おれは、「おやじ」だし、大衆食堂のめしといえば、その客の姿からして「おやじめし」以外の何者でもない。ごく自然に、おやじでありおやじめしを食べている。でも、ちかごろ、ワザワザ、おやじとおやじめしを意識している。
そもそも、世間的に「おやじ」が意識されはじめたのは、いつごろ、なにゆえだったのか。体験的にふりかえってみると、「ギャル」の出現によって、おやじが相対的に識別されたのが始まりではなかったかとおもわれる。70年代後半ごろから、あらわになり、雑誌「Hanako」の出現もあって、ギャルは頂点にむかう。
それまで、「亭主族」だのなんだのといわれていた、とくに既婚男性は、ギャルと相容れない感性の男子種族として、「オヤジ」という蔑称をあたえられ、軽蔑の対象となった。つまりギャルがもてはやされ、オヤジは揶揄の対象になった。オヤジを揶揄することで、どんな女でもギャルとして、えらそうにできた。ただし、えらそうにできたのは、カネをつかうギャルだけである。
その背景には、消費主義の台頭があった。ファッションなど消費性向の強いギャルがもてはやされ、小遣いに制限があり消費に限界のあるオヤジは相手にされない。という、相対関係のもとで、「オヤジ」は浮上した。ギャルが、この世の春を謳歌し、「おやじ」はカタカナで「オヤジ」と表記される蔑称をいただき、しかし、経済や政治の実権をにぎり続けた。たくみにギャルを利用し、儲けていたのである。
80年代後半、バブルの時期、「フラメシ」や「イタメシ」が流行する。それを支え、あるいは牽引したのも、ギャルだ。このばあい「メシ」というが、「コメのめし」ではない。ここでも、ギャルが好む「イタメシ」「フラメシ」が、おやじが好む「コメのめし」に対して、蔑視や無視をあたえつつ相対的に識別され、優位を占めていった。
それは、おやじは「コメのめし」をくう存在であることを、より鮮明にした。しかし、ギャルを「イタメシ」「フラメシ」に連れて行っておごり、ギャルの歓心を買うべくつとめていたのも、おやじである。昼飯も夕飯もおやじのおごりですごし貯金を増やすギャルは、珍しい存在ではなかった。ギャルは、消費主義の「広告塔」であったともいえる。
かくて、激しい地上げもあって、表面上は、おやじめしの担い手だった大衆食堂は、後退する。
ギャル×オヤジの構図は、90年ごろ変化する。先年若くして亡くなった、中尊寺ゆつこの漫画をもって語られる「オヤジギャル」の出現だ。
はなしを簡単にするために、焦点を「めし」にしぼるが、オヤジギャルは、おやじワールドだった立ち食いや赤ちょうちんや競馬やゴルフなどに進出するが、おやじめしに進出することは少なかった。いまもって、女子の姿は増えているとはいえ、大衆食堂はおやじワールドだ。
ってことで、はて、何を書こうとしたのか、はなしの行方がわからなくなった。
とにかく、おやじは「コメのめし」をくう動物であることが、ギャルの出現によって相対的に強く認識されて以来、おやじめしが表舞台で騒がれることは、あまりなかったのだが、ちかごろ、少し、変化を感じる。
じつは「コメのめし」が好き、一日に一度はコメのめしをガツンと食べたいという女子も、昔からいるのであり、彼女らが表舞台をにぎわしつつあるらしい。というより、女子の進出が、おやじめしにまで及びつつあるというべきか。豚肉しょうが焼きなんぞで、どんぶりめしをワッシワッシ食べる女子も、大衆食堂でみかけるようになった。
おやじめしは、労働と共にあるめしという面を強くもっていたのだから、労働の場に進出した女子が、おやじめしをかっくらうようになったとしても、不思議ではない。全体的な傾向とはいえないが、フェミニズムなどの影響もあり、働くこともめし食うことも「おやじと対等」という意識も感じられる。
いつだったか、ある編集女子から、『ビッグコミック オリジナル』の安部夜郎作の「深夜食堂」の話をきき、たまたま機会があって3月20日号を買ってみた。「第48夜 缶詰」。ここで描かれている食堂は、その缶詰料理のめしも含め、おやじめしワールドだ。それを女子が好んで食べている。ワッシワッシ食べる雰囲気とはちがうが、コメのめしをうまそうに食べている。そこには「缶詰なんて」という差別的な意識はなく、「うまいものはうまい」とするめしの食べ方が息づいている。もちろん、中尊寺ゆつこさんが描いた、消費性向の強いオヤジギャルやオヤジとはちがう、めしの世界だ。
で、あらためて考えるのだが、おやじは、どんなコメのめしを好んできたか、ということなのだ。そのばあい、「どんなコメのめし」というのは、主に「おかず」で決まる。たしかに、丼物のような、汁かけめしが好きだということもあるが、どんぶりの上にかけるもの、のせるものを「おかず」と考えれば、どんなめしかは「おかず」で決まる。
まず浮かぶのが、脂っこいものが好きだ。ということだろう。ほかには? コメのめしをうまく食べることについては、おやじは、なにかしら一言、もっているのではないだろうか。それは、「サケの皮」をカリッと焼いたのさえあればよい、というような「哲学」レベルのことも含め。
そんなことを考えているのだった。
ところで、昔の「オヤジギャル」は、いまは「何に」なっているのだろう。
ご参考。
大手小町「昔、オヤジギャルだった皆さん! 」
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2007/1227/161981.htm