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2009/08/13

農林水産業と食物のあいだ。

こまったことに、日本語には「食糧」と「食料」という表記がある。そして「食糧」は、とくに「主食」をさし、「食料」は、とくに「主食」以外の食物をさす。かなりアイマイな表現が増えているとはいえ、そういうことできた。これを、まとめると、なんとなるか。「食物」ってことだろうか。「食品」では、チトちがうようだ。

農林水産業は、食糧や食料を生産しているのだけど、とりあえずまとめて「食物」を生産しているということにしよう。だけど、農林水産業を、「食物生産業」とはいわない。80年代ごろから、「生命維持産業」とよぶ人たちも一部にはいたが、「生命維持」は、医業だって薬業だって、やっている。

「鉱業」は、鉱物を生産する。「建設業」は、建設する。「金融業」は、カネを融通してくっている。なのに、農林水産業は、食物を生産するが、「食物生産業」とはいわない。

言葉には、マインドが背景にある。農林水産業には、食物生産のマインドが希薄だった。食物を消費する大都会の消費者も、農林水産の当事者においてもである。

その状況は、「安心安全の食べ物」を求める機運の高まりで、変りつつあるようだ。

農林水産業を、「食物生産業」としてとらえなおす傾向が、顕著な大きな流れになってきた。それは、べつの見方をすれば、「農林水産業」という表現でやってきた秩序の崩壊を意味している。といえる。その、あらわれのひとつは、「農業」という趣味である。

いまでもあるかどうか、「趣味の園芸」という、NHKの番組があった。ベランダ園芸、一坪貸し農園なども含め、ようするに「農業」の趣味版だろう。つまり、それで生計を成り立たせようというわけでなく、生活のわけでなく、なにかしらの精神的満足、「癒し」とか、「自己充足」とか、あるいは近年は「オタク的」「マニア的」情報の満足とか、簡単にいってしまえば、主観的な満足感のなかに成り立っているものだ。「経営マインド」や「生計マインド」といったものは、必要ない、存在しない。

ちかごろの「農業ブーム」といわれるなかには、この「趣味の園芸」の「大規模化」がみられる。ベランダや一坪貸し農園をこえて、「本格的」な取り組みだ。しかし、そこには、やはり「経営マインド」や「生計マインド」といったものはなく、生きていくための「作付け計画」やら「飼育計画」といったものもない。ようするに、世界一周旅行の豪華客船のうえで農業をするようなものであり、テマ、ヒマ、カネと手をかけて楽しむ、趣味である。趣味というのは、どう客観的にみても、とどのつまりは経営や生計とは関係ない主観的な満足であるから、これは「生産」をしているようだけど、かなりゼイタクな消費活動である。

「農林水産業」という表現でやってきた秩序の崩壊のカタチのひとつが、そのような趣味となってあらわれている。そこから、「食物」の真実に迫ることはできないし、「食物生産」の現実的なビジョンは生まれない。

ついでだが、似たようだけど、少しちがうのは、「自給自足」的営為だ。そこには、いわゆる「カウンター・カルチャー」はなやかなりしころから続いている、いわゆる「ヒッピーという生き方」がある。ヒッピーな消費的趣味もあるけど、ほんとうに自給自足を追求しているヒッピーさんもいる。

食物や飲食との関わりを、趣味的にとらえるのは、なんども当ブログで書いてきたように、ここ30年ほどの消費主義の特徴だ。それが、稲作をしたり畑を耕したり、ヤギやニワトリを飼ったりと、「生産」の分野にまで拡大した。ラーメン好きが高じてラーメン屋を始めたり、酒好きが高じて自分でドブロクをつくるようなものだ。「農業体験施設」や「観光農園」などは、そのお手軽版だろう。

いまのところ、そんなアンバイだろうか。

「食物生産業」のなかで、もっとも辺境あるいは極北に位置するのが、林業にちがいない。農業と水産業を「食物生産業」と考えることは容易でも、林業となると遠い。林業なんて、家や家具の材料のものでしょ、てなところだ。ヒッピーさんはともかく、稲作をしたり畑を耕したり、ヤギやニワトリを飼ったりしても、林に手を出すひとは、ほとんどいない。関心も低い。飲食について語っても、林について語れるひとは少ない。

036美瑛町のばあいは、営林と畑作が一体のところがあったが、「日本で最も美しい村」にも、林業が壊滅状態のブナ林があった。農業や食への関心の高まりは、林にたどりつくだろうか。林業を、食物生産業に位置づけられるだろうか。とくに大都会の消費者のあいだでは、すでにそうであるが、飲食の「オタク的」「マニア的」情報の満足のなかに遭難する恐れは十分にある。それに、「食物生産業」を意識することで、たとえばハウス栽培や野菜工場のように、生産に直接関わること以外は排除するという機械的な考えがはびこる傾向もある。

趣味としての美味や農業ではなく、生活のなかの美味や食物生産を広げることの先に、林があるとおもう。うふふふふ、酒を飲みながら日本の森林を再生させる、日本森林再生機構の意義は、大きい。まだまだ、飲み方が足りない。

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