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2009/03/23

天下の大野暮男=塩山芳明の、どっちがタイトルかわからない『出版奈落の断末魔 エロ漫画の黄金時代』(アストラ)

Sioyamaきのう届いた。ありがとうございます。

すでに書いたように、3月1日、上野のエロ薔薇映画館、世界傑作劇場閉館の日、山崎邦紀監督の作品上映と舞台挨拶があって、打ち上げ飲み会になった。その席で向かい側に座った塩山さんが、この本を一冊贈ると言った。

かれは過去、自分の本を贈呈するようなことはしないと公言していたし、実際そうであったようだ。なので、あまりあてにはしていなかったが、また言ったことは守らないと気持悪いという律義なタイプなので、もしかすると本当かもしれない、ま、どっちでいいやと思っていた。

塩山さんか版元のアストラ、あるいは両者とも、かなり本気で売りたい、なりふりかまわず売りたいと思ってのことかも知れない。

だとしても、いいだろう、たしかに多くの人に読んでもらいたい本だ。エロ漫画界への低俗な興味本位、好奇心でもよいから、手にとってみると、そこには、何がある? 

もちろん、あきれたエロ漫画業界のアリサマだけど、それは出版業界のあきれたアリサマでもあるし、いわゆる高度経済成長の、つまり塩山さんがエロ漫画業界に入ったころからのニッポンのあきれたアリサマである。そのなかをみんなで、あきれたことをやりながら泳いできたのだ。

露悪趣味もへったくれもない、現実がクソッタレ醜悪なのであり、ひとは醜悪さのひどさに応じてカネを得ている。醜悪の泥沼は、上層にいくほどひどいという特徴を持っている。そして低層でうごめいているのが、下請けだ(塩山さん率いるエロ漫画下請け編集会社や、おれのようなフリーライターも含め)。ということが、あからさまに見えてくる。

大貧乏で醜悪な現実を、中流なキレイゴトに包装するのが文学だのアートだの洗練だのといわれるが、大野暮の塩山さんはミもフタもないほどさらす。

しかも、彼は低層に同情したり、低層だから「正しい」といったキレイゴトをとらない。池田●作やら警視庁やらの醜悪をつるしあげる一方で、読者について、こんなふうに書く。「誤植に寛容な読者も、クンニングスされているはずの女性が、次のページでパンティつけてたりすると(順番ミス)、誤字だらけの抗議ハガキを即寄こす」

笑える。笑った。きのう届いたのに、とりあえずぜんぶ目を通すはめになってしまった。

この本、奥付を見ると、「出版奈落の断末魔」がタイトルで、「エロ漫画の黄金時代」がサブのようだ。矛盾、正反対を向いているような感じだが、世間は、そんなものだし、どっちでも自分の好きな角度で読めるだろう。

「女流エロ漫画家」の見出しで、「社会主義、フリーセックス、立喰いそば屋等の言葉が、今ほど色あせてなかった時代に隆盛を誇ったエロ劇画は、文字通り<男の男による男のための世界>」と。

エロ劇画の「黄金時代」は、大衆食堂的な黄金時代でもある。それは、男の黄金時代でもあった。いま、女たちは、競って男の醜悪を真似し、先取りをしようとしているかのようだ。女のキレイゴトが表面を覆う。だけど女だろうが男だろうが、エロ漫画家はエロ漫画家だ。断末魔でも、お涙ちょうだいにもなりはしない。

そうか「エイズという言葉がマスコミに登場し始めた八〇年前後から、女流漫画家の数は一挙に増える」のか。

おれとしては、「忘年会は「三平酒寮」」に、グッときたね。

塩山さんは若いころ、遠山企画という会社でエロ漫画の道に入る。「遠山企画時代から数えると、二〇回以上の幹事を(自選だが)。いろんな店でしたが、近頃は「三平酒寮」一筋。料理がうまいとか、店の雰囲気がいいとかの理由じゃない。逆に、「店名がダサい」「会場の畳がボロすぎ」「トイレが男女共用なのは女性差別だ」「つまみが脂っこすぎ」「幹事が店と結託、不明朗な運営をしてる」等、不平不満はごまんと出るが、同店のルーズさが貴重。/チェーン店のように、「時は金なり!」的な運営をしていない。夜七時から九時の会場予約で、一〇時過ぎまで騒いでて文句を言わないのは、新宿広しとはいえ同店くらい」

序章 生息地域と生態系。第1章 編集者。第2章 漫画家。第3章 投稿者。第4章 当局。第5章 客。第6章 マスコミと版元。第7章 オレの会社。第8章 写植・製版・印刷業者。第9章 今日も泣き笑い。無粋なエピローグ 嫌われ者の記(断末魔篇)。

食と性は密接な関係がある。「表現の自由」を言うひとたちがいる。そのなかにエロが含まれているかどうか。NHKていどの「表現の自由」ではないのか。エロを排除して、表現の自由がありうるのか。そのへんのことは、イマ、かなり重要な局面を迎えているように思う。とくに東京都の「安全・安心」を錦の御旗にした条例の乱発や統制の徹底は、なんだか不穏なものがある。ひどくおかしい。いまや、多くの表現者がいて、本だの音楽だの芝居だの好きな連中が多そうな東京なのに、なぜ問題にならないのか、不思議なくらいだ。みなキレイゴトに飼いなされてしまったのだろうか。そう思えなくもない。

Sioyama01そこには「不純」なもの「汚い」ものは排除されてよいという、キレイゴトな「表現の自由」がかいまみられる。食育基本法とか健康増進法なんてもので、健康を強要し、体型や嗜好に制限を加える。それを、自分たちの「権利」と思っている。これは、すでにファシズムではないのか。そういうことも、この本を読んでいると想起される。エロは反ファシズム、表現の自由の、「外濠」といえる。

ってことについては、もう、おれはあきらめている。野暮といわれようが野暮にやるだけ。KYなんか関係ないね。だけど塩山さんは、もっと大野暮だ。

Sioyama02この本、「エロ漫画の黄金時代」がタイトルに見える装丁が、なかなか凝っている。一番外側は、いがらしみきおさんの漫画?イラスト?がある大きめの腰巻。それをはずずとカバーになる。左サイドバー←の「アステア・エンテツ犬」の作者でもある内澤旬子さんの戯画がある。やはり、塩山さんを犬化した戯画だ。

そして、そのカバーをはずした本体の表紙には、コレ、誰が描いたのか、タッチからすると内澤さんか、塩山さんをイラストにしている。外の白っぽいカバーや腰巻は、キレイゴト化した現実、その下には、エロ漫画編集者として大野暮の低層を生きる現実。これはまあ、たいがいの実態だろう。肩書が美しく見えるかどうかのちがいがあるにすぎない。

塩山芳明(しおやま・よしあき)さん、おれよりちょうど10歳若い1953年生まれ。
塩山さんの会社、漫画屋のサイト…クリック地獄

たまたま、以前から右サイドバー→トラックバックの欄に、「書店の風格/第8回 模索舎で「ロスジェネ」を買う (月刊「記録」編集部) 」があるが、これは本書の版元、アストラのブログからだ。アストラはエロ出版社ではない。

とりあえず、また塩山に「おまえの文章は長すぎる」と怒られそうなほど、だいぶ書いたが、そういうこと。
チッ、くそ塩山の本を、本気こいて紹介してしまった。でも、読んで欲しいよ、この本。


関連、塩山さんが写っている画像がある。
2009/03/02「世界傑作劇場閉館。「古きよき」薔薇と桃色の宴。」

関連、三平酒寮は昨年5月以来行ってない。このときも、まだ便所は男女共用だった。畳みもすり切れていた。
2008/05/25「饐えたニオイの新宿の酒場で酩酊。」
Sanpei

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