忌野清志郎が逝った5月2日、太田尻家運動会in砧緑地。
粟津潔さんの訃報のあとなのに。忌野清志郎さんも死ぬんだなあ。なんだか寂しいねえ。
恒例の太田尻家運動会。世田谷の砧緑地。渋谷乗換え田園都市線用賀駅から歩き、午後2時すぎごろ着。今年はタカギさんが用意した新兵器、タコ焼きが登場。これ、いいねえ。タコ焼きのほかに、シーフードミックスなんぞをタコ焼きの穴に置いて、上から刻みとろけるチーズをかけて焼く。「チーズフォンデュ焼き」とか? ノザキさんは、モツ煮こみを作ってきた。この容器も、いいねえ。ふたを開けると湯気が出るほど、熱く保温される。ま、それで何やかにやオシャベリしながら、おれは呑むだけだったが、みなは例の蹴鞠やフリスビーなどに熱中。木の影と人の影が長くなり、手元が暗くなるまで。
二次会は経堂の太田尻家なので、歩く。去年はO嬢に連れられて歩き、O嬢はなるべくおれと二人でいたいらしく遠回りしたが、今年は彼女は二次会から参加で直接太田尻家へ行く。一人で最短のコースを選びながら歩いたつもりだったが、あのへんの道は入り組んでいて、うまいぐあいに太田尻家のそばに出たものの、やはり1時間かかってしまった。
とにかく、大勢さんと楽しんだ。22時半ごろ太田尻家を出て、赤羽で終電一本前に乗る。泥酔というほどじゃなかったが、心地よい酔いと疲れで、バタンと寝る。太田尻家と客たちは順調のようで、めでたし。
忌野清志郎さんの訃報は今朝知った。一年間は喪に服し仕事をしないことにする。ってわけにはいかないんだよな。去年の2月ごろ掲載した昔の『宝島』の表紙を載せ、弔いとしよう。しかし、こういうおもしろい人間がいなくなると、なんだか世の中が急につまらなくなった感じ、何かやる気がおきないね。黙祷。
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コメント
takeさん
おひさしぶりです。ブログ拝見しました。お元気そうでなによりです。追悼文、かっこいいですね。ほかの記事も、銀座の飲食店の自転車など、なるほどで、おもしろかったです。
ミーツ・リージョナル、東京の惰性マンネリ状態に新風を吹き込んで欲しいものです。
こちらこそ、よろしくお願いします。
投稿: エンテツ | 2009/05/06 10:44
エンテツさん
ご無沙汰しています。2、3年まえにちょくちょくお邪魔していたtakeです。放置していたブログ復活して、追悼文を記載しました。
ミーツ・リージョナル面白いですね。関西の視点で東京の食をきるというのは新鮮です。店の選び方も、よくある食の本のどれ見ても同じ店じゃなくて、足を使っているのが伝わってきます。自分が足で探して、いったことがある店が載ってるとうれしい。
またよろしくおねがいします。
投稿: take | 2009/05/06 08:43
まったくでございます。あらためて、この『宝島』の忌野清志郎さんのロングインタビューを読んで、彼は、「キング」だの「元祖」だの「カリスマ」だの…そういふ「冠」には興味なく、ただただ、ひたすら、ロックンローラであったのですね。あるいは「ロックンローラ」と言われるのも、興味なかったかも。
「僕はさ、何歌っても自由だと思ってんだよ。僕が歌いたい歌をさあ、誰がなんと言おうと歌いたいだけでさ」と言っています。そのとおりだったですね。
投稿: エンテツ | 2009/05/04 12:43
やりたいことをただやる。普通は出来ません。あの世代のミュージシャン達はどんどん肥やしを増やそうと躍起に文化人気取りになるのに、忌野清志郎さんは最後までロックンローラーであり続けました。がんがん毒もはいてくれました。本当にカッコE人だったんだなあ、と思います。
投稿: おけい | 2009/05/04 12:31