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2010/04/30

どやさ!

002明日発売の京阪神エルマガジン社の『ミーツ・リージョナル』6月号をいただいた。ミーツにしては、めずらしく、表紙に今いくよ・くるよという「有名人」が登場している。これは、特集のタイトル「どやさ!大阪24区」と関係があるからだな。

おれは、写真を見ても、どちらが「いくよ」で「くるよ」か判断つかないのだが、編集前記で福山嵩朗さんが、こう書いている。「自分のイメージの向こう側に目をやることで、街に長年添い寝する店や街の血流を活性化させる新しい動きに出合える。そうなれば最寄り駅からそこまでのアプローチすらアテとなる。本当は知らなかった各区には、今くるよ師匠よろしく「どやさ!」となれる濃厚エンタメ店が山盛りだ。」

つまり、表紙の写真の左が、くるよ師匠であり、「どやさ!」の人だとわかる。

ああ、だからどうしたってか。いやさ、いいねえ、「どやさ!」も、「自分のイメージの向こう側に目をやること」も。自分のイメージを「どやさ!」と変えていかないと、いつも同じイメージを抱えたまま、同じところをウロウロして、同じイメージの人やことやものと出合い、それで何か知ったつもりになってしまう。そういうふうに、近頃は「型」にはまりすぎじゃないかと思う。だからさ、いっとき人が大勢集まって、にぎやかなようでも、じつはサッパリ活性化されていない、ただ「型」のカタマリの数が多く大きくなっただけ、なんてことが多いように思う。

「どやさ!」と、自分のイメージを自分で突き破るってことが、もっと必要だよなあ。ってぐあいに「どやさ!」って言葉を使っていいのかどうか知らんが、「どやさ!」が気に入った。

ところで、この一冊に詰まった「濃厚エンタメ店」を見ていたら、ほんと、おもしろいのだが、とある見開きで、ふと手がとまった。そこだけ、「濃厚エンタメ店」とはちがう趣きの静寂が漂う。見れば、ドコモの広告ページで、ナなんと木村衣有子さんが登場しているではないか。しかも、この、エレガントなファッション。うーむ、ということは、おれと飲むとき以外は、こういうかっこうなのか、と考えてみたり。女は、バケモノだからなあ。

木村さんが座って店主と会話している店は、先日発売になったばかりの木村さんの著書『大阪のぞき』にも登場する、大阪市中央区北浜にある、「北浜ハイボール ハマ」なのだ。チョイと、この画像ではわかりにくいが、店主の濱恵一郎さんの背後の壁に、ずらり空のサントリーの角瓶が並んでいる。

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ここに木村さんが初めて来たときの話があって、「[ギャラリー箱庭]さんにうかがった帰りだと思います」とある。ってことは、これは、場所からしても、[ギャラリー箱庭]とはいうが、正確にはギャラリー[アトリエ箱庭]のことであろう。

[アトリエ箱庭]の幸田さんとは、以前に東京で一度、そのころ東京に勤務していた女体の詩人イシイさんの紹介で飲んでいる。そのとき貰ったのが、最近は3号目が出ているらしいが、箱庭が発行する「ジオラマスキー」の創刊号なのだ。それを、このページと一緒に撮影し掲載する。おもいがけないところに、いろいろ接点があるものだ。

とにかく、この広告の木村さんも、おれの「自分のイメージの向こう側」といえるだろうか。でも、「どやさ!」という言葉が似合いそうな感じでもあるなあ。

って、これで終わったわけじゃない。特集タイトルの「どやさ!大阪24区」だ。東京は23区だから、区の数では、大阪の方が多い。これも、関東の多くの人たちの大阪に対する「自分のイメージの向こう側」のことではないだろうか。

もともと大阪は、その人口の密集度からしても大都会だったが、大阪市の人口は1940年(昭和15年)に最高の325万人をピークに下がり続けている。

東京は現代になってからも、荒野を開拓しながら膨張し、人口増にしたがい郡町村を飲み込んで都市化がすすみ、区が生成した。だけど、大阪市は、むかしからの都市部に人が集まって区が生成している。いまでも大阪市の人口密度は高いほうだと思うが、戦前は、かなり高かった。直近データかどうかわからんが近年は、大阪、221.27平方キロ、2,645,305人。東京区部、621.97平方キロ、8,742,995人。

大阪は、大都会であっても、「帝都」だったことは、かなり古いむかしのわずかをのぞいてはない。逆に、東京は、現代の「帝都」であり、いまでも中央政府の極端な一極集中のもとで膨張し続けている。

狭い大坂市が、人口は1940年(昭和15年)に最高の325万人をピークに下がり続けている。つまり、大阪の「生き方」は、狭い国土で人口が減り続けている日本の「生き方」のモデルになるのではないかとも考えられる。これだけの都市で、これだけの個性を持つ都会は、なかなかおもしろい存在だと思う。

そういう目で、木村さんの『大阪のぞき』や『ミーツ・リージョナル』を見ると、たいがい中央のマスコミがつくってきた、世間や市民の「常識」という神話と添い寝している「自分のイメージの向こう側」に、また別の姿が見えたりする。

どやさ!

あっ、なんの話かわからなくなったから、おわり。

アトリエ箱庭
http://www.haconiwa-k.com/

そうそう、6月1日発売の『ミーツ・リージョナル』7月号の特集は「酒」キーワードですがな。
おれも約2000字、書いています。校正は連休あけ。

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2010/04/29

太田尻家運動会は棄権して。

きょうは、経堂のバー「太田尻家」の、1年に1回の運動会なのだ。たしか、2005年の初回から欠かさず参加していたと思う。しかし、きのう、おとといのエントリーで書いた、左足首が腫れたままである。痛みはかなり引いたのだが、トシをとってもろもろ回復能力が低下していることでもあり、ことしの参加は見合わせることにした。せっかく天気もよく、砧緑地で呑む酒もうまいにちがいないだろうに、残念。

きのう、出演したDVD「全日本オヤジ選手権」の発売日だった。昨夜から今朝にかけて、関係者のあいだでメールが飛び交い、みなさんの前でさらに恥をさらす「全日本オヤジ選手権ナイト」をやる話が持ち上がっている。出演したAV女優さんも呼んで欲しいなんていう注文も出ている。どこまでもバカなものたちであり、あれは演技でなく地なのだな。いや、おれの場合は、演技で仕方なくやっているのだが。すばらしいバカたちである。

どうやら、下北沢のスローコメディファクトリーで9日になりそうな気配。おれは、予定が錯綜していて、当日にならないと参加できるかどうかわからない。

ヨウツベに宣伝版が載っている。
http://www.youtube.com/watch?v=h8yx700caco

競技内容は「熱闘!地獄のダジャレ風呂」、「オレはこんなにスゴイいんだ!自慢話対決」、「エロエロ!メタボで腹筋対決」、「悶絶!足クサ王対決」、「オレもEXILE!オヤジダンス対決」、「官能!ビンビン口説き対決」、「絶品!グルメ対決」。

発売と同時にレンタルのリリースも始まっている。

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2010/04/28

足の腫れみたいなもの。

2010/04/20「活字離れ?本離れ?出版不況?」に「とにかく、食をめぐるタワゴトもそうなのだが、ここ10年30年の「歴史」すらもしっかり押さえないまま、すぐルーツの話になったり、「激動」のイマの上っ面や薄っぺらな未来を論じる。そこには、それぞれの「表現者」の思惑があるのは当然としても、それにふりまわされることはないと思う。」と書いたのだが、最近30年の歴史は、大変なものがあるなあ。

チョイと必要があって見ていた『食品商業』2008年3月号は、「スーパーマーケット革新の35年史」という特集をしている。その巻頭言のたぐいに、こんなことが書いてある。以下引用……

1位 ダイエー(*)
2位 イトーヨーカドー
3位 西友(*)
4位 イオン
5位 ニチイ(*)
6位 ユニー
7位 長崎屋(*)
8位 イズミヤ
9位 忠実屋(*) 
10位 ユニードダイエー(*)
これは、1993年のチェーン売上高順位である。
現在、このうちの6社(*)が経営破たん、買収、提携などにより、事実上、消えるかあるいは大きく様変わりした。

……以上。

思ったのは、こうした大きな情勢の変化に、いかにマスコミは鈍感だったかだ。自らは安泰のなかで、その鈍感のまま、いまでも他者のキズをネタに騒いでカネを得ている。これは、怠惰なゴロツキに似ていはしないか。ま、たいがい新聞の「社説」なんてものは、そんなものだ。

スーパーの苦闘や、それに密接な生活など、眼中にないのである。なんとかよくしようと「革新」を努力した結果で広がるキズに、マスコミやジャーナリズムは、塩をぬってむしゃぶりつくようなことをしてきた。ともいえるか。その性格、じつに陰湿であり、暗い。たいがい新聞の「社説」なんてものは、そんなものだ。

マスコミ・出版業界は、いま「活字離れ?本離れ?出版不況?」と、一部では騒いでいるが、一貫して、こうした「激動」の外で、好き勝手を言ってきたのである。まともに考えれば、いまのマスコミだのジャーナリズムは、ほとんど手前勝手な役立たずのことしか書いていない。この変化の時代から遠く離れているのだ。なのに、そんなものが、まだこれだけ売れ、影響力を持っているということが不思議でもあるし、ヤバイなと思う。

そうして、わが足下を見れば、じっとしていれば痛みはしないが、まだ左足の腫れは残っている。いまのマスコミだのジャーナリズムは、この腫れ物みたいなものだな。もっと明快に、「新聞離れ」「週刊誌離れ」という「活字離れ」が、必要なのかも知れない。そうすれば、軽快に、前へ向かって、歩けるかもしれない。

『みんなの大衆めし』の初校がおわり、ミーツ7月号の原稿も締め切りに間に合った。

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2010/04/27

よってってちゃぶだいの「賄いめし」。

前のエントリーに、ちゃぶだいのタイショーのコメントがあって思い出したのだが、ちゃぶだいには「賄いめし」というメニューがある。もちろん、毎日ちがうもので、500円。

きのうは、「ラーメンライス」だった。でもライスはいらないから、ラーメンだけにした。ラーメンには、ちゃんとナルトがのっていた。それも、従来のナルトと、ちかごろ話題の黒いナルトの両方がのっていた。黒いナルト、初めて見て、食べた。

そのことじゃない。その賄いめしのメニューは、タイショーが毎日ブログに書いているのだが、おもしろいと思って、そこだけ集めてメモしておいた。それを掲載しよう。ここ数日のものはない。見ればわかるとおり、たいがいは「ぶっかけめし系」だ。

去る24日だったかな?青山からの帰り10時半ごろだったかな、ちゃぶだいに寄って、まずは腹が減っていたので、賄いめしを頼んだ。「鮪カツどん」の日だったが、揚げ物はあまり食べたくないとワガママをいったら、イタチョーが、特製ねこまんまを作ってくれた。うまかったぞ~。

どこの飲食店でも、いちばんうまいのは、自分たちが食べる賄いめしだという「説」があるが、そりゃまあ、わざわざマズイものを作って食べるはずはないよなあ。たしか、賄いめしの料理本もあったような気がするが、わざわざ家庭で賄いめしを作ろうと、材料を買ってきて作るのもおかしなものだ。でも、自分で作って自分で食べるものは、ぜんぶ「賄いめし」でもあるな。


釜上げしらす丼に山葵醤油をチョイとたらして

秋刀魚の蒲焼きに目玉焼きをのせた丼。

秋刀魚の蒲焼き丼の山掛け。

山掛け牛丼

焼き鮭に白ご飯、もずく海苔の佃煮と味噌汁付き

秋刀魚の蒲焼き丼

ご飯にマグロカツを乗っけて、その上から和風シチューをかけます。

シチューかけきしめん

鮪の変わりカツ丼

紅鮭と筋子の親子ご飯

鰹のタタキ丼

味噌味の野菜炒め丼

かけうどん
トッピングはとろろ昆布+アオサ+真薯

照り焼きハンバーグ丼
目玉焼き付き

牛ハラミの網焼き丼

和牛ユッケ丼

「ホワイトシチュー丼!」
好評です…ドンブリにシチューのぶっかけご飯也

【くりいむしちゅう丼】
(柚子胡椒がアグレッシブな味わいを追加します)

ハムカツとポテトフライのソースかけ丼

【カレーうどん】
ご飯と玉子をオプションで設定してあります。

ゴロゴロ野菜のカレーライス。

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歩行困難?

きのう、コンビニで買い物をし、レジで金を払おうと財布を出したとき、小銭を入れる部分に前から穴が開いているのだが、10円玉が落ち、床を転がった。それを追いかけ、腰をかがめた瞬間、どうしたわけかバランスを失い、こけた。チョイと左足首のへんが痛いなという感じが残った。

ま、でも歩けないことはないので、夜の10時少し前、東大宮駅でさっちゃんを待ち合わせ、ちゃぶだいへ行った。まだ前夜の酒が、身体の細胞の芯に残っている感じだったので、生ビールのち角ハイと、清酒を避けていたのだが、やっぱり清酒も飲みたくなり、飲んでしまった。

12時過ぎに帰り、布団に入って静まったら、左足首のへんがズキズキ痛む。

今朝、さきほど、そこを見たら、いつもは美しく性的魅力をたくわえて締まっているくるぶしのへんが、醜く腫れているではないか。

記念に撮影した。足をひきずるなんて、何十年ぶりだろうか。トシのせいか、連夜の呑みすぎのタタリか。

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2010/04/26

スソアキコ「麦わら帽子展」、のち瀬尾宅泥酔。

いやあ、ほんと、スソさんの「麦わら帽子展」、すごく楽しい、すばらしい。5月1日まで、吉祥寺で、必見ですよ、これは。アヴァンギャルドにして、日常、実用のものが多く、お買い上げのひとも、けっこういましたね。

しかし、スソさん、のってますねえ。

詳細は、こちら、スソさんのサイト。
http://www.suso.biz/

瀬尾さん、佐々木さんと帽子展のち、瀬尾さん宅へ。齋藤圭吾さんも合流ってことで、ようするに今回の『みんなの大衆めし』の制作メンバー。あれこれ、初校刷りも見ながら、あれこれ。もしかすると、瀬尾さんと齋藤さんの、新しい企画がスタートするかもの話など、あれこれ。泥酔。

きのうのことでした。

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2010/04/25

今年も、水族館劇場の季節がきた。

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5月21日から6月7日まで、いつもの駒込大観音で。この現代の奇跡も、これが最後になるかも知れない。お見逃しなきよう。演題は「恋する虜」。

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上の画像は、大入り満員が続いた、きょねん。
きのう、青山で、キックオフパーティーがあった。
作演出の桃山邑さんは言った。「だってね、半年働いて、それで、あとの半年、これにつぎこむんだから…」。それを約10年続けてきたのだから。
だけど、少し休んで、またやるかどうかは、今回の公演の観客しだいかもしれないと思った。
でも、なんでも、いつかは終わりがくるのさ。イマを楽しく突き抜けよう。

ともあれ、駒込大観音の境内で小屋掛けが始まった。

水族館劇場の公式サイト
http://www.suizokukangekijou.com/

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チョイと仕事がつなわたり状態ですな。
それでも、呑む。

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2010/04/24

「型」へ、そして「型」から。ああ、「全日本オヤジ選手権」が28日発売。

きのうのおれと、きょうのおれはちがうし、きょうのおれとあすのおれはちがう。そのように現実は、たえず変化しているし多様である。その変化している多様な現実を、認識しようとするとき、あるていど「型」にはめてみることをする。あいつは「A型だからね」とか、「イノシシ生まれだから」とか、「右だから」「左だから」「男だから」「草食系だから」「デザイナーだから」「巨人ファンだから」「土建屋だから」……。

あるていど「型」にはまらないと認識されにくく、あいつはわかりにくいから付き合いたくない、なんてことにもなりかねない。「型」にはまり、「型」にはめられることで、そのひとの「人間像」が流通する。

商品のばあいでも、何かしらのカテゴリーの「型」におさまっていないと、売場での陳列がやりにくいこともあり、たいがいは不利である。本のばあいも、売り場は、「文芸書」とか「趣味」とか「スポーツ」とか、何かしらのカテゴリーに分類されていて、そのどれかの「型」におさまるよう編集される。

そして現実は、たえず変化しているから、いったん「型」におさめたり、おさまっても、すぐさまその「型」からぬけ、新しい型に向かわなくては、現実にあわない「時代遅れ」になる可能性もある。さまざまなシステムやデザインの開発などは、「型」をつくっては、それを壊して新しい「型」をめざす繰り返しのようなもので、「モデルチェンジ」といわれるそれは、競争もあって、その周期はドンドン短くなっている。

そして「型」にはまって生きることが得意なひともいれば、はまりにくいひともいる。

いったん「型」にはまって、その「型」から新しい型へ向かうことが、うまくできると望ましいのだろうが、そのタイミングと方向性が問題だ。「天才」とメディアをにぎわしたひとが、いつのまにか姿を消したり。

こういった、すべてのことに関係なく、何も考えずに、「おもしろそう」というだけで、「型」におさまりにくいことをやってしまうやつもいる。おれのばあい、そうなのだろうか? いや、もっといきあたりばったりで、坂道を転がり落ちる石のようなもので、何かにぶつかっては転がる方向が変わってしまうだけで、しかも転がり落ちる坂道が急すぎて「型」におさまっている余裕がないのだな。

「型」へ、そして「型」から。と、かっこよくいえるとよいのだが、そうはいかん。
ぎゃははは、それはそれでよいのだ。
ここだと思ったら、あそこ、あそこだと思ったら、あっち、ひらひらひらひら…。ハエならば、ずっとハエたたきに叩かれずに生きていけるのだが、ハエじゃなく人間だからメンドウだ。

おれもどんなことになるかわからない、「全日本オヤジ選手権」の発売が、28日とせまっていることに、きょう気がついた。予約受付中のアマゾンを見たら……パッケージの画像があって、蛭子さんの上におれの顔が……ぎゃあああああ、もうダメだ、これまで築いてきた、おれの紳士的で真面目で高貴で高尚なイメージの「型」が一挙に崩れてるうううううううう。…クリック地獄

ZAKZAKの芸能ニュース「蛭子能収ら6人が対決! 全日本オヤジ選手権とは」には、写真もあって、これはまあ最初の出だしで、蛭子さんとおれが朝から酒を飲んでいるところに、審査員の勝俣州和さんや「よゐこ」コンビや時東ぁみさんが来るという場面なのだが、いやはやどうなることやら。本の編集とちがって、おれも見てみるまで、まったくわからない。…クリック地獄

これも、おれの「型」か。いやいや、6月早々に発売の『みんなの大衆めし』こそ、おれの「型」か。

はてさて、おもしろいことである。『みんなの大衆めし』も予約、よろしくね。おもしろい、これからのいい方向性を持った新しい「型」の料理本になること、まちがいなし。

瀬尾幸子さんのベストセラーの『おつまみ横丁』が、料理本のマニュアル的性格をトコトン機能化したとすれば、『みんなの大衆めし』は、料理本の実用的楽しさの面を追求し、料理と料理本の楽しいイメージを広げる方向性というか。かといって、いわゆるエッセイ本を気取った料理本ではなく、あくまでも「実用的楽しさ」なのだ。瀬尾さんのレシピも、しっかり77点。大衆めしの楽しさ、そして料理の楽しさへ。

なかなか難しいセンだと思いながらやってきたが、初校を見て、やっと、いいセンにまとまったかなと思えるようになった。津村正二さんのデザインが、すばらしい。ご期待ください。

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2010/04/22

『みんなの大衆めし』校正とか。

『みんなの大衆めし』の校正が出た。これは、実際に使用する紙に刷った、ようするに初校刷だ。これで、やっと、仕上がりに近い状態で見られるわけだ。

一緒に、WEBで連載中の『わははめし』の校正も届いた。↑上の「お知らせ」にリンクがあるが、これは、5月1日更新の第10回目で、最終回になる。

きょうから、これらの作業ってわけだ。

スケジュールが遅れ気味に進行してきても、連休というものがあるので、連休前に片付けなくてはならないのだな。ほかに、頼まれている原稿も、すべて連休前。ま、どうせなら、区切りよく片付けて連休になったほうがよい。とはいえ、こちらは、連休関係ナシ、むしろいろいろなしわ寄せを、このときに片付ける。

いろいろイベントも多いですね。

えーと、古墳部長スソアキコさんの「麦わら帽子「Mording」展」があります。
4/24(土)~5/1(土)吉祥寺のギャラリー
http://www.suso.biz/

それから、これが気になる、「路地と人」の言水ヘリオさんが挑戦する、高円寺の円盤カレー道場。
4/26(月)20:00-/Charge¥1000
「円盤カレー道場第3期一回戦第6戦」
挑戦者:言水ヘリオ VS 鈴木多依子
http://enbannews.blogspot.com/

イベントじゃないが、以前に久家靖秀さんのサイトが開設されている。スソさんも久家さんも、なんだかあぶらがのっているというか意欲的というか、ヤル気満々を感じる。ま、そういうトシでもあるのだろうが。
http://www.kugeyasuhide.com/

ついでといっては失礼だが、2010/04/16「山﨑邦紀監督は、希望である。」に書いた、山﨑監督作品の試写会について、山崎さん自身がブログに書いている。「そして目玉が残った」と。おもしろい。
http://blog.7th-sense.sub.jp/?eid=894604

武藤良子さんが、木村衣有子さんの『大阪のぞき』のこと、2010/04/17「東大宮で、『大阪のぞき』打ち上げ。鉄砲屋、昭和酒場コタツ、そしてよってってちゃぶだい。」に書いた、東大宮での打ち上げ呑みについて書いている。
2010-04-16 大阪のぞき
http://d.hatena.ne.jp/mr1016/20100416


さて、ゆるゆる校正の作業に取りかかるか。その前に、軽く呑むか。まったく、気温が1日おきに10度も上がったり下ったりしたんじゃ、テンションのコントロールはしにくいし、何かとやりにくい。ま、コツコツやるんだね。コツコツ呑んで、コツコツ仕事をやりましょう。

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2010/04/21

ますます三重県四日市へ行きたくなる。

三重県四日市の「ラジカフェ」の店主さんのブログ(はてな)からは、当ブログへのアンテナリンクをいただいているのだが、店主さんはツイッターもやられていて、きょう「拝啓エンテツさま四日市あさひ食堂 http://twitpic.com/1h6mfw」とつぶやいているのを発見。この「エンテツさま」というのは、100パーセント、おれのことだろうと思う。

ありがとう、ございます。ご夫妻に気にとめていただき、うれしいかぎり。

2009/10/16「三重県四日市からラブコール。」に紹介したように、店主の奥さんのブログ「たう日記」には、このようにあった。


「私はエンテツせんせーのブログをいつも読んでいる。大好きです。

(略)

 エンテツせんせー!

 四日市はもしかしたら楽園かも?お近くにお寄りの際はぜひ四日市へ。」

きょうは、ご主人のツイッターを見て、ますます四日市へ行きたいと思うのだった。なんだか、今年中には行っちゃいそうな予感がしてきた。


「ラジカフェ」の店主さんのブログとツイッター
http://d.hatena.ne.jp/radicafe/
http://twitter.com/radicafe

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2010/04/20

活字離れ?本離れ?出版不況?

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前のエントリーとも関係あるのだが、アイマイなことをアイマイなまま積み重ねるのが、メディアやメディアで食う人は得意であるようだ。というか、そういう人が、わりと人気を得るのだが、それはその人たち自身の責任というより、なんだか日本のメディアの扇情的扇動的な性質がそうさせているようでもある。

と、論文のような書き出しを試みた。忙しいのか忙しくないのかといえば忙しいのだが、忙しそうにしていると、愛人にも見捨てられそう。だけど、映画を観たり酒を飲んだりデートの時間がつくれないわけじゃない、愛しいあなたと逢うためならば。というようなことは、よくあることですよね。

いま、それで、メディアをめぐる議論が、姦しいのだけど、おれの付き合いの半分ぐらいは、メディア関係の「文化系的」「アート系的」といわれる表現稼業の虚業ヤクザな人たち、ほかの半分ぐらいは非メディア系であるがゆえに「文化系的」「アート系的」とはいわれない、ま、カタギな実業労働者たちだが、姦しいのは主に前者なのだ。後者は、ネットもメールぐらいは使うが仕事以外は、個人的にはまったく関係なし。そんなことやっているヒマはないよ~、デートの時間だってつくるのが難しいのだ、でも、彼女とやることはやっているけどね、もちろんツイッターなんか知らんよ~状態が、圧倒的に多い。

ネットで「出会い」だの「コミュニケーション」が強調されるけど、ネットは補助的で、自身の意志や行動力で愛しあっちゃっている人は、けっこういるのよ。だけど、ネットが中心の体系では、そういう人は話題の中心になれない。そういう「状況」が、つくられていると思う。

ほんの数年前に、ブログや「はてな」で大騒ぎしたことを、メディア関係の人たちは忘れたわけじゃないだろうね。「活字離れ」なんて言葉、使いすぎて磨り減っているんじゃないのかい。「米離れ」より新しいかも知れないが「魚離れ」より古いだろうか、とにかく岩波の『近代日本総合年表』を見れば、1970年に話題になっている。うーん、これは確か、劇画漫画ブームとの関係で浮上した言葉じゃなかったかと思うが、どうだろうか。

とにかく、食をめぐるタワゴトもそうなのだが、ここ10年30年の「歴史」すらもしっかり押さえないまま、すぐルーツの話になったり、「激動」のイマの上っ面や薄っぺらな未来を論じる。そこには、それぞれの「表現者」の思惑があるのは当然としても、それにふりまわされることはないと思う。

と、ここまで書いて、チョイとやることができてしまったので中断。ほんと、忙しい。いま23時過ぎなのだが、これから酒を飲むんでね。

続きは、書くよ。たぶん。

ようするにね、どんなメディアに対しても、幻想を持ってはいけない。

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サラダと添え物。

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このあいだ、ある文章に、「スパゲティナポリタンとマカロニサラダ。といえば、なんとなくイタリア系仲間という感じだ。でも、ここにポテトサラダを同じ仲間として加えると、サラダ系仲間に変わる」と書いたら、編集サイドに「サラダ系」を「添え物系」に直された。おれは、編集サイドの言うことには、はっきり間違った直しでないかぎり、素直に従うので、そうした。

それは、「添え物」といってしまえば、そうにはちがいないし、それまでなのだ。「丼物」や「小鉢」や「定食」という言葉が、何の疑いもなく料理や食べ物を示す言葉として機能している料理の世界なのだ。「添え物」では、どんな料理かわからんでしょうと言っても通用しない。

それに、「サラダ」にしても、サラダは、たとえば広辞苑でも、「生野菜を主材料として、場合によっては肉・魚介・卵などを加え、ドレッシングやマヨネーズであえた料理」と説明があるとおり、これは「あえ物」というべきものだろうが、そうはいわずに、生野菜を主材料としていない「ポテトサラダ」や「マカロニサラダ」も「サラダ」で通用している。「サラダ」と名称につかない、「ナポリタン」もサラダとして通用している。

そもそも最初の文章にもどれば、ここでは、そういう料理名と分類の日本的アイマイさを話題にしている。「サラダ系」を「添え物系」に直されたことで、さらに混迷は深まったのだが、そうやって日本の料理の話はつくられてきたし、これからもつくられていくのだろう。そういうものを「料理の知識」として、身につけていくのだな。いったい、わかったような食べ物のウンチクは多いが、なにがわかっているのだろう。

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2010/04/18

いい本(雑誌)に説明はいらない、『京阪神ひとり食堂』。

001先日、木村さんにもらった、京阪神エルマガジン社発行のエルマガムック『京阪神ひとり食堂』は、いいねえ。ちょうど一年前ぐらいに、同社からミーツ別冊『東京ひとりめし』が発行になって、おれもドーンと登場している。その紹介を当ブログで、2009/04/01「見てるだけで楽しい×トコトン実用的=ミーツ・リージョナル別冊『東京ひとりめし』発売。」と書いたのだけど、やっぱり「見てるだけで楽しい×トコトン実用的」と書けば十分だ。ほら、この写真だけでも、雰囲気がわかるでしょう。

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おれも去年取材した、大阪・千日前の「しみず」のおかず群。おもしろい見せ方だねえ。

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これは、一昨年に取材したことがある、成金屋食堂。

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ああ、行きたくなっちゃうよ、大阪。いまミーツ本誌から原稿を頼まれているのだけど、これは大阪へ行かなくても書けちゃうものだからなあ。

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池袋のふくろで泥酔。

Kyosiro002またまた、きのうも、泥酔だった。17時半、池袋のふくろうで、おけいさんと待ち合わせ。2年ぶりぐらいか。で、西口の「ふくろ」へ。あいかわらずの盛況で、1階は満席。2階のカウンターに陣取る。まずは、ビールで乾杯。

じつは前夜の酒が、まだふわふわ残っている状態で、気休めソルマックを飲んでから、ビールを飲み始めたのだが、飲み出せばうまくてとまらない。焼酎から燗酒とすすみ、あらよいよい。

おけいさんは子どもの頃から巣鴨のひと。巣鴨駅はアトレ駅ビルになり、地蔵前のときわ食堂は改装で、なかの人間ごと変わってしまったらしい。

もろもろ世間の様子話をしているうちに、清志郎のことから、話は、もっぱらパンクへ。さきほど調べたら、やはり清志郎が死んだのは、去年の5月2日、大田尻家の運動会の日だった。しかし、会ったこともない人間の死が、死んで1年たっても愛惜の念をもって語られるなんて、おれとしてはまったく珍しいことだ。ようするに、清志郎ってのは、うたを残しただけじゃないんだな。おけいさんは、清志郎は芸能人にはならなかった、音楽をつらぬいた、というようなことを言っていたように思うが、そういうことも関係するのだろう。

ようするにパンクってのは、突き抜け感だね、っていう「結論」だったかな。

ま、そういう話をしているうちに酔いは深まり、たぶん22時ごろに池袋駅で別れたのだと思うが、別れたあたりから記憶がうすれ泥酔記憶喪失帰宅だった。

ということだったので、一周忌にはチョイと早いし、もう何度か載せているが、またこの写真を載せる。


きょうは、故郷の南魚沼の高千代酒造の蔵開き。おれは野暮用が重なって行けないのだが、野暮連のシノさんらが行っている。さきほど、電話で、酒蔵の和田さんやくぼしゅんさんとも話した。晴れて、絶好の酒飲み日和らしい。

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2010/04/17

東大宮で、『大阪のぞき』打ち上げ。鉄砲屋、昭和酒場コタツ、そしてよってってちゃぶだい。

001きのうは、というか、きのうも、よく呑んだ。

『大阪のぞき』の著者、木村衣有子さんと、イラストを担当した武藤良子さんに東大宮まで来ていただき、打ち上げ呑み。どちらも酒豪女子だからカクゴして臨んだ。

17時半に駅で待ち合わせ、鉄砲屋、昭和酒場コタツ、最後に「よってってちゃぶだい」。ちゃぶだいに着いたときは、おれはかなり酔っていて、よく覚えていない。とにかく、『大阪のぞき』に木村さんが書いている、大阪のうまい酒「秋鹿」がちゃぶだいにはあるので、それを燗で呑んだな。木村さんが、気前よく、大将に本を贈呈していた。そのあたりは覚えているが、とにかくまあ、楽しく時間はすぎて、気がつけば都内に帰る彼女たちの上り終電車の時間。というぐあいだった。だけど、たぶん改札で別れたのだと思うが、記憶がない。

いつも打ち上げというと都心だけど、今回は、おれの都合もあって東大宮まで来てもらったのだが、東大宮はよい店が多いから、こういうところでやるのもよいですね。みなさんも、都心でばかり呑んでいないで、いらっしゃい。武藤さんも言っていたが、来てみれば、意外に近い。近いけど、ちがうまちへ行った気分になれる。

武藤さんは、ツイッターで、「昨日は東大宮で5時半から飲み始め3軒はしご。どの店もうまかったし、感じよかったなー。はじめて降りた駅で、はじめて歩いた町だけど、その町の感じのいい店で飲んだくれると、いっぺんに町が近くなるような気がする」と書いている。

木村さんは、この本で、ちょうど10冊だそうだ。一昨日ごろから書店に並びだしたようだが、売れゆきは、順調なすべりだしとか。さらなる応援、よろしく~。そうそう、6月には、もう一冊出る予定。
2010/04/11
「木村衣有子の文・写真『大阪のぞき』、京阪神エルマガジン社から。」

ちゃぶだいの大将が、ブログに紹介してくれました。ありがとう。
http://chabudai2009.jugem.jp/?eid=527

木村さんに、エルマガ社の新刊エルマガムック『京阪神ひとり食堂』をもらった。後日あらためて紹介する。

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2010/04/16

山﨑邦紀監督は、希望である。

きのうは、感慨の多い一日だった。

山﨑監督のお誘いで、監督の最新作を現像所の試写会で観た。それは東京都調布市国領にある東映の現像所、東映ラボ・テックであった。

ここ東大宮から新宿に出て、京王線柴崎駅。16時半の待ち合わせだったが、早く出た。柴崎駅の一つ手前がつつじヶ丘駅で、急行から各駅停車に乗り換えるために降りた。つつじヶ丘は、1962年の春、上京したときに最初に住んだところだ。そこは、かつては「金子」という駅だった。おれが小学校に上がる前まで、そこに母方の祖母の家族が住んでいて、よく行ったりしたところでもある。

各駅停車に乗ろうとすると、ちょうど山﨑さんとバッタリ。柴崎に着いたら、16時ぐらいで、ほかの人たちが来るまで、駅前の喫茶店に入った。あれこれオシャベリをした。山﨑さんと同じ「旦々舎」の浜野佐知監督は、40年前から東映ラボに通っていると聞いた。40年間、この間に、映画は産業として急激に斜陽化した。浜野さんは、そういう時代にピンク映画を撮り続け、かつそれだけで終わらず、近年話題の尾崎翠映画を撮っているのだと、あらためて思った。

この試写会に先立って、先日映倫と配給会社の試写があって、そこで配給会社のひとに、配給会社というのは映画製作のカネを出しているのだが、「なんでこんなものにカネを出しているかわからん」といわれたと、山﨑さんは静かに笑いながら言った。まいどのことながら、「こんなもの」というのは、「こんなエロでないもの」という意味だろうが、山﨑さんは「おれは、これがエロだと思っているのだけど、なにがエロかはそれぞれだからね」と、また静かに笑った。

山﨑さんの映画は、フツウの映画館で上映できそうなものだし、フツウの映画館で上映される、ろくでもない映画より、はるかに内容的にも映像的にも価値があると思うのだが、そういう映画にピンク上映館に配給する配給元がカネを出し、出しておきながら、「なんでこんなものにカネを出しているかわからん」と言い、制作したひとは「おれはこれがエロだと思う」という、なんだか渾沌な関係は、なんだかおもしろい。世の中、こういうものではないか。

その映画は、すごくおもしろかった。どうおもしろかったか書きたいのだが、うまく書けない。とにかく、2008/02/10「理屈っぽいピンク映画と泥酔記憶喪失、雪の夜路上に死す。」に書いたが、「とにかく山崎さんは理屈っぽい。ブログもそうだが。ボクはああでもなくこうでもなくだからこうでああで、ではヤルゾという感じでからみパコパコする。モノローグ10分に3秒のからみパコパコ早漏という感じである」と書いたけど、今回は違うのである。ソクラテスもニーチェも出てこない。

かといって、まったくリクツがないわけじゃなく、「尻子玉」っていう宇宙観的キーワドのリクツがいちおうあるのだが、それに関する哲学的吐露のようなものはわずか。「モノローグ10分に3秒のからみパコパコ早漏という感じ」ではなく、モノローグとからみなど性的場面は、それでも6対4か7対3ぐらいだろうか、「尻子玉」が愉快な牽引役となって、わりとクルクル軽快に展開する。軽快かつコミカルなのだ。笑えたし、最後は爆笑でありました。山﨑監督独特の、フェチといいたいほど、こだわった画面づくりは、いうまでもなく感心ものだった。おもしろいもの見たな~、で終わった。上等なコメディ映画としても通用しそうなものだ。エロコメディ=エロコメという分野はあるのだろうか。

ぜひ多くの人に見て欲しいのだが。そのタイトルが「美尻エクスタシー 白昼の穴快楽」というもので、中身なんぞまったく関係ない、ピンク映画館用のタイトルがついている。山﨑監督だって、タイトルを覚えていないぐらいだ。しかし、以前に見たものもそうだけど、このタイトルにカネを出して映画館で見たひとは、どういう気持になるのだろうか、おもしろい。

もちろん浜野監督も来ていたし、以前にも出演の映画を観たことがあり上映会あとの飲み会でも挨拶ぐらいはしたことがある、出演女優の1人、里見瑶子さんもいた。このあいだ、1人で東大宮まで来て「ちゃぶだい」あたりで飲んだ多田さんのほかに、南陀楼綾繁さんも来ていた。

みなさん旦々舎で打ち上げをやるということだったが、きのうはえらく寒いこともあってか、おれはチョイと風邪気味がひどくなりそうだし、いま寝込むわけにはいかないので、用心深く遠慮し、南陀楼さんと柴崎駅へもどる。

帰りの電車で南陀楼さんと、あれこれオシャベリ。やはり山﨑監督の上映会をやりたいねえという話になる。いま、出版不況だ、やれデジタルだ電子書籍だと騒いでいるけど、映画は、もう長年不況の斜陽を続けている、そのなかで、山﨑さんのような生き方があるのだから、これはすごいですよね、希望だよねと。

南陀楼さんも、またナニゴトか始めるようで、チラシをもらった。そのことは、またあらためて書く。

近頃のメディアをめぐる騒動は、カンジンな議論が欠けているような気がする。ま、ブームというのは、そういうものだが。

南陀楼さんのブログで詳しい紹介があります。
http://d.hatena.ne.jp/kawasusu/20100415

海外からの招聘が多い、旦々舎。もっと国内の人たちに観てほしい。
http://www.h3.dion.ne.jp/~tantan-s/
山﨑邦紀さんのブログ
http://blog.7th-sense.sub.jp/

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2010/04/14

『みんなの大衆めし』印刷入稿直前校正、予約受付始まる。

004_2まもなくベールを脱ぐ、『みんなの大衆めし』。きのう、夕方から小学館でpdf校正のまとめ。なにしろ、おれの文は、著者の瀬尾幸子さんはもちろん、制作チーム編集の佐々木さん、小学館の担当編集の長尾さん、その2人の上司の方、2人の校閲者が目を通すという大掛かりなもので、それぞれのチェックを見て、最後にエイヤッ!とまとめて直す作業。16時ごろから19時ごろまで。

ちょうど、デザイナーの津村正一さんからは、装丁pdfもあがってきて、文句なしの素晴らしさ。偶然なんだが、津村さんは、今日明日あたりには書店に並ぶ、木村衣有子さんの著書『大阪のぞき』のデザインもされていて、これも素晴らしい。

とにかく、これで力仕事的には大きな山をこえたわけで、昨夜は1人静かにゴクロウサン酒で酩酊。いろいろ難しいことが多かった本だが、よくここまで出来たと…。まだ、これからのツメが、けっこう大事にせよ。

瀬尾さんのレシピは、「食堂めし」「商店街の惣菜」「大人のビンボーめし」の3部構成で77点掲載。この、食堂めしにつく「エンテツの眼」というコラム、ほかに、大衆食堂探訪と商店街の惣菜探訪、最後の瀬尾さんとおれの対談風コラムを、おれが書いています。「エンテツの眼」ページ以外は、写真は全部、齋藤圭吾さん。『雲のうえ』5号以来の一緒の仕事でありまして、齋藤さんの写真は、もちろんバッチリです。

いちおう「料理本」だけど、これまでの「料理本」のイメージをガツンと打ち破って、これまでの料理本にはないおもしろさ、見るだけでも楽しく元気が出る。やっぱり、これだよ、大衆めし。

B6判、本文128ページ、1050円。6月2~4日には書店に並ぶそうです。
アマゾンをチェックしたら、すでに予約受付が始まっていた。上の「お知らせ」にリンクがあります。書店でも予約できますからね、忘れないうちに予約を。よろしくお願いしますよ。

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2010/04/12

クソジジイ! 大雅、コタツ、重松荘、地元東大宮で泥酔記憶喪失。

きのうのこと。

酔っぱらうと他人の迷惑なんぞは考えなくなる。大声で騒ぎ、俺様客様だ文句あるかという態度。ときどき、いますね。酒場の雰囲気をぶちこわしにするやつ。そういうジジイの2人連れが、東京の東の地元民に愛されている大衆酒場に、ふらふらと入ってきて、まさに傍若無人の酔っ払いぶり。ついに「帰れクソジジイ!」と一喝されて追い出された。しかも、一喝したのは、一年ほど前に、そこで働くようになったオバチャンだった。最初のころは、よくあることだが、オバチャンはもたもたおろおろで、客の注文も満足に通せない状態だった。1年も正しい下町の大衆酒場で働いていれば、たくましい立派な人間に成長するのだ。それにひきかえ、いいとしこいたクソジジイは情けない。

その話を、その現場にいた、野暮連のタノさんに聞いた。東大宮の西口、「名物」を看板にするが、看板にいつわりなしといってよい「餃子の大雅」でのことだ。ほかに、野暮連のシノさんとシバさんがいた。水餃子2人前と焼餃子2人前。それと生ビール。

タノさんとシノさんとシバさんは、重松荘シアターの帰りだった。タノさんは東京の東の、いわゆる川向こう下町文化圏の住民、シノさんとシバさんは東京の中央線エンテリサブカル文化圏の住民なのだが、ここのところよくこっちに来ている。タノ、シノとは、8日にさいたまスーパーアリーナでの、関東信越きき酒会で一緒し、大宮いづみやで飲んだばかり。その前にも、野暮連の何人かは、重松荘シアターで映画を見てのち、東大宮で飲んだ。そのうち、重松荘と東大宮の酒場は、野暮連のアジトに化す懸念もある。

ともあれ、大雅の餃子と生ビールを満足してのち、昭和酒場コタツへ。ここも、えーと、いつだったか忘れたが、すでに野暮連一行で行っている。キンミヤをホッピー割で、がんがんがん。ああ、いい加減酔っぱらったぜ、ほらほら声もでかくなってきた。ってあたりで、重松荘にいるはずのシネマニアチエさんに電話。どういう成りゆきか、そのあたりから記憶がアイマイになり、しかとは覚えてないのだが、とにかく重松荘へ押しかけることになった。

東口のキオスクコンビニで缶ビールを買って、どやどやどやと重松荘へ。たぶん21時すぎぐらいだったのではないかと思う。チエさんと重松荘あるじミチコさんと、宴会。もう泥酔記憶寸断状態で、思い出して書くことができない。

帰り、これは覚えている。おれのデジカメが、ポケットから落ちた。舗装の道路の上に落ち、ガツンと音がしたので覚えている。落ちたショックで、メモリーディスク格納庫のフタがあき、ディスクが飛び出すほどだった。タノさんが、そのディスクを見つけてくれた。ような記憶だけはあった。あとは、闇のなか~。

今朝、デジカメを見ると、東大宮駅の画像があった。撮った記憶が、まったくない。撮影時間からすると、重松荘からの帰りだ。やつらと駅で別れたのだと思うが、それも記憶にない。誰かに「クソジジイ!」といわれたとしても、覚えてない可能性もある。

酒漬けで書いてないのだが、先週は、7日の水曜日も、この日は大宮駅に14時集合で花見宴をやる予定だったが雨のため、ウチで飲むことになり、16時ごろから23時ごろまで正体がなくなるほど飲んでいる。やれやれ。

少しは仕事のことも書いておくか。『みんなの大衆めし』のpdf版校正は、きのう飲み始める前に、宅急便で送った。えーと、それから、ほかにも仕事したが、もう書くのがメンドウだ。明日、明後日に大波を迎えることになるかな?

泥酔のなかに正気を失い、仕事のなかで正気を回復する。すべては神の御意志のままに、ではなく、酒精の導くままにクソジジイは生きる、のである。

002

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2010/04/11

木村衣有子の文・写真『大阪のぞき』、京阪神エルマガジン社から。

001また京阪神エルマガジン社が、やってくれました。先日は、『あんこの本』と『ミーツ・リージョナル』5月号「オカン店」特集を紹介した。

今日は、これ。先ほど届いたばかりの見本誌『大阪のぞき』だ。木村衣有子さんが、2年間だったかな? 月刊『ミーツ・リージョナル』と京阪神エルマガジン社のWEBサイトに連載の、同名のタイトルに加筆修正したもの。文も写真も、木村さん。

帯には、こうある。「知っているはずの大阪の、知らなかったこんな顔」「かよって、のぞいて、写し撮った  東女(あずまおんな)による、粋でやわらかな大阪案内」

が、しかし、この本は、単なる大阪案内にとどまらない。すでに、その魅力は、何度か、このブログでもふれている。本になって、なおよし。大阪を知っているひとも知らんひとも。大阪ってことだけじゃなく、「これを読むと、なるほど、こういうものごとを残したらいいんだなっていうのが分かる」つまり、「まち」を「のぞきみる」目が違ってくるだろうということなのだ。

「これを読むと、なるほど、こういうものごとを残したらいいんだなっていうのが分かる」と言ったのは、ほかならぬ、おれで。本書の最後には、木村衣有子×遠藤哲夫「大阪のぞいたもん放談」が収録されている。そこでのことだ。この対談は、東京・鶯谷の「信濃路」で収録された。酔っ払いながら6時間。6ページ、たっぷりある。撮影は、齋藤圭吾さん。

津村正二さんのデザインもすばらしい。木村さんの写真を、のびのび生かしている。イラストが、なんと、わめぞの酒乱、武藤良子さん。担当編集は、『あんこの本』の村瀬彩子さん。

とりあえず、そういうことで、これは、ぜひ、ご覧いただきたい。14日か15日ごろ書店に並ぶでしょう。

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井上ひさしさん、死んだのか。黙祷。

9日のことのようだ。

ちょうど2年前、08年4月10日と11日、井上ひさしさんが1949年15歳の中学3年生のとき半年間をすごした、岩手県一関市の世嬉の一酒造を取材で訪ねた。井上ひさしさんが、そこに住んでいたとは知らずに、「まちづくり」の取材で訪ねたのだ。

世嬉の一酒造は、広い敷地に数棟の古い大きな蔵造りが建っている。その土蔵の一角に井上ひさしさんの家族は住んでいた。たしか、この画像の奥側に見える蔵の一角だったと思う。ここで、親が土建業を営んだのだが、短いあいだで失敗に終わる。

半年間の縁だったのに、そしてたいした幸福だったわけではないと思われるのに、井上ひさしさんは世嬉の一酒造や一関の人たちと親交を重ねている様子を聞いて、おどろいた。

彼は、1990年代に数回、同じ敷地の別の蔵で、無償の「作文教室」をやっている。それが新潮文庫にまとまっていると知り、取材から帰って、買って読んだ。そこで彼は、このように書いている。

「わたしは、この一関にたいへんな恩を受けてたわけです。百五十日間、ほんとうに温かく迎えていただいた。一家、路頭に迷わず、なんとか生きつづけることができたんです」

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2010/04/10

やっぱり、泥縄式じゃ、うまくいかない。

でも、なんとかなうことができるか。やってみるよりしようがないんだなあ。やってみるよりしようがないってのが、そもそも泥縄式の証明のようなもので。

ま、年寄りだって、誰だって、ばかにされるようなことをやらなければ、ばかにされないわけで。
ばかにされるようなことをやっていながら、ばかにするなというのは、潔いとはいえない。

おれは、ばかにされるようなことをやってきて、まだやりそうだから、ばかにするなとはいわない。

ばかでいいじゃないの。

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2010/04/08

大規模大盛況、関東信越きき酒会、さいたまスーパーアリーナ。タダで酩酊のち大宮いづみや。

001

埼玉県には「さいたま新都心」というところがある。
その駅のそばに「さいたまスーパーアリーナ」っていう施設がある。
16時半から、関東信越きき酒会ってのが開催された。
このことを知ったのは、東大宮の居酒屋「よってってちゃぶだい」でのことだ。

002

16時すぎにさいたま新都心に着いてしまった。早いが会場の入口でちゃぶだいの大将たちを待とうと思い、行ってみると、なんと、もう入口には入れず、外に行列しているアリサマ。そのなかに野暮連のシノさんがいた。いやあ、はるばる都内から、好きだねえ。行列はどんどん長くなるが、ちゃぶだいの大将たちの姿はない。そのまま16時半の開場となり、中に入る。入ったときには、すでに通路からブースから人で一杯だった。

006_2

出品の酒蔵は、関東の栃木・群馬・埼玉と、長野と新潟から、清酒だけでも2百数社。故郷の南魚沼からは、高千代酒造と鶴齢の青木酒造は出品していたが八海山の姿はなかった。とにかく、ひたすら飲むのである。タダシイきき酒の仕方なんか関係なく、入口でもらった小さなプラスチックのコップに少しずつ注いでもらっては、ゴクッと飲む。

007

燗のコーナーもあり飲む。うーん、やっぱり燗は、いいね。口なおしに地ビールコーナーでビールをもらう。しかし、つまみは持ち込み禁止だったので、正直に持って来なかったが、なにも食わずに飲みつづけるのは、けっこう大変だぜ。いやさ、きき酒だから、飲まずに口にふくんでグチョグチョやったら吐き出せばよいのだが、そんなことはモッタイナイからできない。

うろうろしていると、ちゃぶだいのイタチョーに会う。あとで会えるだろうと思い、挨拶してまた別々に。あとから、これまた都内からわざわざ来た野暮連のタノさんとも会って、そのまま3人でうろうろ。

長野県佐久の「亀の海」の酒蔵「土屋酒造店」の若大将と再会。えーと、5年ぶりぐらいかな。客の評判を肥やしに一段と自信をつけた感じであった。自信をつけただけあって、やっぱり亀の海は、よかった。数百石の小さな酒蔵を続ける、若大将が元気でよかった。

010

しだいに酔いがまわり、立っているのもメンドウになる。会場内をぐるぐるまわって、ちゃぶだい様御一行をさがすが見つからず、19時で終了の15分前ぐらいに、シノさんタノさんと会場を出て、コンさんと合流する大宮いづみや第二支店へ。本店が休みなので、ここも大混雑で2階。きき酒会の酒は、どの酒蔵も純米酒が中心で、吟醸、大吟醸という高級酒も飲めたが、いづみやでワレワレの平常にもどり、サッポロ赤星びんのラガーや梅割りなど。おれは腹が減っていたこともあり、どうしてもチキンライスが食べたく、ちょうどライスが切れたというが、炊き上がるのを待って作ってもらう。

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21時半ごろか?いづみやを出て、野暮連とわかれ、大宮の宇都宮線ホームを歩いていたら、勤務帰りのチエさんとバッタリ会う。東大宮の改札を出て、もう少し飲むという余力もなく、チエさんとわかれ帰る。

きょう、いくつの酒蔵を試飲したか数えてみたら、21だった。一つの酒蔵で、何種類も出しているところが多いから、はて、どれぐらい飲んだのか。ほかに、地ビール蔵4か所と、ワインや甲類焼酎割りも試飲。

会場の多くは、飲食業関係者だったようだが、若い女のグループもいて、なにやら清酒の分野も女力の進出が激しいような感じだった。味覚の傾向も、あきらかに女ネライのものが、けっこうあった。純米酒に力を入れるのはよいが、女好みの酒と高値にひきずられ、男の日常酒だった普通酒や本醸造酒の廉価高品質化がおろそかになるんじゃ、おもしろくねえな。ってなことを、アンケートに書いた。実質を軽視した「高級化」は、なんに限らず、いっとき話題になっても最終的には成功しないよ。

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2010/04/07

神田神保町「路地と人」正式オープン。インスタレーションについて。

006えーと、おれが「路地と人」のプレオープンイベントの半分酒場で半分トークのようなことをやったのは、いつだったかな。とにかく、その「路地と人」の正式オープンだ。

4月10日から、「「路地と人」 メンバーが各自の仕事を携えて饗宴する全10日間。各々の展示による、部屋全体でのインスタレーションをおこないます」と、こちら、「路地と人」のブログにある。…クリック地獄

前の半分酒場の半分トークのようなものも、半分インスタレーションのようなものだったが、もっと構成されたインスタレーションってことになるのかな?

おれぐらいのトシだと、1960年代に、「ハプニング」という「騒ぎ」を記憶している。続いて、「コンセプチュアル・アート」だの。その流れが、こんにちでは、インスタレーションになるのだとか。正確には、どうか知らないが、このたぐいは、抽象的な現代アートとして、とかく「わからない」と敬遠されがちだ。

だけど、その「わからない」というのがクセモノで、そもそも「感じる」ことが大事なのに、「わかろう」とするクセがついてしまっている。その「わかろう」とするクセを捨てるには、インスタレーションの場に身をおくのもオモシロイと、おれは思う。

ガキのころから人間は具象と抽象のあいだを、自由に行ったり来たりしていたはずが、いつのまにか教えられ「わかろう」とする人間になってしまう。

日本酒のことシロウトなのでわかりません、教えて。浪曲観たことも聴いたこともないからわからない、教えて。といった調子で、なんでも「わかろう」とするし、そのうち「わかったふり」をするようになる。

何かのカテゴリーのなかに自分をはめて、たとえば、ワタクシはラーメン好きの人間とか、ワタクシはカレー好きの人間てなことで、しだいに自分をカテゴライズしてしまう。たいがい、そのときには、そのカテゴリーの情報通かなんかになっていたり、そのカテゴリーの権威の「教え」のもとにある。

カテゴリーの権威は、アナタに向かって言う。ワタクシはラーメン好きだ、あなたもラーメン好きだ、おなじラーメン好きなら、これを知っているだろう、これぐらいは知っておきたい、そうだそれでこそワタクシタチはラーメン好きな仲間なのだ。ってなぐあいに、近頃は「食」の分野だけでも、「立ち飲み」「立ち食い」「居酒屋」…細分化されたカテゴリーの虜になり、具象の細部にわたる虜になって、具象と抽象のあいだを行ったり来たりする、人間の自由な感覚を忘れてしまいやすい。そうしてしだいに、自由な感覚や自由な思考は、権威がタレ流す「定説」だの「常識」だの「流儀」だのに囚われてしまう。

古墳部の仲間で、もうベラボウに古墳に詳しい人がいる。チョイと前になるが、古墳を訪ね、彼を囲んでオベンキョウ会みたいなことになろうとしたが、彼は「感じることです」とだけ言ったそうだ。そういうものだろう。

古墳という空間に身を置いて感じる。古墳でなくてもおなじだな。日本酒なんか、まだ感じない、まだピンとこないと、がんがん飲めばよいのだ。

ああ、えーと、そういう話じゃなくて、そうそう、インスタレーションね。これは、「わかろう」とするのではなく、「感じる」こと、「感じる」感覚をとりもどすこと、だと、おれは思う。

あまりにも、「教えられ」「わかろう」とすることになれすぎた肉体を、その空間に置くことで、もろもろのカテゴリーや権威の滓に囚われてしまっている自分の感覚を、とりもどす。あるいは解放するのだな。自分の感覚を遊ばせるのだな。

いまの時代、何かを「わかろう」とすると、かならず、野心と知識と情報はあるがたいしたやつじゃない権威につかまってしまう。

ま、まずは、「路地と人」で、インスタレーションを。

こう書いているおれだって、インスタレーションについてわかっているわけじゃない。このように感じているだけだ。

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2010/04/06

「みんな」の破壊なるか、『みんなの大衆めし』。

「わははめし」書籍化、PDF版ができあがり、タイトルが決まった。『みんなの大衆めし』です。よろしく。

あれっ、「みんな」って、あんたが嫌いな言葉じゃなかった? なーんて言わないでちょうだい。おれだって、オトナなんだからさ。アチコチに「みんな」を破壊する地雷を文章にしかけて。はて、しかし、これからの何重ものチェックのなかで、いくつの地雷が生き残れるか。オタノシミ。

「大衆めし」って言葉がタイトルにつくだけでも、上等ってもんでしょう。
料理本です。著者は、瀬尾幸子さん。おれは文章を添えます。
Webで連載中の「わははめし」の瀬尾さんのレシピは、7割ぐらいは掲載になるかな。プラスあらたなレシピ。
おれの文章は、ぜんぶあらたに書き下ろしです。

6月上旬発売に向かって、レールの上を驀進するだけ。

しかし、中俣暁生さんのツイッターで知って、下のPDFを読んでいるんだが、「みんな」は、どう考えるんだろうか。
http://twitter.com/solar1964

おれは、もともと出版業界に幻想なんか持ったことないが。ここにあるPDF、けっこう文章量はあるし、おもしろいし、仕事にならん。
http://www.kodansha.co.jp/emergency2/index3.html

みんな、似たようなアブナイことしているんだよな。「読者のため」「みんなのため」とかを錦の御旗にしながら。でも、講談社がこれを発表したということは、まだ自浄能力があるとみてよいのかも知れない。問題の根は深いにしても。ま、「みんな」の自浄能力が問われているわけでもあるな。大変なことだ。

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2010/04/05

あれこれ行きたいところはあるけれど。

020おとといだったかな、故郷の南魚沼のくぼしゅんさんから電話があった。毎年のことだが、高千代酒造の蔵開きとファンの集いに来られるかということだった。ファンの集いは5月だが、蔵開きは4月18日の日曜日。きょねんは、どちらも行ってないから、行きたいのだが、ちょっと見通しがたたない、難しいねえ。という話をする。

諏訪では御柱祭が始まっている。きょねん夏、下諏訪のすみれ洋裁店を訪ねたとき、御柱祭には是非いらっしゃいといわれているのだが。ことし行かないとつぎは、6年後?7年後?だから、生きているかどうかわからんし、行きたいものだ。こちらは、6月初旬まで断続的に行事があるから、それまでにはなんとか都合がつくか?

いずれにせよ、いまスケジュールの中心にどっかり座っているのが、小学館WEBサイトで連載の「わははめし」の書籍化、「大衆めしの本」だ。さきほど連絡があって、PDF版ができあがったので、明日プリントしたものが、手元に届くという。明日中ぐらいには、タイトルも決まるらしい。

6月初旬の発行で、校了は5月中旬の予定。当面のスケジュールのやりくりは、これを優先するし今回のこの本は校正で初めて全貌がわかるようなアンバイで、ファックスのやりとりだけで済むというわけにはいかないようだ。それやこれや、なんやかんや、そのしわよせが玉突き式にいろいろにおよび、あれこれあっても遠出は、なかなか難しいのだな。

きょねんの夏撮影した、諏訪大社の下社秋宮。画像の右はしに、御柱の1本が写っている。このあたりは、大きな神社にかぎらず、道端の小さな祠でも、祠を囲むように4本の柱が立っている。こういう小さな柱も、ことし同じように建て替えるのだろうか。

SHINGO★西成さんのツイッターをのぞいたら、
http://twitter.com/SHINGO_GHETTO

「いろんな意味でフレイバー好きは、地ビールおもろいと思う…地ビール問わず、酒は、地元以外の土地を知るちっちゃいキッカケになる…」

「普通…平凡…ありきたり…当たり前…な事から大切な事を知る…」

と、つぶやいていて、共感。上のつぶやきと下のつぶやきは関係ないのだが。ラッパー、SHINGO★西成らしい、ことばとリズム感。

高千代酒造の蔵開きの案内はこちら。どなたでも参加できます。…クリック地獄

御柱祭に行ったら、下諏訪のすみれ洋裁店にも寄ってみてください。…クリック地獄

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ひさしぶりな二日酔い。

001きのうは、地元東大宮は「よってってちゃぶだい」の花見だった。18時半と聞いていたので、ブログで確認もしないで行ったら19時からに変更になっていた。でも、かまわないのだ、ただちに生ビールから。

花見といっても、花屋で買って店のなかに飾った、わずかな山桜の枝があるだけ。どうせ花より酒だから、いいのだ。飲み放題食べ放題の会費制だから、酒に意地汚いおれは、とにかく飲みまくった。えーと清酒、それもほとんど純米の生酒。何種類飲んだか。大将と話をしているあたりから、記憶がなく、泥酔完全記憶喪失帰宅。目が覚めたら朝だった。

ポケットに女性の名刺が入っていて、そういえばあれこれ話していたなと、やや思い出すが顔が思い出せない。そんなアリサマで、ぼんやり夕方になってしまった。

そうそう「ちゃぶだい」におれの知り合いが来たと大将に聞き、人相風体を確かめたら、どうやら多田さんらしい。都内からおこしいただきありがとうございます。みなさん、東大宮までおこしとは、ものずきですねえ。いやいや、東大宮は、わざわざでも来てみる価値がありますよ。

でも、「ちゃぶだい」は、王子の山田屋や鶯谷の信濃路のような大衆酒場ではなく、純米酒を中心にしたメニュー構成でありますから、その種類も充実していて、チョイと金を出しても清酒が好きという人にはたまらない店というわけで、きのうも遠くから来た人がいましたね。ま、清酒の揃いがよいぐらいで、えらそうにしている店長や板前がいる店とちがって、ここは、大衆酒場のようなゆるさもよいのです。だいたいね東大宮は、都心とくらべたら、みんなのんびりしていて、なごみますよ。

キンミヤや甲類焼酎をホッピーや炭酸系で割りながらというなら、西口の鉄砲屋や昭和酒場コタツがありますね。東口の乾商店もよいですね。まだまだ、よい店があって、東大宮ってのは、なんだか飲食店がたくさんあって充実しているところなんだな。こんなにあって大丈夫かというぐらいある。スーパーの品揃えはイマイチなのだが、大宮市場に近いこともあってか、飲食店はなかなかよいですね。

ああ、まぶたが重い。

ちゃぶだいの大将のブログ。
http://chabudai2009.jugem.jp/

3児の母にして、女きき酒軍団の一員という……
http://ameblo.jp/photodecard/

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2010/04/04

桜だ花見だ、と。

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きのう、きょうあたりは、ブログをにぎわすのは桜と花見の画像だろう。ってことで、おれも撮った。っていうほどじゃなく、ウチから駅へ行く途中の公園なのだ。先日、寒い日の昼間、ここを通ったら、ベンチで2人の30前後と思われる男が、とても楽しそうにしていた。ホームレスじゃなくて。手には缶チャーハイと発泡酒だった。

とても楽しそうで、おれも仲間に入れてと言いたくなるほどだった。そのとき、どうしたことか、ああ、東大宮には立ち飲みがない、立ち飲みや立ち食い(立ち食いは駅そばがあるが)は、都市の人たちはフツウと思っているけど、全国的に見たら、特殊な都市的風俗なのだなと思った。

公園酒、いいねえ。そのうち、おれもやろう。企業化される動きのある山下公園も、公園酒のパラダイスにしちゃえばよいのに。山下公園で、公園酒を。全国各地、花見が終わっても、公園酒を続けよう。

しかし、この公園の桜、いい感じで、土曜日の昼だけど、いわゆる花見宴会をしている人たちはいなかった。花見宴会も都市的風俗なのだろうか。

そうそう、上の「お知らせ」からリンクがある、「わははめし」が更新されています。

そうそう、公園酒といえば、この人です。『カップ酒スタイル』(ちくま文庫)のいいざわたつやさんのブログ、「自棄酒、昼酒、公園酒・・・」ですがな。…クリック地獄

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2010/04/03

なると問題。

045ここのところ、あまり人に会ってないのだが、たまたま別々の日に会った2人と「なると」の話になった。どちらも料理関係の仕事で、1人は料理の先生で、もう1人は食材メーカーで主に飲食店が対象の業務用の食材とメニューの開発をしている。

1人はなるとがのったやきめしを一緒に食べたあとだったからか、最近はラーメンでもなるとを見なくなった、なるとが減ってきているのは、うどんこ巻きみたいでうまくないからじゃないか、というような話をした。

もう1人とは、ちょっと違った角度で、価格的には大衆的ではあるけれど文脈としては「企業食」になる「大衆食」について話しているときに、ラーメンのなるとの話になった。「なるとがのってない近頃のラーメンは、大衆食の文脈のものではない」と彼が言って、なるほどねえ。

ま、それで、あれこれ考えていたもので、2010/03/31のエントリー「製品としての惣菜の反対語を考える。」になったのだが。

そんなあとなので、きょうネットで見た、この記事は、おもしろく読んだ。

読売新聞の「ラーメン具の定番「なると」、ブームに乗れず…」の見出し。一部を引用する。
(2010年4月3日14時42分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100403-OYT1T00498.htm?from=main6

 「新横浜ラーメン博物館」(横浜市港北区)の宣伝・広報課長の中野正博さん(35)によると、なるとがラーメンの具に登場したのは大正~昭和初期。そば屋がラーメンを扱うようになり、そばやうどんに添えていたなるとが、そのままラーメンの具になったとみられている。

 以来、鶏ガラスープにしょうゆ味の東京ラーメンを中心に重要な具となったが、中野さんは「ラーメンの具としては明らかに減っている」と指摘する。同館に入る全国の有名店など9店も、一般的な「ラーメン」に使っているのは1店だけだ。

 全国に数万店といわれるラーメン店は、年間1000店以上が廃業する一方、ほぼ同数がオープンするという。「なると」を使う昔ながらの店は減り、新規店には敬遠されがちということらしい。

 その訳をラーメンジャーナリストの北島秀一さん(47)はこう指摘する。

 「ラーメン業界は競争が激しい。チャーシューやメンマと違い、なるとは味の工夫をしにくい。彩り以外ではもはや存在感が薄い」
 生産量の約7割を占めるとされる静岡県焼津市。「焼津蒲鉾(かまぼこ)商工業協同組合」によると、なるとの08年の出荷量は約4160トンで、1998年の約7100トンに比べ、約4割も減っているという。なるとの未来は、どうなってしまうのか。

 立ち上がったのが、製造業者だ。焼津の「カネ久商店」は08年秋、黒地に白い渦巻き模様の奇抜な「なると」を売り出した。すり身に竹炭と黒ごまを配合し、見た目だけではなく栄養面も重視。昨年9月には東京・千代田区のラーメン店に採用された。山口県宇部市の「宇部蒲鉾」も同7月、ユズや紫芋を使った5色の「なると」を商品化している。

 「なるとには、ラーメンらしい雰囲気を出す役割がある。コスト削減や味を理由に、店にも客にも、なるとを具にする心の余裕が無くなってきたのでは。大げさだが、なるとは世情を反映するバロメーターだと思う」。北島さんは寂しげにそう語る。


………………引用おわり。なるとの問題ではあるが、大衆食が、企業的文脈にのみこまれていく様子が、わかる。「店にも客にも、なるとを具にする心の余裕」という言い方をしているが、その根は深い。

そもそも大衆食というのは、ラーメンに限らず、単価数百円で商売していた分野で、長いあいだ生業が支えていた。だけど、単位は小さくても、まとめれば、それなりの外食マーケットである。そこにある企業化(儲け)の可能性は、また「評論」稼業も成り立ちやすいマーケットを意味する。「評論」が群がり競争が激化、単価数百円のものを、微に入り細をうがつ「評論」が横行する。そこには、もはや「心の余裕」なんぞ存在しえない。……と、まあ、そういうふうに大衆食をネタにして、いろいろあるわけだ。

「企業食」というと、儲けのために味を犠牲にするという悪イメージで見られやすいが、それはなきにしもあらずだが、ネットですぐ反応が出る時代に、よほどバカな会社でなければ、そんなことは得策じゃないからやらない。それに、いまや、古米を使っためしだって、評論家さんが太鼓判押すぐらいの味にする「技術力」ぐらいはある。そして、企業的な食材やメニューの開発投資は、販売や値段の原価にはねかえる。なると1枚相当のものだって、許されなくなるし、客だって、なると1枚ぐらいのものは捨てても「うまければよい」で、そちらになびく。

資本力のある飲食店が、それなりのレベルになるのは当然なんだが、賞賛しありがたがる。日々の暮らしの支えである大衆食を対象に「グルメ評論」するような根性の貧しい食文化のなかでは、いくら貧すれば鈍するとはいえ、そんな状況を疑問にも思わなくなる。そのことによって失われるもの、その先にあるビジョンは、なんなのか。ああ、なると問題。って感じかな。

しかし、なると1枚も許されないってのはなあ。それが「世情を反映するバロメーター」だとしたら、ほんと、お寒い話だ。大衆食受難の時代かな。

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