泥酔、記憶って、なんだろう。
もともと、自分のことは信用してない。記憶は穴だらけだし、気分はコロコロ変る。だから、まちがわないようにしようとするが、まちがう。たびたび書いているように、このブログに書くことは、本気にしてはいけない。たいがいは、こうありたいという願望や原則であって、そんなことは知ったことじゃない日常だ。
とはいえ、これには、おどろいた。2009/03/01「鶯谷、上野、新宿。昼酒夜酒。」に書いた、28日のことだ。そこには新宿でバー猫や(こんな名前のバーはないが)へ行くまえに、喫茶店「らんぶる」へ行って、クリームソーダを飲んでいることが書いてない。
そのはずだ、記憶になかったのだ。たしかに、猫やへ行くのに、新宿駅のほうから行かずに反対側から行った記憶はあった。ところが、なぜそちら側から行ったのか、思い出せない。ありえないことだ、おかしい。と思っていた。
一緒だった大野さんから、携帯で撮った画像がメールで送られてきた。
見て、アッ、と声を出した。
そういえば、おれが上京した当時の、1960年代前半のままの店内が残る「らんぶる」を、大野さんも神さんも知らないというので連れていったのだ。そしてクリームソーダを頼んだのだ。
しかし、不思議だ。そのあと行った、猫やで、こちらが美女連れだったからか、御機嫌なマスターに聞きたかったことを聞いた。それは、よく覚えている。
そもそも、おれが1970年台前半ごろから、ここに来るようになったときからいたマスターは、どうしたのか。ときどきあらわれていた女が、やがて、そのマスターに替わるように店に出るようになったイキサツは何か。そして、あんたは、いいトシだけど、どこにいたのか。また、この店とCとの関係は、などなど。あと、このように古い渋い店が、ガイドブックや情報誌などに登場しないのは、なぜなのか、取材拒否ならば理由は。
そのことについて、マスターが答えたことは、たぶんかなり正確に覚えている。ようするに、あの古い、いつも神経質そうな不機嫌な色白の顔のマスターは、やはり亡くなったのだ。たぶん、おれより少し年上だっただろうが、若死にだ。彼は、やはり、オーナーではなく、雇われ店長だった。そして、女は、そのマスターの娘かと思っていたが、オーナーの娘だったのだ。これで、いろいろなナゾがとけた。Cは、やはり同じオーナーの持ち物だ。ほかにもあって、そこはおれは知らなかったが、いまのマスターは、そこから移ってきた。
取材拒否は、ガイドッブックや情報誌を見てくる人たちは、そのときだけだから、常連がいやがる、常連がいやがるから出ないことにしている。ということだった。ま、あまり大きな店じゃないし、また、いわゆるオーセンティックなバーともちがうがゆえに、本当に好きで通っている、ややクセのある常連が多いのだ。
てな話は、ちゃんと記憶がある。だいたい、地下2階の猫やに入る階段を下りるところから覚えている。なのに、その前の覚えがない。上野で、まだ9時だからという話をしていたあとが、すっぽり欠落している。
不思議だなあ~。
しかし、クリームソーダ、とは…。酔うと何をしているかわからん。
しかし、「らんぶる」は、よく残っている。うれしい。だいたい地下1階と2階が吹きぬけなんて、いまどきの世知辛い新宿じゃありえない。
昨年2008/07/09「酒を避け難儀にむかうこともある。」に書いた、7月8日以来だった。
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