ついでに、さらにまた、虚実皮膜の間の棲家。
なにやら今日明日はイベントの案内が多い。だけど連夜の泥酔で仕事がつかえ、外出自粛アタフタ状態だ。ま、息抜きに、きのうの続きの棲家、はやく載せろといわれていた、画像を掲載しよう。
壁紙やカーテンなど、インテリアのカラーの基調は、ベージュ系でコントロールされている。画像で白に見えても、実際はベージュ系だ。窓周りは、ロールカーテンか、布または木のブラインド。
床はユーティリィティと浴室洗面を除いて、キッチンコーナーも含め赤松の板張り。この赤松というのが、柔らかく、普通のスリッパでも表面が傷だらけになってしまうというシロモノだ。なので、専用のスリッパを用意するらしいのだが、素足のほうが気持よい、冬も裸足ですごした。
床暖房はないが、床板の厚さを3センチにした。今年の冬は暖かだったことがあるかも知れないが、冷たく感じることはまったくなかった。いつも、木の柔らかなぬくもりが足の裏に心地よい。
板張りは、なぜか「洋」のイメージだが、庶民の間に畳が普及したのは近代になってからだ。多くの庶民は、板の間と土間で過ごしていたのだ。戸は板戸だ。屋根だって板葺きだった。瓦や襖や畳や障子は、高価で贅沢なものだった。いまでも、そうだけどね。
赤松の床となれば、地方によるが、庶民の伝統といえる。だけど、いまどきは、「洋風中流風」に見えちゃうってのが、おもしろい。一方、知識のある「高級志向」の人たちは、赤松や杉なんか、バカにしている。人間の知識や感覚なんか、いいかげんなのだ。
ウチのばあい、というわけで、赤松と杉を主にしている。戸は、ぜんぶ、板の引き戸だ。貧乏庶民の狭い家は、板の引き戸が伝統であり普通だった。ただそれを意匠する人間は現代に生きている。その自分の「生活の柄」としてインテリアを選ぶ。伝統うんぬん、高級感うんぬんではない。結果的に伝統は破壊され再生される。
前にも書いたように、いたるところ、狭い家に対する工夫が追求されている。ウッドデッキも、おしゃれな流行というより、狭いリビングを広く見せるため。吹き抜け階段も、そう。
もともとモノがなく、自動車もテレビも自転車もタンスもない。ここに引っ越したときは、ほとんどの家具は造りつけだったから、持ってきたのは唯一、テーブルとイスだった。このテーブルのことは前に、2006/07/29「ワンカップ大関のお洒落な飲み方」に書いた。ウチの家具調度のなかで、おれが選んだ唯一のものだ。気に入っている。
カンディハウスの、突き板張りトップ直径110の丸テーブル。突き板張りか、一枚板のつなぎかは、好みの問題だろう。どちらかといえば、突き板のほうがカジュアルなタッチで、一枚板のつなぎは重厚なイメージといえるか。狭い家に丸テーブルは贅沢であり、これだけが一点豪華主義のシロモノだ。最初は白っぽかったが、使い込んで、アメ色がいい感じになってきた。この木造の家も、そうなるだろう。
また文章がほめられることになってはいけないから、あまり書かないにしよう。おれは、こうして書いているが、前にも書いたように、ほとんど何も関与してない。家の外と中、虚実皮膜の間のデザインは、同居のツマのシゴトであります。
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