚えている。

その日、ある人と、彼の愛人がいる浅草橋で飲むことになった。おれは秋葉原から歩き、たまたまこの場所を通った。写真を撮った位置の背後は、いまのヨドバシカメラの南側を走る、総武線の高架だ。背の高さぐらいに金網が張ってあって、撮影するのに邪魔なので、金網に脚をかけのぼって撮った。そのとき、居丈高な、たぶんJRに雇われていると思われる警備員が二人来て、何をしている、何のために写真を撮っているんだと詰問された。なので、よく覚えている。

最近も信濃川の発電取水量をごまかすというマフィア顔負けの組織的悪事を働いているのが発覚した、悪徳なJRは、いろいろなウラミをかっている覚えがあるのだろう、「テロリスト」を警戒していた感じだった。おれはまちを撮っているカメラマンだ、この景色はおもしろいからね。テナやりとりがあった。その夜、浅草橋で、遅れてやってきた彼の愛人も一緒に飲んだ。踊りの師匠をしている彼女は、横取りしたいぐらい着物が似合う美しいひとだった。ま、そんな「場所の記憶」まで思い出した。

とにかく、この画像、右手の建物あたりが、いまのヨドバシカメラ、更地のあたりが、いまのロータリーだとおもう。もとは確か貨物駅ではなかったか。正面、破断された線路とホームは、貨物線のはずだから。

われわれは、元ヤッチャバの北の端、消防署の北側の通りを渡った、京浜東北線の高架沿いに、かつてのままの店舗の建物を見つけた。あたりは薄暗く店は閉まっていたが、よく見ると看板建築の正面の壁に、果物の絵があるのがわかった。たぶん青果問屋だろう。いまでも営業しているのか知れない。周囲には市場独特の、頑丈な鉄の荷車が数台、テキトウに置いてあった。それが、かろうじて、ヤチャバの記憶を残しているような光景だった。

中央通りに出て、もどる。変化したところ変ってないところ、隙間のようなところ、その前は何度も通っているはずだが、古い蒲鉾屋があるのを初めて発見した。ふーむ、これはたぶん、中央通りの西側に残っている料亭と場所を共有してきた、秋葉原のまちの古い地層の名残りかも知れない。

五十嵐さん原口さんと、まちを眺めてはオシャベリするのは、すごく刺激的だ。彼らは研究者として知識が豊富なだけではなく、アメ横でマグロの叩き売りをやったり、コンビニの棚の商品の出し入れのスピードでは他者に遅れをとらない、といった「現場力」のある人たちだから、おもしろい。ま、そのおもしろいオシャベリは追々書くとして、彼らはおれには縁のなかった萌えの館「とらのあな」なんぞにも、ずいずい入っていく。

地下1階は成人商業誌、1階2階は商業誌、3階から6階は同人誌の成人向け。五十嵐さんも原口さんも詳しい。「よく知っているね」と言うと、「だって最近の学生は、こういうのを卒論のテーマにしますからね」。そうだ、彼らは大学の先生だから、いまどきの学生たちの視野まで自分の視野に入っている。しかし、とらのあな、なんとなく、オタクたちの汗くさいニオイがしていたような気がする。おれはひそかに「汗くささの居場所をめぐって」というタイトルを考えていた。

タックスフリーの館になったラオックスを上の階まで見たあたりで8時の閉店時間。原口さんたちはロッカーから荷物を出し、総武線にひと駅乗って浅草橋へ行くためホームへ。原口パートナーさんが黙って気分悪そうな顔して、お化け東京の毒にあたったらしい。が、浅草橋駅東口近くのホテルに彼らがチェックインしたあと、西口やきとんへ向かう、そこらは大阪のまちのように「人間丈け」のまちで、パートナーさんは元気になる。

西口やきとん、あいかわらず混雑。

と、ここで、チョイ用ができたので、書くの中断。あとで書き足す。

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2009/02/13

そういう「大人の男」の時代なのか。

3月7日のシンポジウム「場所の力――歩きながら考える」で、五十嵐泰正さんとおれが対談するのは2部の「場所の力をめぐって」だ。その司会の原口剛さんが東京に来られて、3人で打ち合わせすることになった。タイトルは、「都市の隙間――<貧乏くささ>の居場所をめぐって」ってことなんだけど、すでに3人でメールのやりとりをしながらアレコレ語り合っている。さらに、東京で歩きながら立ち飲みに寄ったり、居酒屋で飲んだり、もしかすると泥酔しながらの打ち合わせになりそうだから、録音機を持って行こうと思っている。かなりおもしろくなりそうだ。

メールのやりとりをしながら、ふと閃いたのは、ダイキライな村上春樹さんの著書『ダンス・ダンス・ダンス』だった。そこで、このあいだから読んでいる。正確には、その前の『羊をめぐる冒険』から読み直しているが、「都市の隙間――<貧乏くささ>の居場所をめぐって」に関係するのは、やはり『ダンス・ダンス・ダンス』。つまり『羊…』の方は70年代的であり、『ダンス…』の方は80年代的で、まさに「高度資本主義」と「隙間と「居場所」のことが語られている。ふーむむむむむっ。なのだ。

ところで、話は関係あるのかどうか、関係あるのだが、関係そのものについては、いま書いている時間がない。知り合いに教えてもらったサイトを見て呆然とした。ここのところ呆然とするより仕方ないことが多い。

「居酒屋 昭和に浸る酒の呑み方」ってやつだ。
http://guide.jp.real.com/special/16_izakaya/?src=nl090212

「いい歳の男がひとりでフラッと一杯呑める居酒屋とは、どんな店なのか?」ってことで、「居酒屋研究家として知られる」Oさんが「説いてくれた」。その文章の最初が、「大人の男が愛する居酒屋の条件」の見出しで、こういうことだ。……


 男もいい年になったら行きつけの居酒屋をもちたい。「時間が空いた、ちょっと飲むか」という時に、どこへ行こうかと迷うようではちと淋しい。誰かと会い「一杯やるか」となって「どこにする? まかせる」「じゃ、ちょっと知ってる店がある」と、暖簾をくぐると「お、○○さん、いらっしゃい」。勝手知ったる常連の迎え。「今日は、平目がいいっすよ」先週も来たのを覚えている。「ビールからですね」飲み方も知っている。「じゃ、ビールと刺身、あと燗酒」。そうしてしばらく。「お前、いい店知ってるな」「そうかい」。そうさ、という気持だけど軽くいなす。
  もっと大事な場面。大切にしている彼女のデートにねだられた。「いつものおいしいイタリアンや、しゃれた店もいいけれど、あなたが一人でゆく行きつけの店に連れてってほしいわ、居酒屋でいいの」。
  さあここだ。男たる者、一人で通う店もないようでは情けない。また、そういう時に高級な店に連れてゆくのはバカだ。彼女とは張り込んでも、自分一人で飲む時は安い居酒屋というのが人間が深く見え、着実な生活意識の持ち主とわかる。一人で贅沢する男なんてロクなもんじゃない。
  というわけで「汚いぞ」とか脅かしながらいつもの居酒屋へ。しかし問題はここからだ。つまりその店でどういう扱いをされているかだ。落ち着いた堅実な男として一目置かれているか、お調子者の軽薄男と扱われているか。日ごろがここに現れる。また、その店自体がどういう客の集まるところかということがある。渋いけれど身なりの良いきちんとした勤め人の来る店か、何やってるか判らないような連中のたまり場か、芸術家や文化人がさりげなく来ていて、そういう人に声をかけられて普通に話すと彼女の見る目も変わってくるかもしれない。女性は、男同志によい仲間がいるか、そこで尊敬されているかを男の価値として高く見る。安く汚い居酒屋でもよい常連がいて、そこで闊達にふるまえ、頼りにされている様子が見えれば評価はかなり上がる。女性がある時点で「あなたの行きつけに連れてって」と言うのはそこを知りたいからだ。だから行きつけの居酒屋は、いざという時に大切になる。それにはよい店を選ぶことと、日ごろの顔出しだ。


……引用おわり。

酒や居酒屋などは嗜好のことだから、それぞれの好き勝手でとやかくいうことはないと思いながら、それでもときどきこのブログでからかい楽しんでいたが、これには、これが「いい歳の男」「大人の男」であると誇らしげに語られていることに、呆然としてしまった。

ま、たしかに、「彼女」たちにとっては、こういう男が楽しいし「価値」あるのかも知れない。じつは、おれはもてるようなホラを吹いているが、イザとなると土壇場で後ろ足で蹴飛ばされたり、罵声を浴びる情けない価値の低い男だ。「彼女」には、おれと呑むより、もっと二日酔いになるほど楽しいことがある。それは理解できる。だとしても、友だちつきあいや「彼女」とのデートを計算して、「いざという時に大切になる。それにはよい店を選ぶことと、日ごろの顔出しだ」なんてふうに考えるのが、「大人の男」なのか。

いや、きっと、「大人の男」とは、そういうものなのだろう。だから、こういう文章を読んでヘンと思うのは、おれのようにふられる男なのだろう。

でも、おれは、こんなふうな考えで居酒屋を選んでまで、「彼女」にもてたいとは思わない。その結果、ふられて傷ついたら、アッサリあきらめて、そして、酒と泪と男と女って感じで泥酔できる居酒屋へ行くだろう。

そう、「大人の男」の居酒屋は、浮かれた男や女たちだけではなく、むしろ、ふられた自分、うまくいかない自分、なにか屈託を抱えた自分の居場所ともなりうるがゆえに、「大人の男」の居酒屋だったはずだ。コンニチの「いい」といわれる「昭和」な居酒屋を育ててきた男たちのことをおもえば、こんな歯の浮くような話に呆然とせざるをえない。「芸術家や文化人がさりげなく来ていて」だって。反吐が出る。

でも、おれがとやかく言っても、圧倒的多数の「大人の男」たちに一蹴されるほど、「大人の男」たちに人気を得ている「大人の男」の「居酒屋研究家」のオコトバなのだ。

そして実際、ちかごろの「昭和」な居酒屋には、こんな「大人の男」たちがふえているようだ。「彼女」を連れて、得意満面でうれしそうである。

そんな様子を呆然と見ながら、もてなくても、孤独でも、傷ついても、こういう考えの「大人の男」の仲間でなくてよかった、とおれは思っている。どうぞみなさん、お好きなように。

こういう「大人の男」の文章を読んでいると、ダイキライな村上春樹を好きになってしまいそうだ。
「居酒屋研究家」って、女心についても精通しているらしい。うらやましいかぎりだ。
しかし、おれは「価値」の低い男なんだなあ。ま、高める努力もしてないけど。

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2009/02/12

みんなで農業、いのちと〝農〟の論理。

みんなで農業を語る。いいだろう。だけど、たいがいのブームはそうだが、そこにいたる歴史的過程や失われた歴史をとびこえて、時代や思想や未来を要約し「トレンド」としてインスタント食品のようにしてしまう。そんな広告屋的仕掛人的わけ知り顔のオシャベリがのさばる。すると、ようするに話題を追いかけ、メディアをにぎわすだけの、「あたらしもの好き」のブームで終わってしまう。

せっかく農業に関心を持ったら、まず、この本を読むことをオススメしたい。かつて、この本で、おれは「農」と「農業」のちがいを知り、「農」と「有機農業」と「まちづくり(当時は「まちおこし」「村おこし」だったが)」の可能性について展望を持つようになった。そして、ついには、このブログで何度か書いて、まだ書きつくしてはないが、1990年前後、バブルな東京を横目に田舎へ、農村や有機栽培農家と関わりのある仕事へ向かった。

この本の影響は大きかった。「農」や「有機農業」、あるいは「農業」が担ってきた地域経済の、新たなあるべき方向への関心が高まった。といえる。サブタイトルに「都市化と産業化を超えて」とあるとおり、これは農業だけの展望ではない、そして「論理」とあるように政策的な視点を持ったケーススタディのまとめだった。だから、ま、「プランナー」の肩書で、なんだか「有機栽培なんか宗教運動や思想運動っぽいだけじゃないの」と斜めに見ていたおれのようなヘリクツこきにも説得力があった。といえる。ついでにいえば、この方向一つで、日本の農業と食の問題の全てが解決するというものではないし、そういうことを述べているのではない。

きのうエントリーに引用した、藤田敏さんの指摘「すべての人にとって農は暮らしの一部として身近にあるべきで、この何十年かはそれが離れすぎていた、それがいま少しずつ取り戻されようとしているのではないか」は、これから引用するところに関係する。たぶん、この本の提言から始まった、さまざまな取り組みの流れのなかで、藤田さんは就農のチャンスを得たにちがいないと思われる。だからまた、藤田さんは体験として実感しているのだと思う。20年以上すぎたが、この本で編著者がまとめたことは着実に実践に移され進展している。

『いのちと〝農〟の論理 都市化と産業化を超えて』(玉野井芳郎・坂本慶一・中村尚司編著、学陽書房1984年)の「序にかえて」から。これは、玉野井芳郎さん、坂本慶一さん、中村尚司さんの連名による。

玉野井さんは、本書が刊行された翌85年に亡くなられた。亡くなられる数か月前だったか、あるいはもっと前だったか、とにかく一年以内だったと思う、仕事仲間が機会をつくってくれてお会いできることになったのだが、かなわないまま伏せられ帰らぬひとになられた。黙祷。

とくに後半の、都市生活者の農業や農村への無関心は「なぜであろうか」述べている点は重要とおもう。「食育基本法」なんぞでは解決しない。そして、ほんの少しずつだけど法改正などによって、「農家の子どもだけが農業を営むことになっている現実は」変ってきている。最近の農業への関心の高まりは、それも関係するだろう。最後に目次も掲載しておく…………


 農業は私たちの生存を支えている。それゆえ、農業を農民の世界にとじこめてしまうことはできない。農村もまた、農業者だけの世界ではない。農村は、農業を基礎としながら、林業、畜産業、水産業、醸造業などの地域産業を生み、食品加工業、窯業、木材加工業、織物業などの地場産業を育てている。
 そればかりではない。農業は都市の用水を供給し、電源開発の用地を提供し、部品工場などの下請産業を引き受けている。基幹産業に季節労働者を送ったり、巨大ビルや地下鉄の建設作業員を派遣したりして、都市化を助ける一方、景気変動による労働力調節のクッション役ともなってきた。ところによっては、都市の産業廃棄物の処理場まで、押しつけられているのである。
 都市の住民もまた、根からの都市生活者ではない。多くは農村出身者であったり、その子孫である。わが日本では、お盆や正月の帰省ラッシュをみると、農村とのつながりが切れていないこともよくわかる。実にさまざまな形で、農業や農村のあり方が、都市の募らしをも決定しているのである。現代社会において農業問題が大切なのは、農業部門や農村地域にとじこめることができないからであり、都市に住むすべての人間を含めて、私たちひとりひとりの生き方を問いかけてくるからである。
 ところが、どういうわけか多くの都市住民は、農業や農村の現実についてあまりにも無関心でありすぎるように思われる。ときには、農業や農村について考えることを、意識的に避けたり拒否したりする人にも出会うほどである。都市住民の暮らしが農業と具体的な接点をもたなくなった、という意見もある。日常的に都市の生活者が、農業の成果を見たり手にしたりするのは、スーパーマーケットの食品売場ぐらいのものかもしれない。もしそうなら、自分たちの食料である穀物、肉類、果実などが、はるか太平洋の彼方からスーパーに運ばれようが近郊農村からとどけられようが大差ない、という人が出ても不思議ではない。
 日本がすぐれた工業製品を諸外国に輸出できれば農業や農村は不要である、と考える人もいる。農産物はすべて輸入すればよいというのである。一八八五年に「脱亜論」を書き、日本がアジアから技け出すべきであると主張した福沢諭吉は、このような「脱農業論」をも説いていた。一〇〇年に及ぶ近代化の体験を経た今日、私たちはあらためて福沢諭吉の理念と格闘しなければならないようである。一九八五年に日本通貨の最高額紙幣は、福沢の肖像で飾られている。なぜ農業を捨てなければならないのか、なぜアジアを捨てなければならないのか。私たちが日本銀行券に問いかけられる時代は、近代化を果たした都市の暮らしを根底的に再検討する好機であるともいえよう。
 本当は農業や農村に支えられ、深いつながりをもっているにもかかわらず、都市生活者の多くは農村に対して無関心である。なぜであろうか。その第一の理由は、都市では所得さえあれば生活のニーズが表面的には都市の中で満たされるからである。第二は、農村側で都市生活者の営農を受け入れるしくみが備わっていないからである。
 スーパーで働く人の子どもだけがスーパーの店員になり、弁護士の子どもだけが弁護士になり、公務員の子どもだけが公務員になる、と決められていれば、都外者たちはスーパーの営業や法律家の仕事や諸官庁の行政に強い関心をもてないであろう。むしろ、無関心であろうと努力するにちがいない。残念ながら、しかし、農家の子どもだけが農業を営むことになっている現実は、誰の眼にも明らかである。農家人口が減少し、農家のあとつぎ問題がいかに深刻化しても、それは農家だけの問題である。農外部門で働く人びとの、農業への新規参入の道は、閉ざされているのである。
 農地法による法的な制約がある。農業委員会による行政上の制約もある。しかし、それ以上に大きな制約は、都市住民が農村に住み、農業を始めるための手がかりがまったくみつからないことである。農業への道が都市生活者には閉ざされているのである。このような閉塞的な状況から抜け出し、誰もが希望すれば農業を選ぶことができる道をつくろう、と考えたのが本書の出発点である。
 本書は、したがって、都市で暮らし、農業に関心をもとうと思ってもその手だてがみつからないという、農外生活者のために用意されたのである。さまざまの農学書や農業政策に関する書物が刊行されるなかで、農業や農村に縁がないと思いながらも、身の廻りの生活を通じて食物の生産される場の問題に関心をもちはじめた、都市住民に読まれることをめざしているのである。

序にかえて 玉野井芳郎+坂本慶一+中村尚司

第Ⅰ部●産業化を超えて

1 生命系の世界を開くために  玉野井芳郎
2 生存のための農業  坂本慶一

第Ⅱ部●等身大と″農″の世界を求めて

1 〝国家大〟の発想から〝等身大〟の発想へ  多辺田政弘
2 もうひとつの日本農業  渡辺善次郎
3 日本の有機農業運動  古沢広祐
4 有機農業の技術的基礎  宇田川武俊
5 アニマル・フアクトリーから有畜農業へ  田中学
6 協同組合の再発見  丸山茂樹

第Ⅲ部●〝農〟をめぐる実践

1 農村社会は変わったか(新潟県月潟村)  中村尚司
2 一〇年目をむかえた有機農業(山形県高畠町) 根本悦子
3 ムラとイエのあいだ(愛知県鳳来町) 足立真理子
4 ボクたちの農学校ができる(愛知県設楽町) 湯本裕和

あとがき

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2009/02/11

ことばの軽い存在のなかで、農業ブームの「真相」を考える。

「武士に二言はなし」というセリフがある。広辞苑には「武士は信義を重んずるので、いったん言ったことを取り消すようなことはない」という解説。

いまは武士のいない世の中だから、武士でもないひとの「武士に二言はなし」を信じる必要はない。また、いま武士でもないひとが「武士に二言はなし」といって約束したことを破ったとしても、責めることはできない。そんなセリフを信じるほうがまちがいなのだ。

けれど、近頃のアホウと呼びたいアソウを初めとする政府与党指導者たちのことばの使い方は、あまりにもお粗末で、考え込んでしまう。「武士に二言はなし」というセリフを知らんのか、と言って見たくなる。自らことばの非を認める訂正や陳謝も少なくないのだが、いちいち釈明が必要になる事態。こういうふうにことばを使っていても首相や大臣などの指導者でいられる政界と日本。話すことばは出まかせ空手形、「愛」だの「好き」だのも空念仏の接頭語みたいなもの、そんなことに慣れっこになっている。

政治や、たいがいのビジネスは、ウソがつきものだ。人間関係もそうだろう。「永遠の嘘をついてくれ」じゃないが、スジの通った上手のうそが、人間どうしのつながりを支えている面もある。「武士に二言はなし」というウソも、「誇張はあれど嘘はない」というヘリクツも、それゆえ存在価値がある。

虚実皮膜の間を生きる人と人のつながりをつくるのは、ことばだろう。ことばの使い方を誤れば、つながりは切れる。はずだ。と、考えたとき、ことばを無造作に使う現在の政府与党指導者が存在していられるのは、何か、ことばが支えるつながりではないものが強くあるからだと推測できる。それは、いったい、どんな「つながり」なのか。

宮沢喜一が首相を辞任したのは、「うそつき」と言われたからだった。かれの「うそ」には、まだことばの存在感があった。だから、かれは「うそつき」と非難され辞任に追い込まれた。かれのうそなどは、いまのアホウなアソウたちのことばの転々とくらべたら、ことばに存在感があったほうだ。

いまは、ことばが、とても軽いものになった。アソウがアホウかどうかのモンダイではなく、アホウなアソウたちの存在は、ことばが軽く虚しくなっていくコンニチを象徴している。これは、どうしたことか。

「ことばを大切に」なんていうやつがいると、「ふん、ことばがなんでえ、この偽善者どもめ」と思ってきたおれだが、近頃のアホウなアソウたちをめぐることばのジケンに触れるにつけ、こんなことを考え、そしてアホウなアソウたちが、ことばを弄しながら開き直っていられる状況を、呆然と見るしかない。いまや、ことばは空しく虚しい。

では、いったい、何が、人と人のつながりを支えているのか。酒か?カネか?あるいは、ずうずうしさ?…。ってことについては、きょうはやめておく。

ってことで、この話は「みんなで農業」の「農業ブーム」につながる。むかしから(1980年代からこっちね)、農業へのアコガレには、いくつかの傾向がある。そのうちの一つは、「自然や土地や植物はうそをつかない」ということだ。だから、うその多い人間社会より土と向かいあって生きたい、あるいは、土いじりするときに「ほんとうの自分をとりもどせる」と。

もしかすると、アホウなアソウたちのような存在が、こういう傾向を支えているのかもしれない。だとしたら、アホウなアソウたちは、「農業ブーム」に多大な貢献をしていることになる。

が、ここは、やはり、「有機菜園 藤田家族」の藤田敏さんのことばに耳を傾けるべきだろう。

霊峰・石鎚を仰ぎ、瀬戸内の陽光を望む愛媛県西条市、「有機菜園 藤田家族」無農薬・無化学肥料の野菜と暮らし。
38歳からの百姓志願~実践編。

2009年02月05日「キャベツ巻き、菜の花も。」で、藤田さんは、「東予地方局長はじめ同地方局の産業経済部長、産業経済課長のみなさんと若手農業者の懇談という企画にお招きいただいた」ときのことを、下記の引用のように書いている。うーむ、さすが、「38歳からの百姓志願」のひとのことばだ。


局長からは農業が注目されているが、どう感じるかというような問い。
僕の答えは(しどろもどろながら……)、農業がいまビジネスとして有望だとかいうことではなく、すべての人にとって農は暮らしの一部として身近にあるべきで、この何十年かはそれが離れすぎていた、それがいま少しずつ取り戻されようとしているのではないか、というようなこと。新しく農業を始める人にとって行政には何が求められるかというような問いには、本人が「こういう農業なら自分にもできる」という具体的なイメージを持てることが大切。その手助けを行政ができるなら、というようなことを答えた。


ここで大事なのは、「この何十年かはそれが離れすぎていた、それがいま少しずつ取り戻されようとしているのではないか」というところだろう。つまり「農業ブーム」というが、フツウのゼロの状態からプラスになったわけではなく、マイナスの状況が、やっとフツウていどのゼロの方向に向かっているということなのだ。

だから、ダメだということではなく、どうやって育てるか。育てることばを持ちうるか。「農」を、「騙る」のではなく、「語る」ことばを、みなが持ちうるか「みんなで農業」。

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2009/02/10

梅は咲いた。おらがこころの花は咲くか。

Ume002ライター仕事以外のことで忙しいときに限って、ライター仕事が重なる。ま、そんなものか。

このあいだ植木屋の親方にもらった、大きな鉢植えの梅の花が咲いた。「雪がとければ越路の春よ、梅も桜もみなひらく、おらがこころの花も咲く」ってなかんじの歌詞は、新潟県の十日町小唄。十日町、いまじゃ十日町市は、おれの故郷、いまじゃ南魚沼市の六日町のとなりのまちだ。

十日町も六日町も、本来なら、まだ豪雪の盛りで、今週末ごろは「雪まつり」。おれがガキのころは、住んでいた町内の神社の境内で壮大な篝火を焚き「旧正月」を祝った。元旦から、これが終わるまで、ほぼ正月気分で、正月が長かった。そもそも雪に埋もれて、やることがあまりなかった。カネもないが酒を飲んで過ごす。

だけど、スキー場ができたり、道路が無雪化されると、そうはのんびりしていられなくなった。神事のまつりは、商売の客寄せの「雪まつり」に変った。

ことしは雪が少ないと聞いているが大丈夫か。万盛庵のまんちゃんのブログを見たら、サーバートラブルで見られない。あのサーバーはトラブルがおおい。「ゆきぐにネット」の「八海山ライブカメラ」を見たら、まあまあ積もっている。寒そう。まだ梅は遠い。…クリック地獄

雪が少なくても、ことしの六日町の雪まつりは、NHK大河ドラマの「天地人」で気合が入っているようだ。直江兼続も上杉景勝も、おれがガキのころは遊び場で山岳部のころはトレーニングの舞台だった坂戸山で生まれた。坂戸山のことは、以前にザ大衆食に書いた。直江兼続や上杉景勝のことは書いてない。坂戸山で岩登りのトレーニングの最中に落ちたが奇跡的に助かったケンちゃんのことや、高校卒業上京前最後の坂戸山登山ということで雪がある3月に友人のマサオくんと登った思い出を書いた。…クリック地獄

先日のスロコメ@下北沢の泥酔論トークライブのとき、1か月後にせまった3月7日の大阪市立大学でのシンポジウム「場所の力――歩きながら考える」のチラシを持っていった。須田さんに渡すと、「おっ、シンゴさんも出るんですか。行きたいなあ、行こうかなあ」と言った。ラッパーのSHINGO☆西成さんの名をご存知なのだ。スロコメ日記に、「是非是非に足を運んでいただきたいのが、こちら!」「スロコメ店主も行こうかどうか思案中のいいイベントです」と、シンポジウムの案内にリンクしてくださった。

このシンポについては、これから毎日のように書きたいと思っている。いまブームのような「まちづくり」「農」「アート」みな関係し、かつ広告屋的運動屋的ブームやムーブとはちがう「まちと土」に足がついた動き。やはり、こういう動きは、東京より大阪で始まるのか。これは、まちがいなく、さらに広がる注目すべき動きになるだろう。この動きの要所は、「あしたの地図」づくりにある。「地図」というものを、考え直さなくてはならない。

シンポのチラシと一緒に、シンポの主催団体であるNPO法人ココルームが編集発行する「ぽえ犬通信」も届いた。特集は「農とアート」だ! 

ココルームも、スロコメのように、あるいは中野のイフォメーションカフェやどのように、ただ飲んだり食べたりするだけではない、人と人の幅広い交流がうまれ、そこからまた何か生まれるような、「インフォショップ・カフェ・ココルーム」を経営している。こういう「プラットホーム型」の飲食店がふえると、未来の花が咲きそうな気がする。ココルームのことは、いずれ詳しく紹介したい。

何かわかったようなことを言ったり、そういうことを言うひとの言いなりになるのではなく、自分で歩きながら考えること、一緒に歩きながら考えること。

そしておれは、原稿の依頼があった、雑穀や農業のブームの「真相」について考えている。おれのこころの花は咲くのだろうか。

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2009/02/08

『残ぱん東京』に呆然とし、「みんなで農業」を考える。

ブログが滞りがちのあいだに、いろいろあった。ぜんぶ書くのは、もう面倒だ。

書評のメルマガ隔月連載「食の本つまみぐい」の締切りが5日だったが間に合わず、一日遅れで6日に送った。取り上げた本は、1975年に発行の『残ぱん東京』(佐竹利允著、食糧問題研究所1975年8月)。もしかすると、マスコミの騒ぎようは、いまの「百年に一度」とかいう不況より、もっとひどかったかも知れない不況の最中の出版だ。つまりオイル・ショックのあとで、日本経済が戦後初めてマイナス成長になった。石油はあと10数年で枯渇し、明日にでも世界食糧危機が到来し、食糧自給率が50%を割った日本は大変なことになる…。

おれは原稿の最後に「ただ呆然と見るほかない。」と書いた。著者である佐竹さんが、本文のなかで、「残ぱん東京」を「ただ呆然と見るほかない。」と書いている。その言葉を使った。あのころと、マスコミの騒ぎようも含め、何も変っていない東京を、ただ呆然と見るほかない。という心境。東京はひたすら消費の増幅を続け、買っては死蔵や廃棄を続け、何も変ってない。

たまたま数日前、「みんなで農業」特集の『BRUTUSブルータス』最新号を買い、ぱらぱら見ていたら、某誌の編集者から電話があった。
「ちかごろの雑穀や農業のブームは、以前のスローフードやロハスとちょっとちがう感じがありますよね」
「そうねえ、仕掛け人がいることではおなじようだけど、受けとるほうが、ちがってきている感じはあるね」
と、あれこれしゃべる。
「そのへんのこと、遠藤さんはどう見ているのか書いてもらえませんか」
「よろこんで」
ということになった。雑穀や農業のブームの「真相」。15枚6000字だから、枚数に不足はない。農業政策は、ということは日本の食糧問題の根幹は、「減反見直し」も含め、ここ数年が正念場になる。だけど、よい方向への変化は、残ぱん東京を見れば期待できない。ふつうなら行き詰まっているはずの死蔵や廃棄を大量に抱えた消費の増幅が続けられる背景は、たった一つしか考えられない。「みんなで農業」を見て、そのカラクリが変るのは難しいような気がした。仕方ないだろう。どうせ仕方ないのなら「みんなで農業」も悪くはないか。

呆然としつつ、いくらか気を取り直し、あれこれ調べたり考えたり。呆然絶望しつつ希望は捨てない。

そういうこと。

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トークライブでジェネギャップに呆然、泥酔のなか「野暮連」を構想す。

きのうは、下北沢のスローコメディファクトリー=スロコメで泥酔論トークライブだった。

先日、須田泰成さんと電話で打ち合わせのとき、「エンテツの大衆食道」の動画を見たのち、泥酔に必携な歌と踊りについてやりたいと話した。歌というのは春歌で、踊りというのは裸踊りが、おれの頭にあった。

「高校のころから覚えた春歌をやろうかとおもっているんだけど」
「ああ、エンテツさん山岳部だったからね」
「そうそう、ほら、国民の酒焼酎は…って歌あるでしょ」
「ああ、ありますね」
「あれは4番5番とうたっていくと、だんだん春歌になるんですよ」
「えっ、そうなんですか、それはおもしろいですね」
春歌というのは基本的に替え歌だから、出だしはフツウでも、どんどん替えて春歌にできちゃう。そこがオモシロイ。それが、どう泥酔論とつながるかは、ま、その場で強引につなげればよいだろう。とにかく、うたとおどりと泥酔なのだ。

ってことで、きのうは、出かけるギリギリになってから、春歌の資料をつくった。「国民の歌」と「ツンツン節」と「かぞえうた」がいいだろうとおもって、ネット検索などで調べたら、「国民の歌」だけでも、いろいろな替え歌があってオモシロイ。ヨシッ、じゃこれだけでやって、ほかのネタはとっておこうと、大急ぎでA4二枚にまとめプリント。途中でコピーして、17時すぎにスロコメに着いた。

このブログで告知しただけだから、ほんとにひとは集まるのだろうかとおもっていたが、まずあらわれたのは、飲み人の会の野暮な連中。それに、なんと、「酒とつまみ」編集のナベちゃんとサイカメさん、そして大竹さんまで。見たことあるけど、はて誰だっけなあという女が女と連れ立って、ほかに知らない顔が何人か。

須田さんの司会で、ちゃらんぽらんと始まった。「エンテツの大衆食道」は鶯谷・信濃路編、3回分に編集されていたのを全部みる。なんといってもナレーションがおもしろい。しばし、須田さんと対談のようなかっこうで、信濃路のおもしろさを話す。話しながら、しみじみつくづく信濃路は24時間いてもおもしろいとおもう。

始まる前の生ビールから、ホッピーにかわり、中のおかわりを焼酎たっぷりにしてもらい、グイグイ飲みながら、おもいつくままに話し、テキトウなところで「国民の歌」に。

この歌は、去る1月2日、上野公園の「さすらい姉妹」公演のあと、団塊世代男二人と行った信濃路で、ある人の話になり、その人が酔うとうたうという「国民の歌」を、まわりには聞こえないようにうたった。もう、大笑いのド春歌なんだけど、おれが資料に持っていったのは、最初のほうは、ふつうに歌うものだ。それが、だんだん春歌になるところがオモシロイ。

おれはトウゼン、誰もが、「国民の酒焼酎は…」という出だしぐらいは知っているとおもっていた。それもたいがい春歌になることは知らないで、出だしをうたう。そうでなきゃ、この話はおもしろくない。ところが、場の雰囲気がおかしい。みながトウゼン知っているとおもっていたが、なんと、聞いてみると、誰も知らないのだ。

信じがたい。おまえら日本人か、日本の庶民か、ブルジョワ階級のつもりか、といいたいのをこらえて、うろたえながら「じゃ、ツンツン節は知っているでしょ」と聞くと、これも知らないという。おまえら、ツンツン節知らないで、高校生のとき何していたんだ!と言いたい衝動と、それすらも声にならない絶望にとらわれ、おれは呆然と立ち尽くすしかなかった。

その場面が、この日イチバンの大笑いのコメディだった。とおもう。そう、だから、こういうジェネレーションギャップを埋めるためにも、トシのちがうものが一緒に飲んで泥酔するのが大事なのである。お互い知っているつもりで、じつは何も知らない。同じぐらいの年齢、同じような業種、同じような趣味、同じような話題の、「話のあう」ひとたちと飲んでいるだけじゃ、コミュニケーションギャップは埋まらず閉塞とクライシスに陥る、だからもっと泥酔を、てなオチで終わった。ような気がする。

トークの最中に、瀬尾幸子さんが入ってきた。終わって懇親会。なーんと、始まる前の「見たことあるけど、はて誰だっけなあ」は、アノニマ林かんなさんだったのだ。いやあ、痩せたんでわからなかったよ、と言ったのだが、ほんと。もしかすると5年ぶりぐらいか。自宅まで行って飲んだり、祖師谷で飲んだり、店を始める前の大田尻家で飲んだり、何度も会っているのに、ほんと、スマートになったんでわからなかった。しかし、まあ、うれしいこと。そして、初めて会った何人かのかたのなかに、2008/12/08の野狐禅の「ならば、友よ」にコメントをいただいたKOWさんがいた。すごくうれしいことなり。

瀬尾さんとお仕事中の編集者の方を紹介され、頼まれたことは、忘れないで覚えている。大野さんが、若いドイツ人女を含む3人と連れだってあらわれた。とかとかとかで、酔いは深まるばかり。おお、電車がなくなるよ~。池袋乗換えのくわじまゆきおさんや、KOWさんらと連れ立って出る。赤羽で宇都宮線最終電車に間に合った。

トークの最中、すぐ前のテーブルに陣取っていたのは、ほかの人たちには「エンテツ親衛隊」と見られるようになったらしい、いつもの顔ぶれだった。野暮な男たち。シノさん、タノさん、コンさんは一度渋谷の飲み会へ行きまたもどってくるという熱、クマさん。かれらは、やはり、どう見ても野暮だ。酔いと呆然のなか、ふとおもった。おれもそうだが、都会的な洗練だの器用だの上手だのは関係ない野暮なニンゲンは、かわいい。そうだ、「野暮連」をつくろうと閃いたのだった。次回、もしスロコメで三回目の泥酔論のトークライブがあるとしたら、「泥酔と野暮の居場所をめぐって」にしよう。

みなさん、どーもありがとうございました。
しかし、誰かが言っていたけど、スロコメは、ちょっとほかにはない、まったりなよい雰囲気が熟成されてきた。須田さんの人柄か。

スロコメ日記…クリック地獄

参考。一番だけでも、いろいろな「国民の歌」

国民の酒焼酎は、安くて回りが速い
一級酒は高すぎる、ビールでは腹が張る
国民の酒焼酎は、安くて回りが速い

国民の酒 焼酎は 安くてまわりが早い
ビールでは腹が張る ウイスキーじゃ 高すぎる
国民の酒 焼酎は 安くて まわりが早い

国民のお酒、焼酎は、安く~て量がある
日本酒は高すぎる、ウィスキーは柄じゃない
国民のお酒、焼酎は、安く~て量がある

国民の酒 焼酎 安くて回りが速い
一級酒では高すぎる ウィスキーでは強すぎる
国民の酒 焼酎 安くて回りが速い

国民の酒焼酎は 安くて量が多い
洋酒では 高すぎる ドブロクは 酔いすぎる
国民の酒焼酎は 安くて量が多い

元歌は、KOWさんがyoutubeで見つけてくれた。ド革命歌の「赤旗の歌」日本語版。
http://www.youtube.com/watch?v=t8rs_p4YTFQ


さらに、ふろく。前のエントリーの画像の追加。ダビちゃんは、そんなに酔っていたとはおもわなかったが、おれが酔っていて判らなかっただけで、帰るころはロレツがまわらない状態だったらしい。翌日も激しい二日酔いだったそうだ。けっこうよく踊っていたから、酔いがはやかったのかもなあ。飲んだときの歌や踊りは、上手である必要はない。野暮でも下手でもいい、どんどん好きなように歌って踊って飲んで泥酔を楽しむ。そうだ、こんどダビちゃんにフランスの春歌についてきいておこう。
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2009/02/05

「オラ メヒコ!」なテキーラとサルサで泥酔の夜。

きのう。メキシコ大好き渡航10回ぐらいのさわちゃんが、ハッピーニューイヤーをやりにメキシコへ行き買ってきた、こちらでは入手困難なアガベ純度100パーセントのテキーラ宴会。くらちゃん、おくちゃん、さっちゃん、あんどフランス人のダビちゃん。さわちゃんはサルサのCD音盤も持参。くらちゃんは肉と鍋、おくちゃんは自作のパン、みなで持ち寄ったり作ったり。酒豪ぞろい、ビール、テキーラ、ワイン、清酒をガンガン飲み、サルサを踊れば、すなわち泥酔のうちに夜は更けた。といっても、みな若いし酒が強いから、泥酔したのはおれだけ。ありがとう、楽しかった。

とりあえず、画像。あとで書き足すかもしれない。(以下、追記)

Sarusa005さわちゃんのメキシコみやげ一式。グラスはテキーラ用ではなく、キューバで購入したテキーラを飲むのにも適な大きさのもの。テキーラは、左、色の濃い方が38度で、芳醇系というかまったり系、右の透明に近い方は40度で辛口系というかさっぱり系。このアガベ純度100パーセントを手に入れるためもあって、さわちゃんはメキシコまで行くということなのだが、なるほど、これまで飲んだテキーラのクセのある印象とはちがって、ただただうまいアルコール。下の画像は、メキシコの新年パーティーで使用の、HAPPY NEW YEARの髪飾りとラッパ。
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Sarusa013くらちゃんが持参した塩とハーブで下拵えした豚肉と、楕円のホーロー鍋。じっくり一時間以上かけ牛乳で煮込んだ。できあがったものは、酔っていたし、食べるのが忙しく、撮影を忘れてしまった。ほかに料理は、メキシカンなチリビーンズとトルティーヤ、タイ風生春巻き、おれは「和風」でせまり、ダビちゃんはタマネギとトマトでパンにつけるソースを作った、などいろいろだった。
Sarusa014_2テキーラは、(右利き人は)右手にくし型に切ったライムを持ち、左手の親指を立てるようにすると付け根にできるくぼみにライムを少し搾ってたらし、そこに右手で塩をのせる。塩はすぐライムにとけるから、すかさず右手にライムを持ち直し、すかさず左手にテキーラを注いだグラスを持ち、すかさず親指の付け根のライム塩をペロッとなめ、すかさずテキーラを一息に飲み乾し、すかさず右手のライムをガブッとかじる。すかさず、よい芳香と味が口中をみたす。すかさず、酔いがまわる。テキーラは、「すかさず」な酒なのだ。そして、2本の瓶をあけても、誰もテキーラに腰をとられることなく、さらに飲みまくり、ダンス、ダンス、ダンス…。
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2009/02/04

せまる2月7日泥酔論トークライブ。

あわただしい。気がついたら、泥酔論トークライブは今週の土曜日じゃないか。こんどは、ここに告知するだけじゃなく、みなさんにメールで案内をして、たくさん超満員になるほど来てもらおうとおもっていたが、それどこじゃない。

ですが、また今回もおもしろまじめに、バカバカしく泥酔できることまちがいないとおもうので、どーかみなさん誘い合って、全国から下北沢のスローコメディファクトリー=スロコメにいらしてください。

2009/02/02「二日酔いにもいろいろあって。」に、「泥酔しても泥酔前にした約束は守る。でなければ、泥酔は信用破壊になり、泥酔の価値は損なわれる。という泥酔論を、こんどの泥酔論トークライブでやるか。ああ、かなしき泥酔二日酔い約束破り、これであんたとわたしはオシマイよ、こっちの約束なんかほって、誰でも好きなひとと泥酔したらいいでしょ、って。あたりまえすぎてツマラナイか」って書いたように、そういうあたりまえすぎてツマラナイ話はナシですね。

バカな泥酔論者は、なにがあっても、バカな泥酔論者なのだ。泥酔二日酔いのやつに、約束をキャンセルされた、仕事をすっぽかされた、大きな契約を失った、としても、そーんなこといいじゃないか。大事にされてない、ふられてアタリマエ、約束を破られても仕方ないスカな軽い存在、いーじゃないか。明日の約束より今夜の泥酔のほうが大事、明日の一億の契約より今夜の一杯が大事、明日の愛人より今夜の愛人が大事、そういうことなのさ。なぜなら明日まで生きていられるかどうかわからないからね。世の中ってそうなのよ、人生はジョークよ、と、約束破られたら、自分が飲んで泥酔すれば、いーじゃないか。そして、自分も泥酔二日酔いで約束破って、なにが悪いと開き直ることから始まる。これで世の中まるく…ということで、今回は、ハテ、何が飛び出すか、またもやその場に来ないと手に入らない貴重で高度な泥酔資料と、前回はなかった小道具を持って行きます。みんなで泥酔しましょう。

「泥酔論~いまこそ泥酔を!
 ~100年に一度の経済危機を乗り切る方法~」
2月7日 開場17時、開始18時。詳しくはスロコメ日記…クリック地獄

とりあえず、急いでいますんで、こんなところで。前回12月13日は、こんなかんじでした。…クリック地獄

先ほど電話で須田さんと打ち合わせました。須田さんとの仕事で短いイノチでおわり、めったに見れないレアな作品となった「エンテツの大衆食道」の鶯谷・信濃路編を見られるようにします。昼間から信濃路で泥酔しているおれの映像、編集製作がうまいから、これだけで笑える。トークライブは、これを見ながら始まることになるでしょう。あとは、うふふふふな、おたのしみ。

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2009/02/02

ほどよい、ミーツ、ラブたまご。

2009/01/31「ぼうずコンニャクさん、怒りの幕の内弁当。」に「ミーツの特集は、「ラブ たまご」。めくるめくパーンクなたまごワールド。不況下の貧乏人も薄金持ちも見栄金持ちも楽しめる、たまご料理。じつにタイムリーだし、待っていたぜ、こういうの。」と書いた。

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『ミーツ・リージョナル』3月号の特集「ラブたまご」は、ほんと、レボリューションだよ。

おれは、『現代日本料理「野菜炒め」考』を書いたときから、「現代日本料理考」シリーズとして、つぎは「マカロニ・サラダ」をやりたいと言っていたし、編集後記で堀内恭さんも、「「野菜妙め」というありふれた料理について深遠な考察をしてくださった。「雑多」で「アイマイな」料理の中に日本人の力強さを見出す……遠藤さんに脱帽したい。遠藤さんにはしつこく、次回は「マカロニサラダ」執筆をお願いしたい。」と書いた。

そのころ、「マカロニサラダ」のほかに「サバ味噌煮」や「ジャガイモ料理」や「汁とスープ」などと並んで「たまご料理」などが、おれの構想にあった。

これ、こうやって並べてみるとわかるとおもうが、それほど「職人技」として注目されてないし、日常的に親しまれてきた地味な「副食」や「脇役」である。

ちなみに、あの『dancyu』のばあい、こんなぐあいだ。2月号「人に教えたくないラーメン」「「家庭鍋」グレードアップ計画」、1月号「名店直伝旨い「おせち」で酒が飲みたい!」「おいしい餅が食べたい!」、12月号「発表!dancyuワイン大賞」「うまいソーセージの新定番」、11月号「ご飯は、もっと旨く炊けます!」「ときめきのホルモン!」、10月号「おいしいスパゲッティ大図鑑!」「「お好み焼き」の魔力」、9月号「ふたりで、焼き鳥」「焼酎が光る食卓」、8月号「日本一のカレー集めました」「トマトは偉い!」。

ふーむ、じつにその、なんである。そのなぜかは、ま、グルメ系編集者や読者は、あまりオリコウでないひとたちであるから、というふうに考えている人たちがいるようだけど、その追求は、どなたかにまかせるとして、とにかく、「たまご」をテーマにしたのは、さすがミーツの編集、ということにしたい。

だけど、そのミーツにしても、ミーツは「ミーツ」であり、そこらのグルメ系雑誌とはちがうにせよ、特集はこんなぐあいだった。前月2月号「毎日でも、中華が正解」、1月号「20周年記念永久保存版ミーツの100店」、12月号「この週末行こう、旨い旅」、11月号「自腹レストラン」、10月号「ザ・めし」(おれが巻頭エッセイを書いているね。そして「品切」)、9月号「辛ミーツ」、8月号「今飲みたい、街の酒」。

やはり、ミーツは、かなり、オリジナリティに向かう姿勢がちがうな。ま、東京=中央は、チョロイのですね。

そのミーツだからできたのか、「ラブ たまご」。巻頭グラビアは「トロトロ、フワフワ、ムッチリ、タラリ…。ミーツ史上最大セクシーなたまご料理写真集!」という「原色たまごグラビア」。続くメインは、「もう脇役とは呼ばせない!今食べたいたまご主役なメニュー、7種32皿。」の「たまごメニューレボリューション。」だ。そこには「たまごかけご飯」を筆頭に、「たまごサンド」「親子丼」「だし巻き卵」「オムレツ」「オムライス」「カルボナーラ」。

そして、「ブランド卵クロスレビュー」「たまご便利調理器具評から養鶏場直撃ルポ、ファミレスめだハン・ミシュランまで」という「健康(?)たまご生活」な、たまごサブカル。

まだまだ「たまごへ欲望一直線。 キミをああして、こうしたい」と、たまごのキミをだね、「割りたい」「絡めたい」「受け止めたい」と、街場のたまご料理がならぶ。コラムは「三大欲求オールクリアのたまごソース」。「[番外編]タルタルソースに溺れたい!」さらに「どの酒場にも旨いたまご一皿。キャラ立ちアテたまご」だ。

いやあ、すごいね~。ズラリのたまご料理もそうだが、そこから関西のまちが見えてくる。「たまご」で、ここまでやれるんだなあ。らくしないで、がんばって雑誌づくりをしている。こういう雑誌が生まれる関西なのに、どうして経済は沈下なのだろうか。それも、東京=中央が、制度を利用して、なんでもすいあげてしまうからなんだろうなあ。東京=中央の連中は、らくちんして、自分の実力だとおもって自惚れているが、とんでもない。

なーんてね、いろいろ考えちゃうのだった。

いや、それで、今号の連載コラム、ま、例によって、「江弘毅お街語り」じゃ「「大間産マグロの向こう側」と、産地ブランドに踊る消費社会をバッサリやっているし、「大阪のぞき」じゃ木村衣有子さんが「水都」と呼ばれる大阪の水の上を走る「アクアライナー」に乗って、やや平板な文章だけど、乗ってみたいなあとおもう上手な文章を書いている、が、松本創さんの「ニュース、「斜め読み」のススメ」がツボだった。

タイトル「雇用不安社会」で「身の丈忘れて踊った俺もバブル世代だったか」の見出し。「バブル的発想を脱しきれてない」現象をあげ、「そういう考え方に、下の世代はいら立って(しらけて?)いるんだろう」「ええやん身の丈で、と思う。バブル世代の欲望は明らかに身の丈を超えていたのに、ロスジェネは身の丈の仕事や生活すら危うい世の中。なんでこう極端なのだ。「これぐらいでちょうどいい」という感覚を共有するのは、そんなに難しいことなんだろうか」と書く。

「これぐらいでちょうどいい」というのは、自らのスタンダード、「ほどよさ」ということになるだろう。これが、かなり損なわれたのは、確かにバブル期だったとおもうが、「身の丈忘れて踊った」なら、それ以前にも、高度経済成長下での「中流意識」、日露戦争の「戦勝気分」や第一次世界大戦後の「成金気分」などがあるし、それらは無関係ではないだろう。そう、いってみれば、どれも「成金気分」なのだな。

だから、「バブル世代」や「ロスジェネ」といった「世代論的」なわけかたも、おれは「団塊」については、ま、それなりにあるとおもうが、このモンダイは世代的というより、極端な東京一極集中の構造に根深いモンダイがあるようにおもっている。東京が右をむくとみなが右をむき、東京がウンコをするとみながウンコをする極端な振子。

「ほどよさ」というと、2009/01/31に書いたように、幕の内弁当や汁かけめしの美学や発想にも関係する。たまごも「ほどよさ」であるだろう。そういうものが、バブルな気分を絶えずリードしてきた東京=中央のメディアのテーマになりにくいのは、偶然ではないとおもう。所有するだけ所有し、占有するだけ占有し、蒐集するだけ蒐集する。東京は、そのように「これぐらいでちょうどよい」を失った感覚が、大小のメディアを支配するところといえる。そして、全国の「東京あこがれ」な人たちは、そのメディアを通して、そんな「東京現象」とつながってきた。

「三つ子の魂…」というレベルで見れば、70年前後生まれぐらいからこっちは、世代に関係なく「中流意識」なバブル気分の洗礼を受け、バブル期のバブル気分はそれにのって膨張した、それをどう裁くかは自らのモンダイとして残っている。と、ま、きょうは、これぐらいでおわるにあたり、木村衣有子さんの『もうひとつ別の東京 ひそかに愛し、静かに訪ねる55景』(祥伝社)から、バブルな気分を放逐する文章を引用しておく。

「学生気分」という言葉をつかっているが、これは「バブル気分」にも通用するし、ようするに何かで舞い上がり「ほどよさ」を失った気分とみてよい。この文章は、物書きは文章技術以前の観察や思考が大事だということを、教えさせる。長いあいだ消費主義的なバブル気分を文学的にリードしてきている、自意識過剰な「私語り」「自分語り」の文章にはない観察や思考ではないだろうか。東京=中央で、ちょっとばかりメディアにのったり稼いだぐらいでいい気になってちゃいけないのだな。

「お茶の水 山の上ホテル」から

 これまでに山の上ホテルに宿泊したのは、ふた晩。
 最初は、まだ学生気分が抜けない年頃だったとき、同い年の女友達と。素敵なホテルだと、憧れが高じてふたりでわくわくと予約した。今思えば、その気持ちだけが先走っていて、分不相応だった。ある場所に憧れることと、そこにためらいなく、けっして浮かない自信を持って身を置けるようになること、ふたつのあいだにはけっこう距離がある。
 

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二日酔いにもいろいろあって。

きのう東大宮駅で16時に吸うさんと待ち合わせ。飲み屋があくには微妙な時間のうえ、日曜日だったから、行くつもりだった飲み屋は休み。なので近頃あちこちに土地の名前で出店が目立つ東大宮ホルモン乾商店へ。まず生ビール、そのあとキンミヤを一本とって、あいたところで二軒目。10名入らないカウンターだけの、おやじが一人でやっている屋台のような、うらぶれ加減がいいおかめ。記憶が、やや不確かに。のち、やはり、いづみやへ行こうと大宮へ。梅割りのち燗酒とやっているうちに泥酔記憶喪失。何時に帰ったかわからない。朝目が覚めたら、着替えないまま布団の中だった。頭痛が残る。

頭痛が残る二日酔いでも約束は守る。二日酔いで約束をやぶることは、約束した相手を軽くみている、すくなくとも前夜一緒に飲んだひとより軽い扱いの証明だから、相手にとってこんな無礼侮辱はない。泥酔しても、そのことは忘れない。約束なんかどうでもよいとおもうようになったら泥酔はかなしい。約束をやぶられたほうは、何度もそんなことが重なったら、その相手を信用しないほうが賢明だろう。どうでもよい扱いをされて、なおかつ信用するお人よしもいるかもしれないが、そんなところに人間関係は成り立たないだろう。人間関係のための飲酒が、そこで逆転する。

泥酔しても泥酔前にした約束は守る。でなければ、泥酔は信用破壊になり、泥酔の価値は損なわれる。という泥酔論を、こんどの泥酔論トークライブでやるか。ああ、かなしき泥酔二日酔い約束破り、これであんたとわたしはオシマイよ、こっちの約束なんかほって、誰でも好きなひとと泥酔したらいいでしょ、って。あたりまえすぎてツマラナイか。

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2009/02/01

「雲のうえ」5号の感動に、しみじみ感動。がんばれ、めぐみちゃん、全国の食堂のかあちゃんとうちゃん。

そのブログで、めぐみちゃんは、こんなふうに書いている。
テキトウに要所を引用するので、必ず、下のリンクから訪ねて、めぐみちゃんスタイルの全文を読んでほしい。


心奪われました。

北九州市が発行してます「雲のうえ」
ブルータスかなぁ。
紹介されてて、送ってもらいました。

やられました。
第5号「めし大盛にしとって!」
これ見てなんとも言えない気持ちになった。

そもそも実家が食堂でして。
自営のしんどさ。
両親を見てていっつも思ってた。
自分で商売はしたくない。
・・・。
ほんと、思ってた・・・んですが。
私。
私・・・。
食堂がしたい!
そう思った。

「雲のうえ」
・・・。
第5号に出会ってから・・・。
あ・・・。
わかった。
私、食堂やりたい。
お父さんとお母さん。
細々ながら「食堂」
続けております。
25年。
すごいや。
適当にやってんなぁ・・・と少しバカにしてたフシもあります。
ごめん。
反省。
いろんな事いっぱい乗り越えて。
それでもやってんだ。
・・・。
食堂。
夢の食堂。
やっぱ血は争えない。
私。
食堂やんのが夢です。
ずっと・・・。
ずっと、先。
もっと、お勉強して。
懐の深い人になって。
細々でいいから。
大好きな食堂。
・・・がしたいです。
・・・だから。
頑張る。

……以上

「このブログは、石川県金沢市にある布団屋「石田屋(いしたや)」で働くスタッフが書くつれづれ日記です。」と説明がある「石田屋的ブログ「人生いろいろ」」に掲載されている。

2009年1月23日
めし大盛にしとって! * 石田屋ふとん道[めぐちゃんのあうん食堂]
http://www.ishitaya.com/iroiro/2009/01/post_716.html

「めぐちゃんのあうん食堂」についは、「AUNカフェの店長めぐちゃんこと、大道めぐみの身の回りのゆるやかな雰囲気が伝わる、ゆるやかな日記。短い文章とキレイな写真。ん~アーティスティック!!!」と紹介されている。

うれしい。
日本の全ての食堂関係のみなさんに読んでほしいね。
めぐみちゃんのご両親の食堂にも行ってみたくなった。

『雲のうえ』5号は、いったん在庫切れになったが、返本があって、いまなら手に入るようだ。
ザ大衆食「北九州市『雲のうえ』5号 特集「はたらく食堂」のすべて」からどうぞ…クリック地獄

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