そろそろおわり。懐かしさもあって。
もうそろそろ、この原稿もおわりにしないと、ほかのいろいろが重なってきて、まずいことになりそうだ。8月22日は、スロコメだが、なんの準備もできてない。そのスロコメ前に、ひさしぶりに浪花節へ行こうと予約して、さっき気がついたら、ダブルブッキングになっていた。浪花節は時間が決まっているから、その前に片方を変更してもらうよりしようがない。すると午前中からになってしまうじゃないか。やれやれやれ、少々つかれたなあ、てな感じでもあるなあ。慰めがないねえ、求めてもいないが。あの気まぐれは、どうしているのだろう、慰めがないねえ。
写真パラパラ見ながら、最後のツメをやっていると、こんな写真があった。美瑛町で撮影したのだな。数年前、札幌へ行ったときも、すすき野あたりで見かけたけど、ネオンごちゃごちゃのなかで、なんとも感じなかったが、今回は、なんだか何もないところに、空気もきれいだったし、このロゴマークがドーンで、懐かしくて撮影してしまった。
これは、北海道のひとなら知っているだろうコンビニだ。調べたら、いま北海道地区だけで、9百数十店あるようだ。やはり、いま調べたら、おれが「プランナー」の肩書で、ここの仕事をしていたのは、たぶん、この間だとおもう。
1976年 NACS(全米コンビニエンスストア協会)に加盟
1981年 店舗数100店達成
NACS加盟は、ぼんやり記憶にあるから、このころボチボチ始めて、だんだん仕事が拡大し、たぶん82年ごろ手をひいたのではないかな。
しょっちゅう札幌へ行っていた。店舗数が100店になったところで、1000店目標にもろもろシステムを変えることになり、いわゆるCIのようなことをやって、このロゴマークが生まれた。変えたのは、ロゴマークだけではなく、店舗システムやデザイン、あらゆるものだ。とにかく関係する人間が多くて、大変だった。
ニューヨークに本社がある、イタリア人が社長でイタリア人が多い「CDI」という社名の会社だったとおもう、あちらのセブンの北部地域などの仕事をしていたはずだ。そことのジョイントで、おれは日本側の「チーフ・プランナー」というハッタリな役回りだった。でもまあ、コンセプトってやつをまとめるのは、おれの仕事だったから、それなりにやったのだが。
でも、イタリア人社長がクライアントにおくってくる、請求明細のチェックまでさせられて、それが何十何セントの単位まであって、まいった。取り引きがデカイんだから、そんなの切り捨てろと言いたいのだが、そうもいかず、クライアントの専務の女性秘書が、ま、わりと好みのタイプだったので、コレどういうことでしょと色っぽくいわれると、うんうんどれどれ、それはねと、チンプンカンプンな英語の請求書、カタカナ英語で書くと、インポ、じゃなくて、インボイスを一緒にながめ、ああでもないこうでもないやったりした。
ロゴーマークや店舗システム(店舗システムってのは、主に売場構成ね)の基本は、CDI側、アプリケーションは日本側というやり方だった。だから、ロゴマークは、CDIの制作。
セブンが進出してきても、圧倒的にこちらが強かった(いまでも、このチェーンは、セブンを押さえて北海道ではトップの店舗数のはず)。で、セブンは、すごい手を打ってきた。それは、ま、書かないほうがよいだろう。そして、それに、おれが最も信頼する仲のよい一緒に苦労することが多かった、相棒のコンサルが巻き込まれた。札幌財界をゆるがす、一大事件になった。かれは、札幌の土もふめない立場になった。とうぜん、このコンビニの仕事から手をひかなくてはならない。おれは、直接関係ないから続けてもよい立場だったし、そうすすめられたのだが、おれは仕事より友だちを選ぶよとカッコイイこといって、手をひいた。それ以来、こことはぐあい悪い。でも、友だちを選んだほうが、よかったのさ。
ま、そんなことを思い出したりしたのですね。1976年は33歳、81年は38歳か。自分の人生の痕跡を街角に見た感じだったが、懐かしいけど、感動のない再会といったところ。
あまり酔ってない、深夜便でした。
| 固定リンク | 0
この記事へのコメントは終了しました。
コメント