「何処から…何処へ」浜田賢治展。土を被った太陽。
さきほど「浜田賢治展」へ行って来た。とり急ぎ、これだけ書いておく。
2008/11/23「生活の中の絵あるいは美術または芸術。」に、浜田さんからコメントをいただき、その件でメールのやりとりがあった。そして、この個展の案内をいただいた。見たら、おなじ見沼区の大和田のギャラリーが会場だ。徒歩で40分ぐらい。
できたらご本人にお会いしたいと思い、初日の今日行けば可能性は高いと思い、いい陽気だし、歩いた。やはり、浜田さんはおられた。
浜田さんの絵は、なんとなく想像していたより、かなり小さかった。このハガキに印刷された、原寸大ぐらいの絵が多い。だけど、見てるうちに、ゆらゆら揺れ動き、どんどんふくらんでくるのだ。
絵にかぎらず、「0.5」ていどのことを「1」かそれ以上に見せようという表現もあれば、「100」のことを「1」に凝縮して見せる表現もある。浜田さんは、もちろん、後者。浜田さんも、浜田さんの絵も、「土を被った太陽」みたいだなと思った。
浜田さんは、埼玉県の秩父の人で、小鹿野町で生まれ、秩父に腰を据えて創作をしてきた。無理矢理ジャンルわけすれば、「抽象画」ということになるようだ。抽象画は、わかりにくいといわれたりするが、絵を見てわかろうとするほうが無理というものだろう。感じればよいのだ。おれは浜田さんの絵に、「土を被った太陽」を感じた。
浜田さんは、テーマである「何処から…何処へ」をタイトルに、自費出版を続けている。その1号のあとがきに、「印刷製本担当」の鈴木いく子さんが、こんなことを書いている。「浜田さんの作品には、全てにおいて何か不思議なエネルギーが含まれています」「見ていて、何か疑いのない力強さが含まれている感じがします」。そのエネルギー、力強さは、ギラギラ照りつける太陽のようではなく、土を被っている感じなのだ。
某新聞の記者が取材に来ていて、浜田さんが答えているのが耳に入る。「絵というのは、もしかすると、たとえば病院の病人のように動けない状態、立ち止まった状態においてこそ必要なものではないか。自由に動けるひとには、絵は必要ないのかも知れない。立ち止まった状態の人のために何ができるかではないか」というようなことを言っていた。ナルホド、文学や文章も、そうかも知れないな。
見沼区大和田という、畑があったり、野暮くさい一角にある、小さなアートギャラリー「こはく」へ、どうかおでかけください。ゲージュツというと、生活感をそぎ落としたような都会的洗練のコジャレたまちとギャラリーがイメージされるけど、ここは、まったくちがう。近頃おれが礼賛する野暮な雰囲気のなかで、立ち止まって、浜田賢治さんの絵を見れば、身体の奥に忘れがちな「土を被った太陽」を覚醒できるかも知れない。
今日は、というか、最近は、「具象」がうっとうしく思われる気分だったような気がする。浜田さんの絵を見て、じつに気分がよくなった。解放された気分。だから、帰り、生ビールを一杯やった。うめえええええ~。
アートギャラリー「こはく」で、4月20日(月)まで。木・金休廊。
http://www.k5.dion.ne.jp/~g_kohaku/
さいたま市見沼区 大和田町2‐1181‐11
東武野田線大和田駅下車徒歩4分
JR大宮駅より野田線で6分
東武伊勢崎線春日部駅より16分
浜田賢治さんのサイト…クリック地獄
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