東大宮、なしもぶどうも畑で売ります。
2009/05/06「「ふきお売りします」という土地の「麻こころ茶屋」やエコ系など。」では、畑で「ふきお売りします」の画像を載せた。
2009/07/12「東大宮、地元萌えの日。」では、「じゃがいもお売りします」の画像を載せた。いまこの畑にはネギがあるし、ナスも売っている。
そことはちがう場所だ。
きのう、東大宮駅西口から東北本線(宇都宮線と呼んだりする)の線路沿いに大宮方面へ向かった。すると、大宮方面から、「コンテナ車」というべきか、貨物列車が来た。おれの横を青森方面へ走り抜ける。意外に長い列車だった。おれの横を走り始めてから、そうだ写真を撮ろうと思い立ち、バッグからデジカメを取り出してかまえても、まだ列車は走っていた。その音は、まさに、「轟音」だった。「車」の音が、いくつも重なって、きこえるのだ。貨物列車の轟音は、客車のような疾走軽快感はなく、荒々しく重量感のある響きだ。
その撮影している位置から先に踏み切りがあって、その先の右側に旗がひらめいていた。近づくと、大きな屋敷の入口の立派な植え込みに、「梨直売」「ぶどう」の幟が立っている。ときどき、この前を散歩して、前からぶどうやなしの畑があることは知っていたが、このように直売しているとは知らなかった。
「梨直売」の幟に、大宮東部梨組合の名前が入っている。果物も野菜も、生産から出荷の過程では、収穫に続いて選別作業をしなくてはならない。市場に出す場合は、ずいぶん細かい等級わけになる。選別作業は煩雑なので、収穫したものを、共同で選別し出荷するところに持ち込む。組合があって、栽培農家がそれなりにあれば、それが可能だが、少なくなってきたら、どうなるか。「共同」は機能しなくなる。自力で、直売か「もぎとり観光農園」など、なんとか販売につなげるしかない。
畑があれば生産はできるが、販売につながる方法がなければ、マイナスが積み重なる。食っていくための農業ビジネスとなれば、それは解決しなくてはならない問題だ。生産、流通、消費がうまくつながって成り立つ。それは、どんなビジネスもおなじ。農業が特殊なのは、土地や気候に縛られることだ。
いま、政府がカネをつぎこんで、「野菜工場」や「植物工場」の育成が盛んだ。完全空調の密閉空間で、土もつかなわない栽培は、システムが完成すれば、土地や気候にしばられることはない。おまけに、除草剤も殺虫剤もいらない無化学肥料での栽培も可能になる。いちおう、これまでのガイドラインが正しければ、とても「安全」で「安心」なものができる。それは、これからの都市に対応するシステムとして、育成が進んでいる。なんと、すばらしい、都市の未来像ではないか。
現代の都市が、農薬を大量につかう農業をシステムとして必要としたように、これからの都市は、「野菜工場」や「植物工場」を必要とする。そういうものとして、構想されている。しかし、そこには、なにか、カンジンなことが欠けているような気がする。
自分の生き方として農業とどういう関係をつくるかという議論のない「まちづくり」、人を集めカネを集めればよい都市の「再生」だの「活性化」は、さらにおかしな結果になるだろうと思う。そうやって、日本の現代都市は腐敗を深めるものなのかも知れないが。「農薬」「無農薬」も、そういうなかで決まってきたことで、「農薬」は悪、「無農薬」は善、なんていう短絡的な決めつけからは、展望は開けない。
ま、そういうことは、いいや。線路を背中に、なし畑を撮影。ついでに、今年の冬、ちがう位置から、畑と屋敷を撮影していたから、掲載しよう。この左端の道路の左側に、ぶどう畑がある。
さらに、この先、線路沿いに行くと、駅から5分ぐらいかで、ここ「見沼たんぼ」緑地に出る。
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