連休に、わざわざ混みあう都心へ行ってカネをつかうなんて、じつにバカバカしいことだと思う。が、それは比較的都心に近いところに住んでいるものが思うことかも知れない。連休でもなければ、東京を楽しむことができない人も少なからずいるだろう。でも、それほど、貴重な連休をつかって行くほど、東京は「価値」あるところだろうかと思わなくもない。と、「価値」のモンダイに踏み込むと、ややこしくなるからよそう。
きょうもだが、きのうは天気がよかったので、足慣らしに近所を散歩した。すぐ近くの東大宮操車場を眺める位置から歩き始めた。ときどき見かけるのだが、「鉄ちゃん」がいた。「鉄道マニア」といわれる彼らは、とくに「おたく」な風貌の彼らは、すぐわかる。かつて「おたく」という言葉と概念を創造した中森明夫さんが指摘した当時の姿と、根本的な変化はない。そして、とりわけ「おたく」的な彼らは、ひとりで歩いている。
見方によっては、彼らは、都心に集まる群衆に群れず、ひとり自らの価値観によって行動しているようにも見える。ともあれ、このあたりには、鉄ちゃんたちがよろこぶビューポイントがあるのであり、その景色の魅力は、鉄ちゃんでなくても、なんとなく感じることはできる。それは、ある種の胸騒ぎコーフンである。もちろん、鉄ちゃんたちのコーフンとはちがうだろうとは思うが。
たとえば、線路端を歩いていて、電車が通ると、思わずカメラを向け、シャッターを押してしまう。なぜだろう?
と、書いていると長くなるので省略。当面の作業でたまっていた資料を片付けたり捨てたりしつつ、新たな当面の作業のための資料をさがしていると、おもしろい資料が出てきた。

「ビクターミュージック ブック」の『東北民謡の旅』という「本」だ。本であるが、あいだにソノシートを何枚かたばねたもの。「全曲振付つき」とあるように、東北地方の有名な民謡のソノシートに、歌詞と踊りの振付がついている。そして、これは、旅の案内でもある。いやあ、おどろく発見がつぎつぎ。
ソノシートが4枚ついて、380円。発行年月日がないのだが、このあと引用する文中に「三十九年より、寝台特急「はくつる」が本線を走るようになって」とあるから、これにあわせた発行かと思われ、おそらく昭和40年ごろのことだろう。
おどろいた一つは、表紙を開いた最初が、「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」で始まる、芭蕉の「奥の細道」からの引用なのだ。そして「東北への旅だち」という見出しの文章は、「東北地方を旅する人にとって、いつも心に留まるもの、それは俳人芭蕉の紀行文「奥の細道」だ。」と断定的に始まる。
食に関してもそうだが、日本の文学は、ある種の偏った観念と権威をもたらしている。そもそも、旅を語るのに、いきなり文学からの引用である。これを、こんにちでも、あまりイジョーとも思わない傾向があるのではないだろうか。
ま、その偏った文学的観念の「中央組織」に、多くがからめとられているというか。その影響が、こんにちのような「活字離れ」「本離れ」の時代より大きかった、この時代には、より鮮明であるようだ。
きょうは、そのことではなく、この本に掲載の「東北沿線の駅弁」を、これは資料価値も高いと思われるので、ここに掲載する。こんな資料価値の高いものを、めんどうして読み込んでテキスト化し、タダで掲載しちゃうのだ。でも、たいがいの資料がそうであるように、興味のない人にとっては、クズにすぎない。
いちばん上の画像は、きのうの散歩のとき思わず撮影しちゃった、宇都宮線という東北本線の列車だ。いったい「東北」とは、その呼び名からして、なんなのだろう。では、なぜ、神奈川など、東京の「南西」方面は「南西」と呼ばないのだろうか。東北に対する「ロマン」は、文学がもたらした東北に対する「偏見」と、表裏の関係であるようだ。
ソノシートについて。あてにならないウィキペディアには、「「ソノシート」は元々は朝日ソノラマの商標だったため、「フォノシート」や「シートレコード」と言い換えられる場合がある」とある。
「日本での初めてのソノシート付き雑誌は、1959年11月に発売された『歌う雑誌KODAMA』(コダマプレス刊)である。同年12月には、朝日ソノプレス社(後の朝日ソノラマ)が、ニュース記事を含むさまざまなトピックにニュースの現場やオリジナルの録音テープ、音楽などをソノシートとして収録し、「音の出る雑誌」という触れ込みで『月刊朝日ソノラマ』という雑誌を発行」ともある。いまでは、CDやDVDと「融合」した雑誌もあるが、ソノシート付き雑誌は、デジタル電子ではないが、ひとつの「活字離れ」「本離れ」のハシリと見ることができるようだ。こんにちの、「電子書籍」の大騒ぎは、かつてのこういう騒ぎの盛衰を、なにか教訓にしているのだろうか。
そうそう、付け加えるなら、これをおれにくれたのは、レコードコレクターの男で、あさって東大宮まで遊びに来るのだった。
そうそう、このブログを見て、きのう東大宮に遊びに来たというやつもいる。あんたたち、もの好きだねえ。でも、いいことだよ、都心を離れて、こののんびりした凡庸な土地あたりをうろうろしてみるのも。それにしても、来たなら声をかけてくれればよいものを。ここに忙しそうなことを書いていても、時間なんてなんとでもなるもの。なんとでもならんのは、カネとナントカ、ですね。
では、「東北沿線の駅弁」から。ほんと、テキスト化には手間がかかりました。これは、いろいろな「読み方」ができる資料だと思う。
東北への起点、上野を出た列車は、発車数分にして日暮里で二手に分れ、海岸線の常磐廻り、片や東北本線経由となるが、仙台に入る少し手前の岩沼で両者は合流し、東北線一本となって一路青森へとひた走る。
東北線が、日本鉄道会社の手で青森まで全通して以来、宇都宮、福島を通る本線がメイン・コースだったが、海岸線の方が平坦なため、常磐線は早くから、平(たいら)まで復線化され、そのため特急「はつかり」を始め、青森行急行のほとんどが常磐線を廻ったので、青森行は常磐線が本線と思われがちだが、三十九年より、寝台特急「はくつる」が本線を走るようになって、かろうじて本線の面目を保った。
しかし、おもしろいことに駅弁の世界から見ると、本線は昔からレッキとした正統派の本線で、あれほど優等列車の驀進していた常磐線にこれといった駅弁駅がついに出現せず、むしろ裏街道といえる奥の細道本線に、いろいろな優れた駅弁が育ってきた。これは、あるいは、明治十八年、上野ー宇都宮間に初めて東北へのレールを敷いたとき、わが国最初の駅弁が、宇都宮に誕生したというから、本線側に駅弁だけは負けてはならじの駅弁屋の意地があったのかもしれない。
さて、では駅弁の銀座、新宿といえるのは、駅弁の売子のアクセントが尻上りに聞え始める栃木県の小山駅から、わが国駅弁の発祥地といわれる宇都宮をはじめ黒磯、白河、郡山にかけてである。とくに黒磯は、ここで交流・直流電流を異にする関係上、すべての列車がゆっくり停車するから、ホームに下りて、のんびりと駅弁あさりを楽しむことができる。
次に、仙台からさきが、これまた銀座、池袋に劣らぬ駅弁通りだ。小牛田、一ノ関、盛岡、青森と、止る駅、止る駅、そのいずれにも、これはというものが現われて、応接にいとまがない。うっかりしていると、座席のまわりが駅弁だらけになってしまうか、財布の中がカラッポになるか、それともオナカをこわすか、といったにぎやがさである。
駅弁総らん
東北沿線
上 野=すし100 幕の内150 鯵の押ずし100
赤 羽=すし100
大 宮=すし100 鳥めし100 盆栽ずし100 うなぎめ150 武蔵野弁当150
小 山=すし100 鳥めし100 うなぎ丼200 三色ずし100 三色弁当150 幕の内150
下 館=すし100 幕の内100
宇都宮=すし100 ぜんまい弁当150 茶きんずし100 とりめし150 ひさご弁当150 茶めし弁当150 幕の内150
黒 磯=すし100 那須野寿司130 おはぎ弁当100 赤飯弁当120 うなぎめし200 おにぎりランチ100 九尾ずし150 九尾釜めし150 幕の内150
白 河=すし100 串カツ弁当100 鳥めし100 関のすし100 鱒ずし130 幕の内150
郡 山=いなりずし150 すし100 磐梯のちらしずし100 カツライス弁当150 山菜ちらしずし150 うなぎ丼200 幕の内100・150
会津若松=山菜巻ずし100 栗めし100 会津弁当150 幕の内100
日出谷=鳥めし100
福 島=すし100 幕の内100・150
白 石=すし100 釜めし150 幕の内100・150
仙 台=すし100 ちらしずし100 うなぎめし200 栗めし150 松たけめし200 竹駒ずし100 かにずし150 釜めし150 幕の内100・150
作 並=すし100 幕の内100・150
小牛田=いなりずし50 すし100 五目めし150 洋食弁当150 うなぎめし200 幕の内100・150
一ノ関=すし100 鮎ずし150(七―九月)きのこめし150(十―六月)うなぎめし150 幕の内150
北 上=すし100 うなぎめし150 幕の内150
花 巻=すし100 とりめし150 幕の内150
盛 岡=すし100 釜めし150 鳥めし150 うなぎ弁当150 幕の内150
一 戸=ちらしずし100 トンカツ弁当150 幕の内150
尻 内=すし100 小唄ずし200(十―三月)幕の内150
野辺地=すし100 鳥めし150 幕の内150
青 森=すし100 帆立釜めし150 うなぎ弁当200 幕の内150
気仙沼=すし100 幕の内100
遠 野=すし100 幕の内150
釜 石=すし100 幕の内150
宮 古=幕の内150
十和田南=錦木おこわ100
常磐沿線
我孫子=いなりずし50 幕の内100
土 浦=すし100 うなぎ丼200 幕の内150
友 部=すし100 幕の内100
水 戸=すし100 うなぎめし180 幕の内100・150
常陸大子=すし100 幕の内100
日 立=すし100 幕の内150
高 萩=すし100 幕の内100
奥羽沿線
米 沢=すし100 牛肉弁当150 肉弁当(豚肉)150洋食弁当150 幕の内150
山 形=すし100 釜めし150 幕の内150
新 庄=すし100 幕の内150
院 内=すし100 幕の内150
横 手=すし100 幕の内150
平 =すし100 幕の内150
小野新町=すし100
富 岡=すし100 幕の内100
原ノ町=すし100 ちらしずし100(八月を除く) とんかつ弁当100 さけめし弁当150(十月―四月) そば折づめ弁当70 幕の内150
大 曲=すし100 幕の内150
秋 田=すし100 トンカツ弁当150 幕の内150
東能代=すし100 シイタケめし150 幕の内150
大 館=すし100 鶏めし150 若鶏弁当200
弘 前=すし100 幕の内150
羽後本荘=すし100 幕の内150
酒 田=すし100 シューマイ弁当150 幕の内150
余 目=いなりずし80
鶴 岡=すし100 幕の内150
鼠ケ関=すし100 幕の内150
坂 町=すし100 幕の内150
新発田=すし100 幕の内150
小 国=すし100 幕の内150
春の東北旅行で嬉しいのは、山菜料理のたべられること。雪深い土地だけに、雪の下から芽生えた、くさぐさの山菜は、春とともに生き生きとのびてくる。わらび・ぜんまいなら都会の人でも知っているが、根曲り竹の子山うど、山ふき、ぎぼうしゅ、あけびの若芽など、宿の人に聞かなければ分らないような種々の料理が出てくる。アクが強いが、いかにも山菜らしい香が高く、通人に喜ばれよう。
わらび あく抜きをしておひたしや煮ものに。また塩漬、粕漬にして貯蔵する。
あけび 新芽の油いため、干したものは茹でて味噌煮。
ふ き あく抜きをして油でいため、煮つける。また、青々と茹であげたものをおひたしにする。
た ら 新芽の天ぷらは柔かく、くせがなくておいしい。また茹でてゴマ和え、くるみ和えなども。
のびる 茹でて酢味噌和えやおひたしに。味噌汁の実にもよく使われる。
山うど 酢のもの、煮つけ。酒の肴には生のままで味噌をつけてたべると香りが高い。