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2009/04/02

「スパゲッティな景色」と「スパゲティな景色」。

きのう掲載した『東京ひとりめし』の「遠藤哲夫の[信濃路]偏愛話」だが、おもしろいことがある。おれの本文では、「スパゲティ」と表記しているが、編集部が書いた写真の説明は「スパゲッテー」だ。

校正のときに気がついて、そういえば、確かに、店のメニューでは「スパゲッテー」だったなと思った。さて、どうしようか、「スパゲッテー」に直すかどうか迷った。あれこれ考えたあげく、けっきょく、そのままにした。校正のとき、いちばん悩ましかったのは、このことだった。

同人ではないが、美術系同人誌『四月と十月』の古墳部にも参加し、エッセイの連載もさせていただき、編集長の牧野伊三夫さんはじめ美術系のみなさんとは親しく付き合わせてもらっているが、いつも酒飲んで騒ぐだけで、美術な話をしたことがない。だけど、牧野さんたちは、よくスケッチというかデッサンというかをする。それを見ていると、描く対象とスケッチブックに没頭して、牧野さんなどは目つきが完全にちがっているほど一心不乱かと思えば、ときどきスケッチブックを目から離して、描いた絵を眺めるように見ている。

ビジュアルなものを制作するときは、よくそうしていることに思い当たる。また印刷されたB5サイズの写真でも、手に持って見るだけではなく、目から離したり、あるいは切って壁にとめ離れて見ることはできる。だけど、文章のばあいは、そういうことはない。せいぜい老眼で、チョイと目から離して見たりするが、それは文章というより文字が、よく見えるようにするためで、絵を離して眺めるのとは違う。

文章は手に持って見る(読む)もので、離して眺めることはない。物理的には、そうなのだが、実際に書くときは、絵を離してみるような「作業」をしている。

読むほうは、どうなのだろうか。

とにかく、記憶では、「スパゲティ」は比較的新しく、昔は「スパゲッティ」が普通だったと思い、調べた。まだ細かく調べきってはいないが、1970年代は、ほとんど東京も大阪も、「スパゲッティ」か「スパゲッティー」だ。80年代なかごろになると、「スパゲティ」が散見できる。

「ゲ」の後に「ッ」があるかどうかの違い。小さく見れば、そういうことだ。しかし、その小さな違いは、表記が正しいかどうかをこえて、大きな、「時代」といってもよい、景色の違いである。

文章の書き方は、いろいろで、読み方も、いろいろだろう。小さい面積のなかにかきこまれた絵でも文章でも、手に持って目に近づけた感覚だけで読んでいるのと、それらを、ある背景や景色のなかに置いてみるのとでは、ずいぶん受け取り方が、違うはずだ。

小さな面積のなかだけの、「表記の統一」や「ウソやマコト」を気にしていると、背景や景色が見えなくなることがある。ま、何かの一文だけを取り出すと、そういうことが起きやすいから、あえてそれを利用して、自分の都合のよい論理を展開するというテクニックは、よくあることだ。

あれこれ考えた。おもしろい。どのくらいの読者が気がつくかはわからないが、ここには「スパゲッティな景色」と「スパゲティな景色」があるのだ、ということを忘れないうちに書いておく。

ちなみに、この『東京ひとりめし』では、信濃路の「スパゲッテー」以外は、ほとんど「スパゲティ」だ。

さらに、ちなみに。あまりあてにならない、「ウィキペディア(Wikipedia)」では、「スパゲッティ」と表記され、「スパゲッティ(イタリア語:Spaghetti)は、イタリア料理で使われる麺類であるパスタのひとつで、紐のように細長いものをいう。スパゲティやスパゲティーと表記される場合もある」と。

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コメント

ヒロシマオクトパス三世さま、どうもありがとうございます。

二度の出禁にもかかわらず、したたかな与太健筆、おもしろく拝見しました。

そもそも「ナポリタン」ってやつは、現代日本料理だってことかも知れませんね。

ま、私は、イタリア直輸入風の発音には脳と舌がついていけないのと、貧乏育ちのクセを治すことができないため正統派風イタリア料理にもついていけず、信濃路のスパゲッテーナポリタン味噌汁付きに満足しながら与太を書いているしだいであります。

とにかく、こだまさんが「食べろぐ評論界」?で生きておられたので、楽しみが増えて、うれしいです。なにしろトシをとると楽しみが少なくなってきますからね。大いにマットウな与太を書きまくってください。

投稿: エンテツ | 2009/04/04 18:27

エンテツさん

こんにちは。
こだまひろし、改め、ヒロシマオクトパス三世と申します。(二度の出禁につき、改名を余儀なくされました・笑)

ちょっと前にこんな与太を書いたのですが、

http://u.tabelog.com/000090751/r/rvwdtl/829889/

貴兄記事大変興味深く拝読しました。

信濃路の完璧なアルデンテ仕様のインチキナポリタンが食いたくなってきたかも。

投稿: こだまひろし | 2009/04/04 18:00

そうですね大事ですね。これも「場所の記憶」に関係するでしょうか。

しかも、こういうのは、その表現や言葉が変っている最中に、その風景も含めて考え書きとめて置くことが大事なような気がします。あとからだと、たとえば「カレーライス」と「ライスカレー」のように、とてもわかりにくくなりますね。とくに食べればなくなってしまう料理のばあいは。

それにしても、この「スパゲッティ」と「スバゲティ」は、たしかに「パスタ」という表現も含め、とくに80年代ごろからの「消費文化」の、いろいろなことを象徴していそうな気がします。まだ資料を調べてみますが。

また、こういうことをネタに、飲むなり、なにかやりたいですね。

今日、これからブログに紹介しますが、「雑穀のブームと居場所」を書いた、『Tasc Monthly』ですが、これはTASCの年会費会員用ですので、1冊お送りします。ご笑覧ください。

投稿: エンテツ | 2009/04/03 17:35

こういうの、小さく見えてわりと重要なことですよね。
小さな語感で「格」を評価したりとか、無意識のうちにマーケッターもそれを内面化した消費者もしてきますから。

気になったのでいまちょっと調べたら、最大シェアのマ・マーは、乾麺は「スパゲティ」、ゆで麺は「ゆでスパゲッティ」みたいですね。面白い。「料理に手抜き」家庭・単身者向けのワンランク下の商品は、いまだに「スパゲッティ」。これが何を意味するか? 考えすぎ?

さらに時代は下った体験ですが、「イタ飯」が言われ始めると、スパゲティという単語を女子の前で発音するのがちょっと恥ずかしくなったのを覚えています。マカロニも同様。
とにかく、「パスタ」。どうしてもざっくり区別したいときは、「ロングパスタ」と「ショートパスタ」。
基本的にはいろんな「パスタ」の種類が紹介されて、「スパゲティ」と思っていたものにも、スパゲティーニだのフェデリーニだのがあったりすることが知られた以降のことでしょうが、「スパゲティ」と「マカロニ」だけはなんか「家庭」や「昭和」な空気がして、女子の前でカッコつけたいときには発音しちゃいけない空気が、確かにありました。
さすがにそんな気持ち悪い自意識を持つ季節は越えましたが(笑)、こういうのを記憶しておくのは、大事なことですね。

こういうのって、『HANAKO』とかの「本場志向」から始まったものなのでしょうが、そもそもパスタって原義は「小麦粉をこねたもの」だってこと、だからポルトガルあたりだと、菓子パンを立ち食いさせる街角のバールが「パステラリア」って呼ばれてることなんて、誰も知らないでしょう。なんとも中途半端な日本の消費文化の風景!

投稿: yas-igarashi | 2009/04/03 10:44

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