「大衆めし」あるいは「生活の中の料理」という文脈。
買い物に出かける前は、今夜のめしはどうするかという、バクゼンとしたイメージがあったと思う。少なくとも、きのうの残りめしを、焼くか蒸すかする、というのがキホンのイメージとしてあったように思う。焼くにせよ、蒸すにせよ、そこに何を混ぜるとしようか、ほかにおかずやツマミになるものをチョイと用意しようかな、とか。
ところが、きょうは、スーパーのいつもと反対の口から入った。いつもは、ほぼ平均的な順路である、入口の近くに野菜売場があり、肉、魚と続く。きょう入った口からだと、平均的には「逆」になるのであり、入ってすぐはデイリーのパン売場、乳製品などに続いて惣菜売場、そのつぎに魚売場となる。
魚売場の平台のケースをのぞいたとき、すぐ目に入ったのが、50%の値引きシールが貼られたアサリのパックだった。見ると、50%引きは、それ一つだった。自動的に手がのびて、カゴに入れた。こういうとき、グズグズしていると、わきから、たいがいオバサンの手がのびて、横取りされちゃうことがあるのだ。サッと素早く取らなければならない。ほかの売場を見てから、その組み合わせで買うかどうか決めよう、なんてのは論外である。
そのように、アサリを買ってしまって、魚の平台ケースにそって横に移動すると、こんどは刺身だった。なんと、アジの3枚におろしたやつが3尾分入って、398円のものが30%引きではないか。これも一つだけ。ただちにカゴに入れる。
17時前後の時間帯というのは、前日にパック加工した生ものや、昼すぎにつくった刺身などは早く売り切って、勤め帰り客のピークにシフトする売場をつくる関係で、このような値引きがある。
肉売場へ行くと、若鶏モモ唐揚げ用298円が、やはり30%引き。これはいくつかあったが、とにかく、買っておく。
と、そこで、考えてみたら、もう当初のイメージなんぞ関係ないのだな。さて、野菜をどうするか。といっても、もうイメージがわかない。とにかく安いの!ということで、98円の小松菜1束と玉子10個入りを買って、レジに並んだ。千円でおつりがきて、ああ、いい買い物だったと、鼻歌気分で帰る。
はて、冷蔵庫の少しばかりのストックも利用して、どう料理し、どんなめしにするか。まもなく23時、これから、エイ、ヤッ、と思いつくままにつくるのだ。大げさにいえば、これまでの人生の、あらゆることが、この一瞬に凝縮され試される。
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