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2009/05/31

よくがんばった2週間、「日本で一番精力的な65歳」?

Meets_sakaba0046月25日発売予定の、ミーツ・リージョナル別冊大阪版「酒場本」(仮)の校正、さきほど戻して終わった。「めし屋酒のススメ」ってことで、3見開き6ページ。「めしの鬼」にされたり、「日本で一番精力的な65歳」にされたり。

考えてみれば、この取材で大阪へ行ったのは13日。15日の帰りの新幹線に乗るどんぎわまで、大阪、神戸、京都、大阪と飲み食べ続けた。

そして10日後の23日から古墳部の旅で、また関西は奈良。これが、苦にはならなかったが、これまでになく、よく歩き、そして夜遅くまで、飲みまくり遊びまくる、ハードな旅。

25日奈良での朝、めずらしく吐き気がもよおすほどの二日酔いは、前夜の飲み過ぎもさることながら、若い元気な連中と炎天下歩き回り、しかも、23日は朝5時起きし、夜は夜中までトバクカードをし、おれは持ち点の倍を稼ぐトップ、いったん終了し、部屋にもどった女子の一人(ナガタ!)、哀れ持ち点10にマイナス9でハコになる寸前、負けが混んでシャクで眠れないから相手をしろ、しかも「頭をつかう勝負はダメ」というので、やさしいおれは、ならば布団の中で勝負ってことで同衾し、じゃないや、カードで頭をつかわない体力勝負の千円一発勝負をやり…まあ、そんなこんなで、翌日もまた炎天下を歩いたのち、奈良で17時から24時ごろまで飲み続けだったのだから、肉体も草臥れていたのだろう。

だいたい、誰だったか、歩いている最中に、おれに向かって、「遠藤さんは還暦すぎてるの?」と聞きやがった。おれは、65、今年は66歳になるのだよ。よーく覚えておいて、もっと年寄りをいたわるよーに。

って、ま、でもあまり年寄りあつかいもいやだし、体力勝負の文筆労働者だから、年を気にしないで、仕事も遊びも付き合ってもらったほうがいいか。

とにかく、今月の後半は、トウゼンその間に原稿も書くわけで、ほかにもアレコレ、けっこう激しいものだった。まだまだ、これからも激しくやって、「日本で一番精力的な65歳」を確保したいものだ。

なにわともあれ、明日から6月。
酒場本が発売予定の25日が楽しみである。おれより20歳下の大竹聡さんも、3見開き6ページ飲みまくっているはず。
27日土曜日は、スロコメ@下北沢で、トークライブ「泥酔論」の5回目をやる。詳しくは後日、お知らせします。

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2009/05/30

祝『四月と十月』20号10周年。神田神保町で泥酔『せおつまみ』。

古墳部の旅は、いつものことだが、濃密な内容で、まだまだ書きたいドラマがたくさんある。だけど今日は別のこと。

4_10_rikaihuno002その古墳部の旅のとき、数人の方に、「理解フノーがおもしろかった」と言われた。「理解フノー」とは、おれが『四月と十月』に連載のタイトル。『四月と十月』四月号は、すでに発行になっていたのだが、発送の手ちがいがあって、おれの手元には届かず、書いたことも、すっかり忘れていた。今回のタイトルは「右と左」。

4_10_003きのう、神田神保町へ行く用があったので、東京堂3階に寄って買った。畠中さんに会いたいと思ったが、売場には姿が見えなかった。

牧野伊三夫編集長の美術系同人誌『四月と十月』は、ちょうど20号。つまり、4月と10月の年2回発行なので、ちょうど10周年なのだ。

というわけで、今回は、豪華カラーページが冒頭を飾っている。稲村さおりさん、宇田敦子さん、大熊健郎さん、川原真由美さん、久家靖秀さん、末藤夕香さん、鈴木安一郎さん、須曽明子さん、セキユリヲさん、瀬沼俊隆さん、田口順二さん、牧野伊三夫さん、松本将次さん、同人のみなさんの作品がカラーで。毎号の「アトリエから」には、いつものように「物書き」系の立場がなくなりそうな、いい文章がある。

4_10_seo_008_2また「20号記念特別対談」ということで、牧野さんが司会をやり文章にまとめたページがある。それが『おつまみ横丁』の瀬尾幸子さんと『球体』の立花文穂さんという、まさに「異色」の顔あわせ。牧野さんならではの企画、内容。うーむ、これは、どこかで公開のトークライブでやってほしかったなあ。

それから「「四月と十月」の十年をふり返って」があって、読んでいると、古墳部に参加できたよろこび、そのうえ連載までさせてもらっているしあわせを感じるのだった。

4_10_009おもしろいだけでなく、強く感じるところがあったのは、有山達也さんが連載の「装幀のなかの絵」だ。「久家さんとの仕事」のタイトル。久家靖秀さんのことだ。写真の「久家テイスト」はどう生まれるかの話であり、何気なく「仕事とは」の話でもあり、何気なく「生き方」の話でもあり。アートだのなんだの関係なく、誰が読んでも、なかなか濃い内容だとおもう。ま、『四月と十月』全部がそうなのだけど、今回のこれは、すごい久家さんとすごい有山さんの出会いから生まれた話なので、すごいのだ。(左の写真は久家さんの「打刻印#01」、上の写真は久家さんの撮影による、須曽さんの帽子「Hatching Head t-2」)

いつも書くことだが、この『四月と十月』は、これだけの人たちが描いて書いて、一冊1000円しないのだから、いまどき、これほど買い得のものはないと思う。

ぜひ、ぜひ、ご覧くださいよ。『四月と十月』の公式サイト。
http://www.4-10.jp/
古墳部長の須曽さんが、「ほぼ日刊イトイ新聞」で「スソさんのひとり古墳部」連載中。おもしろい!
http://www.1101.com/kofun/index.html

さてそれで、ひさしぶりに神田神保町に出向いたのは、新しい企画の打ち合わせだった。瀬尾幸子さんと佐々木女子とおれ、出版社の編集さん。これは、おもしろいことになりそう。瀬尾さんが料理をつくり、おれが文章を書くという趣向も、さることながら、そのテーマが、おもしろい。

考えたら、瀬尾さんとはよく飲んで遊んで、近頃は、「あの2人はアブナイ」と、まわりをハラハラさせている?らしいが、仕事を一緒にやるのは初めてだし、16時から19時まで3時間も、こんなに仕事の話を真剣にしたのは初めてなのだ。

なるほど、瀬尾さんは、こんなふうに仕事をするのか、なるほどねえ、ただの料理研究家じゃないや、とあらためて思うのだった。はて、この「奇才」ともいうべき瀬尾さんの料理に、おれがピッタリの文章をつけられるか。そこが、カギだな。ひさしぶりに、しばらく、大いに緊張が続くことになりそう。

で、6月中旬にスタートする1回目の料理撮影やらなんやら、立ち上げの目安もついたところで、佐々木女子は忙しく離脱、編集の方と3人で軽く飲んで食事。

Seotumami007モンダイは、そのあとだ。やはり神保町の店、この本『せおつまみ』の編集さんが待つ店へ。何日か前に、贈られ送られてきていたのだが、忙しくて、まだよく読んでない。とりあえず、画像だけ。

集英社の、昨年末発行の牧野伊三夫さんと鴨井岳さんの著『今宵も酒場部』と同じ、酒豪の女子編集さんの仕事なのだ。集英社のWEBで連載の『今宵も酒場部』のあとを瀬尾さんがやって、この本にまとまった。奥付を見たら、撮影=鵜澤昭彦さん、スタイリング=森下久子さん、題字=牧野伊三夫さん、デザイン(装丁も本文も)=横須賀拓さん、イラスト=nakabanさんというぐあい、飲んだことがあるひとばかり。

店には、『おつまみ横丁』から瀬尾さんの料理写真を撮っている、鵜澤さんもいた。この顔ぶれなら、もう飲むっきゃない。もう一軒!ってことで、バーへ。例によって、おれだけ早い終電がなくなる。とりあえず、東大宮まで行く電車はあきらめ、京浜東北線大宮終電を選択する。編集女子に追われるように席をたったら、ぎりぎり終電にまにあった。いいところで追い出してくれた。だけど、あわてて出たので、飲み代、払い忘れたようだ。

大宮では、例によってタクシーの待ち行列が長く、立っているのがやっとの泥酔が深まる午前2時ごろ帰宅、だったと思う。

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2009/05/28

ミステリアス、あすか。ゾロアスター教か? 酒造か? 酒船石遺跡。

やや手こずることになった、関西取材の原稿、無事に書き終えて送った。「とてもステキでしたよ!」「美しい文章ですね」。ぐふふふ、お世辞とわかっていても、ありがとよ。奈良へ行ってきたあとのせいか、美しい文章が書けたかも知れない。いやさ、おれは美しいこころの持ち主、チョイと地を出してみただけ。6月25日発売を、お楽しみに。

Sakehune014それはともかく、飛鳥のミステリーといえば、これだ、酒船石遺跡。ってことを書きたいのだが、とりあえず、写真だけ。松本清張さんは、これで、『火の路』を書いたわけだが。あの本は、発売と同時に買って、一気に読んだなあ。

Sakahune_004松本清張さんは、ゾロアスター教を連想し、想いはイランまで駆け巡り、クソマジメおもしろくでもなさそうな江戸期の日本学者、本居宣長さんは酒造りを連想したという、奇怪な石造物(一番下の画像)。その2人が立ったにちがいないあたりに立っておれは、何を思ったか。ああ、腹減った、はやくビール呑みてえなあ、だった。

Sakahune_005飛鳥には、ほかにもたくさんの石造物があって、記紀によれば、皇極と斉明の、同一人物とみられる女帝が関係しているらしい。おお、女、ミステリアス。ああ、女、ねえ。そういえば、大きな石の、屹立チンコもあったし、亀型もあって、老人性インポで女に馬鹿にされるおれは、フンと鼻で笑ってやった。いや、ちがう。そっとさわって、「たすけて」と囁いたのだった。

ともあれ、飛鳥といえば仏教というイメージがあるが、結びつかないものが仰山ある。

Sakahune010

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2009/05/27

インフルのおかげ?行列なし見物。仏教と殺戮の飛鳥で何があったのか。

「古墳部」の名前にもある「古墳」時代の終末期は、飛鳥時代の約100年と重なる。いまの地名でいえば、明日香村あたりに、宮や都があった時代。

この間に、王だか大君だか知らないが、多くの有力者が割拠していた、この地域に、天皇家のヤマト政権が生まれる。つまりは、中大兄らの蘇我入鹿謀殺クーデターに続く「大化の改新」で、土地も人民も、みな天皇家のものという「公地公民」へ向かう。ま、はなしは、それほど単純ではないらしいが。

Kohun_asuka00223日、11時過ぎに、明日香村の万葉記念館で、古墳部の人たちに合流した。男子は牧野編集長、伊澤さん、鴨井さん。女子はスソ古墳部長、川原さん、瀬尾さん、生野さん、永田さん、北島さん、後藤さん。

万葉記念館では、キトラ古墳壁画のうち、青龍と白虎を公開中で、しかも24日最終日の前日の土曜日。しかし、インフルの影響で、見物客はわずか。行列を見越し、テントを用意した入場券売場の前に、列はなく、待ち時間ゼロの看板がむなしく立つばかり。ほかの「遺跡観光地」も、並ばず、ゆっくり見ることができた。

この日のコースは、ひとによって、少しばらつきがあるが、おれは、万葉記念館、酒船石、石舞台古墳、昼食、伝飛鳥板蓋宮跡、甘樫丘、亀石、天武・持統天皇稜、飛鳥歴史公園館と、よく歩き、バスで橿原神宮前、近鉄で桜井、皆花楼。忙しいので、文章は、あとでボチボチ書き足す。

Kohun_asuka028Kohun_asuka032蘇我馬子の墓とする説が有力な石舞台。天皇の前で馬子の曾孫とされる入鹿が殺されたという凶行現場の、飛鳥板蓋宮跡と伝えられる遺跡。そして2005年から発掘調査が始まり大きな構造物が発見されている甘樫丘。入鹿殺害のあとオヤジ蝦夷が火を放ち自殺したという、蘇我氏の本拠地で滅亡の舞台との説があるところ。ここいらを中心に歩いた。いずれも、まだ発掘調査も十分でないし、確かな根拠が少なく、「伝」の域を出てないものが多い、ニッポン・ヤマト・ミステリーの中心地。

Kohun_asuka059_3もちろん、めしを食べ、ビールを呑み、おれと鴨井さんは、通りがかかりに見つけた酒蔵で、きき酒をやったりした。呑みながら、日本と日本人の過去を探る。

以前にクルマでまわったときと歩いたのでは、ずいぶん印象が違った。けっきょく、もっとも日本独自性が濃いのは、日本酒であり、ほかは天皇系だろうが反・非天皇系だろうが、ほとんど大陸や半島の濃い影響を受けているか、渡来人そのもの。という「清酒ひいき」の結論。古墳部は、こんど韓国へ行こうという話もあったが、前方後円墳などは、韓国のものも見なくてはな、という気になるのだった。


参考=読売新聞の記事「奈良・明日香 甘樫丘東麓遺跡 蘇我氏 実像に光」
http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is51114c.htmからの画像。画像に説明はないが、左端、「石舞台古墳」の文字の下にある2棟の建物が、万葉記念館だ。
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2009/05/26

「四月と十月」古墳部、山の辺と飛鳥の旅。

Kohun_nara068今回11回目の古墳部の旅、おれは5回目の参加になる。22日に奈良県桜井の旅館〔皆花楼〕11時集合で、24日までの計画だったが、残念なことに22日は都合悪く、23日に現地で合流することに。ってことで、22日の山の辺を歩きまわるコースには参加できなかった。

23日、5時50分ごろの東大宮始発電車に乗り、新幹線京都で近鉄奈良線特急、大和八木で大阪線に乗換え桜井に着いたのが11時15分前ごろ。11時すぎ万葉文化館で合流。昼食をはさんで、夕方17時すぎまで飛鳥の遺跡を歩きまわる。

24日、橿原神宮前から橿原考古学研究所、畝傍御陵前から田原本町、唐子・鍵遺跡見学のち橿原神宮前にもどり、お茶して解散。奈良市内の旧市街地花街ディープなところをウロウロ、のち17時ごろから24時ごろまで3軒はしごで呑みつづけ。

25日二日酔い吐き気のする身体で奈良定番観光コースを歩き、昼食のち奈良からJRで京都、新幹線のぞみ名古屋でこだま乗換え、立ち食いきしめんのために豊橋に途中下車。夜、帰宅。

博多や関西地元勢の参加もあってにぎやか、女子が男子の倍以上という恐ろしさ。飛鳥と奈良を、よく歩き、ヤマト政権誕生までの血みどろミステリーを思考し、激しく呑み食い、賭けゲームに狂じ、しっかり観光もし、の詳しくはあとで書く。まずは、仕事。

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2009/05/22

トークライブ「泥酔論」5回目は、6月27日です。

スロコメ@下北沢におけるトークライブ、何人かの方に問い合わせいただきましたが、5月は予定が立たず、できません。

6月27日土曜日、18時からに決定。

お題目は、いまのところ「ガード下の力」を予定していますが、チョイと新しいことがスタートするので、それがらみに変更の可能性があります。今月末には、はっきりします。どっちみち、わはははな、おもしろいことになるでしょうよ。

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三溪園「日本の夏じたく」で牧山花ちゃんの染織にふれる。

Yokohama_sankeien011おととい20日は、横浜は本牧三溪園の鶴翔閣で「表現する素材 日本の夏じたく」の初日だった。出品する花ちゃんから案内があったので行ってきた。花ちゃんと会うのは、数年ぶりか。それに、作品の現物を見るのは初めてなのだ。

日ざしが痛い真夏のような暑さ。根岸で降りてバスに乗る。バス停前の薬局に、「マスクは品切れです」と大きな貼り紙。そういえば南へ行くほどマスクの人が目立った。

三溪園は、1960年代後半に初めて入った。それから何度か来ているが、今回は10年ぶりぐらいになるかも知れない。最初のころと比べ、三溪園の前の景色は大きく変った。大きな道路ができ、海岸線は埋め立てられ、大きな石油タンクが並び、園の高いところからでも海が少ししか見えなくなった。ま、でも中に入れば、やはり、和風庭園としては、ほかにない規模のように思われるし、なかなかのものだ。

Yokohama_sankei009鶴翔閣は、茅葺屋根の母屋に、木場屋根の棟を組み合わせた、広大な建物。原三溪と家族たちの住居だったところだとか。傷みが激しかったのを補修して、貸し出している。入り口の大きな池いっぱいの蓮のつぼみが開き始めていた。この週末は、かなり開くだろう。

陶器や漆器や織物など10数名の方が出品していた。花ちゃんの染織は、沖縄の宮古島で修業したこともあると聞いていたので、なんとなく、しなやかなうちにも腰のあるパリッとした感触を想像していたのだが、そういう力強い素朴な感触はあることはあるが、それだけじゃないのだな。肌触りも風合いも、やさしく柔らか、そして艶があるのだ。それは、どうやら、「糸は絹と麻を用いた平織りです」ってことに関係ありそうだ。定番のカラーといえるか、藍染らしい着物も、軽い爽やかな都会的センスな風合いで、一味ちがう。やさしい涼風を呼ぶ感じ。焼き味噌で冷酒を一杯という気分ですね。

Yokohama_sankei016ま、まさに「夏じたく」にふさわしい、涼を呼ぶ染織なのですね。

と、わからんリクツを並べるより、花ちゃんの言葉を聞いたほうがよい。………

布雨土舎(ふうどしゃ)では「お客様とのコミュニケーションにより生まれてくるかたち」を大切なものと考えております。
美術作品のほかに、単衣のきもの、のれん、間仕切りなど、お客様のイメージをお聞きした上でおつくりする「オーダーメイドの布」を制作しています。

糸は絹と麻を用いた平織りです。風合い、色、デザイン、用途などご希望により自由につくることができます。
絹糸と麻糸は手引きの絹、手績みの麻糸を中心に用いており、「手仕事から生まれるしなやかで風をはらむ素材感」を大切にしております。

染めはすべて天然染料を用います。藍や茜をはじめとする染料となる植物の栽培、山からの採集、糸となる麻の栽培など、できるだけ持続可能な自然染料を心がけて活動を続けております。

………ということであります。

オーダーメイドが基本なので、この日、他の出品者は即売をしていたけど、花ちゃんは展示のみ。きものも反物も、ほんとすばらしく、チトおれには買えそうないけど、堪能した。やっぱり、モノに直接ふれられるってのがいいね。

Yokohama_sankei012布雨土舎は、いわゆる工房の名称で、湯河原にあり天然染料の採集や栽培もしやすい環境。花ちゃんは、まだ30代だし、これからが楽しみだ。

きものを着た後姿が建物とあっていたので撮影。ま、もちろん、前からの姿も美人で文句なくよいのだけど、きもの姿というのは、なぜか後姿が絵になるね。背筋からお尻そして足元のラインが、気になるのですね。艶っぽいのですね。

たいしょうには会えなかったが、たいしょうの泥酔ドジな話しを聞いて、笑って帰って来た。そのうち布雨土舎へも行ってみたい。

こちらで花ちゃんの染織をごらんいただけます。牧山花ー布雨土舎(ふうどしゃ)ー
http://nihonnnonatsu.cocolog-nifty.com/photos/hana/index.html

鶴翔閣の展示は、明日の土曜日まで。蓮の花も見ごろかも知れない。

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2009/05/21

神戸の高架下の盛衰。皆様食堂と丸玉食堂。

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2009/05/18「大阪は橋下のまち。」を書いたが、神戸のばあいも、JR三宮駅からJR神戸駅まで続く、高架下の商店街がある。三宮と元町のあいだは、阪急も平行している。

Kobe081_2JRの高架下は「トンネルの街」といったアンバイだ。その三宮には、以前に入ったことがあり、ザ大衆食に掲載の皆様食堂がある。また、ここもそのとき入って、まだザ大衆食のサイトには掲載してないのだが、元町のガード下通りには、台湾料理の、昼酒やるにもよい、丸玉食堂がある。どちらも地元で人気の、すばらしい食堂だ。

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Kobe096今回、元町の食堂の取材のあと、神戸の食堂へ移動したのだが、JR高架下の「トンネルの街」を歩いた。それが、元町から少し離れるだけなのに、どんどん寂れ、神戸駅近くなると、ほぼシャッター街という有様になった。

これは、いったい、どうしたことなのか。神戸経済は、なかなか苦しいとは聞いている。まだ震災の傷跡から脱し切れていないのも確かだろう。だけど、震災後、復興資金などの投入もあったわけで、その使い道は「復興」に値する使われ方だったのか、のちのためにも、「検証」しておく必要があるのじゃあるまいか、と、思ったりした。

Kobe097なんか、まちに、庶民的活気、バイタリティがないのだなあ。なんてのかなあ、ふらふらしていると、なにかしら若々しいパンクな可能性に、とくに高架下あたりではふれるものだが、それがない。

ともあれ印象としては、まち自体が、やけに「老化」というか「硬直」している感じなのだ。神戸は、やっぱ、製造業が活気づかないとだめなのだろうか。でも、いつまでも製造業に頼っている場合じゃないし、となると、若い行動力のある「アーチスト」とかの活躍が待たれる、ってのも、全国の都市的傾向だし……はて、さて。ま、旅行者のカンチガイならよいのだが。

元町の「ちんき堂」さんの前を通りながら寄ってる時間はなかったが、ちんき堂さんみたいに、パンクあんどファンクに気炎を吐いてほしいものだ。ま、神戸だけじゃないのだが、力強くめしくって、ガツンとやろうじゃないか。

ちんき堂さんのブログ「ちんき堂ニュース」
http://d.hatena.ne.jp/chinkido/

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2009/05/20

空とまちを侵食し続けるスペクタクル空間、梅田の大規模集積競争。

Umeda074_2数や量を誇る大物は、文化都市、文化国家からほど遠い。大規模構造物だから悪いとは思わないが、つくる場所と、つくり方があるだろうと思う。

近年、東京駅、名古屋駅、大阪駅の周辺は、駅ビルを含め、タワー化競争が激しい。ただ高いだけ、ただ床面積だけを競う。もちろん、それなりのコンセプトらしいことを、インチキくさい広告屋のプレゼンのようにのたまうのであるが、さほどの文化的インパクトはない。「でかいな~」「高いな~」というおどろきしか残さない。

ようするに、スペクタクル空間ができあがる。

むかし、シネマスコープといわれる映画が登場したころの、たいした内容はないが投入した金額と画面のド迫力がウリのスペクタクル映画のようなものだ。そりゃまあ、『ベンハー』なんぞを観たものだが。

とくに大阪駅周辺の梅田は、もともと阪神、阪急、大丸の百貨店の争いが激しかった。百貨店の争いは、とどのつまり売り場面積の拡大、つまり増床争いという、数と量の争いにゆきついた。それが、ますます、高い大きいビル建設に拍車をかけていることもあるのだろう。

阪急と阪神は合併し(阪神は阪急に併合されたのかな?)、阪神は改築のウワサはあるがそのまま、阪急うめだ本店は、180メートル?ぐらいのビルになり(上の写真)、まだ増床工事中。

Umeda073_2上の写真と左の写真は同じ位置で撮っている。阪急うめだ本店と道路はさんで反対側は、JR大阪駅。大丸が入る大阪駅南側の100メートルぐらい?の駅ビルも増床改築中(画像左端)、北側のクレーンが何本もたつところは、百数十メートルのビルになり、この空は消され、新たな百貨店が進出するらしい。

こんな狭い地域で、そんなに百貨店が競争して、どうするのだ。と、百貨店など、まったく用がない、おれのような貧乏人は、想像つかないのだが。とにかく、スペクタクルというのは、ひとをこけおどす力を持っている。各地の「中核都市」といわれる大きな駅周辺には、規模の大小はあるが、スペクタクル空間が続々生まれている。

何軒呑み倒した食い倒したという数字を誇り、ひとをこけおどすのも、それがまかりとおるのも、この大規模集積競争とおなじ構造にある。読まない本を集めて積んどく競争もおなじ?いや、あははははは。

「数は力」って、田中角栄語録だったっけ? 田中角栄、わが郷土の偉人、好きだなあ。「文化」だなんて気どらないもの。

空も文化もかすむ、数字の論理。
「不況」というが、景気が悪いのは、百貨店に関係ないような民だけなのかな。

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2009/05/19

水族館劇場新作公演迫り、『Fishbone』の校正もバタバタ終わる。

毎年恒例といってよい、文京区駒込大観音境内における水族館劇場の公演は、今週の23日土曜日がスタートだ。タイトルは「メランコリア 死の舞踏」。作演出は、もちろん、桃山邑さん。そして演ずるは、もちろん、千代次さんほか。

Suizokukan001先日、大阪へ行く前、制作の中原蒼二さんから、劇団広報誌といってよいか?『Fishbone』54号に原稿をという依頼があり、大急ぎで書いた。54号は「創造・場所・共同性」がテーマだそうで、おれが近頃「場所の力」だのとわめいているから、気にとめて下さったらしい。

なぜ、いま、自分の中で「場所の力」なのか考えると、60年代あたりから騒がれている「都市化」や「都市問題」が関係あると思って、その流れにふれながら書き出し、チト2千字にしては大きすぎる構想、と、あとで気がついたときは遅く、時間もないから、なんとか帳尻を合わせ一気に書き上げた。タイトルは、「「場所の力」と「場所の記憶」」。

で、あまり制作時間がないうえ、おれが大阪へ行ってしまったこともあり、きのう短時間の校正、もう文章の直しはやっていられない、読みにくい段落だけを直し、終わった。うーむ、ま、いいか、の仕上がりにはなっていると思う。

それも、公演のときには配られるでしょう。

きのうは、五十嵐泰正さんから、彼の指導による「この論集は、2008年度の筑波大学社会学類における「社会調査実習Ⅱ」の最終成果として、実習参加者が執筆した文章をまとめたものです」という、A4サイズで150ページ以上の、力強いレポートをお贈りいただき届いた。五十嵐さん、ありがとうございました。

タイトルは、『柏という「場」  地域意識、サブカルチャー、公共性』。「柏」は千葉県柏市のこと。これまた「場所」がらみ。

パラパラ見ていると、やはり実態調査は、とても大事だと思う。仮説やイメージと、実態とのギャップが新鮮。これが、大事なんだな。ま、ライターの取材も、一つの実態調査ではあるが、でも、ライターの取材は、けっこう、新聞記事なんぞを見てもそうだけど、あらかじめ決められた企画の結論の固めや、テーマにそった予定調和のための取材みたいなのも、少なくないからね。

とにかく、おもしろくて、原稿を書かねばならぬのに、その原稿にも関係しそうな文言が目にとまると、ついつい読んでしまう。

酒場も食堂も、場所を指す言葉だから、大いに関係あるのだが。

ってことで、みなさん、駒込大観音境内の水族館劇場という場所へ、ぜひお出かけください。「メランコリア 死の舞踏」なんてタイトル、どんな出し物かわかりにくいが、おれは昨年初めて観て思った、タイトルは物々しくても、日本のどこかの場所の記憶がつまった、大盛りめし食わせる大衆食堂のような芝居だ、と。『Fishbone』の原稿の最後に書いたのだが、水族館劇場は、「「他者のこころのなかにある記憶を引き出し表現するという営み」をやっているような気がする」。今年も、たぶん、そうでしょう。安心して?お出かけください。

公演は6月8日まで。

かくいうおれは、あいにく忙しく、いま予定を調べたら、今月中は無理そう。6月1日は都合よいと思ったが、この日は休演になっている。はて…。

詳しくは、水族館劇場の公式サイトを。日々着々と進む、小屋掛けの様子も、ご覧ください(この劇場のばあい、この小屋掛けから、芝居が始まっているようなものだからね)。
http://www.suizokukangekijou.com/

関連。昨年、初めて公演を観ての感想。
2008/05/24
水族館劇場、白骨島スペクタクルに驚愕。

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2009/05/18

大阪は橋下のまち。

Hasisita001aたしかに、大阪府知事は橋下だ。大阪は橋下のまちともいえる。「水都」といわれ橋が多いのも確か。それだけじゃない。JRの環状線はグルリほとんど高架だし、築港へ行くため弁天町で地下鉄大阪港線に乗り換えようと改札を出て、トウゼン下に降りるものと思ったら、地下鉄なのに環状線より上にあがるのだ。

そのホームから見たら、地下鉄は高架で、それをはさんで高速道も高架。陸橋だらけ。5階ぐらい下に地表の道路。そんなアンバイで、橋下のまちがオモシロイということに、あらためて気がついた。

Hasisita171_2番号のついたガード下飲食街。いい雰囲気。その一つ、通路を挟んで、赤チョウチンが並ぶ。うーむ、いい雰囲気。その中の一軒に入った。うーむ、うーむ、いい雰囲気。なんだろうね、橋の下、ガード下というのは…。

Hasisita178

と、ガラス越しに向かいの店の暖簾の下。普段着のスカートにつっかけサンダルしどけなく、生足の白いふくろはぎがチラリ。色っぽいね~。こんなガード下ならではでしょう。パチリと撮影。

Hasisita179こちらのガラスに自分の姿が写りこみ、隣に「遠藤さん、それ盗撮ですよ」という本野さんの背中、「おめえが先に撮ったんじゃないか」とおれは返す、おれの奥から大竹さんが「あんたらなにしてるの」っていう顔もみな写り込んで、いい雰囲気だね~。

ああ、夕暮れのガード下が、おれを呼んでいる。と、大阪なら、どこでも、いえるわけだ。そのうち、「大阪橋下文化」、「橋下酒場●十●ヶ所巡礼」なーんてのが、始まるかもしれんぞ。ばかだね~。なんでも「文化」とつけてエラソウにしたり、「●十●ヶ所巡礼」なんて、ジョークやパロディならおもしろいけど、数集めるだけのかっこ悪い消費主義だよ。そういう消費主義的なコンテンツやスタイルではなく、まちの生活を楽しめないものかね。

Hasisita165_2メニューに「おばけ」ってのがあって、溝口さんに訊いたら、「さらしクジラ」のこと。福岡あたりじゃ「おばいけ」だそうだ。頼んだら、酢味噌かけたさらしクジラ、冷たくさわやかでうまかった。橋下はベンキョウになるね。酔いも早いんじゃないかな。ってことで、こんどのスロコメ@下北沢トークライブ「泥酔論」は、「ガード下」でやろうと思う。

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2009/05/17

おれをアル中にしないで in 三都。

Kobe_motomachi092午前11時に入ったら、めし食う人びとに混じって、すでに男たち数人が呑んで楽しそうにしている食堂があった。店の主人も、ウチはご覧のとおり、いつも居酒屋のようなものです、と。昼酒率の高い食堂が多いだけじゃない、昼から大酒飲んでアル中になって、といわんばかりの、うれしい、安い酒の値段もある。だけど、いずれも、シッカリつくったおかずが種類も豊富。それがまた、関西ではアテというツマミにいいのだな。

この食堂。神戸元町界隈では名の知れた古い食堂だが、「タイムサービス」の貼り紙は酒類のサービス。「昼1時~夕6時迄」、ビール大瓶370円、日本酒150ml270円、生ビール中370円、焼酎 湯割り水割り270円。そして、スーパーニッカ s270円、w500円まである。

インフレ騒ぎなインフルエンザがなんじゃい、呑まずにいられるか、力強く呑め、の値段。食堂や客たちに、街のニオイをかぎながら呑む、昼酒のうまいこと。おれを関西に連れてってアル中にして。ってことで、また近々、関西へ行く予定なのだが。

詳しくは、6月25日発売予定のミーツ・リージョナル別冊大阪版「酒場本(仮)」を、お楽しみに。
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動物園前一番街のココルームで「場所の力」的再会。

Coco04913日の原口剛さんと待ち合わせは、釜ヶ崎地区、動物園前一番街のココルームか成田屋で19時ごろテキトウに、ということだった。千日前のホテルにチェックインしたのち、難波から南海電車沿いに歩き新今宮。新世界あたりからジャンジャン横丁をプラプラし、動物園前一番街入り口の成田屋前に着いたのが18時半ごろ。

まずは、ココルームへ行ってみる。動物園前一番街を入ってすぐの左側。3月7日の「場所の力」シンポジウムのとき、翌8日の午後、原口さんと立ち寄ったが閉まっていた。入るのは初めて。

カウンターに、おれよりチョイ若いと思われる先客男子が呑んでいた。カウンターのなかには若い男子。あとで聞いたら週一のアルバイト。奥の畳コーナーで、若い女子が本を静かに読んでいる。瓶ビールを頼む。「なんでも屋」と称し、見るからに酒好きの先客男子が話しかけてくる。問われるままに応えながら呑む。

ブログを見ると、毎週のように東京出張で、津田塾やら明治学院で講座をやっているし、ココルームで席を温めている時間もないほど激しく忙しそうだから会えないだろう諦めていた上田假奈代さんが、ひょっこりあらわれる。なんとまあ、運がいい、うれしい。なにしろシンポのときも、假奈代さんは忙しく、翌8日の早朝にロンドンに向かって発つため早く帰ってしまい、ゆっくり挨拶もできなかった。

假奈代さんは、すぐさま原口さんに電話をしてくれたから、成田屋はあとで行くことにし呑むうち、原口さん、山西さんがあらわれる。ココルームのスタッフもあらわれ、店内は急に賑やかに。

Coco05720時すぎ。假奈代さん、原口さん、山西さんと連れ立って、杉本洋一さんが「路地裏の猫」写真展をやっている成田屋へ。残念ながら、杉本さんは一足ちがいで帰られたあと。

おでんと、それぞれ好きな飲み物で、遅ればせながら「場所の力」シンポよかったね乾杯。記念撮影をしようとデジカメを取り出すと、成田屋の大将が撮ってくれた。

おしゃべりしているうちに、なんとまあ、またもや運がいい、やはりシンポ参加の西成生まれ育ち在住のラッパー、SHINGO☆西成さんから假奈代さんに電話があって、いまから来ると。SHINGOさんをまじえて、もう一度カンパーイ。あれこれ話がはずむ。思いがけない再会で、楽しい、うれしい。

21時すぎ、ココルームにもどり、ユーチューブで野弧禅を聴きながら解散残念会をやろうということになる。畳コーナーにセットしたパソコン画面をみなで囲む。「ならば、友よ」「少年花火」「かもめ」。もう何を呑んだか覚えていない。清酒も焼酎も呑んだ。

SHINGOさんは、野弧禅は初めてだそうで、あれこれ話す。話しているうち、着ているものどこから取り出したか、どらえもんのように、ご自分のDVDを取り出し、くださるという。えっ、いいんですか、うれしいねえ。さきほど成田屋にいたとき、「あれ、シンゴニシナリじゃないか」と囁きあっている客もいたが、めったに会えない地元の人気者ラッパーに会えたうえ、DVDまで貰って。マジックで目と口を書き込んだDVDも一緒に記念撮影。酔いも心地よく、ご満悦。いただいたDVDのタイトルは「U.Y.C」。ゆってることと、やってることが、ちゃいますねん。

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Coco048ブログを見ても、假奈代さんは、もう十分忙しいなか、さらに新たな事業を手がけている。「KAMAN!メディアセンター(釜ヶ崎メディアセンター)」。その事務所が、ココルームの真ん前の空家だったところを借り、みな自分たちでつくる「セルフビルド」工事中とのことで拝見した。すでにスタッフの方も決まっていて挨拶。

ココルームもそうだが、何をやるのか一口で説明しにくい。とにかく「共に生きること」に関係することを。自明のことではなく、歩きながら、感じて、やる、そういうものなのだと思っておけばよいか。と、考える。

しかし、上田假奈代さんは、脳の奥にバクダンを抱えながら、ひらりひらりほがらかに、ねばり強く果敢に取り組み、男なら、あるいは女でも、肩肘はって物言うところだが、そういうことはなく、さらりさらり、和服と髪飾りに足元は洋風ブーツや編み上げサンダル?なファッションがマニアックでも奇抜でもなくシックリ似合う、「詩業家」である。

とにかく、なんだか、とてもいい気持の時間がすぎ、22時をまわり、翌日からの飲み食い取材に備え、あまり泥酔状態にならないうちにと、原口さん山西さんとココルームを出て、動物園前駅で彼らと別れ電車に乗る。

動物園前一番街のインフォショップ・カフェ「ココルーム」に立ち寄ってみると、特別な食べ物や飲み物があるわけじゃないけど、あちこちにのさばる人を人と思わない空間とはちがう、なにかいい空気が流れている。ごちゃごちゃした中に、すぐ自分の居場所がみつかる。

オープン準備中の「KAMAN!メディアセンター」のサイト
http://kama-media.org/

上田假奈代さんのブログ「日々。生きる現代文学」
http://booksarch.exblog.jp/

SHINGO☆西成さんのブログ
http://nishinari.exblog.jp/

SHINGO☆西成さんのラップをYouTubeで…クリック地獄

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2009/05/16

大阪、神戸、京都、三都めし酒物語。

Meets_oosaka00914日、15日、ミーツ・リージョナル別冊大阪版「酒場本(仮)」の取材のため、前夜も大阪で呑むべく13日朝に発った。

13時過ぎに新大阪着。午後付き合ってくれる予定のやつが、出張先の四国から帰れず、ひとりで築港あたりを缶ビール呑みながらウロウロ。天保山初登頂、水景色を見ながら呑む缶ビールが、たまらんうまさ。地図で調べると、ここは堂島川や土佐堀川の下流、安治川の河口になるのだな。うん、いま時分は、野外呑みがいいね。

ホテルにチェックインのち18時半ごろ、動物園前一番街のココルームへ行って呑み始める。そのあとは、出会ったみなさんと、成田屋を往復しながら、杉本洋一さんの「路地裏の猫」写真展を見たり、3月の「場所の力」シンポジウム打上げだの、野狐禅解散残念会だのと、呑むことになるのだが、詳しくは後日。思いがけない人にも会えて、よい夜だった。22時過ぎまで呑み、ホテルにもどる。

取材は2日ともミナミがスタートなので、千日前にホテルをとった。14日は、そのホテルから1分ぐらいの、なんば千日前通の食堂で昼めし酒取材でスタート。11時に、なんばグランド花月前に編集の溝口さん、写真の本野さんは初対面。とにかく、今回の趣旨は、大阪、神戸、京都、それぞれの街場の食堂で酒を呑むことの探究なのだ、食べ、そして呑まねばならぬ。しかも、昼酒。

Meets_kobe106千日前の食堂を終えて、少し時間があるから、いったんばらけて神戸の元町交番前に14時集合、近くの食堂で、また、呑み。とにかく、食べ、かつ、呑む。高架下を歩いて新開地、神戸駅前の食堂へ移動。また、呑む、呑む、呑む。17時半ごろ、終了。

溝口さんと本野さんは大阪にもどり、深夜までスナックの取材だという。おれは新開地をプラプラ。以前に入ったことがある、ボートピア近くの串カツ立ち呑みを見つけ、入る。だけど、生ビールに串カツ2本食べたら、もうダメ。ああ、情けない。兵庫駅まで歩き、20時半ごろ梅田にもどる。

心斎橋に出て、千日前まで、歩く。心斎橋筋の大丸あたり、パチンコ店が並んで、ガラリ風景が変った。千日前に着き、なぜか王将の看板を見たらラーメンを食べたくなり、ラーメンを食べる。なぜかタコ焼きが食べたくなり買い、缶ビールも買い、部屋で食べて呑んでいるうちに、そのまま寝てしまったらしい。朝方目が覚めたら、タコ焼きが3個残っていた。

15日は11時、心斎橋の食堂からスタート。ホテルを10時頃チェックアウトし歩く。道頓堀ドンキの裏というか表というか、宗右衛門通は、キャバクラがズラリ並び、「朝キャバ」なんていうサインも多い。朝キャバ、朝酒、なんでもあり。胃がもたれる、途中の薬局でソルマックと正露丸を買う。11時開店早々から大賑わいの老舗洋食屋で、オムライスと串カツをビールで流し込み、終わり、京都へ。

Meets_kyoto139淀屋橋へ出て、京阪電車で「祇園四条」に駅名が変った四条で下車。加茂川を渡る川風が心地よい。こんな日は、若い女と一緒に過ごしたい、と、本野さんが言い。ふむ。錦市場のバッキー井上さんの漬物屋を教えてもらい、少し時間があり、河原町のリプトンでお茶。14時15分ごろ、藤井大丸裏のへんの取材の食堂へ。ここが最後だ、ぐわんばって食べ、呑む。無事に終了。

たぶん、いちおう、呑み食いだけは、無事に終了した。原稿を書けるのか? 企画はつまった状態じゃなかったが、でもまあ、途中移動しながら、こんなふうにあんなふうにと話していたから、なんとかなるだろう。

Meets_nisikujyo168さて、それで、河原町から阪急で梅田にもどる。17時に大阪駅で、東京から来る大竹聡さんと待ち合わせなのだ。つまり、おれの取材は終わり、続いて大竹さんの取材がスタートする。おれは帰りの新幹線の時間まで付き合って呑むのだ。

大竹さんは、深夜24時ぐらいまでのあいだに、6軒呑まなくてはならない予定だ。クスリと、それから、これを呑んでおくと確かにあまり酔わないというものを、口に含んで準備を整える。

環状線内回りに乗って、一軒目は福島のガード下、二軒目、西九条のガード下トンネル横丁、そこが終わって19時。もう一軒付き合うと、今晩ホテルで一緒に寝ようよと誘う大竹さんの誘惑に負け、ウチまで帰る最終新幹線を乗りはずしそうなので、西九条駅で次の店へ向かう彼らと別れる。

新幹線に乗って爆睡。24時ごろ、よたよた帰り着いて、ビールを呑んで寝る。陽射しは強いがさわやかな、ビールがうまい3日間だった。

Meets_ootake159最後の写真は、福島ガード下のワイン酒場で、大竹さんの地獄の6軒はしご酒のスタートを祝し、お互いの写真をお互いのデジカメで撮り合った遊んだ絵であります。

今夜のこれからを想像し、もはや大竹さんは、ヤケクソ気味です。「こりゃあ、わしに焼酎と体力勝負の仕事ばかりさせないで、じっくりワインと文学勝負の仕事をさせんかい」とグレているようです。地を出したのか、演技なのか。

いやあ、しかし、次の西九条の高架下の飲み屋も、よかった、楽しかった。はたして、そのあとは、どうなったのだろうか。無事に6か所やれたのか。いまごろ(16日午前10時半)、どうしているのやら。

6月25日発売を、大竹さんもおれも無事に迎えられるか。

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2009/05/12

東大宮・鉄砲屋、大宮・いづみやで泥酔べろべろ。

さてそれで、前のエントリーの続「泥酔編」。麻こころ商店を出たのが16時過ぎ。行く予定の飲み屋は17時からだから、まだ開いてない。なので、木村さんとおしゃべりふらふらする。ブログに掲載した、東大宮の勝手に名所のアートな農協や大宮名物大雅の餃子とか「観光」しているうち、見沼たんぼへ行くことになる。

それじゃついでに我が家も案内するかってことで、狭い家だからすぐ終わり、東大宮操車場をまたぐ陸橋へ。見沼たんぼの北限域や南のほうを眺める。操車場に、むかし東北本線などを走っていた特急車両を見て、鉄ちゃんじゃないのによろこんだり。天気はよく、風は涼しく、陸橋の上は気持ちよく、近くに学校が多いから、中高生の部活らしいのがランニングする姿も、さわやか青春物語な情緒。

んで、またふらふら駅にもどると、西口そばの鉄砲屋が開いていた。17時半すぎだったと思う。もう5割ぐらいの入り。奥のテーブル席にすわる。とーぜん、生ビール。散歩もしたあとだから、うめえ。カレーライスがまだきいているか、あまり食べたくない。冷奴、ポテサラ、レバ刺しのみ。遅い時間だとレバ刺しは売り切れるから、ひさしぶり。あれこれ、おしゃべり。生ビールおかわりのち、チュウハイ。

20時に大宮いづみやで、さっちゃんとくらちゃんが合流することになっているから、サキさんも呼ぼうということになる。うまいぐあいにサキさんもOK。えーと、いづみやに着いたのが19時半ぐらいか? なんと、第二支店も本店も、満杯状態。なんとか第二支店の長テーブルの片隅に2人で座る。

もう一度生ビールから。20時ごろ、さっちゃんとくらちゃんがあらわれ、20時20分ごろサキさん。どんどん席をつめながら押し込む。急ににぎやかになり、話がとっちらかる。くらちゃんが、早くから燗酒なんぞを呑み始めたから、こちらもつられるように燗酒になったあたりから、もう、なんだか覚えていない。ダビッドさんも参加が、東大宮へ間違えて行ってしまい、もどってきたら、いづみやが22時閉店の15分前。おれは最後に、この酒は呑んでいる最中から頭が痛くなるんだよなと、悪い刺激が心地よい、黒糖焼酎を呑んだのは覚えている。

きょうは、ほんと頭が痛かった。あの黒糖焼酎のせいにちがいない。

大阪のミゾグチさんと電話で、段取り打ち合わせ。のろのろ、ややこしいことを片付け、ほか、買い物に行ったり、もろもろ。夜になって、やっと調子がもどる。

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東大宮、麻こころ茶屋と麻こころ商店。

Makokoro0092009/05/06「「ふきお売りします」という土地の「麻こころ茶屋」やエコ系など。」に、「「麻こころ茶屋」「麻こころ商店」は、ここに越してまもなく、ある物書き女子がメールで、こんなところがあるよとサイトを教えてくれた」と書いた。

「あるもの書き女子」とは木村衣有子さん。そのエントリーを見て、行ってみたいというので、きのう15時近くに東大宮駅で待ち合わせ、まずは麻こころ茶屋へ。新潟県の地ビール、麻ビールを呑み、カレーライスを食べる。しっかりした味のカレーライス。

麻こころ茶屋も麻こころ商店も、金、土、日、月の営業。茶屋の昼の営業は16時まで。商店は17時まで。食事を終えて、商店へ行く。

のち、東大宮と大宮で呑んで、泥酔で終わるのだが、その件は別に書く。前回は茶屋も商店も写真がなかったので、今回は写真を載せる。

麻こころ茶屋と麻こころ商店については、2009/05/06「「ふきお売りします」という土地の「麻こころ茶屋」やエコ系など。」をご覧ください。リンクもあります。

浅草に住む木村衣有子さんのブログ「観音うらメモ」…クリック地獄

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どれもうまくて満足だったが、微妙に味つけが濃すぎる感じがした。のどに、しょっからさが残る。だけど、このへんは、たいがいそうなので、このほうが土地の人に好まれるのかも知れない。それに、ビールのつまみによい。

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店内の入り口周辺の様子。

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茶屋の前は、東大宮駅ホーム。ホームから見える位置にあるけど、知らないと一番上の写真のように、ここにこんな店があるとは思えない。大きい高い建物は少なく、全体がぼわーーーんとした、ゆるさ。おれがガキのころの田舎町の雰囲気が感じられる。ふつうにスローなまちなんだ。

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商店は茶屋から5分ぐらい。こんなふうに、葡萄畑があったりする。この畑のならび、むこうに重松荘シアターがあり、その先隣が商店だ。

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商店も、知らないと見過ごしてしまう。茶屋もそうだけど、この、あまりエコやナチュラルを押し付けがましく主張しない、ふつうの生活感あふれる環境とたたずまいがいいですね。惣菜など、人気らしく、売り切れがあった。左側の引っ込んだ位置に重松荘シアターがある。

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2009/05/10

ならば、友よ、残念酒を呑もう。

きょうは母の日だ、そうだ。おめでとう、おかあさん。
その母の一人からメールがあって、「野狐禅解散だそうです」と。
おおっ、なんてこった。絶句。

前のエントリーのコメントでも、KOWさんが「野狐禅解散」の書き込み。

母よ、解散はよくないな。
酒を呑みすぎるんじゃねえぞ。

ならば、友よ。
酒を呑むのは、死ぬまぎわでいいや。
ってわけにはいかないんだよな。

みんな、この野狐禅の「ならば、友よ」を聴いて、酒を呑もう。
関連
2008/12/08「ならば、友よ。」

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2009/05/09

浜田賢治さんから「 何処から・・・何処へ 」Ⅰ改訂版を贈呈いただく。

文は、あとで。

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「愛」のようにわからない言葉「場所の力」に苦労する。苦労は実になるか。

この世には、なんだか可能性を感じる、夢を託すに値しそうな魅力があるがゆえに使われる言葉ってのがある。そういうのは、たいがい抽象度が高い。自明性に欠ける。だからこそ、可能性がありそうで魅力を感じるのだが。それを中学生ぐらいに、禅問答のようにならず、具体的に説明するのは、とても難しい。

そもそも説明する言葉ではなく、感じとってもらう言葉なのだな。つまり、そういう書き方をしなくてはならない。しかし、クソハードボイルドやクソリアリズムでチンチロリンタッチな文章が好きなおれは、どうもね。いや、ま、そういう文章でも、感じとってもらう書き方はあるのだが。

なんて考えつつ、「場所の力」について考えながら、「愛」についても考え。どうもね、なんだか似ているね。ということは、どうもね、まずかったかな。なんて別のことを考えながら、あのバカはどうしているかなとか、酒呑んで屁をしてるかなとか、あれこれ考えながら、なんとなく決められた2000字で書いたことは書いたのだが、イマイチ納得できてない。

でも、おれのばあい、締め切り約束は厳守だから、こうやって、約束の時間より早めに着くよう約束の場所へ行こうとするように、イチオウ早めに書き上げてから、ギリギリまでねばる。で、じつは、時間切れになれば、イマイチかなと思っても、クヨクヨ考えず、思い切りよく渡してしまう。

そうして、今日までドジしながら生きてきました。約束より大事なことがあるのに。約束より大事なこと、それは「愛」だよ、「場所の力」だよ。酔っちゃいねえよ。

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2009/05/08

トツゼン思い出の、大山食堂。

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雨がシトシト降る日は、雨がシトシト降った日を思い出すのか。2007年7月20日は、朝から小雨が降っていた。『雲のうえ』5号食堂特集のロケハンで、朝の9時には、北九州市門司港の安全入船食堂の前にいた。

安全入船食堂で朝定食を食べ、関門海峡に架かる橋のたもとにある食堂へ移動の途中で、ロケハンリストにはなかった、この大山食堂を見つけた。と記憶する。

カウンター5人分ぐらいに、小あがりに4人やっとのテーブル一つ、だったと思う。もう、好きなときにあけ、好きな人たちが集うだけだからと、取材は断られた。たしかに、こういう食堂は、雑誌を見たぐらいで来られても困るだろうなあと思われた。だけど、ほんとうは、門司港という場所を語るには、とても大事なような気がした。

しかし、掲載すれば、情報が一人歩きする。「食堂」や「大衆食堂」は、「場所」を表現するものだということは、理解されない。理解しようという気さえないようだ。住所、値段、うまさや雰囲気などのスペック情報だけを消費する。想像力も創造力もない「グルメ」あるいは「B級グルメ」は、そういう悪癖をもって、場所の記憶を消してきた。それは、再開発で「まち」を破壊するのとおなじなのだ。ってなことを、3月の大阪での「場所の力」シンポジウムでしゃべったな。食事も味覚も、場所と深い関係にある。

今日は小雨もよう、「場所の力」がらみの原稿を書きながら、小雨に煙る関門海峡と大山食堂を、トツゼン思い出したのだった。こんにちの消費主義は、過去の遺産を食いつぶして終わる。夕方、買い物に出たら、雨がやんだ南の空に、大きな虹があった。

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こんな小さな食堂、やってみたいと思いませんか。

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2009/05/07

見沼。農村的残像。

Oowada016東大宮から第二産業道路(国道5号線)を南へ向かって徒歩30分弱、東武野田線大和田に至る前に東側つまり左側の小道に入ったら、こんな景色があった。大和田駅からなら、10分ぐらいのところと思われる。ひと月ほど前、4月上旬の撮影。

以前、与野や北浦和に住んでいたときも、同じような「長屋門」のある、「農家」というには豪壮な屋敷があった。そのうちの一つは荒廃がすすんでいて、近所のラーメン屋で聞いたところでは、主が先物取引に失敗し人手に渡ったかどうかしたということだった。ほかの二か所は、周囲に住宅やマンションがひしめくなかに、大きな長屋門が一軒の屋敷のように残っていた。そういうところでは、もはや、かつての農村や農業をイメージすることも困難である。だけど、ここのばあいは、まわりにまだ耕作地があって、この一角だけだが、なんとなく農村な雰囲気を感じさせた。

しかし、どんな農的な営みがあったのかを想像することはできなかった。おれの知識の貧しさもあるだろうが、こういう風景は、建物には「遺産」的価値は認められることがあっても、建物を含めた風景にあったはずの人の営みについては「行方不明」になってしまうことが少なくないのだなと気がついて、おわった。

生産を支えた無名の労働が「行方不明」になるように、その営みは語り継がれることなく消えてしまう。それが農の場を弱めてきた一因でもあるだろうし、こういう歴史が続くなら、無名の労働が支える生産が息を吹き返すことはないのだ。かりに大きな屋敷や大きな都市や大きな話が残ったとしても。

そんなことを考えたのだった。

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2009/05/06

「ふきお売りします」という土地の「麻こころ茶屋」やエコ系など。

Huki003ウチから東大宮駅へ行く途中の、「離農過程」にあると思われる農家の庭先に「ふき」が密生し、「ふきお売りします」のサインがあった。

何度か書いたように、このあたりは、東京から鉄道沿線に沿って続いている家並みが途切れ、田畑が広がっていく「都鄙臨界地帯」だ。駅から5分も歩けば、「田園都市」なんていうオシャレなものではない、野雑な景色がある。そう、おれは「野雑都市」と呼びたい。耕地と荒地と空き地と住宅が、雑然と入り混じる「まち」なのだ。都心の猥雑とはちがう猥雑感があって、おれは好きだ。

なんて書くと、土地の人に、東大宮のイメージを落とすなんて怒られるかも知れないが、こういうところでは、「なんとなくエコロジー」「なんとなくナチュラル」「なんとなくスロー」が成り立つ。つまり無理のない、エコロジー、ナチュラル、スローが可能なのだ。それは東京の都心から「発信」される、バリバリのヨロイを着たようなエコロジーやナチュラルやスローと大いにちがう。だいいち、都心と比べたらのんびりしているもん。

道路端の「ふきお売りします」も、そうした景色の一つだろう。きのうのエントリーに、ちょっとだけ書いた「むすび市」を開催の、「麻こころ茶屋」「麻こころ商店」も、そうだと思った。

「麻こころ茶屋」「麻こころ商店」は、ここに越してまもなく、ある物書き女子がメールで、こんなところがあるよとサイトを教えてくれた。見ると、バリバリのエコ系ナチュラル系という感じだった。でも、行ってみようかと、何度か近くを通ったのだが、それらしいのが目に入らない。

これは、あとで考えると、ヒジョーにおもしろいことだった。つまり、ネットで見て、バリバリのエコ系ナチュラル系という印象を持った瞬間、おれは都心から発するメディアに登場する、いかにも「地球にやさしい」感じを押付けがましく主張する、ソフトでウディでペンキな外観を知識として、イメージしていたのだ。知識がモノゴトの実際を見誤らせる、よい例だった。何度も、その建物を見ているのに、そこが、「麻こころ茶屋」「麻こころ商店」だとは思わなかった。

そこは、なんの変哲もない、味も素っ気もない高度成長期的新建材の外観が、そのまま古くなっただけの建物なのだ。まさに経済的合理性を追及した、昭和の建物だけど、「昭和レトロ」の仲間にはされない、安っぽいだけの、それなのだ。

おれは少なからず感動した。これは、自分のやれるやり方で、一歩づつやろうということではないか。もちろん、いまのところ仕方なく、そうしているのかも知れないが、見かけより内容で始めようという意思を感じた。なんてのかな、無理がない。土地に根ざしている。

いま、エコ系ナチュラル系というと、ハヤリの宝石を身につける感じのものが少なくない。都心あたりで、そういうのって、無理があるなあと思う。身体に悪いこと、たくさんやりながら、ナチュラルローソンで買い物をしているような無理というか。やたら「高級感」にあふれている。

ま、バリバリなヨロイを着たようなヘビーでマニアックもよいけど、無理なく自然に少しずつやる「なんとなくエコロジー」「なんとなくナチュラル」「なんとなくスロー」でないと、おれのような俗悪な凡人は近づけないのだな。

とにかく、そんなわけで、きのうは混雑していたこともあり、何も買わなかったのだが、「麻こころ茶屋」「麻こころ商店」は、また行ってみたい気になる存在になった。


「麻こころ茶屋」「麻こころ商店」のブログ「MacocoroDiary」
http://macocorochaya.typepad.jp/diary/

きのうの「むすび市」に出品していた気になる農場。
見沼たんぼで有機農業を始めた若いご夫婦の「風の谷農場」。「季節のお野菜宅配便」もある。
http://wvfarm.exblog.jp/

重松荘シアターでお会いした、気になる「エコ見沼」。
http://estrela.ciao.jp/minuma/

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2009/05/05

貧乏くささの居場所、東大宮の重松荘シアターで映画鑑賞。

Sigmatu004ひょんな映画がらみなことで知り合ったチエさんは、ここ東大宮の出身で、しかもいまは宇都宮線の古河に住んでいて、都内に通勤するかたわら、「映画館のないまちで映画を上映する」ことを、やっている。

最近のことである。いきさつはよくわからないが、女友達と、東大宮の実家の近くにある、放置廃屋になりそうな古いアパート、重松荘の一室を借り、「重松荘シアター」として上映会を始めた。その2回目が今日。

ふつうのアパートの一室が会場なので狭く、予約が必要だが、昼過ぎにチエさんのブログを見たら、まだ余裕がありそうなので、問い合わせると大丈夫だった。

地元つながりのイベントは、きょねん10月21日に越してきて初めてだ。小雨のなか、同居のツマと出かける。途中で、「むすび市」を開催している、前から気になっていた東大宮東口の「麻こころ茶屋」と、重松荘の隣の「麻こころ商店」を、ちょこっとのぞいた。そのことは、別に書く。

Sigmatu006重松荘シアターは、古い貧乏くさい建物だった。だけど、一階が台所のある板の間、階段で2階の和室というぐあいに、いわゆるメゾネットスタイルなのだ。ほかの入居者に関係なく、一階の入り口で入場料500円(ワンドリンク付き)を払い、2階にあがる。1階では、ミニフリマもやっていた。階段は、昔の造りだから、急で段差も大きい。

2階の6畳ぐらいの和室に、スクリーンと投影機と、投影機に接続したDVDデッキが、このシアターのすべて。

映画は、シグロ製作の「日本国憲法」。5月3日が憲法記念日で一週間は「憲法週間」だそうで、この映画になったとのことだった。「世界から見たわたしたちの憲法」ということで、インタビュー構成。こういう映画があるのも知らなかったが、GHQサイドで憲法草案づくりに加わったひとも登場する、なかなかおもしろいものだった。この憲法下でイラク派兵をしたツケが、どうなるか、「改憲論議」より気になる。

午前と午後の2回上映で、おれが観たのは2回目の16時から。1時間半ぐらいで、映画は終わり、ほかの観客の方、全部で6人ぐらいだったか? なんとなくおしゃべり。チエさんとは、ひさしぶりというか、飲み会で顔は合わせているが、酔っぱらって挨拶もしなかったので、話すのは初めて。共通の知人もいて、アレコレおしゃべり。18時半ごろ辞す。

これぐらいの、こじんまりとした映画会は、なかなか味わいがあるし楽しく、よいものだ。これからは、大人数イベントだけじゃなく、こういう小さな、お互いの小さな声が届く範囲の、地道なイベントが大切だな。

チエさんも重松荘シアターの「オーナー」という女子も若いのに、こういうことをやるって、なんだかおもしろい。以前なら、こういうことを先頭切ってやるのは、経済的に余裕のあるひとや団体や組織なのに、ふつうに仕事している個人がやっちゃうのだから、すごい。気軽にお店を出す感じだ。お店というより、屋台感覚か。

おしゃべりで話題になった、「インフォショップ」などもそうだけど、近頃の行動的な若い人たちは、なかなか商売も上手だしアイデアも豊かで、おもしろい。しかも、気どらず、身の丈で、貧乏くさいまま、好きなことをやるってのが、地に足がついている感じで、なかなか好ましいね。

「麻こころ茶屋」や「エコ見沼」など、東大宮の「エコ系」「ナチュラル系」の人たちにも、初めて接したけど、世田谷・目黒などの消費主義的なそれと違い、どこか貧乏くさく、生活に根ざしているところに、好感がもてた。

そりゃそうと、重松荘シアターの次回、3回目は、6月20日どようび。キャンドルナイト・シアターってことで、『ヘイマ 故郷』であります。


重松荘シアターのオーナーによるブログ「しげしげ日記」
http://shige-st.blogspot.com/

チエさんのブログ「古河シネマニア」
http://kogacinema.exblog.jp/

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2009/05/04

世田谷の農地。

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すでに書いたように、2日、大田尻家運動会のあと経堂の大田尻家まで歩いた。砧公園から環八を陸橋で渡ると、すぐ畑があった。そういえば、20年前ぐらいは、このあたりは畑が多かった。平屋の農家風の建物も、あちこちにあった。

左手に砧公園、清掃工場の煙突、環八と自動車メーカーのショールーム、そして残ったわずかな耕地。もう日は落ちた薄明かりのなかに、世田谷の農業の残りかすが消えようとしていた。

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環八の世田谷市場の信号をこえたあたり、清掃工場の煙突を左に見ながら、千歳船橋へ向かう小道を選んだ。そこにも、畑があった。前のより広く、奥の一角に緑に囲まれ、農家らしい屋根も見えた。視線をふると、背景に洒落た家々を配置した畑があった。美しく見えたのは、残照の中に消えゆく、浮ついた東京の後姿か。

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2009/05/03

忌野清志郎が逝った5月2日、太田尻家運動会in砧緑地。

粟津潔さんの訃報のあとなのに。忌野清志郎さんも死ぬんだなあ。なんだか寂しいねえ。

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Ootajirike009恒例の太田尻家運動会。世田谷の砧緑地。渋谷乗換え田園都市線用賀駅から歩き、午後2時すぎごろ着。今年はタカギさんが用意した新兵器、タコ焼きが登場。これ、いいねえ。タコ焼きのほかに、シーフードミックスなんぞをタコ焼きの穴に置いて、上から刻みとろけるチーズをかけて焼く。「チーズフォンデュ焼き」とか? ノザキさんは、モツ煮こみを作ってきた。この容器も、いいねえ。ふたを開けると湯気が出るほど、熱く保温される。ま、それで何やかにやオシャベリしながら、おれは呑むだけだったが、みなは例の蹴鞠やフリスビーなどに熱中。木の影と人の影が長くなり、手元が暗くなるまで。

Ootajirike014二次会は経堂の太田尻家なので、歩く。去年はO嬢に連れられて歩き、O嬢はなるべくおれと二人でいたいらしく遠回りしたが、今年は彼女は二次会から参加で直接太田尻家へ行く。一人で最短のコースを選びながら歩いたつもりだったが、あのへんの道は入り組んでいて、うまいぐあいに太田尻家のそばに出たものの、やはり1時間かかってしまった。

とにかく、大勢さんと楽しんだ。22時半ごろ太田尻家を出て、赤羽で終電一本前に乗る。泥酔というほどじゃなかったが、心地よい酔いと疲れで、バタンと寝る。太田尻家と客たちは順調のようで、めでたし。

忌野清志郎さんの訃報は今朝知った。一年間は喪に服し仕事をしないことにする。ってわけにはいかないんだよな。去年の2月ごろ掲載した昔の『宝島』の表紙を載せ、弔いとしよう。しかし、こういうおもしろい人間がいなくなると、なんだか世の中が急につまらなくなった感じ、何かやる気がおきないね。黙祷。
Kyosiro002

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2009/05/02

「カレーとねこまんま」in 御前崎。

ということで、講演をやることになった。

2009/04/29「絶滅危惧種か、絶滅させてはなるめぇ、手火山方式で生の近海カツオを使って鰹節を作っている御前崎」に紹介した、NPO法人「手火山」がコーディネートする、「「 鰹 節 」 in 御前崎(2009)セミナー+体験学習」の、全8回のうちの7回目。第1回は5月30日にスタートするが、7回目は、9月12日(土)だ。まだ先のこと。

だけど、それまでのあいだに、近々「御前崎カレー」の発表があるらしい。「こだわりは、昔御前崎は鰹節製造が町の基幹産業でした。当時の鰹節製造は手火山を使った方法で日本からインドにカレーの具として輸出されていたと聞いています」とのことだ。事実なら、鰹節を軸に、カレーとねこまんまが直接つながる可能性がある。興味深いから調べてみよう。

とにかく、御前崎の鰹節に、注目!ですね。

そうだ、プレとして、スロコメのトークライブ泥酔論で「ねこまんま」をやるか。ああ、しかし、今月はトークやっている時間がないな。来月だ。

講師の講演だけでなく、体験学習もある、この企画。毎年やってきて、「8回のうち6回出席した方を対象に審査の上、合格者には「3級鰹節インストラクター」を認定」だそうだ。

詳しくは、NPO法人「手火山」のサイトから、「NPO手火山 鰹節IN御前崎2009 セミナー体験学習 (チラシ)」を、ご覧ください。
http://www.npo-tebiyama.org/index.html

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粟津潔さんも死ぬのだなあ。黙祷。

 戦後日本を代表するグラフィックデザイナーで、幅広いジャンルで活躍した粟津潔さんが4月28日午後2時44分、肺炎のため川崎市の病院で死去した。80歳。

2009/05/01 22:03 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/200905/CN2009050101000735.html


ひとり、一人、いなくなる、死んでいくのさ。
ひとり、一人、生まれてもくるけどね。

わかれたひとを おもえばかなし

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2009/05/01

大阪が呼んでいる。

Higasitengatya040前にチョイと書いた。きょねんの8月、『ミーツ・リージョナル』10月号「ザ・めし」特集の原稿を書くため大阪へ行った。そのとき、少し時間があったから、21歳か22歳のころ、仕事で一年間過ごした、阿倍野区の東天下茶屋へ行ってみた。

何度か大阪へは行っているのだが、そこへ行ってみようという気になったことはなかった。驚いたことに、40数年ぶりの東天下茶屋駅は、ほとんど変っていなかった。

いや、正確には、どんな駅だったかと聞かれたら、なんだか都電の停留所みたいだったよ、ていどのことしか言えない状態だった。もともと、あまり過去を振り返ることはないし、あのころをふりかえったことはなかった。約40年間閉まっていた重い扉を開けてみても、たいして思い出せない。かなりアイマイなのだ。

ま、でも、それがきっかけで、あのころを思い出そうとするようになった。そして、思いがけなく、今年の3月初旬、「場所の力」シンポジウムで大阪へ行く機会があった。そのときは、主に営業でよく歩いた、天神橋筋などをウロウロし、2009/03/18「パンク泥酔しながら快調にとばすか?ミーツ別冊「東京ひとりめし」で突き抜けか?」に書いたように、「1965年ごろ以来の天神橋の上で、初めて、あのときおれはナゼ大阪出張を受けてしまったのか考えた」のだった。

考えたからといって、とにかくシゴトクウノムネル以外、何もなかったという感想しかわかない。必死無我夢中状態で、よく覚えていないのだ。一年のあいだ、本を一冊も読まなかったとか、たぶん映画も見てないだろう、カラオケなんかなかったから歌もうたわなかったにちがいない。そんなことしか思い出さない。

一人だけで、知り合いもいない初めての土地、試用期間3か月を終えたばかりでシゴトの中身すらよくわかない海外旅行の営業をやって、なんとか香港往復の当時は大型機である百数十名乗りのジェット機一機をチャーターできる客を集めた。山で鍛えた身体も、ボロボロになって回復が大変だったが、よくやれたなあああ、という感想しかない。それだけの21歳だか22歳だった。いまなら、あんなシゴトの仕方は、一週間と続かない。

でも、なんだか、その一年間は、すごく濃くて、言葉では説明できないが、おれの肉体には大阪や関西が刻まれていることを、「覚醒」したのだった。

で、また、今月は、2回、関西へ行く。この2回を合わせると、ちょうど、おれが営業でまわった地域、大阪のほかに、神戸、京都、奈良が含まれる。なかでも、やはりあのとき以来の、奈良の桜井や橿原へも行ける予定になっている。桜井と橿原と天理は、営業で何度か行ったところだ。

きょねんの夏から、大阪が、関西が、呼んでいる感じだ。

それでですね、またもや、ミーツなんです。

『ミーツ・リージョナル』6月号と別冊『大阪本』が、立て続けに届いた。6月号の特集は、「発酵クウノム」で、主に関西の酒蔵と酒と「日本酒美人」が、どかーーーん。

「わたしの発酵人生。」で、「発酵していると考えるか、腐っていると考えるかは、文化の問題だね」という石毛直道さんのデスクには、「梅乃宿」の一升瓶が、でーん。ま、おれの人生は腐っているし、脳みそもアホボケカスに腐っているが、発酵特集は、清酒と清酒にあう発酵肴で、もうヨダレじゅるじゅる。しかし、こうやって酒瓶が並んでいる写真を見て、呑んだことのある酒が、けっこうあるのだが、味が思い出せない。

ま、そのことは、いまはいいや。『大阪本』だ。この新世界と通天閣の写真。この姿は、1965年版『続・大阪味覚地図』(創元社)の表紙の写真と、基本的に変らない。1965年、まさに、そのころ、おれは大阪にいて、このあたりをウロウロした。ジャンジャン横丁の臭いと喧騒は、なんとなく思い出す。

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だけど、こういうガイドブック、出ていたのも知らないし、とにかく本の類は一冊も買った記憶はない。いつも、折ると新書サイズぐらいになる地図一つ持って、大阪・奈良・京都・神戸をウロウロし、行った先々でテキトウに店を選んで飲み食いしていたのだな。それでも、十分、いろいろなものを食べた。でも、どこで何を食べたかは、ほんの少し覚えているが、ほとんど忘れた。だいたい1年ぐらいの滞在で、この地域をウロウロしていたら、一度だけという店が多い。

大阪は、まったく余裕のない状態だったにせよ、その前の東京より楽しかった。臨時雇い(いまのフリーターか)を転々としたあと、やっと月給の社員になれたということがあったかも知れない。

自分が、そうだったからといって、こういってはいけないのかも知れないが、若いモンが、仕事に就く前から、自分に合った仕事だの、個性だのといっても、しょうがないんじゃないかなあと思う。営業なんてやれるとは思っていなかったが、やってみたら、けっこうおもしろかったし、やれちゃったし。だいたい「自分」のこと、わかっているのかい。自分とは、世間とふれあっているうちに、わかってくるものじゃないだろうか。

それに、ガイドブックも、どうしても必要なものじゃないね。どうしても必要なものじゃない、だから、あるなら、どう必要なのか、ってことじゃないかと思う。

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