「責任力」をいうなら、責任をとってからいうべきだ。
べつに、民主党を応援したいわけでもないし、そもそもいま大マスコミが誘導しているような自民か民主かの「二大政党政治」を前提としたような、「政策選挙」「政権選択選挙」といったものには、まったく興味がない。エセ「二大政党政治」で生まれた政権は、どのみち、どうでもよい日本の問題の解決にならない。だいたい、いまの「政策」とやらだって、理念や目的レベルのことは、訴えても票にならないとかで、現世利益主義のような目先物取り主義に応えるような政策ばかりが話題になる。そのレベルで、財源がどうのこうのいっている。そんなの政策議論じゃないだろ。
だいたいね、「改革」といいながら国債発行を増やした小泉に、さらに大幅上乗せする国債発行をやった麻生政権が、財源だのなんだのいえるのかね。「責任力」があるのかえ。借金してばら撒いて票を集め、それで「責任力」をいうなら、おれだって首相になれらあ。
だから、こんなことを書いてみたくなるのさ。
だいたいね、景気が回復すれば、これぐらいの借金は返せるなんてのは、なんの根拠もない。馬券があたれば返すからと金を借りて財源を調達したようなものじゃないか。そもそもだよ、かりに景気が底を打って回復にむかったとしても、以前のようにはもどらないのだよ。アメリカの責任ある政府は、ちゃんとそのように分析しているし、責任あるアナリストなら、そういう結論になるはずだ。が、日本の首相の「責任力」は、どうだ。おはなしにならない「責任力」だ。ま、「政策選挙」「政権選択選挙」だなんていっても、そんなばかげたレベルのことなのだ。
それに、民主党のなんだかで国旗をやぶって何かにしたとかのことを、鬼の首をとったようにあげつらね、そりゃまあ、いまの麻生にとっては、民主党は鬼みたいなものなんだろうけど、そんなことで「責任力」を主張するのはおかしいよ。だいたいね、自分は「陳謝」してすまして「責任」とってないんだから。「陳謝」しまくりで逃げようという選挙じゃないか、それで陳謝しているひとの鬼の首をとったようにして自分の「責任力」をいうなら、そりゃ天にむかってツバしているようなものだ。
そもそも、「責任力」なんて、アイマイな言い方でなく、もっと正面から、これにむかってこうやるというものを打ち出すのが政策選挙じゃないのかね。「責任力」なんてのは、実績で判断するものなんだよ。いま政権の座にあって、総選挙に打って出た責任者としての自覚がなくては、どうにもならん。
争点なら、農政どうするか、つまり、おれたちの食料の問題、食うためのことを、やってもらいたい。いまの農水省の、やり方を問うべきだろう。日の丸のはちまきをして、おらが先生を応援してきた農村は、いまどうなっているか。
そりゃそうと、そんな「政策状況」なのに、大マスコミが、なぜこのように、かつてサッカーが盛り上がったときに、「野球が好きか、サッカーが好きか」キャンペーンをやったように、「政策選挙」「政権選択選挙」をいうのだろうか。そこに、なにか、あるのだとおもう。おれは、そんなテには、のらないよ。
自民党でも民主党でもいけないし、自民党でも民主党でもよい。そのていどのものだ。ただ、官僚は、悪いね、いまの日本は。とりあえず自公政権はやめてもらって民主党にというなかには、官僚に痛い目にあったひとや、もう族議員は信用できない、官僚政治にふりまわされるのは真っ平というひとは、けっこういるね。でも、そういっていながら、投票は別ということも、けっこうあるんだな。そのへんが、ま、人間のおもしろいところか。
選挙の日は、昼間から飲み会をセットしてあるし。
| 固定リンク | 0
この記事へのコメントは終了しました。
コメント