見沼。農村的残像。
東大宮から第二産業道路(国道5号線)を南へ向かって徒歩30分弱、東武野田線大和田に至る前に東側つまり左側の小道に入ったら、こんな景色があった。大和田駅からなら、10分ぐらいのところと思われる。ひと月ほど前、4月上旬の撮影。
以前、与野や北浦和に住んでいたときも、同じような「長屋門」のある、「農家」というには豪壮な屋敷があった。そのうちの一つは荒廃がすすんでいて、近所のラーメン屋で聞いたところでは、主が先物取引に失敗し人手に渡ったかどうかしたということだった。ほかの二か所は、周囲に住宅やマンションがひしめくなかに、大きな長屋門が一軒の屋敷のように残っていた。そういうところでは、もはや、かつての農村や農業をイメージすることも困難である。だけど、ここのばあいは、まわりにまだ耕作地があって、この一角だけだが、なんとなく農村な雰囲気を感じさせた。
しかし、どんな農的な営みがあったのかを想像することはできなかった。おれの知識の貧しさもあるだろうが、こういう風景は、建物には「遺産」的価値は認められることがあっても、建物を含めた風景にあったはずの人の営みについては「行方不明」になってしまうことが少なくないのだなと気がついて、おわった。
生産を支えた無名の労働が「行方不明」になるように、その営みは語り継がれることなく消えてしまう。それが農の場を弱めてきた一因でもあるだろうし、こういう歴史が続くなら、無名の労働が支える生産が息を吹き返すことはないのだ。かりに大きな屋敷や大きな都市や大きな話が残ったとしても。
そんなことを考えたのだった。
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