買う、酔う、泥酔年末年始がさらにおもしろくなる、大竹聡『酔人伝』(双葉社)。
撮られた記憶のない写真が届いた。撮影は愛人6号まりりん。上の写真は、本をクローズアップするためトリミングした。下の写真、左が著者の大竹さん。たぶん、あとで追記する。
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撮られた記憶のない写真が届いた。撮影は愛人6号まりりん。上の写真は、本をクローズアップするためトリミングした。下の写真、左が著者の大竹さん。たぶん、あとで追記する。
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きのうは、ゲストに瀬尾幸子さんを迎え「まずうま」を語りつくすという、10回目にして今年最後の泥酔論だった。その前に、いろいろあった。そもそも、前日には、ロケハンで瀬尾さんと一日一緒だったのだが、ロケハン中に予定外想定外の買物的行為があって、スロコメに行く前に、瀬尾さんと13時に赤羽駅で待ち合わせることになった。
12時ごろウチを出るときポストを見ると、双葉社からのメール便があった。開けると、大竹聡さんの『酔人伝』だ。そのままバッグに突っ込み、電車の中でパラパラ見る。そういえば、週刊大衆に連載のエッセイが本になる話を大竹さんに聞いていたことを思い出す。それが、これだ。パラパラ見る。大竹さん独特の語り調子の、お笑いヨツパライ講談であります。読んでから紹介しよう。
昨年12月13日の第1回泥酔論のときも、ブログに書いたように、ウチを「出かけようという直前、宅急便。あけると、これだ、ついに出た、待望の一冊。大竹聡さんの『もう一杯!! 『酒つま』編集長大竹聡のチャランポラン酒場歩き』(産業編集センター)」ってことで、そのままバッグに突っ込んで電車の中でパラパラ見たのだった。この一年間の泥酔論は、大竹聡さんの著書で始まり、またそれで終わるという、「泥酔論」らしい妙なインネン。
赤羽で瀬尾さんと某事務所へ、のち前夜の十条の現場に移動。それはそれで終わり、つぎは別件で中野の某宅。着いたのは16時ごろか。そこでやっと腰を落ち着けて呑むかんじになる。オモヘバ、前日錦糸町駅11時から以後、あいだでウチに泥酔帰宅して寝た時間以外は、ほとんどウロウロの立ち続け腰の落ち着くことがなかったのだな。でも、ゆっくりはできない。10数名ばかりそろって、宴会が盛り上がろうという17時40分ごろ、瀬尾さんと退去。
新宿から小田急線で下北沢に向かう電車のなかで、ひさしぶりにゲロ噴射を間近に見る。とにかく、すでにアルコールの入った身体で18時20分ごろスロコメに到着。生ビール! イチオウ開始予定の18時半前に着いたのだが、いるのは、パラッと6名ほど。でも初めての方が1人。見覚えのある顔の10代の男子(泥酔論最年少)、ちかごろ毎度おなじみというかんじの更紗さんととみきちさん、まいどの野暮連の男2人、だけだったかな。やはり女子にもてる芸人さんがいないと、こんなに少ないのかと、思ってみたり。
大竹聡さんがあらわれ、ガンマージーティーオーが850だったとかでヤバイという。そりゃ、おれが急性肝炎で入院したときのガンマー値だよ、なんて話しているうちに、いろんな人たちがあらわれる。みんな、どーせ18時半には始まりっこないと思っているのだな。
愛人6号まりりんが男を連れて登場。おおっ、いつのまに男をつくったのかと男をみる。見たことのある顔。と、「アサイです」と。おお、ポルトガル帰りワルの部下だった、ビジネスと平和の戦士ではないか。なんとまあ、10年ぶりぐらいだろう。ポルトガル帰りワルはトシで夜遊びできなくなって、替わって登場というわけか。
ま、ホッピーを呑みながら、とにかく始まる。瀬尾さんは、ずーっと忙しいうえに、風邪を引いたりで不調でもあったのだが、やはりおれと比べたらかなり若いわけで、疲れていたとはいえ、頭も口もよく動く。こっちは、もうイスにドカッと座ったら、しゃべるのもめんどうな気分。でも、ま、気合を入れて始めたのであります。
「まずうま」がテーマ。なるべく瀬尾さんにしゃべらせるようにすすめるが、途中でこっちがうまく受けられない。チョイと前に話していたことも忘れる始末。老人性健忘症と急性アルコホル性健忘症の合併症状か。では、まいどのように、スライドの画像をつかってと思い、あらかじめ画面に出しておいたタイトルの次をクリックすると、真っ白な画面になってしまう。あれれれれれ、おれの頭の中まで真っ白になっちゃうよ、ってほどじゃなく、なにしろもう酔っているから、どうでもよいのである。じゃ、ま、いいかと話にもどるのだが、どうもうまくない、どうしてもスライドが気になるので、いじる。
見るに見かねたか、木村衣有子さんが出てきて、いじってみてくれるがダメであり、そのまま瀬尾さんと木村さんのトークになる。これが、おもしろかった。このお二人は、頭も口もたつから、おもしろいですね。もっとやってもらいたかったが、おれは、もうめんどうになっていたのでやめた。って、ことで、10回目は記念すべきイイカゲンなトークの本性のままに忘年会に突入したのであります。みなさん、なんだかにぎやかに呑んでいましたねえ。千葉から来たという初めての女子の方もいましたね。どーも、みなさん、とんでもなくイイカゲンなトークライブに集まりいただき、ありがとうございました。(画像は、まりりんさん提供。いつもスライドを出す、右上のモニターが真っ白)
とにかく身体を立ているのもつらく、横になりたくて、終電よりかなり早めにスロコメを出て帰ったのだった。スロコメから出るとき、奥のイスに瀬尾さんがのびているのが見えた。いやはや2日間のあいだに、いろいろありすぎで、瀬尾さんもクタビレましたでしょう。
来年の「泥酔論」は、どうしようかな。きのう使えなかったスライドは、その原因がわかったので、もう一度つくり直して、「うままず、やり直し」をやりたくもあり、それから、アサイさんのことで思い出したが、彼は不動産ビジネス界のひとなので、彼と「不動産業の呑み方」なんてトークをするのも、おもしろいなあと思ったり、でも、もうおれもトシでめんどうだから、やめちゃうかと思ったり…。
「四月と十月」に連載の「理解フノー」の校正が出ていた。これから見る。
一昨日「わははめし」5回目の再校を終えているから、近日中に更新されるだろう。
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きのう11時、JR総武線錦糸町駅南口集合。版元編集さん、瀬尾幸子さん、佐々木香織さん、あんどおれ。わははめしの書籍化、大雑把な内容、版型、ページ数、価格ライン、発行予定月など、ほぼ決まる。文章あとで。きょうは、18時半から、スロコメ@下北沢、今年最後の「泥酔論」、よろしく~。
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チョイと必要な資料が、さいたま市の大宮図書館にあることがわかり、ひさしぶりに大宮を歩いた。ちかごろは、大宮というと、西口前のビックカメラかソフマップ、東口前のいづみやの範囲以外は出たことがない。氷川神社の参道脇にある大宮図書館は、もう5年以上は行ってないだろう。遠回りして行き、遠回りして駅にもどり、ヤッパリ「いづみや」と、本店のほうに入る。1人2人のときは、たいがい本店なのだ。
15時半ごろだった。ま、その時間に酒が呑める、そしていかにも酒好きそうな小太り赤ら顔のオヤジたちばかり。生ビールと、ポテトサラダとハムカツを頼む。聞こえてくる話が、ガンマー値と血糖値のことばかり。おもわず笑っちゃった。
フロア・サービスに、初めて見る若い男子がいた。背が高く、190センチぐらいか、色白痩せ型で、髪をオールバックでなでつけている。目鼻立ちもよく、ちょい崩れたニヒルな感じで、ダブルの背広でも着たら、イタリアン・マフィアかジゴロかという感じがしないでもなく。それが、まわりの話を聞いていると、社長の息子が修業中だという。おれが知っている社長と息子とは、まったく違う感じなのでおどろくが、真偽のほどはわからず。
昼の酒場は、ひとが話していても、静かに静まり返っている空洞に入った感じだ。チュウハイと肉豆腐を追加し、これからの仕事や企画そして「ヴィジョン」のことなどアレコレ考え、16時15分ごろ店を出た。
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奈良県の天理は、1960年代なかごろ大阪で1年ばかり仕事をしているあいだに何度か行った。セールスのためで、訪問先は天理大学の先生だった。顔は、なんとなく思い出せるような気がするが、名前がどうしても思い出せない。初めて天理の駅をおりて、商店街を歩いているとき、天理教のはっぴを着ているひとが多いのにおどろいた。もっと「仰天」というぐらいおどろいたのは、商店街をぬけた先にあった、天理教の本部というのか大きな建物と大きな広場を見たときだ。そのデカイこと。それだけは記憶に残った。
この1か月以内に、ぐうぜん、天理へ行ったことがあるひとに2人会ったが、2人とも、大きな建物と広場とはっぴを着た人たちにおどろいたというから、みな同じような印象を持つのかもしれない。
ともあれ、天理教道友社の編集さんから『すきっと』という雑誌に、大衆食堂のことを書いてほしいとのメールを頂戴したとき、あの建物と広場を懐かしく思い出した。
「オトナの放課後」というコーナー。2009/09/08「おれも「大人」の仲間入りをするか」に書いたが、「このコーナーのコンセプトは「大人の息抜き」ですので、余り重たい話にならないようにお願いいたします」との依頼だった。うーむ、おれのような男に、そのような「お願い」をするとは大胆な。
がしかし、素直に、そのように書いたおれの原稿に、編集さんは「大衆食堂再発見!!「ふつう」のうまさを楽しむ」のタイトルをつけてくれた。A4サイズ3ページ。
露悪的偽悪的に書くことが多いおれだが、今回は、その影もなく(たぶん)、まっことすっきり素直に書いている。天理教の御威光か? かといって、偽善的でもなく、情緒に偏向するでもなく。
いつもこうやって書いていれば、もっと本は売れ、もっとライティングの仕事が入り、もっと「有名」になっていたかも知れないという感じだ。ま、そういう書き方も、できるわけだが。いつもは、そういう書き方をしない「理由」も、自分ではわかっている。2か所ほど文章がもたつくところがあるが、これはこれなりに、よく書けている。もっと、こういうふうに書いてみるか。いやあははははは。
レイアウトもすきっとしている。写真は、編集さんが用意された天理の大衆食堂。じつに、そそる食堂だ。機会があったら、ぜひ寄ってみたい。
「オトナの放課後」には、酒場詩人の吉田類さんも登場。「この人に訊く」には安西水丸さんで、この夏の「四月と十月」古墳部の旅で行った明日香の古墳や遺跡を歩いている。特集「トキメク」には片岡仁左衛門さん、神戸製鋼ラグビー部の平尾誠二さん、など。そして、「対談・今を語る」に、「天理教表統領」の上田嘉太郎さんという方が登場する。「表統領」というような呼び方、独特だな。天理教には、独特な言葉表現が多いような気がする。
12月1日発売。雑誌コードがあるから、一般書店で注文できるでしょう。476円+税。と書いても、おれの文章のために、わざわざ買い求めるひとはいないか。
しかし、この内容と書き方は、「一般受け」すると思う。うん。
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なんとなく、やってみるかとやった去年12月13日土曜日の泥酔論だった。べつに続けるつもりはなく始めたのだが、続いてしまった。
来年も続けるなら、毎月というのは、なにしろおれはトシだし、なにしろココ東大宮は下北沢から遠いし、なにしろ来年はチョイと集中して片付けたいことがあるから、けっこう大変なので、2か月に1回ぐらいにしようと思っている。
とにかく、これが今年最後の泥酔論。料理研究家の瀬尾幸子さんと「まずうま」を語りつくすつもり。まだ何も準備ができてないし、瀬尾さんは大変忙しく打ち合わせもできてないけど、前日は一日中仕事で一緒だし、なんとかなるだろう。ま、毎回、なんとかなるだろう泥酔でやってきたのだ。なんとかなるだろう泥酔型リラグゼーション。
芸人ゲストさんのほうは、今回は、たぶんいないと思います。はたして、芸人ゲストさんいなくて、大丈夫か? そうそう、村上航さん(猫のホテル)は年末公演があります。12月22日-27日、脚本・演出=坂上忍さんで「殺(アヤ)める人々」、SHIMOKITAZAWA Theater 711。こちらも、よろしく~。
この1年の泥酔論を当ブログでふりかえる。はあ、よくやった。みなさん、お付き合いいただき、ありがとうございました。
2008/12/14
大竹聡『もう一杯!!』と「いまこそ泥酔を!」。泥酔な日、泥酔教は続くか?
2009/02/08
トークライブでジェネギャップに呆然、泥酔のなか「野暮連」を構想す。
2009/03/22
盛況御礼、トークライブ泥酔論3回目「野暮」。
2009/04/27
盛況御礼。昨夜の泥酔論「スナック礼讃」。
2009/06/28
盛況御礼、第5回泥酔論inスロコメ。ミーツ別冊『酒場の本』。
2009/07/26
村上航さんの朗読は、ほんと、すばらしかった。6回目の泥酔論、スロコメ@下北沢。
2009/08/23
盛況御礼。昨夜のスロコメ「泥酔論」は、村上航さんで勝負だった。
2009/09/27
スロコメ@下北沢「泥酔論」盛況御礼。
2009/10/26
盛況御礼、昨夜のスロコメ@下北沢「泥酔論」9回目。
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きのうのこと、早くは片づかないだろうとおもっていた仕事が、夕方に終わった。スケジュール表を見たら、19時から下北沢のスローコメディファクトリーで、「酒とつまみ」のイベントがある。ヨシッ飲むぞ、と、出かけた。
19時ちょうどぐらいに着いた。大竹聡さん、渡邉和彦さん、サイカメさん、いつもの酒つまトリオ。野暮連も2人いた。村上航さんの朗読もあるから、女子ファンたち、更紗さんととみきちさんも。
まず生ビール、のちホッピー、中おかわり2、のち清酒「梅の宿」を常温で3杯までは覚えている。
イベントは、大竹さんの挨拶に続き、村上航さんの朗読で始まった。大竹さんが『酒とつまみ』に連載の近著『中央線で行く東京横断ホッピーマラソン』(ちくま文庫)。なぜか、文章の最後にある、店のスペック、電話番号などを読むところがおもしろい。瀬尾幸子さんのレシピや、こういうスペック、ま、情緒のない無機的なものに息をふきこむおもしろさというか。
朗読のあとは、『酒とつまみ』に「酒は身体に悪いぞ~」を連載のすわ親治さんのコメディライブ。笑った~。そして、いよいよ、第1回全日本さきいか相撲選手権。いやあははははは、これ、ほんと、何回やっても愉快。エントリーに1人100円拠出、それが優勝賞金に。決勝は、たしか、うまいぐあいに女子対男子になり、とみきちさんとサイカメさんだった。無情にもサイカメさん優勝。
スロコメのブログで、須田店長が写真入りで報告している。…クリック地獄
あとは、とにかく飲むだけ。初めて見るひと何人かと話したら、1人は北海道から来た女子、おどろいた~なんで北海道から?聞いたけど覚えてない。若いカップルは、ご近所さんで、須田さんのTwitterを見て初めて来たのだとか。Twitterは生放送のようで臨場感と即効性があるらしい。須田さんのTwitter…クリック地獄
ま、とにかく、よく遊びよく飲んで、泥酔ですよ。例によって電車に乗り遅れないよう、早めに22時半ごろかな、スロコメを出て記憶喪失帰宅。きょうは、夕方になっても肉体に力が入らない泥酔疲れ。
↑上の「お知らせ」に告知のとおり、今週28日土曜日は、おれの「泥酔論」がスロコメであります。たぶん、これが今年最後の泥酔論になるとおもいます。泥酔しましょう。
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まえのエントリー「バー「リーベ」のマスターが死んでいたんだよ~」は、泥酔記憶喪失帰宅後の深夜のことで、これを書いた記憶は、ほとんどない。
きのう、遅れている『四月と十月』の10月号の原稿締め切りだった。連載「理解フノー」の3回目を書き上げ、昼過ぎにメールで送り、編集長の牧野さんと電話で話した。その電話を切ったあと、木村女子から電話があり、王子駅で17時にまちあわせ。
山田屋。中生2杯ずつ飲んだのち、「鶴齢」の4号瓶を一本あけ、もう酔っ払い。酒飲みながら、『東京サク飲み!』の話もする。2009/11/20「もの足りないが、やはりミーツなミーツ・リージョナル別冊『東京サク飲み!』」に書いたようなことを具体的に。ま、タイトなスケジュールのなかでつくるつらさもあるわけだ。
そこには書いてないが、コラムの「木村衣有子のめおと酒場」は、木村さんと夫のモリオさんと2人で書いている。これが、同じページに別々に書いて載っている。それぞれおもしろい。そのことは日をあらためて紹介したい。モンダイは、それぞれはおもしろいのだが、「めおと酒場」の話になっていない。ただ夫婦で書いたというだけ。それぞれ書いたものを、木村さんが一つにまとめ直して、もっと書き込んだほうがよかったというのが、おれの感想で、その話なんぞをした。ほかに、おとなの男のはなし女のはなしなど、あれこれ。
酔って、さあもう一軒と行った先が、さくら新道のバー「リーベ」。さくら新道は、さらに閉店が増え、残っている店が少なくなった。けっこう繁盛し人気店になっていた沖縄料理屋も閉店。一人でやっていた女将が、身体を悪くしたってことらしい。昼間は美容院をやりながらだったから無理があったのか。リーベの隣、一番奥の「三楽」も閉店。
リーベは、外から中をのぞける小窓がある。のぞくと、これまでに見たことがないほどカウンターに客がいる。ところがカウンターの中には、マスターの姿がなく、知らない女性。うーん、もしかすると経営が変ったのかとおもいながら、とにかく入ってみようと入る。すると、カウンターには、ちゃんとママがいる。その隣には古い常連のミウラさんも。やあやあ、ひさしぶりと、お互いよろこぶ。マスターのことを聞くまえにママが、「遠藤さんどうされたんですか家に電話したけど、電話はつかわれてないというし」。「引っ越したんですよ、マスターはどうしたの?」と聞くと、「それが、それで遠藤さんに連絡しなくちゃと電話したんだけど、6月に死んだんですよ」「えっ、なぜ」「とつぜん、ポクッと死んでしまって」………
リーベのボトルキープは無期限。もう一年以上前の角が、まだ底の方に残っていた。それで木村さんと2人で角ハイを飲む。ボトルも追加。こんなに混んだリーベは初めて。あとから3人の男連れもきて、カウンターが一杯になったのは、1997年にここに寄って以来、初めて見た。なので、ママやミウラさんと話す余裕もなく、木村さんと角ハイをガバガバ飲みワアワア何かを話していたが、ほとんど記憶にない。勘定するときに財布の中に一万円札とおもっていたのが5千円札だったのを覚えているから、そのとき一瞬正気にもどったのだろう。王子の駅で電車に乗るときも、財布のなかが空になっていて電車賃もない。どうしたことか、そこでもまた確か一万円札があるハズだがとおもった記憶があるから、そのときも一瞬正気にもどったのだろう。で、木村さんに千円借りて、切符を買い、そのあたりから、ほとんど記憶喪失。
リーベのマスターは、広島に移ってしまった大蔵省の醸造試験所だか研究所が王子にあったころ、そこに勤めていてリーベの客だった。それが、その職を投げて、カウンターの内側に入ってしまった。ほんと、おもしろい飲兵衛。このひとが燗をつけると、酒の味が変わってうまくなるので、いつもやってもらっては、どんなマズイ酒でもうまくなる魔法の燗「なんでかね~」と、2人でバカ話をして楽しんだ。おれは昭和18年の遅生まれ、彼は昭和19年の早生まれで、同学年ということもあって、けっこう共通する話題もあった。楽しい酒飲みだった。3年前ぐらいに入ったら、客はいなく、めずらしく本なんぞ読んでいる。なんの本を読んでるのと聞くと、「いや、ちかごろ女の客が来て、カクテルなんか注文されちゃうんで困るんだよね、だから少しカクテルの勉強でもしようなかとおもって」とトボケたことをいっていた。
6月に亡くなったということは、小諸の揚羽屋のおやじも6月に亡くなったのだなあ。おれと同年代の楽しい酒飲みが2人とも、6月に逝ってしまった。これから毎年6月は、さらに酒をタップリ飲まなくてはならない。
ママは、85歳ぐらいのはずだが、あいかわらず元気でシャキシャキ身体も口もよく動きトシを感じさせない。写真は、2002年8月31日に撮影。
ザ大衆食「東京北区王子さくら新道のバーリーベ」…クリック地獄
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どうしてくれるんだ!おれとおなじトシだぞ。トシは、どうでもいいが、かなしいよ~。かなしいだろ、かなしいよな。
横浜生まれ、「浜っこ」の話、聞いた。そして大学、そして「リーベ」のカウンターのなかに入るまで。おもしろかったけど、ほとんど忘れた。いや、ほんとは、覚えていることも少なくない。かれの酒の燗は、それこそ「絶妙」というものだ。
いまさら書いても、しょうがない。
このあいだ行ったときは、生きていたのに。
バー「リーベ」は健在です。ママも。
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きのう届いた、まいどどうもありがとうございます。ミーツ・リージョナル別冊『東京サク飲み!』。「今から気軽にサクッと飲める。オフィス街のゴキゲン酒場」と、キャッチコピー。
うーん、ミーツ・リージョナルというと、いつも期待しすぎちゃうのか、イマイチが多いのが気になる。本誌の月刊誌もふくめ、いつもなら、これ一つのことでも買って読む価値ありとおもわせるものがあるのだが、それがない。
とはいえ、この店のセレクトと見せ方は、やはりミーツとおもわせるものはある。その意味では、なかなかおもしろい、楽しい。つまり、今回は「素材選び」がよかったということか。ま、たまたま一店だけ、おれがよく利用していた店で、最近それはないだろうということで行かなくなった店が載っていて、それはないだろうとおもうのも、イマイチの印象のうちなのではあるのだが。
どうも、こう書いていて歯切れが悪いですな。ま、そうなのですよ。いいなあとおもっていると、それはないだろうというところがチラッと出て、いいなあ熱が下ってしまう。読者はゼイタクなもの。
「読書酒場のススメ」というコーナーで、「有限会社バッハ代表、ブックディレクター」という肩書の、幅充孝(はば・よしたか)さんのセリフに「僕は読んで面白かった本をみんなでシェアしたいという願望で棚を作る。でも、自分が好きだからという理由だけで選ぶのは、ただのおせっかい。訪れる人や、土地の来歴といった場所の磁場を慮ることを大切にしています」というのがあって印象に残った。そうなのだ、そのように「慮ることを大切に」したいものだ。そのへんの「リージョナル」なところが、この『東京サク飲み!』では、ミーツ・リージョナルにしてはイマイチというかんじでもある。
コラムに、大竹聡さん、木村衣有子さん、浜田信郎さん。それぞれ読ませるのだが、全体とのバランスでみると、ちぐはぐをかんじるところがある。全体とコラムの関係、企画なのか構成なのか、どこか練りきれてないところがある。そのへんもイマイチ惜しいのだ。
書いていると歯切れが悪いだけだから、やめよう。なんだかんだいっても、880円で、この情報力は買いであるにはちがいない。とくに大酒かっくらうより、いろいろな酒場をサクッと楽しみたいひとには、いいのじゃあるまいか。帝国ホテルのバーから新宿南口の大衆食堂「長野屋」まで、おなじ東京の店としてあつかうなんて、ミーツならではのワザだろう。
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きのうのエントリーの「エンテツの大衆食道」の動画を見ていたら、おもしろくてたまらん。この動画、たぶんアップル系のパソコンでつくったらしく、拡張子がmovで、きのうのは、おれのパソコンのソフトではキャプチャできなかった。だから〔いこい食堂〕編は、一度画面に出してデジカメで撮影するというメンドウをして静止画をつくり、そのため画質もよくないのだが、ザ大衆食のサイトに掲載した。
きょうは、朝からややこしいことが多く忙しかった。だけど、なんとかこの動画をキャプチャできないか気になって、ネットで調べた。そしたら、な~んと、簡単にできるフリーソフトがあるじゃないか。さっそくダウンロードして、つくりました〔鶯谷・信濃路〕編。これは3回にわけて公開された。そのおさわりを、きょうのような寒い日にあわせて、ここに掲載。あああああ、仕事するのやだねえ~、燗酒呑みたいよ~。
近日中に〔いこい食堂〕編もキャプチャして、ザ大衆食のサイトに掲載のものと差し替えよう。
↓おれ
↓店長(時計は午後3時)
↓おれ
〆のオコトバ
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もう2年たったのか。住所は業平だが、駅でいえば押上にある〔いこい食堂〕。何度か当ブログで話題にはしていたが、2年前の07年12月に、いまは無き亡き泣き携帯動画チャンネルの番組「エンテツの大衆食道」の取材でお世話になったまま、ザ大衆食のサイトには、ちゃんと掲載してなかった。きょう、掲載しましたぞ。…クリック地獄
ついでに、その携帯動画の手元にあるコピーから静止画像をつくり、「エンテツの大衆食道」の1回目いこい食堂編も掲載した。この動画、須田泰成さんプロデュースあんどディレクションなんだが、見直したら、すごくおもしろい。ナレーションもおもしろいし、もう笑っちゃうよ~。2回目から4回目は鶯谷の信濃路なんだけど、おれは昼間からガンガン呑んで泥酔状態。でも、そのあと、この番組はチャンネルごと無くなってしまったのだ。おれが登場するものは、たいがい続きませんね。うーん、おれは天下の少数派か。ああ、人間的欠陥か。うーん、やっぱ、消費市場の主人公たる女子や団塊おやじたちがよろこびそうな寝言が必要か。とにかく、そのうち「泥酔論」かなにかで、ご覧いただける機会をつくりたい。泥酔論に来るひとなら、素晴らしい五つ☆のような感性をしているから、きっと、このおもしろさはわかるでしょう。
そうそう、この静止画像を紹介するページは、上のクリック地獄でつながる〔いこい食堂〕からリンクがあります。もしかすると、ばあいによっては重いかも知れないので、あまり重すぎるようでしたら、ご面倒でもコメントでお知らせください。
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きのうのエントリーに関係する。
当地、さいたま市見沼区、東北本線(宇都宮線)東大宮駅東口そばに、「ちゃぶだい」という居酒屋がある。看板には、「よってって ちゃぶだい」とダジャレが誘う。そんなに誘うな、カネがない。
ウチと反対の口だが、引っ越してから、その前をふらふらすることはあって、名前は知っていた。この夏、祭のとき地元の方と初めて入った。気にいって、それから、5回ほど寄ったか。おれとしては多いほうだ。店は奥に長い。入ってすぐ右側は、奥に向かってカウンター7名分ぐらい。左側、カウンターの背後がテーブル席3台、いちばん奥に靴を脱いであがる小部屋があって、店名なる「ちゃぶだい」が置いてある。そうそう、オーディオ機器が、カウンター並びにカウンター4人分ぐらいの空間を確保している。
インテリアに、なんとなく1920年代30年代の「モダニズム」の香りがゆるく漂っているが、押し付けがましさはなく、ただのちゃぶだいのような店だ。なにげない入口は、外側に大きなのれんで見えにくいが、木造の引き戸の上半分ぐらいはガラスであり、そのガラス面一杯に、鉄製の、草のモチーフを幾何学的にデフォルメしたようなラインの飾りがはまっている。そこはかとなく、アール・デコ調。
カウンターやテーブルは、ごつい頑丈そうな木で出来ている。実際に古材を使ったのか、そのような仕上げにしたのか、昔の木造の校舎に見られたような、使い込まれた風な木の手製風。カウンターの椅子は、バーなら珍しくなく、居酒屋には珍しい、アメリカの20年代30年代の「ジャズエイジ」なバーあたりから流行ったといわれる、チョイ腰高のものだ。
壁が、特徴的。波型鋼鈑の波を横位置に、一面打ちつけてある。塗りはペンキ、うすいグレーとブルーが混ざったような色に感じる。その壁には、まさに「昭和レトロ調」のポスター。右から左へ横書きの「大日本麦酒」の文字が入った、これは複製品だろう、ビールメーカーのポスター。そして、かかっている音楽は、ジャズ。
といっても、つくりもの「昭和レトロ」や「モダニズム」調とはちがう。「天然生活」や「クウネル」を真似たような、都心なんぞにある、つくりものナチュラルなアートっぽいオシャレとはちがう。そのようにデザインされた完成度はない。ざっくりとしている。
あるじの趣味か、阪神グッズがぶらさがっていたり(あるじは、けっこう、阪神イケイケっぽい)、片隅にはパソコンがあったり、真ん中へんが成りゆきでだろう、小物か雑貨置き場のようになったところがある。それらが、てきとうな「ゆるさ」になっている。「作業場」「仕事場」のような雰囲気もする。デザインされているのだけど、気取ってはいないし、どこか崩れ、生活感がただよう。これが「大衆文化」というものではないだろうかと落ち着ける。現実にまみれたデザインというか、それは生きているデザインでもあるようだ。
チョイとおもいついたのは、「レトロ」「モダン」というと、昔はよかったねと懐かしがる、過去ふりかえりが大方の傾向だったが、「ちゃぶだい」のばあい、後をふりかえるのではなく「レトロ」「モダン」を前において、いまの生活の空間にしているようにおもった。だからこのスタイルは「進行中」であり、「完成」ということはないのだろう。
料理は、こったものではないが、けっこう工夫されている。うまい。なにしろ、お新香がうまい。酒好きには、これさえあればというかんじだ。その酒は、焼酎もだが、おれとしては清酒がいろいろ揃っているのが、うれしい。しかも、その揃え方に、それなりの「考え」を感じさせる。もちろん人気店で、座れないこともある。常連さんは、どうやら、酒好き、ジャズや音楽好きが多いようだ。一人でカウンターに座って、清酒を呑んでいる女子もいる。
じつは、昨夜、ここで呑んでいた。そして、写真を撮った。前から気になっていたのは、器と盛り付けで、その特徴は刺身のときによくあらわれる。昨夜は、おれの食べたい刺身がおわっていたので、別のものにしたが、これでも特徴が、わかる。
焼鳥の盛りだが、お新香の盛り合わせとおなじ小さな皿に一杯に盛る。こういう料理は、大きめの皿に、キャベツの千切りなど付け合せの野菜を置き、盛り合わせることが多いはずだ。で、刺身のばあいも、これとおなじ皿だったようにおもうが、違ったとしても大きさはおなじぐらいに、やはり一杯に盛り、ツマはその下に、ほんの少々入っているにすぎない。皿はふちが見えるていど。この焼鳥もそうだが、実質的に、刺身そのものがタップリある。ついでに、奥の皿は、だし巻きたまごで、これがふわふわでうまい、酒がすすむ。やはり皿いっぱいに盛って出てくる。
世間では、「器も料理の楽しみ」とかいっちゃって、まるで貧相な料理をごまかすかのように、大量生産品の大きな皿の真ん中に料理を盛る、はったりコケオドシが少なくない。たいがい、お新香と、肉か魚かによって、煮物か焼き物かなどによって、皿を変える。皿の絵柄はもちろん、大きさと形が、まるでちがう。それが、「惰性」というか「伝統」だろう。
ところが、つまり、「ちゃぶだい」のばあい、盛り付けの装飾性に制限を加えていることになる。これは、無理矢理リクツをつければ、「アール・デコ」な「モダン」な「ジャズエイジ」な精神ではないだろうか。
はたして、そのことで、「料理の楽しみ」は制限されるだろうか。けっして、そんなことはない。いつも、すごい楽しく、満足する。そもそも、テーブルやカウンターのサイズからしたら、こういうふうが「合理的」というものだ。合理的であるがゆえに、余計な見栄はなく、十分たのしめる。
考えがまとまっているわけでもないし、まだ書き足りないような気がするが、とりあえず、こんなところで。もしかするとおもいついて書き足すかも。
「ちゃぶだい」のブログ→【ちゃぶだい】…さいたま市の外れにある飲んべえの集う店。徒然なる日々の雑記帳
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2009/09/26
そのまんまキャベツ。そして「なぜ飲むの? わかってたまるか ベラボーめ!」
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9月29日に4回目の撮影をした「わははめし」の原稿を仕上げて送った先週、その前に撮影した原稿から12月1日ごろの更新に掲載する分の校正が送られてきた。これで「わははめし」の年内の撮影と原稿書きはないはず。年内は、2回目のロケハンと、1月の始めごろに更新予定の校正だけだろう。
ずいぶん考えては、しばらく忘れ、またなにかの拍子で気になり、考えてしまうことがある。ちかごろは、この「わははめし」の撮影やデザインを見るたびに考えてしまうのだが、それは、料理を盛る器と盛り方のデザインに関することだ。
「わははめし」あるいはほかの料理写真の器と盛り付けがどうのこうのということではない。でも、何を考えているかを書くのは難しい。頭の中は、アンドロメダ星雲のように、もやもや渦を巻き、考えることは宇宙のように広がってしまう。といと、大げさか。
器や盛り付けのデザインの歴史というか系譜というか、その真実というか、これは料理と関係が深い。何度も書いているように、料理は食べるとなくなる。が、器は、かなり残る。これが、貴重な手がかりだ。神崎宣武さんは『「うつわ」を食らう』で器の歴史から料理の歴史を考えることをしている。
読書の秋だが、本にはウソが多い。もちろん、『「うつわ」を食らう』のように真実に迫るものもあるが、たいがいウソが多い。ウソといって悪ければ、真実に無関心であることが多いとでもいおうか。「汁かけめし」と「カレーライス」の歴史を判断する能力は、そうやって失われた。そもそも、「料理とは何か」すらアイマイのまま料理を語る事態もフツウになっている。ってことを書いていると話は、どんどんそれそうだな。とにかく、「読む」対象を「書」にかぎるのはキケンなのだ。「書」は、手掛かりていどか。自然を読み、器を読み、道具を読み、モノを読み…、妄想ではなく実態を読む。
先日、ロールケーキを一本いただいたので、その半分ぐらいを食べた。うまかった~。どうもごちそうさま。そのロールケーキを見ながら、ふと気になった。ロールケーキの外観は、直線的であり幾何学的だ。いわゆる装飾性は、ゼロに近い。デコレーションケーキあるいはショートケーキとは正反対といってよい。大げさにいえば、そこには、人間の精神の働きの正反対というのは正確ではないかもしれないが、異なる二つ面があらわれている。
モノの外見と精神は関係あり、そのあいだに「技術」が介在する。なんてことは、おれが書くまでもないのだが、コト料理の分野になると、あまりそういう話にならない。そもそも、料理を、味覚を獲得する「技術」として考えることが、まだヨワイのだ。拙著『汁かけめし快食學』のばあいは、料理を、味覚を獲得する技術として位置づけているのだが。と書くと、いやあははは、また話がそれそうだ。
で、とにかく、おれは、そうだ、ロールケーキはアール・デコ、デコレーションケーキはアール・ヌーボーと見立てたらどうかとおもいついた。デザインと装飾のあいだに、何があるのか。それと料理と器と盛り付けの関係は、どうなのか。ケーキも、本質的には料理なのだから、手掛かりになりそうだ。
そんなんで、どんどん思いつきが跳ね回り、そのロールケーキをもらった日に呑んだ酒瓶のことも気になりだした。というのも、そのなかに一本、まったく装飾性のない、つまりラベルのない、透明のびんに入った酒があったからだ。それは、「袋しぼり純米大吟醸」という高価な生酒で、ちゃんと化粧箱に入っているのだが、そもそもいつから酒をびんに入れて販売するようになり、いつからラベルを貼るようになったのか。そのラベルも、ずいぶん変った。
チョイと話はちがうが、八海酒造の醸造アルコール添加の普通酒「八海山」のラベルは昔の面影をいくらか残している。八海酒造のサイトを見ると(クリック地獄)、この720mℓの希望小売価格が907円だが、ウチの近所のスーパーでは、1980円だったか、とにかく2000円わずかに弱で売られている。そして、その横に、イマ風の風格ありげな文字デザインのラベルの宮城の「浦霞」のおなじサイズのびんの、こちらは純米酒が、おなじ値段で売られているのだ。これは、なんといったらよいのだろう。いくらなんでもねえ。やはり消費者はバカなの?とでもいいたくなる。ま、八海山は、おれの故郷の酒にしてもだ。なにかゆがんでいる。
で、なんだっけ……。そうそう、それで、なんとなく手近にあった、海野弘さんの『アール・デコの時代』(中公文庫)をパラパラ見ていたら、「アール・デコの歴史とスタイル」の章に、こんなことが書いてあった。
ヨーロッパのことだが、「案外気づかれていないのは、ボトルをクローズアップしたポスターというのは、十九世紀末まではあまりないことである。(略)これは、酒を特別にデザインされたボトルにつめ、それにしゃれたラベルを貼って売り出すというやり方が二十世紀になってから一般化したものだからである。たとえばワインの名酒シャトー・ムートン・ロチルドは二〇年代から直接つくられた場所でびんづめされるようになった」「一九二〇年代には、ボトルやラベルといった外観が酒の売れ行きに重要な関係を持つようになった」
それは、現代都市と工業と消費社会の発達が関係するのだが、ここでもう一つ気になったのが、縄文土器と弥生土器だ。ロールケーキをアール・デコに見立てたら、その前の縄文とくらべたら、かなり装飾性のない幾何学的なデザインの弥生土器が思い浮かぶ。となれば、デコレーションケーキはアール・ヌーボーと縄文土器という見立てになる。
ま、そんなことを考えているが、何か発見があったわけではない。思いつきを書いているだけだ。
一番上の写真は、奈良盆地中央部に位置する唐古・鍵遺跡(からこ・かぎ・いせき)で発掘された弥生土器。「唐古・鍵考古学ミュージアム」に展示されていた。「植物を採集・調理する道具」を展示するコーナーで、中央の大きな土器は、「雑穀を炊いた壺」との説明がある。雑穀を食べる歴史についていえば、まさに文献だの「書」だのはあてにならない。米より古くから戦後まで、雑穀が広く食べられていた痕跡は存在していたのに、無視されてきた。「汁かけめし」の歴史が無視されてきたのも、おなじ「理由」とおもわれるが、そういう「理由」のほうが、実態より「重み」を持っていたのが「活字文化」といえようか。
それはともかく、最後の写真は、縄文土器。長野県茅野市の八ヶ岳山麓にある尖石遺跡の「尖石縄文考古館」の展示。ここの縄文土器の展示には圧倒される。いつも時間が足りなくなるほどあり、通算3回ぐらいは行っているが、まだ十分に見た気はしない。
縄文土器と弥生土器のちがいについては、いろいろ「説」があるが、なにしろワレワレは縄文人でも弥生人でもないので、なかなか納得できる「説」がない。なので、あまり「書」に支配されることなく、向かいあうことができる。とにかく、弥生の土器は、アール・デコのように幾何学的フォルムが強く、よく「デザイン」されているが、装飾性は少ない。縄文土器はデコレーションケーキのように豊かな装飾で、よく見ると指のあとまで装飾になっている感じもする。
唐古・鍵遺跡は、堀をめぐらした広大な「都市」のような集落の跡だ。縄文遺跡は、それとくらべたら「農村」の集落のようなアンバイだ。縄文土器は、たいがい女子が作ったらしい、いわば「主婦」の仕事である。それを見ていると、ああ、どんな「人妻」が作ったのだろうかとおもう。弥生時代は、土器をつくる仕事が集約され、「専門家」がいたらしい。
縄文や弥生というと遠い時代だが、料理をする人間ということでみると、あまりおれたちと変らない人間であることが、こうした土器や道具を見ていると気づく。いまの料理の技術のほとんどは、縄文のころには姿をあらわしている。つまり「食べる」ことについて、あい通じる「精神」を感じる。
それは、なんだろうかといえば、「ありふれたものをおいしく食べる」ということなのだ。その精神は、すでに縄文のころにはあっただろう。そう思える料理の道具が、いくらでもある。
料理も器も盛り付けも、この縄文と弥生の土器のようにちがうものが、いまでも同時に存在しているのだから、なにか関係ありそうだとおもう。外観はちがっても、料理に関係する精神や技術を考えていると、時空をこえて、みんなつながりそうだ。そんなこともあって、「四月と十月」古墳部は、けっこう楽しみなのだ。そうそう、「四月と十月」の「理解フノー」の原稿を仕上げなくては。今年の10月号の発行は、編集体制のこともあって作業は、かなり遅れて進行しているけど、まだ年内発行の可能性、あるのかな?
毎日、何かを食べながら、料理の歴史と真実からは、かなり遠いところにいる。八海山の普通酒が倍の、浦霞の純米酒とおなじ値段で売られるほど、遠いところにいるわけだ。
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毎年、初めて入った食堂があるにも関わらず、ザ大衆食のサイトへの掲載はとどこおり、きょねんは2件におわった。どんどんたまるばかり。今年も、このままだと2件でおわりそうなので、少しでも改善すべく、奈良市の若葉食堂を新たに掲載した。
これは5月22日からの古墳部の旅の帰り、奈良市に立ち寄り一泊したとき入ったものだ。そのとき、だいぶ以前に入ったことがある、JR奈良駅前の更科食堂の健在ぶりも撮影したので、画像と文を追加した。
更科食堂は、そこにも書いたが、02年か03年ごろ一時、継続が危ぶまれている話を聞いたことがある。JR奈良駅も、その周辺も、来年の開都ン百年にあわせてだとおもうが、古い建築遺産的価値があるとおもわれる奈良駅舎も含め、大々的な「再開発」の動きがあったようだ。その波に、更科食堂ものまれるのではないかと懸念されたのだ。すぐ隣には、スタバが入るビルが建ち、逆の隣の古い家には、取り壊し新築工事の告知看板がはられた。
しかし、不況も影響してか、いろいろ変更があったようだ。JR奈良駅の駅舎は、特徴的な屋根を持つメインを少し移動して保存が決まり、完工にむかって工事中だった。駅周辺も大々的な「再開発」は縮小したのか、道路の拡張かなにかにともない一部に新しい建物が建ち、かつてのJR奈良駅周辺のさびれた様子は無くなりつつも、さほど大きなビルが乱立することなくリニューアルがすすんでいた。新しい個人経営の食堂が増えるなどするなかに、更科食堂は健在だった。(25日の午前10時過ぎの開店時間ごろ、その前を通ったら、おばさんが元気そうに開店準備をしていた。その写真を、更科食堂のページに掲載した)
それはともかく、古墳部の旅は22日から桜井市を中心に歩いたのだが、おれは仕事の都合で23日からの参加になった。23日、朝7時ごろ東京発の新幹線に乗ったのだが、乗る前に朝めしとビールを買った。そのとき、なんだか大げさな包装のにぎりめしがあったので試しに買い、撮影し食べた。
「たかだかにぎりめし」に、ということではない。にぎりめしにかぎらず、良質イメージ=高級イメージ=過剰包装、過剰装飾=高額という、貧しい悪しき習慣を目の当たりにした気分だった。ほんとうに良質だとしても、これは、いかにもオカシイ大げさ上げ底文化ではないか。ましてや、フツウの内容に、これはないだろう。
なんつーか、こういうのを見ると、いたく「貧困」を感じる。自分の感性や価値観で、よいものはよいとする、自律的な判断の乏しい現実か。なんでも大げさに騒いで実態より「大物」に見せなくてはならなくなった資本主義の現実か。
そこへいくと、ここに掲載した若葉食堂は、名前の看板ものれんもなく、のれんは白い無地の布地が下がっているだけ、ほとんど「無包装、無装飾」に近い。京都の「山の家」のように、「凡庸の美学」のただようところだった。
一番上の画像は、明日香村の岡寺入口にあった、うどん屋。ここに入ろうとしたが、古墳部一行の人数が入りきるには狭すぎた。残念。
◆「ザ大衆食」関連
「四月と十月」古墳部…クリック地獄
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前に書いたが、先月の12日は故郷の六日町に泊まって、翌日、ほくほく線で十日町、飯山線に乗換え長野へ出た。ずっと各駅停車で、そこからまた小諸まで、長野発小諸行きの各駅停車に乗った。
車両はボックス席と長イスのミックスだった。おれは長イスの進行方向右側に座った。そうすると小諸近くになると、正面の左側の車窓に、浅間山などが見える。(上の画像)
あとから乗ってきた50歳代中ごろとおもわれるオバサンの二人連れが、正面の長イスにすわった。おれと向かいあうかっこうだ。が、オバサンは話が忙しく、こちらを見る間がない。
ずーっと楽しそうに話している。話の内容からすると、大阪で同じ町内の小商いの奥さんたちらしい。1年に一度か二度、亭主に休みをもらっては、こうして旅をするのが楽しみらしい。もしかすると、幼馴染なのかも知れない。名古屋から特急で長野まで来て、小諸まで行って、小諸で軽井沢行きに乗換え、今夜は軽井沢に泊まる。前に一度、新幹線東京まわりで軽井沢に来たことがある。そんなことまで、どんどんおれにもわかってくる。
オバサンたちは車窓の外の景色には、まったく関心を示さない。浅間が見えるあたりになっても、振り返らなくては見えない位置だし、おれが座っている側の景色だって、まんざらじゃないはずだが、景色のことは話題にならない。
たしか一時間以上がすぎ、浅間が見えるあたりでは、大阪と京都と名古屋と東京、どこの人間が一番せわしないセッカチだかという話をしていた。そして、けっきょく、自分たち大阪の人間が一番せわしないという結論になって、大阪は商売のまちだからしかたないねん、ってなことで、あははははと笑っていた。
おれは、せっかくよい天気で浅間も見えるのだから、外の景色でも見たらどうかとおもったりしたが、旅の楽しみは、いろいろなのだなあと感じ入ることしきりだった。オバサンたちは、一泊か二泊か、ずっとおしゃべりするのが何よりの楽しみで、出かけてきているにちがいない。きっと、おしゃべりが、いい旅の思い出になるのだろう。そして旅から帰ったら、元気よく楽しげに店に立っているにちがいない。
おれはといえば、六日町をたって、ここまで、缶ビール呑みながら、外をボンヤリ見ていただけだ。外をボンヤリ見て、乗ってくる客をボンヤリみていただけだ。ときたま居眠りしながら。文庫本を一冊持っていたが、読もうという気もおきなかった。それでも、まったく退屈しない。とくに何を楽しむということはないのだが、退屈はしない。
浅間が見えても、とくに感動もなく、かりに見えなくても、さほど残念にはおもわなかったにちがいない。ただ、そうやって、ボンヤリ電車に乗っていればよかったのだ。
なにごとも、みんな、それぞれの楽しみ方があるのだな。自分の好みを押し付けるのはもちろん、すすめるのも、ほどほどにしないとおせっかいというものだ。あらためて、おもった。
◆関連 当ブログ
2009/10/13
六日町=万盛庵・大和屋旅館、飯山線経由、小諸=揚羽屋、泥酔紀行。
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「泥酔論」の会場、下北沢のスローコメディファクトリー(スロコメ)は、今月で一周年を迎えた。新規商売、なかでも外呑み市場は不況の影響で縮小傾向が強いなか、下北沢の「場末」のような場所で、よく続いた。とくにスロコメのばあい、これまでの飲食店とはちがって、単なる客側のカネと店側の飲食サービスの交換の場ではない。また、貸しイベント会場ともちがう。そこが、おもしろいのだが、一面おそらくそういうおもしろさには習慣的に慣れてないひとも少なくないだろうから、経営的には難しい。店長の須田泰成さんの人徳とプロデュース力が、なにかと仲間内や業界内のカラにかたまりやすい近頃の傾向を打ち破りシャッフルし、楽しい「異人種交流」が実現していることが大きいのだろう。
スロコメは、須田さん共訳の『ファンキービジネス』実践編であるような気がする。『ファンキービジネス』については、以前に何度か紹介した。わかったふうな非実践的な間違った「解釈」も少なくない。ようするに自分が「ファンキー」にやる選択をしないまま、この本を「解釈」したところで間違うに決まっている、なーんにもならんわけだ。
とにかく、須田さんお得意の「ゆる~い」路線は、『ファンキービジネス』が指摘する「すでに粉々にされた社会」「焼け跡のような状態」に、新しいつながりを生んでいる。スロコメは、あるいはスロコメに集まる人たちは、焼け跡の「ファンキーヴィレッジ」になるにちがいない。ってわけで、もう始まっている次の1年も、スロコメに期待したい。また、もっと自らのカラをやぶって交流を深め、ファンキーにやりたいものだ。…以上、スロコメ一周年にあたっての祝辞でありました。
ところで、去年のスロコメ開店の11月4日の少し前の10月21日に、ウチはココに引っ越したのだった。で、なんだか「新築引っ越し1周年」ってことで呑むことになった。ま、おれは呑めればよいから名目なんかなんでもよいのだが、誕生日や開店などは、毎年のように記念日を重ねていくが、家屋のばあいはどうなんだろうかとおもった。新築7周年記念とか、30周年記念とか、あまり聞いたことがない。そもそも「新築祝い」はわかるが、1周年って、何がめでたいのか、1年間ローンを払えてよかったね、ということかな。2年目は2年間ローン払えてよかったね…。
ようするに呑めればよいのだ。そして、ようするに呑んだ。開始予定の16時ちょうどに来たのはおくちゃん。くらちゃんとダヴィちゃんは、遅れる。がまんできないおくちゃんとおれは、ただちにビールを呑み始めた。明るいうちから呑む酒は気持よいね~と、すごい早いピッチ、どんどん呑める。
1時間ほど遅れて、くらちゃんが、トウゼン清酒一升を買ってきたので、ただちにこれにする。もうあとは、まいどのごとく怒涛のごとく呑むだけ。なんだか、すごい早いピッチで、一升瓶があいてゆく。ウチでも清酒は用意していたが、足りなくなりそう、あとから来る、アライちゃんに電話する。トウゼン買ってあると。そのアライちゃんが着いたのは19時ごろだったかな。ほかの連中は、この日休みなのだが、彼女だけは出勤で、しかも都心の会社から仕事が終わってから、この遠~い東大宮まで来て、そして、また自宅のある都内に帰るのだ。そのご苦労さんのうえに酒まで持ってくる。もう女神様ですね。いや、持っていなかったら、買ってこさせようという動きでもあったのだが。で、2人が忙しくて来られなくなり、参加予定者全員の顔が揃った19時ごろ、おれはもう泥酔状態だった。
なんだかわからん状態のなかで、酒の燗だけは緊張して、しっかりやっていたので、よく覚えている。酒によって適温がちがうのを、ちゃんとあげて、われながらうまくできた燗の状態だったと記憶する。清酒は、燗の状態で、かなり変化するので、ほんと、おもしろいし楽しめる。
とにかく、よれよれ泥酔状態だった。なんだかよくわからないうちに、電車がなくなる時間が近づき、トツジョみな去って行った。ああ、よく食べ、よく呑んだなあ~とボーゼンとするおれまで撮影している。写真は、ダヴィちゃん提供。
おくちゃんは、いまごろバリ島で休暇を満喫していることだろう。みなさん、どうもありがとう。なんの記念日に関係なく、いつでも酒を持って来てください。
秋深し、呑んでファンキー、正気でファンキー、ってセンで年末を乗り切るか。
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山崎邦紀さんの「影への隠遁Blog」は、長い間更新がなかった。薔薇ピンク映画でも撮りながら、南会津で優雅な田舎暮らしをしているのかとおもったら、9月30日から10月9日まで開かれたロンドンの「レインダンス・フィルム・フェスティバル」の様子が、11月8日のブログに掲載になっていた。この報告が、いつもの山崎監督の文章とはちがい(どうちがうかは省略する、読めばワカル)、レポートとして、素晴らしい。びんびん、くる。もちろん、びんびんくるのは、チ●ポではなく、ハートだ。
フィルム・フェスティバルへは、浜野佐知監督・山崎邦紀脚本の『百合祭』(01年)が招待されたのだ。とにかく、ごらんあれ。…クリック地獄
そういえば、何回か前のスロコメの泥酔論のとき、浜野さんと山崎さんが来てくださったのだが、おれは浜野さんに経堂に呑みに来たら電話ちょうだいといわれて、「もちろん」と約束していたのだった。酔っても、覚えていることもある。こんど「さばの湯」で呑みたいものだ。しかし、経堂は、遠~いから、いつになることやら。とにかく、何度でも書きたい、この「レインダンス・フィルム・フェスティバル」の山崎さんの報告は、素晴らしい。もとはといえば、浜野監督の会場におけるトークも、『百合祭』を招聘した人物の像と魅力も、そして安藤モモ子監督『カケラ』も、素晴らしいようなのだが、山崎さんの感動が素直に静かに伝わってくる。いやあ、いいねえ、インディーズなパワー、やる気発情、どんどん酒が呑みたくなる。
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まったく、何度も書くが、おれはこの件に関しては、かなりシツコイ。当初から反対してきた食育基本法だが、それにもとづく食育推進基本計画は、2006年度から2010年度までの5年間を対象に策定され実施に移された。つまり来年度までの達成目標を、いろいろ決めている。
この法律は、朝食を食べない子供は頭が悪くなる、キレやすいといった類のメチャクチャな話から、食料自給率40パーセントに対する不安、連続するさまざまな食品がらみの「不祥事」ジケンなど、国民の不安を煽りまくって決めた、あまり根拠のないものだった。なにも、このような「国民運動」をやらなくても、個別政策で解決すべきことが、たくさんあった。そのおかしな実態は、その後さまざまに露呈している。
ま、それはともかく、チョイと都合があって、「さまざまな食育」をザ大衆食のサイトに掲載した。これは、「食育」に関する「用語解説」というカタチをとっている。誌面の都合で短くまとめなくてはならないことが幸いしてか、いま見ても、なかなか簡潔にまとまった、よい出来だとおもう。…クリック地獄
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2009/11/01「経堂・さばの湯落語会⇔大田尻家、泥酔のち東大宮深夜の探索」に書いた、10月31日の経堂は「さばの湯」における落語会と「さきいか相撲」の様子が、「経堂系グルメ日記」に掲載されている。写真は、さばの湯とスロコメの店長、須田泰成さんが撮影。いやあ、いい雰囲気。こんなぐあいに近所で落語をきいて、そのあと一緒に呑んで楽しめるなんていいですねえ。さらにこの夜は、「さきいか相撲」に熱中だった。まさに「草むしりからの幸福」ですよ。ま、ごらんください…クリック地獄
須田さんから写真を2枚ほど拝借して掲載する。例によって記憶がないのだが、おれが柳好師匠と写っている。バッグを肩にかついで、帰るところらしい。おれはいつも酔っ払いだが、師匠は、いつどう見ても、落語家だ。前に師匠と呑んで話しているとき、師匠は、「ただ師匠師匠と呼ぶひとは、たいがい名前を覚えてくれてないからだ」てなことをいって、ヒヒヒヒと笑うんだよね。おれは、ドッキリして酔いが醒めそうだった。
そして、ご存知ない方も多いだろう「さきいか相撲」。酒のつまみとして袋入りで売っている、さきいかを、このようにつかって遊ぶなんて、このバチあたりども。って、カタイこといわんどいて。これ、負けたら、自分の手垢と汗に汚れたさきいかを、ちゃんと食べながら呑むんだから、ムダではなく一本のさきいかで二度うれしい有効活用ですよ。
こんな遊びを開発するのは「酒とつまみ」の連中。今月の22日の日曜日、スロコメ@下北沢は「「酒とつまみ」ナイト!」ってことで、大竹聡さんと渡邉和彦さんのトークに、全日本さきいか相撲選手権もあるらしい。
この年末年始は、酒と娯楽の楽しいつまみ「さきいか相撲」で泥酔しましょう。
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チョイと古い本だが、東海林さだお編の『ラーメン大好き』がある。1982年に冬樹社から刊行され、おれが持っているのは、新潮文庫版、85年初版の92年10刷版。そのなかに、山川緑さんというOLさんが書く、「ラーメン・グルメなんてばかみたい!」がある。これがおもしろい。彼女は、「ラーメン大好き」なんだけど、「ラーメン・グルメ大嫌い」なのだ。おもしろくて、全文紹介したいが、そうもいかない。
「確かにアタシだってフランスでフランス料理食べたり、広東で広東料理食べたりしているとは言っても、たかだか四半世紀にも満たない食生活」「アタシはよくオジサマ連中に食事に誘われて、いわゆる一流レストランだの料亭で食事するけど…」と、文章からして、けっこうなお嬢さんらしい。
「学生時代に同棲していたカレとなけなしのお金を分け合って食べた一杯のラーメンの方が圧倒的においしかった」
「アタシもうラーメンは子供の頃から大好きだった。中学や高校の帰りに寄り道して、クラブの友だちとよくラーメンを食べたっけ。/たった100円のラーメンを食べにくるだけのアタシたちをいつも大歓迎してくれる優しい老夫婦の顔を見るだけで、クラブ活動の疲れなんかフッ飛んでしまった。/アタシはラーメンの味なんか、たいして問題にしちゃいなかった。ただ、ラーメン屋さんが持ってるあの独特の空気が好きだったんだ。素朴で気取ってなくて寛大で」
全部を読むと、この「素朴で気取ってなくて寛大で」が大事な意味を持っていることがわかるのだが。
「たかがラーメン……って言っちゃえばそれまで。でも、考えてもみて。浅草の「美家古寿司(みやこずし)」のお寿司だって、帝国ホテル「フォンテンブロー」のフィレビーフのソテー・トリフソースだって、なにさ、たかだかお寿司であり、たかがフィレビーフのソテー・トリフソースじゃないの」
と断じたあと、こう書く。
「アタシはグルメだの料理評論家だのの言うことはたいして信じちゃいない。自分の口の中に入るものくらい自分で決めたいし、そもそも不況やら食糧難の時代になったらまるで役に立たなくなっちゃうようなユーガなシュミなんぞ身につける気にはなれないし。/だから、自称グルメのオジサマたちの魔手がとうとうラーメンにまで伸びてきたのかと思うとオゾましい。ラーメンのガイドブック抱えて大の男どもが東奔西走してる図なんてコッケーで見ちゃいらんない。タイハイの極みよ」
「どんなにビンボーになっても「おいしいおいしい」って言ってすすっていられるラーメンがあればいいと思う。焼きノリがのっていようがいまいが、チャーシューが厚かろうが薄かろうが、スープがトリガラだろうがトンコツだろうが、そんなことはラーメンにとって、いったいどれほどのことだって言うの!」
彼女は、何に腹を立ているかと言うと、こういう「グルメ」によって、「素朴で気取ってなくて寛大で」が失われていることに対してなのだ。
この時代からあと、食事の場にあるべき「素朴で気取ってなくて寛大で」は、うまいもの好きや粋やイイ趣味を気取る「大の男」、ナントカさんの本を持って東奔西走する「大の男」たちによって、ますます失われることになった。そして「大の男」たちは、飲食を舞台に、ミミッチイつまらない功名心や優越感を競ったり誇ったりしているのである。たしかに、コッケーだ。飲食は、いつの時代でも、大らかな安息のひとときだったはず。
「大の男」は、少々口にあわないものを出されても、悠々と食事を楽しむ余裕があるべきだろう。ましてや、フツウの食事なら、何を細かいことを気にする必要があろうか。うまいものを知っているかのような話を大っぴらにする「大の男」は、気取り屋で自意識過剰で寛容を知らないのかもなあ。
それはそうと、最初のほうの引用にある、「学生時代に同棲していたカレ」は、この感じだと別れているようだし、しかも女子のほうが振った感じがする。その彼は、その後「ラーメン・グルメ」になっていたりして…たりしたらおもしろい。
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とんでもないカチガイをしていた。
前に紹介したように、泥酔論@下北沢で朗読をやっていただいている村上航さん(猫のホテル)が出演する、KAKUTA公演「甘い丘」は、明後日8日までだ。おれは、きのう6日の15時から公演を観る予定にしていた。といっても、そう決めたときに予約をすればよかったし、村上さんからいただいた案内にも、村上さんから予約の手配をいただける旨、書いてあった。だけど、予約しても、特定の人との約束とはちがって、どうしても都合つかなくなってキャンセルすることがある。このあいだも、玉川奈々福さんの浪曲の予約を奈々福さんにお願いしておきながら、どうしてもいけなくなってしまったばかり。なので、予約はしないで、当日券で観るつもりだった。
さて、なんとか都合ついたので、きのうの朝、ネットで公演を確認すると、なんと、6日の15時からの公演なんか、もともとないのである。なんてこった、なんど見直してもない。どうしたことか。見直しているうちに、わかった。
どうやら、村上さんから送られてきたチラシを、アタフタしながら見た瞬間、見まちがえたらしい。公演スケジュールの表には、左から右へ公演日がならび、上から順番に開演時間ごとに横にラインがある。そのライン上には花マークがついている。花マークにはSとPの文字がある日がある、それは、サービスやパフォーマンスのある印だ。
最初から昼の時間帯に行きたいと決めていたおれは、15時開始のラインを日にち順に左から右へ見た。その印がついている日が三つあり、あとはラインだけなので、おれはラインだけの日は、サービスやパフォーマンスはないが、公演はある日と思い込んでしまったのだ。
ゆっくり、よく見れば、無印の花マークもあるのだし、花マークがついているのが公演で、ラインだけは公演がないことは、わかるはずなのだ。ところが、すぐさまヨシッ6日の15時からと決めて、ほかはよく見ずに安心してしまった。そして6日は東京さ行くべく、前日までに仕事を片付けたのであるが。
もう今日と明日だけでは都合つかず、観れない。……こういうときは、誰に八つ当たりしてよいものか、わからない。おめえも、てめえも、あんたも、みんなクソだ。とりあえず酒でも呑もうかの気分で、きのうは朝からもんもんとしていた。
そしたら、なんとまあ、よく電話のある日で、しかも、けっこう長話。かなり気分がまぎれた。Mさんは原稿の締め切りの件で電話をくれた。電話のむこうから、なにやらビュウビュウ風の音が聞こえる、「どこにいるの」と聞いたら、ロケハンでさわら漁の漁船に乗って海の上であると。それも九州の海上だ。そんなときにそんなところから電話しなくてもとおもうが、そんなときにそんなところから電話したくなる気分もわかる。楽しい話。そのMさんの電話を切ったあと、メールを見たら、Mさん仲間のSさんからメール。そこには、すごいビッグなニュースが書いてあって、大おどろき、大コーフン。来週早々には、マスコミ発表になるらしい。少なからぬインパクトをもたらすだろう。田舎の山奥からの電話は、ひとは減り店もなくなり、鹿とハクビシンとネズミがはびこる様子だった。鹿とハクビシンとネズミと人間様が、共存的食べ物の取り合いになっている話が、なんだか愉快深刻な感じ。ほかの電話は、来年企画のコーフン、などで、なんとなく気分はまぎれてはいたが、あらためて思い返すと「甘い丘」は観たかっただけに、残念だし、お世話になっている村上さんに申し訳ないことをした。
ウジウジしながら、月曜朝までにやらなくてはならないこといくつかを、ふにゃふにゃ片付けている。
この夏取材した、「日本で最も美しい村」連合は、去る10月の総会で加盟自治体・地域は18から33になった。そして、今月、東京フェアがある。11月25日から30日まで、東京都庁第一本庁舎2階北側、全国観光PRコーナー。
詳しくは、連合の公式サイト…クリック地獄
2009/09/27「「city&life」93号、発行。特集「マチとムラの幸福のレシピ」…ルポ「日本で最も美しい村」連合。」で、そのルポを簡単に紹介したままだった。
このルポは、文章的には大雑把で大味でイマイチなのだが、おれとしては「日本で最も美しい村」を取材しているうちに、これからの「まちづくり」だのなんだのに大事だなとおもうことに気づき、それについて、こう書いている。
「私は思った。とかく「まちづくり」「地域づくり」というと、デカイ話になりやすい。いまや「自然環境」「温暖化対策」も、そういうことだ。しかし、どこにも小規模の地域がある、何事も小さな単位から始まることを考えれば、「草むしりからの幸福」を見直す必要がありそうだ」
このルポの核心は、ここなのだが、あまりあからさまには書いてない。なぜなら、この雑誌の発行関係者は、どちらかというと、デカイ話のほうが主な仕事のみなさんだからだ。ま、この雑誌にかぎらず、「まちづくり」というと、にぎやかな派手なデカイ話が多かった。
たいがい、都市計画やイベントあるいはブランディングだの、デカイ話がおおく、日常的な「地域づくり」からは、かけ離れていた。大きな、広場や街路や施設が建設され、メディアが騒ぐイベントなどで、いっとき人が集まって「まち」はにぎやかになったようでも、日常の「地域」とのギャップがありすぎで、実際それほど「地域」がうるおっているわけじゃない。「まち」の話題は派手なわりには、「地域」は衰退している。「まち」と「地域」の隔絶、「地域」が欠落した「まちづくり」、そんなデカイ話ばかりでなく、「草むしりからの幸福」を見直すことが、地域の「再生」になるだろう。ってこと。
「草むしり」は、実際の草むしりもあるが、そういう、これ以上醜悪にしない、これ以上悪くしないといった、日常的なことを象徴する意味も含まれている。手に入りにくい高価な「おいしい料理」をめざすまえに、手に入りやすい安価なもので「まずくない料理」をキチンとする日常が大切と同じ。ハレの日より、ふだんの顔。実態のある「美しさ」「おいしさ」は、そこがカンジン。美は日常にあり。
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ややこしいことを片付けていたら、トシのせいか疲れた。なにも考えなくても、酔っぱらっていても、勝手にゆびが動いてブログの文章を書いてくれたころが、そんなに以前のことじゃないとおもうが、懐かしいね。
が、しかし、いくつもいろいろなことをやっていたら、おもわぬことから、宿題になっていた企画の一つを解決する道筋が見えた。そのことだけを考えていたときは、なかなか道筋が見えなかったのだが。アンガイそんなものだ。やれやれ、これで、この宿題を抱えたまま年をこす必要はなさそうだ。
しかし、この不況、きょねんのいまごろはアホウなアソウのおかげで「未曾有」という表現が流行って大騒ぎだったが、いまはもっと深刻な状況が重なっているのに、不気味なほど騒がれない。どうしたことなのか。まだまだゆとりのひとが多いのかもなあ。貧乏人にさらに貧乏なしわよせをすることでしのいでいるひとのほうが多いともいえるか。
誰かにしわよせできているうちは危機があっても、深刻に考えないものだ。酒呑んでブログやっている連中なんか、そういうものだろう、と、おれもそんなものかも知れないが、じつは一つ潰れそうなプロジェクトがあって、大変なの。でも、おれにとっては、べつに珍しいことじゃない。おれもいくらか損失をかぶるわけだが、当事者は、もっと大変だね。年末に潰れたら、家族抱えて深刻だよ。なんとかしてあげたいが、針の穴に縄を通すような離れわざが、うまくいくかどうか。
とか、ま、いろいろあって、いろいろなことがあると、またいろいろ勉強になるわけだ。世間には、なんでも知っているようなことをいっている、知識人有識者文化人が、ずいぶんたくさんいるようだが、この状況は、どういうことなのか。ようするに、なんでも知っているようなことをいっている連中を信じてはいけないということだな。
「すかいらーく」が消えた。たった30数年のイノチだった。少々の成功は実績にもならないし自慢しても、なんにもならない。マスコミなんぞで騒がれ、すぐ何者かになったような気になってしまうんなんて、愚かなことだ。サクセスストーリーほど、ばかばかしく虚しいものはない。メディアを鏡に自分を見ていたら、おかしなことになってしまう。マスコミあたりではたいして話題にならない、細々とだが地域のひとに愛され、「すかいらーく」以上に生き延びている大衆食堂の真実を考えてみよう。
で、とにかく、安酒の研究でも始めようと、安酒を飲んでいる。真実は安酒にありだよ。今夜は画像だけ掲載して寝よ。これは、おれがよく利用するスーパーで、いちばん安い価格ラインの「清酒」、900ml500円台。「合成清酒」とはちがう。合成清酒は、このまた半額以下。
午前1時半すぎの、あまり酔ってない深夜便でした。下の画像は、安酒に比べたら高い輸入酒類。
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急に寒くなったせいか、脳みそも冷え、キーを打つ手も冷たく、作業能率が落ちている感じだ。おもうようにすすまないので、一休み。
久家靖秀さんの事務所から、久家靖秀写真集『Atelier』(FOIL)刊行のメールが届いた。「足掛け10年かけて撮影を続けた写真がようやく1冊にまとまりました」とのこと。これは、かなり気になる。以下、案内を、そのまま転載する。
2009年11月刊行
久家靖秀写真集『Atelier』
「美術作品は作家の思考をたどるきっかけ。
作品が人と同じように存在するのであれば、その細胞を見たい」
2000年初頭より久家靖秀は、美術家たちの制作現場をシリーズとし
て撮影しています。
混乱の中にエネルギーをはらむ会田誠さんのアトリエ、
荒川修作さんの三鷹天命反転住宅の建築現場、
在りし日の“日本のプチファーブル”熊田千佳慕さんが筆を握る姿。
久家靖秀が多くの作家と出会い、制作の瞬間に立ち会うことで
一枚一枚の作品が生れ、写真集となりました。
香月 泰男(洋画家)
会田 誠(美術家)
舟越 桂(彫刻家)
大野 一雄(舞踊家)
草間 彌生(美術家)
荒川 修作(美術家)
川俣 正(美術家)
村上 隆(美術家)
宮島 達男(美術家)
折元 立身(美術家)
宇川 直宏(映像作家/デザイナー)
飴屋 法水(美術家)
立花 ハジメ(映像作家/デザイナー)
神山 健治(アニメーション作家)
山口 晃(美術家)
熊田 千佳慕(画家)
敬称略
自由な部屋。
何をしても良い、汚しても、壊してもいい。寛容な場所。
そこにいるのはアーティストを精神的に支えたり、
実務を支えるスタッフの存在。
ちゃんとしていない皿、変なマグカップ。
あるいはアトリエを離れて、
作家が自分の作品を他の協力者を得て実現する現場。
どこに行ってもあるのは、電気ドリル、
かならずあるのはmakitaのねじ回し。
久家靖秀(あとがきより)
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書籍概要
タイトル:Atelier
写真:久家靖秀
デザイン:山野英之
予価:2940円(本体2800円)
判型:A4判変型(280mm×210mm)
ページ:144ページ/ソフトカバー
ISBN978-4-902943-49-8 C0072
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いじょ。
久家さんの「あとがきより」に、いかにも久家さんらしい関心や興味の「眼力」を感じる。それは、ファインダーをのぞく「眼力」でもあるのだろう。
久家さんとは、古墳部の旅で一緒だったり、「泥酔論」トークライブに来ていただいたり、先日はアンチヘブリンガンで呑んだりと、けっこう呑んでいるが、仕事についてはあまり知らない。「四月と十月」の同人にして、『クウネル』や『雲のうえ』で活躍している、ぐらいのことしか知らない。でも、いろいろな話をした。たいがい、酔って覚えていないけど。覚えていることも、けっこうある。旅の途中で、撮影しているところは、何度か見たな。おれが旅館でゴロッとしていたら、その姿を撮られたこともある。そのとき、久家さんはおれに声をかけ、おれはそのままのポーズを続けたのだが、これが、ある種の「ディレクション」になっているような感じで、ナルホドとおもった。
糸魚川の帰りの電車のなかでは、久家さんはデジカメは持っていないが、それぞれが持っているデジカメで、撮影してみてくれるアソビをした。これは、なかなかおもしろかったし、ナルホドとおもうことがあった。そうそう、トランプのときは、おれは久家さんの下手にいて、おかげで、久家さんのほうが先にあがり、後塵を拝したことが多かった、そのときもナルホドとおもった。
たぶん久家さんのようなひとは、「作家志向」とか「作品志向」とか「芸術志向」とかいわれるのだろう。だけど、それは、まわりがそのように型にはめてみているだけなのであって、久家さんは、よく見て、よく考えて、よく研究して、よく計算して…といった、フツウのことを積み重ねているだけにちがいない。その結果が、写真になる。おれには、そうおもえる。フツウのことをキチンと重ねる、これが、けっこう難しい。おれなんか、できてない。
それにしても、写真撮るには、やはり「眼」が大事なのだな。久家さんは、全身「眼」なのだ。着眼点、関心や興味の持ち方に、「眼力」を感じる。「眼力」は個性だろう。どうも、そんな気がする。
このあいだ、アンチヘブリンガンでは、久家さんは仕事帰りでクルマだったので呑んでいなかった。帰り、そのクルマに乗せてもらった。まったく覚えていないが、あとでスソ古墳部長にきいたら、おれは新宿でもう一軒呑んでいこうといっていたらしい。すでに25時をまわっていたはずで、疲れているところを、申し訳ないことをした。おれは、単に全身「酒」だけの男である。
FOILサイトの『Atelier』案内。
http://www.foiltokyo.com/book/art/atelier.html
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ヒマなのかセッカチなのか、1日のエントリーに「続きはあとで」書いた「あと」は、どうなったのだ、というメールをもらった。いや、焦らせているわけではなく、チョイと野暮用が重なったり、今日中にやってしまいたいことがあったりで、書けないでいるだけなんだが。
しかし、どうも、ああいう飲み屋のことは、こういうブログで、あまり詳しく書いて公開しないほうがいいらしいね。あとで行くひとの楽しみを奪うことになってしまうのだな。なんてのかな、ああいうところは、入って初めてわかるところ。初めて扉を開くときが、いちばん胸がときめく瞬間だから、その快楽を奪ってはいけないわけだ。おれとチエさんも、そういうわけで、胸をときめかせて、扉を開けた。
その前に、おれはそのとき、財布のなかに5千円ちょっとしかなかった。チエさんにサクラへ行ってみようと誘われたとき、泥酔していても、そのことにスグ気がついた。だけど、そんなさみしい財布の状態で、ああいういくらかかるかわからないところに入ったことは何度かある。とりあえず入ってみて、これだけしか手持ちがないんだけど、飲ませてもらえる?と訊けばよいのだ。おれはカードというものを持っていないから、財布にあるぶんだけだ。そのことをいえばよい。よほどおかしなところじゃないかぎり、「女の子はつかないけど」とかいわれたりして、ビール一杯ぐらいは飲ませてもらえる金額だ。長くはいられないが、店の様子を知るには十分だ。あるいは断られるときでも中の様子は見られるし、その断り方で、こんどはカネを持って来てみようかどうか決められる。とにかく、一歩踏み込むことなのだな。
サクラの前は国道でクルマは通るけど、背後は住宅街で午前0時過ぎのその時間には、人通りはなく、サクラの灯りが届く範囲が明るいだけだ。
ところが、扉のなかのなんとにぎやかなこと。ひっそりした外からは想像つかない。おもっていたより奥に広く、かつ明るい雰囲気のなかに、客は30名以上はいたであろうか。ぎっしり。おなじ地元の庶民男子といった感じの客たち。そのあいだを、黒いうすぎぬの女子たちが、忙しそうに動いている。「酒とつまみ」のサイカメさんがよろこびそうな女子ばかり。いやあ、みんな楽しそう。なんだか大衆酒場みたいだ。そうだ、南千住にあった大利根の「クラブ風」だなこれは。
すぐ、チーママとおもわれる、やはりサイカメさんがよろこびそうな水もしたたる色気むんむんな女子がそばに来て、本当にすまなさそうな顔で、「ゴメンナサーイいっぱいなの」という。あきらめるほかない。外に出ると、チーママも送って出て、そこでチョイ立ち話。チエさんが、某所で出会った女子のことを訊く。すると、「ああ、ナントカちゃんね、あの子はきょうは休みなの、フィリピンから来ていた子どもが明日帰るので一日泣いているの、うーん悲しいのね、今日は一日泣いているの」てなことを、わりと流暢な日本語でいった。ナントカちゃんは、子持ちの、フィリピンからの出稼ぎ女子だったのだ。
ま、そういうわけで、次回を期して、サクラのチーママさんとチエさんと別れて帰ったのだった。しみじみ地元愛とフィリピン女子との連帯感が深まる深夜だった。
とりあえず、いじょ。
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きのうの31日は、アンチヘブリガンで牧野伊三夫さんと大竹聡さんのトークライブがある日だった。がしかし、おれにとってはとくに珍しい顔合わせではないし、どうせ「おしゃれ文系女子」たちで一杯になるだろうとおもい、想像すると、野暮なおれには似合わない、こそばゆく気が引ける。
なので、スロコメ@下北沢とおなじ須田泰成さん経営の、経堂は「さばの湯」の男クサイ落語会を予約しておいた。なにしろ、この落語会、松尾貴史さんと春風亭柳好さんだ。須田さんプロデュースならではな、経堂ならではの、めったにない組み合わせ。
松尾さんの落語は、いちど落語馬花の会で聴いたことがある。また聴きたいとおもっていた。柳好さんとは、なんどかスロコメほかなどで呑んでいる。そのときも、また下北沢のまちを歩いていてバッタリあったこともあるが、とにかく、なで肩に着物が似合い、落語が歩いて話しているようなひとだ、ぜひ高座を拝見したいとおもっていた。
17時開場で18時開始。17時20分ごろ着いた。30名で一杯の会場は、ほぼ予約で満杯。松尾さんは、前にきいたとおなじ「はてなの茶碗」。演ずるほうも聴くほうも熱い、これぐらいだと一体で盛り上がる。まったく、松尾さんはシロウトとはおもえない。出身が関西で、ちかごろは京都のどこかの大学の教壇にも立っていることもあって、京都が舞台の京都人と大阪人が主役の「はてなの茶碗」に、松尾さんの関西弁というかも生き生きで、上方の雰囲気もタップリ。柳好さんは、「正直者清兵衛」。こちらは、江戸が舞台だ。もう、こういうのを「アブラがのった」というのだろう。堪能しました。ほんとうに身体中で落語をしているよ。
ちょうど、柳好さんが始まるころ、「酒とつまみ」のナベさんこと渡邉和彦さんがあらわれた。15時から始まったアンチヘブリンガンのトークが終わって、こちらに来た。落語会のあとは、スロコメでやる予定だった「「酒とつまみ」バカ本ナイト」を、さばの湯で21時ごろからやるのだ。落語の高座の舞台を崩してばらすとテーブルができ、落語会場は、いつもの飲み屋になる。
「「酒とつまみ」バカ本ナイト」の時間になるまで、松尾さん柳好さんを囲んでの懇親で混みあっているから、ナベさんとおれは、チョイと大田尻家へ。と、そこには、なんと、野暮連のシノさんとタノさんが、あとからコンさんもあらわれ、さばの湯の前に大田尻家に待ち合わせたのだと。1時間ばかり過ごし、21時ちょうどぐらいにさばの湯にもどる。酒宴たけなわ。
古河シネマ・チエさんもあらわれ、ナベさんを囲み、ワレワレ野暮連たちは、なんとなく「「酒とつまみ」バカ本ナイト」ってことで、サキイカ相撲を始めた。おれは初めてだったが、チョイとしたコツがあり、勝ち続ける。あとで考えたら、酒を一杯ずつ賭けるべきだった。など騒いでいるうちに泥酔。東大宮まで帰るチエさんが一緒だから安心で、24時ちょうどぐらいに東大宮駅だったはず。
ところが、改札を出たチエさん、おれと反対の東口のほうへ行くはずが、おれのウチに近い、サクラへ行ってみようという。あんたハ、好きねえ。もう酔った勢いである、行こう。あのサクラの中は、どんなことになっているのか、今夜こそ、確かめよう。看板には「ラウンジ」とあるが、フィリッピーナもいるはずなのである。
サクラへ行く途中、2009/10/29「かくも、あやしき誘惑」に登場した「エステ ひまわり」の前を通る。すると、ドアが少し開いて、カーテンが見えている。おお、なんといい風情だろう。このあいだはドアが閉まっていたが、ということは、もしかすると客がいるときは、ドアは閉まっているのか。なんにしても魅惑的な景色だ。
掲載してない、もう一枚の写真では、そのカーテンのところから中を覗いているような人影がある。コレ、酔って覚えがないのだが、もしかしてチエさん、覗いて見たのかなあ。なにしろ彼女は、ドキュメンタリーが好きで、大胆なのである。
そして、昼間とはちがって、しかし、まわりは闇に静まり返っているなかで、生き生きピンクに輝いているサクラの前に立って、扉を勢いよく開けた。すると…
チョイと忙しい、続きはあとで。
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