美しい景観のなかの、おかしなおかしなこと。
けっきょく、自公政権は、減反政策の見直しを見送った。このブログでも、なんどか、おかしなおかしな農業政策をネタにしたきた。ま、農政は戦後政治のウミの溜り場みたいなかんじであり、かなり複雑なことになっている。それは、痛みをともなわないかぎり解決しないからこそ、「痛みをともなう改革」と称されるものが行われてきた。その痛みたるや、だれが負ったかといえば、「格差」がブームになり、かつ定着した実態が示している。
そういう政策レベルのことは、おいとくとして、農業の現場に少しだけふれているあいだに、ふとおもうことがあった。それは、たとえば、「4割減反」とは、どういうことかということは、都会で農業と直接関係なく暮らすおれのようなものにとっては、関心がないか、関心があっても政策レベルのことだったのではないかということだ。
現場のひとの、この言葉に、おれはハッとした。「4割減反というのは、収入が4割カット、その状態で生活しろということなんですよ。東京の人たちだって、収入が4割カットなんてことになったら大変なことでしょ」
減反政策を、このブログで話題にするときでも、そこんところは考えたことがない。たしかに、生活レベルでは、そういうことなのだ。コメがなくては生きていけない都会地で、4割減反を、そのように理解しているひとは、どれだけいるだろうか。それこそ、みんなの生活問題としての食糧問題ではないのか。
減反政策と平行して離農が進行し、耕作放棄地は増える一方だ。新規就農の比較的おおい地域でも、離農がそれをうわまわる。生活できない仕事は、だれもやりたがらないのは、当然だろう。新規就農のばあいでも、稲作は先がないといわれ、自家用米以外は、野菜や果物の施設園芸が主流になっている傾向があるようだ。
農業ブームにみられる、農業を食うためではなく、ボランティアや趣味として取り組むのは、それは、あるいは何もしないよりマシかもしれないが、食糧の根幹に関わることを、やっても食えない状態のままでは、なにか大きくゆがんでいる不自然を感じる。
農水省が棚田百選を認定したのは、1999年7月のことだ。「農林水産省は、農業収入や兼業のみでの棚田の維持が難しいと考え、観光地化を目的とした日本の棚田百選を選定した」。一方で農水省は、大規模化と減反政策という、棚田つぶしの政策を実行してきた。
そして、じつにおかしなことが起きている。観光資源となりうる棚田の景観は、そこで耕作が継続することで維持されてきた。耕作が放棄されたら、荒地と化し、景観どころではない。だけど、4割減反政策を町村で厳密に実行すると、単純計算で棚田の4割は作付けができなくなる。とくに棚田があるような、平地の少ない山間では、もともと水田は少なく、棚田をはずして減反を実行できないし、他の地域とのバランスもあり、棚田だけを優遇することはできない。かくて、棚田百選に選ばれた「日本で最も美しい村」の棚田に、作付けできない棚田が生まれる。国による全国一律の減反政策のなかで、耕作しなければ維持できない棚田の景観維持と、4割減反という、相反することを村の行政はせざるをえない。
金銭や人手に余裕があるなら、減反の地を荒地にしないですむ。しかし、4割収入カットに人口減過疎化で、とても手が回らない状態が少なくない。観光客に見られても、みっともなくないように、草ぼうぼうにならないようにするのがやっとだ。画像は、山形県大蔵村の棚田百選に選ばれた「四ヶ村(しかむら)の棚田」。右端の濃い緑は作付けされた稲田で稲が生長している色だが、それ以外は、作付けがない。下の画像もおなじ。中央部から上段に作付けしてないところがある。
この「棚田米」は、雑排水はまったく含まれない飲料にできる湧き水の清流のみをつかい、高所にあって農薬も少なくてすむところから「水田環境米」に鑑定されている。だけど、この良質の米を生産する水田で営農していくことは、困難である。地域のこころざしある人たちによって保存活動が行われ残ってきたが、「棚田百選」とは、農水省から引導をわたされた場所、とみることもできそうだ。
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