歩いても歩いても行きつかず、じっと足をながめる。
きのう、きょう、いろいろほったらかしにしておいた細かいことを片付けているが、のろのろぐずぐずとしか進まない。
足のほうは、ごく少数のみなさんに、ご心配いただきメールをいただいたりしたが、もうほとんど回復している。痛みの引けぐあいから、骨や筋は心配ないと思っていたが、腫れがいつまでも残っているから、もしかして内出血しているかと、しげしげわが足を観察すると、左くるぶしの外側に、それが認められた。おそらく毛細血管からの内出血だろうが、どうしてこんなところに???理解フノー。転ぶときに、左足こゆびのへんに体重がかかるようにねじれたような気はするが…。
ま、とにかく、しげしげとわが足をながめるなんて、めったにないことだと気がついた。ながめてみれば、両足とも、スネ毛の下半分が、正面から外側にかけて抜けてツルンハゲ状態。若いころの痕跡が、しみじみ思い出される。
これは、高校の山岳部以来の登山とスキーの靴で、擦り切れたあとなのだが、一時、そのように激しく挑んでいたってことだ。最終的に、この状態が続くようになったのは、20歳代後半だったと思う。それまでは徐々にハゲが拡大していたのだが、あれは何年のことだったか、一週間のスキー合宿で、まさに血がにじむようなトレーニングだった。広範囲に皮がむけ毛が抜け血がにじみ、ヒリヒリ痛み、ハゲ状態になってしまった。そして回復する間もなく続けてスキーへ山へとやっていたら、二度と元通りにはならなかった。あのころは、眼がなかったら、顔の裏表がわからないといわれたほど、一年中真っ黒な日焼けがさめることもなかった。
さてそれで、何を得たのか。ま、何か得たのだろう。このようなことがなかったら、ふさふさのスネ毛のおれは、いまどうしているのだろう。なーんて考えても、しようがないことだ。
ことし67歳になる男の足の画像をブログに載せているおれが、いまここにいる。ただ~それだけ~。
前回のエントリー「どやさ!」に、藤本さんからコメントをいただき、おれは例によって、夜のヨツパライのまま返事を書いたのだが、今朝読み返してみると、なかなかよい会話である。こういう会話ができる関係というのは、なかなか得がたく、うれしい。
コメントに出てくる津村正二さんには、『みんなの大衆めし』のデザインをしていただいているが、『ミーツ・リージョナル』の表紙などを手がける中心的なデザイナーさんなのだ。大阪在住のこの方に、『みんなの大衆めし』のデザインを、どうしてもお願いしたいと、ねばって実現にこぎつけたのは、制作チーム編集担当の佐々木さんだ。彼女の一念以外のなにものでもない。
この間のミーツを見ていると、なにかを模索しているように思われた。そして、さわりだけ何度か書いているように、『みんなの大衆めし』のワレワレも、なにかを模索していた。それが、津村さんを結節点に交差しているような印象を、おれは持ったのだな。
それは、たぶん、ある種の「方向性」なのだ。そして、その方向性の可能性に、なにかしら胸がときめくような手ごたえを感じている。ある種の突き抜け感、つまり、パンク。そういう印象なのだ。
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