竹屋食堂、空虚な跡地を撮影。
きのう、西日暮里へ行ったついでに、06年8月に閉店した竹屋食堂の無き跡を撮影した。京成線の高架下は、竹屋食堂だけでなく、すべて退去取り壊しになった。踏み切りのところから見えた、竹屋食堂は、もうあとかたも無い。
きれいさっぱり、あまりの様変わり、竹屋食堂があった場所すらも見当がつきかねる景色だ。しかし、竹屋食堂は、高架下をくぐる通りの角にあったので、なんとかそこがわかった。
山の手線の西日暮里駅から歩いて10分かからない場所。京成電鉄の意志が支配するところ。生活のにおいが消え、空虚な通りが続いていた。
これは、一つの戦後の「精算」とみることができるが、ずいぶん乱暴な「精算」であり、都市の「まち」から都市的荒野への後退ではないか。そこに生活する人がいてこそ「まち」であり、その「まち」を生かしながら、よりよく変る姿を追求すべきだと思うのだが…。こうも排除が先行してしまっては。
竹屋食堂には、大変お世話になったし、最も付き合いが深かった。その間に、5人ぐらい?の常連さんが亡くなったりした。たいがい、マットウな人たちから見れば、マットウでない人生だった。そういえば、きょねんも水族館劇場へ行くのに、西日暮里駅で瀬尾さんと待ち合わせ、さくら水産に入ったのだが、そこで竹屋食堂の元常連さんとバッタリ会って呑む、なんてこともあった。写真がたくさんあるにもかかわらず、ザ大衆食の「竹屋食堂美術館」には、まだ少しだけしか掲載してない。…クリック地獄
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