グラミ会。半分しろうと。
デジカメの記憶をのぞいたら、撮影した記憶のない画像があった。きのうは、18時半から御徒町の居酒屋で、きのうのエントリーに書いたグラミ会だった。1歳未満と4歳の子供を含め、14名ぐらいだったかな? 2時間呑み放題だったので、生ビールから清酒、ガッチリ呑んだ。
もちろん二次会も行った。入った店は、覚えている。御徒町から上野にぬける裏通りの、連れて行ったうめちゃんが前にバイトしていた居酒屋だ。燗酒を呑んだ。だけど、途中から記憶がない。画像は23時ごろで、居酒屋を出て上野駅へ向かう途中にちがいない。この窓の少ない、コンクリートの建物は、なんだろう。あのへんに、こんな建物があっただろうか。でも、あったから撮っているのだな。(もしかすると、東京電力の下谷変電所かな)
そういうわけで、きょうは、ダメージがひどく、予定していた作業が、まったく片づかない。
言水ヘリオさんの「半分書店」や「半酒場」の影響か、ふらふらした頭で、「半分」「半」って、なかなかよいなあと思う。グラミのような家族経営の食堂というのは、企業経営のプロからみたら、半分しろうとなのだ。半分しろうとでなければできないこと、半分しろうとだからできて、多くの人に感謝されることってのがある。
おれのライター稼業も、半分しろうとだ。あまり多くの人に感謝されることはないが、いわゆるプロとちがう。プロというのは、ギョーカイの常識に従い、あるいは縛られ、型にはまり、だから成功するが、半分しろうとの成功は難しい。もっとも、食堂にしても、半分しろうとは、成功というモノサシとはちがう生き方をしている。
だがね、ちかごろ雑誌を見て気になるのが、半分しろうとの写真だ。すべてイケナイというわけじゃないが、ちかごろは、どちらの雑誌様も予算がないからか、取材・文・写真を同じひとというのが目につく。おれも昨年、ある雑誌に、取材・文・写真を一人でやってといわれ、断ったことがある。ライターだって半分しろうとなのに、写真などドしろうともいいところだ。自分の仕事に責任がもてない。
頼むほうは、デジカメなら、誰が撮っても同じ、とまではいわないが、そういう意識がチラチラする。ま、そういうことで、編集者も半分カメラマンをやったりしているわけだが。それって、オカシイ。あんた編集やデザインのプロか、プロなら人の作品を見る目ってのがあるだろう。って、こんなところに書いても仕方ないな。
あえて半分しろうと写真の、おもしろさやよさがネライなら、よいだろうし、そりゃまあ、よいうまいひともいるが、この写真、こういう使い方をするならプロに撮らせるべきじゃないのという感じの写真が、ちかごろは目立つ。
そもそもビジュアルを追求しながら、写真が半分しろうとというのは、えー半分しろうとなライターなもので月並みの言葉しか浮かばないが、「羊頭かかげて狗肉を売る」って類だと思うなあ。もっとコワイのは、読者も、これでよいと思う悪循環に陥ることか。ま、プロにも、ヒドイのがいる。なにしろ、名刺の肩書でプロになれちゃうのだから。たまんない。もっとも、「ビジュアル追求」というとカッコイイが、本心は写真が多くて文字が少ない方が「売れる」というぐらいの「営業判断」でしかないことも少なくないようだ。「売れる」「原価を押さえる」、それが編集の柱になったら、もはや編集は「しろうと」ではないだろうか。しかし、利益という「結果」を出すのが「プロ」といわれたりする。
そんなこんなでなんだか、おれは「半分しろうと」のまま、そうそう「愚直」にですね、やろうかと。それに、ビジョンが、大事だな。
なにを書いているかよくわからんから、おしまい。
グラミが閉店のときに記念にもらった、グラミのウインドーに飾ってあった、カレライスのサンプル。
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