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2010/01/30

横浜橋ロケハン、のち神田神保町「路地と人」。

044「わははめし」が更新され、7回目「魚でギョギョギョ大めしぐい」が掲載されました。↑うえの「お知らせ」にリンクがあります。よろしく~。

きのうは午前11時に、横浜は京浜急行線黄金町駅に集合だった。あたふた準備し、9時5分前ごろウチを出て、11時15分前ごろ着いた。遠ーい、電車賃も片道千円こえた。「わははめし」書籍化の、長尾さん、瀬尾さん、佐々木さんと横浜橋ロケハン。これで、ロケハンは最後、たぶん。

036_2坂東橋側から運河のところまで歩き、もどる。途中で12時ごろ、長尾さんは社に帰る。12時半ごろ、路地の喫茶店マツモトに入る。モーニングセットのホットドッグを頼む。こういうモーニングは、ひさしぶりだ。いつもは、酒のモーニングだからね。佐々木さんが注文のタマゴサンドは、たまご焼きのサンドだった。休憩しつつ打ち合わせ。掲載するレシピの変更と、ともなう台割の変更。取材する都内の大衆食堂も決まる。横浜橋商店街の取材や撮影の場所の候補などを絞る。

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049もう一度、商店街の端まで歩き、候補の店を見直し、確認、商店街事務所に挨拶。

のち商店街を離れ、「健全化」に圧迫され少なくなったピンクゾーンなどを歩き、日の出町へ向かう。途中、腹もすいたことであり、酒が呑めるところを物色していたら、「めし・酒・肴」とある「いもや食堂」を見つけ入ったのが、午後3時半ごろ。ばあさんが1人でやっている、カウンター席10名ぐらいのみ。ビール3本、燗酒2合とっくりをあけながら、あれこれ。佐々木さんは、途中から花粉症状が出る。まだ1月なのに花粉症、これから5月なかばまで。

日の出町から京急に乗り、瀬尾さんとおれは、「路地と人」へ行くため、そのまま地下鉄乗り入れで神保町まで、佐々木さんと横浜で、バイバイ。

路地と人プレオープン企画第一弾『逃げろ!半分書店~国際ブック・アート・ピクニックを西に見て』のイベント、西から帰ってきた見学隊・言水へリオと原田淳子の「ザ大阪スライドショー」ってことで、1月23日(土)に大阪で行われた二つのイベント「OCA!シンポジウムアートの力を信じる。~釜ヶ崎での取り組みを事例に、地域とアート、社会とアートのかかわりをさぐる。そして、世界とであいなおす。」(レポーター:原田淳子)と、「やっぱり本が好き!国際ブック・アート・ピクニック国際交流セミナーブックアートをめぐって」(レポーター:言水ヘリオ)に行ってきた感想とレポート。が、あるのだ。

7時からだが、神保町に着いたのが、チョイと早かったので、東京堂3階に畠中女子を訪ねる。が、いない。前にも、小学館へ行くたびに寄ってみるのだが、いつもいなくて会えない。ま、とくに用があるわけじゃない。本を眺め、「路地と人」へ。けっこう、一杯のひと。まずはビール。

言水さん、原田さんの順に、スライドを使いながら話す。どちらも、なかなかおもしろかった。もっと、ゆっくり聞きたかったが、原田さんの話が終わったのが9時、もう疲れていたので、帰ることに。神保町から地下鉄に乗る瀬尾さんと別れ、水道橋。あーあ、疲れた。

さて、明日は午後4時の明るいうちから、「路地と人」で、おれがゲストの「本と美術について飲酒歓談」ってことなのだが、参加者も定員に達し、なおかつ「どうしても」というモノズキな人もいるようで、定員オーバーになりそうだとか。どうもありがとうございます。ま、気楽に、やりましょう。

とりあえず、そういうこと。

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2010/01/28

疲れましたね。白菜のほっぽり鍋。

はてさて、右サイドバーのコメント、 上田假奈代さんが「現場はなんと混沌としていることか。そして、シナリオのない「劇場」のようです。」と書いているけど、まったくだ。ま、ココルームのある釜ヶ崎ほどは、渾沌とはしていないかも知れないが、めんどうが多い。めんどうな渾沌には、シナリオがない。それでですね、そのめんどうをメールや電話でやりとりしながら片付けていると、それが劇中のセリフになるってわけだ。

しかし、ときどき同じようなことがあるが、メールと電話があるって、あわただしくなると、けっこう混乱する。とくに、おれのような不器用な男は、モタモタしちゃうことがある。これは電話で話せば簡単にすむのだがと思っても、近頃は、けっこうメールなのである。いくつもの違う用件のメールに同時に対応し、その間に電話もかけたりしていると、こんがらがってくる。セリフと舞台をまちがえちゃうのだな。まったく、渾沌だ。

村上航さんの朗読で、瀬尾幸子さんの料理レシピを聴いているうちに、ふと、レシピを「文学的」に見てみたらどうかと思った。レシピなんぞは、実用のもので文学以下と見る文学の人たちは、これを文学として見ることをやってこなかったように思う。もしかすると、よいレシピは、文学的なのではないか?

なので、出かけたついでに古い料理雑誌などをみつくろって買ってきた。そのなかの一冊が、『料理通信』2007年4月号で、特集が「保存版! 100回作った パーフェクトレシピ」だ。なかに、いくつか示唆に富んだ記事があった。「レシピは時代を映す鏡」ということで、「「NHKきょうの料理」がスタートして、今年で50年を迎えます」と、簡単ではあるが「料理番組の変遷」をやっているのも参考になる。

そのことじゃない。パラパラ見ていたら、「料理担当編集者の愛用レシピ」のなかに、「白菜のほっぽり鍋」というのがあった。これと似たものを、キャベツでやっていたが、白菜もよいかもと思う。「成川加名予さんの愛用レシピ」とあるが、成川さんの説明によると平野レミさんのレシピらしい。仕事で疲れ酒で疲れた身体には、「食後、胃に負担がなく満足感が得られる」ってのは、確かによい。今夜は、これにしようと、買い物に行き、白菜と豚バラを買ってきた。

ようするに、切った白菜のあいだに切った豚バラをはさんで、丸く巻くような形で鍋に入れ、塩コショウして蒸し煮、ポン酢で食べる。レシピを、ここに紹介しようと思ったが、もうキーを叩くのもめんどうだ。

と書きつつ、さらに書く。

この「料理担当編集者の愛用レシピ」の料理写真が気になったので、誰が撮影したのか見たら、「MegumiTakei」とある。これ、武井メグミさんだろうな、そんな感じのする写真もあった。

きのうは、仕事の用で、あるひとの携帯に留守電しといたら、夜の10時半ごろ電話があった。なんと、おれの故郷の南魚沼市の、ある酒蔵で仕事をして、呑んで、六日町温泉の旅館に泊まっているのだと。かれはもちろん酔っていて、おれも少々酔っている時間だったから、おれが六日町の生まれ育ちであることを話しながら、酩酊な打ち合わせを無事に?終えた。「寒い」と言っていたが、雪のなかで温泉に入って、コタツで燗酒をトコトン呑むってのも、いいんだよなあ。

かれが行った酒蔵とはちがう酒蔵へ、武井さんたちと取材で行ったのは、もう5年ぐらい前か?4年ちょっと前だな、12月中旬のドカ雪のなか、万盛庵本店で粕鍋を突っつきながら呑んで泥酔した酒がうまかった。

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2010/01/27

対談の収録、泥酔。「わははめし」打ち合わせ、めし屋酒。

一昨日、25日のこと。月刊の『ミーツ・リージョナル』と、発行元の京阪神エルマガジン社のサイトで、木村衣有子さんが連載の「大阪のぞき」が書籍化され、4月に刊行される。その、あとがきと解説のようなものとして、木村さんとおれの対談をやることになった。収録と撮影が、16時から、東京は台東区鶯谷の信濃路であった。

大阪から担当編集の村瀬彩子さんが来た。写真は、『雲のうえ』5号で一緒に仕事をし海水浴もした、齋藤圭吾さんだ。村瀬さんとは、去年と一昨年、大阪で呑んでいるが、齋藤さんは、2007年の熱く暑い「雲のうえ」の夏以来だ。

村瀬さんは、3月に発売予定の「あんこの本」も担当していて、この本は、『雲のうえ』のアートディレクターでもある有山達也さんがアートディレクションを担当し、写真は齋藤さんなのである。そんな関係もあったり。

齋藤さんは、フィルムカメラで撮影してきたが、やはりデジタル対応も必要らしく、デジタル一眼カメラを持って来た。しかし、フィルムだろうが、デジタルだろうが、齋藤さんの仕事ぶりは変らない。対象をグッとジッにらみつけるように見て、カメラを構えると、カメラが眼に装着され顔の一部になる。齋藤さんは全身カメラという感じで、背を丸め、対象に没入する。いやあ、そのカッコイイ仕事ぶりを、ひさしぶりに見た。かなりの色男であるが、仕事ぶりもよいのだなあ。デキル男は、仕事の最中にも色気がある。齋藤さんの撮影でうれしかった。以前にも、このブログで齋藤さんを褒めたことがある。齋藤さんは褒められるとうれしいというから、もっと褒めようと思うが、今日は、これぐらいにしておく。

さてそれで、かんじんの対談のほうは、16時から始まって22時まで、6時間も! ずいぶん呑んだ。対談は、対談というより、齋藤さんも加わって4人の座談、放談となって、ものすごく楽しかったが、はたして、本来の対談の目的にそったものが収録できているかどうかとなると、はて? なにしろ後半は、ほとんど男と女の話になっていたからなあ。ま、不足があったら加筆して、キッチリ仕上げることにしよう。

木村さんがもう一軒というので、鶯谷駅の改札に村瀬さんと齋藤さんを置いて、上野へ。先週末、グラミ会の二次会で泥酔したあたりで、テキトウに居酒屋を選んで入る。この居酒屋、なかなかよかった。23時半近く、おれの終電ギリギリ、上野駅で駆け込みセーフという時間まで呑んだ。

京阪神エルマガジン社「大阪のぞき」…クリック地獄

004やや二日酔いというより呑み疲れが残ったきのうは、15時から小学館で「わははめし」の書籍化の打ち合わせだった。担当編集の長尾さん、制作チーム編集担当の佐々木さん、瀬尾さんとおれ。

瀬尾さんは風邪で、午前に医者に行き、熱のある顔をしていた。全体のテーマや表現の方向を確認し、台割とラフをもとに、前ページの構成、掲載する瀬尾レシピ、商店街や大衆食堂、残りの撮影などについて詰める。5月末の発行予定なので、時間が少なくなってきている、もろもろ段取調整。タイトル案も決まった。

タイトル案は、もう少し作業がすすんだところで告知するが、瀬尾レシピのほかに、商店街の惣菜や大衆食堂のおかずなど、大衆めし満載の、ぜんぶ大衆のめしの楽しい一冊ができそうだ。とやっているうちに、瀬尾さんは元気が出てきた。そして、17時半すぎ終わったら、押上のいこい食堂へ行こうと。

005神保町から押上まで、地下鉄半蔵門線だと、すぐだった。いこい食堂で、おかずをどんどん頼み、たぶん20品近くと小ライス。おれもそうだが、みな腹が空いていることもあり、いくらでも食える。あらためてみると、いこい食堂は、けっこうおかずの種類が多い。カウンター席で1人で食事をするおやじが絶えない。近くの職場だろう制服を着たままの男や、タクシーを前に停めて食べる男…。ワレワレは、ビール、燗酒、焼酎とすすんで、瀬尾さんは風邪を忘れたように元気だったが、それは酒の興奮で、あとでひどいことになっているかも知れない。21時ごろにおしまいにして押上駅で地下鉄に乗る2人と別れ、京成線浅草経由で上野に出て帰る。

とりあえず、こんなところかな。

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ザ大衆食「墨田区業平 いこい食堂」…クリック地獄

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2010/01/25

パンニャでカレー。スロコメ@下北沢で村上航さんの朗読で「わはは」笑う。

昨夜はスロコメ。早く行って呑もうと、18時に着いたが真っ暗。腹も空いていたし、隣のパンニャ。パンニャには、いつでもニッコリ迎えてくれる店長の井上さんがいる。まずは生ビール、初めてキーマカレーとチキンカレーのハーフ・アンド・ハーフを食べた。これが、うまい!病み付きになりそう。

45分ごろスロコメにもどると開いていた。村上さんのいるところ必ずいて、ちかごろは、おれのいるところにも必ずいる、って感じで、土産までいただくようになった更紗さんととみきちさんが、すでに呑んでいた。おれがいるところ必ずいる感じの、まいどの野暮男たちも姿をあらわす。村上さんも到着。みな新年初めてなので、挨拶なんぞして雑談。

更紗さんととみきちさんは、カタギのお勤めで朝早くから残業も多いなか、せっかくの日曜日も駆けつけてくれるありがたい人たちだ。その彼女たち、とみきちさんは、10数年にわたり「能面」を作ることを趣味でやってきた、更紗さんは女の子のキャラが個性的でおもしろいイラストを描く。お2人の作品の展示が、スロコメと同じ須田泰成さん経営の経堂の「さばの湯」である。今月の30日から1週間ぐらいだったかな? その間に、31日など音楽的イベントも予定されているようだ。いま忙しいので、あとで正確に調べて告知します。

村上さんの朗読は、Twitterとスパンメール、そして、「わははめし」の6回目の「貧乏めし」。Twitterは、経堂の「鳥へい」さん。鳥へいさんは、大田尻家の運動会でお会いしたことがあるおもしろいひとだが、その「つぶやき」もおもしろい。それを、村上さんが、さらにおもしろくする。スパンメールは、2つは、はっきりエロものだが、もう一つは、エロではないがとにかくクリック稼ぎをしたいらしいもの。いずれにせよ、なんとか、返信かサイトをクリックさせようという「苦心」や「必死」が伝わる。大笑い。

「貧乏めし」は、最初のおれの文章と、「みそラーメンおじや」「もやしゆかり炒め」だった。おれの文章は「小沢昭一的こころ」調で、瀬尾さんのレシピは田中邦衛調で、ところどころ村上的脚色があって、おもしろかった。「わははめし」の書籍ができたら、またやってもらいたい。

これまで村上さんとは打ち合わせていどしか話す時間がなかったが、少しゆっくり話すこともできた。また、おもしろいことがやれそう。

おれは、本日、木村衣有子さんと大事な対談の収録があるので、あまり飲みすぎないように注意し、かつ早めに帰ろうと22時少し前に退出。

今朝、「わははめし」の7回目、今月末更新分の校正を終えてもどした。今週末ぐらいには更新されるだろう。タイトルは「魚でギョギョギョ大めしぐい」だ。よろしく~。

こうしちゃいられない。

須田さんのTwitter
http://twitter.com/yasunarisuda
パンニャの井上さんのTwitter
http://twitter.com/pannyaCayenne

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2010/01/24

安っぽい存在なおれと高級酒。

008あー、2010/01/13「神田神保町に「路地と人」オープン、飲酒歓談「半酒場」でおれがゲスト。だいじょうぶか。」に告知の、31日の「飲食歓談「半酒場」」は、15名が定員なので、予約が必要。あと残りは2名分だそうです。

えー、高級酒をいただいちゃいました。ありがとうございます。とりあえず画像。

ひさしぶりに、24時半すぎの、ヨツパライ深夜便といきたいところだけど、ねむい。寝ておきてから続きを書こう。→寝ておきての続き。

この酒は、以前にもいただいたことがある、白河良酒会企画の「秘田」の冷やおろし。「高級酒」と書いたが、精米歩合は60パーセントで、醸造アルコール添加のもの。値段も普通酒から本醸造といったところだ。とくに表示はないが、「純米」を謳う「高級酒」ではない。だけど、これは、どう造るのか、香りは高く、チョイと辛口が強いがバランスは悪くなく、熟成の味わいがくっきりしている。高いだけで腰抜けな「純米吟醸」よりよい。

なんですね、このように、「普通」だの「本醸造」だの「吟醸」だの「純米」だのといった表示はやめて、材料や製造関係の表示だけにして、あとは買って呑んで判断するという潔い関係がよいですね。それに、高い価格帯ではなく、普通のクラスで品質を追求する姿勢には、好感がもてますね。その志、「高級」。

酒や食べ物について書いていると、いちばん困るのが、文学や美術や味覚に造詣が深く、「よいもの、うまいものを知っている人」と見られることだ。たとえば、おれに何かを贈ろうと思ったとしよう。なかなか味にうるさそうで、めったなものは贈れない。選びぬいた、あるいは手をかけた、「ほんもの」でなくてはならない。なにしろあのひとは「ほんもの」の上質を好むひとだ。なーんて、思われるのがいちばん困るし、そんなふうに堅苦しく思われるのは、おれの望むところではない。だから、おれはそんなふうには思われないよう、努力している。

とはいえ、根が安っぽい人間なもので、地なのである。努力ナシで安っぽくみられるから楽である。だから、あまり気をつかってもらわなくてよいのです。あいつにはコレでたくさんだ、なんでもよろこんで呑んだり食べたりするんだからと。それなら気安いだろうから、思いついたときにドンドン贈ってくれたら、うれしい。「ほんもの」でなければ「こころ」が伝わらない、なんてのはウソでしょう。もらったものは、何でもうれしい、酒なら合成酒だってうれしい、いづみやの「黒糖焼酎」だってうれしい(あれは安いがゼイタクなものだが)。そう思いながら、タダでもらえるものなら何でもよいと思っている。そんな安っぽい男なんです。すると、悪魔がささやきました「タダほどコワイものはないぞ」。

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2010/01/23

グラミ会。半分しろうと。

001デジカメの記憶をのぞいたら、撮影した記憶のない画像があった。きのうは、18時半から御徒町の居酒屋で、きのうのエントリーに書いたグラミ会だった。1歳未満と4歳の子供を含め、14名ぐらいだったかな? 2時間呑み放題だったので、生ビールから清酒、ガッチリ呑んだ。

もちろん二次会も行った。入った店は、覚えている。御徒町から上野にぬける裏通りの、連れて行ったうめちゃんが前にバイトしていた居酒屋だ。燗酒を呑んだ。だけど、途中から記憶がない。画像は23時ごろで、居酒屋を出て上野駅へ向かう途中にちがいない。この窓の少ない、コンクリートの建物は、なんだろう。あのへんに、こんな建物があっただろうか。でも、あったから撮っているのだな。(もしかすると、東京電力の下谷変電所かな)

003そういうわけで、きょうは、ダメージがひどく、予定していた作業が、まったく片づかない。

言水ヘリオさんの「半分書店」や「半酒場」の影響か、ふらふらした頭で、「半分」「半」って、なかなかよいなあと思う。グラミのような家族経営の食堂というのは、企業経営のプロからみたら、半分しろうとなのだ。半分しろうとでなければできないこと、半分しろうとだからできて、多くの人に感謝されることってのがある。

おれのライター稼業も、半分しろうとだ。あまり多くの人に感謝されることはないが、いわゆるプロとちがう。プロというのは、ギョーカイの常識に従い、あるいは縛られ、型にはまり、だから成功するが、半分しろうとの成功は難しい。もっとも、食堂にしても、半分しろうとは、成功というモノサシとはちがう生き方をしている。

だがね、ちかごろ雑誌を見て気になるのが、半分しろうとの写真だ。すべてイケナイというわけじゃないが、ちかごろは、どちらの雑誌様も予算がないからか、取材・文・写真を同じひとというのが目につく。おれも昨年、ある雑誌に、取材・文・写真を一人でやってといわれ、断ったことがある。ライターだって半分しろうとなのに、写真などドしろうともいいところだ。自分の仕事に責任がもてない。

頼むほうは、デジカメなら、誰が撮っても同じ、とまではいわないが、そういう意識がチラチラする。ま、そういうことで、編集者も半分カメラマンをやったりしているわけだが。それって、オカシイ。あんた編集やデザインのプロか、プロなら人の作品を見る目ってのがあるだろう。って、こんなところに書いても仕方ないな。

あえて半分しろうと写真の、おもしろさやよさがネライなら、よいだろうし、そりゃまあ、よいうまいひともいるが、この写真、こういう使い方をするならプロに撮らせるべきじゃないのという感じの写真が、ちかごろは目立つ。

そもそもビジュアルを追求しながら、写真が半分しろうとというのは、えー半分しろうとなライターなもので月並みの言葉しか浮かばないが、「羊頭かかげて狗肉を売る」って類だと思うなあ。もっとコワイのは、読者も、これでよいと思う悪循環に陥ることか。ま、プロにも、ヒドイのがいる。なにしろ、名刺の肩書でプロになれちゃうのだから。たまんない。もっとも、「ビジュアル追求」というとカッコイイが、本心は写真が多くて文字が少ない方が「売れる」というぐらいの「営業判断」でしかないことも少なくないようだ。「売れる」「原価を押さえる」、それが編集の柱になったら、もはや編集は「しろうと」ではないだろうか。しかし、利益という「結果」を出すのが「プロ」といわれたりする。

そんなこんなでなんだか、おれは「半分しろうと」のまま、そうそう「愚直」にですね、やろうかと。それに、ビジョンが、大事だな。

なにを書いているかよくわからんから、おしまい。
グラミが閉店のときに記念にもらった、グラミのウインドーに飾ってあった、カレライスのサンプル。

005

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2010/01/22

脳みそが大阪をのぞいている。

043来週、大阪をのぞく対談があるもので、脳みそがそちらに傾いている。画像で大阪をのぞいてみる。去年の5月13日撮影。地図ものぞいてみようと、大阪へ行くときは必ず持って歩き、書き込みをしていた地図が、少ない本棚を探しても見つからない。去年大阪へ行ったとき、どこかに置き忘れたのか。見つからないと余計気になるので、狭い家だから、何度も同じ本棚を探すことになるが、見つからない。あきらめは早い方なのに、トシくって執着心が高まったか。忙しいのに、そんなんで時間をつぶしてしまった。

2010/01/20「「アートの力を信じる」…地域とは、好きでもないやつと暮らす場所。」に、いろんな方がリンクを貼ってくださって、アクセスが多い。Twitterの伝播力は、すごいねえ。mixiのリンクからのアクセスも少なくないが、おれはmixiに入っていないから、どんな意見があるのかは、わからない。

地域とのかかわりについては、まだ書くことがある。「草むしりからの地域」とかね。大阪をのぞく対談は、地域にも本にも関係する。そして31日は、地域とのかかわりを象徴するような名前の「路地と人」で、「本と美術を話題に飲食歓談」する。その前に、上野地下街にあった食堂「グラミ」の家族と常連さんの「グラミ会」が、ひさしぶりにある。今月の残りは、地域とのかかわりを、さらにまた、いろいろ考えることになりそうだ。

消えた上野地下食堂街とグラミのことは、こちら。…クリック地獄
閉店は2002年11月だったのか。「グラミ会」がときどきあって顔をあわせていたからか、そんなに前だったかなと思う。かつての看板娘と、その看板娘を射止めたグラミの客だったリーマンの夫は、去年、2人目の子供が産まれ、2児の親だ。食堂はなくなったが、食堂のひとも客も、たくましく生きている。グラミで出会い語り合いさらに人生は豊になった。一緒に飲み歩き旅をし結婚を祝いあい子供の誕生を喜びあい……しあわせものたちよ。

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上=天保山公園から見た、天保山ジャンクション。
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上、下=築港の廃墟、赤レンガ倉庫。老朽化しすぎて再生は無理とか。
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2010/01/20

「アートの力を信じる」…地域とは、好きでもないやつと暮らす場所。

2010/01/13「神田神保町に「路地と人」オープン、飲酒歓談「半酒場」でおれがゲスト。だいじょうぶか。」に告知したように、31日は、神田神保町の「路地と人」の「半酒場」で、ゲストに招かれ「本と美術を話題に飲食歓談」する。これは、15日から始まっている「路地と人」のプレオープンイベントの最終日だ。

その前々日、29日は、「ザ大阪スライドショー」と題するイベントがある。「1月23日(土)に大阪で行われる二つのイベント「OCA!シンポジウム アートの力を信じる。~釜ヶ崎での取り組みを事例に、地域とアート、社会とアートのかかわりをさぐる。そして、世界とであいなおす。」(レポーター:原田淳子)と、「やっぱり本が好き!国際ブック・アート・ピクニック国際交流セミナー ブックアートをめぐって」(レポーター:言水ヘリオ)に行ってきた感想とレポート」というものだ。なんとか都合つけて参加したいと思っているのだが…。

Symposium「OCA!シンポジウム」は、昨年、おれもパネラーで参加した、「場所の力シンポジウム」の主催者だった大阪のココルームが主催する。

「アートの力を信じる。」というフレーズに感じるものがある。ココルームの代表であり詩人である、上田假奈代さんらしい、力強さを感じる。また、「釜ヶ崎での取り組みを事例に、地域とアート、社会とアートのかかわりをさぐる。そして、世界とであいなおす。」にも、ココルームが取り組んできた「アート」というものが、どんなものであるかを感じる。

「場所の力シンポジウム」については、テキトウな報告しか当ブログに書いてないが、「まち」と「地域」と「市場」、コミュニケーションや暮らしなどを、もう一度考え直すキッカケになった。そして、たまたま、そのあとの夏に「日本で最も美しい村」連合の取材を経過して「地域」について考えることがあり、なにか頭の中でスパークした。

けっきょく「まちづくり」だの「コミュニティ」だのなんだのというが、そのたいがいは、「地域」のことではなく、「地域」と錯覚した「まち」、「まち」と錯覚した「市場」や「業界」や「趣味の仲間」のことに収斂している。たとえば、「本好き」「アート好き」がいっとき集まったところで、無意味ではないだろうが、好き仲間をこえる広がりにはならない。もちろん「場所の力」も育たない。と、これは前から言い続けていることなので繰り返さない。

では、「地域」とは何かということを突き詰めてみよう。それは、嫌いなやつとでも一緒に過ごさなくてはならない場所なのだ。「嫌い」というのは極端だが、気が合わない、好みもちがう、そういう集合が地域である。もちろん「地域」には、町村レベルの地域から、アジア太平洋地域といった大きなレベルの地域まである。

よく知っているわけでもないのに、嫌いである、気が合わない、好みがちがうものたちが、どうやってつながるか。そこにアート、あるいは別の言い方をすれば「本と美術」の存在を見つける。それこそ、「世界とであいなおす」ことなのではないか。それがまあ、「場所の力シンポジウム」に参加し、大阪は西成の動物園前通りのココルームを訪ね、その活動を垣間みて、おれなりに気がついた、ココルームのアートだと。ま、アート=表現ということだと、おれは解釈しているが。

いま、とかく、大都会ほど、市場と業界(=カネ)と好きな気の合うひとたちとつながっているだけで生きていけるような錯覚が支配するところであり、「まち」という言葉のなかに「地域」を見失いがちだし、それはアートつまり表現を見失うことになりはしないかと、そんなことを去年の後半ごろから考えている。

「感性」だのといったものでセグメンテーションされた飲食店がはびこる以前は、趣味嗜好の違いなど関係なく、その地域の人たちは、その地域の大衆食堂を利用していた。そこに地域があった。

表現=本やアートに関心があるなら、みみっちい好き嫌いに拘泥するのではなく、「世界とであいなおす」ことに向かいたい。これまで本やアートや美術などクソクラエと思ってきたおれは、そう思うのだった。

それにしても、23日の大阪のもう一つのイベントのタイトル、「やっぱり本が好き!国際ブック・アート・ピクニック国際交流セミナー ブックアートをめぐって」とはなあ。おれも、イチオウ「フリーライター」の肩書だし、本を書いたりしているのだが、「やっぱり本が好き!」って人たちのために書いているつもりはなく、どうぞご勝手にと思いたくなる。「生きている世界とであいなおす!」とでも、いえないものか。それはそれとして、成功を祈りたい。

「OCA!シンポジウム アートの力を信じる。~釜ヶ崎での取り組みを事例に、地域とアート、社会とアートのかかわりをさぐる。そして、世界とであいなおす。」
http://www.cocoroom.org/project/oca/symposium.html

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2010/01/19

『酒とつまみ』南陀楼綾繁「古本屋発、居酒屋行き」取材。

004季刊を謳いながら約10年間に、多くて年2回、近頃は年1回の発行しかなくて有名な『酒とつまみ』、次回は13号になるが、3月中に発行の予定とのことだ。もちろん、誰も本気にしていない。でも、とにかく、その「古本屋発、居酒屋行き」の取材が、きのうあった。

17時、東京・葛飾区亀有駅集合。著者の南陀楼綾繁さん、今回のゲストは岡山県倉敷の蟲文庫、田中美穂さん。そして『酒とつまみ』編集長、大竹聡さん、永世ゲストのおれ。古本屋を三軒まわって、飲み屋へ。苔の本が好調の売れ行きという田中さんは、若い女子だが、いきなり燗酒を頼む酒豪で、大いに呑み、かつ語った。楽しかった。

あとで、もうチョイ詳しく書く。→と書いたあと、20日に追記以下。

『酒とつまみ』11号は、08年9月の発行で、「古本屋発、居酒屋行き」の訪問地は埼玉の蕨、ゲストは「エロ漫画下請け編集者の塩山芳明さん」だった。参加し2008/04/03「埼玉の蕨なんぞが、なかなかよいのだな。」に書いている。

12号は去年の9月の発行、訪問地は東京の大井、ゲストは「イラストレーターの武藤良子さん」だったが、おれは都合が悪く参加できなかった。なので、1年数ヶ月ぶりの「古本屋発、居酒屋行き」だった。南陀楼さんとは、その間に立ち話ていどに会った記憶はあるが、ゆっくりするのはひさしぶりだ。

亀有もひさしぶり。駅を降りるのは、80年代中ごろ以来だから、20数年ぶりか。南陀楼さんに従って、北口に1軒、南口に2軒の古本屋を歩く。いずれも、駅に近い。まいどのことだが、おれは古本屋にも古本にもあまり興味はなく参加している「立場」なので、立ち飲み屋などが気になる。最初から、早く古本屋めぐりは終わって酒を呑みたい気分で、ついて歩いている。

北口からJRの高架沿いに上野方面に数分もどったところにある、ソープの「角えび亀有店」に、ずいぶん感動した。といっても、入浴したわけではなく、その建物だ。木造の古い建物、渋い。1960年代の二階建てのアパートが古くなったような。その窓には、遮光のカーテンがあるが、隅から灯りがもれている。もしかすると、こんなところでは、人情こまやかな女子がサービスしてくれるのではないかと想像するのだった。大竹さんは、なにやら詳しそうだったが、あまり突っ込んだ話にならず、さすがの大竹さんも1か月禁酒した、肝臓γ値の話をしながら歩いた。ほかにも駅周辺に、ソープがぽつんぽつんとあった。「風俗街」のようにかたまってあるのではなく、そして「角えび」もそうだが、いずれも建物は二階建てぐらいで、独特の派手なネオンなども目立つことなく、「まち」に埋もれ地味で控えめに見えた。「角えび」なんぞは、古風の料理屋と見間違いそう。

たしか2000年になる直前ぐらいに閉館になった葛飾区最後の映画館、亀有名画座のあたりは、その後の再開発で、南陀楼さんも、その痕跡を見つけられないほど変っていた。亀有食品マーケットは、外観は健在のようで活気もあったが、なかに入ってみると、八百屋以外は姿を消し、なかば成り行きまかせの物置のようになっていた。

酒場では、いろいろ話がはずんだ。南陀楼さん、大竹さん、おれと3人が顔を合わせて呑むのはひさしぶりなので、ついつい遠方からのゲストである田中さんを置き去りにして話がはずみ、失礼なことをした。だけど、愉快だった。これから、まだまだおもしろいことが、いろいろありそうだ。

コハダの塩焼きなるものを初めて食べたが、酒のつまみによかった。田中さんは、最初から燗酒を頼むひとだが、注げば注がれるままに、呑みっぷりのよい方だった。どうして「苔」に興味を持ったのか聞かなかったが、そのうち本を読むからよいということにしておこう。それより、やはり倉敷のように、それなりの都会と思われるようなところでも、地方では女子が1人で事業を始めることに、世間の目がいろいろウルサイことがあったといった話が、なるほどな~だった。地方経済の衰退は、極端な東京一極集中による弊害という面もあるが、自らの閉鎖的というか保守的な考えや感覚によって、自ら閉塞にはまっている面もあるのだな。それだけに、また地方で女子が1人で、何かを始めて生きていくことの難しさは、東京暮らしからはなかなか想像しにくい。ま、東京には東京の難しさもあるわけだが。

二合トックリを何本あけたか。帰りは亀有から千代田線、北千住でおれだけ常磐線に乗換え、上野に出て宇都宮線で帰った。泥酔なかば記憶喪失帰宅だった。最初の画像は、亀有駅北口。こちらは、あまり景色が変っていない。南口には、ときわ食堂があるはずなのだが、そのあたりは通らなかった。

古本・倉敷 蟲文庫のサイト…クリック地獄

(追記、以上)

スロコメ@経堂、さばの湯@下北沢の店長、須田泰成さんがイベントの告知をするメールが届いていて、見たら、スロコメのところに、こうあった。

◎1月24日(日) チャージなし。19時~
たまらない朗読会。
今回も爆笑スパム・メールの朗読をはじめ、たまらないエンタメな夜です。
ゲスト:村上航さん(猫のホテル/表現さわやか)+エンテツさん

おれが、ゲストだって?何をやるんだろう? そういえば、このあいだ須田さんに、村上さんの朗読を聴きたいから24日に行くと言った、それがゲストになってしまったのか。ってことで、「泥酔論」はやらないが、とにかく行って呑みますんで、ご都合のよろしい方は一緒に呑みましょう。先日スロコメで初めての試みだった、村上さんによるスパンメールの朗読は、すごく好評だったようで、楽しみ。

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2010/01/18

絵を見る場所。見沼区大和田の画廊「こはく」で浜田賢治展。

きのう、さいたま市見沼区大和田にある画廊「こはく」へ行って、浜田賢治展を観た。観ていて気がついたが、浜田さんの絵は、どことなく縄文に通じるところがある。

去年の4月6日に、やはり「こはく」で浜田賢治展にふれ、2009/04/06「「何処から…何処へ」浜田賢治展。土を被った太陽。」を書いた。その「土を被った太陽」という印象が、縄文に通じるのかも知れない。

001画廊というものが、都心の銀座や青山といったところにあるのがフツウと思っているとしたら、それは大いなるカンチガイというものだ。商売上は、そちらのほうが「有利」かも知れないが、絵を見る場所としては、そして絵にとっては、どうだろうか。大和田は、田舎町の景色のなかに、新しい郊外の景色がまだら模様に混じる、都鄙臨界地帯だ。

ここ東大宮から、三角形の一辺を行くように歩いて40分、あるいは三角形の二辺を行くように電車で大宮に出て東武野田線に乗り換えていっても40分ぐらいかかる。行きは歩く気が起きなかった。大和田の駅にも降りたことがないので電車で行った。改札に屋根がのったていどの小さな駅から、このあわただしかった数十年間をゆっくりすごしてきたような景色をぬける。

002昼下がりの「こはく」は、あるじの女性のほかはいなかった。そのへんの「おばさん」という感じの普段着である。テーブルでコーヒーをいただきながら、なぜ、こんなところで画廊を始める気になったのか聞いた。もしかすると、このへんの土地成金の有閑地主夫人の趣味サロンかと思っていたが、大いにちがった。なおのこと、よくこんな場所で(という偏見のほうがおかしいのだが)始め、そして続いているなあと思った。静かなるファンキー。いろいろおしゃべりしながら、浜田さんの作品を見た。そうやっていると、浜田さんの絵が一段とよく見えることに気がついた。

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ガラス越しに、ときどき外を通るひとが見える。あるじは、こうやって前を通るひとを見ているのも、けっこう楽しいと言った。正面の道路は、私道で舗装されていないから、圧迫感がなくていいでしょ。ほら、ごらんなさい、あの電柱の上に鳥の巣みたいなものがあるでしょ、あれは枯れているだけで、暖かくなると緑になるのですよ、どうしてあんなふうに鳥の巣みたいにかたまっているんでしょう、ふつうのツルなら電線にからんでのびていくはずでしょ…。猫が通る、あるじは、その猫の話をする。ゆっくり、のんびり。そうやって外の景色を見ながら話をし、また目を浜田さんの絵にもどす。かれこれ1時間ぐらい静かに時は流れ、ゆるい気分に、身体までほぐれていく感じだった。欲しい絵が2点あった。

気分も軽やかで、東大宮まで、のんびり歩いて帰った。途中の景色も、おもしろかった。「こはく」へは、浜田さんの展示を見に行ったが、これからは浜田さんのときでなくても、「こはく」を訪ねたいと思う。

浜田賢治さんのサイト…クリック地獄


大和田のへんは、麦味噌と関係あるのか、気になっている。
2009/01/09
東大宮-蓮田、東北本線「都鄙臨界地帯」と麦味噌。

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2010/01/17

野暮あるいは貧乏くささの洗練。

2010/01/04「貧乏くさく。」に、今年の年間テーマのようなものとして「貧乏くさく」「貧乏くささ」をあげた。なんでも言ってみるものである。自分で口にしたことによって、思考がさらに展開し、展望がボワ~と開ける。

ちかごろの料理やアートは、これまでの閉塞を脱け出しつつある感じがする。その現象とナゼを、いまは書いている時間がない。とにかく、料理もアートも、その大勢は、しばらく長い間「中流意識」を満足させるものとしてあったといえる。それが、ここんとこ、かなり変ってきたと、大いに感じるのだ。

で、いま、これだけ忘れないように書いておく。かつて、「中流意識」を「反省」とまではいかないが、お調子にのった「中流意識」に大いに疑問が発せられた時代があった。その疑問の中身は、いろいろあったのだが、1985年1月に発行された『「分衆」の誕生』に、こんな話がある。これは、84年9月4日のサンケイ新聞夕刊に載った、富田達彦早大教授のコラムを要約したものだ。

「いまの世の中には金持ちと貧乏人しかいない。働かなくても何とか一生食えるだけの資産をもっていない人は、いくら一流企業に勤めていても、いくら一流ブランドを身につけていても、無産階級、つまり上中下の「下」のはずだ。無産階級のくせに消費生活だけが中流とはどう考えてもマンガチックだ。金持ちは金持ちであり、まぎれもなく貧乏人は貧乏人である。にもかかわらず国民と九割を占める貧乏人が「自分は中流だ」と考えるのは、政治がうまくいっている(?)証拠だと思う」

この指摘については、いろいろ検討してみたいが、「中流意識」を満足させる中流幻想の洗練は、なくなりはしないだろうが、ちがう方向が生まれている。それを、おれは「野暮あるいは貧乏くささの洗練」という感じで、とらえようとしている。中流幻想の洗練は、コンプレックスが動機にある、野暮あるいは貧乏くささの洗練は、生活(貧乏生活)を楽しむビジョンに動機がある。後者には、大規模で仔細な仕組みや仕掛けは必要ない。

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2010/01/16

祝「路地と人」@神田神保町オープンのちスロコメ@下北沢。

008めちゃくちゃ忙しいわけじゃないのだが、資料を見たり、出かけたりで、パソコンに向かってブログの更新をやれなかった。もう隠居ジジイのごとく、花鳥風月を愛でながら、ゆるりと教養書なんぞを読み、己の文化度を高め、原稿書きなどしていたいと思っていたが、そうはいかない。いろいろありますなあ。「上」じゃ、チマタのことなどほったらかしで権力闘争だから、チマタの人間は自分たちで、なんとかするよりしようがない。

けっきょく、「黒い森」か「黒い一郎」、とりあえずどっちに「闇将軍」をやらせとくかということなんだろう。生活に関わる食料政策だって、利権に左右されている時代だ。どうせキレイな政治なんかありゃしないのだから、政党補助金は、廃止にするのが先。その点、一部マスコミの一郎を追い落とせば「黒い闇」がなくなるかのような論調はオカシイ、というか意図は丸見えだな。それに、一郎の説明も不足だが、おなじように検察の説明も、人を逮捕するにしては、かなり不足ではないか。ま、このあいだの衆議院選挙直前にもあったことであり、何かゆさぶりをかける意図かもしれないし、逮捕してから言質をとり証拠を整えようというのだろうけど、限りなくクロに近くても、そんなことが許されていいのか。そこのところは、数々の「冤罪報道」で反省したはずのマスコミは、なぜもっと追及しない。とりあえず、一郎の幹事長続投を黙認しながら、政党補助金の廃止をねらうほうが、チマタのためにはよいと判断しておこう。でも、マスコミは、政党補助金の廃止、なぜ言い出さないんだろうね。マスコミが言うように、「黒い闇」が存在するなら、そこに何百億もの税金を出すのは、おかしい、4億どころの話じゃない。おれは、いっときの「義憤」など、興味ないね。

いきなり話がそれた。きのう「路地と人」のプレオープンイベントが始まったので、祝い酒を持って行った。前に一度、言水さんが展示をやった部屋と同じだった。言水さんと共同運営をする方は3人で、みな若い女子だ。

場所も展示も小粒だけど、ほんとうにやりたいことがあってやっているのって、いい感じであります。ようするに、何をやりたいかなのだな。それが、たっぷり詰まっていた。それに、この神保町の、ゆっくり時間が過ぎている感じの裏路地がいいですね。ゆっくりと過ぎていく「路地と人」を愛する人たちが交流する場所になると思う。アートも、変っていくだろう。

007とりあえず、画像だけ載せておく。そうそう、この建物は、1964年の建築だそうだ。

ビールを飲みながら言水さんと歓談。おれが前からやりたかった展示イベントをやるのにちょうどよい感じの空間なので相談する。これから、言水さんたちと企画をつめ、今年中に実現させたいと思う。もちろん、食がらみ、大衆食堂がらみ、温めていた企画なので、しかも言水さんたちの協力も得られたら、きっとおもしろいことができそう。小粒なスペースで大いに静かに発奮。

006しかし、みなさん、けっこうアートな人たちなのである。まったくアートど素人であり、本も美術もクソクラエなんて平気で言っているおれが、このひとたちと31日に本と美術について「飲酒歓談」をやるのである。げははははは。

今年初めて東京へ出た日だったので、スロコメにも顔を出した。ちょうどお好み焼サービス付き異業種交流的イベントの日だった。いろいろな人に会った。年末の慰労会で楽しく飲んだ、スロコメの隣のカレーライス屋さんパンニャの井上さんにも挨拶し、チキンカレーをスロコメに出前してもらい食べた。帰りの電車に乗ったら酔いがまわった。

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2010/01/13

神田神保町に「路地と人」オープン、飲酒歓談「半酒場」でおれがゲスト。だいじょうぶか。

一昨日から、ずいぶん日にちが過ぎているような気がするが、まだ一昨日は一昨日なのか。とにかく、メールや電話が多かったのは、世間は3連休の最後の日、10日だったかな。やっぱり、世間には、3連休だというのを知らなかったやつもいるわけで。知っていても、連休だからこそ、これを片付けたいというやつもいるわけで。

「忙しい」といっても、作業的なものでなく、集中して考え、メールや電話で打ち合わせの繰り返しの、この2,3日だった。こういうのは、なんか疲れる。

さて、この間に決まった、イベントの告知を一つ。

当ブログに、ときどき登場の言水制作室主宰の言水ヘリオさん。パソコンに向かってコツコツ編集制作をしながら、「「酒を呑む=美術」から考える」といったオルタナ美術部の展示を企てたり、神保町地域イベントで「半分書店」をやったり、いろいろ活発な動きをしてきた。こんどは言水制作室が入っている、1960年代的木造事務所アパートで空き室になっていた隣室を借り、展示やイベントを行うスペース「路地と人」を共同で運営するのだという。

正式のオープンは4月上旬だが、今月15日からプレオープンイベントのようなものが始まる。『逃げろ!半分書店~国際ブック・アート・ピクニックを西に見て』というタイトルで、「大阪の「やっぱり本が好き!国際ブック・アート・ピクニック(2010年1/19~31)」の開催にともない、東京でも本と美術について「書店」「展示」「飲食歓談」という3つのセクションを通して考えてみよう、という試みです。」だそうである。

それで、ですね、その「飲酒歓談」のゲストってのが、おれになったんですよ。ま、おれは、言水さんから依頼があったとき、例によって、なんかおもしろそう~という尻軽安請け合いしたのだけど。このおれが、本と美術について! って、いいのか。

なんだか、自分でも、このミスマッチがおもしろそうな予感がある。「泥酔論場外泥酔編」として、やちゃうかなという気分。もちろん、本と美術についても、ちゃんと歓談するぜ。なにしろ、「酒を呑む=美術」なんだから。

本なんか、このあいだ、うらわ美術館の「オブジェの方へ 変貌する「本」の世界」の展示のように、読むんじゃなくて、燃やしたり刻んだりしたら、じつにスッキリすると思う。本も美術も、えらそうにしすぎ、気どりすぎ。

おっと、そいうことは「飲食歓談」でやるとしよう。

■1/31(日)16:00~19:00 (会費1,000円 1 drink & 1おでん付。定員15名)
飲食歓談「半酒場」

「路地と人」ってのがいいね。それに「半分」とか「半」てのも、いいね。

詳しくは、こちらをご覧ください。ほかにも、いろいろあるから、大いにご参加を。また何か新しい出会いを期待したい。

「路地と人」ブログ…クリック地獄

当ブログ関連
2010/01/05
うらわ美術館「オブジェの方へ 変貌する「本」の世界」は、突き抜け爽快。

そうそう、ついでといっては失礼だが、言水さんが『四月と十月』に連載の「画廊の外の展覧会」に書いていたことから興味を持つきっかけになった、埼玉県秩父市在住の画家、浜田賢治さんの「浜田賢治展」がある。昨年も、拝見したが、おれのウチから歩いても電車に乗って遠回りしても40分ぐらいか、イチオウ地元になる見沼区大和田のアートギャラリー「こはく」で、今週の16日に始まり25日まである。「こはく」は、渋谷・青山だのといったオシャレ地方にあるギャラリーとちがって、周囲の風景からして、いかにも「田舎」な感じのギャラリーですねえという味わいがあって、とてもよい。オシャレに気どったギャラリーとは違う環境でみる、浜田さんの絵も、いいものさ。

浜田賢治さんのサイト…クリック地獄

当ブログ関連
2009/04/06
「何処から…何処へ」浜田賢治展。土を被った太陽。

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2010/01/12

藤田家族の『秋冬野菜で、しあわせごはん。』が届いた。

0022010/01/05「愛媛・西条市の「藤田家族」が発行の『秋冬やさいで、しあわせごはん。』を注文した。」に書いた、そのレシピ集が届いた。農業、料理、表現、出版の閉塞を破る薫風を感じた。って、この「薫風」は、奥さんの名前の薫さんとかけた。

レシピ集に収録されている野菜の、藤田家族の「畑がかり」は藤田敏(ふじた・さとし)さん、そして「食卓がかり」が奥さんの藤田薫(ふじた・かおる)さんなのだ。薫さんは、「旬の野菜が畑からあふれたときは、”ばっかり食”の楽しみ方に知恵を絞る。」ってことで、なるほど、こういう食べ方もできるのかという料理が紹介されている。

自然に身を寄せた生活ほど、カブがとれだすとカブ「ばっかり」の食になり、ダイコンがとれだすとそればっかりになる。かつては、まるで敵討ちのように、そればっかりを食べる話があった。しかし、料理の環境も技術も、かなり変った。「”ばっかり食”の楽しみ方に知恵を絞る」ことが、できて楽しみになれば、野菜との付き合い方も変るし、農業との付き合い方も変るだろう。

一緒に送られてきた、菜園である「藤田家族」と販売の野菜を紹介する手製のチラシには、「2006年春に開園した家族経営の小さな農場。というよりも、「店舗のない八百屋さん」です」と自己紹介がある。

「自給自足の、こぢんまりした菜園です。」の見出しに、こう書く。「私たち「藤田家族」は夫婦と小学生2人。2006年に就農し、米と野菜を作りながら暮らしています。特定の品目を市場や組合に大量出荷するのではなく、自分たちの食べたい野菜をあれこれ少しずつ栽培しています。ひとつの畑に同時に育つ大根、白菜、人参、ほうれん草などの野菜を、掘り上げて保存してある芋類などと一緒にお届け――。何十軒かの家庭菜園をまとめてお預かりしている、そんなイメージの畑です」

「地産地消スタイルの菜園です。」「農薬や化学肥料を使いません。」といった、ことも述べているが、そこにはオキマリの説教臭さや「正義」の押し付けがましさがない。

つまり藤田家族の自らのヴィジョンを述べているのであり、藤田家族にはヴィジョンがある。レシピ集とは実用のものであるが、レシピ集の冒頭の説明にも、そのヴィジョンをレシピに具体化する説明がある。見出しだけ紹介しよう。「野菜をまるごと食べる。畑をまるごと食べる。」「かさを減らして、たくさん食べる。」「「定番」や「常識」にとらわれない。」「調味料や油にもこだわる。」「玄米や分搗き米を食べる。」「小麦を上手に使う。」というものだ。

この内容は、よくあるような、「エコな暮らし」や「むかしの暮らし」のススメではない。そもそも、「エコ」だの「むかしの暮らし」だのといった表現は、目を通したかぎりでは、どこにもない。栄養だの健康だのという言葉も、目を通したかぎりでは、見当たらない。

ヴィジョンは、教条とちがって真似をする必要はない。従う必要はない。それぞれの現実によって、判断し、自らのヴィジョンと実際に生かすこと。ヴィジョンというと、すぐデカイ話になりやすい。デカイ話でも小さい話でもよいが、それがコンプレックスを動機にしていては、あまり展望は開けないように思う。

けっきょく、簡単に言ってしまえば、これまでの多くのことはコンプレックスを動機としてきたように思う。その結果は、どん詰まりの長く続く閉塞と迷走だろう。それでも、まだコンプレックスを動機として生きるのか、それともコンプレックスから脱け出し、何かのヴィジョンを生む方向へ向かうのか。新規就農者であろうがなかろうが、そのへんのことが問われているような気がする。

「薫風」と書いたが、爽快感のわくレシピ集だ。そして、「藤田家族」のように、やさしい、あったかい。

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2010/01/11

『四月と十月』届く。排除、包摂、逃走とか泥酔とか。

005昨年末に発行になっていた牧野伊三夫編集長の『四月と十月』21号だが、なにかの手違いがあったらしく、送りなおしていただき今朝届いた。今号から、本文32ページ、定価税込み、525円。おれの連載「理解フノー」は3回目で、「何もしなくていいじゃないか」のタイトル。

忙しいので、あとで書き足す。


「四月と十月」公式サイト…クリック地獄
ザ大衆食「『四月と十月』と古墳部と「理解フノー」」…クリック地獄

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2010/01/10

トークライブ「泥酔論」inスロコメ@下北沢、リンク集。

チョイと必要があったついでに、下北沢のスローコメディーファクトリーで行ったトークライブ「泥酔論」に関する当ブログのリンク集を作った。

スローコメディファクトリーのサイトはこちら。…クリック地獄
下北沢のスロコメに続いて経堂に「さばの湯」を開店し大忙しの店長、須田泰成さんは、Twitterを駆使し、さらに大忙しの模様。…クリック地獄

「泥酔論」、ことしはゆるりとやりたいので、次回は3月のつもり。なのだが、もしかすると今月末ごろに、都内某所で「泥酔論番外編」のようなことをやることになるかもしれない。

2008/12/14
大竹聡『もう一杯!!』と「いまこそ泥酔を!」。泥酔な日、泥酔教は続くか?

2009/02/04
せまる2月7日泥酔論トークライブ。

2009/02/08
トークライブでジェネギャップに呆然、泥酔のなか「野暮連」を構想す。

2009/03/22
盛況御礼、トークライブ泥酔論3回目「野暮」。

2009/04/26
今日は泥酔論4回目。

2009/04/24
スロコメ@下北沢トークライブ泥酔論第4回「スナック」は、明後26日。

2009/04/27
盛況御礼。昨夜の泥酔論「スナック礼讃」。

2009/06/28
盛況御礼、第5回泥酔論inスロコメ。ミーツ別冊『酒場の本』。

2009/07/22
25日の泥酔論inスロコメ@下北沢では、史上初か?村上航さんによる瀬尾レシピの朗読をやる。

2009/07/23
25日の泥酔論は18時半からに変更。瀬尾幸子さん、村上航さんと新しいおもしろい試み。

2009/07/26
村上航さんの朗読は、ほんと、すばらしかった。6回目の泥酔論、スロコメ@下北沢。

2009/08/21
明日のスロコメ「泥酔論」は、村上航さんの朗読で勝負だ。

2009/09/01
今月のスロコメ「泥酔論」は、26日。ゲストは「酒とつまみ」代表編集人の渡邉和彦さん。

2009/09/14
26日のスロコメ「泥酔論」と「酒とつまみ」12号発刊の動向。

2009/09/27
スロコメ@下北沢「泥酔論」盛況御礼。

2009/10/08
「泥酔論」のこと。

2009/10/26
盛況御礼、昨夜のスロコメ@下北沢「泥酔論」9回目。

2009/11/29
盛況御礼、忘年会化した今年最後のトークライブ「泥酔論」。

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三連休、酒も休まず。

なんで世間は3連休なのかと思ったら、15日の成人の日がなくなったというのか変更になったというのか、とにかく知らなかった。そのように世間のことを忘れるぐらい真剣に仕事に集中しているのですね。

きのうの17時過ぎ、さて夕めしの買い物でもするかと家を出た。歩いているうちに、東口の「ちゃぶだい」へ行くことを思い立ち、足がそちらに向いてしまった。ほんのチョイと一杯のつもりで行ったのだが、白子ポン酢に豆腐の味噌漬けを頼んで、完全に飲む体制。生ビールのあと、貧乏くさく残り酒を混ぜ合わせたものを燗してもらう。これが、うまい!って、そういうことにはならないんだな。大将に今日のオススメの酒を選んでもらい、3種類を一合づつ飲む。どれも、なかなか、貧乏くささに反して、うまい酒だった。

常連さんらしい方が、故郷の酒らしい、茨城は日立の清酒の生にごりを一升さげてきて差し出す。それを大将はすぐ開け、グラスに分け、いる客に配った。ということで、ご相伴にあずかる。

そんなんで、チョイとのつもりが、2時間チョイとも居座ってしまった。大将が、西口にある「昭和酒場」を名のる「コタツ」という居酒屋を教えてくれた。かなり突っ込みどころのある「昭和酒場」らしいが、ここも東口の「おかめ」のように、燗を頼むとカップ酒をカップごと燗をして出すとのことだ。東口に「ちゃぶだい」西口に「コタツ」と昭和な名前、さらにカップ酒を出す東口の「おかめ」西口の「コタツ」、なんだか東大宮はおもしろい。

帰り、ちゃんとスーパーで買い物をして帰った。

年賀状は出さないのだが、けっこういただいているし、また今年も「エンテツ年頭消息」なるものでも作って出そうかどうか思案するでもなく思案。今年、おれは67歳になるのだなあ。67歳というと、70歳にぐっと近い感じだ。いけねえ、こんなブログを書いている場合じゃない。もっと死ぬ前に酒を飲まなくては。

と、バカを考えながら、しばらくほかのことがおもしろいのと目先のゼニ稼ぎで、ヤル気が低下しのびのびになっていた本の原稿をやろうかという気が上昇している。今年は、5月に瀬尾さんとの共著も出すのだから、なんとなく気分は本に向かっているようだ。編集さんからの年賀状にも、「仕切り直して」とあったし、ここいらで仕切り直しはっけよいで、波に乗って本の原稿をやるか。しかし、またまた新年早々から、いろいろおもしろそうな誘いがあって、ホイホイ乗りそうな腰の落ち着かないこともあるし。はてさて、とりあえず、目先のゼニ稼ぎもしなくては、酒も飲めなくなるし……。ああでもないこうでもない、とりあえずモンダイは、今晩の酒だな。

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2010/01/09

上野・国立博物館「土偶展」のちデレデレ飲み。

Dscn7246きのうは晴れて比較的あたたかだった。数日前、スソアキコ古墳部長からメールがあって、上野の東京国立博物館の「土偶展」に行くぞということだった。午後1時の集合時間に博物館の前に集まったのは、スソさんのほかに、畑井智和さん、川原真由美さん、瀬尾幸子さんといったコアなメンバーたち。その中に混ざって鑑賞。もちろん、終わってからは酒場で飲んでオシャベリ、こっちのほうが長かった。

どうせガラガラだろうと思っていた土偶展は、大変な混雑だった。ま、半分ぐらいは、いまどきどこへ行ってもいる、おれのような50~70歳あたりの中高年だった。ということは、約半数ぐらいは、ちがうのである。

これまで、古墳部でアチコチに行ったが、古墳部とはいえ、主な興味は縄文から古墳の時代なのだ。縄文時代がいつからかは、いろいろ「説」があって、キリスト教紀元前1万数千年ごろから前1万年ごろのあいだに始まって、前1千年ぐらいまでとみておけば、だいたいよいだろうか。古墳時代は「3世紀半ば過ぎから7世紀末までの約400年間」というあたりが定説のようだ。

そういうことは、どーでもよいのだが、縄文式土器といわれるものを、これまで見た感じでいうと、食に関わるものが圧倒的に多く、その次におおいのが土偶なのだ。そして、縄文式土器のなかでも、火焔土器と土偶の分布は、中部日本から東北、北海道にかけて特徴的だ。

ということは、どーでもよくて、この土偶展は「国宝」という言葉が頭についている。つまり、土偶のなかでも、「国宝」に指定されている、函館市尾札部町の著保内野(ちょぼないの)遺跡から出土した「中空土偶」、八戸市の風張(かざはり)1遺跡から出土した「合掌土偶」、茅野市尖石縄文考古館の「縄文のビーナス」の三点の現物が揃っているというのがウリなのだ。

でもね「国宝」じゃなくても、いいの。みんな「国宝」みたいなもの。「国宝」というか日本列島に生きてきたものたちの「宝」ですよ。「縄文時代の草創期(およそ13,000年前)に出現した土偶は、顔や手足の表現がない単純・小型のものでしたが、乳房がみられるので女性像であることがわかります」と、買ってきたカタログにある。それらは、実際に見たところ、握った手のひらにおさまるぐらい小さなもの。そりゃまあ、おれたち、人間のカタチを描くときは、頭や手足がつくのがアタリマエという「知識」が身についている脳ミソからすれば、おかしなカタチだけど、現物を見ていると、それを指でこしらえている縄文人が、そこにいるような感じがする。

002で、今回、初めて見て、激しくおれのこころがゆらいで、そうですねえ、恋しちゃったのよ愛しちゃったのよのドキドキだったのが、カタログから撮影して載せるけど、「立像土偶」なのだ。これは、山形県舟形町西ノ前遺跡から出土したという縄文中期の土偶だ。いやあ、惚れ惚れした。だいたい、かっこいいのだ。ほかの土偶はたいがいずんぐりむっくり、太くはないにしても短足で肩が張っていたりなのだが、これはスラリとしている。足長なのだ。あきらかに、ほかの傾向とはちがう。それに、なんだろうね、目鼻口や、身体の細かな特徴が、デフォルメされているというか抽象化されているというか、なんでそうなったかはわからないが、とにかく、うわあああああ惚れちゃったよ~、なのだった。

縄文だけでも約1万年、弥生以後はコンニチまで、まだ、たかだか3千年弱。

土偶展を見てから、平成館の常設である考古展へ行き、縄文、弥生、古墳の時代のものを見たが、縄文を見たあとの弥生を見ると、弥生の人間は、なんだかつまらんなあと思うのだった。それは「稲作」がもたらしたということになっているのだが、それだけなのだろうか。

とにかく、スソさんと畑井さんという、めっぽう詳しい人がいるわけで、ワレワレは土偶の前で、ああでもないこうでもないと鑑賞しつつ15時過ぎまで。2時間以上、立ち続けで、そりゃまあくたびれが出ます。

川原さんと畑井さんが上野の森の学生時代からご愛顧の甘もの屋へ行くが、たくさんの待ち行列。と、その隣のビルの地下に「ライオン」がある。やはり酒場に入るようになっているんだな。生ビール、ピッチャーで。じつに、どうってことない話ばかり、それがおもしろい。

しまいには、そこで17時すぎから新年会をやっていた団体さんが、どうも気になる。40名ぐらいはいそうな、その部屋のドアは開きっぱなしで、トイレに行くときに中が見える。ワレワレみなトイレに行って来ては、あの人たち、どういう人たち?ということが話題になる。ほとんどがオヤジ、みなスーツだけど、フツウの会社にしては女子が1人もいない、たいがい事務の女子がいるものでしょう。それに、まったく不況など関係なさそうだ。

あれこれ「推理」するが納得の結論が浮かばない。そのうち、アチラは飲み放題の2時間が終わったらしく出て行く。その姿を見て、ますます気になる。けっこう胸板の厚いオヤジが多い。どこかの会社のラグビー部とか?なにかの体育会系のOB?とか。そして、ついに、彼らが全員退場したあと、ワレワレの1人が、立ち上がり、店員のところへ行って聞いた。それも、すごい、そこまで気になるか。やはり、そういうシツコイ興味の持ち方から、いい表現が生まれるのだろうか。観察力と想像力と探究力。

聞きに行った人は、夜中に、鍵をマンションの部屋の中に置いたまま犬の散歩に出て入れなくなり、たまたま通りがかった警察官にすがる。その話がまたおかしいのだが、それを書いていると長くなる。そういう人が、その新年会の人たちが、どういう団体さんなのか店員に聞きに行った。その勤め先がわかった。みな納得した。ナルホド、そういう会社の人か、なら不況は関係ないだろうし、あんな体格の男も多いようだ。と、一度は納得した。だけど、それは、女子が1人もいない状態まで納得させるものではなかった。そういう職場でも、いまは女子もいるでしょう。そこで、なぜ女子は1人もいないのかということについて話し出した。……そんなんで4時間。

ま、古墳部は、たいがいそんなもので、それが楽しいのですね。それにしても、「立像土偶」はよかった。

最後に、2007年の古墳部北東北の旅でおれが撮影した写真から、青森の三内丸山遺跡で発掘の土偶。
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2010/01/07

フルクサスキット流?猟奇キット。料理とアートに共通すること=教条は、いらない。

00709年のうちに仕上げようと思っていた2つの企画書は、2つともイマイチのところで策がみつからず、年を越していた。ところが、なーんと、うらわ美術館で「オブジェの方へ 変貌する「本」の世界」を観たおかげか、それとも昼のゆず風呂が効いたのか、一気にうまい方法がみつかった。あとは、書き上げるだけ。

おれの頭を沸騰させフニャフニュにさせた、その展覧会には、前に書いたようにフルクサスの作品が展示されていた。「フルクサス1」「フルックス・イヤー・ボックス2」「フルックスキット」である。「フルックス・イヤー・ボックス2」「フルックスキット」は、箱や鞄に、8ミリフィルムとそれを見るためのビュア、カードや葉書やマッチなどの作品を編集した集合作品だ。

フルクサスのキットというと、おれは兵庫は明石の幻堂出版のなかのしげるさんにいただいた、『秘蔵版・猟奇玉手箱』を思い出す。ってわけで、持ち出して、写真を撮った。

これは、川崎ゆきお画業30周年記念出版として、川崎ゆきお監修により、幻堂出版が編集制作し、2001年7月末に発行されたものだ。

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「フルクサスキット流?猟奇キット」なんて書くと幻堂さんに叱られるかも知れないが、その「収録一覧」は、つぎの通り。

1.川崎ゆきお全集7『真猟奇王・大阪ダンジョン』川崎ゆきお(A5判176頁)
2.少年少女世界猟奇名傑作『2001年猟奇への旅』幻堂特別編集(A5判176頁)
3.ガリ版復刻オフ印刷版『少年少女猟奇の友』ガリ出版幻堂謹製(B5判50頁)
4.VHSビデオ『新実録猟奇娘・オクトパスよ永遠に』『走れ!ロマンよ・実録猟奇娘』他収録 幻活動写真商会(約70分)
5.データCD『川崎ゆきお漫画ライブラリ』川崎ゆきお制作(Windows版)
6.雑音楽CD『驚異の猟奇ミュウジック』~猟奇王のテーマ他収録(約60分)
7.豆漫画本『猟奇王外伝・少女恋唄』川崎ゆきお(B7判20頁)
8.豆漫画本『激走!! リョーキウサギちゃん』川崎ゆきお原作つぼたたもつ漫画(B7判16頁)
9.カバー猟奇ステッカーシール8枚セット
10.猟奇王缶バッジ(川崎ゆきお又は堀内亜紀のどちらか一点)
11.猟奇王カルタ/猟奇王トントン相撲/猟奇マスク(組立紙付録)
川崎ゆきお直筆サインイラスト入りミニ色紙
*以下、部数限定品のため収録されてない場合があります。
13.三十周年記念タオル(先着200枚で終了、ご了承下さい。)
14.ムーヴィプログラム『オクトパスよ永遠に』(先着100部で終了、御了承下さい。)
15.「リョーキウサギ」フェルトバッジ(先着50点で終了、御了承ください。)

というもの。この箱には全部入っていた。ガリ版刷りの復刻がある一方で、フルクサスの時代にはなかった、ビデオやCDなどが制作され、2001年ごろに可能な、多様なメディアや技法で猟奇王の世界が表現されたキット。これはもう、フルクサスも真っ青のキットだと思う。おれが、ナゼこれをいただけたのか思い出せないが、箱には「127」の印がある。限定何箱の発行だったかは知らない。たいへん貴重な表現であり、また日にちが過ぎるごとに、ますますこの箱と幻堂さんの存在を大きく思う。

幻堂さんは、表現者らしい活動をし、WEBサイトやブログなどもやっていたが、最近何年か更新もなく、表現活動は停止しているようだ。つい先日、知り合いのサイトを見たら、トップページに幻堂さんが写っている画像があって、とにかく生きているらしいので安心した。有名ではない、偉そうなこともいわず、チョイとふつうにはやれない仕事を残すひとがいる。幻堂出版のなかのしげるさんも、そうした1人だろう。まさに幻のような方だ。

川崎ゆきおさんは、難病を得て一時はかなり悪かったようだが、ちかごろは「川崎ゆきおサイト」を見るかぎり、ご健勝の様子だ。

川崎ゆきおさんが創出した「猟奇王」を知らず、「猟奇」という言葉から、教条的な偏見を持つひとは、「川崎ゆきおサイト」をご覧ください。…クリック地獄

で、「料理とアートに共通すること=教条は、いらない」に話はつながるはずだったが、メンドウになったので、これでおわり。

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2010/01/06

久しぶりの北浦和、志げる。

002きのうは、浦和のうらわ美術館へ行ったついでに、帰りは京浜東北線に一駅乗って北浦和の「志げる」へ行った。一昨年10月に、こっちの東大宮へ引っ越す前は北浦和だったし、「志げる」は駅に近く帰り道だったので、顔なじみになる程度には、寄っていた。そうそう、取材もさせてもらい、御世話になったこともあった。だけど、東大宮からだと、大宮で乗り換えてワザワザ行くという気分には、なかなかなれない。ま、大衆酒場というのは、そういう「近所遣い」「地元遣い」のものだろう。

ってことで、浦和へ出たときぐらいは寄ってみようと、ちょうどきのうは志げるの今年の営業開始日だったそうで、しかも開店早々の17時ごろに入った。ま、ひさしぶりに、「いつもの志げる」をやって、新年お年玉みやげまでもらって、いい気分で帰ってきたってこと。志げるは、あいかわらず賑わっていて、18時ごろには一杯になっていた。けっこう、けっこう。

店内のガラスの冷蔵庫には、まいどの豚ちゃんの頭があった。あたりまえのことだが、ここで見る豚の顔つきは毎回ちがう。

だいぶ以前に撮影した豚ちゃんの頭は、ザ大衆食「北浦和 志げる」にある。…クリック地獄

前回のエントリーに追記をたくさん書いちゃったので、きょうはこれぐらいにしとこ。
新年早々、読み込まなくてはならない資料がたくさんあって、せっせテキトウに目を通している。

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2010/01/05

うらわ美術館「オブジェの方へ 変貌する「本」の世界」は、突き抜け爽快。

007とくに美術や音楽は、しばらく言葉にできない興奮を味わうことがある。きょう行って来た、これが、そうだった。「本」の世界を考えるときはもちろん、アートや料理や酒やウンコやセックスを考えるときも、これを観るまえとあとでは、かなり違うことになるだろう。ま、おれの場合、それぐらい刺激的だった。といっても、さっそく、帰りは、赤ちょうちんでやきとんに酒と、たいしてかわりばえのしない風俗だったが、肉体のなかはフツフツ煮立っていた。アルコールで。

いやあ、じつに爽快な気分。便秘は、ほとんどないが、便秘から解放された気分。偏頭痛も、ほとんどないが、偏頭痛から解放された気分。ま、「本」にしろ「アート」にしろ、なにかにとらわれて固まりやすい自分の頭を破壊するためにあるんだな。ナマリのように重く固まった脳みそが破壊された瞬間、スカッとするわけだ。

しかし、うらわ美術館は、まえにもフルクサス展だのなんだの観て思ったが、破壊的におもしろい展示をする。安い!大人500円!

画像は、買うつもりはなかったのに、観ているうちに欲しくなって買った、カタログから。最初の画像は、カタログの表紙で、最後の画像とおなじ、床に焼いた本をたくさん重ね並べた作品。遠藤利克さん(おれとは関係ない)による「敷物―焼かれた言葉―」。焼いたときのタールのようなニオイも漂っていた。

B4サイズの大きな版のカタログの最初の序にあたる文章を、うらわ美術館学芸員・森田一さんが書いている。タイトルは、「オブジェの方へ――展覧会の入口あたりの断片的な話」。その冒頭に、この展覧会の企図のようなものを述べている。「ダダイズム、シュルレアリスムを境にして、20世紀の美術は大きな変革を迎えた。それと同じように、「本の美術」も挿絵や装丁という範囲にとどまらない、より広く多様な表現へと拡張していったと言える。美術がそうであったように、「本の美術」もまた素材や技法の多様性を、つまり表現の可能性を求めて拡張していったのである。そしてその方向の一つとして、あるものは「オブジェの方へ」向かったと言えるだろう。本展ではそのような「本の美術」の一端を、収蔵作品の中から展覧しようとするものである」

おれはそんな企図など、まったく知らずに行った。昨年の何月だったか、なにかのフリーペーパーでこの展覧会の紹介を見たときに、なんやらおもしろいオブジェが載っている「本」を集めたものでおもしろそうと思ったこと、そして作者のなかに、「福田尚代」という名前を見つけたとき、おおっこれはゼヒとも行って見たいと思った。昨年末、言水ヘリオさんから、「言水近況他」というメールが届いて、「すでに開催中ですが、来年1月24日まで、うらわ美術館にて「本」の展覧会が行われています。『etc.』発行時に「日記にゃっき」という連載コーナーでお世話になっていた福田尚代さんが出品しています。」とあった。言水さんは、『福田尚代 初期回文集』の制作もしている。おれは言水制作室へ遊びに行ったとき、それを一冊頂戴していた。その前に『四月と十月』で編集部が福田尚代さんを訪問する記事を見て、おもしろい回文を作る福田さんに、大いに興味を持っていた。

さてそれで、展示場に一歩入って、「海外の作品から」のコーナー、最初の2つの作品を見たとき、おれの脳みそは一挙に沸騰した。というのも、「未来派デペーロ 1913-1927」の作品は、ボルトとナットで綴じられているのだ。その解説、「ボルトという工業部品を取り入れることによって、本を機械のように見せる装丁となっているのである。まさに機械文明を賛美した未来派らしいオブジェ本と言える。」

「なんやらおもしろいオブジェが載っている「本」を集めたもの」ではなく、「本」をオブジェにした作品の展示なのだ。

つぎは「未来派の自由態の言葉 触覚的、熱的、嗅覚的」というタイトルで、「本書は、マリネッティと、未来派で活躍した陶芸家ダルビゾラとによる造本史上画期的な本である。」「アヴァンギャルド・ブックの中でも最も貴重な本の一つ」とのことだが、まるでブリキの鎧か塊のような「本」なのだ。これに類する展示は、ほかにもいくつかあったが、さらに解説を引用しよう。「本書の頁と背は、リトグラフが施された金属板(ブリキ)でできている。ダルビゾラは、糸も糊も使わないこの金属本の製本技法を開発するのに数カ月もかかったという。」

いやはやイヤハヤ、そのようにスタートする展示は、おどろきおもしろの連続。これ「本」というより、カナモノ彫刻じゃねえのと思うものがあったり。「表紙には、「触ってください(エンテツ注=作品はフランス語)」とラベルとともにラヴァーフォームでできた乳房が貼り付けられている」、乳首をコチョコチョと触ってみたくなる、笑えるものがあったり。

「海外の作品から」の次は、「国内の作品から」のコーナー。

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上の画像は、福田尚代さんの作品。やっぱり、回文のように、おもしろい。「福田尚代にとって、読書は美術体験であるという。彼女は日々多くの本に親しむ中から、2003年以降、本を用いた作品を積極的に制作するようになった。」ってことで、「本に白や緑の糸で刺繍をした「刺繍シリーズ」の一つ」だの、「文庫本の小口を彫刻刀で削るように彫り羅漢に見たてた」羅漢シリーズだの。「彫刻」の削ったところが、よほど切れる彫刻刀を使っているのか、まるで粘土を削ったようになめらかな仕上がりで、そこだけアップにして見ても、何ページも重ねた紙を削ったとは思えない。と、妙なところに感心したり。

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3番目のコーナーは、「箱・鞄」。以前、フルクサス展にもあったような気がする、ジョージ・マチューナス編の「フルックサス・イヤー・ボックス」など(上の画像)。下の画像の右ページは、「大岡信と加納光於によるこの作は、1年数ヶ月をかけて40点が制作された。函型のオブジェの内部には臓器をイメージさせる16の部品が組み込まれているが、その構成や配置はそれぞれのエディションによって1点ずつ異なっている。」「函というイメージが決まった後、加納は各地を歩いて部品を集め、大岡はハガキに詩を書き付けて加納へ送ったという。」

とにかく、右から見たり、左から見たり、おもしろいのなんの。おれは、あまり「アートな心」はないから、単純におもしろがっていた。

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4番目のコーナーは、「焼く」のテーマで、「本を陶土に浸して黒く焼いたシリーズや、何も手を加えず1000度以上の高温で焼いた白い本のシリーズなどがある。焼かれた本は、当然のことながらもはや情報を運ぶ媒体としてではなく純粋にオブジェとなり、その物質性を際立たせている。」ってことなのだが、そのまま焼いたら灰のクズになるんじゃないかと思うのに、どういうことなんだろう、そうじゃないのだなあ。高温で、色は抜けているのに、ページが重なった紙の形は残っている。どういうこと? と、「美」とは関係なさそうな不思議を考えたり。

「焼く」で、出版不況の本を焼いて、本と出版の葬送かと思いきや、最後のコーナーは「展開と広がり」で、その最後の展示は、「敷物―焼かれた言葉―」なのだ。

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愛媛・西条市の「藤田家族」が発行の『秋冬やさいで、しあわせごはん。』を注文した。

おととしの9月、北九州からの帰りに愛媛県西条市に「藤田家族」を訪ねたことは、すでに書いた。

2008/09/17
百姓になって3年、毎日出荷の休日なし愛媛・西条市「有機菜園 藤田家族」。

藤田さんは、「38歳からの百姓志願~実践編。」というブログを続けている。「霊峰・石鎚を仰ぎ、瀬戸内の陽光を望む愛媛県西条市、「有機菜園 藤田家族」無農薬・無化学肥料の野菜と暮らし。」だ。

藤田さんのブログは、ほぼ毎日見ているが、畑や野菜の生育の様子がわかる画像と一緒に、藤田さんの百姓生活が伝わり、いつも農業を身近に感じることができる。

そのブログに、ときどき藤田家族の食卓が紹介されていた。どれも、とてもうまそうだった。そこからレシピ集が誕生したとの記事が、昨年末の12月30日にあった。


2009年12月30日
秋冬やさいで、しあわせごはん。

藤田家族の食卓から、レシピ集が生まれました。
「野菜をまるごと食べる、畑をまるごと食べる」をテーマに、人参、大根、かぶ、里芋、さつま芋、青菜類、水菜、白菜を主役にした約50の料理を選びました。ふだんうちで食べている(=薫がつくっている)おかずと、ごはんもの、麺類、お菓子も少し。旬の野菜をまるごと使いきって楽しむヒントに。
『秋冬やさいで、しあわせごはん。』●A5判/32ページ/全カラー/綴なし。500円+送料120円(2部以上も実費)。お申し込みは藤田まで。ゆうき生協でも取り扱ってくださっています。


……とのこと。年末で、なんとなくあわただしかったので、藤田さんからいただいた年賀状へのお礼も含めて、きのう手紙で注文した。

藤田さんは、10年以上、東京の実力ある出版社で編集者をしていた。どうやら、その腕を生かしての自家本らしい。きっと、よいレシピ集にちがいない。おれは、2冊注文した。

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2010/01/04

貧乏くさく。

このブログは、毎年年間テーマみたいなものを決めていた。とはいえ、覚えているのは年頭のころだけで、しだいに忘れてしまう。去年は、そんなものがあったかどうかも、思い出せない。えーと、記憶にあるところでは、「好食」とか「キモめし、キモ酒」とか……。

今年は、「貧乏くさく」やりたいと思う。

おまえは、いつも貧乏くさいじゃないかといわれるかもしれないが、ならば、さらに、「貧乏くさく」やりたい。

そもそも昨年3月7日の大阪市立大学都市研究プラザ高原記念館におけるシンポジウム「場所の力――歩きながら考える」で、「都市の隙間――<貧乏くささ>の居場所をめぐって」の報告をしたときから、「貧乏くささ」は気になっていた。

「貧乏」というと、すぐあってはいけない劣ったことのように見なされる。だけど、貧乏とは、在るものなのだ。それを優劣のモノサシで見るのが間違っている。優劣のモノサシをあて、たとえば「都市再開発」のように、貧乏くささを「負の現象」として、排除しようとする。「貧乏→排除」という構造は、誰も否定できない経済成長戦略として機能してきた。貧乏くさい景色、それはたいがい「昭和レトロ」といわれ、「あのころは貧しかったけど心は豊かだったよね」なんていう、おためごかしの「神話」がふりまかれつつ排除され、オシャレに装った実務的な街路が生まれ、レプリカな「昭和レトロ」商店や商店街が造られてきた。

貧乏は在るものであり、その居場所は排除されるべきものではない。問題は「貧困」であり、「貧困」が解決されるべきなのだ。が、しかし、貧乏を否定し豊かさへ向かうことによって、貧困を生み出す構造は免罪されてきた。

という問題を「貧乏くさく」追及しようというのではない。

014先年末、梅屋敷商店街で、駄菓子屋を見た。最初から駄菓子屋だったのか、菓子屋が駄菓子屋化したのかは判断つかないが、駄菓子を売っている菓子屋があった。その建物も内装、それから菓子を入れるガラスの容器など備品にいたるまで、まさに「昭和」な古さだった。「貧乏くさく」過ぎ行く年月とまちの生活を抱えて、熟して熟しきって枯れに向かう豊かさを感じた。「貧乏くさく」かっこいい。

一方、約1年ぶりに見る年末年始の秩父路では、道路の両側に休耕田や耕作放棄地が一段と広がっていた。なんとも見るに耐えない「貧乏くさく」荒れ果てた景色だった。

「貧乏くささ」も、いろいろにあらわれる。その背後には、豊かさの追求や、経済成長だの、貧困があることもある。

今年は、「貧乏くささ」を考えるには、いい年になるだろう。素晴らしい「貧乏くささ」を考えたい。おれは、十分貧乏くさい男けど、さらに「貧乏くさく」やりたい。ちょうど、いま掲載中の「わははめし」の6回目は「貧乏めし」だ。ホッピーなんか、ずいぶん貧乏くさいものだぜ。

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2010/01/03

大晦日、雪の秩父路、厳寒の元旦。

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浮世に生きるかぎり、浮世の義理というものがある。大晦日は正午過ぎに東大宮を発ち、熊谷でJRから秩父鉄道三峰口行きに乗換え、秩父へ向かった。途中、長瀞あたりから雪が舞い始めて、秩父駅に着いたときには、景色もかすむ横殴りの雪だった。そもそも義理とはメンドウなものだが、なにも雪で歓迎されることはないだろうと、自虐的な気分でバスに乗り込む。

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バスは山間を走る。行くたびに、よくぞこんな厳しい山奥に住み着いたものだと思う。ま、もっと寒い高地や北極圏に住み着いているひともいるのだから、おどろくことはないのだが、人間の歴史を不思議に思う。

着けば、酒を飲むだけだ。イチオウ、みなおれが作る鍋を期待しているようなので、大晦日の晩も元旦の晩も鍋を作り鍋奉行をつとめるが、ほかにやることはない。幸い、紅白歌合戦を見るひとはいないので、あのテレビ番組に義理で付き合わされずにすむから助かる。ひたすら、好きなだけ飲んで、好きなだけ寝る。しかし、室内の温度は12度をこえることはない。そういうところでも、人間は、けっこう楽しく生きられるものなのだな。おれは、酒さえあればだが。

元旦は晴れたが、気温は上がらなかった。2日は、晴れて気温も上がり温かだった。義理を果たして帰る。

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今年の年賀状、ビジネス戦士たちは、厳寒を覚悟のようだ。おれより2つぐらい年上だが、「ビジネスの前線」といったところで活躍の男子は、「最悪の政治・経済環境の中で、事業を如何に存続することができるかが問われる年のようです。限界に挑む!をテーマにスタートします、体調には充分なご配慮をしてください」とあった。うへへへ、70歳近くになって「限界に挑む!」とは、元気がいい。ま、よかろう、おれも、やろうじゃないか。って、飲酒の限界に挑むのだ。いやいや、ビジネスの存続もね。厳しい環境の中でも、人間は楽しくやれるものである。

ってことで、新年明けましておめでとうございます。本年も、よろしく。

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