足の痛みは引いたのだが、こころの傷みが癒されない。
ごく少数の優しい女から、足はどうなったかとメールをもらう。痛みはないし、腫れも引いてはいるのだが、まだむくんだような腫れが残っている。ま、動いたり酒を呑んだりには、支障がない。
汚い足の写真を、なんど載せても、汚いだけだが、もしかすると、ごく少数の優しい女が、写真でもよいから、おれの足を見たいと思っているかもしれないので、載せる。
連休で3日間ほど休んでいた東大宮の「よってってちゃぶだい」が、きょうから営業で、タイショーのブログに、いきなり、タイショーの汚い足の写真が載ったのでビックリした。タイショーも足が腫れたのだそうだ。
しかし、お互いにキッタナイ足の写真を載せても、誰もよろこばないだろうと思うが。ま、おれの場合は、ごく少数の優しい女がよろこぶとの妄想はあるのだが、タイショーの場合、誰がよろこぶのだろうか。
はあ、タイトルに、「こころの傷みが癒されない」と書いたが、前の文句のつながりで思いついて書いただけだから、とくに書きたいことがあるわけじゃない。それに、おれのこころは傷だだらけで、いまさら癒しなんぞいるもんか。って、よっ、かっこいい。
いや、しかし、いま潰れそうな会社が目の前に一つあって、まるでひとの臨終に立ち会っているみたいだ。ひとの臨終も、会社の臨終も数々見てきたが、いつまでたっても慣れない。
しっかし、読売新聞の「読売経済提言」には、笑っちゃったね。どうせ、政官財癒着の策士たちが練ったものだろう。こういうものを、偉そうに「提言」なんてやっている感覚だから、「活字離れ」という「新聞離れ」が生まれるってことについて、新聞社の幹部や、とくに偉そうにしている政治部は、考えたことがあるのだろうか。「活字離れ」を起こす、自らの原因を考えるほうが先じゃないの。それとも、あいかわらず、自分たちは「オリコウ」、読者大衆は「バカ」という意識なのか。
大新聞社を中心とする大マスコミは、インターネットの普及で、広くメディアリテラシィーの情報と能力が向上していることについて、まったく考えがおよんでいないようだ。つまり「KY」ってこと。もっとも、まだ大新聞社の書くことを、ありがたがっている人たちもいることはいるが、そういう人たちの言動には、未来性は感じられない。そもそも「読売経済提言」そのものが、数時代前の感覚だもの。ま、官房機密費のカネに尻尾をふったような、カネのためならなんでもする「御用評論家」のたぐいを総動員して、キャンペーンをはるのだろう。
これだけの不況だから、大新聞社お得意の、それしか能がないような、ものごとのあら探しを、そう真剣にやらなくても、ネタなどいくらでもある。そして、そのネタは、あらかじめ用意された「読売経済提言」に沿ったキャンペーンとして利用される。そんなことは、もう誰でも知っているのだ。もう、そういう煽情煽動は、うんざりだ。
いまいわれる、「活字離れ」「本離れ」「出版不況」だのは、これまでの大新聞を頂点とする既得権勢力が後退しているだけで、それはまあ、その中核をなしてきた「中央原理主義」のようなものが、実効性を失ってきているってことだと思う。だから、その対抗としてインターネットやデシタルがある、ってことじゃなくて、メディアの質や中身として、地域性や多様性に対応しうるってことじゃないと、右だろうと左だろうと、大だろうと小だろうと、紙だろうとアナログだろうとデジタルだろうと、ダメだってことだな。
と、ああ、今夜は、なんだかひさしぶりに、気分のよいヨツパライ深夜便なのだった。
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