なにもかも、騒ぎのネタになって消費されるだけだから、スタンダードに還って「みんなの大衆めし」。
知り合いが参加した関係もあって、このブログにも高円寺の円盤のカレー道場のことを書いてしまったが、ことしはチト様子がちがうようだ。
ツイッターの自己紹介に「エンテツ野暮連所属」と奇怪な自己紹介をする、東田妹暮らし(harachobu)さんのツイッターに、こうある。読みやすいように、つぶやいた順に掲載する。
http://twitter.com/harachobu
昨日のカレー道場、試合前に田口店長から重大発表が! #currydoujou
「このイベントは自分がうまいカレーが食べたいから始めた企画だったのに、今期はイベントが知れ渡ってただ友達と騒ぎたい奴が参加している!(続く)」 #currydoujou
「(続き)正直、今期のカレーのレベルは非常に低い。カレーが嫌い、つくった事がないってどういう事なんだ! しかもまずいカレーを食べさせられるなんて我慢ならん!(続く)」 #currydoujou
「(続く)ですから、7月で一回戦が全て終わった時点で勝ち上がった16名から8名を選抜して二回戦を行います!」 #currydoujou
……引用おわり。
まったく、ためいきが出るような、クソッタレな話だ。最近の、沖縄基地問題、宮崎牛問題なども、そのような消費の対象になっているように見える。なにかのネタに、よってたかって、騒いで、またつぎのネタに移っていく。ふわふわふわふわ……「漂流する消費」とでもいえそうだ。
「レベルが非常に低い」ところで興奮し騒ぐ「漂流する消費」が、日本の上っ面を席捲している。
しかし、「漂流する消費」が押し寄せてこないネタもある。あまりにも地味で、ネタになりにくい。興奮しにくい。たとえば、ぶり大根やさば味噌煮や、パラパラに炒めるチャーハンとは違うやきめし…。『みんなの大衆めし』に載っているような、スタンダードなものだ。
そもそも、スタンダードというのは、スペシャルな話題性や興奮する要素が少ない。だから、気どっていないし、飽きがこない。だから、日々のめしとして続いている。
スペシャルな話題性や興奮する要素がないと、「レベルが非常に低い」人たちは、群れて騒ぐことができない。
それはともかく、先日、まいどの値下げシールが貼られる時間帯にスーパーへ行ったら、ぶりのアラが30%だか50%だったか忘れたが値引きで、150円ぐらいでタップリあったので、大根と買ってきた。「ぶり大根」を作るのである。
で、『みんなの大衆めし』を見た。このぶり大根については、WEBでの「わははめし」連載の撮影のときから、一部を瀬尾さんに教えてもらいながら撮影するシーンがあって、作ることに部分的にタッチはしていたのだが、レシピをちゃんと作るつもりで読むのは、初めてなのだ。
な、なんと、瀬尾さんのレシピは、これまでのおれが知っている、どちらかといえば「一般的」なぶり大根のレシピと、かなりちがうのだ。そもそも「材料」に砂糖がない。なぜ、砂糖がないか、なくてもよいのか、やってみてわかった。
こうして、おれは、スペシャルな「レベルが非常に低い」人たちから、また離れてしまった。本が売れるためには、「レベルが非常に低い」ところに群れて騒ぐほうがよいのだが。でも、何度も書いているように、おれの興味は、現代日本食のスタンダードなのだ。何かを生み育てるには、スタンダードがちゃんとしてなくては、ダメだと思う。
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