男と女のバイオレンスな時代なのだなあ。
なんだか、今日明日は、あわただしいぞ。今日3月31日は、今年度最後の日だ。まずい、やばい、明日はもう、すべてがウソの4月1日だ。どうなるのか、どするのか。新年度も続くのか続けるのか、各種作戦。なんだか戦争好きそうな連中は、北ロケットで、「平和憲法平和ボケ」日本人の危機感を煽るために好都合とばかりはしゃいでいるようだが、こちとらの作戦は、そんな洗練された戦争屋の作戦とはちがい、野暮で色っぽくて平和的なのだ。
新年度作業のために資料を片付け、というより探していたら、さいたま市が発行する男女共同参画社会情報誌『夢』という冊子の3月1日発行号が出てきた。「恋人同士でもDVに注意!携帯電話によるデートDVも…」の見出しの記事。
「急に機嫌が悪くなったり、優しくなったりして、いつも気をつかわされる」「「バカ」「頭が悪い」などと暴言をはかれる」ってのが、その精神的暴力、DVになるらしい。
ま、わからなくはない。おれもずいぶん同様な目にあって、精神的に悩まされ傷つき汚れ屁をたれ、酒量が増えた。だけど、これって、ようするに「気まぐれ」のやつ「気難しい」やつってのは、けっこういるんではないだろうか。気まぐれで気難しくて「急に機嫌が悪くなったり」「いつも気をつかわされる」やつ。おれのまわりにもいる。
よく考えれば、誰だって、そういう面はあると思う。もっと、ひとの「気まぐれ」を楽しむ余裕というか、「気まぐれ」を楽しむコミュニケーションも必要なのじゃないだろうか。だいたいね、いつも「優しく」なんてしてらんないよ。それに、そんなに、いつも優しいぬくぬくした関係って、ただメンドウがないというだけで、空虚なんじゃないだろうか。
いや、ま、この記事が言わんとすることは、そのていどのものじゃないのだろうが、片方で、ではヒドイ暴言を吐く「気まぐれ」と、どう付き合うかは考えられているのか。と、おれは言いたいわけであります。
それに、「無言」「無視」の、圧力や脅迫もある。「無言」「無視」が、大きな精神的暴力になることもあるだろう。無視された人間は怒り、「殺すぞ」なんて、バイオレンスな言葉を吐くこともある。それがストーカー行為になることもあるようだ。実際に、やっちまうこともあるようだな。相手の「無言」「無視」を心配して、「気をつかわされる」ことだってあるだろう。そのような「無言」「無視」なバイオレンスは、いったいどうなるのだろう。やはり、これだって、「無言」「無視」と、どううまく付き合うかという問題もあるんじゃないだろうか。もちろん「無言」「無視」ではなく、ちゃんと意志なり考えを伝えることを前提としてだが。
ようするに、いつだって、異文化人とコミュニケーションするような、覚悟や方法が必要ってことか。まわりじゅう異人種だらけなのだ。
てな、ことをですね、今年度の終わりにあたり、考えたのであります。
ようするに「精神的」ってことになると、個人差がある。心配して声をかけても、「うるさい」なんていう反応があったりするほど、相互の違いは大きい。おれなんか「口が悪い」といわれるが、口の悪さだって、個人差がある。
だからこそコミュニケーションが大事だと思うが、近頃はコミュニケーションの課題としてどうするかではなく、すぐコレはダメ、アレはいけない、それはバイオレンスだ、嫌いだ好きだウンコだ、ってことで杓子定規に片づけようとする傾向が気になる。荒っぽいコミュニケーションだってあるのだ。人間関係は、禁煙強制のように、ヤバイことは封じ込めてしまえばよいなんていう考えで、うまくいくのだろうか。
それに、ネット上にも氾濫する「恋愛マニュアル」のようなものって、「マナー」だの「コミュニケーション」だのと言いながら、「かけひき」のたぐいが多い。
なんか、けっきょく、「かけひき」か「バイオレンス」か、という感じになってしまうんだなあ。もっと大らかなコミュニケーションを追求したいものだ。世の中はカリカリしているけど。だからこそ。
いじょ、今年度の総括と来年度への展望であります。
そうそう、この冊子の特集「女性のチャレンジが社会を元気にする!」だって。「諦めなければ いつか必ず夢は叶う」ってな記事もある。ぶっ、諦めなければ、ストーカーになったり、殺人者になったり、無一文になることもあるんだが、たいがいこういう話をするひとは「成功者」だけだからね。「夢」もいいが、どう生存するかのことが欠けたら、しらけるだけ。
男女共同参画社会基本法にもとづくお役所仕事の出版物だろうから、役人の考えている「男女共同参画社会」が、晴れ着の下のボロのように見える。
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