「四月と十月」古墳部、山の辺と飛鳥の旅。
今回11回目の古墳部の旅、おれは5回目の参加になる。22日に奈良県桜井の旅館〔皆花楼〕11時集合で、24日までの計画だったが、残念なことに22日は都合悪く、23日に現地で合流することに。ってことで、22日の山の辺を歩きまわるコースには参加できなかった。
23日、5時50分ごろの東大宮始発電車に乗り、新幹線京都で近鉄奈良線特急、大和八木で大阪線に乗換え桜井に着いたのが11時15分前ごろ。11時すぎ万葉文化館で合流。昼食をはさんで、夕方17時すぎまで飛鳥の遺跡を歩きまわる。
24日、橿原神宮前から橿原考古学研究所、畝傍御陵前から田原本町、唐子・鍵遺跡見学のち橿原神宮前にもどり、お茶して解散。奈良市内の旧市街地花街ディープなところをウロウロ、のち17時ごろから24時ごろまで3軒はしごで呑みつづけ。
25日二日酔い吐き気のする身体で奈良定番観光コースを歩き、昼食のち奈良からJRで京都、新幹線のぞみ名古屋でこだま乗換え、立ち食いきしめんのために豊橋に途中下車。夜、帰宅。
博多や関西地元勢の参加もあってにぎやか、女子が男子の倍以上という恐ろしさ。飛鳥と奈良を、よく歩き、ヤマト政権誕生までの血みどろミステリーを思考し、激しく呑み食い、賭けゲームに狂じ、しっかり観光もし、の詳しくはあとで書く。まずは、仕事。
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