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2010/04/11

井上ひさしさん、死んだのか。黙祷。

9日のことのようだ。

ちょうど2年前、08年4月10日と11日、井上ひさしさんが1949年15歳の中学3年生のとき半年間をすごした、岩手県一関市の世嬉の一酒造を取材で訪ねた。井上ひさしさんが、そこに住んでいたとは知らずに、「まちづくり」の取材で訪ねたのだ。

世嬉の一酒造は、広い敷地に数棟の古い大きな蔵造りが建っている。その土蔵の一角に井上ひさしさんの家族は住んでいた。たしか、この画像の奥側に見える蔵の一角だったと思う。ここで、親が土建業を営んだのだが、短いあいだで失敗に終わる。

半年間の縁だったのに、そしてたいした幸福だったわけではないと思われるのに、井上ひさしさんは世嬉の一酒造や一関の人たちと親交を重ねている様子を聞いて、おどろいた。

彼は、1990年代に数回、同じ敷地の別の蔵で、無償の「作文教室」をやっている。それが新潮文庫にまとまっていると知り、取材から帰って、買って読んだ。そこで彼は、このように書いている。

「わたしは、この一関にたいへんな恩を受けてたわけです。百五十日間、ほんとうに温かく迎えていただいた。一家、路頭に迷わず、なんとか生きつづけることができたんです」

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