「日本で最も美しい村」連合には「なにかある」。北海道美瑛町。
2009/07/18「「日本で最も美しい村」連合、山形県大蔵村で、いろいろな「美しさ」に触れた。」のつづき。北海道美瑛町を取材した。7月31日午前7時25分羽田発で旭川、8月1日午後5時ごろ旭川発で帰途。東京都区部をあわせたぐらいの、広大な面積の美瑛町を駆け足の取材だった。新規就農の農家の方や、町役場の町長さんや担当者の方、通りすがりの農家の方など、親切にしていただきお世話になった。
これで、「日本で最も美しい村」連合の、大蔵村、美瑛町と二つ取材した。どちらも、2005年の全国7町村でスタートしたときからの加盟町村だ。とくに美瑛町の浜田哲町長は、「言いだしっぺ」で会長をつとめる。
考えてみれば、政府主導の「平成大合併運動」のなかで、厳しい農村環境にありながら合併を選択しなかった、しかも全国見渡せば、たくさん町村があるなかで、たった7町村で「やってみよう」と旗をあげたのだから、そういう町村長には、「なにかある」し、それは町村長個人の資質や何かもあるのだろうが、そういうひとを培った、「場所の力」というか、やはり「なにかある」ということを、今回は強く感じた。
ひきつづき、スタート7町村のうちの長野県大鹿村の取材だ。美瑛町の町長さんや担当者の方も、年次総会の三回目が大鹿村であったとき、「なにか変った」というほど敬服されている大鹿村である。またもや時間がなく、駆け足になりそうなのだが、楽しみだ。
10月には、「日本で最も美しい村」連合の第五回総会が、先に取材した大蔵村である。今回で加盟町村は30をこえる勢いだ。
浜田町長の取材では「地方分権」が話題になった。いま「中央」で「政治」として「地方分権」が騒がれているが、その言葉ではあらわし切れない、「自律的」「自立的」「自主的」な動きが、いろいろあるのだな。ひとの数ほど生き方があるように、町村の数ほど町村の生き方があるのだ。いまの「中央の眼」からだけでは、そのことが見えてこない。
厳しい農村の現状をみれば、「日本で最も美しい村」連合で万々歳順調というわけにはいかないのはもちろんだが、とにかく未来への布石として「なにかある」。今回は、その「なにか」に触れた気がした。つづいてすぐの大鹿村の取材では、そこをもっと掘り下げてみよう。
ってことで、ばたばたしている。でも、どんなに忙しくても、酒だけは、よく飲んでいる。出発の31日の朝は、前夜飲みすぎて、飛行機に遅れそうになり、酒のにおいを発散させながら飛行機に乗った。美瑛町でも、いい飲み屋をみつけた。地域の気質や実態にふれるには、飲み屋や銭湯など、けっこう大事だ。なので、飲むのも、銭湯や温泉に入るのも、「取材」なのですね。
美瑛駅前の中心街。この過疎の町の中心地に、銭湯が2軒もあるのは、どういうわけか気になったが、取材する余裕がなかった。しかし、今回の一連の取材は、天気に恵まれている。大蔵村も美瑛町も、その前後は雨なのに、ちょうど取材の2日間は晴れだった。北海道は全域で、例年とまったくちがって、7月は梅雨のように雨の日が多く、農作物の生育にとってかなり打撃になる状況のようだ。ということは、とくに小麦、じゃがいも、トマトなどの市場動向に影響がでる可能性もある。
美瑛町の、いわゆる「ビューポイント」は、自然そのもの、あるいは観光用につくられたものではない。北国の、しかも平らな土地の少ない丘陵地帯で、土質も緑肥を大量に投入しなくてはならないという、農耕には不利な環境での、農業と生活がもたらした結果の景観なのだ。農作業には、どっと押し寄せる観光客は迷惑が少なくなく、農環境の破壊にもなりかねない。観光客にとっては道路をふさいでゆっくり移動する農作業車などが観光の「利便性」をそこなう。そういう、ややこしい風景もある。が、小麦の収穫期、ゆっくり走るコンバインのうしろに観光バスが従う姿は、「正常」であるような気がした。
このあいだの死者を出した美瑛岳遭難の人たちは、ここから十勝岳経由で、雲に隠れている美瑛岳へむかった。この日も中高年の登山ツアーの観光バスでにぎわっていた。その様子は、なんだかな~、だった。大都会の価値観や感覚のなかで、いじりまわしている「自然」は、自分の価値観や感覚のなかにあるもので、その外にある本来の自然とはちがうものなのだ。そこの区別がつかなくなった、とくにいまどきの「自然志向」な中高年の「都会文化」が、はびこっているのかも知れない。「登山歴10年のベテラン」なんていう表現の報道があるが、それはたいがいここ10数年の「百名山ブーム」のなかでの「名山消費登山歴」で、しかも中高年になってからの10年では「ベテラン」といえるかどうか。
富良野線、美馬牛(びばうし)駅。
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コメント
月10日ばかりの田舎暮らしとは、いまや都会人の憧れる生活ではありませんか。群馬のド田舎から新幹線通勤の塩の字といい、エロ仕事師の人たちは、なかなか流行の先端をゆく優雅な趣のある田舎暮らしをしているのでありますね。それに親孝行だし。「エロ」「田舎」「親孝行」、これが高齢化日本の未来をひらくキーワードか。
平成の大合併で消えた「村」は、たくさんあって、そして一方で過疎の「村」とおなじような「町」や「市」が生まれたわけで、妙なことになったな~という感じがあります。
とにかく、そこに「人間」がいるかぎり、村だろうがなんだろうが、「人間」のダークな面があり、なかなかおもしろいものがありますね。
かつてのオウムも、過疎の村を乗っ取りそうなことをしましたが、これから、まだまだおなじようなことが起きそうだと、そこを(その場所は、伊那市と合併した「市」とはいえ過疎の「村」の山奥なのですが)見て思いました。人間の意思は、簡単に誰かに支配されやすい。なにしろ、かつて強引な勧誘やらで批判された「新興宗教」が、いまや政権党を支えているのだから。これから、どうなるかわかりませんね。
ヤマザキさんが奥会津を根城に「日本エロ幸福会」のような宗教でも立ち上げることを願っています。その修行の第一は、温泉の混浴を普及すること。混浴は、いまそこそこの「ブーム」のようだから、成功まちがいなし。
投稿: エンテツ | 2009/08/08 08:22
今も奥会津にいるのですが、月に10日ぐらいはここで暮らそうとインターネットを引いたり、机を買ったりしました。そしたら、東京近郊で娘夫婦(ぼくの妹ですね)と同居している老父が、一緒に帰るというので、目下男の二人暮しです。
ここも数年前に合併する前は「村」でした。それだけに今回のエンテツ大兄の充実した取材ぶりを、非常に楽しみながら拝読しています。その一方で、怪しい「聖地」の存在にも興味をかきたてられました。
「村」は美しいだけではないダークサイドがあると思います。わたしは大兄の目撃された集団から、ピーター・フォンダ、ウォーレン・オーツ主演の『悪魔の追跡』という映画を思い浮かべました。追いかけられなくて良かったですね。
投稿: ヤマザキ | 2009/08/08 01:19
ヤマザキさん、どーも。取材で出かけていまして返事が遅くなってすみません。なんだか、激しく怒っているようですが、ほんと、もうアキレタありさまも少なくないですね。
ところで、今回の取材の帰り、チョイとアヤシイ場所があったので、野次馬根性で立ち寄ってみたのですが、とてもコワイ人たちに出合っちゃいました。
そこは、なんやら「気が大量に発する」場所だそうで、ある種の人たちの「聖地」みたいのあんばいらしいでのですが、けっこう人が来ます。そして、そこそこの人数のひとたちが、薄暗い陽も差し込まない谷で、同じ方向を向いて同じ顔つき目つきで黙って座っている、チョイとゾッとする光景でした。自分の意志を失った顔つき目つきというか。
ようするに、完全に「いっちゃった」目つき顔つきなんですよ。
それが、あの登山ツアーのひとたちも同じだったことに気がついたのです。ずっと取材に同行しているカメラマンも、そう思ったそうです。
ハヤリの登山ツアーも、なにかに「洗脳」された「新興宗教」みたいなものかも知れない。
ところで、奥会津にいることが増えたというのは、もしかして父上のぐあいが悪いのでしょうか。お大事にしてください。
投稿: エンテツ | 2009/08/07 07:03
「美瑛岳遭難」のニュースに、わたしはまったく同情を感じませんでした。だいぶ以前、青梅に住んでいた頃によく出会った、奥多摩にハイキングに来る中高年のオッサン・オバサンには、ほとんど敵意のようなものを感じていました。あのファッションと、自足的な表情が大嫌いです。
最近、奥会津にいることが増えているのですが、先月わたしが毎日通っている温泉の共同浴場に、登山(ハイキング?)帰りの集団が入ってきました。もともと熱い湯なのですが、女湯の喧騒の凄まじさは言語に絶するものでした。熱ければ水でうめて、時間を待つ以外ないのですが、嬌声が木の壁一枚隔てて響き渡ります。
男湯には同伴のオッサンたちが入っていて、どうやら60過ぎの夫婦の集団らしいのですが、「女ってのは熱くても出ないものだ。(入浴料の)200円がもったいないから」などと、したり顔をしつつ、せっせと水でうめています。熱い湯が好きなわたしとしては不本意ですが、それより女湯のバカげた騒ぎを何とかして欲しいと思ったものです。
都会の生活や、家庭のストレスから解放されて、オバサン連中、はしゃいでいるのでしょうが、北海道で遭難のニュースを見て最初に思い浮かべたのが、この共同浴場で遭遇した最悪のジジババどもでした。
投稿: ヤマザキ | 2009/08/04 01:51