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2009/12/31

さて、新年の動きは。

あーあ、大晦日になっちゃった。きのう30日からパソコンに向かうこともない休みにし、新年は2日から通常営業という予定で関係者にお知らせしたが、チョイとちがってしまい、本日31日もパソコンに向かっていることになった。なので、新年は3日から通常営業ということにしたい。

ま、年が変わっても目覚しいことがあるわけではなく、たぶん新しい愛人ができるわけでもなく、あいかわらずデレデレ泥酔しながらの日々になることだけは、まちがいない。

泥酔といえば「泥酔論」は、次回は3月にやりたいと思っている。じつは、おととい29日のロケハンには、ひょんなややこしいことから木村衣有子さんが昼間だけ同行していた。そこで、このあいだの「泥酔論」の「まずうま」のときの、突発的な、瀬尾幸子さんと木村さんの話がおもしろかったので、お2人に登場してもらえるようお願いしておいた。「まずうま」ではなく、なにか別のテーマでやりたいと思う。3月と4月には、木村衣有子さんの本が続けて出るし(1冊は『ミーツ・リージョナル』に連載の「大阪のぞき」の書籍化、もう1冊は猫本の本という感じかな?)、5月には瀬尾さんとおれの共著の「わははめし」が出るので、それがらみのテーマになるかもしれない。

「わははめし」だが、これは現在小学館ブックピープルに月1回連載のタイトルで、書籍化のときはタイトルも内容も大幅に変る。「わははめし」は、おれがおやじの代表として瀬尾先生に料理を教わる設定になっているが、変更になる。瀬尾さんのこれまでの「めし3杯くえるうまおかず」のレシピを組み込みながら(サイトに掲載してあるのは一部で、その3、4倍はある中から取捨選択)、さらに2月に追加の20数点を撮影し加える。食堂のおかずやめし、まちの惣菜なども加わり、料理本ではあるが、これまでの料理本とはちがうものになるだろう。瀬尾さんの料理とレシピ、おれの文章、チマタの大衆めしパラダイスな楽しい元気なめしが展開される。ビジュアルも、写真タップリで、デザイナーさんは、「おっ」となるほど、毎月読者をゴキゲンにさせている方になる予定だ。ま、この件は、追々、進行の状況とあわせて、このブログに書いていく。

来年は、とくに男たち、装飾的に料理や文学を語っているだけでなく、台所に立って力強く生きる料理と文化を追求しようではないか。

「おやじ」といえば、このあいだ出演し収録した話を書いたが、お笑いDVD「全日本オヤジ選手権」の発売だ。これ、いつ発行予定か聞いてないが、おそらく春ぐらいまでには出来上がるのだろう。AV女優さんとの共演もあり、お色気含みで、ただただばかばかしく笑えるだけのDVD、どんなふうに編集されるか、おれがどんな喜劇的おやじであるか、楽しみだ。

ほかに、いくつか、チョイとづつ登場する予定がある。が、しかし、「全日本オヤジ選手権」で40歳代の男子に負けない力を発揮したとはいえ、だんだん集中力も持続力も低下していることであり、コツコツコツコツコツ…ってことですね。

今年1年、ありがとうございました。来年も、よろしく~。安い、うまい、なんでもやるエンテツを、どうかよろしく~。みなさん、ガツンな、よい新年を迎えてください。

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2009/12/30

ロケハン梅屋敷スタートで動き回り、御徒町で打ち合わせ泥酔。

002小学館Webサイトで連載の「わははめし」書籍化のためのロケハン3回目?の目的地は、大田区の京急・梅屋敷駅周辺の商店街。13時半、品川駅で瀬尾幸子さんと待ち合わせ、ちょうど急行電車が来たので梅屋敷の一つ先の京急蒲田まで。北側に出て、梅屋敷商店街入口まで歩き、商店街を梅屋敷駅へ向かう。さらに駅南側の商店街も歩き、腹がすいたので、うどん屋に入ったのが、15時少し前。
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025ついでに大森のダイシン百貨店はどうなったか見ようということで、産業道路でバスに乗り、JR大森駅。池上通りを行くと、ダイシンは健在どころか、どうやら周囲の商店も飲み込んで、再開発的建替えをするらしく、その工事看板があって、近い将来ダイシンになるらしい商店街の軒には同じ紫色っぽい装飾LEDが下っていた。蒲田、大森あたりのローカリティは、「東」の「下町」と同一視されがちだが、やはり違う。そして力強く呼吸しているように見えた。
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のち、17時に御徒町駅北口で佐々木香織さん合流。アメ横をのぞいて見るかと入ってみたが、ただただ一方通行的につながって歩くだけの人ごみに降参、途中で高架下通路に逃げ、反対側に出る。御徒町駅南口にもどり、高架下の御徒町食堂に入る。あれこれ、おかずを定食ではなく一品で頼み、打ち合わせ。佐々木さんが、構成案と台割、スケジュールを丁寧に説明してくれる。予算の関係もあり難しかったデザイナーも、いいセンでお願いできた。ああでもない、こうでもない、ああだ、こうだ検討す。おれはその間に、ビールからポン酒冷やで2杯。イチオウ、ヨシッこれでいこうというセンで、場所を変える。

鳥園へ。御徒町へ行くとここが気になるのは、90歳でシッカリいつもレジを守ってカネ勘定をしながら、店内を差配しているオヤジが元気かどうかということ。1年ぶりぐらいだから、オヤジはちゃんと91歳になって、かつ意気軒昂であった。この老オヤジのような、したたかさと元気は、いつも必要だと思う。もう打ち合わせはなく、飲むだけ。22時半すぎぐらいまで飲んで、御徒町駅で反対方向の電車に乗る瀬尾さん佐々木さんと別れ、上野で宇都宮線に乗り泥酔帰宅でありました。

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2009/12/28

「わははめし」第6回掲載、今年最後のロケハンやら打ち合わせやら。

小学館ブックピープルの「わははめし」が更新され、第6回が掲載になった。ご覧ください。
http://bp.shogakukan.co.jp/wahahameshi/

今回は「スコブル愛しい貧乏めし」で、新年を迎える。この年末年始にふさわしいと思うが、「貧乏めし」を真正面から取りあげる料理研究家は、そうはいないだろう。と、見ていると、その瀬尾幸子さんから電話があった。

瀬尾さんは、『おつまみ横丁』90万部こえたかな?ベストセラーの余波がまだ続き、『ちゃぶ台ごはん』も増刷を重ねているし、今日まで忙しく、「わははめし」書籍化の打ち合わせがのびのびになっていた。それを明日の29日やろう、ついでに、もう一ヵ所ロケハンしようということになった。

「わははめし」の構成案と台割案は、数日前に送られてきていて、発行月も決まっているので、どんどん進めないといけない状態。ま、年末どんぎわに、あれこれ考えるのもよいだろうし、たぶん、どうせ最後は忘年飲み会になるにちがいない。

今年のクリスマスは終わったが、そのイブの日、「聖夜」を「性夜」に変えた消費主義のリーダーともいうべき、かつての「セゾン・グループ」の中核企業、西武デパートを傘下におさめている「セブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文会長は23日、不振が続く傘下の百貨店のそごう・西武について「必要があればスクラップする。現在は一時的な不況ではない。ドライに積極的に決断する」と語り、地方の不採算店を中心に閉店を検討する考えを明らかにした。」というニュースがあった。
http://www.asahi.com/business/update/1223/TKY200912230350.html

「現在は一時的な不況ではない」というのは、わりと正確な指摘だと思う。だとしたら、では、なんなのか。「成長戦略」なんてものに、しがみついて、「聖夜」を「性夜」に変えた消費主義の再興を夢見ているひとも少なくようだ。だけど、身の丈の「貧乏めし」をかっくらいながら、まったく経済ベースが変ってしまった明日のヴィジョンを構築するのも、よいと思う。「野暮は21世紀のアートだ」、とかね。

001先日、中野の「やどカフェ」のトマト鍋パーティで、銀杏BOYZの「ボーイズ・オン・ザ・ラン」のPVに写っているというので、ヨウツベで見せてくれたアレックスが、その前、蓮田の清龍の新酒祭りに参加した野暮連一行と、大宮いづみやに流れて飲んだときに、「DMC」のことを話していた。なんで、「DMC」なの、アレックスは「おたく」で、「萌え」なカワイイ日本女子が好みなんじゃないのかと、おれは酔った頭でフラフラ考えた。アレックスは、「DMC、DMC」を繰り返していた。

2、3日前、東大宮の古本屋に寄ったら、そのDMC、『デトロイト・メタル・シティ』が1巻から7巻まであって、思わず買ってしまった。すでにブログに書いたと思うが、映画を先に見ている。両作品に対する批評はともかく、この本には、DMCのボーカルであるクラウザーⅡ世こと根岸崇一が作詞・作曲の「甘い恋人」の歌詞がある。映画では、どうだったか記憶がないのだが、こんな、ぐあい……

朝 目が覚めるとキミがいて
チーズタルトを焼いてたさ
スウィーツベイビー キミはそうさ
甘い甘い僕の恋人

さぁ 出かけよう オシャレして街にさ
チーズタルト片手 キミはハシャイでる
人ゴミかき分け 行こうよ あのお店
おそろいのリング今日買う約束だから

……以下略。
「聖夜」を「性夜」に変えた消費主義が濃厚に臭う歌詞だ。それを、根岸崇一が扮するクラウザーⅡ世が変えて歌う。

朝 目が覚めると
キミがいてー
俺の両親を焼いていたさぁ

というぐあいに始まる。
いや、これは軟弱ポップスとヘビメタを対置してギャグを効かしたということで、そこに、消費主義を押し上げた「成長」亡き後の、未来のヴィジョンがあるということではないのだが……。ま、気どるな、力強くめしをくえ!ってことさ。

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2009/12/27

酒場で飲むのも「用」のうち。今年の「うれしいつまみ大賞」。

きのうのエントリー「と、ここで用ができたので、続きは、あとで」と書いて行った先は、地元東大宮東口の「ちゃぶだい」だった。生ビール一杯飲んで、あとは、大将がおすすめの「高額」ラインの清酒を燗で、3種類ほど飲んだ。つまみは、いろいろ頼んだが、「フライ盛り合せ給食風」ってのを初めて。それから、もはや病みつきな「もろみらっきょう」。ほんとうは、もろみらっきょうだけで飲めるし、それだけですむなら安上がりなのだが、ほかにも食べたいものがいろいろありすぎで……。

そうそう、それで、ことし出合った、まっことうれしい酒の肴というと、太田尻家@経堂の「さんまの塩辛」と、このちゃぶだいの「もろみらっきょう」だ。「さんまの塩辛」は、実際は、さんまの麹漬といったアンバイのものだから、もろみらっきょうと共通するような味わいもあり、どちらもポン酒の肴として、ほんとうにうれしいものだ。よって、今年の「うれしいつまみ大賞」とする。

おれは未熟なので、その共通性と異質性を、どう分析して表現したらよいかわからないから書かないのだが、東大宮の「ちゃぶだい」と経堂の「太田尻家」は、経営の規模や方法は違うが、なんとなく通じるところがある。こういう酒場がある「まち」は、しあわせ。

ところで、きのうのエントリーに「続きは、あとで」と書きながら、おれはそのときの思いつきやヒラメキの勢いで書いているので、いったん途切れると、なかなか続きを書けない。またそのうち書くかもしれない。

010ってことで、画像は、「ちゃぶだい」から1分と離れていない酒場の「おかめ」だ。ここは、「ちゃぶだい」とは、まったく傾向がちがう。この看板や入口からして(とくに看板の文字は「貧乏くさいアート賞」を進呈したい)、とても「貧乏くさい」のが魅力的だ。大将の雰囲気も、とても貧乏くさくて好みなのである。おれはよく「貧乏くさい」と言われ、今年の3月7日、大阪市立大学都市研究プラザ高原記念館におけるシンポジウム「場所の力――歩きながら考える」で、「<貧乏くささ>の居場所をめぐって」ってことで、わけのわからん報告をしたのだが、魂レベルで共感するものがある。なかは、大将を囲むカウンターだけの屋台のような狭さだ。燗酒を頼むと、カップ酒を燗してくれる。なにからなにまで貧乏くさい。大将が目の前でポテトサラダをつくっていると、それもとても貧乏くさくて素晴らしく食べたくなる。こういう店も、また「まち」のしあわせに欠かせない。だけど、まだここには、2回ぐらいしか入ってない。来年は、もっと入ろうという抱負を持っている。

ついでに思い出すままに、去年10月21日に引っ越して来てから入った東大宮駅周辺の飲食店というと、ダントツで回数が多いのは、「ちゃぶだい」になる。といっても今年の夏ごろ以来に集中して6回ぐらいかな。その次は、西口のモツ焼き系居酒屋「鉄砲屋」、同じく西口のインド料理の「ニューデリ」、餃子の「大雅」「満州」が、それぞれ4回ぐらい。東口の「東大宮ホルモン乾商店」が3回といったところで、2回は「おかめ」と西口の居酒屋「ふくまる」。あとは、まだ1回ぐらいしか入る機会がなかったと思うが、東口の、ローメンが食べられる中華の「じょうじょう」、焼肉の「藤苑」、中華の「龍鵬」、えーと、まだあるが思い出して書くのが面倒だな、ラーメン屋が2軒、回転寿司2軒など。そうそう「麻こころ茶屋」も行ったな。あとは……面倒になった、これにて。

ああ、けっこう酔ったなあ。発泡酒、ポン酒、白ワイン、焼酎…近頃、チャンポンで飲むなんて気にしたことがない。チャンポンで飲むと悪い酔いするなんて、ウソじゃないの。安酒飲むと悪酔いするというのも、ダンコ嘘だと思う。だいたいね、悪酔いしたって、いいじゃない。

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2009/12/26

「坂の上の雲」と文学が作り上げる歴史の定説と実態。

011東京商工会議所が発行する月刊の機関誌『ツインアーチ』がある。おれは以前にチョイとだけ連載させてもらった関係だろうか、毎号送られてくる。

『文藝春秋』元編集長の半藤一利(はんどう・かずとし)さんが、「名言「坂の上の雲」を連載している。11月号の10回目「東郷平八郎の逡巡」と12月号の11回目「天気晴朗ニシテ浪高シ!?」は、なかなか核心に迫って興味深く、はやく次回を読みたい気分だ。

『坂の上の雲』は、もちろん司馬遼太郎さんの作品である。その「「『坂の上の雲』後」の新しい事実を基に歴史探偵半藤一利が通説に挑む」というものだ。これはリードに述べられていることで、編集者が書いたものだろう。半藤さんは必ずしも「新しい事実を基に」ということではなく、もっと意欲的であるようだ。

『坂の上の雲』からいくつかの例をあげ、それが、というのは司馬遼太郎さんが、かなり定説にしたがっていることを指摘しながら、半藤さんは書く。

「日本海海戦についての定説はまことに多く、しかもそれらは神話化されて、それこそ「微動だに」しないのが、これまでの日露戦争史であった。日露戦後の海軍がそういうフィクショナルな歴史をこしらえて、それを大正そして昭和へと、海軍軍人のみならず日本国民の頭に上手にすりこんだからである。/いまになって異を唱えるのは大そう難儀なことであるし、要らざるお世話よ、それでいいじゃないか、と怒る人に出会ったりする。でも、そういう神話というか、戦争美談のつみ重ねが、せっかく先人が苦労してつくった大日本帝国をのちに滅ぼす要因になったことを思えば、やっぱり歴史は正しく綴って残しておいたほうがよいと考える。」

たとえば、半藤さんは、11回目「天気晴朗ニシテ浪高シ!?」で、『坂の上の雲』の「抜錨」から、有名な電文の場面を引用している。『坂の上の雲』の重要人物の1人である秋山真之が電文に、「本日天気晴朗ナレドモ浪高し」と入れた、そのことを「この一行が入ったことで、この第一報は「文学」になったと、司馬さんは絶賛しているが、さて、どんなものであろうか」と検討を加えている。

「もし定説がすべて正しいとするならば、名文家ともいわれている秋山参謀が、「本日天気晴朗ナレド(エンテツ注=ナレドに傍点)浪高シ」と書いたのは、なぜ?」と突っ込む。

と、ここで用ができたので、続きは、あとで。料理の歴史の定説を考えるうえでも、この半藤さんの連載は、おもしろい。

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2009/12/25

過去の記憶の入口に立つ。

006重いふたをして鎖をかけ、記憶の海の底に沈めた過去は、長いあいだには、沈めたことすら忘れてしまう。あれから半世紀以上たつのだ。ところが、ふとしたことで鎖が切れ、ふたがあく。ちょうどそんな感じだった。

2008/07/20「「郷愁」とはなんじゃ。ヘタで珍しい揮毫をどうぞ。」に「その朝、故郷の同級生のクボシュンさんが教えてくれたのは、おれの記事が大きく載っているということだけではなく、おれが小学校6年生ごろから高校を卒業するまで住んでいて、20歳のころ差し押さえられ競売にかけられ人手に渡ったが、でもそのままつい最近まで残っていた家が、横を流れる川の改修工事のため、あとかたもなく取り壊されたということだった」と書いた。

そのあと故郷を訪ねているが、そのことはすっかり忘れていた。かりに覚えていたとしても、その場所へ行ってみようという気はおきなかったと思う。だけど、今年は、夏ごろからか「心境の変化」というようなものがあったせいかもしれない、10月12日の午後、六日町駅に降り立つと、まず向かったのが、その場所だった。

014たしかに、その家は、一片のかけらも残さず消えていた。平らになった土地に、砂利がひかれ、草が生えていた。そこで、おれは、想像していなかった景色と向かい合うことになった。それは、その家が消えたことにより、その家が建つ前からあった隣の家が、ひときわ目立った結果だと思われる。

隣の家は、その取り壊された家を建て移り住む前に、おれと父と母が、たぶん1年以上2年に満たないあいだ、間借りをして暮らしていたところだった。おれが小学5年生のころだろう。老朽化が激しいが、残っていた。

おれは、そこを秘かに「貧民窟」と呼んでいた。どんなに貧乏でも、粗末な一軒家に暮らしているのがフツウの田舎だった。実際、おもらいさんの老夫婦ですら、橋のたもとの掘っ立て小屋に住んでいた。間借りをするのは、都会から来た転勤族の「高給取り」の独身ぐらいだった。そんな田舎町で、ここには、食いつめものたちが住んでいた。

1階は大家の家族が住んでいた。その1階の道路に面した一角を、父は店として借り商売をしていた。おれたち3人の家族が暮らす部屋は2階の4畳半一間だった。その同じ2階に、貧乏人の子沢山を絵に描いたような家族が住んでいた。たしか、5人ぐらいの子供がいた。一番下は、まだ母親の背にくくりつけられたままの乳飲み子だったし、その上の子はおむつをしてウロウロしていた。1歳ちがいぐらいで数人いる兄弟が、ところかまわず小便をする。なので、2階は、べっとりとした小便の臭いで一杯だった。空気は、いつもじめじめし、饐えた臭いが鼻をついた。唐紙も障子もやぶれほうだい。かれら家族の大黒柱であるべき男は、兵隊帰りで、朝から一日中パチンコ屋に入り浸りだった。大家の家族にしても、たいして違いはない。老婆さんと、当時は「オールドミス」といわれた娘さんと、そして兵隊帰りのパーキンソン氏病で身体中が中風みたいにぶるぶる震え、寝たりおきたりの息子さんの3人だった。おれの母だって、行き場のない肺病もちだった。「貧民窟」と呼ぶに、ふさわしい臭いであり、ふさわしい「資格」を持ったものたちの、吹きだまりだった。ただ1人だけ、まっとうな、東京の大学を出た独身の県立高校教師が、一番上等のきれいな6畳間を借りていた。

011ほぼ当時のままの姿をとどめている建物は、そのあたりではここだけだった。おれは、そこに、まず母と離婚をした父が転がり込み、1年ほどしてから母がおれを連れて転がり込むまでを、思い出そうとした。じつに奇怪なジケンが、いくつかあって、わが家族は、直接的には父がそれに巻き込まれ、じつに奇怪な立場にたたされていた。それは、おれが生まれ、10歳ぐらいまでを過ごした最初の家が舞台だった。おれは1943年生まれだから、50年前後におきたことだ。

たいがいの「身の上話」「自分語り」は、「負の経験」でも、なにかしら同情をひくものである。だけど、わが家のそれは、そういうものとはかなりちがった性質のものだった。父と母は、それに耐えるので、精一杯だったと思う。父は寡黙に、母はときどきそのことを愚痴って、時が過ぎた。誰にも語らないほうがよい、語ったところでどうにもならない。少なくとも、わが家族のあいだでは、そのような「暗黙の了解」が成り立っていた。そもそも語るべき相手がいなかった。

そんなクソッタレな記憶。

昔は、みんな同じように貧乏だったというのは、大きな間違いだ。

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2009/12/24

元気が湧く一言。

先日、あるところで「座右の銘」なるものを書かなくてはならなくなった。そういうときは、たいがい人様のオコトバを書くのだろうが、考えたが、これっきゃない。「気どるな、力強くめしをくえ」って自分の言葉だ。それを書いた。

機会があるごとに何度か書いているが、めしは明日の元気のためにあると思っている。「めし」というより「飲食」というべきか、その本質は明日の元気のためだろう。

酔っぱらって泥酔していても、メールを見て、すぐ返事が必要なものとそうではないものとは、判断してわけているようだ。急がないものは、あとでゆっくり見る。

何日か前のメールに、おれのある文章に対する感想があって、そのなかに、こんな文があった。「なんだろう、読んでいて見ていて元気が湧くのです」。

飲食は明日の元気のためと思っているおれは、飲食について書く文章も明日の元気のためと思っている。なので、こういう感想をいただくと、とても元気が湧く。

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2009/12/23

こころ静かに企画書づくりコピーをとるのでアタフタ。とかね。

006きのうのエントリーに書き足そうと思っていたが面倒になった。ここにまとめておく。ようするに一昨日21日の夜は、前からの約束では、渋谷の李さんの店「道玄坂清香園」へ行く予定だった。しかし、第三月曜日であり、本来なら清香園は定休日。ま、でも年末だからやっているかと思い、確認の電話をした。すると、やっているもなにも、予約で満席だという。やはり年末なのだ。それで、大野さんの「吉原ソープ街を見たい!」希望もあって、浅草にした。

昼すぎまで、身体も胃も、ズシーンと重い感じだった。出がけ、駅前通りの満州ギョウザで、生ビールとラーメンとギョウザで活を入れ、電車に乗った。

三ノ輪から吉原ソープ街をぬけて千束通りに出れば、飲み屋はいくらでもあるし、年末とはいえ「都心」ほど混んではいないだろうと、行き当たりばったりで飲むことにしていた。店ごとに客引きが立つソープ街を歩き、東京は大きい、奥が深い、とか「感想」などを言い合いながら、一軒目の酒場をめざす。うまいぐあいに、最も期待していた浅草4丁目交差点から近くの店が、予約で半分ぐらいは埋まっていたが、小上がりに座れた。豚系モツ系料理をいろいろ、思う存分食べて飲んだ。この夜は、ここで十分食べておいたのがよかったようだ。

つぎは、「観音うら」といわれる、夜になるとシットリな、まさに大人なチントンシャン花街の残り香が、そこはかとなく漂うあたりをうろうろし、料亭をゆびさし「入ってみるか」とか冗談を言いながら、浅草寺。夜の浅草寺は、これまた昼の顔とはちがう。テーマパーク化しつつある花やしき前をぬけ六区。中原さんご愛顧の「正ちゃん」にしようかと思っていたが休み。大野さんに「ほら、ここが中原さんのブログに出てくるところ」と教え、「鈴芳」にする。ここで、おれは燗酒。この夜は、一軒目では清酒は飲まずに、二軒目からにしたのがよかったようだ。

六本木なんぞで打ち合わせをしていた須田さんと連絡がとれ、渋谷で落ち合うことに。地下鉄銀座線で東京を東から西へ移動。渋谷はバー「祖父たち」。ちょうど出る客がいて、うまいこと5人座れる。おれは口直しに、ビールのあとハイボールだったかな?が、やはり連日の疲れがまわっているのか、この店の得意のオーディオ音楽の音が、どうにも脳に合わない。このまま終わってはおもしろくない。ってんで、みなに河岸替えを主張し、裏側ののんべえ横丁へ。ここでも、お客さんにチョイと前の店に移動してもらえて、無事におでん鍋の前に5人が座れた。なんだか、ついていた。

おでん鍋の中の、白いものを注文したいのだが、名前が思い出せない。それ、それ、ハンペンだよ。燗酒2合をあけているあいだに、かなり酔いがまわった。須田さんと何を話していたか、ほとんど覚えてない。前のエントリーにある大野さんが撮影の画像、なかなか渋いねえ。だけど、おれは、もう目を開いていられない感じだね。どうやら23時30分すぎに、渋谷の改札を通過したようだ。どういう電車経路で帰ってきたか記憶がない。気がついたら、大宮駅でタクシー待ちの行列に並んでいた。

かくて、21日の夜で、イチオウ今年の約束の外飲みは終了。今朝もまだ、なんとなく胃が重く疲れが残っているようだったが、夕方には、かなり回復した。

とにかく、きょうは、年内に仕上げたい企画書に集中してかかる。途中で、コピーをとる必要があって、コンビニまで行ったのだが、それほど近いわけじゃない。なのに、忘れていたものがあって、もう一度いくはめになり、そしてまた夕方には夕飯の仕度の買い物にと、出たり入ったり。そんな「日常感」な年末の一日なのであった。

東京まで出て行くのは面倒だけど、こっちまで来てもらえたら、年内いつでもお相手します。

画像は、今年3月にのんべえ横丁で飲んだときに撮影。

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2009/12/22

昨夜の画像。「わははめし」校正。

Img_0135大野さんが昨夜の画像を送ってくれた。どうもありがとう。飲んでいるところは、食う飲むシャベルに忙しかったのか、最後の渋谷のんべえ横丁の飲み屋だけ。そういえば、思い出したが、おれは帰りに渋谷駅で改札を入ってから、見送ってくれていたパンニャ女子と大野さんに向かって、なにかパフォーマンスをしたのだ。最後の画像が、それ。パンニャ女子が手を叩いて笑っている。はて、なにをしたのやら、もう終電の時刻なのだから、はやく電車に乗ればよいものを、ヨツパライはおかしなもの。

今年最後の「わははめし」の校正をした。第6回目の掲載分で、年末か年頭にはご覧いただけるだろう。お題は、「スコブル愛しい貧乏めし」だ。来年の年頭にふさわしい。

とりあえず、そういうこと。あとで書き足す。かも知れない。
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たぶん、パンニャ@下北沢とさばの湯@経堂の女子スタッフを慰労す。

このド不況のなか開店した、下北沢のスロコメの隣の「パンニャ」、そしてスロコメと同じ須田泰成さんが店長の経堂の「さばの湯」の現場を支えてきた2人の女子を慰労しよう。という話ではなかったが、両者とも、月曜日が定休日なのである。

ってことで、ま、理由も動機も目的も目標もどうでもよいのだが、夕方、地下鉄の三ノ輪駅で待ち合わせた。パンニャ女子と、さばの湯女子と、慰労の相手をする男子は、九州男子の大野さんとおれだ。

土手通りを歩いて吉原大門から吉原のなかへ。一時ほどじゃないが、それでもネオンまたたくソープ街をふらふら、2人の女子を慰労しながら、千束通りへ。そこで、まず一軒目、うまいぐあいに4人座れた。モツ刺身8種類など食べながら飲み、2人の女子を慰労す。では、つぎ、ということでライトアップな浅草寺観光で慰労、のち、もう一軒で慰労す。そこで、須田さんと連絡を取り合い、渋谷で落ち合うことに。

あ~、ここまでに、ずいぶん飲みましたが、食べもしました。慰労する2人の女子は、喜んでいました。慰労、慰労と渋谷へ。渋谷の一軒目で、須田さん合流。この店、おれが好きな店なのだが、なんだか今夜は音楽の音量が脳にさわる。これじゃ、おれの慰労にならない。って、てめえの慰労か。でも、もう一軒ってことで、のんべえ横丁。うまいぐあいに、慰労によい店で5人座れる。ついていたねえ。

いやははは、もう電車はないよ。いいや、慰労のためだと、大宮からタクシー。

慰労になったかどうか、パンニャもさばの湯も、よろしく頼んだよ。やっぱ、やどやゲストハウスもそうだが、男子は偉そうにしていても、女子が頼りなのよ。って、おれが言ってどうする、経営者が言うことじゃないか。いやさ。こっちは、若い女子と飲んで楽しかったからよいの。

何を書いているか、わからない。午前2時過ぎの泥酔深夜便。よい慰労日だった。

画像は、最後の渋谷のんべい横丁の飲み屋で、おでんを見ても名前を思い出せないで、「オレ最近おでん見てもなまえが思い出せないんだなー」とぼやいているところを須田さんが撮影。このおでんもうまかった。大野さんも、いい写真を撮っていたような記憶があるが、おれの手元にはない。
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2009/12/21

中野の「やどカフェ」でトマト鍋パーティ。

001きのうは、左サイドバーにリンクがある「やどやゲストハウス」の「やどカフェ」でトマト鍋パーティがあった。パスさせてもらおうかと思っていたが、作った資料を新宿まで届けなくてはならない用ができ、パーティにも参加。着いたのは19時半ごろ、すでに大盛況、鍋と人の熱気がむんむん。先日、清龍の新酒祭りに参加の野暮連のほか、初対面の人たちが多い。女子は、台湾からのゲスト1人だけ。野暮連のアイドルのフィンランド女子は、残念ながら、この日に間に合わず、きょう成田に着くのだ。

004台湾女子は、大学卒業旅行の1人旅という感じで、このあと関西をまわり東京にもどり、東北、北海道を旅しオーストラリアへ渡るのだとか。割とよく日本語を話す。どこで日本語を覚えたのか聞くと、アニメと漫画だという。つまり「おたく」なのだ。そういえば、そういう話は、ときどき聞く。いまは「やどや」のスタッフになっている、オーストラリア男子も「おたく」で日本に来るようになり、「やどや」と縁が出来たのだった。だけど、外国人の「おたく」は、日本人のそれとちがい、ふつう人の感じだ。とにかく、もしかすると、アニメと漫画を通し、日本語は国際語になるかも知れないなあとかオシャベリ。日本語と中国語と英語…チャンポン飛び交い、なんやら「草食系」とは縁がなさそうな、元気のよい若い男たちがたくさんいて、にぎやかだった。けっこう、けっこう。

いろいろ手伝っていただいている建築家の方と挨拶。ボスと会うのは久しぶりだった。おれはこの1年、ほとんど「やどカフェ」に顔を出していなかったのだなあ。ま、うまくいっているからよいでしょう。でも来年は、「旅人文化」など、もう少し腰を入れてやりたい。

アレックスが、銀杏BOYZの「ボーイズ・オン・ザ・ラン」のPVに写っているというので、ヨウツベで見せてくれる。注意して見てないと逃しそうだが、中野ブロードウエイを歩いているときにつかまって撮影されたのだとか。

泥酔し疲れがたまらないよう、22時になる前、はやめに出て帰った。
ウチの近所の公園の夜景が、寒さ厳しい風情だった。やはり年末だなあと思う。
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2009/12/20

生き別れ、死に別れ、誕生。

ことし死んだひとのことを思い出してみた。クニコおばさんとリーベのマスター。クニコおばさんは、おれより10歳上ではなかったかと思う。リーベのマスターは、ほぼおれと同い年だ。どちらも、その死を知らされたとき、このブログに書いている。

2009/04/09
邦子さんの訃報。

2009/11/21
北区・王子で泥酔、さくら新道「リーベ」でマスターの死を知る。

離婚あるいは同居の解消は、3.5組かな。0.5は、ウワサであり、直接本人からは聞いてない。本人から話したがらないものを「確認」する必要もないし、ウワサを信じる必要もない。ってわけで0.5=ウワサ=疑惑というレベルにしておく。

離婚した1人からのメールに、「他人というものは深入りすると大変ですね」とあった。ふむ。

きのう、子供が生まれた知らせがあった。お産のあとの本人からケータイ・メールである。第二子、いまでは産まれる前からわかっているが、女の子。第一子も女子だから姉妹になる。「無痛分娩の意味は全くなく、かなりの激痛でダメージくらいましたが、母子ともに元気です」と。出産は身体を張っての大事業だ。どう見たって赤ちゃんである赤ちゃんの画像も添付され、喜びと親ばかぶりが伝わる。もちろん、おれの子ではない。時代の趨勢か、トシのせいか、まわりでは生き別れや死に別れのほうが多いなか、めでたし。

気分よく、年内に仕上げたい企画二本のうちの一本を練る。

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2009/12/19

破滅は回避されながら危機は続き、牧野伊三夫個展。

この年末は、すまんが仕事関係者との団体宴会的忘年会は遠慮させてもらい、静かな年末を静々と酒を飲みながら過ごそうと思っていた。なので、15日の角文研東京支部公開忘年会と、牧野伊三夫さんの個展のオープニングパーティと二次会ぐらいで、ほかは個人的に飲むだけのはずなのだ。その割には、珍しく胃が、デレッとくたびれている感じだ。やはり中原さん筆頭に酒豪揃いの角文研で、飲み過ぎたダメージが影響しているのか。

とにかく、きのう、その牧野さんのパーティへの出席は、もしかするとダメになるかも知れない状況があった。ロクデナシ作戦など、いくつかのマーケティングがらみで関係する某社が潰れるかどうかの瀬戸際になる会議が、午前中にあったからだ。もし潰れることになったら、午後は事後策をどうするかで、ややこしい打ち合わせになること間違いなかった。昼近くに電話があって、プロジェクトの継続が決まり、当面某社の経営危機は回避された。

午後、継続のプランで打ち合わせ。とりあえず、この年末に10数名が会社から放り出され路頭に迷うことはなくなったが、環境そのものは好転していないのだから、危機的状況の継続というわけだ。危機から破滅に至らない策が、しばらくは必要ということになるか。など意見交換。

牧野伊三夫さんの個展は、まいどの表参道のHBギャラリー。17時からのオープニングには、間に合わず、18時過ぎになってしまった。17時からは『四月と十月』のデザインを担当されている青木隼人さんのギター演奏に合わせ、牧野さんが即興で絵を描くコラボレーションがあったのだが、その絵だけを見ることになった。ほかの牧野さんの絵は、こういってはなんだが、一昨年や昨年とちがい、絵に向かう牧野さんの姿勢がちがったように感じた。充実していた。なんてのかな、なにより「おれは画家ぞ!」という気持がこもっているようで、もう一度ゆっくり見に来たいと思わせるものがあった。40半ばの中年オヤジになった牧野さん、多難の中から蠢動しナニゴトか成すか。と、もうそれなりの評価を得ている大画伯に向かって、おれのような何もわからん人が「理解フノー」の感想を書いても「理解フノー」なだけか。

『四月と十月』の校正紙を見させてもらったら、構成がコンパクトになり、一部のデザインもリニューアルされていた。デフレ時代に合わせてなのかどうか、定価を500円に下げて運営していくためのようだ。

二次会場の蕎麦屋では、福岡から来ていた生野女子が、「四月と十月」の古墳部の旅行のときに奈良の桜井市で買った、100円のトランプを持ってきていて、やろうという。おかしな「理解フノー」のひとだ。まだあのときの熱が続いているのか。かくて、蕎麦屋で焼酎割を飲みながら、テーブルの上でトランプをするはめになった。相手をするは、おれと岳ちゃんのほかに、わめぞの野生人ムトー女子(武藤良子さん)。

例によって、おれは電車の時間もあり、一足早く出て帰る。けっこう酔っていたが、泥酔記憶喪失ってほどじゃなかった。

牧野さんとおれを引き合わせた編集者が今年の春に再びガンの手術をしたこと、彼がいる編集プロダクションは、メインスポンサーの撤退のため、最近リストラ縮小移転になったこと、彼は会社に残れたことなど、牧野さんと話す。年が明けたら「激励」をやろうということになったが、牧野さんも彼も40代。

この日は、ほかにも40代がけっこういたな。スソアキコさんも40代。久家靖秀さんも40代。有山達也さんも40代。瀬尾幸子さんは、どうか、まだ40代かな。鴨井岳さん、40代。……そもそも「四月と十月」関係者は、40代が中心だな。

40代、人生の曲がり角、といっても、人生はいつも曲がり角にいるようなもので、10代や20代や30代の曲がり角は、まだ若く独身だったりで、それほど「曲がり角」を感じなくてすむってことではないだろうか。いつだって、人生は曲がり角に立っているのだ。

牧野伊三夫個展 23日水曜日まで。
HBギャラリー
渋谷区神宮前4-5-4

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2009/12/18

15,16,17と、泥酔濃厚の日々。恒例の角文研東京支部公開忘年会から全日本オヤジ選手権まで。

002この三日間は、充実していたというか、楽しかったというか、濃かったというか。ガラリ、ガラリ、毎日まったくちがうタイプやジャンルの人たちと、呑み、談笑、仕事で、その間ほとんど酩酊状態だった。

15日は、三軒茶屋の「味とめ」で角文研東京支部公開忘年会。激しい二日酔いが残った16日、正午すぎにウチで来客を迎え、用心しながら少しずつ飲んだ。今朝は浅草の「助六の宿 貞千代」に9時半集合で、ほぼ缶詰状態で20時ごろまで。かなりおもしろいシゴトだった。

11時ごろ浅草の商店街で、蛭子能成さんとおれが飲んでいるところから撮影が始まった。意外にも蛭子さんは酒が飲めずジンジャエール、おれはホッピーを飲む。ほんと、おもしろかった。女優のはるか悠さんも柳田やよいさんも、よかったねえ。ウチにはテレビがないから、まったく初めて聞く名前なのだが、勝俣州和さん、時東あさみさん、濱口優さん、有野晋哉さん、とかの司会で、全日本オヤジ選手権のビデオ撮りは終わったのだった。いろいろ勉強にもなった。

終わって浅草で飲んで帰ってきたが、体力も使ったことであり、疲れた。角文研東京支部公開忘年会のことから、追々書きたいが、寝ておきたら、また何事か待っている。久しぶりの25時のヨツパライ深夜便。やれやれ、寝よ。

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2009/12/15

「四月と十月」公式サイトのURLが変更になりました。

ザ大衆食のサイト「『四月と十月』と古墳部と「理解フノー」」(クリック地獄)にある「四月と十月」公式サイトへのリンクが切れているという問い合わせをいただいていましたが、URLが変更になり復活しました。こちらです。

http://4-10.sub.jp/

なお、遅れていた10月発行予定の『四月と十月』21号は、今月中に発行になります。よろしく~。

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2009/12/14

嗜好品化する人間関係? 気色悪くもあるTwitter集団心理。

ちかごろ周辺でTwitterをやる人が増えている。ブログをやっていて、Twitterを始めた人は、ブログの更新が途絶えがちになっているケースが少なくない。きっとTwitterに夢中なのだろう。

これ、以前、おれもやってみようかなと思ったことがある。そのワケは、そのときここに書いた。
2008/06/06
「ブログという不完全なワタクシと文章のさらし。」

だけど、いま垣間見られる様子は、それとずいぶんイメージがちがう。

そのとき、結局やらなかったのは、自分で思いついたことを思いついたときに書いているぶんにはよいが、誰かの相手をしなくてはならないとなると、まるでチャットのようなことになり、ますますパソコンに縛り付けられることになりはしないかという躊躇があったからだ。

いまではケータイでTwitterをやる人が多いようだ。ということは、ケータイで、Twitterに、メールに、そして電話、ほかにもインターネットもろもろになるか。パソコンに向かわなくても、メディアに縛られ消費される時間がどれぐらいあるのだろう。ケータイの画面をにらんでいるあいだは、確実に、生のひとや景色とは向き合っていない。そこから何かを感じとったり考えたりはしてない。

『嗜好品文化を学ぶ人のために』(世界思想社)では、藤本憲一さんが、「「気分転換」の両義性という点で、若者にとってのケータイは、酒・茶・コーヒー・たばこの四大嗜好品と同等の機能を持つ」として、これを論じている。とても、興味深い。「気分転換」の両義性の一つは、「高揚感<ノリ>」であり、もう一つの面は「<キレ>」である。

ただでさえ、人付き合いは、好き嫌いに偏りがちだ。藤本さんは「趣縁」つまり「同好の士」をあげているが、趣味や話しが合うあわないで、対人関係が決まっていくことが、けっこうあると思う。そこにすでに「嗜好」が持ち込まれているが、さらにケータイによる「電縁」つまりバーチャル・ネットワークが重なる。さらにTwitterは、臨場感というか、高揚感が得られやすい。というか、ノリの悪いひとは、なかなかついていけない。ノリのよいひとが中心になる。Twitterを外から見ていると、そんな「特性」を感じる。

この人の言っていること、チョイと違うんじゃないかなあと思ってTwitter見ていても、「それ違うんじゃない」というひとがあらわれないことが、けっこうある。そもそも、みながTwitterすべてを見れるはずもなく、フォローの関係で成り立っているのだから、同好の士が集まる可能性は高いわけだ。

ま、リアルにおいても、閉塞感を感じないのだろうかと思うほど、「趣縁」が色濃い。おれは、前に何度かmixiをやらないワケのことで書いたように、そういうものに積極的に参加したいと思わない。ときたま見かける、「私たちわかっているもの同士ね」なんて、ニンマリ微笑みをかわして肯きあい、世界がわかったつもりになっているのは、薄気味悪くすらある。

ご本人たちが閉塞感を感じないのは、「同好」の高揚感に酔っているからだろうと思いたくなる。こういう人たちが、自分はよい趣味や感覚の持ち主と思っているらしい様子を見たりすることもあるが、そんな趣味や感覚は、理解フノーである。

どこの新聞社のサイトだったか、控えなかったが、裁判員法廷であるがために注目された、奈良の集団強姦致傷事件のニュースがあった。2009年11月26日付。裁判員と4人の被告とのあいだのやりとりのなかで、被告の誰かが、こんなふうに答えていたとあった。

「以前から4人の間で「レイプ」という言葉が出ていたが、「1人ならやる自信はなかった」「誰か1人でも『やめよう』と言ったらやっていない」と釈明」「雰囲気を崩せば、皆に嫌われると思った。だから合わせていた」。

もちろん、おれはTwitterなどのメディアそのものを問題にしたいわけではない。趣味は、生きていく上で大切なものだと思う。そこに、チョイとゆがんだものを感じているということなのだ。大切なものにふさわしい「趣縁」になっているのだろうか。

「違うんじゃないの」「やめよう」「はんたーい」と言えないような雰囲気をもたらす「趣縁」などは、不気味なものを含んでいる。ケータイが「酒・茶・コーヒー・たばこの四大嗜好品と同等の機能を持つ」なら、依存症もありうる。ってことを感じているってことなのだ。酒だって、依存症になったら、病気だ。

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2009/12/13

今年の一店。「酒とつまみのエンテツ」って誰だ。

175_2このタイトルでは、どういう「一店」かわからないだろう。強いていえば、「こころ残り」の一店ということになる。5月に、ミーツ・リージョナル別冊『酒場の本』の取材で大阪へ行った。13日に着いて、14日と15日が取材だった。

15日、おれは京都で取材を終えた。そのあと、同行していた担当編集さんとカメラさんは、17時に大阪駅で東京から来る大竹聡さんと待ち合わせ、環状線高架下の酒場めぐりの取材だというので、誘われるままについていった。帰りの新幹線の時間まで付き合って飲んだ。

174_2一軒目は、福島駅そばの高架下、二軒目が西九条のトンネル横丁だった。アポなし取材で、どこにするか、そのときの判断で一軒選んで入った。ここがよかった。もっとゆっくり飲みたかったが、大竹さんたちは、深夜にかけて、6軒はしご取材することになっていて、そうはいかない。おれも東京に帰る新幹線に乗らなくてはならない。トンネル横丁のほかの店も魅惑的だったし、ここで夜が更けるまで飲みたいと思いながら、大いにこころ残りのまま、引き上げたのだった。

178ところで、大竹聡さんといえば『酒とつまみ』だが、どうやら大竹さんとおれを間違えているか混乱している人たちがいるようだ。大竹さんには、一緒に飲んだり、本をいただいたりで、このブログで、たびたび大竹さんのことを書いているせいかも知れない。それから、泥酔論@スロコメで、「酒とつまみ」のナベさんやサイカメさんに登場いただいていることもあるかも知れない。なんとなく「酒とつまみ一派」というイメージがあるのだろうか。

とにかく、どこでどうなっちゃたのか「酒とつまみのエンテツ」が一人歩きしているらしい。このあいだも「酒とつまみ」で、どうのこうのエンテツさんですと紹介された。どうやらそれは大竹さんのことのようなのだ。もういちいち訂正するのも面倒なので、そのままにしておいた。だからって、いいことがあるかというとそうでもなく、とくに悪いこともなく。しかし、おれは「酒とつまみ」や大竹さんの評判を落とすようなことはしないようにと、イチオウ緊張したりするからおかしい。で、『酒とつまみ』という雑誌、知りませんでした、こんど読んでみます、なんていわれると、「よろしく~」なんて対応しているのだった。

「酒とつまみ」のみなさん、すみません。おれが悪いのじゃないのです。「酒とつまみのエンテツ」が、勝手に一人歩きしているんです。なんだか、みんなせわしないというか、ひとに対する認識は、かなり「雑」なんですね。詐欺に引っかからないように気をつけましょう。

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2009/12/12

野暮連、埼玉県蓮田・清龍酒造「新酒祭り」を堪能す。

032きょうは、きのうと一変、暑いぐらいの陽気。12時半、蓮田駅集合に駆けつけたのは、オーストラリア人2名を含む総勢8名の野暮な男たち。めざすは、清龍酒造。歩いても30分ぐらいだろうと、歩くつもりだったが、バスが有り利用する。いやあ、楽しかった。酒蔵の祭りは、そこそこ行ってみたが、想像を、はるかに超えていた。楽しかった一つひとつをあげたいが、とりあえず画像で。1時間もいれば十分だろうと思っていたが、15時の終了まで、飲み楽しんだ。「試飲」というより「呑み放題」。清龍酒造様、たくさん飲まさせていただきました、楽しかったです、ありがとう。

そのあと、大宮のいづみやへ移動した8名は、野暮連の忘年会というか本格始動に向かって、「Y-1(野暮イチ)」を構想するなど、じつに有意義に泥酔した。

と、泥酔ヨレヨレのなか急ぎ掲載するのは、清龍酒造「新酒祭り」は、明日もあるからだ。明日13日、とてもゆるく素晴らしい清龍酒造「新酒祭り」へ、どうぞ。

関連
2009/12/08
安酒の研究、その後。安酒酒蔵の「新酒祭り」。

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原宿で打ち合わせ、池袋で飲んで泥酔。

きのうは、冷たい雨が降る中、原宿まで行って、15時半からザ・ワークスで打ち合わせ。その場にいた、くわじまゆきおさんを、久しぶりだからということで誘って、池袋の「ふくろ」で飲む。たしか「ふくろ」に着いたのが17時過ぎ。ビール、ホッピー、燗、そしてまた焼酎を何かで割って飲んで、たしか20時過ぎだったと思う、池袋で東上線に乗るくわじまさんと別れて、おれは埼京線に乗ったあたりで、酔いがまわり記憶喪失状態帰宅。そういう状態になると、帰りは寒かったのか、雨が降っていたのかも覚えがないわけだから、よい。やや二日酔いが残る。

考えたら、くわじまさんと2人だけで飲むのは初めてだった。あれこれオシャベリ、とても楽しかった。いまどき、10歳を頭に3人の子持ちっていう男子は、どこかマイペース楽天的大らかで楽しい。

さて、きょうはきょうとて…。

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2009/12/11

「全日本オヤジ選手権」そして「四月と十月」発行。

先日、スロコメ@下北沢での「全日本サキイカ相撲選手権」に出場し敗退したおれだが、こんどは「全日本オヤジ選手権」に出場する予定だ。年内に開催されるこれは、非公開で選び抜かれたオヤジが、非公開で競い、その様子はDVDで発売されることになっている。

そもそも1995年刊行の拙著『大衆食堂の研究』は、オヤジ文化になっていた大衆食堂の継承と発展を願ったものでもあった。「イイ若い男に「大衆食堂にはひとりで入れない」といわれた。なにをいうんだこのバカヤロウ「気どるな!力強くメシを食え!」と激励とノロイをこめて熱く大衆食堂を語った本が『大衆食堂の研究』である」と、おれはかつて『散歩の達人』〈1997年4月号)の大衆食堂特集で語っている。その『大衆食堂の研究』では、男が大人になるステップとして、まず、1人で立ちションができるようになること、つぎに1人で銭湯に入れるようになること、そして最後に1人で大衆食堂に入ることであると、マジメに論じている。

『ぶっかけめしの悦楽』と『汁かけめし快食學』のテーマである汁かけめしは、まさにオヤジを抜きには語れない。「歴女」なんてのが、ハヤリらしいが、とくに応仁の乱のころから以後、歴史を騒がせた田舎サムライは、ぶっかけめしを食べなら野心をとぎ天下をうかがったのだ。そして最近は、WEBサイト「小学館ブックピープル」で連載の「瀬尾幸子のわははめし」では、おれはオヤジ代表として瀬尾先生に、めしがたらふく食べられるおかずを教えてもらいながら、オヤジのタワゴトを書いている。

オヤジ選手権なんぞなくても、おれは「オヤジ文化の継承と発展」のためにつくしているのであり、オヤジ文化勲章をもらう資格がある。

ま、そういうことは、まったく関係ない。おれはひょんなことから「全日本オヤジ選手権」に出る予定になった。会場は浅草になるのだが、成績がよいかどうかすると、美女と一晩ウフフなよいことがあるというウワサもある。

と書いていたら、いいニュースが入った。発行がのびていた『四月と十月』の10月号(21号)が、今月クリスマスのころ出来上がるとメールがあった。ほんとうに年内に発行できるのだなあ。廃刊か?と心配くださった方がいたが、ご心配かけました。配本は年明けになるかも知れないけど、もうしばらくお待ちください。

しかし、臭いオヤジ猥雑な「全日本オヤジ選手権」と、清らかなアートな香り高い「四月と十月」と、まったくキャラが正反対ほど違う話を一緒のエントリーにしちゃうおれは、一体なにをやっているのか。「理解フノー」か。『四月と十月』に連載の「理解フノー」、今回は「何もしなくていいじゃないか。」というタイトルで書いている。

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2009/12/09

「まち」をおもしろくするひと、「まち」をおもしろくするブンガク。

おれが選んだ、ことしの「まちづくり」大賞。デカイ話は、もういらない。エライやつも、有名人も、いらない。この自前のセンスだ! 11月27日、砂町銀座で。

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2009/12/08

安酒の研究、その後。安酒酒蔵の「新酒祭り」。

001たしかに、おれは、たまーに非安酒純米酒を飲む。だけど、このブログに書いたていどしか飲んでない。ほんと、たまーにだ。最近では、東大宮東口の「ちゃぶだい」で秋鹿や田酒や鶴齢などを飲んだぐらいか。ほかは、普通酒か本醸造酒だ。おれにとっては、本醸造酒も普通酒の感覚である。そもそも、いまの酒の種別などは、税法上のもので、味覚上のものではない。税法上のものを、味覚にスライドさせて、ま、早い話が、高額税金のものほど「上等」「うまい」ということになっている。

そのことは、とりあえずどうでもよい。普通酒でも、純米酒でも、「安酒」といえるものがある。2009/11/06「安酒の研究。」に書いたように、その安酒が気になっている。

「安酒の研究」なんていうと、安酒はうまいかまずいか、どの安酒がうまいか、ということになりやすい。そのことに関心がないわけではない。だけど、おれの場合、少しちがう。こうやって「安酒の研究」なんて書いていると、安酒をいろいろ買って昼間から飲んでも、誰からも文句をいわれないだろう、もしかするといろいろな人から、おれが知らない安酒が貰えるかも知れないという、卑しいコンタンがあるだけなのだ。こういうコンタンは、ほんとうは隠しておいたほうがよいのだが、書いてしまった。

安酒を飲んでいると、あらためて、味覚の不思議に気づく。うまい、まずいのことも含め、人間の味覚のことは、安酒を飲んでわかることもある。と思った。

とくに味覚の喜びである。安酒には、味覚の喜びはないか、といえば、まちがいなくある。そして、もし「うまい」という言葉が、味覚の喜びを感じたときに発する言葉なら、安酒も、まちがいなくうまい。

味覚の喜びは、そのものが、ニセモノであるとか、ホンモノであるとか、純米酒か、醸造アルコール添加の普通酒か、といったことに関係なく「存在」する。

ちかごろ会ってないが、資産家がいる。そうですねえ、青山あたりに、いくつかのマンションやビルを持って、ま、普通の労働をする必要もなければ、カネに苦労することはない。酒を買うにも、飲むにも、費用を考えることはない。こういう人たちが、本来数千円の焼酎や清酒を、二万円も出して買う。そして、高いからモノはまちがいないと思っている。だってね、コレ普通なら4千円ぐらのものを2万円で手に入れました、めったに手に入らない幻の酒ですよ、うまいに決まっています。ということなのだ。

ウチの近所のスーパーでは、最近また一段と、「第三のビール」の売場が拡充している。不況下、おうちで安酒が拡がっているのだろうか。「安酒ブーム」があるのかどうかは知らないが、清酒にしても、安酒の紙パックが店頭に増えた。これらの安酒を買う人たちと、この資産家のような人たちとは、酒や味覚に対する「本気」加減が、まったくちがうようだ。懐具合を計算し、3軒のスーパーのなかで、どこで買うのが一円でも安く買えるかを追求し、手に入れて飲む酒の喜びは、カネで買えるものではない。

これに類する話が、何かの小説にあったと思って探していたが見つかった。「本気」と「真の喜び」と「労働」と「カネ」の関係についてとでもいおうか。

『ロング・グッドバイ』(レイモンド・チャンドラー、村上春樹訳、早川書房)で、大富豪の娘と結婚しているテリー・レノックスが、主人公の探偵フィリップ・マーロウに話す。これは「家庭生活」をめぐってのことだが、マーロウに「満ちたりた家庭生活なんだろうな」といわれたレノックスは、「家庭生活なんてものはないよ」という、「大作だが、ストーリーがない」と話す。「大作」というのは、いうまでもなく巨額な製作費を投じた映画のたぐいだ。その話から家庭生活だけではなく、いまこの酒や味覚に関係しそうなところだけを抜き書きすると、こうなる。

「働く必要がなく、費用に頭を使う必要もなければ」「そこに真の喜びはないんだが、連中にはそんなことはわからない」「本気で何かをほしがることなど連中にはないんだ」

普通は労働しカネを得て、そこから酒や味覚を手に入れる。そこに、それぞれの生活のストーリーがある。それぞれの本気や真の喜びがある。それについては、非安酒純米酒しか飲まないひとも、安酒しか飲めないひとも、たいしたちがいはないだろう。毎日の安酒をひかえて、1週間に1回ぐらいの非安酒純米酒を楽しむ人もいるだろう。どう選ぶかは、それぞれの生活のストーリーであり、いずれにせよ本気で酒をほしがり、真の喜びを味わっているのではないだろうか。

なのに、「一般的」に、非安酒純米酒は偉そうにし、安酒は卑下される。非安酒純米酒は敬われ、安酒は軽蔑される。安酒は悪い酒でありニセモノであり負の存在であり、排除されるべき、といった感じの主張まである。それが、それを造るひとから、飲む人にまで影響を及ぼす。これは、おかしい。

おれなんぞは、たしかに、非安酒純米酒をたまーに飲むが、日々は安酒ですごせるから、たまーに非安酒純米酒を飲めるのだ。非安酒純米酒に対する感謝は、安酒に対する感謝を抜きにはできない。ハートのエースだけではカードゲームはできない、という言い方もあるが。

それで、今日の話は、こういうことだ。都内で有名な安い居酒屋といえば、「清龍」をあげるひとは多いだろう。とくに高田馬場あたりで学生を経験した人たち、池袋で飲む人たちは、たいがいご存知のはずだ。この居酒屋は、清龍酒造という酒蔵が経営しているのだが、清龍酒造は、ここ東大宮から東北本線で一つ先の蓮田にある。

その清龍酒造の「新酒祭り」が、今週の週末12日(土)13日(日)にある。詳しくは同社のサイト…クリック地獄

清龍酒造の酒は、このサイトを見てもわかる通り、安い。純米酒だって安い。なぜこんなに安くできるのかという興味を持って行ってみるのもよいだろうと思う。とかく、酒蔵めぐりというと、「上等」な「名酒」を求めていくが、それはそれとして、清龍酒造のように大衆の暮らしに応じた酒を造っているところも訪ねてみたい。

蓮田には、「名酒」として評判の「神亀」の酒蔵がある。蓮田の駅を降りて、右の東へ行くと神亀、反対の左の西側に清龍がある。駅をはさんで、2つの方向性のちがう酒蔵があるというのもおもしろい。

ともあれ、高かろうが安かろうが、つくるひと、のむひと、たべるひとが、一緒になってストーリーをこしらえていく関係が、よろこびやうまさのために必要だと思う。

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2009/12/07

「書評のメルマガ」連載の最終号の原稿を書いた。全力で欠陥の多いことを成す。

020「書評のメルマガ」に連載の「食の本つまみぐい」は今月が最後になる。その原稿を書いて、編集の河上進(南陀楼綾繁)さんに送った。03年8月13日vol.128の第1回『庖丁文化論』江原恵で始まり、今回で35回目、玉村豊男さんの『料理の四面体』。最後を、このように結んだ。

「この連載は、これが最後。連載を始めるときに、最初は江原恵さんの『庖丁文化論』で、最後は本書で締めくくろうと決めていた。日本の料理の歴史のなかで、もちろん万全ではないが、「画期的」といえるのは、この2冊だろうと思う。しかし、どちらも古本でしか手に入らない。料理は「実用」か「趣味」そして「くえればよい」「うまければよい」から成長がない文化なのかも知れない。」

あまりかっこうよい終わり方ではないが、ま、おれらしいかな。といったところ。河上さんに連載のチャンスをいただきながら、自分にとってはよい「学習」のチャンスになったが、自慢できるような内容になってない。平均で30点~40点ぐらいか。ま、これも、おれの「それゆけ30~50点人生」らしいといえるか。

ただ、毎回、書くときは集中し全力をつくした感じはある。いつも、これまでとちがう何かを、できる力もないくせに全力で模索すると、このように点数の低い、欠陥の多いことを成す結果になる。

しかし、これも積み重なると、トツゼン霧がとんだように見えてくることがあるもので、おれのように鈍い男でも、今年の夏ごろだったかな、けっこうヒラメクものがあった。今年の夏、おれは何か変ったのじゃないかと思っている。なにしろ、今年の後半は、時間がたつのが遅かった。これは、どうしたことだろう。悪い方へ変ったのだろうか? でも、なんだか来年は、なんでもうまく書けそうで、自信満々なのである。おかしい。

こんな自分勝手ができる連載だったのは、ありがたい。もしかすると、とんでもない文章を載せやがってと、河上さんは小言やら批判やら浴びていたのかも知れないが、おれは知らん顔。河上さんの固太りの身体と、メタボを気にせず食べる力は、そんなものにビクともしないだろうと、アンシンしてやらせてもらった。河上さんも「書評のメルマガ」の編集担当は今月が最後になる。お世話になりました。

読んでくださった方が、どれぐらいいるかわからないが、お付き合いいただき、ありがとうございました。って、まだ、最後の回の配信がありますからね。

こちら、ザ大衆食のサイトに、連載の一覧とリンクがあります。リンクは、まだ全部をサイト内にまとめてないので、「書評のメルマガ」の当該号にジャンプするものもあります。…クリック地獄

いま気がついたが、「本好き活字中毒者たちのメルマガ「書評のメルマガ」に「食の本つまみぐい」隔月偶数月連載中」なんていう紹介をしている。おれは、本好きでも活字中毒でもないのに、ずうずうしい。

画像は見沼たんぼ、市民の森。

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2009/12/06

年末の居酒屋で。

030となりの席の3人の男たち、30歳中ごろといったところか。2人は、どこかのチェーンの本部か地方本部あたりのスーパーバイザーらしい。大手筋の、それなりにデキル男たちであるようだ。もう1人の男は、その同僚だったが、独立して同じような業種の経営者になっていると思われる。おれの耳に届く話からは、どんな業種か、なかなか判断がつかない。おそらく物販系ではあるようだ。けっこうなカネが動く取り引きをしている。

経営者の男の会社は、状態が悪い。だけど、積極策で打開しようと、従業員を増やした。その増やし方に、ほかの男2人は、大反対なのだ。積極策で現場の人間を増やすのはよいけど、従業員を雇うのではなく、女房を店に立たせろという。そんな経営の状態で、従業員を雇うのはまちがっているし、女房を「社長夫人」でございと遊ばせておくのもまちがっている。男2人は、ときには激しい口調で、ときにはおだやかに、経営者の男に意見する。「もし自己破産しても、おれたちのいうことに耳をかさなかったのだから、助けてやんないよ」

聞こうとしなくてもきこえる話を酒のつまみに、おれは思った。どうやら、経営者の男は、女房に店に出てくれとは言い出しにくいらしい。たぶん、2人の男たちの言うことが正しいし、そうすれば、決定的な危機を回避できるかも知れない。だけど、なぜ、女房に言い出しにくい状況になっているかは知らないが、そんな状態なのに頼んで店に出てもらっても、よい結果は生まれないような気もする。そのことも、たぶん、経営者の男は、わかっているにちがいない。経営者の男には、自分の会社の経営の破綻と、それに続く離婚まで、もう見えているのかも知れない。女房は、たぶん夫が借金火達磨になっていることも、なにも知らず、クリスマスのことを考えているのだろう。

30男のチャレンジの行方は、はたして? でも、まあ、チャレンジはやってみたほうがよいのだ。チャレンジがやりにくい日本ではあるけれど。30代の『ボーイズ・オン・ザ・ラン』も、いろいろ。この3人の男たちは酒飲みながらも真剣で、気持がよかった。カネがからむメンドウを話し合える相手がいるのはいいことだ。

男たち、不況にめげず、本気にやろうぜい。大衆食堂のめしをくいながら、チャンスをうかがうのだ。と、「小説大衆食堂」を妄想してみたり。

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2009/12/05

昼酒泥酔。今年のいいオコトバ賞。

ひまなのか忙しいのか。酒を飲んでいるのだからひまであるにちがいないが、飲みすぎてぐたっとしていると、やるべきことが予定通り片づかず、あわただしい気分になる。来月まわしでもいいじゃないかと思っても、「来月」は「来年」になってしまう。やはり「年内」におえてスッキリした気分で新年を迎えたいということもあるのか、急がされる。

スッキリ倒産なんてことまであっては、かなわんねえ。いま、仕事がらみの一社がヤバイ状態にある(出版社じゃないよ)。しかし、いまやあちこちで仕事とカネがなく大変ということをきくのに、マスコミはまったく反応してないようにみえる。マスコミは何を考えているのか、庶民の生活には関心なさそうで緊張感もなく、苦しい大変な生活の実態から遊離しているようにみえる。なんだか、おかしいねえ。かなりの「非常事態」と思うのだが、これが「政治」の課題にならない。

で、非常事態下のワタクシは、きのうは昼13時半から飲んでました。武カメさんは、もう出産予定日まで1か月を切り、しかも稼ぎまくって動きまくって医者に安静を言われても安静にしていなかったから早産の可能性があり、いつ産まれても不思議ではない状態という。おれと会っているあいだに産気づくかも知れないというスリリングな状況において、なので、武カメさんの近所の焼肉屋で13時半に待ち合わせた。おれは、ただちに生ビール。彼女は、ノンアルコールビールを飲みながら、肉を食べるだけ。おれは、生ビール3杯飲んで、のち眞露の350ボトル1本あけ、16時すぎに店を出るときは泥酔状態だった。

とはいえ、そのあいだに、ちゃんと企画の相談用の資料にざっと目を通してもらい、カンジンなところの話をし相談になっていたと思う。これで企画書は書けるだろう。武カメさんには、母子とも健康な出産を祈り、2人の子連れになったマザーの仕事と泥酔の現場への復帰を待とう。

帰り、そのまま真っ直ぐ帰るはずが、新宿で地下鉄からJRに向かう途中で、ベルクがある。その前で喪失していた意識が正気にもどったらしい。そうそう、今年最後になるかも知れないから、ご挨拶がわりに飲まなくてはいけないね、なーんて考えもせず、身体が店内に入り生ビールを頼んでいた。ベルク、おれの記憶にあるなかでは、いちばん閑散としていた。これは「不況」のせいなのかと思いつつ、では、売上げに貢献しましょうというわけでもなく、ただ飲みたいだけで生ビールもう一杯、あたりまでは覚えているが、あとは泥酔記憶喪失。

泥酔記憶喪失状態で、東大宮に着いてから、ちゃんとスーパーに寄って買物して帰って来ていた。帰巣本能だけじゃなく食事したく本能もあるのだな。が、やはり酔っていたのか、いまいち足りないものがあった。それでまた、おうちで飲んで寝た。そういう不況な年末の一日でした。

ってことで、毎年恒例じゃないが、今年は記録に残したいよいオコトバがあったので、ここに残したい。


「率直な意見も平和には必要です。」


おれは、このあいだもあったのだが、このブログに、おかしいなと気になったことをスグそのまま書いてしまう。すると、それを見て、あのひとの批判になるようなことは書かないほうがよいのではないかと心配するメールをいただくことがある。前には、某巨大掲示板のある有名作家の板で、おれがこのブログに、その作家の文章を批判的に書いたことが取りあげられ、リンクを貼られ、こんなことを書く資格がこの遠藤某にはあるのかと書き込まれた。あわわわわわ、わがブログは炎上されるのかと思ったが、ほかの方の対応は冷静で大事にはいたらなかった。

おれは、普通に考えればこういうことでしょ、ていどのことしか書いてなのに、どうもファンや出版業界関係者から見ると、そうではないオオゴトにとらえられることがあるようだ。

なにより、ご本人が大げさにとらえ、こんなことを言うやつとは「絶交」なーんてこともあるのは、こまりものだな。とりわけ表現が仕事であるものにとっては、誹謗中傷や感情的な悪口でないかぎり、率直な意見や批判は肥やしみたいなものだと思うが、ちかごろは意外にそうではないらしい。世の中せちがらくなっているから、自分の評判が気になるのかも知れない。「情報社会」では、自分が何者かになったかのような錯覚に陥りやすいこともあるだろう。人間なんてみな五十歩百歩なのに、一歩のちがいを気にしたり鼻にかけたがる。

そんな中で、ある人からのメールにあった、この言葉は、光っていましたね。
しかし、こう言った本人は、率直すぎて、平和を乱すこともあるようだ。それはそれで、おもしろい。

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2009/12/02

地元東大宮お散歩日和。ニューデリ→市民の森→ちゃぶだい、大満足。

012きのうの朝は、前夜の酒がデレデレと肉体に宿っていた。鈍い頭で資料をパラパラ見る、企画をアレコレ考える。うーん、これは誰に相談したらよいかな~と思案していると、武カメちゃんからメールあり。そうそう、彼女がいるではないか。なんとまあ、こういうのを「以心伝心」というのか、こんど会うときに資料を持っていくことにする。って、ことで一件落着したわけではないが、天気はよいし、遅い昼めしを食べ散歩でもしようと、13時半ごろウチを出る。

013インドカレーが食べたく、東大宮西口の「ニューデリ」へ。昼ピーク時を過ぎていたのに、思っていたより混雑。都鄙臨界のハンパなまちで、けっこうなことではないか。ここは、前にも書いたが、インドカレーとはいえ、辛さがたちまくるそれとは少しちがう。たっぷりのタマネギ炒めのトロトロがベース、ネパール料理の味覚の趣がある。もちろん辛くしてもらえるが、あまり辛さを感じない「普通」レベルが、酒で弱っている胃袋にやさしい。ナンがでかい、それにカバブやタンドリーチキンなどの盛り合わせのランチ・セット、それにやっぱり生ビールも頼んでしまったから、ガッチリ腹に詰め込むことになった。

014腹ごなしに、東北本線の東側、南東方面の見沼たんぼを初めて散策しようと、線路沿いに、一つ大宮駅に近い隣の土呂(とろ)へ向かう。数分で見沼たんぼ。とはいえ「たんぼ」はない。芝川沿いに、なんにもない草の原と畑が、無秩序になりゆきまかせな感じで、デレデレゆるく広がる風景が気持よい。高い木もなく、ただ空が広いのが、いいねえ。ゆるくて、大らかだねえ。あまり規格化されてない貸し農園らしき状態のあいだに、ところどころ「プロの畑」らしいのがあって、「野菜直売」の旗が立っている(2番目の写真)。てな、ところだ。

023デレデレのろのろ歩き、10数分で、市民の森。ここも、なんとなく、だだっ広くだらしなく広いのが、すごく気持ちよい。なんてのかな、キチンと管理された秩序ある公園というのは、それはそれで美しい。だけど、やはり誰かさんの「美学」を押し付けられるような窮屈がある。人工的であり工学的であり、タイトな美しさといおうか、「自然」に親しむ環境とはちがう。

029ところが、ここは、よくデザインされ管理された公園にはない、どことなく崩れたルーズな「ゆるさ」が自然であり、美しくも気持が和むのだ。「市民農園」のコーナーがあって、どうやら貸し農園のようだ。そばの「親子農業体験教室」の畑では、数名の主婦らしきが、耕運機の使い方を教えてもらっていた。うーむ、なかなか、これも普通の公園にはない、よい景色ですねえ。

けっこう歩いたつもりでウチにもどったが、まだカレーが腹にドッシリ座った感じ。そのまま、寝てしまった。目が覚めたら、のどは渇き、生ビールが飲みたいよ~の気分。ならば「ちゃぶだい」へ行ってビールを飲もうと、また出かける。19時半ごろだったか。

席につくと、大将が「遠藤さんですね」とおっしゃる。2009/11/17「東大宮、「ちゃぶだい」のジャズエイジなモダニズム」を、ご覧いただいていたのだ。初対面ではないが、初対面のように、挨拶。ここの板長さんは、てんぷらが得意だそうで、この日はアナゴ天の特別があったのだが、残念ながらカレーをガツンと食べ過ぎて、チョイと無理だ。ってことで、さっぱり系つまみを注文。ちゃぶだいサラダに、らっきょうのもろみ漬、超メタボ鯵の刺身。もろみ漬のらっきょう、たまらんうまさ、いい酒のつまみ。生ビール2杯飲んで、のち清酒。秋鹿の生原酒を、ゆるく燗してもらって、大事にとっておいたらっきょうをかじりながら飲む。静かな落ち着いた、これぞ、大人の酒でありました。

大満足状態でウチにもどったが、こんな、のんびりなことはめったになく、すぐ寝てしまった。ようするに飲み疲れ騒ぎ疲れがたまっていたのか。

030なので、今日は、のんびりしちゃいられないのだが……。書評のメルマガの原稿締め切りも迫っている。書評のメルマガの連載は、今回で終わりだから、パスするわけにはいかない。連載を始めるときから、初回は江原恵さんの『庖丁文化論』、最終回は玉村豊男さんの『料理の四面体』と決めていたので、そのようにするつもりだ。

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2009/12/01

池袋ふくろから王子で泥酔。

きのう。池袋でチンくんと待ち合わせ「ふくろ」へ。19時ごろだったので、1階は満席、2階カウンターでなんとか座れる。来年の企画のことなどアレコレ。のち王子へ移動。目当ての飲み屋、休みだったり、満席だったりで、けっきょく串の介で2合の燗ドックリを何本かあける。終電で泥酔帰宅。泥酔したが記憶は失わず。ってこともあるのだな。

「わははめし」が更新され、5回目が掲載になった。今回は、チョイ書き方を変えたのが載っている。↑上の「お知らせ」にリンクがあります、ご覧ください。

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