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2009/08/29

「わははめし」更新。御前崎へ。

「小学館ブックピープル」の「わははめし」を見たら、毎月1日更新予定だが、すでに更新されて、第2回「開き直りのあぶらめし」が掲載されていた。…クリック地獄

先日撮影があった「わははめし」の原稿、テーマごとのコラム4本、料理ごとの一言コメント16本、なんとなく書き始めている。いま掲載中の前の撮影の分は、とくに一言コメントはイマイチだなという感じが多い。すみません。先日の校正でも、いつになく大直しをしてしまった。今回は、少しは、全体の方向性も、自分の考えも、見えてきた感じがあるから、もう少し、「うまく」書けるか。どうか。

9月になると、つぎのお出かけは、いまの予定では御前崎だ。講演をするのだ。だいぶ前に話があって、日時だけあけておいたが、だんだん近づいてきた。先日、主催者の方からメールをいただいた。そろそろ準備を始めなくてはならない。

まず、どうやって行くか調べたら、どう行くにせよ、だいぶバスに乗らなくてはならない。新幹線で静岡、そこからバスで1時間以上かかるようだ。講演は午前10時からだから、前日に行っておいたほうがよい。

ここんとこ、お出かけというと、山形の大蔵村、北海道の美瑛町、長野の大鹿村だった。美瑛町は旭川空港から近いしローカルにせよJRの駅もあるが、ほかは最寄り駅から公共交通機関はバスしかないし、けっこう時間がかかる。ま、そういう不便なところだから、この塵埃にまみれた日本にも、「日本で最も美しい村」が、存在しうるということか。同行のカメラマンが自分のクルマかレンタカーを運転してくれたので、往復に問題はなかったが。とにかく、「過疎」とか「僻地」とか、そういうところは、たいがい生産地でもあるのだが、日本は、なんだか、消費地の都会栄え、生産地の町村衰退で、チョイとかなりオカシイとおもうことが、たくさんあった。またもや、御前崎も、そういう土地か。

それはそうと、講演というが、どれぐらいの時間話せばよいのかも正確に聞いてなかった。今朝、主催者の方と電話連絡がとれ、打ち合わせした。話すのは1時間か1時間半ぐらい、ほかの行事もあるから大まかの時間割りらしい。静岡駅まで迎えに来てくださるという。ありがたい、これで、御前崎まで着く段取りはできた。

ネットで調べると、御前崎は、いま御前崎市になっているが、例の平成の大合併で隣の浜岡と合併して市になった。どうやら、御前崎町の方が人口は少なく減少傾向で主たる産業だった漁業は沈下傾向、とはいえ観光地としては、浜岡より名が知られている。浜岡町は、原発の町だから、経済は問題ないだろうが、その東海地震区域の原発ということで、そんなによいイメージではない。ということも関係して市名は「御前崎」をとり、市庁舎は「浜岡」にというバーターが成り立ったらしい。

講演は、NPO法人「手火山」が主催する、「鰹節in御前崎2009」という全8回の連続講演のうちの6回目だ。案内のチラシには「カレーとねこまんま」とある。

「地域に伝わる漁業・水産加工を継承し伝統的食文化を再発掘しそのすばらしさを広く情報発信し、同時にブルーツーリズムを支援し町おこしや地域の活性化に貢献するNPO」

最近、「御前崎カレー」なるものも売り出し中のようだ。

御前崎といえば、かつて登山の関係で覚えた天気図作成のため、毎日ラジオを聴いていると、「御前崎、南南西の風、風力●……」といったぐあいに耳に入ってくる地名だった。それから、美しい灯台を、なにか映画で見たようにおもう。

とにかく、ここは、「かつて」という言い方にならざるをえないのだが、近海漁業、なかでもかつお漁の基地だった。「手火山」といわれる鰹節の製法が、いまでも継承されているようだ。

1年ほど前、「美味しいまちづくり」の取材で、岩手県一関と青森県八戸を取材した。どこでも「食」でまちづくりは、いまやメインのテーマになっている。今回の「日本で最も美しい村」にしても、農業による自律と自立を志向しているが、食との関係が密接だ。

それは、主として、とりあえず、「観光まちづくり」ということになる。「観光まちづくり」は、生産地が「観光」という新しいサービス業で消費市場に手を伸ばすことであり、都会の消費を促す活動になる。これは、ヒジョーに大きな問題をはらんでいる。それは、簡単にいえば、本質的に生産地であった地域が、観光というサービス業で再生や救いが可能なのかいうことだ。いや、可能の地域もあるだろう。でも、それは、ほんのわずかの地域になるに違いない。しかし、とりあえず、観光は、疲弊を深める町村の「外貨」稼ぎとして、取り組まざるをえない。

じつは、この問題は、都市にはねかえる問題なのだが、いまのところ、まだ逼迫はしていないから、都市住民は集権の中でのんびりしている。現場を見ると、地方とくに基幹産業が農林水産業だった地域は大変な状況だ。いったい、なぜ、こうなってしまったのか。それは、直接的には、ここ10数年の自公政権と官僚支配の結果であるのだけど、ここまできてしまった状況に対する、とくに都市の無関心の根は深い。「食」を生活として楽しく美味しくする素養を積むのではなく、目先のエンターテイメントの具にし飲食の情報や知識を集め披露することに快感してきた。流行の食べ飲み歩きの何分の一かの関心でもいい、生産へ関心がまわれば、少しは状況は変るだろう。情報を追いかけまわす消費から、自分の生き方としての自律的な判断で、消費と生産の関係を築く志向が、これから必要な気がする。ま、そうはならんだろうけど。

政権を変えても、自分たちが変らなくては、何も変らない。

そんなことをアレコレ考えて、酩酊しておわる、25時なのだった。

NPO手火山…クリック地獄

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コメント

pon-pieさま

コメントありがとうございます。

「食」を権益争いの対象にした農水省や農水族議員のコロコロ変る農政のおかげで、もうグチャグチャですね。

減反政策と集約化大規模化で、この先、日本人の主食といわれてきた稲作は、どうなることやら。

投稿: エンテツ | 2009/08/29 07:21

普段忘れがちですが、食にも政治が深く関わっているんですね!
目先の、きらびやかさに流されることのない大衆として、食を楽しみたいと思います。

投稿: pon-pie | 2009/08/29 06:56

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