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2010/01/18

絵を見る場所。見沼区大和田の画廊「こはく」で浜田賢治展。

きのう、さいたま市見沼区大和田にある画廊「こはく」へ行って、浜田賢治展を観た。観ていて気がついたが、浜田さんの絵は、どことなく縄文に通じるところがある。

去年の4月6日に、やはり「こはく」で浜田賢治展にふれ、2009/04/06「「何処から…何処へ」浜田賢治展。土を被った太陽。」を書いた。その「土を被った太陽」という印象が、縄文に通じるのかも知れない。

001画廊というものが、都心の銀座や青山といったところにあるのがフツウと思っているとしたら、それは大いなるカンチガイというものだ。商売上は、そちらのほうが「有利」かも知れないが、絵を見る場所としては、そして絵にとっては、どうだろうか。大和田は、田舎町の景色のなかに、新しい郊外の景色がまだら模様に混じる、都鄙臨界地帯だ。

ここ東大宮から、三角形の一辺を行くように歩いて40分、あるいは三角形の二辺を行くように電車で大宮に出て東武野田線に乗り換えていっても40分ぐらいかかる。行きは歩く気が起きなかった。大和田の駅にも降りたことがないので電車で行った。改札に屋根がのったていどの小さな駅から、このあわただしかった数十年間をゆっくりすごしてきたような景色をぬける。

002昼下がりの「こはく」は、あるじの女性のほかはいなかった。そのへんの「おばさん」という感じの普段着である。テーブルでコーヒーをいただきながら、なぜ、こんなところで画廊を始める気になったのか聞いた。もしかすると、このへんの土地成金の有閑地主夫人の趣味サロンかと思っていたが、大いにちがった。なおのこと、よくこんな場所で(という偏見のほうがおかしいのだが)始め、そして続いているなあと思った。静かなるファンキー。いろいろおしゃべりしながら、浜田さんの作品を見た。そうやっていると、浜田さんの絵が一段とよく見えることに気がついた。

003_2

ガラス越しに、ときどき外を通るひとが見える。あるじは、こうやって前を通るひとを見ているのも、けっこう楽しいと言った。正面の道路は、私道で舗装されていないから、圧迫感がなくていいでしょ。ほら、ごらんなさい、あの電柱の上に鳥の巣みたいなものがあるでしょ、あれは枯れているだけで、暖かくなると緑になるのですよ、どうしてあんなふうに鳥の巣みたいにかたまっているんでしょう、ふつうのツルなら電線にからんでのびていくはずでしょ…。猫が通る、あるじは、その猫の話をする。ゆっくり、のんびり。そうやって外の景色を見ながら話をし、また目を浜田さんの絵にもどす。かれこれ1時間ぐらい静かに時は流れ、ゆるい気分に、身体までほぐれていく感じだった。欲しい絵が2点あった。

気分も軽やかで、東大宮まで、のんびり歩いて帰った。途中の景色も、おもしろかった。「こはく」へは、浜田さんの展示を見に行ったが、これからは浜田さんのときでなくても、「こはく」を訪ねたいと思う。

浜田賢治さんのサイト…クリック地獄


大和田のへんは、麦味噌と関係あるのか、気になっている。
2009/01/09
東大宮-蓮田、東北本線「都鄙臨界地帯」と麦味噌。

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