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2010/02/25

北区十条の「てんしょう」で、「わははめし」書籍化すべての撮影が終わる。

005124日は、きょねんの6月に始まった、小学館webサイト連載の「わははめし」と、その書籍化のための撮影の最後の日だ。場所は、北区は十条駅そば、十条銀座商店街を入ったところにある大衆食堂「てんしょう(天将)」。前日は、横浜橋商店街で午前10時半スタートで、夜は「世紀の呑み会」で宇都宮線終電で遅かったが、そんなことができたのは、「てんしょう」に午後2時半の集合だったからだ。

2時20分ごろ着いたら、すでに、瀬尾幸子さん、佐々木香織さん、写真の齋藤圭吾さんはいて、なにやら食べていた。おれは、ただちに生ビール。とにかく暑くて、ビール日和だった。続けて2杯呑んだ。長尾さんも到着。

008「てんしょう」は14時半から16時まで休憩時間なので、そのあいだに撮影をさせてもらうのだ。入ったばかりのときは、テーブル席の中央部分を、男たち6名ほどが、酒を呑みにぎやかにしていたが、出て行った。もう一組、水商売らしい男女3人がいたが帰り、撮影がスタートした。掲載したい料理を作ってもらい、店内の雰囲気や、厨房や家族のみなさんを撮影。

じつに楽しい取材あんど撮影だった。昭和22年(1947)開店の、この店を切り盛りするのは、72歳と70歳の2代目ご夫婦と、45歳の3代目ご夫婦。このご家族が、すごくよいのだ。それは、まあ、お客さんがよく知っていることだろう。先ほど出て行った6名ほどの男たちもそうなのだが、午前10時の開店から、休み時間になる午後2時半まで、いつづけの客も少なくないとか。

017_2おぼん一つにも、歴史の積み重ねがあった。昭和22年(1947)開店のころから、小さな改修があったぐらいで、ほとんど変ってないという厨房は、天井が高く広々として働きやすそうだった。そこから生み出される、うまいめしは、戦後の大衆食堂の味や家庭の味を語るのに、ふさわしい。そのことは本に書くとして。ご家族の、そしてご家族と客との会話の当意即妙が、この店の、おいしい「おかず」でもあるのだな。

たとえば。休憩時間が終わる16時の10分ほど前に入って来た2人の常連さんは、毎日か一日おきぐらいには来るという、地元の方だった。その1人がワレワレに「なんの本の取材?」と聞いた。すると間をおかず、厨房の中から72歳の2代目ご主人が、「エロ本!」と応えた。爆笑。そんな笑いが、いつ来てもある。

16時過ぎ、最後に、「てんしょう」の前で、瀬尾さんとおれの撮影があって終了。16時半ごろ店を出て、長尾さんは帰り、残った4人は、もちろんこれで終わらない。商店街をブラブラ散歩のち、銭湯「十条湯」で一風呂浴び、齋藤酒場へ。18時半ごろだったが、すでに9割ぐらいは埋まっていて、一か所だけ4人座れるところがあった。

最初は生ビールで乾杯。さあ、それからは、もう呑み、しゃべる。なにしろ、佐々木さんは、昨年6月からの撮影を仕切り、また書籍化にあたっての企画の詰めや変更など、たくさんのメンドウを背負ってきていただけに、大変だったであろうし、かなり解放された様子で、ぐいぐい燗酒を呑んでいた。もっとも、その間に、おれにあとは文章をちゃんとやれよと念を押すことも忘れてなかったのだが。ともかく、あとは、佐々木さんとデザイナーさんとおれの作業で、最後の山を登るというわけだ。

21時半ごろ、カラオケへ行こうということになる。勘定したら、なんと、燗酒だけでも15本も呑んでいた。ってことで、歩き出したら酔いがまわり、カラオケを探しているあいだに、路上で誰かさんはすっ転ぶ、誰かさんは「ここで一曲うたわせてもらいます」で歌う。カラオケどころではなくなりつつ、カラオケめざして池袋を過ごし新宿へと行くが、ますますカラオケ無理状態の酔いが深まり。そうしてグダグダドロドロになって、おれが新宿で乗った電車は、宇都宮線の最終に間に合わず、大宮からタクシーだった。

でも、ここまでは、いい仕事ができた。って、おれは、これからが勝負なのだが。なにより、いい料理と、いい写真で、書くのが楽しみだ。

この日の爆笑オコトバ。「私を巡礼して」(by 瀬尾)、「私、悪いけど先端は苦手だから」(by 佐々木)。

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013昭和30年代的大衆食堂のメニュの一つの特徴は、ビーフステーキ(ビフテキ)があることだ。この事実は、あまり語られないが、そのころの大衆食堂には「ハイカラ」な文化を継承しているところが少なくなかった。松本清張の小説などは、その場面をうまくとらえている。いま、このメニューが残っている大衆食堂は少ない。

一切れ食べてから撮影したので、盛りは崩れている。あまりバタくさくない味覚であるがゆえに「和風」をおもわせるし、いわゆる西洋料理のそれとは一線を画す「おふくろの味」という味覚なのだ。高度成長期の大衆が食べていた「肉料理」は、たいがいそういうものだった。味覚の「洋風化」は、遅々としているのであって、パンや肉食の普及イコール味覚の洋風化というのは短絡すぎるとおもう。

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