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2010/02/28

うけネタになるおもしろさ、北埼玉名物「いがまんじゅう」。

002_2あんがタップリ入ったまんじゅう、それをさらに赤飯でくるんだ。いや、赤飯のにぎりめしかと思って、かぶりつけば、中に、あんがタップリのまんじゅうが入っている奇怪。

続き文章あとで。

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2010/02/27

誇り高き生き方の歴史。『カツオでにぎわったころ 聞き書き御前崎の歴史』NPO法人[手火山]編。

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きょねんの9月12日、御前崎のNPO法人[手火山]の招きで「カレーライスとねこまんま」について語った。その[手火山]から、この本が送られてきた。地に足をつけて生きてきた人たちからの聞き書きは、どれも他を圧倒する充実した内容を持っているが、この書は、さらにまた一味も二味もちがう。

それは、たぶん、NPO手火山の理事長である川口博康さんが、まえがきにあたる文章で書いていることが、大いに関係しているとおもう。つまり、「お年寄りに「誇り」をよみがえらせる方法はないだろうかと調べていくうちに見つけたのがこの「聞き書き」」という方法であると。これは、単なる「カツオでにぎわったころ」の、おもいで懐古話ではない。

川口さんも、普通は「お年寄り」といわれる70歳だが、ずーっと漁業で生きてきた、誇り高き「海の男」である。お会いしたときも、かつての海の仲間が「時代の変化の中で「誇り」をなくして」いくことが、とても苦痛である、なんとかしたい、と話していた。

監修・発行に、埼玉大学共生社会教育センター・藤林泰研究室、名古屋市立大学人文社会学部・赤嶺淳研究室、北海道大学院文学研究科・宮内泰介研究室が名を連ねている。この関係者とNPO手火山が主催した「聞き書き講座」の参加者が、聞き書きや構成の作業などをやったと思われるが、とてもうまくまとまっている。レイアウトも読みやすく、優れた作品に仕上がっているとおもう。

A5版百十数ページ。第一部 かつお節をつくる。第二部 海に生きる。第三部 かつお節生産をささえる。御前崎を働き生きた13人の老男女の、静かだが熱い語り。

82歳、手火山式でかつお節をつくりつづけているひとがこういう。「だれかに継いでほしいという気持も、今はそんなにありません。なんせ大変な仕事なのでね。熱くて汚い作業はやりたがらないですよ。わたしの時代で終わってしまうのでは、と思っています」「わたしが今までやってきたかつお節づくりは、本当に大変な仕事です。熱いし、汚いし、手間はすごくかかりますし。それでもやってきたのはお客さん、お得意さんがいるからです」「「味がちがう、おいしい」とか「これ以外は駄目」とか。一言なんですが、いわれるとやめることができません」

昭和40年代には50軒あった、御前崎で江戸期から続いた手火山式かつお節づくりは、いまでは3軒残すのみ。おどろいたのは64歳のこのひとの話。「工場を閉じたのは、もう今から三十年くらい前です。近所にも二、三軒工場はあったけど、うちよりもはやく閉じてしまいました」「でも、かつお節も水の問題がなかったら、やっているお宅があったかもしれないですね。すごいにおいですよね、排水がね。うちなんかもずいぶん悩んでいたみたいです。昔はよかった、迷惑にはならなかった。その当時はどこのうちでも川に排水を流していたんだと思います」「でも今はそんなことできないと思います。だんだんと環境問題、公害問題などが話題になりはじめて、汚いものを川に流せなくなった」「でも、水を処理する施設をお金をかけてつくってやるわけにもいかないっていうことでした」。

美しい水、きれいな空気を望んで、良質のおいしいかつお節と、その技術を失ってきた。何かを得れば、何かを失う。何かを望むときは、同時に失うものをよく考えなくてはならない。ただキレイであればよいというだけでなく、汚いものを排除すればよいというだけでなく。

NPO手火山のサイト
http://www.npo-tebiyama.org/


関連
2009/09/13
観音崎[NPO手火山]の招きで「カレーライスとねこまんま」を語る。
2009/09/15
御前崎の御前崎の民宿と鰹節とナマリと熱いシルバーたち。

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2010/02/25

北区十条の「てんしょう」で、「わははめし」書籍化すべての撮影が終わる。

005124日は、きょねんの6月に始まった、小学館webサイト連載の「わははめし」と、その書籍化のための撮影の最後の日だ。場所は、北区は十条駅そば、十条銀座商店街を入ったところにある大衆食堂「てんしょう(天将)」。前日は、横浜橋商店街で午前10時半スタートで、夜は「世紀の呑み会」で宇都宮線終電で遅かったが、そんなことができたのは、「てんしょう」に午後2時半の集合だったからだ。

2時20分ごろ着いたら、すでに、瀬尾幸子さん、佐々木香織さん、写真の齋藤圭吾さんはいて、なにやら食べていた。おれは、ただちに生ビール。とにかく暑くて、ビール日和だった。続けて2杯呑んだ。長尾さんも到着。

008「てんしょう」は14時半から16時まで休憩時間なので、そのあいだに撮影をさせてもらうのだ。入ったばかりのときは、テーブル席の中央部分を、男たち6名ほどが、酒を呑みにぎやかにしていたが、出て行った。もう一組、水商売らしい男女3人がいたが帰り、撮影がスタートした。掲載したい料理を作ってもらい、店内の雰囲気や、厨房や家族のみなさんを撮影。

じつに楽しい取材あんど撮影だった。昭和22年(1947)開店の、この店を切り盛りするのは、72歳と70歳の2代目ご夫婦と、45歳の3代目ご夫婦。このご家族が、すごくよいのだ。それは、まあ、お客さんがよく知っていることだろう。先ほど出て行った6名ほどの男たちもそうなのだが、午前10時の開店から、休み時間になる午後2時半まで、いつづけの客も少なくないとか。

017_2おぼん一つにも、歴史の積み重ねがあった。昭和22年(1947)開店のころから、小さな改修があったぐらいで、ほとんど変ってないという厨房は、天井が高く広々として働きやすそうだった。そこから生み出される、うまいめしは、戦後の大衆食堂の味や家庭の味を語るのに、ふさわしい。そのことは本に書くとして。ご家族の、そしてご家族と客との会話の当意即妙が、この店の、おいしい「おかず」でもあるのだな。

たとえば。休憩時間が終わる16時の10分ほど前に入って来た2人の常連さんは、毎日か一日おきぐらいには来るという、地元の方だった。その1人がワレワレに「なんの本の取材?」と聞いた。すると間をおかず、厨房の中から72歳の2代目ご主人が、「エロ本!」と応えた。爆笑。そんな笑いが、いつ来てもある。

16時過ぎ、最後に、「てんしょう」の前で、瀬尾さんとおれの撮影があって終了。16時半ごろ店を出て、長尾さんは帰り、残った4人は、もちろんこれで終わらない。商店街をブラブラ散歩のち、銭湯「十条湯」で一風呂浴び、齋藤酒場へ。18時半ごろだったが、すでに9割ぐらいは埋まっていて、一か所だけ4人座れるところがあった。

最初は生ビールで乾杯。さあ、それからは、もう呑み、しゃべる。なにしろ、佐々木さんは、昨年6月からの撮影を仕切り、また書籍化にあたっての企画の詰めや変更など、たくさんのメンドウを背負ってきていただけに、大変だったであろうし、かなり解放された様子で、ぐいぐい燗酒を呑んでいた。もっとも、その間に、おれにあとは文章をちゃんとやれよと念を押すことも忘れてなかったのだが。ともかく、あとは、佐々木さんとデザイナーさんとおれの作業で、最後の山を登るというわけだ。

21時半ごろ、カラオケへ行こうということになる。勘定したら、なんと、燗酒だけでも15本も呑んでいた。ってことで、歩き出したら酔いがまわり、カラオケを探しているあいだに、路上で誰かさんはすっ転ぶ、誰かさんは「ここで一曲うたわせてもらいます」で歌う。カラオケどころではなくなりつつ、カラオケめざして池袋を過ごし新宿へと行くが、ますますカラオケ無理状態の酔いが深まり。そうしてグダグダドロドロになって、おれが新宿で乗った電車は、宇都宮線の最終に間に合わず、大宮からタクシーだった。

でも、ここまでは、いい仕事ができた。って、おれは、これからが勝負なのだが。なにより、いい料理と、いい写真で、書くのが楽しみだ。

この日の爆笑オコトバ。「私を巡礼して」(by 瀬尾)、「私、悪いけど先端は苦手だから」(by 佐々木)。

関連
ザ大衆食「北区十条銀座 てんしょう(天将)」…クリック地獄

013昭和30年代的大衆食堂のメニュの一つの特徴は、ビーフステーキ(ビフテキ)があることだ。この事実は、あまり語られないが、そのころの大衆食堂には「ハイカラ」な文化を継承しているところが少なくなかった。松本清張の小説などは、その場面をうまくとらえている。いま、このメニューが残っている大衆食堂は少ない。

一切れ食べてから撮影したので、盛りは崩れている。あまりバタくさくない味覚であるがゆえに「和風」をおもわせるし、いわゆる西洋料理のそれとは一線を画す「おふくろの味」という味覚なのだ。高度成長期の大衆が食べていた「肉料理」は、たいがいそういうものだった。味覚の「洋風化」は、遅々としているのであって、パンや肉食の普及イコール味覚の洋風化というのは短絡すぎるとおもう。

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2010/02/24

横浜橋商店街取材のち新宿で「世紀の呑み会」泥酔帰宅。

056小学館Webで連載の「わははめし」書籍化は、まだタイトルは決まっていないが、「大衆めし」をテーマにして、瀬尾幸子さんとおれの共著になる。瀬尾さんの大衆めしレシピと、ちまたの大衆めしである、商店で売られている惣菜、大衆食堂のめしとおかずなどを、そのう、「気どるな力強くめしをくえ!」という感じでまとめるのですね。働き生きる人びとのめし、ここにあり、ってことです。

ってことで、きのうは横浜橋商店街に10時半集合だった。おれは、8時半ごろウチを出て、東大宮駅の喜多で立ち食いそばを食べ、51分の湘南新宿ライナーに乗った。横浜で京急に乗換え黄金町。歩いて、10時半チョイ前に、待ち合わせ場所である横浜橋商店街の阪東橋側の入り口に着いた。すぐに、版元の編集、長尾さん、制作チームの編集の佐々木さん、瀬尾さんが到着。そして、写真の齋藤圭吾さん。

そう、横浜橋商店街と都内の大衆食堂の撮影は、齋藤さんにお願いしたのだ。北九州市発行の『雲のうえ』創刊号「角打ち特集」で、喝采を浴びた素晴らしい写真を撮り、おれがライターをやらせてもらった5号「食堂特集」でも素晴らしい写真を撮っていただいた。予算が少なくて申し訳ないのだが、齋藤さんに引き受けていただいて、じつに心強く、またひさしぶりに組んで仕事ができるので、うれしかった。

以前にロケハンをしたあと、惣菜を扱っている店を5店選んで取材の段取を整え、取材をリードしてくれたのは佐々木さん。みんな気合も呼吸もあい、取材も撮影も、きわめて、うまくいった。偶然だったが、選んだ店の開店が、80年前、50年前、30年前、20年前で、そのまま商店街の生きた歴史になるというぐあいで、ついていた。

商店街の雰囲気写真と、扉や著者プロフィールに使う瀬尾さんとおれが一緒に歩いている写真なども撮影。なにしろ、よい被写体が、いくらでもあるのだから、齋藤さんはずいぶんたくさん撮って、あとで選ぶのが大変そうなほど。途中で、路地の喫茶店「マツモト」で2回休憩、版型の変更にともなう台割の変更を確認。など打ち合わせもすませ、15時半過ぎに終了。

さて、まだあるのだ。前々から、中原蒼二さんから誘いがあっては、お互いの時間の調整がつかないでいたのだが、やっと牧野伊三夫さんと3人の呑みが、夕方から行われることになっていた。中原さんは「世紀の呑み会」と呼んだ。

時間がない、きょうは、続いて大衆食堂の取材。あとで書く。

045続き(25日追記)。中原さんと牧野さんと3人だけで呑むなんて、めったにないことだ。実際、いつもほかの誰かが一緒だったと思うから、これが初めてかも知れない。だけど、めったにないからと、瀬尾さん、齋藤さん、佐々木さんも誘って、「世紀の呑み会」へ向かう。

合流する場所は、新宿1丁目の酒場に18時半。中原さんと牧野さんは銭湯に入って、そこへ行くという。ワレワレは横浜橋商店街から関内までフラフラ歩き、横浜で湘南新宿ライナーに乗換え新宿へ。お2人より早く着いてしまったが、酒場の方が、大口の予約などもあり予約だけでふさがって入れない。とにかく腹も空いていたので、近くの北京飯店に入る。すごくメニューの多い中華食堂。もちろんビール、なぞの「北京丼」なるものを食べたりしながら、お2人と無事に合流。

牧野さんのリードで、風林会館前の路地の「上海小吃」へ。「火鍋」堪能、紹興酒をぐいぐいあけ、大いに歓談。21時すぎ、満腹満足。出て次の店。瀬尾さん、齋藤さん、佐々木さんは帰り、3人でション横の「みのる」。角のソーダ割りを呑みながら、しみじみ大人の男の話しをかわす。が、途中から、眠りそうな感じと覚醒のあいだを行ったり来たりする状態。23時すぎ、中原さんもおれも終電時間で、出る。宇都宮線の最終で、泥酔朦朧帰宅。

この日の爆笑オコトバ。「その言葉を抱いて寝ます」(by 牧野)

071画像の「上海小吃」。この路地の先を左に曲がると風林会館の前に出るが、まっすぐは、すぐに突き当たりで、かつてはその左側に「板門店」という焼肉屋があった。一階が六畳一間ていどの小さな家だった。たしか70年代なかごろ、30歳前半のころ、よく通った。マッコリを頼むと、床下から、ビール瓶に新聞紙をひねった栓をしたそれを出してくれた。

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2010/02/22

きょうから中野の「やどカフェ」が、フランスパンサンドイッチの提供を開始。

←左サイドバーのリンクにある「旅人文化なんでも版」なるブログだが、「えへへの関係」とあるように、おれがチョイと関係している。っていうか、「旅人文化振興会」なる、あえて野暮な名前の構想を生んだのはおれなのだが、近頃おれは何にもしてない。しかし、その現場には「ゲストハウスやどや」やら「やどカフェ」の女将をやっている、愛人6号まりりんがいて、雨漏りの修理から「やどカフェ」の改装など大工仕事までこなしている。

そして、今回、ついに、「むぎわらぼうしのフランスパンサンドイッチ」の提供を始めた。いやあ、ほんと、まりりんさんはよくやるなあ。試食会が先日あったのだが、おれは前夜、東大宮で野暮連のやつらと飲みすぎて、当日は仕事が片づかず行けなかったのだ。これじゃ、こっちが愛人失格にされそうだ。

「旅人文化なんでも版」には、今日の日付で、こう書き出している。「旅人文化振興会の事務所は東京インフォメーションセンターやどカフェの中にあるのですが、今までのやどカフェは閉ざされた会員制のような感じだったのを、今回はかなり(といっても全てセルフビルドでお金はあまりかけてないのですが)力を入れて改装をし、一般の人も入れるような空間になりつつあります。」

これまでは、昨年末のトマト鍋パーティーのように、イベントを中心に旅人文化的つながりが広がってきた。この飲食サービスの本格営業で、旅人文化的空間はますます充実していくことだろう。期待したいし、おれはここのところサボっているが、いろいろなプランを考えてはいるのである。どうか、みなさん、よろしくね。

20100219_1644721「メインはテイクアウトのフランス風サンドイッチです。10年前にパリで出会った友人が、毎日パンを焼いて、ハムも手作りをして、ランチに出します。」とのこと。まりりんさんが、世界放浪の最中に出会った友人が手づくりしてくれるなんて、いかにも旅人文化振興だねえ。場所や営業時間など、詳しいことは、こちら→クリック地獄

「旅人文化」については、そのブログの右サイドバーの下の方にリンクがありますから、ごらんください。いろいろおもしろくやりたいものです。

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2010/02/21

京阪神の味覚の本質に迫る、『ミーツ・リージョナル』別冊「京阪神の洋食」に、大いにコーフン。

005ミーツが言い切った、「京阪神 愛すべきスタンダード」。これぞ、京阪神の味覚のアイデンティティだと思う。「たこやき」「お好み焼」は皮相のことである。いや、その「たこやき」「お好み焼」の味覚の本質に迫れば、この「愛すべきスタンダード」にたどりつくはずだ。それは一言でいってしまえば、「ハイカラ」という言葉で包括される味覚文化だろう。

では、東京の味覚のスタンダードはなにか。自らをアイデンティファイできず迷走する味覚の都で失われつつあるが、かすかに感じることはできる。うまくいえる一言を思いつかないのだが、かつて『B級グルメの基礎知識』で、勝見洋一さんが「天麩羅の旨さは下手味にあり」「旨味だけでは語れない東京の傷の味」などと言い放った。そのあたりに、本質があると思う。そして、それとの比較でみても、この大阪のスタンダードは、特徴的なのだ。

とはいえ、「京阪神の洋食」は、洋食がテーマであるので、そこまではふれてない。なにはともあれ、なにわの味覚が、「たこ焼」「お好み焼」あるいは「コナモン」で代表されるのでは、まったく皮相的である。たとえば、「たこ焼」「お好み焼」も、ソースで完成する。ソースとのからみで、味覚が完成する。洋食も、おなじ。そこんとこを、追求すると、「ハイカラ」という言葉で包括される味覚文化にいたる。と、おれは考えたのだが、ここでは詳しく書きつくせない。とにかく、その味覚を特徴づけるのが、洋食であり、ソースなのだ。

1960年代なかごろ、田舎から上京して3年すぎたおれは、就職した会社の仕事で大阪へ行かされた。「たこ焼」も「お好み焼」も「よしもと」も知らない、なんの先入観もなしに大阪へ行って暮らしたおれが、まず感じたことは、大阪って「ハイカラ」だなあ、ということだった。その第一印象を、ずっと引きずっていた。先日、ミーツの月刊誌に「大阪のぞき」を連載の木村衣有子さんと、「大阪のぞき」の書籍化のための、あとがきと解説のような対談を2人でやったときに、そのことを話した。話したことで、ますます気になっていた。そこへ届いた、「京阪神 愛すべきスタンダード」を謳う、ミーツ別冊。大いにコーフンしている。

京阪神の味覚を「つかむ」には欠かせない一冊といえる。そして、この一冊を読むことで、スタンダードもアイデンティティも、ほとんど失いかけ、ミーハー味覚におぼれている東京の「傷の味」を思いやることにもなるのである。

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2010/02/20

契約書もいろいろある。

006年度末は、年末とちがう忙しさというか、煩わしさがある。確定申告にしてもそうだが、あれこれメンドウな事務処理が多い。仕事をしても、これをやらないとカネが入らなかったりするから困る。

以前、年々契約書が厚くなっているようなことを書いたとおもうが、いまこれから発注者と交わす契約書は、これまたなかなかスゴイのである。

厚さは、ない。A4版2ページに全13条だから、短い。ところが、この契約書の仕事は、ワズカ、といってしまってはいけないが、たったの2万円のことなのである。そのために、まず、契約書の原案がメールで送られてきた。これでよいか内容をチェックして欲しいと。良いも悪いもない、はやく2万円でもいいから、欲しい。どうせ発注者の方が強いのである、有利なのである。

そして、本契約書が2部、宅急便で送られてきた。印を押して、1部を送り返し、1部をおれが保管する。

そうやって、保管しなくてはならない契約書は増えるが、たいがいの契約書は、保管しておいても得になることはない。たいがいの契約は、こちらがわの義務は多く、権利は制限されるのが、フツウである。もし契約内容の業務がうまくいっても、発注者側に利得がまわるよう、こちらの権利のほとんどは制限される内容になっている。

ま、こちらが余計な権利を請求することがないよう、発注者側は契約書をかわそうとするのである。それがキホンであって、だからといって、こちらが損をするわけではない。要するに、より儲かったときの分け前が、キホン的にはないということである。

それはオカシイではないかというと、あんたは何のリスクも負っていないではないか、本件の業務が成功しようがしまいが、あんたには、たった2万円だけど、当方のリスクにおいて払うのである、どうです文句はないでしょう。といことになるに決まっている。確かに、リスクは、全面的に発注者が負っている。かりに何かの事故があっても、こちらには、なんの責任も発生しない。

いいのである、わかってます。たった2万円のために、こんなメンドウなことをしなくてはならないのか。とも、いいません。契約書が必要な仕事というのは、金額は関係ないのだから。

これまで、いろいろな契約書をかわしてきたけど、いちばん金額の小さい契約書を見ながら、しかし、もしこの仕事がうまくいったら、相手は丸儲けになるのだなあとおもわないことはない。でも、うまくいったら、仕事が続いて、金額も増えるのが、フツウである。投資もせず、リスクを負わないものは、そのように利得が増えることを期待するしかない。

契約書の最後から2番目の、「第12条(別途協議)」には、「本契約に定めなき事項または本契約に関して生じた疑義については、各当事者が信義誠実の原則に基づき、協議の上処理・解決に当たるものとする。」というのがある。たいがいの契約書にある。契約を結ぶ時点では予測のつかなかった事態が発生しうるし、また結婚と離婚の例をあげるまでもなく人間のココロは変るものでもある。

最後の「第13条(管轄裁判所)」には、「本契約に関する紛争については、東京地方裁判所をもって、第一審の専属管轄裁判所とする。」とある。たいがい、片方だけに不利の契約は、イザ裁判で争えば契約そのものが認められない。だけど、裁判なんかメンドウで、よほどの損失が発生するか、よほどの利益が得られるかでなければ、やってらんない。

とにかく、メンドウな事務処理も、社会のつながりだから、メンドウでもコツコツやる。

しかし、そこへいくと、出版界ってのは、ソフトの取り引きをしながら、こんな簡単な契約書もいらないのである。メンドウのない、信頼関係なのかナアナアなのか知らないが、それで成り立っているのだなあ。

きのうは、契約書に関係なく、夕方ふらっと買い物に出かけ、東口の「よってってちゃぶだい」によってしまった。カマスの開きなんぞを食べながら、生ビール1杯のあと、八戸の「八仙」を燗で2合あけ、さらに、ほかの人が呑んでいてうまそうだった、秋田の山本合名という酒蔵の「ど」という濁り酒を1合、呑んでしまった。うめええええ、満足して店を出たが、チョイと一杯のつもりが、チョイと呑みすぎた。歩いているうちに酔いがまわり、夕めしの買い物がいいかげんになってしまった。

来週は体力勝負。

関連
2008/06/05守秘義務。

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2010/02/19

横須賀港に浮かぶ狸。

右サイドバーのコメント欄。2010/02/17「『東京人』今宵はこの店で、原稿を見る。」に書いた、横須賀港に浮かぶ狸について、ヤマザキさんが「見たかったなあ」と。

以前に画像を掲載した記憶があって検索したが見つからない。おれの記憶ちがいのようだから、その画像を掲載する。近年の「河川の近代化」は、自然にまがりくねった小川まで真っ直ぐにし、コンクリートでかためることをした。小川は、単なる「水路」になった。落ちれば、一直線に流されるしかない。あわれ、子狸。

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狸が浮かぶ向こうのドックには潜水艦が停泊していた。

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2010/02/18

味覚生活を楽しむアクセントとしての、地元のインド料理屋、東大宮「ニユーデリ」。

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東大宮には、楽しめる飲食店が、けっこうある。味覚生活を、どう楽しむかは、それぞれだけど、近くにインド料理やエスニック料理の店があると、味覚生活にアクセントをつけやすいような気がする。もちろん、インド料理やエスニック料理の店がなければ、ほかの方法で、味覚生活にアクセントをつけることをするだろう。ファッションに限らず、より味覚生活を楽しむためには、何かしら、アクセントが必要だということだ。高級なものである必要はない。ときには、たとえば缶バッジがアクセントになったりするように、チキンラーメンなどがアクセントになったりする。

ニューデリについては、すでに何度か書いている。ランチCは、サラダ、お好みのカレー一品、カバブとチキンの皿、ナンかライスで、850円。Aは、値段を忘れたが一番安い、サラダ、お好みのカレー一品、ナンかライス。Bは、やはり値段を覚えていないが中間だろう、サラダ、ナンかライス、日替わりのカレーとお好みのカレー一品。都心では、このコストパフォーマンスは無理だろう。

いつもうれしいのは、生ビールが、うまいこと。泡のきめこまかさ。注ぎ方もさることながら、サーバーの掃除がゆきとどいている感じだ。ときどき、ここの生ビールが呑みたくなる。ってことで、きのうの昼間、生ビールを2杯も呑んでしまった。

だんだん知られてきたのか、混むようになった。午後2時過ぎに行ったのに、テーブルの7割ぐらいは、カップルで埋まっていた。

ニューデリは、まちの暮らしのアクセントでもあるようだ。


関連
2009/12/02
地元東大宮お散歩日和。ニューデリ→市民の森→ちゃぶだい、大満足。

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本好きが語らない「紙メディア」、チラシが語る真実。

ちかごろ、「出版不況」もあり、メディアをめぐるオシャベリが盛んだ。

たとえば、「紙メディア VS デジタルメディア」的なオシャベリが、一部で賑やかなようである。そもそも、そんな問題のたてかたが間違っている、というか、実態認識からはずれているとおもうのだが。ご本人たちはオシャベリに夢中のようだ。

また、ツイッターについてのオシャベリも、一部では賑やかなようだ。これは、それに批判的な意見も夢中なひとたちの意見も、過去のブログや携帯電話の「ブーム」のころのオシャベリと、たいして変らないような感じである。

オシャベリしているひとたちはというと、ようするに「メディアに夢中」なのであって、それは一部の現象にすぎない。まったく関心のないひとたちが、どれぐらいいるか、何を考えているか、メディアに夢中なひとたちは、その得意なメディアをつかって、知っているのだろうか、知ろうとしているのだろうか。と、おもいたくいなるほど、夢中なんですね、みなさんは。

どのていど、まわりが見えているのだろうか。

それはともかく、ウチにはテレビもないし、新聞もとってない、おれは携帯も持っていない、クルマもなければ、自転車すらない、パソコンはあってインターネットはやっている。

郵便受けには、フリーペーパーやチラシの類が、毎日投げ込まれる。けっこうな量である。どちらかというと、「編集長」なるものがいて、よりよく編集されたものより、チラシのほうがおもしろい。そこに、コンニチ的メディアの抱えるモンダイがありはしないかとおもうのだが、ツイッターをめぐるオシャベリにも、「紙メディア VS デジタルメディア」的なオシャベリにも、こういうことが一緒に議論になることはない。あくまでも、メディアに夢中なひとたちによる、メディアに夢中なひとたちのための、メディアに関するオシャベリなのである。それを、何かしらのメディアを使ってやる。なんだか、閉塞的な共食い構造のように見える。

002それはともかく、最近おもしろく見たチラシ2点。

「金太郎通信 新年号」と称する。「宅配食人(たくはいしょくにん) 金太郎」の発行である。マグロなど、高級魚がメインだ。そのコピーには、こうある。
………………

はじめまして、金太郎です。
料亭の食材を吟味調達して40年
価格破壊の昨今、中央市場はお値打ち品満載!
お手ごろ価格でお届けします!!

………………
文面を、そのまま受け取れば、料亭向けの高級魚を扱っていた業者が、宅配に乗り出した。デフレ経済の反映とも見えるが、それだけじゃないようだ。そこを読むと、これからの味覚の動向まで見えてくるかな?

もう一つのチラシは、これは、割とよくあるもので、新奇のものではない。

「暮らしのレスキュー隊 町の便利屋さん」。「暮らしのレスキュー隊」なんていうと、「台所レスキュー隊」の魚柄仁之助さんを思い出しそうだが、もちろん彼とは関係ない。「どんな事でも お問い合わせください お見積もりは無料です」と、さまざまな便利の例が紹介されている。

その最後に「一般雑用」とあって、「草刈り・枝切り・ペット捜し・代筆・チラシ配り・付添い・送迎・留守番・おつかい・話し相手・冠婚葬祭の代理出席 他」とあるのだ。

どちらのチラシにも、ホームページの記載はない。

いったい、メディアは、どうなるのだろう。ではなくて、いったい、メディアを、どうしたいのだろう。

ただただセッカチに結論を出したいだけじゃ、いかんだろう。白黒をつければよいというものじゃなし。この世は、いろいろなものやひとが混在し関係し成り立っているのなら…なにが必要か、ビジョンだろう。ビジョンのないところ、好き嫌いや、同好と排除の関係などが先行する。仔細な欠点をあげつらね、言い負かしたところで、自慢をしてみたところで、ビジョンがなければ、空しい。どんなメディアを、どう使うかも、ビジョンがなければ。


関連
2009/12/14嗜好品化する人間関係? 気色悪くもあるTwitter集団心理。

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2010/02/17

『東京人』今宵はこの店で、原稿を見る。

0252010/02/11「武蔵境で銭湯のち武蔵小金井「大黒屋」、『東京人』泥酔ドンチャカ朝帰り。」に書いた、牧野伊三夫さんの原稿があがって、編集の山田さんから校正のファックスが届いたのはきのうだった。きょうの午前中に拝見し、直しを電話で連絡した。直しといっても、おれのプロフィールのところの一字、単純なまちがいのみ。

おれのことがどう書かれていようが、牧野さんが書いた原稿に注文をつけるつもりはなく、銭湯あがりの酒のうまさにつられ、勢いよく呑んで早々に酔っ払い、話がとっちらかりでまとめにくかっただろうとおもいながら、その苦労のあとをなぞるように読んだ。

文章の中に、牧野さんと瀬尾幸子さんとおれが最初に一緒に呑んだ、「四、五年前の初夏」のことがあった。さて、いつだったかと、このブログを検索してみた。それは、06年4月24日で、たしかに初夏のように暑い日だった。牧野さんに誘われ、風呂会に参加した。そのとき初めて瀬尾さんと会った。

P4240016午後1時に待ち合わせた横須賀駅から歩き出すと、アメリカ軍の潜水艦が停泊している横須賀湾の岩壁近くに狸が浮いていた。そばにいる人に訊いたら、ときどき水路に落ちた狸が流されるのだとか。

あの日も、銭湯のあと、激しく泥酔した。風呂会というのは、銭湯に入って呑むというだけのことだが、ガイドブックなんぞつかわず、行き当たりばったりなのである。銭湯を探すころは、まだ元気だからよかった。そして、2時間ほどウロウロした甲斐があって、よいところが見つかった。

P4240039_2銭湯を出たあとが問題だった。銭湯が横須賀中央から離れていたこともあったが、入る呑み屋を決めるのに、1時間ぐらいウロウロした。よいとおもったところは満席で、牧野さんと瀬尾さんは、おれがここでもいいじゃないかというところを、ダメダメといって許さない。おれはどこでもよいから早く呑みたいというのに……、そうやって、やっと生ビールにありつけた。

いまでも、あのときの話になると、お2人は「エンテツさんはひからびていたね」と笑う。しかし、さんざん歩き、銭湯に入って、またさんざん歩いたあと呑んだ生ビールのうまかったこと。だからって、はやく呑みたいのに、あんなに歩きたくねーよ。

この『東京人』の号は、たしか今月末にはできあがると聞いたから、来月3日発売だろうか。

関連
2006/04/26
横須賀風呂会泥酔鎌倉泊熱海よれよれ中野の夜

ザ大衆食「横須賀市 旭野食堂」…クリック地獄

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2010/02/16

文章のこと。琴線や繊細や感傷。

「琴線にふれる」だの「繊細」だのといわれる文章は、とかく「上品」だの「名文」あるいは「文学的」と賞賛されるようだが、単に感傷的な文章にすぎないことが多いようだ。テレビのスポーツ番組やドラマに涙を求めるように、文章に感傷を求める読者が少なくないということか。

と、ツイッター風に書いてみた。

←左サイドバーの「リンク」の欄が、ニフティのメンテナンスというドジで消えてしまっていたが復活したようだ。

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2010/02/15

東大宮、「ちゃぶだい」「コタツ」、野暮連の笑いと泥酔。

Dscf55551この前の日曜日7日には、木村衣有子さんとサキさんが東大宮まで来て、「ちゃぶだい」と「コタツ」で呑んで酔ったのだが、一週間後のきのうの日曜日は、野暮連のシノさんとタノさんが東大宮まで来てくれた。みなさん東京23区内にお住まいだが、もの好きというか、あるいは東大宮の魅力か、それともおれの魅力か。いやいや、イキがった東京のイキがった居酒屋あたりでイキ原理主義をふりまわして窮屈にイキがっているより、東大宮あたりで、まったり野暮を楽しむのもいいもので。

そもそも、シノさんとタノさんが東大宮に来たのは、重松荘シアターを訪ねてみようということでもあった。野暮だねえ。そして、重松荘での上映イベントが終わったあと17時過ぎ、かれらとおれは「ちゃぶだい」で合流した。

酒を呑みながら、かれらに聞いた、重松荘シアターでの体験は、とてもおもしろいものだった。ま、その話はいずれということにして、とにかく呑んだ。すでに書いたように、「ちゃぶだい」は明日の16日まで開店1周年で、生ビールと角ハイが250円なのだ。でも、やっぱり燗酒も呑んだけど。18時半ごろだったかな?出先から直帰のさっちゃんも加わる。

ほどよく酔ったところで、では、つぎ。つぎは一週間前のように「コタツ」だ。なにしろキンミヤをボトルキープしたからね。すぐ、もう一本とって、ホッピー。呑んでしゃべる。21時すぎ、地元民のチエさんが加わる。チエさんと会うのは今年初めて。キンミヤを、もう一本とる。野暮く濃く、にぎやかに呑んでしゃべり、なにがなんだか覚えていない。22時半ごろ店を出たのではないかな。

そういうわけで、多忙につき、こんなところでオシマイ。

画像は、7日に、コタツでサキさんが撮影したもの。おれはとくにキンミヤ愛好家ってことではないのだが。

しかし、いつも単なるヨツパライで、少し疲れがたまってきた感じだな。

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2010/02/14

急遽「わははめし」書籍化相談。目黒「友」のち東大宮「ちゃぶだい」。

004「わははめし」書籍化で、予定していた判型を変えたい提案が版元からあったので、きのう急遽相談することになった。

瀬尾幸子さんが「タモリ倶楽部」の収録で、午後から目黒のスタジオにいるため、18時に目黒駅で待ち合わせ。ところが瀬尾さんは14時からスタートしていた収録が終わらず、佐々木香織さんとおれで先に喫茶店で相談。19時すぎに瀬尾さんと目黒駅で落ち合う。てらやんこと寺西女子が同行していた。

佐々木さんが以前入ったことがあるという、東急ストアの前あたりの居酒屋へ行くが、取り壊しで更地。その前の小さなビルの2階に「友」という居酒屋があり、窓に一升瓶が並んでいる。よさげだから、入ろう。

入口から奥に向かってカウンター、奥にテーブル4台ほどの小上がりがある。そこに座ろうと、カウンター前を通りながら、なかの主人を見ると、どこかで見たことがあるような顔である。はて、どこかで会っている。席に座って、思い出した。念のため、カウンター越しに、もう一度顔を確かめ、女将さんに「ご主人は、高千代友の会の会長さんじゃないですか」と聞くと、「そうです」と。なんという奇遇。高千代酒造の友の会の集いで、ゆっくり話したことはなかったが、挨拶をし名刺交換をしたことがあるのだ。

ってことで、ビールのち、まずは高千代の純米酒「巻機」から。てらやんは酒が呑めないのでウーロン茶。相談事を先に片づけながら、呑む。瀬尾さんから、「デカダンス ドュ ショコラ」のクレ ド クール バレンタインチョコをもらう。バレンタインチョコをもらうのは、20年ぶりぐらいだろう。「クレ ド クール」は「心の鍵」という意味だそうだ。アブナイ、アブナイ。

「巻機」のあとは、銘柄を忘れた、とにかく賑やかにオシャベリしながら2合とっくりを4本か5本あけたところで、そろそろおれの電車時間。22時半ごろ出る。23時45分ごろ東大宮に着いたら、なんだか「ちゃぶだい」が呼んでいる。そうそう、開店1周年記念で、角ハイと生ビールが100円で制限なしなのだ。行ってみる。いちおう閉店の24時なのに、盛況。だけど、もうそんなに呑めない。生ビールのあと燗酒1合を呑んで、素直に帰る。

下の画像は「ちゃぶだい」で。きょうから16日まで、角ハイと生ビールは250円あんど空クジなしの抽選。みなさん、東大宮までいらっしゃい。ブログ「【ちゃぶだい】…さいたま市の外れにある飲んべえの集う店。徒然なる日々の雑記帳。」はこちら。
http://chabudai2009.jugem.jp/

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2010/02/12

忙しいときは、リンクをはって、褒める。

010チョイと前に拝見して、なるほどなあとおもった。なるほどなあ、うまいものだ、とか、すばらしい、とおもった。

一つは、先月の31日に「路地と人」で、おれがテキトウに酔ってしゃべったイベント「半酒場」の「本と美術についての飲酒歓談」を、ブログにうまくまとめて報告している。うまくまとめるもんだなあ。これは、画像を見ると、原田淳子さんが撮影していたような記憶があるので、たぶん彼女がまとめたものだろう。タイトルは「野暮でいいじゃぁないか」。そうです、野暮でいいのです。…クリック地獄

「路地と人」では、続いて、静かに精力的に、魅力的なイベントが企画されている。


さて、もう一つ、ときどきたまによく「ビジョン」あるいは「ヴィジョン」ということを考えるのだが、スソアキコさんの、これを読んだときは、すばらしいビジョンだなあとおもった。ビジョンがすばらしいということもあるが、このように自分のビジョンを表現できるって、すばらしいとおもった。ビジョンは、必ずしも明文化できるわけじゃないけど、やはり、こうやって文章にできると、すばらしい。

こちら古墳部の話などもおもしろいスソアキコさんのサイトにリンクがある、スソさんのデザインによる帽子が買えるonlain shopに書いてあること。こんなふうに明快に書けるビジョンを持ち、追求したいものだ。スソさんの帽子は、ゲッこんなのかぶれるかよとおもいながらかぶってみると、意外にしっくりくるのは、こんなビジョンがあるからなのだな。…クリック地獄

彫刻的な要素を持ち、アバンギャルドで独創的なもの。
帽子というイメージや概念を打ち破るもの。
でもただ人を驚かせるだけでなく、ちゃんと服にあわせることができるものを目指している。

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2010/02/11

いつも単なるヨッパライ。

サキさんから、7日の夜の写真が届いた。場所は、東大宮西口の〔昭和酒場コタツ〕。
きょうは、一滴も呑まなかった。なにを間違えたか、買い置きが、まったくなかった。こんなことは、めったにない。いつ以来か、思い出せない。身体に悪いから、明日からは間違いないよう欠かさず、ちゃんと呑もう。

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武蔵境で銭湯のち武蔵小金井「大黒屋」、『東京人』泥酔ドンチャカ朝帰り。

031おれとはあまり縁がないとおもっていた『東京人』という雑誌に「今宵はこの店で」という連載がある。毎回、文を書くひとが変わり、そのひとが2人のゲストを誘って一緒に呑むという趣向のものだ。先日、牧野伊三夫さんから電話があって、牧野さんが登場することになったんで、瀬尾幸子さんとおれと一緒に呑むことにしたいといわれた。酒を呑む誘いを、おれが断るわけはない。ましてや、牧野さんと瀬尾さんだ。

牧野さんが選んだ酒場は、かつて牧野さんが10数年間毎日のように通ったという武蔵小金井の「大黒屋」だ。そして、どうせなら、そこへ行く前に銭湯に入ってからにしようということになった。牧野さんが選んだ銭湯は、武蔵境の「元の湯」。

007ってことで、きのうは15時45分にJR中央線の武蔵境駅の北口改札口集合。駅から、5分かからない「元の湯」へ。この銭湯は、建物もよいが、すぐとなりに大きな庭の家があり、その庭が借景のような配置にあって、なかなかの風情。東京人の編集の方と17時に大黒屋で落ち合うことになっていたので、16時40分ごろ銭湯を出ることにして、瀬尾さんは女湯へ、牧野さんとおれは男湯へ。って、あたりまえか。

このように3人で呑む前に銭湯に入るのは、「わははめし」の一回目の撮影、きょねんの6月15日以来だ。あのときは、瀬尾さんのところで撮影が終わったあと、瀬尾さんとおれは中野駅で牧野さんと待ち合わせ、まず銭湯に入ってから呑んだ。おれは電車がなくなり牧野さんのところで寝て、朝帰りだった。そもそも牧野さんと呑んで、ふつうに切り上げることは、珍しく難しい。どちらも、もう呑めない、やめようとはいわない。ヨレヨレになっていても、呑み続ける。今回も、朝帰りになるだろうなあという予感というか、確信があった。

026大黒屋に着くと、すでに編集と写真の方がいた。「今宵はこの店で」は、写真のページといってよいほど、写真が大きな扱いだ。その撮影は、飯田安国さん。初対面。副編集長の鈴木伸子さんは、「四月と十月」で「東京風景」を連載しているので、お名前だけは知っていたが、会うのは初めて。おなじく初対面の編集の山田智子さん。

まずは、われわれ3人で乾杯するところから撮影が始まる。そばでは、レコーダーが稼動している。瀬尾さんもおれも、いつものように牧野さんと呑むだけという気分で行っているので、話をとっちらかしながら、ひたすら呑む。鈴木さんが途中で帰られて、どんどん呑みながら話をしているが、いったい何の話をしていたのか、最初から最後までとっちらかりで、説明ができない。いまごろ、牧野さんは原稿で苦しんでいるのじゃあるまいか。

024途中から、四月と十月の元同人で地元民の白石さん、古墳部長のスソアキコさんが加わったあたりには、もうイチオウ「今宵はこの店で」のことは終わり、安国さんも、けっこう呑んで元気よくなっていた。山田さんが帰るのと、もう1人女子が加わるのと、どっちが先だったか。そのころには、無礼講のようなアリサマで、おれは安国さんのカメラを持って、みんなの写真を撮りまくっていた。安国さんはといえば…、いやもう書くのが難しい。いまごろ安国さんは、おれが撮影した自分の酔態を見て、激しいショックを受けているかもしれない。

029酔いの勢い、みんなそろって、カラオケへ。1時間ぐらいのつもりが、延長延長。いやあ、よく歌いました。ときには、ハメをはずしてのドンチャン騒ぎも、明日の活力のために必要だ。だけど、歌っただけでなく、瀬尾さんと牧野さんは、足に歯形のアザが残っていたそうだ。そのことは、おれは知らなくて、先ほど電話で瀬尾さんに聞いたのだが、おれがやったことじゃないが、やっぱり、書くのは難しい。

ま、そんなこともありまして、あとあとまで思い出しては笑い話のネタになりそうな、だけど大部分は書けない、激しく愉快な呑み会でありまして、今朝8時ごろ帰って来た。まだ疲れが残っているんで、これぐらいにしておこう。

大黒屋は入ったことがないと思っていたのだが、たまたま別件で古い記録を調べていたら、1991年秋に入った記録があった。でも、そのあと建て替わっているし、内容もまったく記憶になく、初めて入ったとおなじだった。

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2010/02/09

撮影2日目、無事に終了。気どらない料理の物語。

024きょうの撮影は、13品目16種だった。きのうと同じ顔ぶれ。瀬尾さんのほかに、編集の長尾さん、制作チームの編集担当の佐々木さん、写真は鵜澤さん、スタイリングの森下さん、鵜澤さんのアシスタント、森下さんのアシスタント、そして瀬尾さんのアシスタントに「酒とつまみ」で「葉子のハラハラ酒日記」を連載の葉子ちゃん。

きのうは、瀬尾さん宅に10時集合で、10時半からスタート。おれはスタートに間に合えばよいので、その時間に着いた。終わったのが、18時ごろ。片付けなどをやって、瀬尾さんと佐々木さんとおれは、近所の小料理屋風飲み屋で一杯。22時過ぎまで。新宿23時ちょうどの、湘南新宿ライナーで、よれよれ帰宅。

きょうは11時集合。おれは10時ちょい前にウチを出て、撮影がスタートする11時半ごろ着いた。きのうは、肉魚系だったが、きょうは草食系とごはんもの。おれは、例によってビールや酒なんぞを飲みながら試食。ちょうど昼ごろ、弁当の撮影だったので、それがうまかったのと、腹が空いていたこともあり、おもわず食べすぎ、あとがきつくなった。最後に、にぎりめし3種の撮影だったが、もう食えなかった。ま、原稿を書く上で、問題はないのだが。

書籍化では、「わははめし」とコンセプトも構成も大幅に変るから、「わははめし」のときに料理一つ一つに書いていた味覚的なコメントはなくなり、チョイと切り口のちがうコラムになる。なので、試食は、ゼッタイ必要というわけではないのだが、瀬尾さんの料理については理解しておく必要があるので、食べる。食べながら、原稿の書き方を考える。今回の瀬尾さんは、ふつうのことなんだけど、これまでの料理研究家が料理本ではあまりやらないことを、いくつかやっている。そのへんを、どう書いていくかも、けっこうカギなのだな。

盛り付けの関係で、つくる量も多かったから、瀬尾さんは土曜日から買い物や下ごしらえで大変だったようだ。瀬尾さんの準備段取がよかったおかげで、問題なく早く終わった。最後に、Webサイトでの書籍宣伝用に、瀬尾さんが台所に立っているところと、おれが試食をしながらメモなんぞをしているようなかっこうの撮影だった。

17時ごろには終わり、明日の長丁場の半仕事呑みに備え、素直に帰ってきた。

ふりかえってみると、1回目の撮影は、2009/06/16「姿をあらわす新企画、「せおめし」16品の撮影のち泥酔、朝帰り。」にあるように、6月15日だった。撮影の回を重ねるごとに、気持先行でアイマイだったビジョンも、かなりはっきりしてきた。

「気どらない料理の物語」という言葉が、頭に浮かんだ。

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「わははめし」書籍化、最後の料理撮影。

005きのう、きょう、一日中、瀬尾幸子さんのお宅で、料理の撮影。きのうは9時前にウチを出て、16品目ばかりを、たべまくった。おれだけ、酒つきで呑みながら。きょうで、「わははめし」書籍化のための料理撮影は、すべておわる。撮影は、今月中に2日間のロケを残すだけ。あとは、書くだけだ。3月中に書き上げ、5月末には、書店に大衆めしパラダイスな本がならぶ、予定。

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2010/02/07

東大宮、「ちゃぶだい」「コタツ」、泥酔。

昼過ぎ、きのう紹介したばかりの『雲のうえ』の編集委員、牧野伊三夫さんから電話があった。チョイとした楽しい仕事呑みの用なのだが、12号が届いたお礼と、きのうブログに書いたようなことを話した。そういえば、その撮影で、さわら漁の船に乗っている最中の牧野さんから、原稿の件で電話をもらったのだった。

やはり、撮影は、けっこう大変だったらしい。あのとき、牧野さんの携帯電話の向こうでは、風がうなっていた。あれは響灘に吹く風の音だったのだなあ。

きょうも冷たい風がうなっているが、きのうも一日中、風がうなっていた、寒かった。あれこれ資料をひっくりかえしている昼過ぎ、木村衣有子さんから電話があった。大宮までサキさんと来るという。こっちまで来るんなら、もちろん呑みましょうぜ。17時半に大宮駅で待ち合わせる。

大宮駅まで行ったが、東大宮で呑もうということになり、一緒にもどる。サキさんは、東大宮は初めて。まずは、2人とも初めての、東口の「ちゃぶだい」に入る。寒いから湯豆腐、生ビールで乾杯。のち、あれこれつまみを頼み、おれとサキさんは司牡丹を、2合とっくりの燗にする。木村さんは、個人的に、純米酒を冷や、ときどき燗酒にも手を出す。とりとめのない話をとっちらかしながら、呑む。たしか2合とっくりを4本あけ、木村さんは冷やの「秋鹿」「田酒」を1合ずつあけた21時ごろだったかな、もう一軒行こう。

どうせなら、おれも初めての店とおもい、前にちゃぶだいの大将に聞いて気になっていた「コタツ」へ行く。東大宮駅を反対側の西口に出て、やや暗い線路沿いを、北の蓮田方面に歩く。冷たい風が吹く中、そばを宇都宮線の電車が行く。どこかの田舎町に旅した気分だ。

コタツは、「昭和酒場コタツ」という。暖房のコタツかと思い、「ちゃぶだい」にはちゃぶだいがあるから、コタツはないの?と聞くと、いやコタツは、タツの子という意味でコタツちがいだという。ようするに、こんにち的解釈による、昭和な大衆酒場、ざっくりとした雰囲気を狙った店のつくりといったところか。

燗酒は大関のカップ酒を温めて出てきた。つまみ、あれこれ頼んだが、ふつうによい。これなら落ち着いて呑もうかと、キンミヤのボトルに切り替え、ソーダ割で呑む。

宇都宮線の電車が通ると、店内から見える。通るたびに、木村さんが、ガキみたいに、振り返って見る。木村さんの実家は、その電車の先なので、やや興奮気味か。しかし、宇都宮線の電車が見える風情は、悪くない。またまた旅に出た気分になる。

木村さんとサキさんとおれは、青森の八戸に遊びトコトン泥酔した。その翌朝、二日酔いのまま行った朝市が、よかった。サキさんが盛岡にいて、おれが八戸へ取材で行くということでもなかったら、ありえないことだった。3人とも、楽しい思い出が残り、呑むとその話になる。

「ちゃぶだい」で、サキさんの携帯からさっちゃんに電話しておいたのだが、やはり仕事で遅くなり東大宮に23時ごろになるというので、その時間まで呑んで駅へ。2人を送って帰る。泥酔即寝。

「コタツ」には、また行くため、キンミヤのボトルは少し残してきた。東大宮に、行きたい酒場が増えるのは、いいことなのか。いいことにしておこう。

鶯谷「信濃路」での、木村さんの本のための、6時間にわたる木村さんとの飲酒対談は、関係者みんなが酔っていたし、まとまりがつくのかと思っていたが、心配するほどのことではなかったとか。どのみち言いわすれたこともあり、書き込みは必要になるだろうとはおもうが。

きょうは、玉川奈々福さんの浪曲を聴きに、浅草の木馬亭へ行こうかとおもっていたが、朝おきて、呑み疲れでくじけてしまった。浅草は、近いようで、遠い。そうそう、サキさんが、木馬亭で奈々福さんの浪曲を聴いたけど、よかったという話をしていたな。なんだか近頃、浪曲が聴きたい。木村さんは明日あたりから2月中ぐらいまで、毎日落語の取材で酒を呑むヒマもないとか。落語も悪くないが、浪曲は、またよいのだなあ。

こうやって書いていると、泥酔で喪失してしまった記憶が、いくらかよみがえるようだ。

さて、明日からは少々キツイ日程をこなさなくてはならない。チョイと気合を入れて、っと。きょねんは5月連休あけの提出になってしまった確定申告を、ことしは3月15日までにやる、つもりなのだが。

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2010/02/06

北九州市『雲のうえ』12号、文章が空しくなりそうな写真のチカラ。

016そもそも、『雲のうえ』は、写真のチカラに負うところが大きいとは思っていたが、これほどとはなあ。文章を書くのがイヤになりそう。送料1冊180円だけで、こんなに内容豊かな「写真集」(写真集ではないが「写真集」と言いたくなる)が手に入るなんてなあ。ああ、もうダメだ、何か書く気がしない。酒を呑みに行こう。

一部を紹介する。特集タイトルは、「海よ、波よ、魚よ」だ。えらい陳腐に感じるタイトルだが、そうとしか書きようがあるまいという感じ。写真は、長野陽一さん。

こちら、北九州市のサイトに内容紹介と入手方法があります。…クリック地獄
おれが文を担当し、写真は齋藤圭吾さんの、5号食堂特集は、このサイトには予定数に達したので配布終了とあるが、いくらか残部があるようなので、入手ご希望の方は問い合わせてみてください。

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2010/02/05

大宮で図書館、氷川神社参拝、買い物のちいづみや本店。

003大宮図書館に、本の返却と調べものがあって、1時半ごろ家を出た。空気は冷たいが、陽射しは強く、あまり寒さを感じない。お散歩日和。

大宮図書館は、関東一ノ宮、氷川神社の二の鳥居の脇にある(左の画像の右端、ブルーのシート)。氷川神社の参道は長い。中仙道の一の鳥居から約2キロあるそうだ。一の鳥居から歩くには、時間と軽い覚悟がいるので、大宮駅からショートカットして、一の鳥居から半分を少し越えたあたりにある、二の鳥居に出た。

図書館で用を足し、参道を社殿に向かう。家を出る前、昨年末第二子が生まれたもぐさんに、保育園の入園はどうなったのかメールで聞いたら、3倍もの倍率だそうで(入園希望者の3分の1しか入れない)、2週間後ぐらいにわかるという。「子供不足」の時代に、なんてことだろう。これじゃあ、夫婦で働いて子供も複数人つくってと、積極的な人生の絵を描いても、しぼんじゃうよ。数十年間、利権がらみの政権抗争ばかりで、ビジョンのない政治が続き、このアリサマ。仕方がない、ここは神頼みでもなんでもやろうじゃないか、ってことで、おれは「入園祈願」の代参を買って出た。政治の貧困は神社の繁栄か、平日の昼下がり、けっこう参拝客がいた。

ことしは、初詣もまだだった。ま、2月の旧正月までは正月ってことで、初詣も兼ねる。おれの初詣分の賽銭と、代参分の賽銭を立て替えて投げ入れ、祈願。

帰り。駅までの途中の信号でひっかかり、そばのブックオフに入ってしまった。信号が変ったらすぐ出ようと、出入り口近くの棚を見ていたら、買って欲しそうにしている文庫本が三冊あって、買ってしまった。

信号を渡り、ここのところ酔っては汚して、はいて出られなくなったパンツの替りを買わなくてはと、無印良品に入る。が、適当なものがない。やはり山用品店へ行ったほうがよいかなとおもいながら、それにしても当座の間に合わせが必要だ。駅ビルのユニクロへ行って、テキトウに買った。ウエストが、以前は79センチだったのに、82になった。股下の長さを直してもらうのに30分待ちだという。ちょうどよい、いづみやの本店へ。

4時15分前ぐらいだったが、7割ぐらいの入りで、けっこう混んでいる。ネクタイ姿も多い。びんビールに、ポテトサラダ、ハムカツ。おれと同時ぐらいに入って、おれの斜め前にすわったおやじが、たぶんおれと同じぐらいのトシと見たが、冷酒を一口のんでは、風呂で「ふ~」とタメイキつくように、うまそうにする。いいねえ。

びんビール一本あいたところで勘定し(1130円ぐらい)、ユニクロへ。東大宮でスーパーに寄り、夕食の買い物をして帰る。夕焼けのなかに、富士山のシルエットが見えた。

着いたら、北九州市の「雲のうえ」12号が届いていた。開封、ウムッ、いいぞ。あとでここに紹介する。

と、そこそこ日記風に書いてみた。

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三の鳥居の奥に楼門がある。

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楼門と舞殿と拝殿が直線上にある。

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拝殿。

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2010/02/04

ひたすら資料を探し、ひたすら資料を読み、ひたすら考える。そして酒を呑む。

001「わははめし」の書籍化のほうは、昨夜、佐々木女子と電話とファックスを使ってのラフの詰めで、おれが書く原稿の量と、締切りまでの段取が、ほぼ見当がついた。

別の案件で、企画段階のものがあり、それとこの「わははめし」は、まったく無関係だけど、いくつかクロスするところがある。

たとえば、「野菜炒め」と「レバニラ炒め」の違いと同一性、はたまた同じような「レバニラ炒め」の名称でも、料理技術的な違いやその歴史など、個々の「おかず」といわれる料理について、よく把握しておく必要がある。

しかし、カレーライスと汁かけめしのように、例によって食に関する、とくに「著述業者」による著述は、かなり根拠のないデタラメが多い。そのため、きわめて煩雑な資料調べの作業をしなくてはならない。これが、けっこう、おもしろいのだなあ。根拠のないことを堂々と書いたり主張するのは、権威あるマスコミもやっていることであり、それはまあチマタの大衆を低くみて活字文化を担ってきた知識人文化人著述業者たちの脳みそなのだろうが…うにゃむにゃ。

おれのばあい、「大衆」ってのは、「働き生きる人びと」ってな概念なんだよね。「大衆めし」といえば、「働き生きる人びとのめし」ってことさ。「マス」だの「カタマリ」は関係ない。思想家や社会学者や政治学者や、あとなんだ、「サヨク」や「ウヨク」が、どうのこうのいう「大衆」なんか、知らねえよ。あとなんだ、自分も働き生きる一人だがバカな大衆と一緒にされたくないなんていうやつのことも、知らねえよ。勝手にやってくれ。資産の多少も関係ない、悩み、迷い、働き生きる人びとのめしだよ。ああ、酔った。

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2010/02/03

経堂、さばの湯、太田尻家で飲酒歓談。「太田尻民芸」に野暮あるいは貧乏くささの洗練を考える。

月曜日1日の夕方から降りだした雪は、きのうの2日朝には止んでいた。道路に積もるほどではなかったから、午後になって、さっちゃんが大田尻家から借りてきた傘を返しに出かける。

経堂に着いたのが、6時すぎ。さばの湯では、仲よし2人組、とみきちさんの能面展と更紗さんのイラスト展をやっているので立ち寄る。能面は、舞台を見るのとちがい、けっこう不気味だ。とみきちさんは、能面づくりを始めて10数年と聞いていたが、こういうノッペラボウなものに、作者らしい精神を入れるには、えらく長い根気が要りそうで、自分にはできそうにない。立原正秋の小説「薪能」を、タイトルだけ思い出したが、どんな話だったか、能面師が出てくる不倫愛のような記憶があるのだが、思い出せなかった。かつて熱心に読んだ本も、そんなものだ。イラストは、更紗さんの個性のままに、おもしろくできていたが、展示の方法が、やや見にくいので、惜しい。さばの湯は、展示に使えそうなフラットな壁面が少ないからなあ。生ビールを呑んで、大田尻家へ。

7時開店の太田尻家は、開いたばかりなのに、すでに2組ほど先客がいた。席を取っていただいていたカウンターに座る。その後、さらに客が入り、予約席をのぞいて、ほぼ満席になるが、男子は、おれ1人という、イジョーな女子率の高さ。ちかごろは女子率が高く、それも「肉食系」であると家長に聞く。なるほどねえ。何人か入ってきては満員で断られる場面がありつつ、徐々に入れ替わりがあり、1人の男子が入ってきた。なんと、31日の日曜日に「路地と人」で初めて会ったばかりのtattakaさん。奇遇を驚きあいながら、カウンターに並んで座る。カウンターのむこうの太田尻家とtattakaさんとトライアングルで、話がはずむ。サンマの糀漬はもちろん料理はうまいし、話は楽しい、うまい酒。

「路地と人」での「飲酒歓談」のことなど、いろいろおもしろい話がタップリあった。tattakaさんのツイッターに「先日のエンテツさんの酒と野暮の話で感じたことと、ベルク問題には通じるところを感じなくはない。僕の理解では、洗練されたモールに亀裂を入れるのがゼロ年代批評とオタク的想像力とみなせば、単なる時代の移行であり構造的には同質の問題にも思える」とあるのだが、その話なんぞを聞かせてもらい、なるほどねえ。きょう、「ベルク問題」なる、ベルク店長のブログと東浩紀さんとのツイッター上でのつぶやきごっこを見て、また、なるほどねえ。とにかく、話は、とりとめなく進み、例によって10時過ぎれば早い終電が気になる。

帰り、とみきちさんや更紗さんがいるかも知れない、さばの湯をのぞくだけのぞいてみよう、路地に入ると、むこうからヨロリヨロリの自転車おやじが来る。見れば、陶芸焼肉ボクシング部OBで活躍の、酔っ払いリーさんではないか。めったに会わないのに、この暗い通りで、こんな風に会うの2度目だよ、どういうこと。終電が気になって急いでいるけど立ち話。リーさんに抱かれて、首筋に唾液タップリのキスをされる、うへへへ。新宿駅乗換えを駆け足で、家に帰りつき、まだ首筋にリーさんの唾液の感触が残っていた。

001さてそれで、大事な告知だよ。

太田尻智子さんの個展「太田尻民芸2010」がある。2月27日(土)から3月3日(水)まで、太田尻家の近所で同じ通りのロバロバカフェで。

ちょうど、きのうもそういう女子が大田尻家の客にいたが、いまや、ロバロバカフェで遊んで太田尻家に寄るというのは、経堂すずらん通りローカルのメジャーなのだ。

それはともかく、太田尻智子さんこそ、「野暮は21世紀のアートだ」と主張する、おれの泥酔論野暮編の女神のような方である。野暮あるいは貧乏くささの洗練を追求すれば、こうであるという、先端だろう。スマートやオシャレな洗練なんぞあざ笑うような。と、そのことを強調して、今日のところは、おわりにしたい。って、こんな持ち上げ方は、メイワクかな?

うすっぺらな「イキ」や、気どったアートは、腰をぬかすにちがいない。見よ!この「太田尻民芸2010」の案内…クリック地獄

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2010/02/01

神田神保町「路地と人」、半分書店、半酒場、半飲酒歓談、半本とアート、半トーク、半おでん、半…、半泥酔のち本泥酔。

やれやれ、今朝までに送らなくてはならなかった仕事、さすがに昨夜は帰ってから仕事どころではなく、すぐ寝てしまい、今日も夕方になった先ほど、やっと仕上げて送った。おもへば、22日の上野のグラミ会から、なにかと都心やら横浜まで出かけ、仕事や泥酔の多い月末だった。

今日は、「世紀の飲み会」なる企みの誘いもあり、雪の中の山形は大蔵村の肘折温泉なんぞに行く企てもあり、2月は、仕事がたてこんでいるうえに、泥酔もたてこみそうな気配。おてやわらかにね、おれは今年67歳になるのだから。

きのうの16時からの「路地と人」での「半酒場」のこと。余裕を持って行くはずが出がけに電話があって、打ち合わせがごちゃごちゃ、ぎりぎりになってしまった。

言水さんとの事前の打ち合わせは、最初に言水さんの司会でリードしていただき、あとはテキトウに、ていどだった。それにしても、なにせ「本と美術について飲酒歓談」なのである。これは「トークライブ」のようなものなのか、それとも車座になって呑みながら、好き勝手なオシャベリをするのか、どうなるのか、イメージがわかない。

009とりあえず、どうなってもよいように、ネタになりそうな本などをみつくろい、いよいよどうにもならなかったら、スライドショーでもやろうと、「場所の力」と泥酔論「野暮編」のスライドをコピーしたCDを持って出かけた。

本のたぐいは、うらわ美術館「オブジェの方へ 変貌する「本」の世界」のカタログ、東京国立博物館の「土偶展」のカタログ、尖石縄文考古館カタログ、ミーツ別冊「東京ひとりめし」、city&life88号「美味しいまちづくり」93号「マチとムラの幸福のレシピ」、「四月と十月」21号、有機菜園藤田家族の「秋冬野菜で、しあわせごはん。」、ココルーム文庫「こころのたねとして」。これだけあれば話になるだろう。

先日入った大衆食堂で、おばさんがカウンターのなかで魚などを焼きながら、エビゾウとナントカの結婚、あれは離婚になるね、だってさ…、なーんて話しているのを聞き、よーするにおれの「トーク」は、こういうもんだなと思っていた。大衆食堂と専門飲食店では、店主の話も話し方もちがう。大衆食堂の店主の話は、話も半分しろうとだし、テキトウなんである。専門店の店主は、プロらしいことを、もっともらしくしゃべる。そういう違いがある。おれは、トウゼン、大衆食堂的なんである。なーんてことで、イメージは、大衆食堂のおやじのオシャベリだと。

知らない人たちばかりかと思っていたが、会場に着いたら、えっ、南陀楼綾繁さんがいておどろいた。でも、うれしいが。スソアキコ古墳部長もいて、うれいしいが、恐縮。木村衣有子さんも来る。そして、泥酔論も欠かしたことがない、おれの「追っかけ」だの「親衛隊」だのと薄気味悪い、野暮連のタノさんがいて、一安心。ほかは、初対面の方々。アーチストの方が多い。経堂の太田尻家のお客さんもいた。

003見るからに、おでんが、うまそうに煮えていた。本をのせて、半分書店に使っていた台を、ごにょごにょすると、たちまち長テーブルと長イスになった。職人的アーチストの仕事は、すばらしいと感心する。みなさんは会費1000円払い、ビールかカップ酒(燗もあり)とおでんをもらう。おれは、いちおうゲストってことで、無料。

さて、それで、おれもテーブに座って、なんだか始まったら、いきなりもう飲酒歓談モードなのだった。イチオウ、「オブジェの方へ 変貌する「本」の世界」と「土偶展」と尖石縄文考古館カタログなんぞを出したら、古墳と縄文の話で盛り上がり、なんだかわからんが、これも本と美術かなあ。途中で、言水さんが、みなさんを紹介するが、かといって、おれのトークを司会するではなく、紹介だけで引っ込み、みなさんはまたそれぞれ好き勝手な話を展開。

おれは、ビールから、コップ酒2杯ぐらい呑んだあたりで、どなたかの「講演をやるんじゃないの」という声を聞いて目覚め、それじゃってんで、いきなり、イザというときのための泥酔論「野暮編」のスライドショーをやってしまった。おわって、言水さんのほうを見るが、とくにトークに入る様子もなく、ま、「飲酒歓談」なのであるからと、隅に座っていた南陀楼さんを真ん中に引っ張りだして、本やら古本やらについて話そうかと思っていたが、南陀楼さんは次の用があるからと帰ってしまった。またテーブルに座って呑む。みなさん、ずいぶんにぎやかに呑んでいた。

とか、やっているうちに、19時過ぎだろう、サキさんが近くに来て待っているというので、そのへんの詳細は半泥酔状態で、よく覚えがないのだが、近くの飲み屋で呑むことになった。おれはトツジョ、「半酒場」の「飲酒歓談」は、放棄なのである。主催者が終わりを告げてないのに、大衆食堂のおやじは職場放棄なんである。いや逃走か。そんなこと許されるのか。許せるはずねえーよ。おでんを煮、燗をつけていた「半酒場」の女将、安岐さんに「えっ帰っちゃうんですか」と、厳しくチェックされる。おでん鍋には、まだおでんが残っている。しかし、酔っている頭は、すでにコントロールを失っている。ってことで、放棄あんど逃走は実行された。近所の飲み屋で、木村さん、サキさん、スソさん、タノさん、あとから言水さん加わり、もう燗酒ぐいぐいで、なんだかわかりません、どうやって帰ったかもわからない泥酔記憶喪失帰宅。

アナーキーでめちゃくちゃだけど、楽しい「飲酒歓談」な夜だった。これからも、もっと、ヘタがおもしろい、大衆食堂のおやじ的トークを追求したいと思うのだった。

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