世田谷の農地。
すでに書いたように、2日、大田尻家運動会のあと経堂の大田尻家まで歩いた。砧公園から環八を陸橋で渡ると、すぐ畑があった。そういえば、20年前ぐらいは、このあたりは畑が多かった。平屋の農家風の建物も、あちこちにあった。
左手に砧公園、清掃工場の煙突、環八と自動車メーカーのショールーム、そして残ったわずかな耕地。もう日は落ちた薄明かりのなかに、世田谷の農業の残りかすが消えようとしていた。
環八の世田谷市場の信号をこえたあたり、清掃工場の煙突を左に見ながら、千歳船橋へ向かう小道を選んだ。そこにも、畑があった。前のより広く、奥の一角に緑に囲まれ、農家らしい屋根も見えた。視線をふると、背景に洒落た家々を配置した畑があった。美しく見えたのは、残照の中に消えゆく、浮ついた東京の後姿か。
| 固定リンク | 0
この記事へのコメントは終了しました。
コメント