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2010/02/04

ひたすら資料を探し、ひたすら資料を読み、ひたすら考える。そして酒を呑む。

001「わははめし」の書籍化のほうは、昨夜、佐々木女子と電話とファックスを使ってのラフの詰めで、おれが書く原稿の量と、締切りまでの段取が、ほぼ見当がついた。

別の案件で、企画段階のものがあり、それとこの「わははめし」は、まったく無関係だけど、いくつかクロスするところがある。

たとえば、「野菜炒め」と「レバニラ炒め」の違いと同一性、はたまた同じような「レバニラ炒め」の名称でも、料理技術的な違いやその歴史など、個々の「おかず」といわれる料理について、よく把握しておく必要がある。

しかし、カレーライスと汁かけめしのように、例によって食に関する、とくに「著述業者」による著述は、かなり根拠のないデタラメが多い。そのため、きわめて煩雑な資料調べの作業をしなくてはならない。これが、けっこう、おもしろいのだなあ。根拠のないことを堂々と書いたり主張するのは、権威あるマスコミもやっていることであり、それはまあチマタの大衆を低くみて活字文化を担ってきた知識人文化人著述業者たちの脳みそなのだろうが…うにゃむにゃ。

おれのばあい、「大衆」ってのは、「働き生きる人びと」ってな概念なんだよね。「大衆めし」といえば、「働き生きる人びとのめし」ってことさ。「マス」だの「カタマリ」は関係ない。思想家や社会学者や政治学者や、あとなんだ、「サヨク」や「ウヨク」が、どうのこうのいう「大衆」なんか、知らねえよ。あとなんだ、自分も働き生きる一人だがバカな大衆と一緒にされたくないなんていうやつのことも、知らねえよ。勝手にやってくれ。資産の多少も関係ない、悩み、迷い、働き生きる人びとのめしだよ。ああ、酔った。

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