釜ヶ崎ドヤ街事情。
日本寄せ場学会というものがあるのを知らなかった。広辞苑で「よせば」をひくと、「寄場」とある。「①人などを寄せ集めて置く場所。②人足寄場の略。③寄席に同じ」であるが、寄せ場学会の「寄せ場」は②の意味に近いだろう。
日本の「三大寄せ場」といえば、東京の山谷、横浜の寿町、大阪の釜ヶ崎といわれる。いわゆる「人足=日雇い」のまちであり、日銭稼ぎをしながら雨露をしのぐ宿が、その地にたくさんできた。
宿は「木賃宿」のことで、食事の提供はない。かつては、いつごろまでか、布団も賃貸だった。ほんとうに雨露をしのぐだけの宿だ。その「ヤド」をひっくり返して「ドヤ」。
今回泊ったのは、太子一丁目にある、「ビジネスホテル ラッキー」だ。新今宮駅すぐ南の太子の交差点を南側にわたって(最初の写真)、左斜めの小路を少し行ったドヤ街のなかだ。
あたりは、むかしのような木造の宿は少なく、たいがいは低中層のビルの「ホテル」だ。「明るい清潔な部屋です」といった貼り紙もある。(二番目の写真、正面1階は喫茶店、2階はアパート。その右側の道を入った並びのホテルに泊まった)
おれはドヤ街に泊まるのは初めてだが、飯場暮らしはしたことがある。建物は仮設のプレハブだし、個室はないし、めし代も布団代も賃金から差っぴかれる。ただ、みな、お互いに清潔に利用していた。
山谷も寿町も釜ヶ崎も、ドヤは様変わりの最中だ。個室化そしてビジネスホテル化、あるいは外国人旅行者相手のゲストハウス化。個室化とビジネスホテル化のあいだは、名称を変えただけで、たいして違いがないものが少なくないようだ。「一般客でも大丈夫」という受入れ体制をアピールする、それが「ビジネスホテル」という表示のようだ。ラッキーも、そういうビジネスホテルだった。グーグルで「ラッキー」「ホテル」「太子」で検索したらヒットした。電話で予約できる。
5階か6階建て、ワンフロアーに10部屋ぐらい。共同のガスコンロ一台に、流し場とトイレ。小さめの三畳の部屋に、胸の高さから上に窓がある。1泊1600円。東京なら山谷でも2000円以上するだろう、ゲストハウスのドミトリー並の値段で個室、共同だけど風呂もついている。
ここに泊ったのは、関東から来た、おれと五十嵐さんと成田さんだった。ワレワレは飲んだくれて夜中の24時過ぎに着いたので、風呂には入れなかった。風呂が利用できる時間帯は忘れたが、近くには朝からやっている銭湯もある。
こういうドヤ街のヤドは、ジメジメしたせんべい布団にくるまるイメージがあるが、そんなことはない。せんべい布団にはちがいないが、せんべいマットの上にそれをひき、パリッとした敷布と布団カバーにくるまって、ほっこり安らかに眠ることができる。
ほんに、一日のことをなし終えて、こうしてあたたかい布団に眠る幸せ、これとめしさえあれば人生は十分と思うが、それを得るだけでも、なかなか難儀なことなのだ。そして、野宿者が生まれる。ヤドに泊れるのと野宿の差は、天国と地獄の違いのように大きいだろう。
こういうドヤ暮らしや野宿者に、「流浪」や「敗者」や「ふきだまり」のロマンをみる貴族的な、あるいは文学的な、「下世話趣味」は、彼らに同情を誘うことはあっても、難儀の解決にはならない。そもそも、ほとんどのドヤの住民や野宿者が何故そうなったかといえば、「流浪」や「敗者」や「ふきだまり」にロマンをみたからではない。
ラッキーのなかには、「ネコにエサをやらないでくれ」というような貼り紙があった。通りや公園でも、ドヤの住人や野宿者が、野良猫や鳩にエサをやっているところをときどき見かけた。
難儀はドヤの住人と野宿者だけではない。釜ヶ崎と、その近隣、それを抱える西成区の難儀もある。どうなっていくのか。どう関わったらよいのか。その一端を、シンポジウムで永橋為介さんが、生々しく語った。
それは釜ヶ崎固有のこともあるが、「まち」とどう関わるかという基本は、どこにも共通する。「個性」「多様性」あるいは「共生」といった謳い文句は長く続いているが、ほとんどの「まち」の実態は、それからほど遠い。
とにかく、ドヤ街自体も変化しているし、ココルームのように、そこに関わる人たちも変ってきている。新今宮駅周辺や動物園前1番街では、外国人バックパッカーの姿をよく見かけた。
日本寄せ場学会…クリック地獄
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2008/06/30
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