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2009/02/15

浅草橋西口やきとんの「貧乏くささの居場所」で泥酔記憶喪失。

きのう書けなかった追記。

たとえば、水洗便所の普及でワレワレ(ワタシ)はどう変ったか、そして変ったワレワレはどこへ行こうというのか、ということなのだ。

地域差はあるが、下水道が完備し、汲み取り車が東京の日常の風景から消えたのは、たぶん1970年代を通してだった。そのことがワレワレの感覚や考え方に、どういう影響を与えているか。もう水洗便所以前のワレワレ自身を忘れがちだ。「昭和ノスタルジー」にしても、「まちづりくり」にしても、あるいはグルメやファッションのことにしても、水洗便所で可能になった高層ビルのように便所のニオイのしない、したり顔のアートや観念やビジネスが表層を覆っている。だけど、そういう動きは、ほんと表層のことなのだ。

浅草西口やきとんは、五十嵐さんもときどき利用していた。4人だから奥のテーブルとおもっていたが満杯、立ちで4人にちょうどのテーブルがあいた。そこで飲み始める。「下北沢以来でしょうかね」「いや、おととしの12月か11月ごろ、コンビニのワークショップで」。

調べたら、10月のことで、2007/10/29「コンビニって、なんじゃらほい」に書いてあって、五十嵐さんにコメントもいただいていた。

五十嵐さんと原口さんのプロフィールを、シンポジウムの案内から転載すると、こうだ。

五十嵐泰正(筑波大学専任講師/都市社会学) 1974年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程満期退学。東京・上野の商店街で社会学的な調査に取り組むかたわら、34年間暮らしてきた千葉県・柏でまちづくり団体にも関わる。主な仕事に、「都市における多様性をめぐるいくつかの断章」『年報社会学論集』第18号、「異郷に生きる アウェイの戦い」『現代思想』Vol.35-7(アンジェロ・イシ、洪貴義との鼎談)など。

原口剛(大阪市立大学都市研究プラザ/地理学、日本学術振興会特別研究員・神戸大学) 1976年千葉県生まれ、鹿児島育ち。2000年に大阪に移住して以降、釜ヶ崎の戦後史や野宿者の現状、都市論や社会・空間的排除論などについて研究をしている。2007年、大阪市立大学文学研究科博士課程修了、博士(文学)。論文に「「寄せ場」の生産過程における場所の構築と制度的実践」人文地理55(2),pp.121-143, 2003など。

上野を調査中の五十嵐さんから、ザ大衆食に掲載の閉店になった上野駅地下のグラミの記事を見てメールをもらったのが、そもそもの始まり。2005/03/25「横丁路地そして東京や「下町」を考える」を見ると、このエントリーの前日、3月24日に、上野で会っている。そのとき、ま、上のプロフィールは職業的にこういうカタイ表現にならざるを得ないのだが、便所レベルのことから実態を積み上げるように話ができる、おもしろいひとだとおもった。

その五十嵐さんから誘いがあって、06年7月2日のカルチュラル・タイフーン2006下北沢「都市を紡ぐ」のセッション、「闇市と昭和の記憶、大衆の痕跡」にパネラーとして参加することになった。そのとき、五十嵐さんは司会、パネラーに原口さんがいた。原口さんと五十嵐さんは東大の縁で、地理学専攻のため原口さんは大阪市大の大学院へ行ったのだった。2006/06/24「カルチュラル・タイフーン 2006 下北沢の顔合わせ」に書いてあるが、6月23日に初めて原口さんと会っている。原口さんも、大阪の寄せ場研究で下世話な飲み屋の世界にも詳しく、五十嵐さんのように便所レベルのことから話ができるひとだった。

彼らは、やはりいろいろ調査研究しているから、おれが体験的な話をすると、みごとに昇華整理してくれるので、ナルホドおれの便所体験はそういうことだったのかと理解できるよろこびがあった。それにしても、五十嵐さんは「都市社会学」、原口さんは「地理学」が専門なんだが、これまでのそうしたものとはかなりちがうイメージの取り組みで、おもしろくなりそうだなあ、しばらく付き合って眺めていたいねえという感じなのだ。とくに地理学については、歴史より端物あつかいだし、なぜ地理が文学に属するのか(原口さんの博士号は文学だし、大学の地理学科も文学部になる)不思議だったが、原口さんのおかげで納得できた。おれの理解は、「場所」という言葉で、より鮮明になった。これからの「まち」と「食」を考えるためには、欠かせない。

1970年代、水洗便所に不可欠な下水道の普及率は、「都市化」の大きな目安だった。そして水洗便所の普及で、ワレワレが極めて複雑な場所に置かれたのは、1980年ごろからだった。便所くささを引きずっているような大衆食堂や大衆酒場は、水洗便所な市民から「貧乏くさい」と嫌われるようになった。ところがいま、その水洗便所な市民の「大人の男」が、「モテごっこ」「ナンパごっこ」「恋愛ごっこ」をする舞台にまでなった。

と、自分の整理のために書いた。

西口やきとんでの話は、じつは、あまり正確に覚えていない。立ちで飲み始めたこともあって、酒のまわりが早く、テーブル席があいて移ったころには、すっかり酔っていた。それから本当にシンポの打ち合わせらしい話になったと記憶しているのだけど、よく覚えているのは、前日の午後に食べに行くところ、当日7日の終わったあとの飲みの場所、その翌日のことなど、本番前後の飲み食いのことばかり。

でも、おれは酔って記憶喪失していても、話はチャンとできるんで、いい打ち合わせになっている気分でいた。しかし、ほとんど思い出せないなあ。「貧乏くささとは」ってことについて話していたな。「貧乏」と「貧困」のちがい、都市にある貧困じゃない貧乏くささ。「パーソナル・ヒストリー」のことなんかも話していたな。いまじゃ、ファミレスやファーストフードチェーン、ワタミのような居酒屋チェーンのほうが貧乏くささの居場所になっている、なぜか、とか。おれが最初に15分ぐらい報告するの?そんな話もあったような気がする。写真を用意した方がよいと言われたような気がするけど、どんな写真の話だったか思い出せない。

ようするに、そういうわけで、たぶん酔っていても記憶力抜群の五十嵐さんと原口さんの二人から聞けば思い出せるとおもうから、アンシンしている。とにかく、おれは体験にもとづいた具体的な話をするしかないし、それは五十嵐さんと原口さんがうまく引っ張り出してくれるはずだし、うまく理論的にまとめてくれるにちがいない。なので、アンシンしている。

いいのか、それで。

でも、これは、おもしろいことになる。酔っぱらって話しながら、そうおもったから、まちがいない。

23時近くになって、おれは終電が気になりだした。なんども時間のことを言うと、そのたびに五十嵐さんに「大丈夫、だいじょうぶ」となだめられていたような気がする。彼も上野乗換え常磐線だから上野まで一緒なのだ。それじゃ勘定してという時間になって、「まだ野狐禅の話などできてない」というようなことを野狐禅大好きの原口さんが言った。今回のシンポジウムの1部ドラマリーデイングライブ「こころのたねとして」には、ラッパーのSHINGO☆西成さんも登場するし、メールの打ち合わせでは、五十嵐さんも関係する「常磐道」のことも話題になっていた。でも、マジメにテーマに関わる打ち合わせしていたので野狐禅や音楽の話はできずじまいだった。それは、こんどということになった。

上野駅まで五十嵐さんと一緒だったはずだが、よく覚えていない。終電一本前に間に合った。

えーと、話題は変わって関係ないこと。おれがブログに書いていること、本気と冗談の区別がつかないと言われるんだけど、ぜんぶ本気で、ぜんぶ冗談なのね。本気と冗談は相反するものじゃなくて、本気のなかに埋め込まれている冗談、冗談のなかに埋め込まれている本気、という関係がイチバンおもしろいわけ。ぐふふふふふ。

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