毒をもって、毒をさらす。
どうなるかと思ったら、オザワの秘書が起訴されてオワリらしい。ならば、これは、やはり、政治情勢を背景にした、オザワねらいの「策略」ということになるだろ。これだけで十分、オザワ民主党のイメージダウンになる。そして規正法の厳正適用にしては、えらい中途半端だ。
これほどの不手際と不人気のアソウが、なぜノウノウとしていられるのか不思議だなあと二度ほど書いたが、こんな筋書きがあったのだ。
野次馬根性で常識的に見れば、アソウは、悠々としていすぎた。これを待っていたとしか思えない。もちろん、「策略」は、アソウのアホウができるわけではなく、支持率20%以下のアソウを支えてきた「力」の動きだろう。オザワ民主党に政権をとられては、絶対にマズイ連中がいる。それは、誰が見ても確かなことだ。
西松をちらつかせて、水面下でオザワとなんらかの取り引きがあり、それをオザワが拒んだ結果、こういうことになった。と、オザワの発言からも察しておいたほうが、オモシロイ。そもそも、東京地検の特捜が、このテの政治がらみで公正だったことがあるか?
2009年3月25日02時21分 読売新聞 「「やや乱暴では」「一罰百戒の意義」…検察OBの評価分かれる」の見出し。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090325-OYT1T00165.htm
地検を支持する「一罰百戒的な意義」ってのは、ようするにみんながやっていることなので、誰かをさらしものにして自戒を促すということだろう。それは、オカシイ。地検や地検を支持する人たちが言うように、それほど規正法が公正で重要であるなら、オザワも逮捕すべきだし、自民党議員だって容赦なくやるべきだ。それをしないで、「一罰」をオザワの秘書だけというのは、政治情勢を背景にしての「一罰」といわれても仕方ない。そもそも、このていどの「偽装」や「迂回」は蔓延している、それだけ規正法がザル法だったということではないか。ならば、なぜオザワの秘書だけなのかを、地検は説明する義務がある。規正法の重要性を強調するだけでは足りない。検察OBの評価は分かれても、そういう一つの事実を示している。
ってことで、とにかく、オザワ民主党に政権をとらせれば、意趣返しとして、またオザワ民主党の政権基盤を固めるために、自民党長期政権下の「秘密」や「腐敗」のどこかに手をつけるにちがいない。オザワの「激しさ」を考えれば、これはオモシロイ、見てみたい。あの、かつてのエイズのときの厚生大臣、いま民主党の管の働きを思い出してみればよい。
そのように、同じ穴のムジナ同士の権力争いをしやすい状態にしたほうが、いまの状況では、選択として、モアベターよ、ってことじゃないだろうか。彼らは、自己の利権確保のために、お互いの弱みをあばきあうにちがいない。国民にサービスするにちがいない。それだけ、政治は見えやすくなる。自公政権を続けさせては、闇取引と暗闘のなかに、多くが隠されたままになる。
どうせ多くがやっているのなら、「一罰百戒的な意義」より、「政権交代の意義」のほうが大きい。流動化させることに、意義がある。政党や政治家は、信用したり支持したりする対象ではない。情勢に応じて、利用すべきなのだ。
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