理解フノー「右と左」、書評のメルマガ『残ぱん東京』。
近頃は泥酔状態でブログを書くことはなくなったが、特定のひとにメールを出すことがあるようだ。たいがい覚えてない。返事をもらうと、送信済みフォルダーのなかを見て、おやまあこんなメールを出していたかと思う。ま、たいがい酔っぱらいの戯言だが、「理解フノー」なことが書いてあったりする。昨夜は、実際に、メールの相手から「理解フノー」という返事があった。どうも夜中にスミマセンでした。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。またするかも知れないけど、お許しを。
それで、そういえば、ここのところのクソあわただしいなかで、美術系同人誌『四月と十月』に連載の「理解フノー」を書いて、すでに校正も終わっていることを思い出した。来月4月発行の号。
タイトルは「右と左」だ。毎号写真を同時に掲載するので、トリミングはちがうが、この画像をつけた。こういう景色、わりと埼玉県で見られる。「まち」ではない、田畑に囲まれた、建設会社の敷地らしいところに「街宣車」が停まっている。高崎線や宇都宮線で大宮をすぎると、車窓から、ときどき見える。街宣車は田舎から街へ出かけるのだな。
どちらかというとおれは「左」に見られることが多い。ま、「右」か「左」かという観念でモノゴトをみている人からすれば、そうかもしれないが、どちらかといえば「右」のひとに対するアレルギーはない。「左」のエリート意識自意識過剰のインテリたちのほうが、肌にあわないこともある。「中」で公平公正中立ぶっているやつは、ペテン師より手に負えない。と思うこともある。
かつてはプランナー稼業で、けっこう長いあいだ、ゴリゴリ「右」のエライ人と寝食を共にすることがあって、楽しくすごした。たしかに時には、そのやりかたはハードすぎはしないか、とか、考え方が短絡している、神がかかりすぎている、などと思うこともあったが、そういうことは「右」や「左」や「中」にかぎらす、あることなのだ。ようするに庶民大多数の生活の現実から出発しなければ、どっちだってたいして違いはない。
そして、自分が誠実にやっていれば、ハードな「右」を怖がることはない。そういうひとたちより、不誠実なやつらはいくらでもいる。
ま、たいがい、「右」だの「左」だの、「日共系」だの「反日共系」だのというタワゴトは、じつに観念的なもので、そういうのが好きな連中、ある種の偏執的な政治オタク思想オタク観念オタクのような連中が多い。ようするに、右だから悪い人物、左だから良い人物、あるいは思想節操が堅固だから立派な人物なんてことはないのだな。
そこらあたりを、食べ物の嗜好である「右党」と「左党」をからませながら書いた。前にも書いたと思うが、この連載は、自由にテーマや書き方を選べるので、毎回、チョイといろいろな表現的な試みをやってみようということだ。今回は、はたして成功したか?
それから、やはりあわただしいなかでお知らせするのを忘れていたが、「書評のメルマガ」に連載の「食の本つまみぐい」は、ひと月も前の2月13日に発行になっていた。今回は、『残ぱん東京』(佐竹利允著、食糧問題研究所1975年8月)を取り上げている。ザ大衆食のサイト、こちらからご覧いただけます。…クリック地獄
「四月と十月」のサイトはこちら…クリック地獄
| 固定リンク | 0
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
吸うさま
右や左の旦那に恵んでもらえるようになったら楽してくっていける。上等であります。
また東大宮で呑んで嘘を吐き合いましょう。ゲロは吐かずに。
投稿: エンテツ | 2009/03/18 08:33
igarashiさま
どうしてこんな状況になるのか。レッテルを貼って大仕事をしている気になっている連中がいるのも、困ったものであります。
投稿: エンテツ | 2009/03/18 08:29
「右や左の旦那様〜」と恵んでもらってるおいらはド真ん中ですな。
確かに嘘吐きです。
投稿: 吸う | 2009/03/17 18:56
>どちらかというとおれは「左」に見られることが多い。ま、「右」か「左」かという観念でモノゴトをみている人からすれば、そうかもしれないが、どちらかといえば「右」のひとに対するアレルギーはない。「左」のエリート意識自意識過剰のインテリたちのほうが、肌にあわないこともある。「中」で公平公正中立ぶっているやつは、ペテン師より手に負えない。と思うこともある。
まったくもっておんなじ状況なので、失礼ながら笑ってしまいました!
投稿: yas-igarashi | 2009/03/17 18:26