新潟県六日町、ホテル宮又の「ニタリのおばあさん」が亡くなった。
原稿書きが快調に進んでいる。のかどうか、徒然なるままに、故郷の南魚沼市六日町、万盛庵のまんちゃんのブログ「万盛庵通信」をみて、おどろいた。8月12日に「ニタリのおばあさん…」のタイトルで、万盛庵の近くの、おれがよく泊まるホテル宮又の「ニタリのおばあさん」が亡くなったとある。
http://mansean.exblog.jp/11710674/
「ニタリのおばあさん」なんて呼び方を始めたのは、ほかならぬ、このおれだが、「ニタリのオバアサン」を初めてつかったのは、まんちゃんがリンクしておいてくれた、ザ大衆食「残雪と山菜と酒と温泉、六日町満足泥酔紀行。……ホテル宮又編」でのことだろう。2004年4月。…こちら
ホテル宮又に泊まって、ニタリのおばあさんの元気な姿を見たのは、去年2008/09/13「稲刈り近い南魚沼は六日町、万盛庵泥酔、ホテル宮又温泉泊。」に書いたときが最後だろうか。そのあと、あれから六日町に行ってないような気がする。忙しくしていると、ろくなことがない。
ほんと、お世話になった。泥酔状態で、23時ごろ電話して泊めてもらったこともあった。とにかく、いつも夜は、泥酔して転がりこんでいた。
ぐっと、さみしい気分だ。
2007/02/14「暖冬小雪の故郷」に、やはりホテル宮又に泊まったことを書き、そこに、以前から食堂の壁に短冊に書いて貼ってあった、おばあさん作のうたを紹介している。
人々と父母より受けし生命を
大地に立って
八十路を歩く
これは、いつごろから貼ってあったか、思い出せない。とにかく、おばあさんは80歳代後半であろう。
このうたのように、堂々としていた。
あの「ニタリ」は、黙ってやさしくあたたかくひとを見つめる笑い、そして、ものに動じないふうでもあった。
まんちゃんのブログのコメントにも書いたが、大往生だとおもう。
ほら、空を見上げてごらん、ニタリのおばあさんがニタリと笑っている。
黙祷。
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