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2010/05/25

昭和ひとけたジャズ時代、大衆食堂勃興の時代。

昭和元年は、たしか1925年ということになっている。いわゆる「上海事変」は、昭和7年だったか?とすると1932年。

いま水族館劇場が駒込大観音のテント小屋で演ずる芝居、「NOMAD 恋する虜」は、そのころから後とおもわれる上海が、一つの舞台になっている。上海の、たぶん当時は「カフェ」といった場所であり、それはたぶん日本などの「列強」が治外法権的特権を行使できた「租界」と呼ぶような地域にあったとおもわれる。

先日、ウチに遊びにきたエルちゃんが、自由劇場「上海バンスキング」の公演があり、観に行ったら、「吉田日出子やほかの人たちが、前とまったく同じなのでおどろいた」という話をした。「老化」を感じなかったというのだ。「前」というのは、おれも観ているが、1990年か91年ごろだったのではないかとおもう。調べると、そのあと94年を最後に休演し、今年の2月下旬から3月上旬に、以前と同じように再演されたということらしい。

「上海バンスキング」は、もともとはミュージシャンではない役者が楽器を練習し、ジャズを演奏し、吉田日出子がうたう。「NOMAD 恋する虜」にも、バンスキング(借金しまくり借金男)が登場するし、こちらはミュージシャンの生演奏をバックに、カフェで役者が扮する「歌姫」が歌うのは「ジャズソング」だとおもう。音楽のことは詳しく知らないが、日本のジャズは、この時代の上海をぬきには語れないらしい。

くりかえし読んでいる『小沢昭一的 流行歌・昭和のこころ』のなかで、けっこうおもしろいのが、二村定一の話だ。昭和3年「私の青空」「君恋し」、昭和4年「洒落男」をうたい、ヒットした。いずれも「ジャズソング」といわれた。ところが、「私の青空」「洒落男」はエノケンこと榎本健一のうたとして、「君恋し」はフランク永井のうたとして、知られている。そういうイキサツが書いてある。あるいは、そのことは、二村定一が「ホモ」だったらしいことに関係するのかもしれない、という推測もできる。

「上海バンスキング」の時代は、昭和初年ごろを前後に「大衆」という言葉が流行するにしたがい、「大衆食堂」の呼び名も広がり、戦前の大衆食堂が最も勢いを持つ時代と重なる。それは大衆的なジャズの流行とも重なっている。

この時代の、「魔都」と呼ばれた上海は、すごく興味深い。だけど、たとえば江戸時代や戦国時代と比べたら、はるかに近いのに、わからないことが多いし、とかくすぐ「政治問題」化して、実態の把握そのものが難しい。

「NOMAD 恋する虜」では、日本の敗戦で上海から帰国した男が、「おれは、はいあがろうとして、おちていたのかもしれない」というようなことをいう。それは、とてもよいセリフだとおもったし、明治からコンニチまでの日本の歩みを含んでいるようにおもえた。だけど、ひとつの括りとしては、そういえるのだろうが、大衆食堂的には、それでは不足が残るような気がした。

この、ジャズな時代は、おもしろそうだ。まもなく、ジャズも甘い恋の歌も「敵視」され「国賊」あつかいされる時代がくる前夜。

昭和13年(1938) 5月、東京府料理飲食業組合大衆食堂部ができた。これで大衆食堂は外食産業として本格的な発展をするかと思いきや、前年からの日中戦争のほうが本格化。 昭和15年(1940) ああ、節約ムードのなか、食堂の米飯使用禁止となる。

ってことで、今夜のヨツパライ深夜便は最後に二村定一さんのうたに登場いただこう。ヨウツベから「君恋し」…クリック地獄

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