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2010/05/04

もう一度『盛岡の喫茶店』。まちに生きる言葉、文章、表現。

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前のエントリーで紹介した『盛岡の喫茶店』は、いいねえ。

たとえば、画像は、「ティーハウス リーベ」だが。店主の児山信一さんは、20歳そこそこで、「盛岡の街で、おいしい紅茶を出す喫茶店を作る」と一念発起した。

画像、左下の写真のキャプションに、こうある。「児山マスターと千代子さんの元気な掛け合いが『リーベ』の明るさを作ってきた。「生まれ育ったこの街でずっとやってこれたのは、俺たちにしては、ちょっと自慢かな」と二人は笑う。」

前のエントリーに書いた、木村さんと「機屋」の店主・関基尋さんとの会話、チョイと略しながらつなげると、こうだ。

「コーヒーについての話を聞く中で幾度も「興味がない」そう関さんは言う。」 「あまりにもあっさりと関さんが口にする、その言葉が気になった。」「言い換えれば、「楽しくない」ということですか、と、私は訊ねた。/ 「そうそう、ほんとうにそうです。つまらないっていうか、味気ないっていうか」。関さんはこちらをしっかり見て、答えた。そして例えるならば、アニメを白黒で観るような、とも付け加えた。」

うなってしまいますね。

かねがね、書くことや表現は、自分の感性や知識や才能を開陳したり、自分の「正しさ」を主張したり自慢したり、自分の慰めや感傷のためではなく、もちろん自己顕示のためでもなく、事象をしっかりみつめ、とらえ、そこから想像をめぐらし可能性を膨らませていくことであり、表現の技術は、その先にある。とは、思っていたが、こういう文章を読むと、あらためて身が引き締まりますね。

事象、あるいは人の話や景色などの、どこにくらいつくか、どこをとりだすか。そこが、表現の、最も大事な一歩なのだと、また自分に言い聞かせておこう。

それにしても、文も写真も、『盛岡の喫茶店』はすばらしい。この誌面、そして前のエントリーにも書いた「てくり」は、何を編集し表現しているかといえば、たぶん、「暮らしの中の普遍性」といった感じのことだと思う。その一点を軸に、登場者も登場する風景も、文も写真もデザインも何もかも、編集されている。

ここに引用した文は、その結果の一端なのだ。と、思う。

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コメント

木村さま、初めまして。

そういえば、本文には「児山信一さん」とあって、
わたしもここに、そう書いているのに、
写真のキャプションは「児玉マスター」と、
気にならないまま引用していました。
あるんですねえ、こういうことが。
お互い気をつけましょう。
さっそく、訂正しました。

それにしても、よい本、よい仕事で。
また盛岡に、ゆっくり行きたいです。
大いに、ご活躍ください。

投稿: エンテツ | 2010/05/07 16:22

てくり編集部の木村敦子ともうします。このように取り上げていただいて大変うれしく思います。ありがとうございます。

本来ならコメントはつけないのですが。。。
すみません、誤字を訂正していただきたく、書き込ませていただきました。

リーベのキャプション「児玉マスター」は間違いで、「児山マスター」が正しいです!!すみません!!!訂正お願いいたします。

ついでに告白しますと、帯の「木村衣有子」さまのお名前も誤植なのです!!!
でももう、単語登録しましたので!二度と間違えないと思います!!!この場をお借りしてあやまります。ほんとごめん!!

投稿: てくりきむら | 2010/05/07 11:54

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